平家の落人伝説
2012年04月13日
平家の落人伝説

信濃毎日新聞を読んでいたら、昨年大地震に襲われた栄村の復興が足踏み状態だという記事があった。
村内四つの温泉施設を運営する村振興公社の売り上げも減少が止まらず、村営さかえ俱楽部スキー場の経営もかんばしくないという。
小滝集落の住民らは、昨秋、古道を歩くツアーを企画し、地元食材の郷土食を提供して参加費収入の一部は運営にかかわった住民らで分けたそうである。
村内には高齢者を中心に県の伝統工芸品の桐下駄や、わら細工、おやきに似た長野、新潟県境の郷土食「あんぼ」の作り手もいて、こうした地域産業や観光資源を積極的に活用すれば、生活に必要な収入も得られるのではないか----との見方もあるようだが、復興元年と位置付けた今年は、これまでの発想を転換し、さらに新しい村の産業起こしが求められるということであった。
「コメはおいしいし、景色も良く、夜は星がきれい。驚くことばかり」
と、古道ツアーの参加者には高評価だそうだが、そういう場所ならば栄村に限らず全国各地にもあるだろう。
復興に結びつく観光を根付かせるためには、その土地にしかない独自性を打ち出す必要があるのではないかと思う。
栄村にしかない独自性とは何なのか?
おそらく、歴史がその答えを持っているように考える。
平家の隠れ里ともいわれる秋山郷を抱える栄村には、古くから平家の落人伝説が語り継がれていて、かつて秋山郷では、郷以外から入って来た者に対して、「未だ、源氏は栄えているか?」と、訊ねた者もいたそうである。
今年は大河ドラマで「平清盛」を放映していることも、何かの縁なのかもしれない。
栄村には、まだ発掘されていない知られざる観光資源が眠っているようにも思われるのだが、こうした歴史遺産をうまく活用する術はないものであろうか?
村のボランティアの人たちが、平家の家人に扮して村内を案内したり、村の歴史にまつわる昔話を語り聞かせるだけでも歴史好きにはたまらない観光ツアーとなるような気がするのだが・・・。
記事を読んでいて、そんな素人考えがふと頭に思い浮かんだ。

怒りのコントロール方法?
2012年04月12日
怒りのコントロール方法?

わたしの知り合いに不思議な女性がいる。
その女性は、どんなに人から嫌がらせをされても、その時はものすごく落ち込むのだが、一日も経てばまたその嫌がらせをした相手のところへ手土産を持って、いそいそとおしゃべりに出かけるのだ。
そんな彼女に友だちは呆れ返り、
「あれほど、『あんな言われようはない』って怒っていたはずなのに、どうしてまたご機嫌伺いになんか行くわけ?」
と、訊いても、彼女は一言、
「だって、あの人とおしゃべりしたいんだもの」
と、あっけらかんと答えるのだ。
このおそるべき神経の鈍さは何なのだろうと考えたところ、一つの結論に達した。
女性は、何も嫌がらせをした相手を許しているわけでも、大人の理性で悔しさを我慢しているわけでもなく、ただ単に、
相手が自分にした嫌がらせを忘れるほど、外出とおしゃべりそのものが大好きなのだ。
おしゃれをしてお出かけしたい----と、望む気持ちがあまりに強いために、たとえ会話の相手がどれほど嫌な人でもそんなことはどうでもよく、何度でも同じ相手のところへ出かけて行ってしまうのである。
つまり、彼女は、言わば他人が簡単には真似の出来ない「怒りのコントロール方法」を身に付けているといっても過言ではないのである。
そして、その秘策が、
「嫌なことは絶対に思い出さない」
と、いうものなのであった。
彼女は、今が大事なのだ。常に、今しか見ようとしない。
それが、彼女の中の怒りの感情を消し去ることにつながるのである。
人は、過去の出来事を思い出すから腹も立つし落ち込みもするが、端から忘れ去って行けば何の気苦労もないはずである。
彼女の場合は、そのどちらかといえばおおざっぱな性格も相まって、他人から受けた嫌がらせでさえも一瞬のうちに忘却するという特技を持っているわけである。
思い出さないということは、確かに気持ち的には楽になるだろう。
しかし、それが果たして脳のために良いことなのであろうか?
過去の出来事を思い出すことで悔しさや怒りを蒸し返し、ストレスを溜めることは身体に良くないようには思うのだが、記憶を維持するという点から考えれば、思い出さないということは、感情の起伏を自ら放棄するという作用にもなるため、ほとんど脳細胞を活用していないということになりはしないだろうか?
とはいえ、彼女のように悩みなく生きることが出来れば、どんなにか幸せだろうとは思うのだが・・・。
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こんな名前でいいのかな?
2012年04月12日
こんな名前でいいのかな?

