A型人間が真面目な訳・・・・・738

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A型人間が真面目な訳



    
    血液型A型の人は、記憶力が優れている『海馬人間』だということはこの前も書きました。

    それを裏付けるようなことは、保育園などでもよく見られるとのことです。

    A型の子供たちは、B、O、AB型の子供たちに比べてお行儀がよいのです。

    「先生が来るまで、おしゃべりをしないで静かに待っていて下さい」と言えば、30分でも1時間でも黙って待つことが出来ます。また、彼らは遊戯室へ入る際も、脱いだ自分の靴をちゃんとそろえてから入るそうです。


    どうして、こんなにお利口に先生の言うことが聞けるのかといえば、それは、A型の子供たちの記憶力に原因がある訳で、A型の子供たちの頭の中には、「前にも先生に静かにしていて下さいと言われた時、静かに待っていたら褒められた」「靴を脱いだらそろえなさいと言われた」という過去の記憶が一瞬にしてよみがえるからだというのです。

    A型の子供の中には、それでも過去のことを忘れてしまう子供いるでしょうが、周りのA型さんがやり始めると、「そうそう、そうだった」と、思い出して、同じように靴をそろえるのです。

    ところが、B型の子供たちのように一点集中主義の場合は、遊戯室へ行った途端、頭の中には既に遊ぶこと以外の雑念は皆無となりますから、靴をそろえるなど意識にもないのです。

    ですから、目の前に危険な物があってもそれに気付かずにぶつかってケガをするなどということも、B型の子供にはよくある話なのです。

    でも、同じA型の子供にもそこまで几帳面な行動をすることなく、静かにしていて下さいと言われてもおしゃべりしたり、靴もそろえずに脱ぎっぱなしという子供だっているのは何故なのでしょうか?

    しかし、実はそれもちゃんと理由があるのです。

    A型さんは、記憶・前例主義ですから、その子の記憶の中にそうしたお行儀の悪いことをしても許されるという記憶があれば、その通りにするのです。

    A型の子供の母親がB型で、目先の興味にしか気持ちが向かない場合、A型の子は、しっかりと母親のやることを覚えていて間違いなくその通りに真似をします。

    母親が靴を脱ぎ散らかした時、父親がそれを叱ったり、姑などに注意をされたことをA型の子供が見ていれば、その子はそれを真似したりはしませんが、それが黙認されていたとしたら、子供もそれをやっても良いことと思いこむのです。

    B、O、AB型の子供は、大人になる過程で失敗し恥をかきながら自分の行動を修正して行くのですが、A型に限って言えば、それはほとんど難しいのが実情です。

    しかし、ことA型に関しては、恥を生涯のダメージと捉えがちですから、大人になってから自分のしていたことが間違っていたと判ってもそれを修正することがもの凄いプレッシャーになる訳で、下手をしたらうつ病になる可能性さえあるのだそうです。

    だからこそ、A型の子供には、子供の頃のしつけが大事だといえるのです。

    言葉遣い、お箸の使い方、お行儀、目上を敬う態度などなど・・・・。両親の行動がより子供の性格にも反映するのがA型なのです。

    A型の子供さんを持った一点集中型のB型、細かいことなど気にしないO型のお母さんは特に自分の生活態度に気をつけて欲しいと思うのです。     続きを読む


彼の趣味までコントロールしたがる女・・・・・737

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彼の趣味まで
コントロールしたがる女



    「愛は惜しみなく与う」は、ロシアの文豪トルストイの言葉だが、作家の有島武郎は、こう言う。

    『愛の表現は惜しみなく与えるだろう。しかし、愛の本体は惜しみなく奪うものだ』

    この言葉を初めて聞いた時は、何のことやら判らなかったが、最近になってこの意味が少し理解できるようになった。

    ここで有島の言う「愛」とは、母親がわが子にそそぐいわゆる「無償の愛」ではない。

    おそらくは、男と女の「情愛」に関してのことを指しているのだろうと思う。

    女性は、自己の中に一つの宇宙感を持っている生物であるから、その宇宙の中に異物が入り込むことを極端に恐れる傾向がある。

    「結婚したら、あなたの色に染めて下さい」との意味で、白無垢やウエディングドレスは白いのだと言うが、いざ結婚生活を始めれば色に染まるのはたいてい夫の方である。

    新築した家も妻の趣味、料理の味付けも妻流に慣らされ、気が付けば家に入り浸るのは自分の両親よりも妻の親である。「いったい、おれはこいつを嫁にもらったのか?それともおれの方が婿に入ったのか?」などと悩む男性も多いことであろう。

    こういうことでも判るように、女性は、男性へ「愛」を注ぐふりをしながら、実は男性の全てを奪い取るのが目的なのである。子供だって、考えようによっては夫から奪い取った戦利品の一部なのだ。

    だから、まだ恋人同士の間でも、男性の生活すべてを自分のテリトリーに確保しておかなくては我慢がならず、恋人である男性の趣味にまで口を出すのである。

    いや、恋人同士でなくても意中の彼が自分とは関係のないことに関心を持っているだけでも気に入らない。

    とにかく、自分勝手な欲求の押し売りを「愛情」だと勘違いしている女性も多いのだ。

    確かに、「愛情は惜しみなく与える」が、その何十倍もの「愛情」「信頼」「誠実」「収入」などなどを「惜しみなく奪う」のもまた、女性なのである。

    その点において、男性は如何にも無防備である。

    毎日の仕事に明け暮れているうちに、自分の物が尽く女性に吸い取られていることに気が付かない。

    気が付いたら自分の生き甲斐までも奪い取られて、ただの疲れた抜け殻になっているなどということがないように、自分で主張したいところは遠慮などせずにしっかりと主張しよう。

    それで、彼女が別れると言い出すなら、それでもいいじゃないか。

    「わたしの意のままにならないのなら、もう別れるわ!」

    でも、その言葉をはっきりと言い、かつ実際に行動に移せる女性なら男性のすべてを奪おうなどと最初から思いはしない。「別れる」と、脅しをかけるような人間ほど、本心は別れたくないのである。

