相棒Season 8 ・・・・・206

~ 今 日 の 雑 感 ~


相棒 Season 8



    「相棒」新シリーズ、始まりましたね~。

    先日のスペシャルでは、意外な発見がありましたね。

    それは、杉下右京警部(水谷豊)がロンドンから帰って来た空港でのシーン。新しい相棒の神戸尊警部補(及川光博)が、上司の杉下右京を出迎える場面で、偶然、共に空港で出迎えることとなった杉下の元妻・宮部たまきに、杉下が神戸を紹介した一瞬、杉下の表情が微妙に変わったことでした。

    元妻・たまきが神戸と握手をした時の神戸のあの手の握り方は、正に、女性をエスコートしなれた男性の握手でしたね。

    その時のたまきのはにかんだような微笑み-----あの笑みを見て、杉下は間違いなく神戸に対してかすかな嫉妬心を抱きました。杉下の中に未だくすぶる、たまきに対する愛情を、水谷の表情は、実に巧みに演じていたと思います。

    このほんの何秒かのシーンで、今後の新「相棒」が、どんなイメージで進められて行くのかを、それとなく視聴者に納得させた訳で、本当にうまい演出だと思いました。

    ところで、今度の新しい相棒同士のこの二人----一言で言って、シャーロック・ホームズと、明智小五郎が組んだというような感じなのです。(これは、まったくの私見ですが・・・・)

    今までの、杉下と亀山薫の「相棒」は、正に、シャーロック・ホームズと、ジョン・ワトソン医師のコンビか、もしくは、エルキュール・ポワロとアーサー・ヘイスティングス大尉の関係に近いものだったように思われるのですが、新「相棒」は、世代こそ違え、二人の雰囲気には共通点も多く、知的でユニーク、ユーモアもあり、男性の色気もそこそこにあるといった、似た者コンビの設定を、制作サイドは、あえて選んだような気がします。

    このような似た者同士がコンビを組むという設定は、ある意味難しいと思うのですが、もしも、この二人の劇中でのウェイトがほぼ同じといった場合には、実に面倒なことになりかねません。たとえば、かつてのアメリカドラマ「白バイ野郎ジョン&パンチ」や、「刑事スタスキー&ハッチ」がそうでした。zukyさんも、ブログに書かれていましたが、「白バイ野郎-----」に関しては、最終的にジョン役のラリー・ウィルコックスと、パンチ役のエリック・エストラーダの確執がもとで、ラリーが役を降りることになってしまった訳です。そのあとは、パンチ役のエリックが独り主人公となり、相手役を色々と替えてはみましたが、やはり、ラリーがジョンを演じていた時のインパクトにかなうはずもなく、番組は視聴率低迷で終了してしまった訳です。

    二人のコンビが主人公というドラマは、こういった危険性をはらんでもいるのですが、こと「相棒」に関しては、始めから主人公は、杉下右京であり、その相棒である亀山刑事や今回の神戸警部補は、どちらかといえばその補佐役といった立場にあるため、タイトルは「相棒」でも、ドラマの内容は、「杉下右京とその相棒」と、いうべきところなのだと思います。

    そして、その他のレギュラーメンバーは今回も健在です。

    内村完爾刑事部長、中園照生参事官は、相変わらず杉下たちを目ざわりだと感じていて、いつものように嫌がらせをたくらみます。

    伊丹憲一、三浦信輔、芹沢慶二の捜査一課の刑事三羽ガラスも、時に敵対、時に協力のスタンスで絡んできます。ただ、わたしとしても、やはり、伊丹刑事の「特命係の亀山~」という、嫌みたっぷりの名ゼリフが聞けなくなったのは、ややさびしい感が無きにしも非ずです。

    組織犯罪対策5課長の角田六郎。「おい、暇か?」と言いながら特命係室へ入って来ては、勝手にコーヒーを飲んで行くお調子者警部。そして、杉下の陰の協力者である落語好きの鑑識課捜査員の米沢守。常にラムネをボリボリかじっている警務部人事第一課・主任監察官の大河内春樹。確か、彼は、一時、部下の男性刑事と親密な関係にあったことも・・・・?

    さらに、杉下と神戸の元上司で、杉下に対しては異様に複雑な接し方をする敵か味方かも判然とし難い男、警察庁・官房室長の小野田公顕。

    奇々怪々、複雑怪奇、跳梁跋扈、百鬼夜行の捜査迷路を、鋭い推理力と、魅力的発想で突き進む、杉下と神戸の新しい「相棒」に、今から、期待感がいっぱいです。icon06

    

    

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観光地の大いなる誤解・・・・・205

~ 今 日 の 雑 感 ~


観光地の大いなる誤解



    以前、県会議員の選挙があった時、わたしの知り合いの女性が立候補しました。

    しかし、彼女は、おしくも落選。わたしは、絶対に当選すると思っていたので、この結果には、正直驚きました。

    女性候補は、地元の活性化のために日々懸命に努力してた人でもあったので、女性票は確実だと考えていたのです。ところが、いざ、フタを開けると、対立候補の男性にかなりの差をつけられていたのです。しかも、ほとんどの女性票が何故か男性候補の方へと入っていたのは、実に予想外でした。

    しかし、あとでその理由の一端が判ったのです。それは、その女性候補を推した陣営に、観光地の旅館やホテルの女将会が入っていたという理由だったのです。

    表立っては、さして嫌悪感を示すことはない一般家庭の主婦たちが、この時ばかりは、旅館やホテルの女将たちに公然と反旗を翻したという訳なのです。ある、主婦は言っていました。

    「女将会が推しているんなら、別に、あたしらが票を入れなくてもいいでしょ。あんなお偉い女性たちがバックアップしている候補を、あたしらみたいな下々の者が応援するなんて、おこがましいわよね」

   この主婦の言葉は、選挙運動に関係のないわたしにも、「なるほど、問題はここにあったか・・・・」と、目から鱗の落ちる発見をさせてくれました。女性の敵は、正に女性なのです。つまり、この女性候補の落選は、こうした女将会VS一般主婦の、確執の狭間におかれ、貧乏くじを引いてしまったという構造だったことが判りました。

   実際、「旅館の女将たちが推していなければ、絶対に彼女へ投票していたわ」と、言う主婦にも会いました。

   この10月3日から、長野電鉄湯田中駅で、湯田中渋温泉郷の旅館の女将や山ノ内東小学校児童らが、湯田中駅に到着した列車から降りる観光客を歓迎するという活動を始めました。

   これは、JRグループや自治体などが連携して、「信州デスティネーション・プレキャンペーン」なるものを行なうことに伴う、「おもてなしの心を示す」という目的のための町観光連盟の呼びかけで始まったものだそうで、12月まで催されるということです。しかし、何故、観光客を出迎えるのが旅館の女将さんなんでしょうか?どうして、農家のおかみさんたちではないのでしょうか?山ノ内町は、農業も盛んな町のはずです。

   この記事を読んだ時に、まずその疑問が頭をもたげました。

   確かに、綺麗に化粧をした旅館の若い女将衆が出迎えれば、観光客も嬉しいと思います。自治体である町も、そこに目を付けたのでしょう。でも、この活動が町内の人たちに知られているかと思うと、ほとんど知らないという答えでした。知らないどころか、「旅館さんたちのやることなんか、関係ないね」と、いう住民が大半のようでした。

   そこで、わたしが、それじゃァ、どういう人たちが出迎えたらいいと思うかと訊くと、「農家のおかみさんたちが、姉さんかぶりのモンペ姿で、真っ赤なリンゴを一つずつプレゼントしてくれた方が、嬉しいんじゃないかな?おれなら、その方がいいね」と、いう返事でした。そういえば、この湯田中駅では、毎週土曜日と日曜日の午後3時から午後5時まで、「かあちゃんの夕市」なる出店が開かれているそうです。

   そこでは、畑で収穫して来たばかりのリンゴやブドウ、大根、キャベツなどの野菜に加え、珍しいポポーという果物や、イチジク、アケビなども並ぶことがあるとか。その日の出店者によっても並ぶ商品は違うものの、お焼きや、リンゴパイなど、農家の母ちゃんたちの手作りの味も売られ、それがかなりの安価であることなどから、観光客や地元の人たちに大変好評だという話なのです。

   どうして、町は、こういう女性たちの存在に気が付かないのでしょうか?彼女たちが自分たちの利益度外視で頑張る姿は、皆が応援したくなるものだということでした。

   観光地の自治体や、旅館組合などは、何処か視点がずれているように思えてなりません。

   地元のお婆さんたちしか知らない昔話や、そこに行かなくては食べられないものなど、掘り起こせば観光地の中に埋もれている付加価値などは山のようにあるはずなのです。なにも、若い女将衆の力ばかりに頼る必要などはないのです。

   「秋の夜長、お焼きを食べながら、地元のお婆ちゃんの昔がたりを聴きませんか?」

   このイベントを毎週続けるだけでも、誘客効果は生まれるものです。

   観光地が何か大いなる誤解をしつつ、誘客活動をしているような気がしてならないのは、わたしだけでしょうか?  
   