近頃の子供の名前って、すぐには読めない難解なものが多いですよね。
今日、何気に新聞を読んでいて、そこに赤ちゃんの名前が並んでいたので見ていたのですが、ほとんど読み方が判りませんでした。
律希(りつき?)
玲來(れき?)
歩夢(とむ?)
天那(てんな?)
柊音(しゅうと?)
義仰(よしゅあ---だそうです)
正直、良く判りません。(?_?)
ご両親は、一生懸命考えて命名されているのだと思いますが、果たしてお子さん自身の気持ちはどうなんでしょうか?
必ず「どう読むんですか?」と、名前を呼ばれる度に質問されることになるでしょう。
わたしなど、こうした難読名は一度呼び方を教わっても、すぐに忘れてしまうような気がします。
何だか、とても「?」に思うこの頃です。
ご両親は、お子さんがいずれはおじいさん、おばあさんになることを想定しているのでしょうか?
お子さんが高齢になってから病院の待合室にいる時、たとえばこう呼ばれるんですよ。
「山本風愛斗(ふぁいと)さ~~ん(仮名)、一番診察室へお入りください」
椅子から立ち上がる老人を見た周囲の人たちの反応は・・・?
名前をつける時は、親の趣味や希望だけを優先するのではなく、お子さんの将来を考えてある程度の想像力を働かせることも大事なのではないかと思う、この頃です。
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いびきの不思議
2012年04月11日
いびきの不思議(?_?)
あなたは、睡眠中にいびきをかく方ですか?
「よくかく方だと思う」
と、いう人も、それはおそらく自分でいびきをかいているという自覚があるわけではなく、家族からの指摘で、「たぶん、そうなんだろう」・・・と、思っているということなのではないでしょうか。
「お父さん、いびきがすごくて眠れないから、今夜から寝室を別にしてくれない」
でも、そんなご主人の方こそ、
「何言っているんだ。いびきがすごいのはお前の方だろう。おれだって今までずっと我慢して来たんだぞ」
と、むしろ奥さまのいびきに悩まされ続けていた----という場合もあるのです。
そういえば、ある有名な女優さんへのインタビューでも、その女優さんがこんな話をしていたことを覚えています。
「〇〇さんは、どうしてそんなにお綺麗なのにご結婚されないんですか?独身主義とか・・・」
すると、その女優さんが言うことには、
「実は、あたし、いびきがすごいらしいんですよね。自分では自覚ないんですけれど、ドラマのロケなんかで同宿したスタッフさんに言われちゃって・・・。それが恥ずかしくて、結婚なんかしたら相手の人が迷惑だろうなって思うし・・・。だから、結婚願望はあるんですけれど、結婚しないと決めているんです」
そんな訳で、その女優さんは、大好きな独身男優さんがいてもその想いを告白できないため、
「あの人、早く誰かと結婚してくれないかなァ。そうすれば、こっちも諦めがつくのに」
と、思うのだそうです。
いびき対策として、就寝中のスタイルを仰向けではなく横向きにすると良いとか、体重を落として顎周辺の贅肉を落とせば気道が広がりやすくなりいびきが軽減できるとか、鼻呼吸を心がけるとか、枕を高めにすると良い、いや気道を広げるためには逆に低めの方が良いなど、様々な方法があるそうですが、やはりいびきをかく人はかきますよね。
以前、わたしが短期入院した時、夜中、病室の隣のベッドの高齢女性がものすごいいびきをかいていたのですが、看護師さんが何度女性の体勢を変えても、やはり止まりませんでした。
わたしは、とても眠れたものではなくほぼ徹夜状態だったので、夜の見回りに来た看護師さんは、「うるさくて、ごめんなさいね」と、謝っていました。
ところが朝になると、その女性は看護師さんに、「隣の人が一晩中いびきをかいていてうるさくて眠れなかった」と、訴えたのです。
どうやら、彼女はあのすさまじい自分のいびきの音を、隣のわたしがかいているものだと思いながら眠っていたようでした。
これには、看護師さんも同室の患者さんたちも苦笑いでしたけれどね・・・。
いびきをかいている人は、自分のいびきには気付かないくせに、他人のいびきや話し声にはやたらに敏感だともいいます。
いびきをかいている時は、眠りも浅い状態なのだと思いますから、たぶん無意識下で、自分のいびきの音をそばにいる別の人の発する音声だと勘違いしてしまうのではないでしょうか。
とにかく、いびきをかく人は、まずは、自分がいびきをかく癖があるということをしっかりと自覚するべきだと思います。
自分のいびきをいつまでも他人の発する音だと勘違いしている分には、決して治すことは出来ないのですから。
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また、足が攣った!!
2012年04月10日
また、足が攣った!!

明け方、布団の中で思わず伸びをしてしまった。
途端に、両足のふくらはぎに、電流が走るような異様な痛みが!!
「やばい!!」(>_<)
と、思った時は既に遅く、一気に両足が棒のような状態に固まった。
ひき絞られるような強烈な痛みが襲いかかり、もはや睡眠どころの騒ぎではない。
布団から起きて両踵を前に突き出すようにすると、ガチガチに固まったふくらはぎの筋肉を必死で伸ばす。
この一瞬は、いつものことながら正にパニック状態だ。
立つことも出来ないし、足を曲げることも出来ない。
やがて、左足の方の痛みがスッと取れて来た。
やれやれと思ったものの、右足はまったく治る気配がない。
一生懸命ふくらはぎを手でこするうちに、何とか最悪の痛みは峠を越した。
そこで、やっと立ち上がることが出来、机の上にあるアンメルシンを取ると両足のふくらはぎへ思い切り塗った。
わたしの場合、これが案外効く。
痛みが和らぐまで、せいぜい五分ほどなのだが、これが地獄の五分間である。
今日のやつは、意外に強烈だったので、夜になっても未だに少し右足が痛む。
昨日の久しぶりの散歩がいけなかったのかもしれない。
もう少し距離を短くした方がよさそうだな。

女性が化粧をする意味
2012年04月10日
女性が化粧をする意味

古来、化粧は魔よけや虫よけの意味合いを強く持っていたそうですね。
唇に紅をつけるのも、目の周りを黒く縁取るアイラインを引くのも、そうした意味が大きかったようです。
そう考えると、元来化粧とは人の目を惹くための演出ではなく、自分自身の身を守るために必要不可欠な方法だったといって良いでしょう。