    だから、男性は女性の要望にいちいちビクつくことなどないのだ。

    男性から奪い取ることで自己認識を確立しようとする女性ほど、自分からすべてを奪い取られることが最大の苦痛であり屈辱なのだから----。

    それにしても、女性とは実に利己主義で我がままで自分勝手な生き物である。

    まれに、女性従業員が社長の私生活にまでも口をはさむという場合さえあるとの話も聞くが、そういうところは公私混同するなと、しっかり諫めることも必要である。

    日々身近で仕事をしていると、人は特別親しくなったように感じるものだが、それこそが女性の思い上がり、思い違いなのである。如何に優秀でも従業員はあくまでも使用人である。そこの線引きを間違えてはならないのだ。


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赤と緑の法則・・・・・736

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の法則




    安売りの際の値札を「赤札」と言いますが、日本人の感覚は、「赤」を見ると安さと直結して考える傾向があるのです。

    これは、「赤」すなわち赤ん坊などの生まれたばかりというイメージとも相まって、こういう感覚が習慣づけられているのではないかと思われます。

    また、この「赤」と同じような「安い」「若い」「新鮮」というイメージの色に「緑」があります。

    かつて、日本には「緑色」という概念はなかったそうで、「緑」は、山の木が芽吹くとか何かが誕生する、若いという意味を含む物として表現されていたのだそうです。

    赤ん坊のことを「嬰児(みどりご)」と呼んだり、「緑の黒髪」という言い方もあります。

    そのようなこともあり、スーパーなどのバーゲンセールには、「赤札」や「緑札」をつけて、客の購買意欲を刺激するのです。

    この「赤」「緑」を特別多く取り入れる時期が、クリスマス商戦の頃です。

    ちょうどうまい具合に、サンタクロースの衣服の「赤」と、柊の「緑」がこのイメージをバックアップしてくれるために、クリスマスの頃の商店街は活気があり華やかさも増すのです。

    ところが、この感覚は、日本独特の物でもあるようで、同じ「赤」でも中国人はおめでたい祝賀の色と取りますし、イタリア人などは、赤も「ワインレッド」のような色は、逆に高級感とイメージが結びつくそうです。

    もしも、あなたがフリーマーケットなどで品物を売りたいならば、値札の色を「赤」と「緑」にしてみたらいかがでしょうか。

    まあ、確約は出来ませんが、白い紙に黒で値段を書くよりは、はるかに目立つと思います。また、そのカードに書く文字は出来るだけ太く書いて下さい。より、客の「買いたい」という気持ちを刺激するそうです。

    因みに、日本の信号機は「緑」ではなく「青」なのかということも、先に書いた日本独特の言葉からきているそうです。

    つまり、もともと日本には「緑色」という言葉が存在しなかったため、信号機に使われた「緑(世界共通)」を、それに近い色である「青」と表現したのだそうです。

    

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悲運のハンサム系・・・・・735

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悲運のハンサム系



    
    テレビドラマを観ていると、どうして、こんなにハンサムな俳優が主役を張れないんだろう?とか、あの美形俳優、最近見なくなったよね、なんてことがよくあります。

    昭和の初期までの映画界は、ハンサムでなければ主演など到底できない時代でしたが、石原裕次郎が日活の無国籍映画で活躍するようになった頃から、誰が見ても非の打ちどころのないハンサムは、たいていが主人公の敵役かその他大勢のわき役に甘んじるしかない時代が来てしまったようです。

    宍戸錠さんなども、その美形すぎる容姿故にヒット作が出ず、とうとうほっぺたにシリコンを入れて個性を強調するはめになってしまった訳です。

    そして、現在の芸能界でもやはりその風潮は変わりません。

    名前が世に出る俳優やタレントは、何処がイケメンなの?----と、思うような人たちが締めています。これが、個性というものなのでしょうね。

    また、あまり美形だと撮影スタッフが焼きもちを焼いて、わざと冷遇するため、ハンサムは芸能界で長続きしないとも言われるそうです。

    そんな訳で、芸能界ではあまり浮かばれないハンサム系ですが、実際の社会でも案外悲しい運命を背負いやすいものだそうです。

    ハンサムには、恋人が出来ない----これも良く言われますが、ハンサム過ぎると、女性たちの方で「どうせ、もう恋人ぐらいいるんでしょ」と、勝手に思い込み、声をかけようとしないのだとか。

    また、男性は自ら女性を好きになり、その女性を自分の物にしようと頑張ることで、男として一歩も二歩も成長できるのだそうです。ところが、美形男性は、気になる女性がいて声をかけても、女性の方で「こんなハンサムがわたしに話しかけて来るはずがない。きっと良からぬ下心があるんだわ」と、警戒してしまい、まったくうまく行かないのだといいます。

    さらに、悲惨なことには、そういう美形男性にあえて声をかけて来る女性は、むしろ一般の控えめな純粋さを持っている女性ではないことも多く、男性は、そういう女性にまんまと騙されて大変な苦境に追い込まれることもあるのだとか----。

    また、その声をかけて来た女性におかしな下心がないにしても、男性は、「どうせ誰もおれとは付き合ってくれないんだから、この女で手を打つか・・・・」と、いう妥協の産物になり、本物の恋愛を経験しないまま結婚してしまうということもあるようです。

    そうなると、ハンサム男性は、自分の手で女性をゲットしたという経験がないため、自分に自信がなく、常に他人に流されるような生き方をするようになるので、人間としても成長することが難しくなってしまうのだそうです。

    最近、息子に嫁をもらう母親たちの間で交わされる言葉に「よい子ほど、悪い嫁につかまる」というものがあるようです。

    まあ、我が弟もその典型的な例かもしれませんが・・・・。face03

    自分が周囲の男性たちに比べてハンサムだと思っている人は、要注意です。下手をしたら、一生本当の自分自身の気持ちに気付かぬまま時を過ごすことにもなり兼ねませんよ。  続きを読む


コメントはキャッチボール・・・・・734

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コメントはキャッチボール



    前々から気になっていたことだけれど、コメントを書き込むと、書き込んだ内容とはまったく別の返事が帰って来ることがある。

    別の返事とは、つまり、書き込んだコメントにほとんど関係ない内容を返事として返して来るということだ。

    たとえば、「今日は暑かったですね。でも明日は少し涼しくなるそうですよ。お盆の帰省は如何でしたか?」と、書き込んだとする。ところが、それに対するレスが、「コメントありがとうございます。連日、海での事故が多いですね。離岸流のせいでしょうか?山でも今年は事故が多発していて・・・・」と、コメントとは何の関係もないような、または、直接のつながりがない返事が来ることがよくあるのだ。

    こういうレスを返すブロガーの心理状態はどういうものなのだろうか?

