睡眠時間の不思議・・・・・162

~ 今 日 の 雑 感 ~


睡眠時間の不思議


    人間の睡眠時間は、実に様々です。

    一日に三、四時間ほどの睡眠で充分だという人もいれば、八時間から十時間もたっぷり眠らないと調子が悪いという人もいます。

    これは、別に、長時間睡眠の人が怠けものという訳ではないのです。人間には足の速い人もいれば遅い人もいるように、眠りに関しても、同じことが言えるのだそうです。

    ここに、ある女性の例があります。

    五十二歳の女性のAさんは、二十代の時に一度結婚しましたが、子供が出来ないまま三年で離婚してからというもの、その後は、大手の電機メーカーで事務系の会社員をしてきました。

    そんな中、偶然知り合った取引先の会社の同年齢の男性と両想いとなり、男性も独身だったため、半年後には結婚。Aさんは、長年勤めた会社を辞めて、専業主婦になりました。

    根がまじめなA さんは、会社へ出勤する夫のために毎朝六時には起きて、朝食を作り、愛妻弁当をこしらえて、笑顔で夫を送り出していました。そんな生活が、三ヶ月ほど続いた頃、夫がAさんに言いました。

    「きみも、ただの専業主婦でいるのもつまらないんじゃないのかな?もしも、また働きたいと思うのなら、ぼくに遠慮せず、勤めてくれてもいいんだよ」

    この言葉は、Aさんにとっても渡りに船でした。実は、Aさんは、この頃既に、専業主婦でいることに物足りなさを感じていたのです。そこで、すぐさまハローワークへ行き、ブライダル関係の小さな会社の面接を受け、合格。営業ウーマンとして働き始めたのでした。

    もともと明るくて人当たりもいいAさんは、得意先やお客さまにも気に入られ、担当する仕事にも充実感を覚えて行きました。それでも、夫の身の回りの世話に手抜きはしたくありません。毎朝の起床を五時にして、家事もキッチリとこなすように努力していました。

    ところが、しばらくして、Aさんの体調に異変が起き始めたのです。出勤しても常に頭が重く、気分が憂鬱で、恐ろしいほどの眠気に苛まれることがあるかと思えば、心臓がドキドキして冷や汗をかいたりもする。そのことを同僚の女性に話したところ、「それって、更年期じゃァないの?」と、言われ、Aさんも、「きっと、そうね」と、思い込もうとしましたが、とうとう、ある日の朝、出勤しようとした時、ひどいめまいに襲われて、玄関先で倒れてしまったのです。

    Aさんは、連絡を受け、会社からとんぼ返りした夫に付き添われて、病院へ行きました。すると、担当医の言葉は、

    「寝不足ですね」

    Aさんは、驚き、「でも、わたし、夜の十一時には寝ますから、六時間はしっかり眠っているんです」と、答えると、医師は、

    「六時間が、あなたにとってベストの睡眠時間ではないということですよ。どれだけ眠ればその人が活動するに充分な体力が得られるかというのは、ほとんど子供のうちに決定されるのです。あなたは、子供の時分、何時間ぐらい睡眠時間をとっていましたか?」

    「わたしの家は、子供に厳しくて、夜の八時には寝室へ行くように言われていましたから、約十時間は眠っていたと思います」

    Aさんが答えると、医師は、「あなたの身体は、それだけの睡眠時間がないと充分な活動が出来ないようにインプットされてしまっているのです。大人になったので、それでもこれまでは七時間の睡眠時間がとれていたこともあり何とか持ちこたえていましたが、六時間睡眠では、もう限界を超えてしまったのでしょうね。旦那さんのために頑張るのも結構ですが、ご自分の身体のことを考えたら、五時起きはやめた方がいいですね」

    医師の説得もあって、それからは、Aさんは、以前のように朝六時に起きるように生活を戻しました。そして、家事にも少し手抜きをすることを覚えると、仕事と家事の両立も出来、また、一日を元気に過ごせるようになったといいます。

    つまり、睡眠時間は、子供の頃の生活に大きく影響するものなのだということです。

    だからといって、将来のことを考えて、子供に早寝をさせないなどという理屈は通りませんが、子供の頃とあまりにも差があり過ぎるような睡眠のとり方では、病気になる確率も高まるということは事実のようです。

