バラの夢、桜の夢・・・・・498

~ 今 日 の 雑 感 ~


バラの夢、桜の夢



    夢の中に花が出てくることってありませんか?

    わたしは、時々あるんですよね。

    いつかなどは、大きな白いユリの花がお寺の梵鐘になって現われました。

    もしも、夢の中に「バラの花」が出てきたら、それはどのような意味があるのでしょうか?

    バラは、美しさ、若さ、情熱、愛-----を表します。また、女性を表す場合もあるのです。

    バラの花を摘んだり手折る夢は、幸せが訪れる前触れです。特に、赤いバラを摘む夢は、恋愛運の上昇を意味しています。

    また、誰かからバラの花を贈られる夢は、成功の暗示。この贈り主が男性の場合は、誰かから恋のアプローチを受ける可能性があります。

    あなたが誰かにバラの花をあげる夢は、愛情面が充実している証拠です。あなたのことをとても愛している人が存在している可能性があるそうです。

    白いバラの夢は、あなたに気品が備わる兆しです。またそうなることで幸運がつかめる暗示でもあるそうです。

    しかし、バラの花が散る夢は、恋の終わり。自分の言動に気を付けて、ということのようです。そして、黄色いバラは嫉妬を表します。誰かが黄色いバラを持っていたら、あなたに嫉妬する人物がいるということで、あなた自身が持っていたら、あなたの中にライバル視している相手がいるということの暗示だそうです。

    また、満開のばらの夢は、もっと自信を持って!ということを意味しています。

    

    では、「桜」の夢はどうでしょうか?

    桜は、はかなさ、潔さの象徴です。

    満開の桜の夢は、精神的な満足感を示しています。しかし、それがいつまでも続く訳ではないので、努力や頑張りを忘れないでという暗示です。

    恋人と桜を眺めている夢は、恋が長く続かないことを暗示しています。しかも、その桜が散り始めていたら、破局は目の前かもしれません。

    つまり、桜が散る夢は、諦めざるを得ないことがあるという証で、もしも、お花見で桜の下で楽しんでいる夢でも、愉快なことは長続きしないという意味でもあるようです。

    夢で桜を見たら、今の状況に敏感になり、現状に甘んずるなという警告と捉えた方がよいようですね。  続きを読む


本当は、あなた嫌われているんですよ・・・・・497

~ 今 日 の 雑 感 ~



本当は、あなた嫌われているんですよ



    今日は、ホテルや旅館等の観光業にかかわっている人たちには、少々耳の痛いことを書きたいと思います。




    先日、散歩の途中で、実に興味深い光景を見た。

    六十代ほどの男性のすぐそばに、如何にも高級そうな乗用車が停まり、ドライバーが窓から顔を出すとその男性に訊ねたのである。

    「すみません。ちょっと、教えて欲しいんですが、〇〇〇ホテルはどう行ったらいいんでしょうか?」

    すると、その男性が言うことには、

    「行き方は知っているけど、言わねェ。どうして俺がホテルが稼ぐ手伝いをしなきゃならねェんだ。勝手に探せや」

    ドライバーは、驚いたようないかにも心外だという怪訝な顔つきで、車を走らせて去って行った。そして、その男性は、そばにいたわたしの顔をチラッと見ると、同意を求めるように、

    「ホテルの旦那たちなんか、おれたちと会っても下目に見るだけで話もしやしない。あんな奴らのために誰が協力なんかしてやるかってんだ。-----なァ?」

    「はあ・・・・・」

    わたしは、どういう顔をして答えたらいいのか判らず、うすら笑いを浮かべるしかなかった。

    自治体は、観光客の誘致には手っ取り早く旅館やホテルなどとタイアップしてゆるキャラなどを考えればいいと、実に安易に考えている。しかし、これまでも何度も書いて来たように、ホテルや旅館ほど正直住民たちに嫌われている存在はないのだ。

    下馬評では当選確実と思われていた旅館の女将たちが押していた県会議員候補が、一般の家庭の主婦たちのやっかみや恨みで落選するということなど平気で起きる。

    どうして、これほどまでに旅館やホテル関係者はうとまれているのかと言えば、結局、彼らの日ごろからの周囲の住民に対する「殿様」意識がそうさせているのである。

    しかし、どんなに大きなホテルや旅館でも、実際の内情は火の車であることはあまり知られてはいない。傍からは経営者が贅沢三昧に暮らしているようにみえるものの、皆、気の遠くなるような借金をかかえて青息吐息の営業をしているものなのである。

    ただ、営業を続ける限り、金融機関もこれまで貸し付けた金が焦げ付くのを恐れて、館内の補修工事費やその他の支払いのためにさらに金を貸す。

    こうして、倒産するまで栄養剤の点滴を続けるものだから、実際に潰れて不良債権となり競売にかけられるまで周囲の住民たちには判らないのである。

    だから、倒産した経営者がどうなろうと、住民たちはまったくの無関心である。それが、観光地の血も涙もない現状なのだ。

    そんな旅館やホテル関係者と自治体が活性化のために手を組んだところで、誰も関心など持たないし、協力もしない。こんなことは、もう百年にもわたって続いていることで嫌というほど判りきっているはずなのに、何故、未だにこんなところにしか目を付けられないのかが判らない。

    発想の貧困さには、あきれ返るばかりである。

    自分のホテルだけが儲かればいい。ホテルや旅館だけが潤えばいい。そんな考え方を変えなければ、観光地に未来などないのである。

    今こそ、どうしたら、観光業者と一般地域住民とが協力して自治体起こしに取り組めるかを、性根を据えて考えなくてはならないのではなかろうか?