    コメントのやり取りとは、いわゆるブログ上の会話である。会話は、一方通行では成り立たない。こちらも言いたいことだけ、あちらも言いたいことだけでは、文字通り話にならないのである。

    わたしは、こういうコメントの返事をもらうと、「ああ、このブロガーは逃げているな」と、思うようにしている。つまり、書き込んだブログの内容のことは実際に身を入れて書いたものではないのだ。だから、その内容に突っ込みを入れたコメントをもらっても、返事のしようがないのだろう。

    上記の例を取ってみれば、ブログに帰省のことが書かれてあったので、読者は「帰省は如何でしたか?」と、訊ねたのである。しかし、それに対する答えがまったく明後日の方を向いたものであるのだから、おそらく、このブロガーは本当は帰省などしていなかったに相違ないのだ。

    だから、その答えをはぐらかすために全然別の意味不明なレスを書くしかなかったのである。「そんな返事しか書けないような内容ならブログにあげるな」と、いいたいものだが、これが案外多いのも事実だ。

    かなり前だが、ある人のブログに某所で食事をしたというような記事が載った。

    これを見てわたしは疑問を抱き、ちょっと意地悪な質問を書き込んだことがある。他の話題も織り込みながら、さりげなく問いかけたのだが、その他の話題に対するコメントは返ってきたが、肝心の質問はしっかりと無視されてしまった。

    「ああ、やっぱり、この人はあそこへは行っていなかったんだな。この記事は、誰かへのアリバイ作りか」と、納得したものである。

    それにしても、自分にしっかりとした知識がないにもかかわらず書いてしまったブログに対してコメントが入った場合は、自分の無知をごまかさず、「実は、このことについてはあまり詳しくないんです」と、正直に書いて欲しい。

    コメントを書いた人を煙に巻くような返事を何行も書いてもらったところで、少しも嬉しくないし、だいいちコメントを書いた人に失礼である。

    おそらく、そういうはぐらかしのレスを書き込むブロガーは、負けず嫌いの性格なのだと思うが、ブログへの感想に勝ち負けなどあろうはずもない。

    「どうせブログなんだから少しぐらい見栄をはったり嘘を書いてもいいよね」と、思う気持ちは判らなくもないが、せっかく書き込んでくれたコメントの内容とはまったく異なるような返事を書くのだけはやめてもらいたいものである。

    読者は、記事内容を信じてコメントをするのだから、はぐらかすようなマナー違反は、やはり容認できないのだ。  続きを読む


彼の友人に会ったことがありますか?・・・・・733

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彼の友人に
会ったことがありますか?




    あなたは、今付き合っている彼の友人に会ったことがありますか?

    これって、案外、大事なことなんですよ。

    「友人にはまだ会わせてもらっていないけれど、ご両親になら会わせてもらったわ。だから、わたしと彼はとても順調よ」

    そんな風に思っているとしたら、あなたは、かなりおめでたい人ですね。

    男性が彼女を両親に会わせることなんか、今はそれほど重要なことではないのです。

    だって、だいたいにおいて両親が息子の彼女をもろ手を挙げて歓迎するはずなどないんですから。そのあとで、「ごめん、やっぱりきみとは結婚できないよ」と、彼から告げられても、もともと両親も気に入らない彼女を振るだけなのですから、彼が恥をかいたり傷付くことなど何もないのです。

    むしろ、ここで大切なのは、彼が自分の友人にあなたを会わせてくれているかということの方なのです。

    男性は、単なる遊び相手と割り切っている女性を、自分の友人たちに紹介するような危険な橋は渡りません。

    「何だよ、お前、あんな女と付き合っているのか?」

    そんな風に軽蔑されたら、長年培ってきた友情は台無しです。彼は、恥ずかしくてその後友人たちに顔向けが出来ません。

    ですから、胸を張って堂々と紹介できると確信がある女性しか、友人には紹介できないのです。

    つまり、そういう女性こそが、男性が本気で結婚を決意している女性なのです。

    そして、結婚した後も、この女性なら俺の友人たちともうまくやって行ってくれるはずだと、思っている証拠なのです。

    男は、プライドの生き物で、なおかつ常に闘争心を持っているのですから、友人たちに恥ずかしい彼女など紹介できるわけがないのです。

    「おれの彼女を見ろよ。お前たちの女房や恋人よりずっと素敵なんだぞ」

    女性を紹介する時は、そう胸を張りたいのです。

    「お前、ほんと、いい子捕まえたよな。負けたよ」

    なんて言われれば、彼も男冥利に尽きるでしょう。

    交際二ヵ月、三ヵ月が経っても、まだ彼の友だちにお披露目してもらえないとしたら、それは、ちょっとヤバいかも・・・・。

    では、どうして、彼はそんなに彼女を友人に紹介することに重きを置くかといえば、友人たちは平気で彼の昔の彼女の話や遊んでいた当時のことなどを話題に持ち出す可能性がないとは言えないのです。

    つまり、彼女には自分の表面だけではなく格好悪い素顔をさらけ出しても構わないと、覚悟を決めたという時でなければ会わせる勇気が出ないものなのです。

    そう考えると、男性が友人たちに紹介する彼女こそ、生涯の伴侶と決めた女性と思ってよいのです。

    どうですか?

    あなたは、彼の友人たちと会ったことがありますか?

    偶然の出会いではなく、彼がわざわざあなたを紹介してくれたことがありますか?

    そんなことも、彼のあなたへ対する本気度を見分けるバロメーターになるようですよ。  続きを読む


カーテンをつけました・・・・・732

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カーテンをつけました




    今やわたしの書斎となってしまったかつての寝室の窓には、昔から障子がはまっていたのだが、この障子紙がすぐにぼろぼろになってしまい、毎年張り替えねばならないという面倒くさいものだった。