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教員資格は、6年制に・・・・・204

~ 今 日 の 雑 感 ~


教員資格は、6年制に



    文部科学省は14日、4月にスタートした教員免許更新制を廃止する方針を決めた。免許更新制の代わりに、10年程度の指導経験を持つ教員が専門的な講習を受講し、「専門免許状」を取得する新制度を導入する方針。2010年度予算概算要求に新制度の検討経費を計上し、早期の実施を目指す。
    現行の教員免許更新制は、教員の質の向上を目的に、無期限だった教員免許に10年間の有効期限を設定。更新するためには、大学などが開設する更新講習を計30時間受講する必要があった。
    民主党は衆院選のマニフェスト(政権公約)で、現行制度を抜本的に見直す方針を提示。同省が13日開いた有識者との懇談会でも、免許更新制に否定的な意見が相次いだことから、専門免許状の取得を基本とする新たな教員研修制度に移行することにした。 <YAHOO ! ニュース>





    民主党は、衆院選で政権を獲得した場合、教員免許取得課程を、2012年度からは、これまでの四年制から、六年制にして、大学院の二年も義務化するという方針をすでに打ち出している。

    教員の指導力向上が目的だが、その際、今年四月に始まったばかりの教員免許更新制度は、「教育現場の負担が大きく、効果が不透明」として、新制度に合わせて廃止する意向だという。

    しかし、6年制の受け皿となる「教職大学院」は、まだ全国に二十四校しかなく、この制度を導入するためには、政権獲得後一年をかけて、各都道府県ごとに徐々に増やしていくつもりだそうである。

    そして、更に、現職教員の質の向上策として、免許取得後八年以上の現場経験を積み、「教科指導」「生活・進路指導」「学校経営」などの分野で高い能力を持つと認定された教員には、「専門免許状」を与え、校長や教頭になるには学校経営の専門免許状の取得を条件とする方向であるという。

    しかし、問題は、その教職大学院の整備が本当に進むかということである。

    確かに、大学院が義務化されれば、教員の質の向上は期待されるであろう。また、そこに加えて、一年間の教育実習も制度化されれば、教員に向かない人間を識別し早期に排除することも可能である。

    だが、教員免許を取る人は、現在、年間で16万人もいるのだ。そのうち、公立の小中高校の採用者だけでも2万人に上り、現在の二十四校では、800人強が受け入れられるだけである。

    また、このように、多くの専門資格を必要とすることが義務付けられることで、そこに更なる官僚利権の落とし穴が生まれないかということも懸念材料である。

    わたしの近所に住む高校教師をしていた女性も、今回の教員免許制度を受講することが、教員削減のための口実であることが判っていたので、この受講をすることなく、教員を辞めた。

    受講のあとで、「教員失格」という不名誉なレッテルを張られて退職させられることを、潔しとしなかったのである。

    しかし、今回の政権交代で、その制度もなくなるとなったら、彼女は、正に国の制度に振り回されたあげく、捨て石にされたようなものである。

    これを、制度改革の狭間に引っ掛かった運の悪い人だ---で、片付けられるものであろうか?

    何とも、腑に落ちない現実だと言わざるを得ない。  続きを読む


ブログの決めごと・・・・・203

~ 今 日 の 雑 感 ~


ブログの決めごと




    わたしがブログを書く上での「決めごと」は、実に簡単です。

    それは、ブログ上で知り合った人たち(コメントのみの人も入る)と、現実社会でお会いしたり、以前から具体的な人間関係が出来ているとしても、決してそのことをブログ記事には書かないということです。

    でも、それは、意識してそうしているということではなく、どうしても、わたし自身の気持ちがそれを書かせないということなのです。

    正直、「ナガブロガー」の人とは、未だかつて一度もお会いしてはいませんが・・・・。でも、時々コメントを下さる人の中には、昔からかなり親しく連絡を取りあっている方もいます。

    しかし、わたしは、その人との関係や、その人との間でしか判らない会話などのやり取りについて、今まで決して記事にアップしたことはありませんし、コメント内で個人的なやり取りをしたこともありません。

    たとえば、「今度何処そこで会おう」とか、「この前の話、OKです」とか、そういったほんの些細な連絡事項も、ほとんど書いたことがありません。

    それは、わたしが「ナガブロ」で、記事を書かせて頂いている以上、当たり前のマナーだと思いますし、もしも、この先、偶然「ナガブロガー」の方たちと、実際にお会いする機会があったとしても、そのことをブログに載せることはないと思います。

    何故なら、このような拙いブログをお読み下さる読者の方や、コメントを下さる方たちに対して、そうした個人的な話題は失礼にあたると思うからです。もしも、そのお会いしたブロガーさんのことを書くにしても、おそらく、誰か判らないように匿名にさせて頂くことになるでしょう。

    どうして、わたしがそのようなことに、いちいち気を回すかといえば、たとえば、あるブロガーさんが、気に入らないと思っているブロガーがいて、そのブロガー同士の険悪な関係を知らない第三者であるわたしが、いつもコメントを下さるブロガーさんが嫌だと思っているブロガーのことを、たとえ無意識にしても好意的な記事にして書いていたら、相手はどう思うか?-----と、考える訳です。

    おそらく、今まで読んでいて下さったわたしの記事を、二度と読みたくないと思われるはずです。コメントも、書き込みたくないと思うはずです。わたしなら、そんなあからさまな親しい関係を見せつけられながら、それでも今まで通りそのブロガーさんの記事にコメントするなんて、寛大な気持ちには到底なれないからです。

    しかし、そういう関係が、もしも水面下で行われているのなら、それはそれで別にかまいません。どうせ、そういうブロガーさんとは、ブログ上だけのお付き合いですから、当たらず障らずのコメントのやり取りをさせて頂くだけです。

    特別に深刻な悩みを相談する訳でもなく、また、相談したところで、優等生的なそっけない返事が返って来るだけだということは目に見えていますから、そんな会話を本心から面白いなどと思う人はそうそういないでしょう。

    それにしても、以前の「ナガブロ」には、もっと他人の気持ちを汲んで、本気で他のブロガーの相談に乗ってくれたブロガーが大勢いたような気がするのですが、一年も経つと、ブロガーたちの気質も顔ぶれも変わるのかもしれませんね。

    そういえば、あるブロガーさんの記事にも、「最近のブロガーのブログは、面白みがなくなってきた」と、書かれてありました。わたしも、確かに同感です。以前のブログには、こんなに食べ物に関するものが多くなかったような気もしますし(でも、食べ物ブログ見るの好きですけど・・・・笑)、もっと自分の悩み事を赤裸々に記し、真の意味での個人日記を書くブロガーさんが多かったようにも思います。

    やや、話が逸れました。

    まあ、ブログをご商売のPRに使う目的で書かれている人と、まったくの個人日記として書いている人では、そのブログの性質も自ずから違ってくるのでしょうが、自分の悩みを綴るでもなく、商品の説明やいくら売れたなどの記事ばかりを書いている、また、自分のお店に来たお客さんのことばかりを書いているようなブログは、正直、興醒めすると同時に、「だから、あなたは、何が言いたいの?」と、訊きたくなってしまうのです。

    それならば、なまじっかな個人日記部分など書かずに、徹底して商品のPRのみに徹したブログの方が、ずっとすんなり読むことが出来ます。

    しかしながら、それもこれも、わたしの勝手な気持ちですので、だからどうせいと、いうことではありません。

    ただ、わたしは、そういう「決めごと」を、一応、自心にとめてブログを書いているということです。

    本日も、最後までお読み頂き、
                   ありがとうございました。<(_ _)>

    

    

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無人宇宙船の未来・・・・・201

~ 今 日 の 雑 感 ~


★無人宇宙船の未来☽



    世界初の日本製無人宇宙輸送船「HTV」ロケットが、宇宙ステーションへのドッキングに成功した。icon22

    アメリカのスペースシャトルが現役を引退するため、これから宇宙ステーションへ受験用機材や、食糧、宇宙飛行士たちの衣類などを運ぶ任務は、この日本の「HTV」が、すべて引き受けることとなる。

    今回、「HTV」の打ち上げ及び、宇宙ステーションへのドッキングに成功したことは、世界初の快挙であり、日本の宇宙開発技術水準の高さを世界に発表したことになる。

    しかも、このドッキング技術が如何にすごいものかということは、宇宙飛行士の若田晃一さんが説明していたが、「宇宙ステーションも、『HTV』も、ともに地球の周りを二万キロ以上の高速で飛んでいる訳で、その超高速の飛行物体を、宇宙ステーション 滞在の宇宙飛行士が、ロボットアームで捕まえ、ドッキングさせたのですから、たとえれば、並行して走る新幹線のそれぞれの窓から手をのばして、握手をするようなものです」と、いうことであった。

    今回の「HTV」は、仕事を終えた後は、そのまま大気圏内へ落下し、燃え尽きるということであるが、この宇宙船の船体を大気圏の1600度という高熱に耐えうるように設計することにより、今度は、宇宙ステーションからの物資を地球へ送ることも可能になるため、日本の技術者たちは、現在、その耐久性の高度化を研究しているという。

    また、この「HTV」の船内には、与圧室と呼ばれる一気圧に保たれている貨物室があるので、ここには、植物や動物を入れて運ぶことも出来る訳で、将来は、三人程度の人間を入れ、宇宙ステーションまで輸送することも可能になるはずだという。

   しかし、日本政府は、現在のところ、有人宇宙船を造ることを容認していない。

   それでも、2015年までこの「HTV」が宇宙ステーションへの輸送を行い、2020年に宇宙ステーション計画が終了した後は、おそらく、この「HTV」が、有人宇宙船として、宇宙旅行の主力船となることは確実視されている。