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噂が怪物を創る・・・・・496

~ 今 日 の 雑 感 ~


噂が怪物を創る



    ある実験で、Aさんが自分の欠点ばかりを話します。その告白を聞いた五人の人が、今度はAさんの告白を他の十人に話します。

    そして、今度はその十人がまた別の十人に、先ほど聞いた話を伝えます。

    すると、Aさんは、「自分は足が遅い」と、言っただけにもかかわらず、最後に情報を得た人たちは、「Aさんは、クラスでいつもビリだった」「リレーの時もいつもチームの足を引っ張った」などと、一言も話したことがない部分までが尾ヒレとしてくっついて、誇張されていたというのです。

    こういうことは、日常生活でもよく起こります。

    人間は、特に顔を合わさない人の情報については、とかくイメージで欠損部分を補おうとするのです。こう話した方が判りやすいだろうとか、自分の中で納得しやすいと思う方向へ、意識を誘導しやすいものなのです。

    ルーマニアの吸血鬼ドラキュラ伝説も、そうした類のものだと言えますね。

    串刺し公と呼ばれた15世紀ルーマニアのワラキアの領主ヴラド三世が、吸血鬼ドラキュラのモデルとされていますが、実際の公は、ルーマニア独立のために戦った英雄だということです。

    しかし、その戦いぶりがあまりにすさまじかったことから、その後の小説で「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとされ、彼の悪名だけが独り歩きしたということです。

    まあ、日本で言えば、織田信長が吸血鬼として描かれたようなものですね。

    そして、こうした噂が信じられて行く過程には、特別に噂を信じやすい人々の存在が不可欠です。

    心理学者アドルノたちの研究報告によれば、ナチスドイツでユダヤ人に偏見を抱きやすかった人たちは、ユダヤ人がまるで悪魔の使いのように思い込んだというのです。

    このユダヤ人に特別嫌悪感や恐怖感を抱いた人々には、ある共通点があったといいます。

    それは、因習や序列を重んじ、権威に対して服従的で、権力のある人と自分を同一化しやすく、固定観念の強い人。そして主体性がなく、他人の意見に流されやすい、同調性の強い人たちだったのだそうです。

    こういう人たちは、ささいなことでも恐怖心や猜疑心を抱きやすく、必要以上に悪いイメージを相手に持ちやすい性格をしているのだということです。

    顔が見えない相手には、どうしても人間は警戒心を懐くものです。

    噂の相手が、実際に顔を合わせてみれば、ごく気のいい普通の人間にもかかわらず、顔が見えないと言うだけで、敵対心を膨らませる人たちがユダヤ人の大量虐殺に加担したのです。

    そう考えると、噂とは、とかく怪物を創りたがるものなのかもしれません。

    身体はぐにゃぐにゃで柔らかく、やたらに声が大きい。鳴き出すと止まらない自分勝手な奴で、頭は毛がほとんど生えておらず言葉さえ話さない化け物。

    こう聞くと、何だかひどく不気味な物のように思えますが、この説明が示す怪物の正体は、なんだと思いますか?




    答えは、赤ちゃんです。face02

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誘導される記憶・・・・・495

~ 今 日 の 雑 感 ~


誘導される記憶



    「チーム・バチスタ 2」----『ジェネラル・ルージュの凱旋』

    やっぱり、速水役の西島秀俊は、合わないなァ~~~。「笑気ガスを麻酔に使ったのか?だから、ビタミンど~たらこ~たらが、体内からなくなり、神経を侵したんだ」って、あんたの口から言われてもねェ、って感じ。(ーー;)

    それに、あの女医役の加藤あいもなんかムカつく。(ーー゛)

    まあ、台詞なんだけれど、「あたしたちの給料なんて、時給で換算すれば高校生のバイト代ぐらいなもんよ」って、文句いうなら、医者やめれば?----なんて、ちゃちゃ入れたくなる。

    それより、女優がみんな痩せすぎで、あんたたちの方が病気じゃないの?

    内容は面白いのに、キャスティングがかなり痛い。もったいないなァ~~。(>_<)




    と、前置きはこれぐらいにして、本題に入ります。

    人間の記憶というものは、他人からの誘導によって相当に変わってしまうことがあるようです。

    ある実験によると、一人の女性がわざとバッグを忘れ、そのバッグの中からもう一人の別の女性が何かを盗み出す仕草をしてそこから立ち去ります。

    周りには何人もの通りすがりの人たちがいて、その人たちのもとへ、刑事に扮した実験の関係者が聴き込みにやって来ました。

    そして、その一般の人たちにこう訊ねたのです。

    「このバッグの持ち主が中にあったラジカセを盗まれたと言っているのですが、あなた方は、その現場を見ていましたよね?そのラジカセは、どんなものだったんですか?」

    もちろん、盗んだように見せかけた女性は、ラジカセなど盗っては行きませんでした。もともとバッグの中には何も入っていなかったので、盗みようがないのです。

    しかし、その場にいた人たちは、「そう言えば、盗ったところ見たわ」「確かに、ラジカセを盗んだよ」「色も覚えている。確か〇色だったよね」「そうそう、アンテナもついていた」などと、まるで本当に見ていたかのように証言し始めたのだといいます。

    これは、何も、彼らが嘘を言っている訳ではなく、本当に見たような気がしていたのだというのです。

    また、こんな実験もありました。

    あるグループのメンバーたちに、このメンバーの中にグル―プを抜けたいと思っている人がいると、伝えたのです。

    もちろん、そんなことを思っているメンバーは一人もいません。しかし、そう言われた彼らは、全員が「あいつがそう思っているに違いない」と、各々心当たりのメンバーの名前をあげたのだといいます。

    つまり、人の気持ちや記憶は、言葉の誘導によってどうとでも操作することが出来るという訳です。

    よくドラマなどで刑事が無実の人間に、「こうやって、家の中にしのび込んだんだろ?そして、まず居間へ入ってそこにあった手提げ金庫を開けて、金を盗み-----」などと、如何にもその人物がやったかのように情景を話して聞かせるシーンがありますが、取り調べを受けている人物は、自分はやっていないにも関わらず、「そうです。そこで金庫の金を盗みました」と、供述してしまう訳です。

    これは、何もドラマの演出に限ったことではなく、実際の取り調べにおいても何度も同じことを取調官に繰り返し説明されると、人は、そういう気持ちになってしまうといいます。それが、冤罪にもつながるようです。

    記憶とは、かくもあいまいな物でもあるのです。face08

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山ノ内町のゆるキャラって?・・・・・494

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山ノ内町のゆるキャラって?


    
    今日、家の近くで、今年初めて鶯が鳴いています。これで、ようやく、春が来てくれるのでしょうか?

    鶯も、もうこれ以上鳴き待てないといったところなのかもしれませんね。face02


    で、またもピンポイント記事で、すみません。(^_^;)



    
    この間、たまたま山ノ内町の通称楓(かえで)通りを歩いていたら、梅翁寺というお寺の近くで不思議な一団を見た。

    十人ほどの若者や中年の男性たちが街の中をあれこれ見渡しながら、写真を取るなどして歩きまわっているのである。

    何かのツアー客かと思っていたが、彼らの正体が翌日の新聞に掲載されていた。

    彼らは、長野美術専門学校の学生たちだったのだ。

    山ノ内町商工会や観光連盟では、このほど、「町応援キャラクター開発運営委員会」なる物を立ち上げ、長野美術専門学校の学生たちを招き、町のキャラクター作りの参考にしてもらうための探策会を催していたということなのであった。

    今年の秋から始まる「ディスティネーション・キャンペーン」の一環なのだろうか?