    おそらく、西日がもろにあたる窓辺だけに、障子紙の耐久性も低かったのだろうと思う。

    今年もまた、春先辺りから開け閉めをするたびにボロボロとはげ、そのたびに別の紙で補強するものの、結局、すべて張り替えなくてはならなくなってしまったのである。

    しかし、もう、その気力にも限界が来た。

    こんな障子窓は全部取っ払い、カーテンをつければいいんだと、思い至ったのである。

    そうと決まればさっそく障子窓を取りのぞき、カーテンレールとカーテンを生活用品量販店へ買い出しに行った。

    昔と違って、今は、素人にも簡単につけることが出来るカーテンレールが幾種類も売られている。

    伸び縮みだって自由自在だ。素材もステンレスから樹脂製から色々揃っていて、思わず目移りしてしまう。

    そんな中でももっとも格安な最大2メートルまで伸ばすことができる二本付きのレールを買った。

    次は、カーテンである。

    メインの遮光カーテンはまた今度見ることにして、先にレースのカーテンを探すのだが、これがあまりに美しいものばかりで、ため息が出てしまうほどであった。

    無難なところは白いレースのカーテンだが、わたしは、あまり汚れが目立たないようなブルーのレースが気に入った。

    パーティードレスでも作れるようなおしゃれなレースである。

    家へ帰ってから、風邪の治りかけの身体で汗だくになりながらも窓に取り付けてみると、実にすばらしい。早く、カーテンに替えればよかったと後悔するくらいだ。

    ブルーのレースカーテンが風に揺れる様子は、まるで何処かの瀟洒な洋館の窓辺とも見まごうばかりである。

    風邪っぴきをおして、頑張って買いに行っただけのことはあった。

    世の中、まったくというほど楽しいこともないが、しばしの間、この美しいレースから吹き込むブルーの風に癒されようと思う。

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握手で判る相手の本音・・・・・731

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握手で判る相手の本音



    選挙の候補者が有権者に握手を求めることがありますが、これは、何故なのか?

    単に、「よろしくお願いします」の意味だけではないのです。

    「わたしの気持ちを受け取って下さい!」との意味があるのです。ただ、「よろしく」の意味で、その候補者が握手をしているのであれば、その握手に心がこもっていないことは握った時の候補者の力の入れ具合でおおよそ見当が付きます。

    そうではなく、「わたしは、本当に当選したいんです。それにはあなたの一票が絶対に必要なのです」と、いう気持ちの握手であれば、その握り方はかなり力がこもったものとなるはずで、そういう握手を何百人にも続けていれば手にもかなりのダメージとなるはずなのです。

    つまり、候補者の握手の力具合は、その候補者の意気込みの強さともいえるのです。

    一般の人も、その意味では同じです。

    ビジネスマンは、商談相手との初めての握手でその人物のやる気や性格までも把握すると言います。

    力強く握り返して来る人は、「きみになんか負けない」というライバル心の表われか、もしくは、「きみと一緒に仕事がしたい」という好意からのどちらかだそうです。

    ですから、握手をした時点で、既にこの商談は成立するか否かがほとんど予想できるとも言われるのです。

    仕事に気がない人の握手は、たいていがおざなりな力の弱いものとなるそうで、形式的な話し合いに終始するだけだということです。

    わたしも、男性と握手をする機会がある時は、特にその力の入れ具合に注目します。

    しっかりとした握手をする人は、やはり仕事が出来ますし、あまり力を入れない人は、その仕事に自信がないと既に手が証明しているのです。

    日本人には、平成の現代でもあまり普段の生活には馴染みのない握手ですが、もしも、そんな機会があったらしっかりと相手に自分の気持ちを伝えるためにも、力のこもった誠実な握手を心がけて下さい。

    もちろん、相手が痛がるほど強く握りしめる必要はありませんが、相手に自分の手の温もりが伝わるだけで、親近感は倍増するはずですから。  続きを読む


夏の日の思い出・・・・・730

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夏の日の思い出icon01




    中学生の頃、わたしは泳ぎが得意だった。

    しかし、水泳の時間はあまり好きではなかった。

    何故なら、わたしの子供の時分の夏は今のように猛烈に暑いという訳ではなかったので、気温が21度以上だと水泳の授業が決行されてしまったからである。

    とにかく、寒い。

    生徒たちは、唇を紫色にしながら屋外プールへ入っていた。

    そして、もっと悲惨なのが水泳のクラスマッチ大会の時だ。

    この水泳クラスマッチは、夏休み明けの八月も終わりの頃にやって来る。北信濃の八月下旬は既に秋風が吹いている。

    その気温の低い中、水の中へ入らねばならないのだ。六月から水泳をしていた水泳部の連中の気がしれないと、いつも思っていたくらいなのに、自分もその冷たい風の中水泳をしなければならないのだ。

    中学一年の夏は、出来れば選手に選ばれたくないと思い、最後まで競技エントリーに手をあげなかった。

    すると、最後に残ったのが自由形のリレーと、背泳(バックストローク)の50メートル短水路。

    「ちよみさんがまだ決まっていません!」

    お節介な奴が気付いて叫んだために、飛び込みが苦手だったわたしは、仕方なく背泳を選んだ。

    中学校の当時のプールは50メートルの水泳連盟公認プールだ。さっさと終わらせてしまいたいがために、クラスマッチ当日は、とにかくがむしゃらに泳いだ。フォームなどバラバラもいいところである。

    ところが、ゴールしてみるとこれがなんと『新記録(もちろん校内)』だという。

    それがあってから、翌年も翌々年も水泳のクラスマッチには選手に選ばれて、背泳はもちろん、苦手な自由形でも泳ぐ破目になってしまった。

    三年生の時は、泳いでいる最中にお腹が痛くなり、ゴールした途端トイレに直行したくらいだ。

    それでも、何人かは追い抜いたそうである。

    クラスのみんなは大喜びだったが、わたしは、もう二度と競泳はするものかと心に決めた。

    だから、高校もプールのない学校を選んだ。

    それきり、一度も水着を着ていない。

    まあ、今じゃもう着ることも出来ないけれどね。(爆)

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赤と青・・・・・729

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 と 



    
    個人の学習塾などで時々起きることらしいのですが、塾へ勉強に来る子供たちが落ち着きなくて、すぐに勉強に飽きてしまうという場合、使用している部屋には、ある共通点があるというのです。

    たとえば、壁紙が赤系統の色だとか、カーテンが赤かったとか、部屋の中の装飾品にやたらに赤を使ったものが多いとか、そういう場合、子供たちの気持ちは極端に散漫になるというのです。

    これは、赤というライト・トーナス値(光に対する筋肉緊張度)の高い色が人間の気持ちを興奮させやすく、常に身体を緊張状態に保つため、時間の経過がひどく遅く感じられ、物事が持続できず飽きてしまうのです。

    これは、何も子供だけに限ったことではなく、大人にも見られることで、赤を基調とした部屋の中で会議をした時、二時間の会議が三時間にも感じたという実験結果も出ているそうです。

    では、じっくりと物事に取り組みたい場合は、どんな色の部屋が理想的なのでしょうか?