   小さなペンシルロケットを飛ばすことから始まった日本の宇宙技術開発は、数々の試行錯誤と何百回ものシミュレーションを重ね、亀の歩みのように地道にノウハウを蓄積してきた結果、華々しいアメリカや、ロシア、中国などの宇宙開発技術を凌駕し、最も安全で、かつ、効率のよい輸送手段を確立したといっても過言ではないだろう。

   あとは、これまで培った基礎研究成果を応用し、発展させて行くことで、大いなる宇宙開発への第二章の幕が開く。

   そして、その幕を開けるのは、我が日本国の役目となるであろうとの、宇宙船開発担当者たちの言葉であった。

   やっぱり、日本って、少ないお金でコツコツと地道に何かを作り上げることに長けている国なのだ。セコイが、やる時はやる。ちょっぴり、鼻が高い気分である。icon06     続きを読む
タグ :HTVロケット


アロマセラピーの功罪・・・・・200

~ 今 日 の 雑 感 ~


icon06アロマセラピーの功罪icon06



    近頃、巷でじわじわと注目度をあげて来たものに、「アロマセラピー」があると聞きました。

    これって、「アロマテラピー」だと思っていたのですが、どうも、「セラピー」は英語読み、「テラピー」はフランス語読みだそうです。(のりピーはどっち読みだ?)(ー‿ー;)フ・・・・

    「香り」というものは、実に複雑なもので、人間は生まれた時に五感の中で最も最初に働かせるものが臭覚だと言われますよね。そこで、その時に嗅いだ臭いが自分が最もリラックスできる匂いだと認識するようなのです。つまり、母親の体臭ということでしょうか。

    ですから、他人にとって不愉快な腋臭(わきが)の匂いでさえ、そうした体臭を持つ母親の子供は、その不愉快な臭いをとても好きになるのだと言います。また、よく「フェロモン」などという言葉も聞きますが、男女が最初に惹かれあうのは、このフェロモンが大いに影響しているのだということです。

    特に臭いに敏感な女性は、無意識のうちに、自分の父親と同じフェロモンを発散する男性に惹かれているのだと言います。「理想と現実は違う」と、よく言いますし、「あんな美人が、どうしてこんな不細工な男と?」と、思うカップルもよく見かけますが、それは、その男性の体臭が、その女性にとってはとても安心するものだということなのです。

    それほどに、「香り」とか「匂い」というものは人間にとって微妙な感情を左右する位置を占めているといえる訳です。

    最近は、病院や美容院など、不特定多数が集まるような場所での香りの効果を接客に取り入れている場所も多くなりました。香りによって、気持ちがリラックス出来たり、プラス思考になれたりと、その影響は、なかなかのものだそうです。

    ところが、そんな効果の大きな「香り」ですが、最も神経質に嫌われる場所もあります。それは、飲食店です。

    わたしの友人が、匂いがさほどきつくもない香水をつけて長野市のお寿司屋さんへ入ったところ、せっかくの寿司の味が悪くなるので、出て行ってくれと、怒られたこともありました。

    また、特別匂いに敏感なもう一人の友人は、自動車のシートの臭いがどうしても我慢できず、未だに自動車での外出が出来ません。その友人が、ある美容室へ行った時、その店内に「奇妙な香り」が、漂っていたのだと言います。オーナーに訊ねると、「アロマセラピー」の効果を狙ったもので、「ゼラニウム」という植物の香りをアレンジしたものだと説明したそうです。

    友人は、とても長時間の我慢は出来ないと判断。カットの途中で、店を出て来てしまったのだというのです。

    「香り」には、人の気持ちを落ち着かせたり、やる気にさせたり、イライラを抑えたりと、その効能は無限にあると聞きます。しかし、そこに集まる人たちが、全員そうした香りを望んでいるとは限りません。

    わたしも、どちらかというと、ほとんど「香り」とは無縁の生活を送っていますし、化粧品でさえ、出来れば無臭の物を選びます。トイレにも、芳香剤は置かず、逆に消臭効果のある物を置いています。

    「香り」というものは、十人いれば、十人好みが違うはずです。独り、お部屋でくつろぎたいためにお香を焚くなどするのもよいでしょう。気分転換のために、かすかにオーデコロンをつけるのもよいでしょう。

    しかし、その「香り」、本当に周囲の人たちが認めてくれている匂いですか?

    わたしの経験では、これまでに、いい香りだなァ・・・・と、感じたのは、外科の担当医の石鹸の香りと、大学教授のラベンダー・オーデコロンの香りだけでした。icon06



    最後に、どうしても一言付け加えたいことがあります。

    それは、時々テレビコマーシャルなどで聞く「ねえ、これ、匂ってみて」などという言葉。これは、「嗅いで見て」というのが正しいのではないでしょうか?どうも、関西の人たちが、綺麗な日本語だと勘違いして使っていることが多いようですが、はっきり言って、変な日本語です!!!

    少なくとも、信州では通用しませんから、あしからず!!  続きを読む


壊されたピアノ・・・・・198

~ 今 日 の 雑 感 ~


♠♠ 壊されたピアノ ♠♠


    戦時中の話です。

    わたしの母がまだ小学校の低学年だったころ、東京から空襲を避けて信州へ疎開していた住友財閥のお嬢さんにピアノを教えて頂いていました。

    このお嬢さんには、肺結核をわずらうご主人がいて、このご主人の看病をしながら、レッスンをして下さっていたそうです。

    流石に、財閥家のお嬢さんだけに、いつも真っ白なボウタイの付いた絹のブラウスを着ていて、品の良い女性だったと母は話します。

    そして、やがて終戦を迎え、信州の片田舎にもアメリカ軍の兵隊たちが進駐して来ました。

    彼らは、志賀高原にあった老舗ホテル「志賀高原ホテル」を接収し、そこで、毎晩のようにパーティーを行ったということです。しかし、音楽好きの彼らは、どうしても何か楽器が欲しくなり、目を付けたのが、この住友財閥のお嬢さんのグランド・ピアノだったのでした。

    ある日、母がいつものようにピアノのレッスンに先生のお宅を訪れると、先生が、寂しそうな顔で、

    「ごめんなさいね。今日からレッスンはお休みします。先生のお家からピアノがなくなっちゃったの」

    「どうしたんですか?誰かにあげちゃったんですか?」

    「・・・・・・・・」

    先生は、詳しいことは教えてくれなかったそうですが、母が家へ戻ると、お蕎麦屋をやっている祖父が、

    「たぶん、志賀高原(やま)の進駐軍に持って行かれちまったに違いねえ」

    と、話したそうです。

    やがて、アメリカの日本進駐が終わり、ピアノは、先生の元に戻って来ましたが、それはひどい状態で、とてもまともな音が出るものではなくなっていたのです。アメリカ兵は、日本人のようにピアノは大切な楽器だから、むやみに子供が触ったりしてはいけないというように、敬意を払うというような気持ちは全く持ち合わせていません。

    平気でその上へ上って酒を飲んだり、足踏みをしたりなど当たり前のようにやってしまうのです。つまり、彼らにとってピアノは、酒場の遊び道具程度のものなのです。

    そんな乱暴な扱い方をされたものですから、もはや、調律して済む問題ではなくなっていました。

    信州が好きで、ピアノの先生をしながらこの地で暮らし続けたいと思っていた住友のお嬢さんは、ご主人が病気で亡くなったのを潮時と、東京へ戻って行ったそうです。

    アメリカ人の物に対する敬意の無さは、小さな母の記憶にもしっかりと刻まれ、未だに彼らに対する侮蔑の念が消えません。物事の良し悪しが理解出来ない人間など、人間としての価値がないとさえ言います。

    しかし、戦争直後の荒れてささくれ立った進駐軍の気持ちと、今現在のアメリカ人の気持ちとでは、かなりの違いがあるとは思うのですが、やはり、母のような体験をした人の気持ちの底には、アメリカ蔑視は、拭いきれない感情のようです。   続きを読む


いったい、ど~なっているんだ?・・・・・197

~ 今 日 の 雑 感 ~


いったい、ど~なっているんだ?



    信濃グランセローズの今久留主成幸監督(42)が、今季のチーム成績低迷の責任をとり、辞任する意向を固めたとのことである。今久留主監督の「チャンスは平等に与える」と、いう理念は評価できるものの、球団経営は、ファンあってこそ、スポンサーが付いてこそ成り立つというものである。

    潤沢に運営資金のあるNPBの球団ならばいざ知らず、弱小BCリーグでは、まずは結果を出してからの選手育成ではないだろうか?今、球団に求められているものは、「勝利」の二文字以外にはないと、わたしなどは思うのだが・・・・。

 
    と、いう訳で、本題に入る。

    今日、親戚の伯父夫婦と話をしてるうちに、「いったい、ど~なっているんだ?」と、思えるような会話になってしまった。

    わたしがこの前ブログに書いた、叔父が最近退院したので、その話題になった時のことである。この叔父が入院して八時間にも及ぶ大手術をしたことは、わたしは、この伯父夫婦から逐一詳しく聞かされてきたのである。それも、聞いたのはわたしだけではない。わたしの両親も、従弟たちも、皆この伯父夫婦の話で知ったのである。

    そこで、退院した叔父の近況を訊こうと、「最近、通院しているって聞いたけど、通院治療は、何処でやっているの?」と、持ちかけたのだが、伯母の返事は、「外来で治療してもらっているらしいけど、詳しくは知らない」と、いうものだったので、「じゃァ、最近は叔父さん夫婦には会っていないんだね」と、いうと、「いいや、つい先日も会った」と、言う。