しかし、そんな一方で、化粧に何の価値も見出さないばかりか、そうした異物を皮膚に塗ることを人間本来の美からはかけ離れた行為だと毛嫌いする女性たちも少なくありません。
わたしは、かつて「化粧は言わば下着のような物で、化粧をせずに人前へ出るのは恥ずかしいことであり、相手に対しても失礼なことである」と、教わりました。
ところが、ある女性に言わせると、「化粧品は男性に媚を売るための道具だから、慎み深い女性は化粧などするものではない」ということにもなるようで、化粧に対する考え方は、人によって実に様々です。
男性の中にも、彼女や妻に「日ごろ化粧をしていて欲しい」と、望む者もいれば、「自分の前では素顔のままでいて欲しい」と、考える者もいます。
前者の理由は、「スッピンでいられては、彼女にとって自分はその程度の価値の男なのかと、悲しくなる」というものであり、後者の理由は、「彼女がスッピンでいるということは、それだけ自分に気を許してくれている証拠だから嬉しい」というものでした。
どちらの男性の意見もなるほど・・・と、思えるもので、女性の化粧には、それを見る者によっては、女性自身思いもよらない意味合いがあるものなのだということが判ります。
しかしながら、この化粧という行為は長年続けていると、女性の中で習慣化してしまい、おしゃれとか礼儀とかは関係なく、していなければ落ち着かないという精神安定のための作業に変わって行ってしまうところがあるのも、また事実なのです。
わたしも以前は、ちょっと外出するというだけでも化粧をしなければ落ち着きませんでしたが、病気をしてからは浮腫みで容貌がかなり変化してしまったこともあり、どうせ化粧などしてもむしろ滑稽なだけだと思う気持ちから、まったくといっていいほどしなくなりました。
つまり、女性がしっかりと化粧を施しているということは、その女性が体力も気力も充実しているという紛れもない証でもあるのです。
あなたの彼女は、化粧派ですか、それともスッピン派ですか?
その違いや化粧の仕方によっても、女性の感性がある程度は判るといえるようですよ。
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ほめ方の極意
2012年04月09日
ほめ方の極意

「喜ぶ」という感情は、いったい何から出て来るかといえば、おそらく大半の人はこう答えるのではないだろうか。
「自分が誰かから認められた時、喜びが湧く」
と----。
誰かから認められるということは、すなわち一目置かれるとかプライドをくすぐられたことで認識できる感覚である。
「自分は、他の人よりも少しばかり特別なのだ」
と、思い込むことが「喜び」の最も近道だともいえるのである。
では、どうしたら「自分は特別だ」と、感じられるかといえば、それは他人から「ほめられる」という状況が起こった時ではないだろうか。
人は、ほめられて悪い気はしないものである。
たとえ、それがお世辞だと判っていても気分が良いことには違いない。
だが、一口に「ほめる」といっても、さて、一体どんなほめ方をすれば人は一番気持ちよく喜べるのだろうか?
「あなたって、頭が良いいだけじゃなくスポーツも得意でいいわね」
「美人でスレンダーなんて羨ましい!」
「お子さん、有名高校へ進学されたんですってね。おめでとう」
などなど、個人の能力を強調するのがいいのか、いや、スタイルなど外見の立派さを持ち上げるのがいいのか、それとも地位や名誉欲をくすぐるのが効果的なのか・・・。
ほめ方にも色々なバージョンがあるものだが、最も相手を喜ばせるためには、とにかく言葉をあいまいにしてほめるというやり方が一番効果的なのだそうである。
人は、具体例をあげてほめられると、確かにそれ自体は嬉しいと思うのだが、たとえば、「きみは本当に頭が良いね」と言われたとしても、「頭だけなの?」と、思ってしまうこともある。
つまり、具体的なほめ方ではすべての喜びの感情を満足させることは出来ないのである。
そのため、ほめ言葉は出来るだけアバウトなものにするのがいいらしい。
人はその言葉を自分に都合の良いように解釈することが多いので、喜びの質が均等になるのである。
しかし、このアバウトなほめ言葉ほど、ある意味難しいものはない。
アメリカの作家のヘンリー・ソローは、こう言っている。
「お世辞を言うのは易いが、称賛は難しい」
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幸せは心の持ちよう
2012年04月08日
幸せは心の持ちよう

少し前のあるテレビ番組で、自身の前向き度を測るというものがあった。
確かな記憶はないのだが、ひな壇のゲストたちに、このような質問がされていた。
「もしも、あなたに小さな孫がいるとして、その孫に熊のぬいぐるみをプレゼントしたとする。孫は、大好きなおばあちゃんからのプレゼントだということで、もらった直後は本当に嬉しそうにお礼を言っていたのだが、しばらくするともうそのぬいぐるみには目もくれず、手持ちの人形で遊び出してしまった。そんな時、あなたはその孫に対して、どんな感情を持つだろうか?」
あるタレントは、「なんて失礼な孫だ。もう二度とおもちゃなんか買ってやらないからな!と思う」と、答え、また、あるタレントは、「そんなんなら、これからはお金をあげるから、自分の好きな物を買いなさいと言う」と、答えた。
しかし、専門家の意見では、これはどれも自分の気持ちを抑圧しているもので、よい考え方ではないということだった。
では、もっとも前向きな考え方はどういうものなのかといえば、それは、
「ああ、この孫は熊のぬいぐるみよりも人形の方が好きなんだ。孫の好みが判ったぞ」
と、考えることだという。
つまり、考え方の違いで実に進歩的な気持ちになることが可能なのだというのである。
あるアメリカの美容整形外科医は、整形で美しく生まれ変わった患者たちが、その後は性格までも一変するという現象を幾度も見て来たそうである。
だが、顔がどんなに綺麗になっても、やはり性格までは変わらなかったという患者も中にはいる。
その美容整形外科医は、人間は、外見が変わったこと自体に満足して幸せになるのではなく、外見が変わったことで自分に自信が付き、患者自身の世の中の見方が変わったために明るく前向きな性格に生まれ変わることが出来るのだということに気付いたのだそうである。
たとえば、テストで悪い点数をとってしまったとしても、すぐに落ち込むのではなく、それを「満点をとる喜びが次回に伸びたのだ」と思えば頑張る気持ちが持続するし、大好きな彼に振られても、「きっと、わたしにはもっとふさわしい相手がいるから慌てるなという神様の忠告なのだ」と、思えば、特別嘆き悲しむ必要もないということにもなる。
正に、幸せ、不幸せ、という感覚は、その人自身の心の持ちようで決まるということなのであろう。
あなたにとって必要な人とは?
2012年04月07日
あなたにとって必要な人とは?