    それは、青色を基調とした家具や壁、カーテン、ブラインドなどに囲まれている部屋なのです。

    青は、気持ちを鎮静化させる効果がありますから、リラックス状態を維持し、心拍数も減るため、議題を深く煮詰めたい時などには最適な色といえるでしょう。

    この色の部屋で会議をした場合、被験者たちは、二時間が一時間少々にしか感じなかったと言っていたそうです。

    このことからも判るように、即断即決が求められる会議には、集中力を高める赤色を基調とした会議室で、また、じっくりと問題に取り組みたい場合は、青色を基調とした会議室で行なうことが理想的なようです。

    もしも、あなたのお子さんの勉強時間が短くて、いつも落ち着きがないようでしたら、部屋のカーテンをシックな青系統の色に替えてみるのも手かもしれません。

    しかし、この「青」には、寝起きを悪くさせるという欠点もありますから、ご注意くださいね。

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ホテルの客は外湯を使うな!・・・・・728

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ホテルの客は外湯を使うな!




    不況のせいもあって、ホテルや旅館が客の宿泊費を極力安くしているせいで、自分のところの風呂を使わせず、外湯へ行って欲しいと、客に共同浴場用の鍵をわたすことがあるのだ。(あくまでも、わたしの地元の話です)

    少しでもコストを削減しようと、泊まり客に自分のところの風呂を使わせないというやり方もセコイ話だが、よりにもよって、共同浴場の鍵を貸すとは何事か!!

    共同浴場は、近所の人たちが入るための風呂である。

    観光客が外湯を使うというのなら、有料の外湯へ入るべきであるし、また、ホテル側はそういう風呂を案内するべきなのだ。

    それを、無料で入れる地元住民用の外湯へ入れと鍵を渡すなど言語道断である。

    自分たちは、コスト削減でその分儲かるのだからいいかもしれないが、その観光客が入浴したおかげで入れなかった近所の人たちへの迷惑料はどう考えているのか?

    外湯は狭いのだから、せいぜい三人も入れば満杯である。

    特に男湯などは、二人でいっぱいいっぱいなのだ。

    そこへ何人もの家族連れが入り、しかも一時間以上も長々と入り続けられれば、近所の人たちは、分刻みで毎日のスケジュールをこなしているのに、いつもの時間に入れず大迷惑である。

    どうしても入りたいのならば、近所迷惑にならないように真夜中にでも入ればいいのだ。

    今日、いつもの時間に外湯へ行こうとしたわたしの前を五人の観光客が歩いていた。近くのホテルの泊まり客である。

    手には小さなプラスティックのバケツを持ち、その中にシャンプーや石鹸が入っている。

    何処へ行くのかと思っていたら、先頭の男性がわたしが入ろうとしていた共同浴場の鍵穴へ鍵を入れた。そして、わたしよりも一足先に女性陣が風呂の中へ入ってしまったのだ。

    わたしは驚いて、その女性たちがまだげた箱付近にいたのを呼びとめ、

    「どうして鍵を持っているの?ここは、近所の人たちが入るお風呂だから、ホテルのお客さんたちが入る場所じゃないんですよ」

    と、忠告した。しかし、彼女たちは、図々しくも、

    「あなたも一緒に入れますよ」

    と、平然と言うので、わたしは、風呂の中を見れば判るけどとても狭いんですから、あなたたちが入ればわたしは入れないんですよと、言い返した。

    が、彼女たちは、「ごめんなさい」「ごめんなさい」と、言うだけでそのまま中へ入って行ってしまったのだ。

    わたしは、仕方なく家へ戻り、家の風呂を使った。

    近所のホテルの儲け仕事のために、どうして、わたしが必要のない水道代をかけなければならないのか?

    本当に間尺に合わない話だ。

    他人にこんな迷惑をかけながら「老舗ホテルでございます」なんて、大きな顔をして欲しくない。

    だから、旅館やホテルは地元住民から尊敬されないんだ!!  続きを読む


老人は本当の色が判らない・・・・・727

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老人は本当の色が判らない



    年を取ると、本当の色が判らなくなるそうです。

    くすんだ赤も真っ赤に見えるのだとか。

    2005年に駐イタリア大使館によって建て替えられたイタリア文化会館の外壁を見た読売新聞本社の渡邊恒雄会長は、この景観を「極めてグロテスクな建物」と呼び、色を変えてもらいたいとイタリア副首相に直訴したのだそうです。

    しかし、この外壁、他の人に言わせれば、「とてもシックなワインカラーとベージュのツートンカラーで、特別グロテスクでもなんでもない」との感想でした。

    では、どうして渡邊会長は、その外壁を「グロテスク」などと表現したのでしょうか?

    それは、既に高齢の渡邊会長の目に原因があったのだそうです。高齢者の眼球は、80歳も過ぎると特別自覚症状はなくても、ほとんど白内障のために水晶体が濁り、網膜が刺激を感じやすくなるため、明るい色が苦手になるのだそうです。

    それで、高齢者は、次第に黒っぽい色の服を好んで着るようにもなるのです。

    加齢とともに色を感じる能力が衰えてきていることで、くすんだ赤でさえ、渡邊会長の目にはグロテスクな赤に見えてしまった訳でした。

    因みに、直訴されたイタリア副首相は、この外壁について「とても美しいという感想を持った」と、返答。「政府としての文化・芸術にかかわる原理・原則を、圧力で曲げる訳にはいかない」と、話したそうです。

    わたしの母も、最近時計の針が文字盤と重なりよく見えないということがあります。

    そこで、文字盤の色と、針の色を大きく変えた時計にしたところ、判りやすいと言うことでした。

    高齢になると、似たような色の判別が付きにくくなり、ちょっとした段差でもつまづいたりするのです。

    つまり、高齢者に優しい街は、白黒はっきりした街ということになりますが、それでは微妙な色遣いで癒される若者たちには味気ないものとなってしまいます。

    この辺りの色遣いの兼ね合いが、また難しい問題で、「美しさを取るか」「便利さを取るか」も、これからの街づくりの課題なのかもしれませんね。  続きを読む


パステルカラーの力・・・・・725

~ 今 日 の 雑 感 ~


パステルカラーの力






    同じ青やピンクでも、パステルカラーの青やピンクは、何処か柔らかで清々しいイメージがありますよね。

    かつて、刑事物に新風を吹き込んだアメリカのテレビドラマ「マイアミ・バイス」は、画面全体がパステルカラーで統一されていました。

    このメインカラーの選択により、明るくはじけるようなマイアミのイメージと凄惨な刑事ドラマという設定が、視聴者にも違和感なく受け入れられた訳です。

    色の温度を少し削り落したパステルカラーは、原色のようなうっとうしさを感じることなく、それでいて元気になれる色なのです。

    ですから、最近は、病院の建物の外壁や内壁などにも、このパステルカラーを使うことが多くなりました。

    特に、ピンクのような心身に活性化をもたらす効果のあるパステルカラーと、清潔感や信頼感のある白を組み合わせた外壁を病院に使用したところ、患者の数が飛躍的に伸びたという例もあるそうです。