    わたしが、「大きな手術をした後だから、大変だね」と、いうと、伯母がいきなり、「で、結局、叔父さんは、何で入院したんだっけ?」と言い出した。

    「どういうこと?だって、叔父さんの病状について詳しく教えてくれたのは、伯母さんたちじゃないの」

    わたしが仰天して言うと、伯母は、「そんなこと言ったっけ?」-----「だって、その手術の日も、大勢で病院へ押し掛けて、看護婦さんたちの顰蹙を買ったんでしょ?」-----「そうだったかな?」

    いったい、ど~なっているんだ?と、わたしは、自分が一瞬何か勘違いをしていたのかと、自問自答した。しかし、わたしの記憶に間違いはない。だから、わたしが叔父の病気を説明すると、今度は伯父が、「へ~、そんな病気だったとは知らなかった。それじゃァ、かなり重い病気なんだ」と、今更ながら驚いたようなことを言う。

    わたしには、訳が判らなくなり、「やばいぞ!ついに夫婦そろって認知症か?」と、思った時、それまで台所で夕飯の用意をしていた従姉が、部屋へ入って来て、わたしにこう言った。

    「お父さんは、自分が同じような病気になれば嫌なので、その話題は極力避けるようにしているんだよ。だから、自分の中で、知らなかったことにしている訳。で、お母さんは、叔父さんが大きな病気になったことが、一種のイベントのように感じて面白がっていたんだけれど、退院してしまって、お見舞いに行く楽しみがなくなってしまったので、もうどうでもよくなってしまったのよ。もともと、叔父さんがどんな病気かなんてことには興味がないから、その程度の認識しか持っていなかったってことよ。そうだよね?」

    従姉が話した途端、二人の顔色が変わった。

    どうやら、図星だったようである。

    何という、自己中な夫婦なんだ。人の生き死にを、親戚が寄り合うためのきっかけが出来て嬉しいぐらいにしか思っていなかった訳だ。まったく、呆れた人間たちである。

    しかし、年寄りなんて、大方こんな物なのかもしれない。他人の葬式には、嬉々として集まる。そんなことでも、人と話が出来る場所があれば、それで満足なのだ。

    かつて、わたしの家の近所に住んでいた高齢の女性が言ったことがある。

    「救急車のサイレンが聞こえると、今度は誰の番かって、ウキウキするよね」

    でも、その「今度」は、その女性の番だったんだけれどね・・・・・。face06

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橋下府知事、怒る!・・・・・196

~ 今 日 の 雑 感 ~


橋下府知事、怒る!



    皆さんは、近況報告などの挨拶や連絡を、手書きのはがきと、メール、どちらでもらいたいと思いますか?

    まあ、その人との親密度にもよるとは思いますが、やはり、メールよりも手書きの方が嬉しいのではないでしょうか。

    では、自分よりも目上の人からの挨拶状ならば、どちらの方に、尊敬や慇懃(いんぎん)さを感じられるでしょうか?

    それも、きっと、手書きの方ではないかと思います。しかも、筆字や万年筆などで丁寧に書かれた手紙などともらうと、この人は「偉いんだ」とか、「ちょっと、寄り付き難いな」とか、「これは下手なことは返事で書けないぞ」とか、色々と気も使うと思います。

    でも、その文章がメールのような電子文字で送られて来たのだとしたら、そういう気持ちは、あまり持たないのではないでしょうか?まあ、ダイレクトメールや親しい友人との日常会話の延長ぐらいにしか、思わないことの方が多いはずです。

    そのことがおそらく原因ではなかったかと思うようなプチ事件が、大阪府で起こりました。

    大阪府の橋下徹知事が、10月8日、全職員に一斉送信した知事メールに対して、保健所勤務の40歳代の女性職員が、それを批判する返信をしたというのです。

    知事    「(府が約380億円の損失を被った紀ノ川大堰〔和歌山県〕の事業をめぐり)恐ろしいくらい(職員の)皆さんは冷静です。民間なら、組織あげて真っ青ですよ!」

    と、職員の公金に対する意識の低さを指摘。これに対し、

    女性職員 「このメールの意味が判りません。文も論理的でなく、それなりの職についている人間の文章とも思えません。愚痴は、ご自身のブログ等で行ってください。このメールを読む時間×全職員の時間を無駄にしている」

    などと、返信。face08

    橋下知事は、府庁で報道陣に対し、「上司に対する物言いとして非常識。民間ならあり得ない。(知事という)府民の代表に物を言っている自覚が足りない。何処かでけじめをつけなければならない」と、話し、この女性と、管理監督責任をとらせるとして、上司の所長を厳重注意処分にすることを明らかとしました。

    そういえば、橋下知事が就任直後に府庁の若手職員たちを前に、意気込みを述べた時も、確か水道課かどこかの職員の女性が、いきなり立ち上がり、訳の分からない抗議とも意見ともつかないことを発言して顰蹙を買ったことがありましたよね。

    おそらく、いつもテレビで見慣れていた橋下弁護士が目の前に現れたことで、自分に注目してほしいという女性特有の浅はかな虚栄心から、あのような行動に出たのだと思うのですが、あの時は、橋下知事の方が大人の対応をして、「そういう意見を言って頂くのは、ありがたい」と、いうことで、さほどの問題にはならなかったように記憶しています。

    今回のメール事件も、おそらくは、これに似た現象の一つではなかったかと思うのです。

    メールは、無機質な活字ではありますが、感覚的には何処か軽くて、親密感がありますから、自分の携帯電話などに送信されると、その画面からは、自分だけに送られて来た文章のような錯覚が生まれやすくもあるらしいのです。

    しかも、橋下知事のメールの文章は、おそらく、役人言葉が羅列されている事務的な文章ばかりを見慣れている職員にとっては、たとえ怒りのメールであっても、判り易く砕けた内容であることなどから、親近感を抱くこともあり得るようなものだったのではないかと、想像します。

    そこで、その女性職員は、思わず、「この人になら、何を言っても許してもらえるのではないだろうか?」と、自分の立場を度外視した甘えを錯誤したのではないかと、思うのです。

    しかも、年齢は自分の方が上です。上司に対して物を言うという感覚は何処かへ置き忘れ、学生時代の後輩へ忠告するような気軽さを覚えていたとしか思えません。

    女性は、とかく、上下関係をきっちりとつけることが苦手です。少し親しくなると、言葉遣いも男性に比べてタメ口が多くなり、ぞんざいにもなります。社会経験が乏しいことがこうした傾向を作るのでしょうが、わたしには、昔から気になってしかたがない問題でもあります。

    これは、わたくし事ですが、この人は明らかに自分よりも年上だと思う他人に対しては、わたしは、ほとんど砕けた言葉を使ったことがありません。かつて、タレントの早見優さんが、あるプロ野球選手との対談番組で、まず、その選手の年齢を訊き、自分と同い年だということを確認してから、「それじァ、普通の言葉で話すわね」と、言い、会話をし始めたことがありましたが、わたし自身も、これに近いものがあります。

    しかし、女性の中には、そうしたことをダサいとか、可愛くないとか勝手な屁理屈をつけて親近感をアピールする者が、よくいることは事実なのです。この女性職員も、おそらく、こういう類の神経の持ち主だったのだと思います。

    とはいえ、橋下知事が、敬称や言葉遣いに殊に神経質になる男性であることは、これまでの彼の言動を見ていれば簡単に判りそうなものです。関西のテレビ番組で女性司会者に、既に知事になっているにもかかわらず、「橋もっちゃん」と、呼ばれただけで、あれだけ逆上した男ですよ。その女性職員も、リサーチが甘いというか、考え方が浅いというか、大いなる勘違いとしか言いようがありません。

    それほどに、メールというものは、ある意味怖いものでもあるのです。

    皆さんも、友人や気心の知れている人とのやり取りならばいざ知らず、上司や目上の人からのメールに思わず気持ちを許して返信したことはありませんか?のちのち、とんでもないことになるかもしれませんよ。face07     続きを読む


志賀高原は、再生できるか?・・・・・195

~ 今 日 の 雑 感 ~


志賀高原は、再生できるか?