    ですから、「早起きは苦手」と、いう人は、特にズボラな性格という訳ではなく、逆に、子供の頃は夜更かしもしない良い子だったということの証しなのかもしれません。icon06

    

  続きを読む


イジメは割に合わない・・・・・161

~ 今 日 の 雑 感 ~


イジメは割に合わない



    先日、り・まんぼーさんのコメントのレスへ、わたしは、「イジメは割に合わない」ということを、教師は子供たちに教えるべきだと、書きました。

    イジメには、様々な物がありますが、一番手っ取り早く、しかもかなりのダメージを相手に与えるのは、暴力でも悪口でもなく、要するに徹底無視です。

    いじめられる側に、反撃を許さない「無視」ほど、卑劣で卑怯なイジメはないと思います。

    暴力でしたら、警察へ通報することも出来ますし、悪口でしたら、もっとひどいやり方での仕返しだってできます。それこそ、いじめた方が、その土地にいられなくなるくらいのことも、やろうと思えば正当防衛として出来るでしょう。

    よく学校で、いじめの逆転現象が起きるのは、こういう類のイジメがはびこっている場合です。実際、わたしが小学生の時、クラスでこの現象が起きました。今まで、派閥を作っていたイジメっ子のリーダーの男の子が、ある時を境にいじめられる側となり、転校を余儀なくされてしまったのです。

    子供の頃は、体格も知能もほんの一、二年で劇的に変わります。つい最近まで従属的だった子供が、イジメっ子よりも身長が十センチも大きくなり、頭も進んで、いじめっ子を見下すようになるなどということは、よくある話なのです。

    しかし、無視は、その反撃の機会を与えてくれませんから、いじめられた方にすれば、相当に傷つきます。その結果、この前に起きた、中央大学の教授殺害事件のようなことが起きるのです。

    実は、わたしが大学生の時、ある女子学生が、友人の女子学生から、わたしたち数人の学生が、彼女の父親のことを揶揄していると、ありもしないデマを吹き込まれて、それを信じ、わたしにいきなり櫛を投げつけて来たことがありました。face08

    「あなた達、わたしの父のことを馬鹿にしているでしょ。〇〇さんから聞いたわ!」

    その女子学生は、興奮状態で手が付けられません。わたしたちは、その子の父親のことなど大して詳しく知らないのに、どうしてこういうことになるのかと、攻撃の的にされた友人たちと話し合ったところ、その子が落ち着くまで、しばらくの間「無視しよう」と、いうことになりました。

    無視というイジメは、簡単にできます。その子とは、その日から口をきくことも、一緒に食事をすることもしなくなっただけで、阻害することができるのです。さすがに、意気消沈しているその子を見かねて、誤解を解こうと説得もしましたが、結局、その子は、わたしたちの悪口をでっち上げた友人の方を信じ、そのまま卒業して行きました。

    これは、今までにわたしが唯一イジメらしき物に加担した経験ですが、このように、かなり実験的な要素があったケースといっても、イジメられている当人にとってみれば、辛いことだったと思います。

    このように、誤解がイジメを誘発することもあるのです。それにしても、どうして悪口をでっち上げてまで、わたしたちと、その女子学生の仲を裂こうとしたのか、元凶となった女子学生の気持ちが判りません。

    要するに、これも友人を盗られたくないという、その元凶女子学生の嫉妬心のなせる技だったのでしょうか?

    しかし、そんなことがあったばかりに、その二人の女子学生たちは、未だに、「変わり者」のレッテルを貼られたままですが・・・・。face09

    子供は、大人になります。しかし、大人になった時に、突然、目の前にかつてのいじめられっ子が現われて、「あなたにいじめられたことは、一生忘れない。絶対許さないから!あなたの子供に、昔のあなたの正体を教えてあげてもいいんだよ」などと罵(ののし)られることも、ないとはいえないのです。

    イジメや画策の代償は、将来、必ず払わねばならないことになります。それが、嫌なら、子供の頃から、わが身の処し方に気を付けるべきです。一生は長いのですから!icon09  続きを読む