    そういえば、最近の看護師の制服である白衣にも、白だけではなく淡いピンクや草色、水色のパステルカラーを用いている病院がありますよね。

    これは、患者が元気な気分になれるという利点だけでなく、看護師たちも軽快に仕事に打ち込めるというメリットがあると言いますから、パステルカラーの力は、侮れません。

    もちろん、色そのものが病気を治したりする力を持っている訳ではありません。

    しかし、そういう色を身につけたり目することで、脳に刺激を与えて気力を呼び覚ますという効果はあるようです。

    そう言えば、病気の人はあまり黒い色の服を好みません。

    縁起が悪いというような理由であまり着ようとしないこともありますが、理由はそれだけではなく、病気の時は、身体に重いイメージの物を付けたくないという本能が働くのではないかと思うのです。

    黒や灰色、原色系統は本当に元気いっぱいの人は何の抵抗もなく着ることが出来ますが、病気を持っている人は、こういう色を無意識に避ける傾向があると言います。

    そういえば、わたしも身体の不調と闘っていた時は、良く赤色系統のカットソーなどを着ていましたし、パステルカラーのセーターも好きでした。

    
    それまでは、断然黒や紺が好きだったのにです。

    色には、回復力を高める働きもあるという報告もありますし、人の気持ちを暗示にかけるという作用もあるといいますから、これからは色を上手に使って心のコントロールをしてみるのも良いかもしれませんね。
    

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お寺さんへ出前の注文?・・・・・724

~ 今 日 の 雑 感 ~


お寺さんへ出前の注文?face08



    日本語は、面白いもので、誤った読みの思い込みがとかく騒動を起こす元になることも多々あるようです。




    中野市に「大門長いは~」と歌でも唄われる上杉謙信ゆかりの『常楽寺』(上杉景勝建立)というお寺がある。

    (山門から本堂までの距離がとにかく長いのです)

    今から十数年も前になろうか?この『常楽寺』の山門の近くに一軒のお蕎麦屋さんが出来た。

    そのお蕎麦屋さんが地元の新聞に出した広告には、

    「常楽寺のそば」

    と、書かれてあった。

    お蕎麦屋さんは、自分のところの住所を判り易く書くため、「そば」と書いたのだが、これを読んだ人たちがまず思い描いたのは、

    「常楽寺が精進料理を食べさせるお店を始めたらしい」

    「蕎麦も打つようだ。お寺さんの蕎麦なら、食べればきっとご利益があって長生きするんじゃないかね」

    と、いうことで、その日から『常楽寺』へ蕎麦の出前の注文が何本も入ったのだという。

    驚いたのはご住職で、当山ではそんな蕎麦を食べさせるような営業は一切行なっていないと、断わり続けたと聞いている。

    実は、わたしもこの広告を見て、「常楽寺さんがお蕎麦を始めたんだって」と、家族に話してしまったのである。

    「ほう、おっしゃん(和尚さま)が手打ちしてくれるのかな?」

    父も思わずそう納得してしまった。

    こういう言葉の解釈や思い違いは、時々起ることで、そういう思い違いを面白く描いていたマンガもあった。

    登山者が汗だくになりながら急な山道を登っていると、大きな看板が目に入る。

    「そうか、もうすぐバンガローがあるんだな。そこまで、何とか行こう」

    登山者がもう一度気力を奮い起こして歩きだすと、その看板には、「もうすぐバンガロー」と書かれていたのではなく、「もうすぐ(頂上)ガンバロー」と書かれていたのだった----という笑い話である。

    人間の心理として、自分に都合がよいように物事を解釈するという傾向がある。

    先にあげた「常楽寺のそば」の案内も、『常楽寺』『蕎麦』『ご利益』『食べたい』というキーワードが重なり合うことで、大勢の人が勘違いをした訳であり、このマンガの場合も、登山者はもうへとへとであったことから、「早く何処かで休みたい」という気持ちが強かったために、「ガンバロー」を「バンガロー」と読み間違えたのである。

    こうした思い込みの究極が「ベルリンの壁崩壊」にまでつながったのだと言われる。

    旧東ドイツ政府が出した「旅行がしやすくなる」という声明が国民には「旅行が自由化される」「西側へも行ける」「今から行こう」となってしまったのだという説もあるほどだ。

    こう考えると、歴史とは、ごく身近な小さな思い違いの積み重ねが作って来たものなのかもしれない。  続きを読む


寝起きが悪い人は〇〇を替えろ・・・・・723

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寝起きが悪い人は〇〇を替えろ



    あなたは、寝起きが良い方ですか、それとも悪い方ですか?

    しっかり眠ったはずなのに、どうしても朝しゃきっと目が覚めない。

    油断すると、またすぐ睡魔が襲って来てしまい、会社や学校に遅刻しそうになったことがたびたびあるなんてこと、ないですか?

    ところで、そういうあなたの寝室全体の色は、一口で言って何色でしょう?

    何となく黒っぽい、青っぽい-----なんてことはありませんか?

    特に、青系の色に囲まれていると、身体が弛緩状態になってしまい、活力が生まれにくいのだそうです。

    では、活力にあふれる色とは、何でしょうか?

    それは、やはり赤系統です。赤は、興奮状態を作り出す効果もあるので、目覚めにはばっちりの色なのですが、ただ、この色に囲まれていると、いつまでも神経が休まらず、眠れないということにもなり兼ねません。

    では、眠る際には安心感を、そして目覚めの時には爽快感を得られる色は、何でしょうか?