人は不安に襲われると、その不安を和らげようとするために、無意識のうちに一人でいるよりも何人かの仲間といることの方を選択するようである。
「もうすぐ世界が終わる」
などという予言が世の中にまことしやかに広まると、新興宗教などの集団があちこちに誕生し始めるのも、おそらくはそうした理由に関係しているのだと思われる。
つまり、そこに集まる者たちの中に生まれた「不安感」という共通点が、ある種の団結意識をもたらすものなのだそうだ。
人が人を必要とする時、その接着剤の役割として「共通意識」が不可欠なのである。
どんなに近くに人がいても、その人が自分とはかけ離れた境遇や目標、趣味などを持っている場合は、そこに「必要感」は生まれ得ないものなのだという。
ところが、その「必要感」をより大きなものとして認識する場合は、そこにもう一つの条件が加わる。
それは、仲間になる相手が自分とは同じ境遇、同じ目標を持つだけではなく、その目標をクリアするために、自分とはまったく異なる発想をする人物である----と、いう条件なのだとか。
相手が自分と同じ発想しか出来ない人物ならば、自分にとってそれは確かに仲間ではあっても頼れる存在とは言い難い。
だが、同じ目標を持ちつつも、自分が考えもつかない発想で難局を切り抜けることが出来る人物ならば、それほど心強い仲間はいない。
要は、人が人を必要とする時、相手に望むことは「自分と目標が同じで共通意識を持つ、発想の差が大きい人物」と、いうことになるようだ。
男女の場合は、この感覚が恋愛感情に発展することも少なくないという。
「共通感覚の中の意外性」に、人は惹かれるのかもしれない。
言われてみれば、あまりにも人生の価値観が異なる相手同士は、どれほど努力してもお互いに共感すら出来ないものである。
かつての日本では、子供の結婚は互いの親同士がすべておぜん立てを整え、たとえ結婚が決まってもその相手とは婚礼の席に臨むまで顔を知らないということが習慣としてあった。
しかし、そんなカップルでも末長く夫婦として暮すことが出来たのは、元々夫婦の育った境遇や価値観がそれなりに似通っていたためという理屈も成り立つだろう。
もしも、あなたが夫、または妻に倦怠を感じ始めているのだとしたら、二人の間に共通点が見出せなくなってしまったせいか、もしくはその真逆で、お互いを知り過ぎてしまい意外性を見付けられなくなっているせいなのかもしれない。
怪奇ビデオ・・・
2012年04月07日
怪奇ビデオ・・・

先日テレビで放送された「怖い話」(タイトル忘れました)の中だったと思うのですが、一人の男性タレントがこんな奇妙な体験を語っていました。
それは、
「かつてレンタルビデオ店で借りた映画を最後まで観終わった時、そのあとにまだ何やら映像が映っていたので観ていると、それは、かなり昔の神前結婚式の映像で、紋付き袴と白無垢を着た新郎新婦の前に供えられている丸い和鏡の中に、明らかに映るはずのない人の顔があった」
と、いう何とも奇怪な話でした。
そして、その証言通りのビデオテープが番組内でも流されたのですが、確かに、男性タレントの言うようなシーンが録画されていました。
和鏡の中には、本来映るべきは新郎新婦の姿のはずが、別の女性の顔らしきものが映り込んでいます。
ゲスト席のタレントたちは、皆、悲鳴をあげて怖がっていましたが、わたしは、その映像を観ながら、不思議な女性の顔よりも別のことが気になっていました。
それは、その新郎新婦が着ている紋付きや白無垢のおくみ(衿元)が左前(逆の意味)だったことです。
つまり、通常の着物の着方である衿元が左上ではなく、右上になっている。
これは、いわゆる死者への着物の着せ方だと聞いています。
撮影者が観るものを怖がらせようと意図的にビデオテープを裏返しに収録し、如何にも怪奇ビデオらしく作り込んでいるということも考えられますが、もしも、この録画がやらせなのだとしたら、作った人はかなり細部まで神経を使ってアレンジを施しているなァ・・・と、感心しました。
まあ、レンタルビデオの中には、違法録画をした映画ビデオもあるそうなので、たまたま消し残しの映像が紛れ込んでいたのかもしれませんが、夜中に一人っきりでビデオ鑑賞をしていた人には、気味の悪い映像だったことでしょうね。
俳優やタレントの人たちは、こうした怪奇現象を目撃したり体験することが多いようですが、おそらく彼らが普通の一般人よりも感性的に優れているという証しなのかもしれませんね。