    (『ディスティネーション・キャンペーン』などと、どうして横文字を使わなくてはならないのかもイマイチ理解に苦しむし、この英語だが、正直意味がよく判らない。おもてなしと目的地がどう絡むのか?むか~しあった、『ディスカバー・ジャパン』の真似なのか?)

    たとえば、「もてなしの街・やまのうち」では、どうしていけないのだろう?

    町のキャラクターとは、おそらく、最近はやりの「ゆるキャラ」を創ろうとでもいうことなのだろうが、どうして、今更そんな各自治体の二番煎じ三番煎じをしなければならないのかが、わたしには不思議でならない。

    そんな予算をいったい何処から引っ張って来たのか?

    どうして、キャラクター制作を、長野市の学生たちに頼まなければならないのか?

    山ノ内町に限らず自治体や団体の、特に男性陣のやることは、いつも何処か視点がずれているように思えてならない。町のイメージアップが、キャラクターなどで出来ると本気で思っているのだろうか?

    (まあ、女性たちも、特定の団体に属してしまうと、その固定観念から脱却できないのだが・・・・)
 
    キャラクターなどは、町がにぎわっている時に自然発生するもので、無理やり創って成功するなどとは到底考えられないことなのだ。まあ、だいたいが自治体や団体職員の自己満足に終わるだけである。

    (まさか、志賀高原のオコジョや特産のリンゴをモデルになんて、陳腐なことを考える訳じゃァないだろうな?)

    町には、町の長年培って来た文化や言葉、因習などが複雑怪奇に絡み合っているもので、よそから入って来た人たちの意見が、即座に町の住民たちに受け入れられるなど至難の業であることは、嫌というほど判りきっているはずなのである。

    しかしながら、商工会や観光連盟の役員たちなどは、手っ取り早く外部委託してしまえばあとは誰かが何とかしてくれるなどと、どうせ甘い考えでいるに相違ないのである。

    わたしの父などは、この記事を読んだ途端、

    「無駄なことを!」

    と、一刀両断だった。

    それよりも、活性化策の最も大事なことは、「如何にして人々を、その場所へ来なければ死んでしまうかもしれないと、思わせるほどに惹き付けるか?」と、いうことであろう。

    こんな単純なことが判らないとは、まったく呆れるばかりだ。

    根本から発想を転換させなければ、まったく意味はない。

    「ゆるキャラ」など、今更考えている場合ではないのだ!icon09

    
    

    


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新しい靴を買いました・・・・・493

~ 今 日 の 雑 感 ~


新しい靴を買いましたicon22



    三年前まで、わたしにとって靴は大好きなファッションアイテムの一つでした。

    これでも、脚の格好には少々自信がありまして、友達からも「足だけは美人だよね」と、言われたものでした。(笑)

    特にミニスカートが大好きで、若い頃は、ジーパンかミニスカートがファッションの定番で、それに似合う靴を買うのが大好きだったのです。

    お気に入りの靴が履ければ、もういつも気分はバラ色で、家の中はわたしの靴でいっぱいです。しかし、そんな贅沢が祟ったのか、病気になった途端、弊害は皮肉にも真っ先に脚に表われたのでした。

    両方の脚が水膨れになり、浮腫みは爪が見えなくなるほどにひどく、病院へ見舞いに来た従姉は、ショックで絶句してしまったほどでした。

    そんな訳で、今まで履いていた靴はまったく履けません。パンプスなんて、つま先さえ入らないのです。

    唯一のおしゃれが出来なくなったために、正直かなり落胆しました。

    そして、女性にとって、靴のおしゃれがどれほど気持ちに張りを持たせるものかということにも改めて気付かされたのです。わたしの場合、きれいな洋服を着るよりも、髪のスタイルを整えるよりも、気分転換には靴の存在は大きいのです。

    それでも、そのひどい浮腫みは、徐々に少なくなって行きました。

    なんとか、スリッパからサンダル、そしてスニーカーが履けるようになり、去年の秋ごろからは、サイズを少し大きめにすれば、普通のカジュアル・シューズも履けるようになりました。

    そして、つい先日、とうとう三年ぶりに靴を一足買いました。

    とてもおしゃれ用とはいきませんが、それでも、わたしにとってはなかなか気に入ったシンプルなデザインのカジュアル・シューズです。かかとの部分がウッド使用になっているのが目に留まりました。

    これまで買いためた靴は、サイズが小さくまだ浮腫みのあるわたしの足には入りません。

    でも、やはり春は、新しい靴が欲しくなるものです。

    この新しい靴を履いて、何処かへ気軽に出かけられる日が来ると嬉しいですね。icon06 



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言葉は人を変える・・・・・492

~ 今 日 の 雑 感 ~


言葉は人を変える



    よく『言霊(ことだま)』などという言い方をしますが、言葉には、人の心を動かす力があると言われていますよね。

    わたしは、あまり、この『言霊』という言葉が好きではありませんが、どうやら、そういうことは事実あるようです。

    「もう、嫌だ」「あ~~、面倒」「かったるい」「うんざりする」「凹むわ」「絶対、無理」「疲れる」

    いつも、こんな言葉ばかり話している人、よくいますよね。

    こういう人は、自分の気持ちを暗くするばかりでなく、周囲の人の気持ちにも悪い影響を及ぼすのだそうです。

    人の中には、必ず相手の言葉に皮肉で応酬しなければ気が済まないという人もいます。

    こんなエピソードがあります。

    小学生の男の子が、大好きな野球選手の使ったグローブをプレゼントされました。男の子は大喜びでグローブを手にはめてみたのですが、その子の祖父が、これを見て、「おい、その選手、病気持ちじゃないだろうな?あとで手を洗っておけよ」と、いきなり、その喜びに水を差すようなことを言ったのです。

    祖父にしてみれば、自分はいつも家の中で面白くない思いをしているのに、有頂天になっている孫が癪にさわって仕方がなかったようで、この一言で、一瞬にして、家庭の空気は白けたものになってしまったそうです。