病院内見学・・・・・160

~ 今 日 の 雑 感 ~


   
 病院内見学


    おぎむら先生がブログにも書いておられましたが、最近は、新しくクリニックが開業の運びとなると、その前に、一般の人たちにもクリニックの内部を見学して頂ける「内覧会」が、開かれることが多くなりましたね。

    クリニックの中を見学してもらうことで、患者が、自分の治療がどのように行われるのかを予め知ることが出来、得体の知れないところへ来てしまったというような、従来の患者の不安を取り除くことにも役立っているようです。

    特に、病院関係のような医療施設には、機械や薬など、一般人が恐怖を感じるものがたくさん置かれていますから、それを見ただけで、二の足を踏んでしまうということも多いはずです。

    わたしも、子供の頃、歯医者さんへ行って、あの治療をする椅子を見ただけで、「帰らせて頂きます」<(_ _)>と、出て来てしまったことがありました。子供心に、あの椅子のデザインは、もっとどうにか出来ないものだろうかと思ったものです。

    わたしが、以前、病院へ入院していた時、もう一つ手術をしなければならなくなり、その方法を医師に訊いたのですが、説明だけではどうにも想像が付かないので、たまたま、病室へやって来た薬剤師さんにそのことを訪ねたところ、

    「だったら、手術をする部屋を見てきたらいいですよ」

    と、言います。わたしが、そんなことをしてもいいんですか?と、言うと、場所まで教えて下さって、わたしは、点滴台を杖がわりに転がしながら、そこの部屋へ行って見学をさせてもらいました。

    でも、患者で、そんなことをした人は、ほとんどいないと思うのですが、一度、室内を見て来たという気持ちだけで、かなり緊張感はなくなったように思います。人間の心理状態として、まったく初めて行く場所で怖い目に遭うのと、いつも見知った場所でそういう経験をするのとでは、痛みにも少なからず違いが出て来るような気がするのです。

    外国のクリニックでは、治療の際に、患者にお気に入りのCDを持って来てもらい、それを聞きながら治療を受けてもらうというシステムを導入している病院もあるそうです。

    わたしの経験から、もしも、希望する患者がいたら、出来る範囲でいいので、治療する場所を見学させてくれるという配慮が病院側にあると、ありがたいなァと、思いました。face02

    

    


      続きを読む


マタニティーマークは必要か?・・・・・159

~ 今 日 の 雑 感 ~


マタニティーマークは必要か?



    「マタニティーマークは必要だと思いますか?」

    わたしの母たちのような年配の女性にこの質問をすると、三人に二人は、「いらないんじゃァないの」と、答えるといいます。女性がお腹に子供がいるなどということは、世間的にもみっともないことだと思われていて、妊婦は人さまの目に触れるものではないと、言われながら育ってきた世代ですから、お腹に子供がいることを公表しながら街を歩くなど、言語道断、女の恥だと思う人も多いようです。

    それだけではなく、次第にお腹が大きくなって来た時に、電車やバスのシートに腰掛けるのは、むしろ苦痛だという理由を上げる人もいました。

    信濃毎日新聞の記事を読んでも、この「マタニティーマーク」の存在は、まだまだ世間に認知されておらず、妊娠中の女性記者がこのマークを付けて公共の乗り物に乗ると言う試みをした時も、乗客に席を譲ってもらえたのは、実験を始めてから十三日目だったそうです。

    それまでは、ほとんどの乗客が、その女性記者のマークに気付きながらも、眠ったふりをしたりして、無反応だったといいます。しかし、それは、単にマークの認知度が未だに薄いということばかりが原因なのでしょうか?わたしには、どうも、そればかりが理由だとは思えないのです。

    そういう妊婦を見ても、積極的に席を譲る気になれないというのは、特に、男性に限って言えば、恥ずかしさの方が先に立つのではないかと思うのです。女性に親切にするということは、日本の男性のもっとも不得手とするところです。もしも、その妊婦に席を譲った時、周りの人たちから、「あいつ、妊婦なんかに親切にして、気があるんじゃないのかね」などと、あらぬ穿鑿(せんさく)をされるのも馬鹿馬鹿しいですし、「格好つけやがって」などと、反感を買うのも気持ちの良いものではないはずです。