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今日は、外科の診察日
2012年04月06日
今日は、外科の診察日

今日は、久しぶりに外科の診察日でした。
まずは、担当医の先生に年賀状を頂いたお礼を言い、診察をして頂きました。
触診とエコー検査の結果、別に異常はないそうで、まずはホッと一安心です。
ただ、その際、最近の医療現場の主流である電子カルテの導入で、医師が患者の顔を見て話をする時間が限られてしまっているようにも感じました。
医師の先生方も、たぶん、そんなジレンマを感じておられるのではないでしょうか。(素人の勝手な想像ですが)
これは、幾つもの診療科を渡り歩くわたしの個人的な感想ですが、やはり、どの診療科の先生方もペンでカルテを書かれていた時の方が患者と接するうえで、ほどよい余裕があったように思います。
また、若い先生方はそれなりにパソコンやキーボードの扱いにも慣れているでしょうが、ある程度の年配の先生方は電子カルテにはご苦労されているのではないかと推察します。
最近の医療関係者の言葉に「患者に寄り添う医療」というのがありますが、医療現場のIT化の流れが加速すればするほど、理想と現実が反比例して来はしないか----と、そんな懸念が頭をよぎりました。
その後、今度は栄養指導室へ----。

栄養士さんに一日の食事の詳細メニューを提出し、カロリーや塩分、タンパク質の摂取量を算出していただきます。
こちらも、まずまずの摂取量で問題はないようでした。
ただ、塩分というものは食パンや麺類などにも必ず使用されているものですから、知らず知らずの間に摂れてしまうようですね。
「うまい!!」
と、普通に感じる料理は、間違いなく塩分の量が多いものだと考えてよさそうです。
この間、ご近所の女性が白内障の両眼手術で計4日ほど入院したのだそうですが、とにかく入院食の塩分量が少なくて食が進まず参ったとのこと・・・。
その女性も腎機能が悪く足に浮腫みがあるのですが、食事の塩分だけはどうしても譲れないと言っていました。
だから、栄養指導を医師から勧められても、一度受けたきりでやめてしまったそうです。
「とても、続きそうもないから・・・」
と、女性は話していました。
上野はポカポカ陽気だって?
2012年04月05日
上野はポカポカ陽気だって?

今日の東京はポカポカ陽気で、上野の桜も見ごろだとか・・・。
それに比べて信州は、時間が判らないほどの薄暗い曇天で、氷雨まで降っています。
とても四月とは思えない寒さです。
三日も天気が悪い日が続くと、少し前まで好天でせっかく上向きだった気分も一気に落ち込みますね。
で、今日は、久しぶりに夢の話を書きます。
先日のブログで、大津波の夢を見たと書きましたが、こういう津波や洪水の夢を見た時にその意味を探る上でポイントとなる点が一つあるといわれます。
それは、夢の中のあなた自身がその洪水から逃げられたか、それとも洪水に巻き込まれて流されてしまったか----と、いうシチュエーションの違いなのだそうです。
もしも、あなたが何処か高台のような場所に避難出来て、その津波や洪水から身を守ることが出来た場合は、直面する難題にも積極的に立ち向かう心の準備が既に出来上がっているという暗示なのだそうです。
ところが、うまく逃げおうせられずに濁流に飲み込まれてしまったり流されてしまう夢の場合は、現実に起きる問題に慎重に対処しなければだまされたり失敗したりする確率が高いというような暗示でもあるのだとか・・・。
つまり、警告の意味が大きいのだそうです。
しかも、押し寄せる水に対して恐怖心を感じる時は、現実問題で何か強いプレッシャーを感じているという証しでもあるので、「勇気を出して乗り越えよ」との心の声が、そうした夢を見せていると考えるといいということです。
そして、そんな夢の中で、もしもあなたが誰かを助けたり、助けられたりしている場合は、今後あなたに仕事や私生活の面で信頼できる協力者が現われるかもしれないとの暗示だそうです。
実は、この間の大津波の夢には、顔は判然としないのですが迫りくる波から一緒に逃げる男性がいたのです。
つまり、二人で力を合わせて逃げたわけで、正に夢の中の協力者といえますね。
津波や洪水の夢は、激しい感情がもたらす新しいものごとへの展開を伝えるものなのだそうですから、一言で言って前向きな夢と捉えてよさそうです。

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とりとめのないこと・・・
2012年04月04日
とりとめのないこと・・・

四月四日にもなって、今日は朝から吹雪でした。
いったい、この天気は何なんでしょうね。
昨日の猛烈な低気圧通過の影響で、今日も北海道ではブリザードだそうです。
国会では消費税率をめぐって連日の与野党のみならず与党同士の攻防も続いていますが、議員たちの本音は結論は出来るだけ先延ばししたいというところにあるのでしょうね。
白熱した議論を戦わせる姿を国民に見せることで、自分たちはこれだけ頑張ったというアピールをして選挙を有利に運びたいという彼らなりの目算があるのだと思います。
とはいえ、何だか冬が寒すぎて春が遅いせいもあり、極寒の雪国暮らしとしては既に体力を使い果たしているような倦怠感で、いま一つ関心が持てません。
昨夜の世界の面白い習慣を取り上げた番組で、ロシアのモスクワの冬の平均気温がマイナス10度だといっていましたが、わたしの住む地域とさほど変わりないじゃない・・・と、唖然としました。
「北信は、モスクワ並みかい!」