    こういう祖父のような人のいる家庭は、いつも暗くどんよりとした陰湿なイメージが満ちていて、家族の気持もささくれ立ったものになってしまうのだそうです。

    ですから、こうした『負』の言葉を口に出すことが多い人の周りには、トラブルが絶えないのだといいます。

    しかし、「やれば出来るよ」「きっと大丈夫」「自分にだって才能はある」「やらずに後悔するよりも、やって後悔する方がいい」と、こんな風に前向きな言葉を話す人の周りは、その人同様に、積極的で明るい雰囲気になるのだといいます。

    また、これまではマイナスのイメージの言葉ばかりを話していた人が、プラスのイメージの言葉を積極的に使うことにより、実際に性格までもが活発になったという話もあるほどです。

    言葉には、人の性格を変える力があるようです。

    気持ちが落ち込んだ時は、あえて、自分を肯定するような言葉を口に出してみるのも手なのかもしれませんね。 icon22


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偉大なるマンネリズム・・・・・491

~ 今 日 の 雑 感 ~


偉大なるマンネリズム



    マンネリズムという言葉で真っ先に思い出すのは、わたしの場合テレビドラマの時代劇「水戸黄門」です。

    この番組は、いったいいつまで続くのかと思うほど、俳優を入れ替えながらも延々と放送し続けられていますよね。

    若い視聴者にとってみれば、毎度毎度のストーリーに変わりばえもなく、役者の台詞までが何十年経っても同じという、世界にも類を見ない不思議なドラマでもあります。

    ドラマの中でも彼らはまったく年を取らず、いつまでも諸国を漫遊し続けます。

    正に、「偉大なるマンネリズム」の栄冠にふさわしい物語といえるでしょう。

    しかし、この「水戸黄門」シリーズも一度だけ、このマンネリから脱却をはかったことがありました。それは、石坂浩二氏が主演したシリーズでした。石坂氏は、歴史に出来るだけ則した形での水戸黄門像を目指し、大名はひげを生やさないというセオリーから水戸光圀のトレードマークでもあるあごひげをなくし、助さん、格さんも史実に基づいて武士ではなく学者としました。

    さらに、十六歳で江戸の遊郭へ通っていたという光圀らしく、住まいは側室宅。諸国漫遊も、水戸から少し離れた地域までと限定しました。

    ところが、この「水戸黄門」が放送されるや、視聴者からまず飛び出した反応は、「俳優が一新して、誰が誰やら判らない」「風車の弥七は、いつ出てくるのか?」「格さんと助さんが逆ではないか?」というような、戸惑いの声だったそうです。

    わたしも、これを観ていて、確かにこれは視聴者が勘違いするのも仕方がないなァと、思いました。

    如何に史実に近いストーリー構成だといっても、これまでこのシリーズを見続けて来たファンの目には、まったく異質のドラマとしか映らなかったのです。

    しかも、このドラマを常に視聴していたファン層は、明らかに年配者であり、石坂浩二氏が若い視聴者の獲得を意識して新しい水戸黄門像を模索したことも裏目に出てしまったのでした。

    新しいファンの獲得も難しく、ストーリーが判らないという年配者のファンも逃がしては、元も子もありません。途中から光圀のあごひげは復活しましたが、やはり、一度離れたファンは簡単には戻らず、このシリーズは早々に幕を閉じてしまったのです。

    しかし、どうしてこれほど高齢者ファンは、石坂「水戸黄門」にあからさまな拒否反応を示したのでしょうか?

    ある実験では、石坂黄門以外の「水戸黄門」と、普通の恋愛ドラマを観てもらい高齢者たちの脳の血流を調べたところ、明らかに「水戸黄門」の方が脳が活性化しているという結果が出たそうです。

    それも、いつもの決まりきった由美かおるの入浴シーンとか、風車の弥七の登場シーンとかが出てくると、その脳の活性化は一段と高くなり、最後の印籠を出す場面では、それがピークに達したというのです。

    つまり、高齢者たちは、「水戸黄門」に興奮し、感動し、脳細胞を若返らせていたのです。

    しかも、ストーリー展開が判りやすく、ある程度次の場面も予測が出来、人情あり笑いあり、また立ち回りなどの適度な刺激もありながら、安心して観ることが出来る「水戸黄門」は、認知症の予防効果さえあったといってもいいのです。

    そういう意味からすると、石坂黄門は、高齢者にとっては「水戸黄門」でさえなかったということなのです。

    高齢になればなるほど、新しい物を面倒くさがったり拒絶したりすることが多くなります。

    何の心配もない毎日を、たとえそれが退屈であろうと、変えたいとは思わなくなるのです。

    「偉大なるマンネリズム」こそが、高齢者にとって長生きの秘訣なのかもしれません。face02

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ブログなう・・・・・489

~ 今 日 の 雑 感 ~


  
ブログなう


    またまた、みぞれです。もう、四月半ばだぞ~~~~!!!icon04

    地震は起きるし、火山は噴火するし、今年の稲の苗も育ちが悪いそうで、もしかして、またコメ不足?



    今や、ツイッターは日本全国で350万人以上の人たちが利用しているのだそうです。

    350万人が毎日のように、140文字以内という短い文書で「つぶやき」を繰り返しているのです。

    そのツイッターの書き方にも流行語が生まれていて、「なう」というのが、その主流だそうです。

    「なう」は、英語の「now 」から来ている造語だそうで、「今~~をしている」と、言う時に使うのだそうです。

    たとえば、「ハンバーグなう」と書けば、「今ハンバーグを食べているところ」ということになり、「コンビニなう」と呟けば、「今、コンビニで買い物中」と、いうことになるようです。

    こういうことを見ても、言葉はどんどん短縮されて行きます。

    昔は、「美男子」とか「ハンサム」とかいう言葉で美しい顔の男性を表現していましたが、そこに、「イケメン」が登場しました。「イケメン」は、「美男子」や「ハンサム」ほど美しくなくても、それなりに味がある顔で好感が持てれば、ほとんどが「イケメン」と表現していい訳です。

    つまり、「イケメン」の定義は実にゆるやかで、中には、どうしてこの人が----?と、首を傾げたくなるような顔の男性までもが、最近では「イケメン」の部類に属するようになりました。