    また、女性が相手の場合では、冒頭書いた年配の女性たちのように、「大きなお腹で人前になんか出るものじゃないわ」とか「甘えるんじゃないわよ」という気持ちで、席を立たないという人もいるでしょうし、中には、記事中にもあったように、「まるで妊娠を自慢しているみたい。当てつけのつもり?」と、腹立たしく思う人もいるといいます。

    わたしが、かつて話を聞いた男性の中には、露骨に「妊婦は気持ち悪い」と、言った人さえいました。(う~ん、年配の男性には、そういう考えもあるんですね~)

    わたしは、この記事で、あえて「アンチ・マタニティーマーク派」の思いを書かせて頂きましたが、世の中は、建前だけでは前に進みません。そういう人々の本音にもしっかり耳を傾けなければ、こういう活動の認知度はいつまでも上がらないものと思います。

    今後、このマークを世の中に浸透させるためには、むしろ、妊婦側からのアプローチも必要なのではないかと思うのです。

    「すみません。わたし、お腹に子供がいるのですが、椅子に掛けさせて頂けないでしょうか?」

    そう言われて、「いやです」という人は、まずいないと思います。自分の方から、席を譲ることには抵抗があっても、頼まれれば拒否は出来ないものです。ですから、女性の方も、常に受け身で相手の親切を待つのではなく、ある程度の勇気や積極性は必要なのではないかと思いました。icon06
  続きを読む


グループホームの役割・・・・・158

~ 今 日 の 雑 感 ~


グループホームの役割



    以前、信濃毎日新聞に掲載されていた「認知症を生きる」という記事に、山ノ内町のグループホームについて書かれているものがあった。

    そもそも、グループホームというものは、軽度の認知症の人が介護職員の支えで日常生活を営む目的で運営されるNPO法人である。制度上看護師を置く必要はなく、訪問看護や医師の往診以上の医療行為も出来ないというデメリットはあるものの、認知症のお年寄りを抱える家族にとっては、生活を維持するうえで、是非とも必要な施設になっていることは間違いがない。

    入居者は、ほとんどが、要介護度1~2の高齢者が中心であるが、今深刻な問題となっているのは、グループホーム発足時は、軽度の認知症を患っていた入居者たちが、年を経るにつれて、ますます身体が衰え、要介護度が進んでいるといった点であるという。

    入居当初は、職員と共に、率先して家事をこなしていた入居者も、四年、五年と、暮らすうちに、ほとんど自力で歩行することも困難になり、中には、ホームで亡くなるという例も出て来た。

    これは、当初のホームの目的とは次第にかけ離れた方向に動き始めてしまったということでもあり、軽度の認知症のお年寄りを預かるという目的が、除々に、変わりつつあるということでもある。

    この記事でも、症状が重症化し、ホームではこれ以上の延命行為は出来ないという高齢者に対して、もはや、ホームに置いておくのは入居者本人にとっても本意ではないだろうから、最期は自宅で過ごしてもらおうと、その家族に相談したところ、「今さら、帰ってこられても、自分たちでは対処のしようがないので、このままここで預かり続けて欲しい」と、頼まれたという。

    しかし、それでは、軽度の認知症高齢者を預かるという主旨からはずれることになり、次の入居希望者の順番をさらに遅らせるということにもなりかねない。

    重症化したお年寄りに帰宅されても困るという、家族の負担は、充分に判るが、これでは、グループホームへの入居は、早い話が、「先の入居者の死に待ち」ということになってしまう。

    この間、テレビ番組で、北海道のある再生病院の話題を取り上げていたが、そこでは、身体の不自由な老人を預かり、徹底したリハビリを施して、歩けるようになるまでに回復したところで、自宅へ戻ってもらうという方針で、老人の一時預かりを始めたのだが、いざ、老人たちが医師や看護師の献身的な努力もあって、歩けるようになったとしても、家族が、その帰宅を先延ばしにして欲しいと言い出し、病院側とトラブルが絶えないのだという。