    この間、親戚の家へ遊びに行った時、志賀高原観光が低迷しているという話になった。

    県内のスキー場利用者も、1992年のピーク時から比べると、四割水準にまで落ち込んでいて、ここへ来ては、志賀高原のスキー場の数もこれまでの二十一から二つ減り、全部で十九スキー場になってしまったということである。

    ちょうど、そこへ来ていた近所の高齢の主婦が言うことには、「わたし、志賀高原に限らず、ホテルとか旅館とか聞くと、本当に腹が立つんだよ。特に、あの『ご贔屓に-----』って言葉、あれなんとかならないもんかね。木で鼻を括ったようで、感じの悪いこと」とのこと。

    その主婦が、どうしてそんなに宿泊業に対して敵意を持つのか理由を詳しく聞くと、過去に次のような苦い経験があったのだということだった。

    彼女は、まだ高校生の頃とても成績がよかったので、どうしても進学がしたくて親に頼むと、親も短大への進学を承諾してくれて、本人も喜んでいたのだという。

    しかし、その噂を聞き付けた近所の旅館の旦那が、いきなりその主婦の家へやって来て、「うちのような旅館の娘が進学をあきらめているのに、小さな商売屋の娘が短大へ行くなどおこがましい。もしも、進学なんかさせたら、もう、お宅の品物はうちでは取らないからそのつもりでいろ!」と、怒鳴ったのだそうだ。

    その主婦の実家は、雑貨や食品類を扱う商売をしていたため、その旅館が大のお得意先だったという。そこで、主婦の両親は、長女である彼女の下にもまだ何人かの子供がいたので、旅館にそっぽを向かれてはかなわないと、彼女に進学をあきらめさせたのであった。しかし、その旅館の娘が進学を断念したのは、学校の成績が悪かったためで、その主婦と何の関係があるのかという話なのだ。

    「昔の旅館は、そういう傲慢で横暴なところがあったんだよ。だから、別に志賀高原の旅館やホテルに恨みがある訳じゃないけれど、威張り散らしていたことには変わりがない。ダメになってざまァ見ろって感じだね」

    主婦は、そう言ってアハハと、笑った。

    そういう話は、わたしも以前に聞いたことはある。旅館は、小売りの商売をしている店などを下目に見る傾向が未だにあると思うし、旅館は旅館だけで固まって観光地を自分たちだけで盛りたてているような錯覚に陥っていることも事実である。その弊害が、現在の観光業をダメにしているということにもまったく気が付いていないのだ。

    その最たる典型が、志賀高原のホテルや旅館なのである。

    和合会という組織が志賀高原のすべてに影響を及ぼし、恵まれ過ぎるほどの自然に頼りきり、消費者のニーズを無視した殿様経営を続けたおかげで、我こそはという気風ばかりが目につき、新戦略に思い切った舵が切れないばかりか、まとまりの悪いことこの上ない。

    効率のよい団体客の取り込みにばかり力を入れて、個人客を大事にしてこなかったツケも大きいといえる。

    さらに、深刻なのが、男尊女卑の考え方の根深さである。和合会には、女性は入ることが出来ない。山ノ内町の沓野地区に住む一家の長男のみにしか入会の権利が与えられないのである。これでは、新鮮なアイデアなど浸透することは出来ず、また、女性の持つ柔軟でおしゃれな発想も、行きわたらせることすら出来ない。

    「志賀は、マーケティング理論を無視している」と、苦笑する経済専門家もいて、その人が言うことには、「志賀高原のホテル経営者たちも、自分たちのこれまでの歴史に固執し続けるばかりでなく、他の観光地の旅館やホテルへ自分たちも泊まってみて、勉強することが必要だ」と、説いている。

    しかし、どんなに専門家が的確なアドバイスをしても、その大切さを実感していないのでは、「馬の耳に念仏」と、揶揄されても致し方ない。

    話は、前記の主婦に戻るが、彼女は、未だかつて、近所の旅館の女将たちと親しく話をしたことはないという。「向こうもこちらを下目に見ているみたいだし、こっちも、あんな人たちとは住む世界が違うと思っているから、きったなおっかなもん(表面上は敬いつつ、内心は軽蔑して避ける)にして、近寄らないようにしているよ」

    どうやら、古くからの観光地が低迷する理由は、こうした地元住人と宿泊施設との間の根深い冷戦構造にもあるようである。

    志賀高原の低迷不況も、案外こういうところにその根本原因があるのかもしれない。

    県外の誘客にお門違いの知恵を絞る前に、もっと地元の意見を聞き、地元の住人たちと密接に情報交換を行うことの方が、再生への近道のように思うのは、わたしだけであろうか・・・・・。  続きを読む


自民党は、野党ですよ!・・・・・194

~ 今 日 の 雑 感 ~


自民党は、野党ですよ!



    この間、ま・ことさんのブログで、自民党参議院議員の山本一太氏のブログを教えて頂いてから、時々、そのブログを読んでいる。

    政治家は、よくブログを書いているようだが、本当に政治家自身が書いているのか実に怪しいものもある。しかし、この山本議員のブログは、間違いなく彼が書いているものと判る。いや、そう思う。

    かなり踏み込んだ内容も書かれていて、「気分はいつも直滑降」というタイトルにふさわしく、議員自身の気持ちが素直に表現されているところが、とても好感が持てるものとなっている。

    その文章の中に、「自民党が野党になったことの意味が判っていない」と、いう記述があった。

    つまり、来年の参議院選挙に絡んで、自民党のベテラン議員がこういうことを言ったというのだ。

    「若手・中堅の連中で、業界・団体対策など出来る訳がない」

    これに対して、山本議員は、「感性の鈍さにはあきれるしかない!!」と、書いている。わたしも、ニュースなどを観ていて、これと同じようなことを感じていた。本当に、自民党の議員さんたちは、自分たちが野に下った実感があるのだろうか?----と。谷垣禎一総裁の言動も、何処か高慢な感があり、とても野党の党首とは思えない。

    ある政治評論家は、このことについて、自民党は、野党としての実感を得るまでに5年はかかるだろうと言っていた。そして、そこでようやく彼らは野党としての政治のやり方を学び、実際に与党・民主党を敵に回して論戦を挑むことが出来るのは、それから先の話だろうと、その評論家は話してもいる。

    それほど、与党としてこの国を指導して来たという自民党の自負と意識は、変わりにくいということなのだろう。

    しかし、以前の小泉郵政選挙の時のような一種の精神的バブルに踊らされて国民が自民党へ投じた一票と、今回の二大政党制を望んで国民が投じた一票とでは、まったくその性質が違うように思う。同じ一票でも、今回は、本当に政治を変えたいと思う気持ちの表現が化けた一票なのである。

    つまり、民主党に投票した国民にも、この国に対する責任があるということを、国民自身が判っており、覚悟しているようにも思うのである。それが現在の80パーセントという高い内閣支持率にも表れているのではあるまいか?

    民主党を支えているのは、自分たちだという責任感さえ国民に生まれ始めたとしたら、これは、たとえ自民党がどれほど自分たちは政治のベテランだとアピールしたところで、国民の心には響かないであろう。

    自民党が、もう一度政権を奪還したいと思うのなら、そうした過去の経歴にしがみつくことは、もはや止めるべきである。自民党が、「政治は、やはりわれわれにお任せいただきたい」という考えを持ち続ける限り、議員にものを頼んで何かをしてもらおうという姑息な政治理論はなくならず、いつまでも、国に対する依存型の古い感性の人間ばかりが得をする世の中が続くことになるのである。

    もう、そうした政治手法は、通用しない時代が来たということに、自民党も、また自民党を支持する国民も早く気が付くべきである。   続きを読む


痴漢冤罪事件は、何故起きるのか?・・・・・193

~ 今 日 の 雑 感 ~


痴漢冤罪事件は、何故起きるのか?



    公共交通を利用する場合、男性は、特に慎重さを要するという話を耳にします。

    まれに、女性乗客から痴漢の疑いをかけられる男性がいるからだそうです。朝の通勤列車の車中では、サラリーマンの男性たちが両手を吊革に掛けたり、わざと両手に鞄を下げるなどして、万が一にもそのような疑惑を向けられないようにするために、涙ぐましい努力をしているという話です。

    確かに、昔から、公共交通である電車やバスの車内で、女性の身体に触る不届きな輩がいたことは事実です。わたしの大学時代の友人も、山手線の電車内で痴漢にあい、パニック状態になって学生寮へ戻って来たことがありました。その時、彼女は何故か手にフランス語の原書(辞書だったかな?)を持っていたので、何でそんなものを買ったのか?と、訊ねると、自分にも記憶がないと、いうのです。

    つまり、それほど動揺していたということなんでしょう。

    しかし、これが、全く身に覚えがないのに痴漢だと決めつけられたのでは、たまりません。話によると、痴漢の疑いをかけられた時は、何が何でも自力で自分の身の潔白を証明しなければ、犯人と断定されてしまう事案が大半だといいます。

    そうはいっても、「絶対にこの人に触られた」と、主張する被害女性の証言を覆すことは至難の技で、殊に仕事や会社での地位などに支障が出ると考える男性側は、たいていにおいてやってもいない犯罪を認めてしまうのだそうです。

    こんなバカげたことで、生活を乱したくないという心理の方が、優先するためです。しかし、やってもいないことをやったと決めつけられ、経歴に痴漢の前科を書き込まれることなど、納得できるはずもありません。

    では、何故、最近こうした冤罪が増えて来たのでしょうか?それは、すなわち、女性側が泣き寝入りしなくなったということに尽きます。今まで、痴漢に遭っても声もあげられずに我慢して来た女性たちが、勇気を持って痴漢被害を公表することに抵抗感がなくなって来たということでしょう。これは、素晴らしいことだと思います。

    とはいえ、痴漢に遭う女性側に問題がない訳ではありません。いくらファッションは自由だからといっても、公共の場所で半分裸のような格好や、男性に対する思わせぶりな態度をしておきながら、触られてから後悔しても、それはある意味自衛心の欠如といわれても仕方がない行為です。

    わたしは、学生時代、学生寮で暮らしていましたが、その門から一歩出る時は、必ず男性のような格好で外出するようにしていました。もちろん、汚い格好ということではありません。それなりの服装ではありますが、極力スカートは履かず、いざという時にダッシュできるように、靴はヒールの低い物を選び、また、バッグは大きめのショルダーバッグを使っていました。

    女性の方はお判りかと思うのですが、ショルダー・バッグは、いざという時武器にもなりますし、走る時などは、ストラップを持つ腕に力を入れることで、走りやすくなるのです。女性警察官が、よくショルダー・バッグを持つのも、このためだと言われています。