    ツイッターのような短い文章の中で自分が言いたいことを目いっぱい詰め込もうとすると、どうしてもこうした短縮言葉を多用することになります。

    最近は、長妻厚生労働大臣も国会答弁で、「これからは、イケメンならぬ『カジメン』を流行らせたい」と、発言しました。

    「カジメン」とは、「家事を手伝う格好のいい男」と、いう意味だそうです。


    民主党の閣僚たちは、ほとんどが四、五十代の若い人々ですから、こういう流行語には極めて敏感です。原口総務大臣などは、トーク番組で、「ぼく大臣だもん」と、笑っていました。

    アメリカのオバマ大統領でさえ、携帯電話でのメールを頻繁に打つので、機密事項が漏れるのではないかと、当局もかなり懸念していると報道されました。ただ、絵文字はあまり使わないそうです。(笑)

    しかし、こういう短縮言葉がどんどん社会にあふれて行くと、日本語が本来持つ繊細さや柔らかさ、大らかさなどがどんどん失われて行くような気さえするのです。

    「はらはらと散りゆく桜の花びらの下で、盛春の宴を催しています」

    こんな文章をツイッターで呟けば、おそらくはこんな具合になるのでしょうね。

    「桜の散る下で花見なう」

    でも、それだけ、自分の言葉を発信したい人がいるということなのでしょう。そして、ツイッターは、即座にその呟きに対して絡んで来てくれる人がいるのも魅力です。

    話はしたい。共通の流行語で仲間意識は持ちたい。でも、深い付き合いはしたくない。

    そういう現代社会のゆる~~~い連鎖を好む人々が、インターネット上には溢れているのです。

    で、かく言うわたしも、「ブログなう」face02  続きを読む


失敗から学ぶ人、学ばない人・・・・・488

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失敗から学ぶ人、学ばない人



    「やっぱり、そういうことになったか・・・・。最初から判っていたけれどね」

    こういうことを良く言う人がいますよね。如何にも、そうなる結果を予測していたかのように。

    確かに、事実、物事が起きる前に予測を第三者に話していて、それがたまたま的中したという場合もあるでしょう。しかし、超能力者でもない限り、そうそう未来のことを言いあてられる人などいないものです。

    にもかかわらず、テレビのワイドショーなどをを観ていると、有名なコメンテーターや評論家などが、こういう言い方をしている場面が案外多いことに気付きます。

    「やはり、犯人は彼だったんですね。あの行動を見ていれば、そうじゃないかとは思っていましたが、根拠のない憶測は公の場で話すものではないですから、あえて、黙っていたんですよ」

    こんな言い方をするコメンテーターは、かなり、自己保身の強い人間だそうです。それよりも、

    「へ~~、ぜんぜん判らなかった。あたしって、人を見る目がないのよね。そうか、あの言葉が証拠になった訳ね。もっと、人間を観察する目を養わなくちゃ」

    などと、自分が見落とした事実があったことを素直に認める人の方が、学習能力に長けているのだということです。

    つまり、いつも自分の失敗を恐れ、挑戦する気持ちにブレーキをかける人は、自分に何が足りなかったのか、何処で間違ったのかと、いう自己分析から逃げている訳で、また同じような場面に出くわすと、再び過ちを犯す確率が高いのだそうです。

    その反対に、自分の失敗を素直に認め、自分が何処で間違ったのか、何を見落としたのかなどということを、客観的に眺めることのできる人は、次こそは失敗しないようにしようという学習が備わるというのです。

    あなたは、「やっぱり、そう思ったんだよ」が、口癖ではありませんか?

    たまには、「へ~~、知らなかった。そんなこともあるんだね」と、素直に自分の無知を認めてみませんか?  続きを読む


彼女が白衣にこだわる訳・・・・・487

~ 今 日 の 雑 感 ~


彼女が白衣にこだわる訳



    今日は、寒いですね~~。

    また、山は雪景色です。いったい、いつになったら本格的な春が来るんでしょうか?

    この天候不順で、都会の野菜の値上がりが異常だそうで、キャベツ一玉、480円だということです。face08


    ところで、わたしの愚弟のお嫁さんは、かつてある病院で臨床検査技師をしていました。

    病院を退職してから少し年数が開き、またパートでもしてみたいと色々他の仕事を探そうとしたのですが、やはり、どうしても病院勤務が忘れられず、医療事務の資格まで取って、再び事務員として病院へ勤め始めたのです。

    しかし、職場内のトラブルが原因で、即行、やめてしまいました。

    せっかく就職したのになんてもったいないことを-----と、わたしなどは思いましたが、彼女に言わせれば、やはり、同じ病院勤務でも臨床検査技師と事務職では、まったく意味が違うのだと言います。

    確かに、仕事内容は全く異なりますが、働ければそれで御の字だと思うのですが、彼女にはどうしてもあるこだわりがあったのです。

    それは、「白衣」なのだそうです。どうしても「白衣」を着た仕事がしたいと、言うのです。わたしなんぞの素人には、判らないことなのですが、一度「白衣」に袖を通したことのある人間は、不思議とその魔力のような物に魅せられるというのです。

    つまり、一言で言えば、「白衣」は、権威の象徴なのだそうです。

    ある会社で精神的にストレスをかかえている社員の心のケアの一環として、上司が部下の話を聞くという場所を設けたのだそうです。

    しかし、部下は、上司がする質問を、「セクハラ」と、感じてしまい、まったく本心を話そうとはしなかったのだといいます。しかし、ある心理学者がフロイト流の方法で、わざと白衣を着てその社員たちの話を聞こうとしたところ、心理学者の前に用意した長椅子に社員は平気で横になり、家族のことや恋人の話など、普通では決して語らないような心の問題まで赤裸々に吐露したのだそうです。

    これこそが「白衣効果」なのです。

    人間は、「白衣」を着ている人には、何を話してもいいという気持ちになってしまうものなのです。それは、「白衣」が一種の権威の象徴であると認識するために、その権威に従おうとしてしまうためなのだといいます。

    だから、彼女もその「白衣」が持つ権威を一度味わってしまったがために、どうしても、その魅力から離れられないのではないかと思うのです。

    そこで、日本蕎麦屋を経営する我が伯父が言いました。

    「そんなに『白衣』が着たけりゃ、おれのを貸してやろうか?おれだって一応調理師だからな。おれに弟子入りするなら、『白衣』を着せてやるぞ」

    そりゃァ、まあ、調理師も「白衣」は着るでしょうが、それとこれとは、権威の意味が違うのではないでしょうかね?face03

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見合い結婚と恋愛結婚・・・・・485

~ 今 日 の 雑 感 ~


見合い結婚と恋愛結婚



    最近は、お見合いで結婚するカップルというのはいるのだろうか?