    その病院の院長は、患者を入院させる際に、家族から「回復時には帰宅させる」という同意書をとっていると言うが、ほとんどの家族は、最終的にはそれを無視しようとするというのである。

    そのため、その同意書に反した場合は、家族から違約金を取るということも検討しているというのである。

    わたしも、入院している時に、何処も身体に異常はないのに帰宅するのを拒んでいる患者を見たが、働けない、自力で動けないという老人は、家族にとって厄介者の何物でもなく、殊に、夫婦共稼ぎの家庭では、とても老人の介護まで手が回らないというのが実情である。

    「もしも、自分が目を離している間に、年寄りに何かあった場合は、自分のせいにされる。親戚から何を言われるか判らないから、面倒は見たくない」

    そう話す主婦も多い。実際、家族介護での看取り方が悪かったといって、裁判沙汰になった家庭もあるらしい。

    いったん、「親の介護を他者に任せたら、のちのちどのような結果になろうと、文句は言わない」と、いう制約でも取り付けておかないことには、老人介護も出来ないような世の中になりつつあることも事実である。

    これからは、これまでの倍速で高齢化者は増えて行く訳で、亡くなるまで足腰元気で認知症とも縁がないという老人ばかりになってくれればいいのだが、そうもいかないことは明白なのだから、そうした老人が何の憂いもなく人生の最後を豊かに暮らせるような施設の充実を、心底望みたいものである。

     続きを読む


安倍晴明は、落ちこぼれ?・・・・・157

~ 今 日 の 雑 感 ~


    
安倍晴明は、落ちこぼれ?


    皆さんは、陰陽師(おんみょうじ)の安倍晴明(あべのせいめい)という人物をご存じでしょうか?

    平安時代の有名な陰陽師で、印(いん)をむすべば、人形(ひとがた)の紙に生命を吹き込み、従者として使ったり、時には鬼神をも操り、都を追われた悪の陰陽師・蘆屋道満(あしやどうまん)と死闘を演じるなど、美貌の若きスーパーヒーローとして、女性たちの間に絶大な支持を得ている男としての印象が強いですが、実際の、安倍晴明は、どちらかといえば、意外にも遅咲きの叩き上げ官僚だったようです。face02

    安倍晴明は、若い頃、朝廷内の様々な雑用や雑役に従事する下級官吏である「大舎人(おおとねり)」でした。

    そんな生活では出世の見込みもないと思った晴明は、陰陽師の養成所で学ぼうと試験を受けますが、滑ってしまい、途方に暮れていたところを、陰陽寮の長官である陰陽頭(おんみょうのかみ)・賀茂保憲(かものやすのり)に見出され、運よく天文得業生として働くことになったのでした。

    賀茂保憲は、この時四十四歳。晴明は、四つ年下の四十歳でした。

    しかも、保憲は、この時、天文博士の要職にあり、陰陽家としては、前代未聞の従四位下に叙せられているなど、時代を代表する天地陰陽術の異才でもありました。

    保憲は、晴明に見どころがあるとして、自分が得意とする天文道の教えを徹底的に仕込み、晴明は、師匠の保憲のあとをついで、972年には、自らが天文博士となったのでした。しかも、保憲は、晴明の次男である吉昌を、天文得業生に推挙してくれるなど、保憲の晴明に対する信頼と寵愛ぶりは、相当なものであったと思われます。

    そんな保憲が、977年、六十一歳で没すると、ここに来て、ようやく安倍晴明の時代が到来するのです。この時、晴明は、五十七歳になっていました。

    やがて、一条天皇が即位し、藤原道長が摂政・関白として絶対的権力を掌中におさめると、晴明は、保憲の子の光栄とともに、陰陽寮から離れ、天皇と直結する「蔵人所陰陽師(くろうどどころおんみょうじ)」となり、天文博士の職からは身を引くものの、その後も、長老として陰陽界に君臨し続け、師である賀茂保憲と同じ、従四位下に叙せられたのでした。