思わず突っ込みを入れてしまったくらいです。
でも、先ほどからようやくお天気も回復し始めて、日差しが戻って来ました。

そうそう、深夜の番組で「人が人を好きになる一番の要素は、相手の匂いである」という説を唱える学者さんが出ていましたが、その理由として興味深い話をしていました。
オリエンタルラジオの中田くんが、その説を代弁していたのですが、
「目で見たり耳で聞いたりというような感覚は、いったん脳内で処理をしてから自分の中に取り込むことが出来るものなのだが、匂いだけはそれが出来ない感覚で、いったん臭いとか嫌だと思うと、それを我慢できないというものなのだ」
そうですね。
つまり、あまり美人ではない女性を見たとき、視覚的には好感を持てない場合でも、後付けで「性格はいいんだろうな」とか、「美人ではないが仕草は可愛いじゃないか」などと脳をだますことも出来るのだそうですが、匂いはそれが出来ないのだそうです。
嫌いな臭いをあえて好きだとは、絶対に思い込めないのが人間なのだとか・・・。
そんな訳で俗にいう「美女と野獣」のカップルも成立するのでしょうね。
彼(彼女)をどうして好きになったのか判らない・・・というような場合、案外、知らず知らずのうちに相手の匂いに惹かれていた----などということがあるのかもしれませんね。
・・・・とりとめのないことを書きました。

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「~~ずら」という方言
2012年04月03日
「~~ずら」という方言

今日の春の嵐はわたしが住む北信地域に限っていえば、雨は激しかったものの、それほどの暴風は吹かなかった。
ところで、今、ヤフーの知恵袋を読んでいたら、「~~ずら」という方言について書いてあった。
そのベストアンサーが、
「『ずら』は、長野県の中、北部、安曇野地方、松本市で使う方言」
と、あったのだが、少なくともわたしは長野県北部で「~~ずら」という方言を一度も聞いたことがない。
むしろ、静岡県周辺の方言が信州の中、南信地方へ波及して定着したものと見る方が妥当ではないかと思う。
ベストアンサーを誰が決めているのかは知らないが、ちょっと首を傾げてしまう回答だった。
まあ、ヤフー知恵袋の回答が必ずしも正しいとは限らないので、その点は割り引いて読んだ方がいいのかもしれないが・・・。
方言というものは不思議なもので、日ごろ自分にとって馴染みがない方言を、テレビドラマなどで、如何にも信州全般で使うような描き方をされると、無性に腹立たしく感じるものだ。
「知らないのなら、標準語で台詞を書きなさいよ!」
と、言いたくなってしまう。
サスペンスドラマなどでも時々、中、南信の方言を長野市やその周辺地域の住民にも使わせるような場面が出て来るのだが、違和感があり過ぎて呆れ返るばかりである。
それにイントネーションの違いも気になってならない。
「信濃の国」という県歌のタイトルの発音に関しても、最初の「し」を強く発音された瞬間、早くもゲンナリしてしまう。
「伊那」「飯山」「佐久」の発音に対しても、またしかりだ。
俳優が「いな」の「い」」や「いいやま」の「二番目のい」、「さく」の「さ」を強調する発音などを聞いた時は、「誰か何とかしてやって!」と、お願いしたいくらいである。
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夜の大音量の正体は・・・?
2012年04月03日
夜の大音量の正体は・・・?

まず、最初に----。
「相棒」の新シーズンで、主演俳優、水谷豊(59)とコンビを組む“新相棒”の刑事役に俳優、成宮寛貴(29)が決まったことが2日、分かった。(サンケイスポーツ)
----だそうですね。
成宮くん----今度は、ぐっと相棒も若返ってストーリーもアグレッシブになりそうな予感がします。
三代目相棒にも期待大ですね。

昨夜の9時30分ごろから、いきなり家の中でドドドド!!!というような激しい音が鳴り始めた。
「どうせ、また表の通りで、誰かが車のエンジンをかけたままにしているのだろう」
と、思って外の道路を見たが、それらしい自動車も何か工事をしている様子もない。
どうやら、その機械で地面を叩くような音は、我が家の中だけでしているようなのだ。
しかも、だんだん大きな振動までもが加わって来た。
家中を調べたところ、水道の辺りが一番激しく音を立てて振動している。
「誰かが、水道の本管を揺らすようなことをしているに違いない」
そう思って真っ暗な表へ出ると、家の周囲に何か異変がないか見て回った。
すると、案の定、近所の家の庭からも同じくドドドド!!という強い振動音が響いて来ているのが判った。
そこで、思わず役所へ連絡。
職員の人が原因を調べてくれて、ようやくその原因が突き止められた。
どうやら、家の近くの某ビルで貯水槽へ水の汲み上げをしていたそうなのだ。
そのモーターの機械振動が水道本管に伝わり、あれだけの凄まじい振動音をとどろかせることになっていたようである。
役所の人がビルへ連絡を入れてくれたおかげで、やがて音は止んだ。
「あのものすごい振動で、家の水道管が壊れたらどうしようかと思ったわよ」
母親はカンカンだ。
それにしても家が震えるほどの機械振動が水道管を伝わるという現象には、正直驚いた。
きっと、我が家の周辺住民たちも、皆、何が起きたのか判らずパニック状態だったに違いないと想像した。
もう一人いる・・・?
2012年04月02日
もう一人いる・・・?