    ほとんどは、恋愛結婚ではないかと思うのだが、実は、この恋愛結婚が世の中の主流になってきたことで、離婚率も高くなってきたと言われるのだそうである。

    確かに、お見合い結婚が多かった時代は、別れる夫婦は稀であった。中には、婚礼の席に来るまで相手の顔さえ知らないという夫婦もあったほどであるが、そんな夫婦でさえ別れることはなかったそうである。

    もちろん、一度結婚して別れることを、社会の常識が許さないという風潮もかつてはあった。女性が離婚して実家へ帰れば、「出戻り」「キズもの」と、蔑まれ、家から出ることすらできなかった時代もあった。

    そんな訳で、どんなに辛くてもお互いに夫婦は我慢をし合いながら、死ぬまで添い遂げたのである。

    しかしながら、見合い結婚であろうと、本当に傍もうらやむ仲のよい夫婦も大勢いる。こういう夫婦は、どうしてこのようになれるのであろうか?最初は、見ず知らずの他人同士が一つ屋根の下に暮らして、何故、これほどまでにうまく行くのかと言えば、そこには、知らない同士だからこそ長続きするというコツがあるのだそうである。

    人間は、知らない人のことはどうにかして知りたいと思うものである。しかも、ことが結婚となれば、出来るだけ自分のことは相手に好意的に見てもらいたいと思うものである。

    お互いに好意を見せるようになると、人間は心理的に決して悪い気はしないもので、もっと、この人のことが知りたいと思うようにもなって来る。すると、時間が経つごとに、相手の知らなかった面が少しずつ見えて来て、相手への気持ちも少しずつ強くなって行くのだそうだ。

    「この人には、こんなことも出来るんだ」「この人って、案外優しいところがあるのね」などと、発見を積み重ねて行くことで、次第に、恋愛感情も生まれてくるのだという。

    人は、始めは無関心を装っている者の中に、ほんのわずかでも自分への優しさが見えた時、その相手への評価を格段に高くするという傾向があるのだという。いつまでも無関心のままいられたのでは、興味も失せてしまうが、少しでも、自分への関心が相手のそぶりに見えると、やはり、悪い気はしないものなのである。

    だから、お見合い結婚は、比較的離婚率が低いといわれるのも、そんなところに原因があるのではないかと思われる。

    しかし、逆に大恋愛の末に一緒になった夫婦ほど、あっけなく離婚してしまうことも多いという。

    それは、要するに、相手のことが判りすぎるほど判ってしまったところで、結婚となるからなのである。結婚の記者会見の席で、必要以上にベタベタと嬉しそうな表情で寄り添うタレントカップルがいるが、そういう二人ほど、一年も持たないうちに別れるケースが多いのも、そんな理由からであるらしい。

    つまり、彼らは、愛の頂点を結婚式で迎えてしまうため、その後は、知れば知るほど相手の欠点ばかりが目に付き始め、「こんなはずじゃァなかった」「こんな人だとは思わなかった」などと、いうことになり、「昔は、こうだったのに」「恋人時代は良かった」と、過去ばかりを振り返る毎日になってしまうのである。

    そんな二人には、もはや、恋愛感情などはなくなっている。

    人間の心理は、少しずつ相手に好意を見せることで長続きして行くのである。大恋愛が持続するのはせいぜい四年とも言われているくらいであるから、結婚生活を飽きずに続けて行くためには、パートナーのことを少しずつ知って行くのがいいのかもしれない。

    付かず離れず、ほそ~く長く、背中合わせの会話が、案外、結婚生活を長く続けるミソなのかもしれない。(笑)  続きを読む


おまえ、いいかげんにしろよ・・・・・484

~ 今 日 の 雑 感 ~


おまえ、いいかげんにしろよ



    この前、新聞を読んでいたら、女性言葉の男性化という記事が目に付いた。

    「おまえ、いいかげんにしろよ」

    旺文社の調査によると、この言葉を見て、これを男性言葉だと考える小中高生は8割いたそうだが、では、「あなたは、こういう言葉づかいをしますか?」の問いには、「はい」と、答えた女子が28パーセントもいたそうである。

    男子は、この問いについて64パーセントが「はい」であったが、「いいえ」も26パーセントいたそうである。

    「カレーライスは、うまいね」を使う女子は30パーセントを占め、男子の20パーセントは使わないとの統計もあるそうで、女子の言葉の男性化が如実に進行していることが判る。

    また、逆に、男子の言葉の女性化もしっかりと進んでいるようである。

    かつては、「~~だわ」「~~よね」「~~かしら」などの女性言葉は、日常会話でも頻繁に女性が使っていた。特に、テレビドラマや小説などの中では、女性はこういう言葉を話すものだとばかりに、当たり前のように使われていたものである。

    殊に、男性作家が書いている小説の中の女性言葉などは、「いったい、いつの時代の言葉なの?」と、思われるほどに、隷属的な言い回しを好んで使っているものもあり、わたしなどに言わせると、「バッカじゃねェの?」と、思ってしまうことも多い。

    「堪忍して下さい」「わたくしには、判りませんの」「おやめになって!」

    読んでいると、お尻のあたりがむずがゆくなるような言葉の羅列である。

    最近では、ドラマの脚本家たちも、こういう女性特有のデフォルメされた言葉は、出来るだけ使用を控える傾向にあるという。

    要するに、だんだん現実会話に合わなくなって来ているからであり、リアリティーが失われてしまうからだという。

    昔、「君の名は」という映画のリメイク版がNHKの朝の連続ドラマ枠で放送されたことがある。

    そこで、ヒロインの氏家真知子役の女優が話す言葉が、あまりに上品すぎて今の時代に合わないということで、途中から現代風に変更されたことがあった。

    わたしも観ていて、これはいくらなんでもやり過ぎだなと思ったほど、確かに、真知子の言葉は如何にも少女趣味であった。

    話し言葉は、時代によってどんどん変化して行くものである。

    平安時代などは、「はひふへほ」を、「ふぁふぃふふぇふぉ」と、発音していたそうであるし、わたしの父の世代などは、「か」を「くゎ」と発音していたものである。たとえば、ヤカンを「やくゎん」というように。

    だから、未だにパソコンの五十音の中には、普段なら使うことのない「ゎ」という小文字が登録されているのである。

    女性の社会進出に伴って、これからは、ますます男性言葉、女性言葉の区別がなくなり、まずそこから真の男女平等は始まって行くのではないかと思われる。


    ***  写真は、映画版の「君の名は」-----岸恵子(真
          知子)と佐田啓二(春樹)

          因みに、佐田啓二氏は、俳優・中井貴一さんの
          父  続きを読む


遠い明日しか見えない僕と・・・・・483

~ 今 日 の 雑 感 ~


遠い明日しか見えない僕と



    さだまさし作詞、作曲の「まほろば」と、いう歌をご存知でしょうか?