    しかし、このスタイルが災いして、本当の男性と思われ、一緒に映画を見に行くために待ち合わせをした友人が、わたしと思わずに逃げたといったポカもありましたが-----。(爆)

    別に、ここまで警戒して街を歩く必要もないのでしょうが、それでも、いらぬトラブルの種を作らぬためにも、女性側にもある程度の節度は必要ではないかと思うのです。

    そして、それでも、万が一、男性が痴漢の疑いをかけられたとしたら、駅員や周囲の人たちが駅の事務所まで連れて行こうとしても、絶対に従ってはいけないそうです。話せばわかると、たいていの男性は、軽く思って被害女性と共に事務所へ行ってしまうのだそうですが、既に、その事務所は、警察署の取調室と同じだという認識を持つべきなのです。

    電車を降りた時点で、駅員や乗客たちに取り囲まれても、決して慌てたそぶりは見せず、名刺を出すなどして自分の身分をはっきりとさせ、「もしも、用件があるなら、あとでここへ連絡を下さい。逃げも隠れもいたしません」と、言って、その場から離れることが大事なのだそうです。

    つまり、そうやって、女性側にもしばし冷静になって記憶を手繰らせる時間を与えるのです。女性は、感情の動物ですから、カッカとしている時は、その場の雰囲気に流されて興奮状態のまま相手をののしることにもなってしまうからです。

    しかし、そうなってしまうと、あとで自分間違っていたと気付いても、本当のことが言えずに法廷で偽証などという事態にまで発展してしまうことが往々にして起きるともいいます。

    それでも、警察への呼び出しが来た時は、自宅にいる限り、弁護士などとも相談するなど、対処のしようが見つかるという訳です。

    もしも、痴漢の疑いをかけられても、決して焦らないということが重要なのだそうです。  続きを読む


地域医療の真の姿とは?・・・・・192

~ 今 日 の 雑 感 ~


地域医療の真の姿とは?


    長野県下伊那郡泰阜(やすおか)村の診療所に、今年七月、新しい医師が着任されました。

    池田忠医師(59)。

    この名前を聞いて、「あれ?」と、思われる方もいると思いますが、そう、2004年まで、同じ長野県の小川村診療所長を務めた医師です。

    2004年の近隣町村と小川村の合併議論が強まった頃、三十七歳から十七年間務めた小川村診療所を去り、郷里の鹿児島県垂水市へ戻り、父親が経営する垂水温泉病院の院長に就任したものの、患者を多くこなさないと病院経営が成り立たないという現在の医療制度に疑問を持ち、やはり、患者一人一人とじっくりと関わる地域医療の原点に立ち返るため、再び、長野県へ戻って来られたのだといいます。

    泰阜村の診療所長とはいっても、職員は、池田先生の他には看護師が2名と、事務職員が2名いるだけで、交替の医師はいません。平日の午前中の外来診療に来る患者は、一日平均二十人余りで、その九割が七十歳以上の高齢者ということです。

    午後は、火曜日と金曜日が村内の特別養護老人ホームでの診察。水曜日と木曜日は、往診で、夜間、休日も急患のために携帯電話の電源は切らずにいるとのことです。

    池田先生の地域医療に対する考え方は、「病気を診るんじゃなく、生活をしょって生きている人間を診る」ということだといいます。稲刈りをしたいので、膝の痛みを何とかしてほしいという老人が来れば、普通の病院の医師ならば、「稲刈りなんぞやめて、安静にしていなさい」というべきところですが、池田先生は、「痛み止めの注射を打つよ。稲刈りのあとで相当痛くなるけれど、我慢だね」と、いうのだそうです。

    つまり、池田先生は、その老人の身体のことだけではなく、心のことも同時にケアしている訳なのです。老人の生活にとって、何がよりベストなのか?-----それを診療の理念の中心に置かずして、真の地域医療は成り立たないと、考えているのです。

    「そして、村の人たちと一緒に生活をしながら、泣いたり笑ったりして、そのために自分の時間を犠牲にしてもいいというロマンのようなものも感じられてくる。どうせ、病院で時間を取られるくらいなら、地域で取られる方がいい」と、池田先生は、おっしゃいます。

    これは、素人の憶測ですが、診療所のようなところで、他の医師の手助けもなく、自分一人の判断を信じて診療をするということは、並大抵のプレッシャーではないと思うのです。以前、栄村で診療所長をされていた八十代の医師も、「癌を発見出来た時は、本当によかったと思った」と、話されていました。

    これからの高齢化社会、如何に患者のための患者本位の診療が出来るかということが、大きな課題になって来ると思われます。検査漬けではない、昔の医師たちのような総合内科診療の重要性が、再び問われ始めているのではないでしょうか?
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中川昭一元財務相の死・・・・・191

~ 今 日 の 雑 感 ~


中川昭一元財務相の死



    10月4日午前8時20分ごろ、中川昭一元財務・金融担当大臣(56)が、東京都世田谷区の自宅で死亡しているのを妻・郁子さん(50)が見つけ、119番した。

    中川氏は、自宅二階の寝室のベッドでポロシャツと短パンの姿でうつぶせに倒れ、ベッドには吐いたあとがあったという。

    最近は、よく眠れないともこぼしていて、睡眠薬を服用していたということであるが、寝室の机の上には、都内の総合病院から処方された睡眠薬とみられる錠剤があったということである。

    わたしは、このことをまったく知らなかったが、母親から「中川さん、死んだんだって、ニュースでやっている」と、聞いた瞬間、「ああ、睡眠薬と酒を一緒に飲んだな」と、直感した。

    中川氏は、若い頃からお酒を大量に飲んでいたそうであり、今年2月のG7(先進七カ国財務省・中央銀行総裁会議後のあの朦朧会見でも指摘されていたように、現在は既にアルコール中毒にもなっていたという話でもあることから、肝臓もかなりダメージを受けていたと考えるのが妥当であると思う。

    死後の行政解剖では、死因を特定することは出来なかったようで、遺体は病理検査へ回されたそうである。事故死ではなく病死の可能性もあるということだが、普通政治家といえば、自身の健康には一般人以上に気を配らなくてはならないはずだと思うが、何故、過度の飲酒を止めることが出来なかったのであろうか?

    それがないのに、バランスボールや鉄アレイで筋力をつけたところで、無意味であることが、東大法学部卒の中川氏に判らなかったはずはないので、つまり、それほどまでに、政界の水が彼に合わなかったのかもしれない。酒がなくては、まともに他の政治家や国民と渡り合うことが出来なかったのであろうと思う。

    しかも、今回の衆議院選挙での自身の落選は、これまでほとんど挫折というものを経験したことのなかった世襲議員の彼には、あまりに堪えがたい苦難ではなかったのかと、政治評論家は語っていた。そして、この自民党の大敗北をけん引してしまったのは、他ならぬ中川氏自身なのである。

    麻生政権になった直後に衆議院を解散していれば、勝てたかもしれない選挙を、景気対策を最重要課題に掲げ、解散は景気回復のめどが付いた時にしませんかと、盟友である麻生総理に進言したのも、財務・金融大臣であった中川氏なのであるにもかかわらず、あれほど、気をつけろと言われた酒がもとで、前代未聞のしどろもどろ会見で、自民党の足を引っ張ってしまったという慙愧の念は、プライドが高い彼のなかでは、消すに消せない汚点となってしまったのかもしれない。

    振り返れば、中川氏の父で「北海のヒグマ」の異名をとっていた中川一郎元農相も、落選一年後の57歳にしての自死である。何か、親子の因縁を感じずにはいられない。

    しかし、この中川氏の死によって、落胆の色を濃くしているのは、拉致被害者家族の人たちであるという。中川氏は、超党派でつくる拉致議連の会長も務めていたため、国会議員の中でも、特に、この拉致問題には真剣に取り組んでいた一人でもあり、この大きな柱を失った拉致被害者家族の人たちの失望感は、大きいという。

    それにしても、政治家の自殺や早世が多いのは何故なのだろうか?ある専門家は、政治家が選挙で落選するということは、一般人には想像できないほど屈辱的なことなのだと、言っていた。まあ、それはそうかもしれない。それまでは、先生、先生と、取り持たれていた人間が、一気にただの人になる訳だから、悔しさや恥ずかしさは尋常ではないのかもしれない。が、それは、つまり、彼らが、一般人を「みじめな可哀そうな人間たちだ」と、思っているせいではないだろうか?と、わたしなどは勘ぐってしまう。

    中川氏は、選挙期間中はいったん止めていた酒も、落選後にはまた飲み始めていたそうである。正に、自己逃避としか思えない。もしも、彼に、この朦朧会見や落選を、後の選挙演説に使うための一種のネタだとでも思う気持ちのゆとりがあったなら、このような悲劇的な結末を迎えることはなかったのではないかと、何とも残念に思う次第である。

    中川氏には、25歳の娘さんと、まだ17歳の息子さんの二人の子供さんがいるというが、この二人には、間違っても、お祖父さんやお父さんの地盤を継いで政治家になろうなどとは思って欲しくないと考えるのは、わたしだけではないであろう。

    ご冥福をお祈りいたします。

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思い出の朝食・・・・・190

~ 今 日 の 雑 感 ~


  
♣ 思い出の朝食 ♣


 
    皆さんは、「出来たらもう一度、あの時の朝食を食べてみたいなァ・・・・」なんて思うことはありませんか?