    それは、ベージュ色なのだと言われます。

    ですから、もしも、あなたの部屋の中が全体的に黒系統や青系統で統一されているのなら、カーテンの色だけでもベージュに替えてみて下さい。

    ベージュは、朝日をほどよく通す色でもありますから、カーテン越しに朝日が入り、目覚めが楽になるそうです。

    人の気持ちは色でも大きく左右されます。

    まずは、手っ取り早くカーテン辺りから替えてみることも一つの手かもしれませんよ。  続きを読む


十年間の記憶がない?・・・・・722

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十年間の記憶がない?




    記憶がないというのは、ちょっと大げさかもしれませんが、わたしには、手術前、過去十年ほどのこれといった「思い出」がないのです。

    記憶としてあることといえば、とにかく「痛い」「気持ちが悪い」「苦しい」「辛い」「明日は何とかなるかな?」といったようなことばかり。

    だから、とにかく眠ることだけが唯一の現実からの逃避だった訳です。

    明るい時間が大嫌いで、人々が活発に動き始める時間帯を出来るだけ見ないようにしていました。

    だって、自分ではその時間に起きていても何一つ出来ないのですから。

    それで、夜中の2時、3時に就寝。起きるのは午後になってから。そうすれば、昼間の生活が人の半分で済みますから。

    それでも、かなり全身痛がひどくなる前は、何とか痛みだけでもなくなればと、グルコサミンやコンドロイチン剤をのみ、散歩を欠かしませんでした。

    膝はギシギシと悲鳴を上げ、亀の歩みのようなスピードですが、それでも必死で歩きました。

    肩甲骨がゆがみ、肋骨が折れていることも知らずに・・・・。

    人間の治りたい、良くなりたいという気持ちは恐ろしいものがあります。

    そのうちについに歩くことも出来なくなり、夜眠ると夢の中に出て来るのは、元気に走る自分の姿です。

    「あれ?走れるじゃない」

    喜んで目を覚ませば、ベッドから起きることも出来ないような現実が突き付けられます。

    そんな毎日毎日を繰り返していたのですから、記憶や思い出の類がスッポリと抜け落ちているのも当然ですよね。

    ただ、生きて食べてトイレに行って眠る。

    これだけのために生きていた10年ですから、正直、わたしの中の気持ちの感覚は、何の憂いもなく元気だった頃の30代後半でスパッと途切れている訳です。

    時々、自分の本当の年齢を勘違いするほどです。

    ドラマなどで観かける、植物人間だった人が数十年ぶりに正気に戻り、自分は60歳にもなっているのに、まだ10代の少年だと勘違いするというようなストーリーがありますよね。

    あれに似通った感覚があるのです。

    だから、最近気が付いたのです。

    わたしの近頃の年下好みはこれが原因だと・・・・。(笑)

    そのせいで気持ちが常に若くいられるのも、ちょっと得かもしれません。

    そして、まったく棒に振ってしまった失われた10年ですが、もしもまた30代後半に戻れるならば、その10年を取り戻してみたいような気もするのです。

    人生の巻き戻しが出来るなら-----。

    そんな風に、ふと考えることもあるのです。  続きを読む


調子に乗るなよ!・・・・・721

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調子に乗るなよ!




    世の中には、絶対に「ごめんなさい」を言わない人っていますよね。

    圧倒的に自分の方が相手に迷惑をかけているのに謝罪しない。

    それどころか、自分の意にそわない相手の方が悪いという態度で、むしろ相手に謝らせようとする。

    こういう人、最近、本当に増えて来ました。

    『日本は謝罪の文化』といわれ、「ごめんなさい」が素直に言えることが美徳のはずだったのですが、これは、今の大人たちの我がままや自己中心的意識によって、尽く崩されて来てしまっています。

    これでは、いくら子供に「自分のしたことが間違っている時は、素直に謝りなさい」などと口を酸っぱくしても効果がないはずです。

    親であるあなたが、他人に対して我を張り、頭を下げないところを、子供はちゃんと見ているのですから、それをお手本にしても仕方がないことなのです。

    特に、最近の傾向としては、自分のやりたい放題のことを相手の都合も考えずに要求し、相手がその要求を突っぱねた途端にブチ切れ、相手に謝罪を迫るという、正に『あたり屋』のような人間が増殖しているのです。

    想像力の欠如がもたらす現象なのか?それとも、自我の欲求を我慢できないのか?相手の生活や状態、スケジュールなどお構いなしに自分のアイデアに酔い、「なあ、そうしようよ」と、勝手に話を運んでしまう。

    「いや、その日はちょっと都合がわるい。来週なら話に乗るが・・・・」

    そんな断わり方をされた途端、「なんで、おれの思う通りに行かないんだ!せっかく、こんな良いチャンスがあるというのに、断わる奴がバカだ!」と、逆切れするのです。

    つまり、こういう人たちは、自分のことしか眼中にない想像力の欠如した幼児並みの性格だと言えます。

    大好きなおもちゃを買って欲しいとデパートで大泣きしている幼児を見かけることがあると思いますが、幼児に母親の財布の中身など判りません。残りのお金を使えば、夕食の食材が買えなくなってしまうことになど思いが至る訳がないのです。

    これと同じことが、相手に謝罪させねば気がすまない人の脳の中でも起きているといえるのです。

    本当ならば、「悪かった。きみの都合も考えないで、すまない。それじゃァ、来週にしよう」と、詫びるのが筋なのです。

    すべては、他人が悪い。自分はいつも良いことをしているのに、それに反論する相手がどうかしているんだ。

    こんな考え方しか持てないとしたら、それは、一種の精神疾患を疑うべきなのかもしれません。

    「自分は、最近、他人に対して『ごめんなさい』を言ったことがあるだろうか?」

    そう思い返してみて下さい。

    もしも、近頃、「自分の意見に反論されると異常に腹が立つ」「相手をやりこめてやらなければ気が済まない」「自分が悪かろうが何だろうが、相手に謝罪させねば腹の虫がおさまらない」----などということが頻繁にあるようでしたら、不定愁訴の疑いがあるかもしれません。

    そういう人に一言、忠告させて頂きます。

「あんまり調子に乗るんじゃァねェぞ!!」

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愛犬家の残酷さ・・・・・720

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    我が家の近所に口を開けば飼い犬の話しかしないという「愛犬命」女性がいる。

    家族も呆れるくらいの溺愛ぶりで、何でもかんでも犬が一番。毎日の生活さえ犬が中心で回っている。

    この間、近くでお葬式があった時も、「犬にご飯をあげなきゃならないからお葬式には出られない」と、長年親交のあった故人の葬儀を欠席した。

    こういう極端に片寄った「愛犬主義」人間が、最近とみに増えているようだ。

    ご主人や子供さんへの愛情を犬に対するそれの半分でも向ければいいのにと思うほど、その溺愛ぶりは度が過ぎている。

    家族も近所の住人も呆れを通り越して「変わり者」扱いなのだが、本人はまったく気が付かない。

    特に周囲が迷惑がっているのは、犬が話題になった時の話し方である。

    その飼い犬を「犬」などと呼ぼうものなら女性の顔色が一気に変わるのだ。

    「ワンコだってちゃんと感情もあるんだから、名前で呼んでよ」

    そういうので、名前を呼び捨てにすると、今度は、

    「ちゃん付けで呼んでくれないと、ワンコが可哀そう」

    いい大人が犬のことをワンコというのも虫唾が走るが、いったいいつからこんなバカげた呼び方で犬猫を呼ばねばならなくなったのだろうか?