    この歌詞の中に、こういうフレーズが出てきます。

    
「遠い明日しか見えない僕と 
 
    足元のぬかるみを気に病む君と

    結ぶ手と手の虚ろさに 
 
    黙り黙った  別れ道」


    ここにも書かれていますが、男性は、とかく遠くの夢を語りたがり、女性は、ごく身近な将来を語りたがるものなのです。

    ですから、男性は、自分を将来大物になると女性に印象付けるがために、自分の夢を語る時、こんな過ちを犯してしまうことが往々にしてあるのです。

    「ぼくは、将来、必ず今勤めている会社の社長になるよ。そして、きみのために豪邸を建てて、使用人を何人も雇うんだ。そうだな、子供は何人でも欲しいね。野球のチームが出来るくらい--」

    これを聞いた女性は、どう思うでしょうか?頼もしい男性だと思う女性は、あまりいないのではないかと思うのです。

    「将来の話なんかどうでもいいのよ。わたしは、あなたが勤めている会社が果たして来年もあるのかが心配なのよ。出世なんてほどほどでいいから、五年後ぐらいに小さな庭付きの家を建てられればいいわ。使用人なんかとんでもない。わたしも共働きすれば、月々のローンも返済できるわよね。子供は一人で充分。わたしに九人も産めっていうの?あなた、わたしを殺す気?」

    これが、女性の現実なのです。

    つまり、女性は、夫になる男性に、三十年後の社長よりも二年後の係長を望むのです。

    男性は、過去の女性のことを、とてもロマンティックに美化して思い出しますが、女性は、「あの時、あいつは、わたしにもお金を払わせたのよね。ほんと、割り勘好きの奴だったわ」と、いった具合に、ごく現実的に思い出すものなのです。

    では、女性がロマンティックな気分になる時は、どういう時かと言いますと、相手の男性がまだ具体的に自分にアプローチしていない時なのです。

    そういう時は、相手の顔やしぐさから、女性は勝手に妄想を膨らませてしまう傾向があります。しかし、いざ、その男性が生身の男として目の前に存在した瞬間、女性の関心は実に現実的な物に変貌するのです。

    ですから、男性が女性の心を摑みたいと思ったら、あまり、遠い未来の話をするのではなく、ごく近い将来の話をした方がいいと思うのです。

    「もし、ぼくが結婚したら、新婚旅行ではロマンチック街道を旅してみたいんだ」などという、話から入ってみてもいいでしょう。

    でも、普通、男性は、そんな目先の話題はど~でもいいことだと思いがちなのです。女性にとっての一大イベントでもある結婚式や披露宴でさえ、男性には煩わしいこととしか思えないものですから、「結婚式なんかやめて、その分のお金で自家用車でも買おうよ」などと言って、女性に幻滅されることも多いようです。face07

    


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みんな持っている?・・・・・482

~ 今 日 の 雑 感 ~


みんな持っている?



    では、皆さんに質問です。

    この中に、赤いものがあります。それはどれでしょうか?

    「青いリンゴ」「赤いバナナ」「黄色いミカン」「緑のスイカ」「ピンクのトマト」「黒いダイコン」

    答えは、「緑のスイカ」ですよね。





    え?違いますか?-----そうです。答えは、「赤いバナナ」です。

    わたしが最初に答えた「緑のスイカ」だと、思ってしまった人はおられますか?そういう人は、わたしが「緑のスイカ」と、言ったことに、同調してしまったわけです。

    しかし、頭の中では、最初は、「赤いバナナ」だと、思っていたはずなんですよね。でも、筆者が「緑のスイカ」と、答えたことで、そうだったのかな?と、思ってしまったわけです。

    日本人は、とかく、こういう同調性に流されることがよくあります。

    流行に乗り遅れてはいけないと思い、本当は、あまり好きではないファッションの洋服をつい買ってしまうとか、「これが今流行りなんですよ」と、勧められると、その時は必要なくても、手が出てしまうと言った具合です。

    そして、「みんな」という言葉に、とても敏感なのです。

    「みんな、やっている」「みんな、見ている」「みんな、着ている」などなど・・・・・。

    こうした「同調心理」を巧みに操っているのが、テレビなどのコマーシャルであり、セールスマンのトークなのです。

    人間は、少数派でいることに不安を覚えたり、一人だけ違う意見を言って孤立することを恐れます。

    その答えが、どれほど不自然だと思っていても、とりあえず、同じことを言っておけば間違いないと、自分自身を納得させてしまうのです。

    世間体や人の目を気にして、誰かの真似をすることで安心感を得ようとするのです。

    この人真似は、自信の裏付けにもなりますから、同調性を持つことが、正しいことだと思い込む訳です。

    しかしながら、その「みんな」という言葉に、事実、どれほどの信ぴょう性があるものでしょうか?「みんな」とは、どのくらいの人数を指すのでしょうか?

    そう考えると、よく、言葉の端々に出てくる、「みんな」という意味は、ほとんど根拠がない言葉であるということが判ります。

    「あなたのこと、みんな嫌いだよ」「みんな、持っているから、わたしも欲しい」

    こんな時の「みんな」は、たいてい、三人ぐらいの人数を頭において話しているのです。自分の周りのたった三人が持っていれば、「みんな、持っている」と、いうことになってしまうのが、人間の感覚なのです。

