ダニー・コリガンの部屋 6
ダニー・コリガンの部屋
6
おれは、おれ自身でも感心するほどの献身ぶりで、このもてあまし気味の居候のために早起きをし、コーヒーを淹れ、トーストを焼き、ハムエッグを作った。
やがて、クラウスの顔から怯えの色は失せたが、窓から外の灰色の路地を眺める時のぼんやりとした眼差しは、時が経つごとに憂鬱の色を濃くして、その白く聡明そうな額に刻まれた苦しげなシワをより深いものとした。
おれは、クラウスを連れて、気晴らしに街へ出かけることを提案した。
彼が、何者かに命を狙われてでもいるのだとしたら、それは極めて危険な賭けではあったが、この薄暗い陰鬱的なアパートの一室の狭い空間で、ただ、日がな一日悶々と苦悩に浸るのを見続けることは、おれ自身、耐えられないということもあった。
「どうする、クラウス?お前が行きたくないなら、それでも構わないが、おれにとっては、せっかくの休暇なんだ。部屋に閉じこもってばかりもいられない。買い物にも行きたいからな。でも、何処の何者とも判らないお前を、この部屋に残したままで外出するというのは、正直、気分のいいものじゃァない。それは、判るよな?」
おれは、自分の気持ちをはっきりとクラウスに伝えた。
すると、クラウスは、そんな無謀な提案に難色を示すかと懸念したおれの思惑に反して、存外、すんなりと外出を承諾したのだった。
「いいですよ。ぼくもお供します」
まだ、青あざの残る頬をゆるめて、ニッコリと答えた。
街へ出たおれたちが最初に入った店は、衣料品店だった。
おれは、 クラウスの着ている如何にも爺さん臭い三つ揃えを脱がせ、かわりにTシャツとジーパンを買い、それを着せた。靴も、年代物の革靴を脱がせると、スニーカーを買い与えて履かせた。
このスタイルなら、彼を探している追手の連中にも容易には判るまいと、考えてのことだが、おれにとっては、実に思いがけない迷惑な出費であることは間違いなかった。
クラウスは、何処となく居心地の悪そうな露骨な戸惑い顔を浮かべながら、ショッピング街の店のショー・ウィンドーに、自分の姿を映したまま、しばらくじいっと見入っていたが、やがて、物言いたげに、おれの顔を覗き込んだ。
すかさず、おれは言う。
「クラウス、文句は聞かんからな。これも、お前の身を守る手段の一つだ。それに、おれとしても、1930年代の骨董品なんかと肩を並べて歩きたくはないからな。こっちまで、変人扱いされてはたまらん」
ぶっきらぼうに言い放つおれの言葉の意味が理解できたのか、出来なかったのか、よく判らないが、クラウスは、またしても優しげにはにかんだ微笑みを満面に宿し、
「-----ダンケ!(ありがとう)」
小さく頷くと、ウェラ―・ストリートを軽い足取りで歩きだした。
まるで、今にも口笛を吹き、タップダンスでも踊りだしそうなウキウキとした調子で、おれの前方を行く。
ひっきりなしに走る自動車の洪水に目を丸くしたかと思うと、カリフォルニアの青空にそびえ立つビルの群れを珍しそうに振り仰ぐクラウス・リーベンアイナーは、何とも、不思議としか言いようのない青年だった。
つづく
<今日のおまけ>
長野県には、ゴキブリが少ないという噂が、インターネットで飛び交っているいそうです。
ゴキブリ駆除剤の売り上げも、全国平均の三分の一で、スプレー剤に関しては、五分の一の売り上げにとどまっているとのこと。飲食店関係者も、「確かに、東京などに比べると、半分ぐらいしかゴキブリを見ない」と、話しているそうです。
信州のカラッとした湿度の少ない気候や、暑さ寒さにメリハリがあることが、ゴキブリの住みにくい環境を作っているのかもしれません。
長野県は、それだけ衛生的な県であるともいえるのだとしたなら、嬉しいですね。
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