人間が究極の状態に追い込まれた時、時々あるそうですよね・・・。
「もう一人いる・・・」
と、いう話。
火事や山岳遭難など、大災害に巻き込まれたような時、本来は10人しかいないところに、何故か11人いた----と、いうような証言があとになって出て来るという不可思議な現象が・・・。
これは、人間が究極の状況に追い込まれた際に、願望が見せる虚像であるという説があるそうですが、殊に、信仰心が強い人ほど、こういった現象を体験する場合が多いといわれます。
「自分たちは、常に神に見守られている」
という強固な信念を持つ人ほど、そうした「もう一人いる」体験をしたように思い込むのだとか・・・。
そして、その気持ちが強ければ強いほど、困難なサバイバルに打ち勝つ可能性も大きいのだそうです。
「信じる者は救われる」
と、いうことにも直結するようですね。
例のチリ北部で起きた鉱山落盤事故で地下約700メートルに閉じ込められた作業員33人も、大半がキリスト教徒であったために、プロテスタントの牧師の資格を持つ作業員を中心にして礼拝を行ない、坑道内で自発的に祈りをささげつつ信仰心を高めていたのだそうです。
そのために、救出された作業員の中には、
「地下には、当初から34人いた」
と、証言する者もいたといわれます。
1972年10月にウルグアイのチリ行きチャーター機がアンデス高地へ墜落し、乗客乗員45人中16人が72日後に奇跡的生還を果たした、いわゆる「アンデスの奇跡」の生存者も、全員がカトリック信者で、
「身体的、精神的な重圧に耐えるメカニズムとして、信仰心と祈り、そして笑いはとても大切だ」
と、生存者の一人は後日語ったそうです。
----と、なると、多宗教を容認しつつも自身は特別強い信仰心を持つことがない日本人は、こういう場合において何を心のよりどころとすればいいのでしょうね?
家族や恋人への思いでしょうか?
そんな日本人の場合は、「もう一人いる・・・」は、どうしてもホラー的要素の方が優先してしまうような気がします。(~_~;)

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酔っ払いの勘違い
2012年04月01日
酔っ払いの勘違い

「酒を片手にすると普段よりもセクシーで賢くユーモアあふれる人間になった気分になる」という通説を、フランスの研究チームが実験で証明したそうです。
英医学専門誌「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・サイコロジー」に近く発表されるとのこと。
地元の居酒屋と研究室でこの風変わりな研究を行ったのは、仏南東部グルノーブルにあるピエール・メンデス・フランス大学の心理学者ローラン・ベグ氏率いるチーム。
まず、酒好きの男女19人(うち3分の2は男性)に、自分の魅力を7段階で自己評価してもらった後、アルコール検知器で酒気レベルを測定したのだといいます。
すると予想通り、アルコール検知レベルが高いほど自身の魅力に対する自己評価も高かったとのことでした。
次に、フルーツカクテルの新製品を試飲してほしいとの触れ込みで、男性94人を集め、被験者らには、「カクテルにはアルコール入りとノンアルコールとがあり、どちらを飲んでもらうかは分からない」と告げた上で試飲してもらったそうで、その後、カクテルの宣伝に使われるとの想定で、試飲の感想をビデオカメラで撮影。
その動画を本人に見てもらい、自身の魅力、快活さ、個性、ユーモアのセンスなどを自己評価してもらい、また、各人の酒気レベルを、ゼロから飲酒運転の法定制限値の2倍までの範囲で測定したのだといいます。
その結果は、アルコール入りカクテルを飲んだと思った男性たちは、実際に摂取したアルコールの濃度に関係なく、たとえノンアルコールを飲んでいた場合でも、自己評価が高かったのに対し、ノンアルコールのカクテルを飲んだと考える男性たちは、実はかなり高濃度のアルコールを飲んでいた状態でも、自己評価が低かったのだとか。
つまり、人間は、「『酔っている』と思うだけで自分は魅力的になったと感じることが、この実験で明らかになった」とベグ氏はAFPの取材に語ったそうです。
アルコールそのものには、何の影響力もないんですけれどね。
研究チームは、「酔った」という気持ちにプラシーボ(偽薬)効果があるのではと見ていて、一般に、ほろ酔い加減の人は魅力的だと信じられている文化的現象があるからだと考えていて、
「酒は社会の潤滑油だという概念がある。他人に心を開きやすくするのではないか」
とも、べグ氏は語っているそうです。
ただ、自分ではセクシーな魅力にあふれていると自信を持ったところで、他人がそう見ているとは限らないので要注意。
「回りの人たちは、あなたを単なる酔っ払いと見ているだけかもしれない」とのことでした。
ベグ氏らの研究では後日、実験とは無関係の人々に撮影した動画を見てもらったところ、多くの人は、アルコール入りカクテルを飲んだと信じて雄弁になっている男性たちを「魅力的でない」と判断していることが判るという、興味深い結果が出たそうです。
ということは、日常的にアルコールを多量摂取する人は、あまり摂取しない人に比べて自己評価が高く、「自分はモテる」と勘違いしている場合があるということのようですね。
確かに、大酒飲みには開放的な性格の人が多いような気もします。
まあ、それはそれで幸せな勘違いなのかもしれませんが、魅力の押し売りはハタ迷惑にならない程度にお願いします。
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あまり年とったから・・・
2012年03月30日
あまり年とったから・・・