    わたしには、あるんですよね。icon06

    実は、わたし、大学生の時は、四年間ずっと大学の敷地内にある学生寮で暮らしていたんです。

    白雪姫に出て来る魔女のような寮母と、その弟子のように陰険な先輩たちに日々悩まされながら、それでも、四年間何とか過ごしました。我ながら、よく我慢したと感心します。それでも、今よりは、まだかなり素直だったからでしょうね。(爆)

    そんな、はっきり言ってさほど居心地のよくなかった寮生活でしたが、そんな中でも、許せることがただ一つありまして、それが、寮で食べる朝食だったのです。

    わたしは、早起きは苦手な方ですが、この朝食を食べたいばかりに、頑張って早起きをしていたくらいです。icon01

    寮での食事は、地下一階の食堂で食べます。テーブルが幾つも並べられている食堂は、かなり広く、わたしは、だいたいいつも決まったメンバーとテーブルにつきます。

    朝食は、ほとんど毎日同じメニューでしたが、食パン、ゆで卵、ハム、紅茶、バター、ピーナッツバター、ジャムなど、ごく限られた、正直、何のことはない献立なのです。

    しかし、紅茶は、紅茶だけ、ミルク入り紅茶、砂糖入りの紅茶と、三種類あり、この三種類とも、熱々で、本当においしいのです。わたしは、特に、ミルク入り紅茶が好きで、こればかりを飲んでいました。

    そして、絶品なのが、ハムです。大きくて、分厚く、正に至福のおいしさでした。契約牧場から直送の特別なハムだったらしく、わたしは、その後、このようなおいしいハムを食べたことがありません。

    お歳暮などで、高級なハムを頂いたりすることもありましたが、とても、この味には敵いません。このハムを、バターを塗ったパンにはさみ、一口かじる時の幸福感は、今でも鮮明に思い出します。

    ハムを食べない時は、バターを塗ったパンにゆで卵をバラバラにしてはさみ、塩を少し降りかけて食べるのですが、これもまた、卵がおいしくて、この食べ方は、未だに家でもやっています。

    また、ピーナッツバターが、ちょっと、そこら辺では手に入らないようなまったりとしたコクのあるもので、これが好きな友人は、毎朝、こればかりをタップリとパンに塗って食べていました。

    そして、この朝食を食べると、よし、今日も頑張ろうと、いう気持ちになったものです。icon21

    わたしの思い出の朝食は、このようなものですが、皆さんの思い出の朝食は、何ですか?
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みんな違って、みんないい?・・・・・189

~ 今 日 の 雑 感 ~


みんな違って、みんないい?



    「みんな違って、みんないい」------この言葉は、個性や顔形、体格、育った環境、性別、人種などなど、人間一人一人は、それぞれが異なっているのがあたり前なのだから、誰かの意見に、合わせたり、社会の常識という尺度に必ず自分を合わせなくてはいけないなどと、考える必要はないのだと、いうことを、説いているように思います。

    そして、個人個人の意志を尊重し、もしも、他人が自分と違う意見を持っていたとしても、それはそれとして受け入れようとも、主張する、実にすばらしい言葉でもあります。

    あの有名な童謡である「ちゅうりっぷ」も、「どの花みても  きれいだな」と、歌っていますから、はるみっちゅさんがよく言われるように、違いを間違いだと決めつけるようなことはしないようにしましょうと、いう作詞者の気持ちが反映した「詩」になっているのです。


★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★




    しかし、この言葉を真の意味で理解し、実践している人は、ほとんどいないのではないでしょうか?

    そして、とかく説教好きの人は、この言葉を使って、他者を諫めたり諭したりすることがあります。

    「人は人、自分は自分でしょ?」と、いう具合に-----。

    わたしも、そう言われると、「本当にそうですね」と、返事をします。でも、正直、わたしには、その言葉を心底から実行できる自信などありません。

    何故なら、やはり、他人が自分のことを何といっているのかは、とても気になりますし、自分の陰口をたたかれても、「人の性格はそれぞれなのだから、勝手に言わせておけばいい」などと、寛容に構えることはできません。

    でも、そういう気持ちは、人間なら誰しも抱くものではないでしょうか?あの皇后さまでさえ、週刊誌でご自身についての理不尽な報道が繰りかえされた時は、お声が出なくなるほどに悩まれました。

    人は、自分に火の粉が降りかからない時は、とにかく無責任になります。しかし、「自分の尺度に当てはめて他人を量るな」と、言っている人も、いざ、自分がその非難のやり玉に挙げられた瞬間、烈火の如く怒り出すのも、やはり、心底から他者と自分の違いが当然とは認めていない証拠なのです。

    要するに、自分に反論する者は、「違ってはいけない」訳で、結局、しっかりと自分の尺度をあてはめて相手を批判しているのです。

    世間一般の常識に相手をはめようとすることは、既に相手の違いを認めていないということです。自分勝手、独りよがりの「違いは、間違いではない」になってしまっているのです。これは、本当の意味での「違いを認める」ことにはなりません。

    自分の家の前に、誰かがゴミをぶちまけた時、その犯人に対して怒りを覚えるということは、既に、「相手と自分の常識の違い」を、認めていないということです。

    また、童謡「ちゅうりっぷ」に戻りますが、この歌でさえ、並んでいる花はすべて同じ「チューリップ」です。この中に、バラやカーネーションやカトレアは出て来ません。あくまでも、「チューリップ」の色が違うだけです。

    では、SMAPの「世界に一つだけの花」は、どうなんだ?と、言われる人がおられると思いますが、これも、歌詞に出て来るのは、「花」という共通の植物です。

    ですから、もしも、「みんな違って、みんないい」という言葉を使う人は、必ずそこに、こう付け加えて下さい。

    「でも、わたしの意見に 反論する場合は、除きます」と--。

    わたしには、やはり、ある程度、自分の尺度はあってしかるべきだと思うのです。「こうあらねばならない」「こうあるべきだ」という考えは、人間が生きて行く上で最も重要なものだと思うからです。

    人は人を殺してはならない。-----このことでさえ、安易に違いを認めれば、殺しても構わないという人の気持ちも尊重せねばならないことになります。

    気持ちを開放するということと、違いを容認するという事とは、全く性質が違うのです。

    どうも、近頃は、この「違い」という言葉の意味を、履き違えている人が多いように思えるのです。



    本日もまた、当屁理屈ブログをお読み頂き、誠にありがとうございました。<(_ _)>

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ユニークなケーキ屋さん・・・・・188  

~ 今 日 の 雑 感 ~


☆★ユニークなケーキ屋さん★☆



    かつて、隣町に、とてもユニークなケーキ屋さんがあり、わたしは、よく友人とそのケーキ屋さんへ通いました。

    そこは、喫茶店も併設していて、店の奥のテーブルでは、ケーキやコーヒー、紅茶、軽食も頂けるようになっていました。

    ケーキ類は、とにかく絶品で、紅茶シフォンケーキやチョコレートシフォンケーキなどが、口の中でホロホロとほどける食感は、まるで、淡雪を食べているように思いました。

    わたしも、それまでに、色々なお店のケーキを食べては来ましたが、こういう味わいは初めての経験で、とても感動したのを覚えています。

    しかも、そのケーキ屋さんで軽食を頂く時は、スパゲティーやトーストだけを頼んでも、作ってはくれません。必ず、ケーキを頼まなくてはいけないのです。そうです。そこは「ケーキ屋」なのですから。

    そして、ユニークなのは、その経営方針だけではありません。使われているケーキのお皿やカップフォーク、スプーンに至るまで、すべてが統一されていないのです。

    ある客には、「こんな大きなお皿にケーキを載せるの?」と、思うような大皿を使っているかと思うと、可愛らしい花柄のお皿に載って出てくる場合もあり、また、カフェオレ・ボールのような器に、コーヒーがナミナミそそがれて運ばれて来る客もいれば、ごく普通のカップで出される客もいて、「今日は、どんな器で出て来るのかな?」などと、想像するのも楽しいものでした。icon06

    しかし、そのお店のオーナーのもっともユニークな点は、「子供の入店お断わり」というところでした。

    「ケーキは、大人が優雅に楽しむ贅沢なのだから、子供に、その時間を乱されてはならない」という、オーナー独特の哲学によるものでした。

    しかし、ある日、わたしは、そのお店の前を自動車で通った時、どうしても、ケーキが買いたくなり、自動車を停めました。ところが、その時、助手席のチャイルドシートには、その頃まだ三、四歳だった甥っ子の一人が乗っていたのです。

    わたしは、甥っ子に、「ケーキを買ってくるから、ちょっと、待っていなさい」と、言ったのですが、甥っ子は、「一人で待つのは嫌だ」といいます。そこで、わたしは、彼に因果を含めるべく、

    「ここのケーキ屋さんは、ちっちゃい子お断わりだから、一緒に来ても、絶対に声を出してはダメだよ」と、いうと、甥っ子は、大きく頷き、「絶対に、シ~だね」というので、「よし!」と、一緒に自動車を降り、そのお店へ入りました。

    でも、子供との約束など、何の意味も持たないことを、わたしはこの時、しっかりと思い知らされました。

    甥っ子は、そこへ入店するや否や、

    「こんにちは~!ケーキくだちゃい!」

    止める間もない、いきなりの、大声でした。face08icon10

    わたしのかん口令は、何の効力も発揮せず、「これは、まずいことになった」と、内心ビビっているところへ、応対に出て来たのは、その日に限って、奥さんだったのです。

    「すみません。子供が大きな声を出して・・・・」icon10

    恐る恐る詫びると、奥さんは、ニコニコ微笑んで、「いいんですよ。今、主人いませんから」と、言います。わたしは、ほっとして、ケーキを買い、お店を出ました。

    あれから、もう既に十年以上もたっていますが、あのケーキ屋さんは、まだ御商売をされているのでしょうか?