    これが、実際の安倍晴明の姿なのだということです。

    晴明は、その後、1005年9月26日に八十五歳で亡くなります。

    墓は、京都市右京区嵯峨門倉町の晴明神社の境内にありますが、一説には、晴明は、晩年信州の木曽福島町に移り住み、その地で没したという話もあるのだそうです。

    そのため、晴明の墓がある所から、その地を「清博士(せいばかせ)」と名付けたというのです。

    おそらくは、その頃流行りであった陰陽師と称する祈祷師などが移り住み、勝手に安倍晴明を名乗ったのかもしれません。こうした安倍晴明の墓なるものは、全国にさまざまあるようですから、信州のものも、その類なのかもしれませんが、もしも、本当に、安倍晴明が木曽福島の地に祈祷所を構えていたのだとしたら、ワクワクするような史実です。

    狐の子供ともいわれている安倍晴明のこと、そんなことが実際にあったとしても、何ら不思議ではないのかもしれませんね。icon06


    因みに、皆さんは、「陰陽師(おんみょうじ)」という言葉のイントネーションをどのように発音していますか?

    「* 。。。。」ですか?------でも、正解は、「。* * 。 。 」だそうですよ。child

      続きを読む


重い子供は乗っちゃダメ!・・・・・156

~ 今 日 の 雑 感 ~


重い子供は乗っちゃダメ!


    自転車の荷台に重量制限があるということを知っている人は、どれほどいるでしょうか?

    国民生活センターによると、一般的な自転車の荷台に積載できる重さの上限は、18キロなのだそうです

    と、いうことは、自転車の荷台に幼児用の席を取り付けている母親が、保育園へ子供を送り迎えする際、その席へ乗せられる子供の体重は、18キロまでということになるのです。

    しかし、この上限体重である18キロという数字は、たいてい、四歳ぐらいまでの幼児を想定するもので、これが、五、六歳にもなると、優にそれを超えてしまうのが普通です。

    それでも、保育園までの距離が遠ければ、子供を歩かせることも出来ず、また、子供を送ったその足でパートなどの仕事や買い物に向かわねばならない母親にしてみれば、自転車を利用したくなるのも当然のことです。

    とにかく、子供が小学生になるまでは、自転車の荷台に子供を乗せて通園させたいというのが母親たちの本音であろうと思うのですが、国民生活センターが実施したテストによれば、六歳児を想定した22キロの重さの人形を自転車の荷台に乗せて横揺れを加えた結果、7千回から4万2千回の振動で、接合部分が破損してしまったのだそうです。(幼児用座席取り付け可能の表示のない自転車4種類に対しての調査)

    しかしながら、子供を自転車の荷台に乗せて通園するのは、ほんの数年間のことです。それ以後は必要がないために、たとえ安全とは判っていても、わざわざ高額な三人乗りの自転車を買う気にはなれないという気持ちも理解出来ます。

    わたしの住む地域では、こうした自転車の荷台に幼児用の席を設けて、子供を通園させている親御さんを見ることは、ほとんどありません。なにせ、坂道ばかりの街ですから、とても自転車向きではないんですよね。ですから、子供も二歳、三歳の頃から自分の足で歩いて通園しています。(遠くから来る子供は、親が自動車で送り迎えをします)

    中には、お昼寝用の布団まで、自力で運ぶ子もいます。(田舎の子供は逞しい!)

    それにしても、この自転車問題は、都市部では深刻なようですね。そうかといって、子供を危険な荷台に乗せながら、通園させるのも怖いですし、新しく幼児用の席が付いた自転車を買わなくとも、今ある自転車に、安全に体重の重い子供でも乗せられるような改造が出来ないものなのでしょうか?

    自転車業界団体にも、アイデアを絞ってもらいたいものだと思いました。  続きを読む


続・ただの雑感・・・・・155

~ 今 日 の 雑 感 ~


続・ただの雑感(ネタがないので)(ToT)


   
    前にも、たぶん書いたことがあったと思うけれど、気に食わない人間が、あるブロガーのコメント欄にコメントを書き込んでいると、わたしは、一気に書き込みの気分を失ってしまい、「いい記事なんだけれどなァ・・・・」と、残念に思いながらも、撤退するのが常だが、ブロガーの中には、その逆をする者もあって、わざと、その先に書き込んだ気に入らないブロガーにプレッシャーでもかけるつもりで、長々と、しょーもないコメントを書き込んで来る、天の邪鬼ブロガーもいる。

    (しかし、最近二度ほど、それでも、どーしても書き込みたくて、書いてしまったことがある)

    あれは、どういう心理状態なんだろうな。「この記事のブロガーさんとは、わたしの方が親しいのよ」なんていう、虚栄心のなせる技なのだろうか?

