今日の雑感 7

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     散歩をしていると、空気が冷えているせいかやたらに咳が出る。

    今年は、去年よりもさらに寒さに弱くなったみたいだ。

    身体が外気に順応しにくくなっている。

    冬が楽しいと思える人は、まだまだ若い証拠なのだと思う。

    ところで、投票日に投票所へ一番乗りの人には、投票箱の中が間違いなく空であるという確認をする役目が与えられるそうだ。

    これをやりたくて、投票所前で順番取りをするという人もいるという。





     認知症は、短期記憶から忘れて行く病気だという。

    だから、初恋の人の名前を覚えていたり、学生時代に勉強した平家物語の一節がスラスラ口から出て来るから大丈夫----などと、安心していてはいけないそうだ。

    買い物をしようとスーパーへ来たのに、何を買おうとしていたのか思い出せなかったり、何のために来たのか忘れてしまうようなことの方が症状としては危ないのだということである。

    昨夜食べた食事を思い出す時も、何を食べたかはある程度うろ覚えでも、何処で食べたか、誰と食べたかを忘れている方が認知症の疑いが濃いそうだ。

    また、認知症とは関係ないと思うのだが、手で直に文字を書いていた時よりも、パソコンで文字を打つようになってからの方が記憶力が鈍くなったように感じることはないだろうか?

    おそらく、これは視覚と同時に身体の運動作用も伴って脳に刻んでいた記憶が、パソコンによって視覚から得られる記憶だけに限定されてしまったせいだと思われる。

    だから、まだ脳が柔らかい子供のうちは、出来るだけパソコンや携帯に頼らず、自らの手で字を書くことをしっかりと訓練するべきではないだろうか。

    因みに、昼寝をする習慣のある人は、しない人に比べると認知症になるリスクが低いそうである。





     新聞や雑誌などに書かれている巷の雑記事をブログの題材に取り上げているブロガーは多いが、時々、結局は自分の意見は曖昧のままにして、そんなことに関わるほど暇ではないが・・・というような第三者的な体裁目線で終始している文章が目につく。

    ならば、どうしてわざわざ記事に上げたのか?と、問いたい。

    俯瞰的立場で物事を総括するのは、一見大人の見解のようにも思われがちだが、それは単なる逃げか、格好つけに過ぎない。

    ブログなのだから、別に何を書いても構わないが、自らの結論は棚に上げるような責任回避記事を延々書く意図は何なのか?

    コメントが欲しいばかりの釣りのつもりか?

    自分はどう考えるか----を、まったく明確にしないままの記事など、ただのコピペに過ぎないし、正直読む必要性を感じない。

今日の雑感 7


<今日のおまけ>

    政治家のどなたかが言っていた。

    日本は、核家族化が顕著になってから、福祉や医療にかけるお金が増大したそうで、消費増税を最小限にするためには、かつての大家族制に戻ればいいのだそうだ。

    そうなると必然的に子供は老親の面倒をみるようになり、介護費用等の財政負担も軽くなるという。

    確かに、それはその通りだと思うのだが、近頃は結婚が安易なら、離婚も安易である。母子家庭や父子家庭も珍しくなく、高齢者の一人住まいも急増中だ。

    離婚を望む夫婦を、国の政策で無理やり一緒にいさせることも出来ないし、両親とは暮らしたくないという若夫婦に、それでも同居しろと命じることも不可能だろう。

    ならば、どうしても親の面倒をみたがらない子供たちには、独立税なるものを課すことにでもなるのだろうか?

    そうなると、「舅や姑などと一緒に暮らすなんて真っ平」という我がまま嫁からは、目玉が飛び出るほどの税金を徴収することになるのかもしれないな。
    

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