    頑固者のパティシエのオーナーと、優しい奥さんが作るケーキのほの甘さは、未だに わたしの味の記憶から消えてはいません。icon06  続きを読む


血液型で判る自己中度・・・・・187

~ 今 日 の 雑 感 ~


❤❤血液型で判る自己中度❤❤



    は~い、お待たせいたしました!(別に、誰も待っていないってか・・・・?)face02

    この前は、男性についての血液型判定を書きましたので、今度は、女性の自己中度について書きたいと思います。



    ❤ 女性の血液型で、最も自己中度の高い型は、もう、皆さんもお判りになる通り、言わずと知れたB型です。

    「自分さえよければ周りのことなどどうなっても構わない」という人間の典型で、極端な話、たとえ、自分の子供が交通事故に遭って、すぐに病院へ来て下さいと、連絡があっても、大好きなメロドラマがテレビで始まってしまうと、それを観る方を優先してしまうようなところさえあるのです。しかし、流石に、それはまずいと思い、病院へ駆けつけたとしても、怪我をした子供に向かって、「何で今日に限って、こんなタイミングの悪さで怪我をするんだ!」と、怒鳴り付けるような自己中さを発揮します。


    ❤ O型女性も、どちらかというと自己中度は高い方ですが、B型女性のように個人的な自己中という訳ではありません。仲間意識、身内意識が強く、自分の友人や家族のためならば、部外者など蹴り落としても彼らのために献身するという、グル―プ発想的自己中なのです。

    そのため、組織を統率したり、スポーツなどではチームリーダーを務めさせれば、素晴らしい能力を発揮します。でも、B型のようなひらめきや親しみやすさはあまりありませんから、リーダーとしては比較的地味になりがちです。


    
    ❤ A型女性の自己中度は、かなり低いと思われます。常に、人の後ろに立つことを意識し、率先して自己アピールをするような冒険心は、A型女性にはほとんどないのです。いつも、周りとの同調や調和を考え、むしろ、目立つことを嫌います。よく言えば、純日本的な奥ゆかしさを持っているといえますが、反面、優柔不断で、八方美人、警戒心過剰とも捉えられかねず、物ごとの決定権を放棄しているとも勘違いされがちです。


    ❤ 最後に、AB型女性ですが、A型と同様に自己中度は低めではありますが、かなりクールな面を持っている彼女たちは、控えめながら常に物事がどのように進行するかを、冷静に見極めようとします。そして、誰も前へ出ないと判った時、ようやく重い腰を上げ、O型女性の代わりに、その場を取り仕切ることも厭いません。

    しかし、自分に代わる人物が登場したとなると、乗り降りの速いAB型は、何の未練もなくその座を相手に譲ります。彼女たちは、結局、常にクールなのです。ですから、ご主人に浮気相手が出来た時は、何から何まですべて浮気女性に押し付けて、サッサと離婚してしまうのも、AB型女性の特徴といえるでしょう。





    では、血液型の相性はどうでしょうか?


    まずは、B型女性とO型女性の場合。

    これは、一言で言えば、O型女性にB型女性が従うという構図が、最も友人関係が長続きするコツなのです。男性編でも書きましたが、許容範囲の広いO型は、B型の破天荒ぶりをある程度までは許します。しかし、そのB型が、自分の上位に立とうとしたり、自分に嘘をついたりした時は、二度と這いあがれないほどに叩きのめしてしまうのです。O型女性は、大らかですが、規律や秩序を重んじる保守的な考えも強いですから、これと付き合うB型女性も、あまり突飛な行動は慎んだ方がよいでしょう。



    次に、B型女性とA型女性の相性ですが、これは正直言って、地獄の組み合わせです。と、いうのも、どちらが地獄かといいますと、それは間違いなくA型女性にとっての地獄です。B型女性は、筋金入りの自己中ですから、約束などしたところで破られるのが当たり前です。B型人間の辞書に、「約束」の二文字などもともとあるはずもないのですから、前触れもなく突然訪ねてきたり、そうかと思うと、約束した日を勝手にすっぽかしたりすることは、当たり前のことなのです。

    しかし、律儀で真面目なA型女性は、その約束の日のために、何日も前からスケジュールを調整し、着る服も決め、時間の十分前には、待合場所へと到着します。しかし、そこへB型女性からの携帯電話がかかり、「ごめ~ん、今日行けなくなった。また、今度ね」-----その瞬間、A型女性の中のB型女性の存在は、永遠に抹殺されてしまうのです。




    では、AB型女性と、B型女性の相性はどうでしょうか?

    ここに、面白いエピソードがあります。病院で診察を待っていたB型女性とAB型女性。B型女性がAB型女性に話しかけます。「病院て、嫌よね。ところで、あなた、何の病気なの?」 AB型女性は答えます。「わたし、この前〇〇〇の手術をしたの。今は、通院治療中よ」 B型女性「やだ、ホント?そういうのって、大丈夫なの?そういう病気って、遺伝もあるんでしょ?致死率高いのよね。あんたも、いつまで生きられるか判らないんだから、今のうちに好きなことしなきゃ」

    そして、診察室から出て来たB型女性。いきなり、AB型女性の前で泣き出します。「あたしも、あんたと同じ病気なんだって、どうしたらいいの?死んじゃうわ」 AB型女性「大丈夫よ。わたしだって、こうして生きているんだから」 B型女性「あんたなんかに何が判るのよ!あんたなんか死んだって、わたしが生きていればいいのよ!」

    クールで人当たりもソフトなAB型女性は、もう開いた口がふさがりません。「そうね。でも、わたしが死ぬなら、あなたも死ぬわね」そう言って去って行きます。要するに、AB型女性にとって、B型女性は、単なるおしゃべりな弱虫でしかないのです。B型女性は、気分に任せて、あまり親しげに話しかけない方がいいかもしれませんね。墓穴を掘ることになりかねませんから。



    最後に、O型女性と、O型女性の相性です。

    これは、どちらかがどちらかにへりくだり、遠慮することでうまく行きます。年上か年下かをその判断基準にするとよいでしょうが、難しいのが、同い年のような場合です。お互いに、自分を主張するものですから、「生意気だ」と、なってしまうのです。モラルを重んじるO型は、言葉にも神経質なところがありますから、相手を立てる時は、敬称や、「先輩」「先生」などの呼び方を忘れないようにしましょう。しかし、これも、自分の方が優れていると、思い込んでいるような人間には通用しませんので、どうしても、そのO型女性を御さねばならない時は、年上の方が、はっきりと「身分をわきまえろ!」と、怒鳴り付けることも必要かもしれません。

     



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誰が連れて行ってくれるんだ!?・・・・・186

~ 今 日 の 雑 感 ~


誰が連れて行ってくれるんだ!?


   
    テレビのニュースなどを観ていると、「重い病気のため、外国で治療することになりました」などという報道がよくあるが、こういうニュースを聞くたびに、わたしは、必ずこう思う。

    「お金と、そこまで連れて行ってくれる家族や親戚がいて、あなたは幸せだね。ここまでしてもらえば、いつ死んでも本望だよね」

    と-----。何故なら、そんなうまい具合に命を助けてくれる医療機関へかかることの出来る果報者は、ほとんどわたしの周囲にはいないからである。

    どれほど、大変な病気になっても、遠方には、それを治せる医師がいると判っていても、お金や支援者がいなければ、そんな所へおいそれとかかることなど出来ないのが現実なのだ。

    去年、わたしが入院した時、同じ病室に大腸癌の女性患者がいた。彼女は、静岡に有名な医師がいて、その医師の手術が受けられば人工肛門になることはないだろうと言われ、息子に頼んで自動車に乗せてもらい、その医師の勤務する病院まで診察を受けに出掛けて行った。

    しかし、この日一度だけでは検査も出来ないため、手術までに何度か通ってもらうことになると、言われたが、何分にも長野からでは、そう簡単に通うことなど出来ない。息子に頼んだが、彼も、「一度ぐらいなら一緒に行ってやれるが、何度もなんか無理だ」と、断ったという。しかし、彼女一人で、列車を乗り継いでの長旅など出来るはずもなく、結局、地元の医師の執刀で、人工肛門の手術を受けるほかなくなってしまったと、嘆いていた。

    医師は、自分は健康だから簡単に、「〇〇病院で検査を受けて下さい」などというが、体力も、頼る者もいない人間にどうやってその病院まで行けというのであろうか?医師本人が、連れて行ってくれるとでも言うのであろうか?

    明らかに、住んでいる場所によって、命の値段には差があるのだ。馬鹿にした話である!

    地域医療の格差は、現実に目の前に横たわっているのである。

    だから、わたしは、思うのだ。人々の温かな愛の力で、普通の人間なら受けることも出来ないような高度な治療を受け、命を取り留めた人間は、他の人の何倍もの苦労を背負って人生を生きるべきだと。icon23

    ただ単に、彼らを「幸運だった」「治ってよかった」などと、手放しでたたえるべきではないのだと。

    貧乏人、一般庶民の僻みと思われても構わない。それが、希望する治療を受けられない人間たちの真の気持ちなのだから。icon09  続きを読む