    たぶん、そうなんだろう。つまり、一種の嫉妬心だな。「なんで、こんなブロガーを、『お気に入り』へ入れたのよ。あなたと一番親しくコメントしあっていたのは、あたしの筈じゃなかったの?くやし~~~~!!」な~んてね。face02

    とかく、男性ブロガーと女性ブロガーの間には、これがあるんだよね。女性の心理としては、たとえ、顔も名前も判らないブロガー同士の間でも、その男性ブロガーにとって、自分が一番じゃないと気がすまないんだ。(ハハ・・・)icon10

    それが、夫のいるブロガーでもそういう気持ちになるのだから、どうやら、そうして嫉妬を覚える女性ブロガーは、バーチャルの世界では、常に独身気分になっているようだ。それとも、夫への愛は充分にあるが、それとは関係なく、人間としての見栄の方が先走る訳か------。

    しかし、その思いが届かないとなると、ついには、自分の顔写真を何気なくブログに掲載することとなる。「ほら、わたしは、こんなに綺麗なのよ。他のブロガーなんかよりも魅力的でしょ?」

    この現象は、実に興味深いものといえる。(ー_ー)!!ウン

    それにしても、「ナガブロ」内には、一つの記事についてのコメントで、議論を戦わすということが少ないなァ~。当たらず障らずのコメントや、ブロガーへの中傷などには血道をあげるくせに、「その問題について、わたしの意見は違う」なんて、コメを書き込んだ途端に、そのブロガーは、ブログを書いた本人の「敵」になってしまうのだから、厄介だ。

    信州人て、もっと議論好きのはずで、そんな議論を通して友人関係を築いたりするのが得意だと思っていたのだが、どうも、「ナガブロ」内は、様子が違うようだ。

    自分の記事に対する反論は、命をもってあがなえなどという、何とも物騒な感情までも引き出してしまうらしい。よほど、過保護に育ったのか、怖いもの知らずなのか、謙虚さというものを知らないのか、困ったことだ。<(`^´)>

    こういうブロガーは、はっきり言って、議論の相手には向かない。間違いなく、感情論が先に立つタイプだから、おそらく、実生活の中でも、他人とのいさかいは絶えないのだろうな。

    それを、当人は、「波乱万丈な人生」などと、称して悦に入っているのかもしれないが、早い話が、「トラブルメーカー」ってことだ。

    まあ、要は、ナガブロガーには、根っからの信州人は少ないということなのかな。

    だから、わたしなんぞは、たまーに、反論コメントが入っていたりすると、「よっしゃァー!」ってなもんで、気合が入ってしまう訳で。でも、それに返事を書いてしまうと、その人は、決して二度とコメントをくれなくなるんだけれどね。face03

    しつこいのも困るけど、あっさり撤退した割には、陰でぐちぐち言われるのも、興醒めするよね。

    「わたしは、サッパリした性格だから、こだわりなんてない」なんて、いう人間に限って、案外ズルズルと引きずるものなんだ。その点、わたしは、自分で言うのも何だが、かなり執念深い根性悪な性格だから、「江戸の仇を長崎で」なんてこともよくある。

    「さそり座」ということも、少しは影響しているのだろうか。face06


      続きを読む


イジメを楽しむ・・・・・154

~ 今 日 の 雑 感 ~


イジメを楽しむ


  
    わたしは、小学生の頃から、クラスの者たちのやっかみの対象となることがよくあった。

    それが、イジメというものかどうかは定かでないが、とにかく、羨まし半分の嫌味を言われたりすることが、頻繁にあったのだ。しかも、ある時は、文集に載せる作文にまで書かれたことがある。

    理由は大したものではない。わたしの着ている服が綺麗すぎるというような、実に子供らしいものなのであるが、当時は、そんな些細な問題が、田舎の小学生にとっては、大議論の対象になったのである。