    わたしの甥っ子が三歳の時、「ほら、あそこにワンワンがいるよ」と、教えたわたしに向かって、「おばちゃん、あれは犬だよ。ワンワンなんておかしいよ」と、言ったほどである。

    子供だって、大人がワンコなどという呼び方をすれば、変に感じるのだ。

    わたしは、このブログでも再三再四書いているが、犬も猫も大好きである。

    しかし、それは、人間と同じとかそれ以上とかの対象ではない。あくまでも、人間を精神的肉体的にサポートするべき生き物としての重要性を認めているといういことなのだ。

    だから、法律でも犬や猫は「物」と同じ扱いであり、もしも、誤って自動車ではねたところで、「器物損壊」にしかあたらないのだ。

    しかし、そういうとんでもない犬大好き人間を自認している人たちほど、実は犬に対して残酷なことをしていることに気付いていないのだ。

    昔から、狩猟犬や番犬として人間を助けて来た犬を単なる愛玩動物に貶めたのは、他ならぬそうした人間たちなのである。

    自分たちの愛玩用としてより見栄えが良いようにするため、「品種改良」「小型化」「断耳」「断尾」などをしてまで犬の格好を決めて来たのである。近年は、これは、犬にとっての虐待に値するのでこうした行為をしてはならないと定めた国も出てきた。

    わたしが愛犬家に言いたいのは、もしも、あなたが犬で、手が長すぎる足が長すぎると言って、勝手に切られたらどう思うかということである。耳の格好が悪いと言って、耳をそがれても文句は言えないのだ。

    わたしは、そういう極端な愛犬家に聞いてみたいことがある。

    もしも、あなたの目の前の川でまったく見知らぬ他人の子供とあなたの飼い犬が同時におぼれていたら、いったいどちらを先に助けるのかということである。

    わたしは、以前海でおぼれかけた弟をただ一人で助けに行って自分も死にかけたことがある。絶対に、一度に二人は救えるものではない。

    犬は本能的に泳げるということは抜きにしてと考えた時、よもやそれでも「愛犬の方を先に助ける」などとは言えないはずである。

    もしも、犬の方を先に助けるなどと答える者がいたとしたら、そんな人間こそ「生命の本質」を判っていないのだから、なおのこと犬など飼って欲しくはないと思うのである。

    もう一度言っておく。

    犬は、あくまでも人間を助けるための生き物で、人間と同等ではないのである。

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観光立県を目指すなら・・・・・719

~ 今 日 の 雑 感 ~


観光立県を目指すなら




    観光業にかかわる人たちは、県に期待するとか市町村の努力が大事だと言いますが、そんな生易しい大局的な他人事では観光客は集まらないと思うのです。

    ホテルや旅館の関係者たちは、自分たちはそれなりに頑張っていると言いますが、やっていることはすべて「自分だけが良ければいい」の典型です。

    〇〇温泉が潤えば、他の近隣がどうなろうと知ったことではない。

    もっと言えば、自分の旅館が良ければ、隣のホテルが傾いても関係ない。

    そんな気持ちの人ばかりの集まりでは、観光地に未来などありません。

    観光関係者の人たちは、しょっちゅう自分の旅館やホテルへ泊るお得意さま回りのためなどに上京したり他県へ行ったりするそうですが、個人のお得意さま回りだけではなく、出来ればその足で多くの未だ開拓していない企業や団体などを積極的に回り、長野県や自治体をアピールして頂きたいのです。

    それも一時限りではなく、定期的に。

    アピールも、自分の旅館やホテルなどや〇〇温泉などという狭い範囲に限定せず、自治体全体についての宣伝活動をやって頂きたいのです。

    そして、東京駅や大阪、名古屋駅、時には海外へも出かけて、歌を歌い踊りでも踊って観光地を印象付けて下さい。

    旅館やホテルの女将さんたちは、もちろん全員が日舞の名取りの免許ぐらいは持っているのでしょうから。

    まじめに活性化を考えているなら、そのぐらい出来ますよね。

    口先だけの決意ではないところを見せて下さい。

    これは、三、四十年前の話ですが、かつては自治体の首長自らが団体客を呼び込むために企業や団体と交渉しましたし、観光業者たちも何処のホテルとか旅館とか関係なく、バスをしたてて東京や名古屋へ直に客を勧誘に行きました。

    そして、帰りには間違いなく何百人という観光客を連れて戻ってきたものです。

    ピーアールの仕方が下手とか言っている場合ではないのです。

    人間は、自分の目で見て耳で聞いたことには興味を駆り立てられるものなのです。わたしのような素人の人間からすると、観光業者の方たちは結局バカになりきれていないのだと思うのです。

    老舗観光地のプライドが邪魔をして、格好つけてばかりいるからリピーターに頼るような商売しか出来ないのです。そうしたリピーター客の平均年齢が何歳か知っていますか?

    60歳以上ですよ。

    あと十年来てくれるでしょうか?

    宮崎県の東国原知事を見れば判りますが、率先して自らテレビ出演し、全国に宮崎県を売りまくりました。

    今回の口蹄疫問題が勃発するまでは、繰り返し繰り返し安全、安心を視聴者に徹底して印象付けたのです。

    長野県の商売は、この繰り返しが足りないのではないでしょうか?

    観光業に携わる人たちにお願いします。口先ばかりのディスティネーションなど唱える暇があったら、大都市圏へ出向いて実際に観光客を連れて来て下さい。

    もう、自分たちだけが良ければいいという時代ではないのですから!!  続きを読む