外国人嫌い・・・・・744
~ 今 日 の 雑 感 ~
外国人嫌い
わたしの両親は、もちろん戦争体験者であるから、外国人が嫌いだ。
特に、アジア系に拒否感が強い。
テレビで中国、韓国などの話が出ると、「チャンネルを替えろ!」と、言う。
だから、わたしは韓流ドラマの『チャングムの誓い』が観たかったのだが、観るなら別の部屋へ行けと言われていたし、ドラマの内容について話すことも家の中ではタブーだった。
中国に関しても同じようなもので、その拒否反応には理由などないのだという。
しかし、中国人や韓国人個人に対しては特別嫌な感情はないという。
(ただ、中国人に関しては共同浴場などでのマナーが悪いことで閉口している。が、韓国人には、日本人以上にマナーがしっかりしている人が多いのも事実だ)
父は、韓国人の女の子が高校へ入った時の保証人をしていたくらいであるし、母もその女の子の母親とはよく話をしてもいた。
ところが、対象が「国」レベルの話になると、途端に気分を害するのだ。すると、この間NHKの日本人の若者たちと韓国人の若者たちによる討論番組を観ていたら、韓国人の女性が同じことを言っていた。
「日本人は好きだが、日本は嫌い。過去を謝罪したようなふりをして、政府が変われば、また、謝罪など必要ないと言い出す」
すると、これに応えて日本人の青年が、「そういう韓国人が嫌いだ。日本は原爆を落としたアメリカを恨んでなどいないが、韓国はいつまでも恨みを捨てない。いつまで謝らせれば気が済むんだ?そんなしつこさだから日本人に嫌われるんだ」
確かに、これを聞いていて、わたしも両国民の性格の違いには驚くばかりだった。
日本人は、自らを被害者だということなど、末代までの恥だと思う国民である。被害者ということは、戦争に負けた弱者だということを認めることになる。負けていても勝ったという国民であるから、「やられた」などという言い方は、口が裂けても出来はしない。
「生き恥をさらすくらいなら、自決の道を選ぶ」という武士道精神が、日本人の魂の根幹なのである。
しかしながら、韓国人の魂の根幹は、どうやら「怨」に集約されているようだ。
「怨」の精神から相手を倒すことが潔さだと思う気持ちが国民性の底辺に土台としてあるらしい。
人を恨むことは最も恥ずべき感情だと思う日本人と、怨みこそが情の美しさを表現する手段と考える韓国人とでは、正に水と油----合い入れるはずもないのであろう。
おそらくは、戦前、戦中派の世代は、感情を表へ出すことはみっともないことと教育されて育ったので、情を重んじる韓国人を敬遠するのだと思う。
また、中国人に対する気持ちも、その世代の人たちにはわたしたちには想像出来ない言うに言われぬ物があるのだと思う。
とにかく、そんな訳で、我が両親は外国には極めて懐疑的なイメージを持っているといえる。
でも、父の従兄弟は、ブラジル人なんだけれどね。(笑)
<今日のおまけ>
日本人も欧米人も、クールなことがかっこいいことだと思う気持ちがあるが、中国や韓国の映画などを観ると、クールは冷淡で人間らしさがなく怖いというイメージが強いらしい。
以前、信濃毎日新聞でアメリカ人識者が書いていたコラムこんな物があった。
「日本人は、アジア人の顔をした欧米人である。中国人や韓国人と感性が合い入れるはずがないのだ」
確かに、上記の討論会でも韓国人の若者が言っていた。
「日本人は、まるでドイツ人のようだ」と----。そして、その若者はこうも言う。「韓国人はイタリア人のようだ」
しかし、果たしてそうだろうか?
イタリア人がこれを聞いたら「とんでもない!」と、否定するのではないだろうか。
だが、ドイツ人はおそらく日本人との共通点を並べられても、全面否定はしないだろう。
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