    ですから、「あなたのこと、みんな嫌いだよ」と、言われたとしても、それは、百人中の三人だけということだと思う方がいいかもしれません。

    つまりは、「みんな」と言われても、それは、残りの九十七人のことではないのだと、思うことも必要なのかもしれませんね。

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創造力を鍛えましょう・・・・・481

~ 今 日 の 雑 感 ~


創造力を鍛えましょう



    創造力の豊かな人は、思考力もなめらかであるという結果が出ているそうです。

    この「なめらかな思考」を養うためには、「語」「連想」「表現」「観念」の四つの因子が重要だといいます。

    このような「なめらかな思考」を持っている人は、他人によって心理操作をされにくい人だといえるようです。

    では、まず、あなたの「語」に対する「なめらかな思考」を、確かめてみましょう。

    「ランチタイム」という言葉があるとします。ここから、出来るだけ多くの動物名を連想してみて下さい。

    一匹の動物を一点として、五点以上あれば、あなたの思考はかなりなめらかだといえるそうです。

     答え  「ライオン」「チーター」「チンパンジー」「タイガー」「イノシシ」「ムクドリ」「ムササビ」「ラクダ」「イタチ」「イルカ」「タヌキ」などなど・・・・・。

    次は、「連想」に対する「なめらか思考」を確かめてみましょう。

    ここでは、「接近連想」として、「夏」という文字から、連想を膨らませて行って下さい。出来るだけスタートの言葉とはかけ離れて行く言葉が思いつくほど、思考力はなめらかだといわれるようです。

    「夏」-----「海」-----「水泳」-----「水着」-----「太陽」-----「地球温暖化」-----「環境問題」などというように、どんどん、連想を進めてみて下さい。

    そして、「表現」に関しては、まず、一つの状況を設定します。それに、次々と文章をつないで行くのです。

    「A君が会社で上司を殴った」-----「上司が気絶したので、救急車を呼んだ」-----「救急車が駆け付ける途中で、別の交通事故に出くわした」-----「事故のけが人を乗せてしまい、上司を乗せるスペースがない」-----「仕方なく、殴ったA君が自動車で上司を運ぶことに」-----「A君の運転する自動車は、渋滞にはまる」

    こんな具合に、何人かの友人とつなげて行くのも楽しいと思います。

    最後に、「観念」ですが、比喩を言葉に多く使ったり、なぞなぞをするなどしても、これは鍛えられるそうです。

    みなさんも、創造力を鍛えて、思考力の豊富な人生を歩んでみませんか?

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人間は忘れる生き物・・・・・480

~ 今 日 の 雑 感 ~


人間は忘れる生き物



    人間の脳は、自分に都合のよいことは比較的覚えているが、不快だったことや腹の立ったことは、長い間記憶に留まりにくいという性質を持っているそうである。

    一人の心理学者がある自分の記憶を基準として、それを一年後にはどう記憶しているか、二年後はどうかと、時間が経つにつれて記憶はどのように変化して行くものかを調べたことがあるそうで、すると、六年後にはその記憶は、かなりあいまいになっていたのだという。

    しかしながら、その中で嬉しいとか楽しいと思った記憶は案外容易に思い出すことが出来たのだそうだが、苦情を言われたとか、自分の書いた論文が酷評されたという記憶は、あまり詳細には思い出せなかったそうである。

    しかも、日時を追って詳細に思い出そうとすればするほど、記憶はおぼろげになったという。

    よく、戦場や事故現場などで想像を絶する体験をした人は、その時の記憶を無意識に忘れることがあるという話を聞く。

    これも、そうやって脳が自己の精神防衛を図っているのではないかと考えられるらしい。

    また、人間は、嫌な出来事や都合の悪いことには記憶がフタをしてしまうこともあるようで、思い出そうという気持ちさえ萎えさせてしまうということがあるという。

    これは、ある著書の記述の例に上がっていたことだが、既に結婚式の日取りも決まった花嫁が、ウエディングドレスの仮縫いの日を何度も間違えるということがあったそうである。

    結局、彼女の結婚は破談になったそうで、つまり、彼女はもともとその結婚には疑問を感じていたため、無意識のうちに結婚に関することを記憶の中から締め出していたということらしい。

    人間は、気乗りしないことや、都合の悪いことなどが自分の身に降りかかった時、それを忘れることで精神の均衡を保つのだと思われる。

    そう考えると、女性に認知症が多いのも頷けるのである。

    女性は、感性の動物であるから、男性よりも感受性に優れている訳で、男性が三十歳で理解するダンスのテーマを女性は十五歳で理解するというくらい精神的には早熟であるため、このくらいの年の差のあるパートナー同士の方が、ダンスには適しているとも言われる所以であろう。

    そんな女性だからこそ、人生をより厳しく辛いものとして捉えているので、高齢者になった時、男性よりも早く認知症が始まってしまうのかもしれない。

    しかし、逆に、楽しい記憶や嬉しい出来事は、長く記憶に残るのものの、これは時間を経るごとに自分に都合よく美化されて行く傾向が高いため、真実とはかなり違っていることもあるので、聞く方はその分を割り引いて拝聴する必要があると思われる。
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疲れる男・・・・・479

~ 今 日 の 雑 感 ~


疲れる男



    わたしが大学生の頃、よく話をしていた医大生がいた。

    彼は、その後内科医になったが、性格はおとなしめで、話し方も極めて控えめ。いつもニコニコしているような如何にも内科の先生の典型のような青年であった。

    その彼が、よく言っていたのは、「ちよみさんて、話し方がいつも『わたし』中心なんだね」と、いうことである。

    「わたしはこう思う」「わたしの考えはね」「わたしの友だちは-----」「わたしなら、こうする」「わたしの家族は・・・・」

    そして、いつも話す言葉が紋切り型で、結論に遊びがないということであった。

    確かに、わたしの話し方は、断定的な言い方が多い。別に、曖昧な言い方が嫌いだという訳ではないが、相手に誤解を与えるようなどっちつかずの言い方は、無責任だし失礼にあたることも多いと思い、そういう話し言葉になるのである。

    しかし、どうも彼には、そういう言い方がしっくりこなかったようである。

    そして、常に「わたし」を中心に話をするのも、他人の話題を取り上げたりするよりは、自分自身の失敗談や経験談をしゃべっていた方が、あとくされないからでもあった。

    でも、彼は、もっと彼自身のことについて質問して欲しかったようなのである。

    とはいえ、色々訊ねても、ほとんど答えようとはしないのだ。会話は、いつもこちらが一方的にしゃべりまくるばかりで、相手は、ほとんど語彙を発しない。

    これでは、会話が成り立つはずもない。

    とにかく、疲れるの一言だった。

    結局、彼は、何を話題にしてわたしと話したかったのだろうか?未だに、それが判らない。

    その青年内科医も、今では、何処かの病院の院長をしているらしい。

    彼と結婚して、日常的に会話をしている女性は、相当に辛抱強い人なんだろうなァと、感心する。そして、わたしは、もしも機会があったら彼女に訊いてみたい。

    彼との会話のネタは、いったいどういうものなのか?-----と。

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