高齢者にとって気になる言葉は、色々あると思いますが、ある女性は、
「あまり年とったから、判らなかった・・・」
と、言われたことがショックだと言います。
この女性は、いつも髪の毛を染めて綺麗にしてたのですが、このところ風邪が長引いていたせいもあり、髪を染めるのがおっくうで、しばらく白髪を放置していたところ、久しぶりに会った50代の知り合い女性から、
「やだ、〇〇さんじゃない。あまり年とったから、判らなかった。白髪染めないと、誰だか判らないよ」
と、言われたのだそうです。
髪など染めても染めなくても年は相応にとっているんだから、ああいう言い方は失礼だと、高齢女性は話します。
若い人が今までの長い髪を切ってショートヘアにしたからといって、あまり年とったから----などとは言われないはずですよね。
月日が経てば年は誰もがとるものですから、もしも、高齢女性が誰だか判らなくても、「年とったから」は、必要のない言葉ではないかと思います。
「髪、染めていないから、見違えちゃった・・・」
ぐらいなら、たぶんその女性もさほど傷付かずに済んだのではないでしょうか。
まだ、50代ぐらいの若さの人は、老人の気持ちが判らないためにとかく配慮に欠けた言い方をしてしまいがちですが、
「今のうちに見ておいた方が・・・」とか「今度~~することが出来るかどうか判らないよ」などという言葉は、高齢者には実にショックな言い方なのです。
「冥土の土産に」などということを高齢者はおどけて口に出すことがありますが、これは本心から言っている言葉ではないと考えるべきです。
ましてや、若い人が口に出すのは極力控えるべき一言だともいえるのです。
今日は、良いお天気でした。
2012年03月29日
今日は、良いお天気でした。

やっと、春らしい良いお天気になりましたね。
散歩中は、むしろ日差しが暑いくらいで、上着を着ているのが煩わしく思えたほどです。
こんな天気が長続きしてくれるといいのですが、また、一気に寒さが戻るのでしょうか?
それにしても、ガソリン、値上がりしましたよね。
父親曰く、「バイクのガソリンなんて500円あれば足りていたのに、今日は610円もした」

どうりで、お昼のワイドショーでもにガソリン値上げがもたらす影響について特集を組んでいました。
市販の弁当一つとっても、パックは石油から作るものだし、おかず類もビニールハウス栽培の野菜を使えば暖房が石油だということで結局値上がりになるそうで、いくら米や小麦の値段が下がっても配達コストがかかれば更に意味がないのだといいます。
原油の値上がりは電気料金の値上げにもつながりますから、電気炊飯器でご飯を炊いている飲食店などにももろに影響が出ますし、必然的に提供する料理を50円ほど値上げしなければやっていけないと、ある飲食店主は悩んでいました。
毎回の食事が50円上がるというのは、家計にもかなり響きます。
この春は、正に値上げの春ともいえそうです。

そんな訳で、コンビニにある比較的安価な自社製品は助かりますね。
今日は、一袋に4パック入ったチャーハンの素を買ったのですが、さっそく冷やご飯で作ってみたところ、これがメーカー物に引けを取らないくらいおいしかったです。

今日は、あまり書くことがないので、この辺で・・・。
ネット依存症
2012年03月28日
ネット依存症

インターネットなしでは生きて行けないというほどの、いわゆるネット依存症に罹患する日本人が急増中だそうだ。
あえて罹患と書いたのは、韓国など海外では既にこの症状を病気と認定し、精神科医やカウンセラーなどが患者の診療に当たっているというテレビニュースを観たからである。
ある女子高生の一日をグラフにしてみると、なんと、二十四時間のほとんどを携帯電話片手に過ごしていて、夜眠る時間までもが削られていた。
教室でも友人たちとおしゃべりしながら携帯をいじる。
家へ帰り食事をしながら、やはり携帯を見ている。
その後、自室へ入りテレビを観ながら携帯で友人とメール。
彼女の手が携帯から離れることは、ほとんどない状態だ。
今、こうした携帯電話やスマートフォンを手から離せないという若者やビジネスマンが急増しているのだそうである。
また、ネット依存症は携帯電話に限らず、パソコンでも起きることがある。
何十時間もネットカフェでチャットなどをしていた男性が、座りっぱなしのためのエコノミー症候群で急死したというような事例も報告されているらしい。
ネットゲームにはまり、昼夜の感覚がなくなったという若者も多く、家の中でご主人が携帯ゲームに熱中するあまり家族間の会話が激減したと嘆く女性もいる。
海外では、こうしたネット依存症は、アルコール中毒や薬物中毒などと同じく病気であると認識されていて、多くの患者が精神科医やカウンセラーを受診しているそうである。
このネット依存症を治すために一番手っ取り早い方法は、インターネットがつながらない環境に患者を置くことだとか。
そのため、韓国ではネット依存症の子供たちを集め、携帯電話もパソコンもない場所で長期間の合宿生活を送らせるのだそうだ。
そこでは生身の友だち同士で体験できるキャンプや力仕事をして、インターネットよりも楽しいことが世の中にはあることを知ってもらうのだそうだ。
インターネットの世界だけが唯一の自己表現の場だと思い込んでいる人は、逆に生身の人間の方が信じられないという傾向が強いのだという。
ネット依存症を克服するには、こうした意識を変えさせるのが最も重要なのだそうだ。
しかしながら、自分または子供が本当にネット依存症なのか、それとも単なるネット好きなのか、その境界が判らないというのがこの病気を発見するうえで難しい問題なのだともいう。
ブロガーの中にも他のブロガーと毎日コメントのやり取りが出来ないと不安で寂しいとか、自分だけが仲間外れにされているような気がするなどという人が時々いるが、これもある意味ネット依存症の予備軍と考えられるそうである。
あなたは、仕事の合間でも携帯電話が気になることはないだろうか?
ブロガー同士のコメント会話に入れずに悩んだことはないだろうか?
仕事で使用しているわけでもないのに、気が付いたらパソコンの前から何時間も動いていなかった・・・などということはないだろうか?
もしかしたら自分はネット依存症なのでは・・・?
そんな風に感じた時は、一度携帯電話やパソコンから徹底的に離れる生活を送ってみるのも一つの方法だと思う。
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