    しかし、その頃の教師は、そういう作文を平気で文集にして、各児童に配布するという荒芸を堂々とやってのけるのだから、今考えると、驚きとしか言えない。もしも、現在の小学校の教諭がそんなことをしたら、悪口を書かれた児童の親から、損害賠償の訴えを起こされることは必至である。

    なんとも、おおらかな時代だったと言えよう。

    しかし、そういう意味のイジメは、わたしが高校生になった時も、ささやかにあった。わたしが、他の生徒たちよりも少しばかり早く大学の合格が決まった時、同じ大学を受験したにも拘わらず落ちた生徒がいて、その生徒に同情した他の生徒たち数人が、わたしに嫌がらせを始めたのである。

    正に、自分の非力を棚にあげた妬みとしか言いようがないのだが、当人たちには、正義のためにその生徒に協力しているのだというような、馬鹿馬鹿しい高揚感があったらしく、嬉々として、この状況を楽しんでいるようですらあった。

    そんなことに現を抜かすよりも、自分たちの進学の方が重要だろうと思うのだが、何せ、大して勉強の出来る連中ではなかったようで、そんなことをしている時だけが、嫌な受験のプレッシャーを忘れられていたのかもしれない。

    しかし、わたしは、何故か、その時、このいわゆるイジメ的な雰囲気を楽しんでいる自分に気付いていた。それも、わたしには、よき協力者が三人ほどいたからである。

    その同級生たちも揃って幕末の歴史が大好きと来ていて、わたしに嫌がらせをする連中を、「新選組」にたとえていたのである。そんな協力者の一人が、ある時、イジメっ子連中が校舎の一角で、下校の際にわたしのことを待ち伏せし、一説教たれんとしているという情報を入手した。

    情報を聞き付けた同級生は、すぐにそのことをわたしと後の二人に報告し、下校時の逃走経路を綿密に調べ、走るのに邪魔になる学生鞄は、その中の一人があらかじめ運び出しておくという手を考え、待ち伏せ連中の裏をかいて、まんまと校舎から脱出することに成功したのであった。

    気分は、もはや、「新選組」から逃げおうせた長州藩の倒幕派志士の心境である。さしずめ、わたしは、桂小五郎にでもなった気持ちだった。

    それから、何日かして、そのイジメっ子の一人がわたしの家へ電話をかけて来た。電話の向こうでは、涙声で謝るのである。何故、その子が急にそんなしおらしい気持ちになったのか、よく判らなかったが、大学へすんなりと合格したわたしのことが羨ましかったのだと、言っていた。

    わたしも、謝られて、それでも許さんというつもりもなかったので、「あんたも、早く合格できるように勉強がんばりな」と、言って電話を切った。しかし、今のわたしには、その時のイジメっ子たちの名前すら記憶にない。

    正直、高校時代の同級生でフルネームを覚えている生徒は、数人だけである。

    イジメも楽しんでしまえれば、その程度の記憶にしか残らないものなのだ。face03

      続きを読む


風通しの良い家、悪い家・・・・・153

~ 今 日 の 雑 感 ~


風通しの良い家、悪い家


    
    俗に、家の中の風通しの悪い家庭は、病人が絶えないなどといいますよね。

    これは、何も、家族関係やご近所などとの人間関係のことを言っている訳ではなく、実際に、風(空気)の通り道のない家は、病人がでやすいということのようです。

    「でも、うちは、いつも窓を開けているのに、子供が病弱で・・・・・」

    などという家庭もありますが、どうやら、窓を開ければそれでいいということでもないようなのです。つまり、家の中に風の通り道を作ってやる-----と、いうことが大事なようなのです。

    入って来た風が、出て行く窓も必要なのだとか。こうすることで、家の中の余分な湿気がなくなり、雑菌やカビなどがはびこることを防げるのだというのです。

    でも、花粉症の人などは、こんなことをすれば、一気に症状が悪化してしまいますから、そういう人は、花粉の季節は、窓開けはほどほどにした方が無難でしょうね。

    この間、テレビを観ていたら、若いOLさんなのですが、咳が止まらずに困って、クリニックを受診したのですが、原因が判らずじまいで、症状は、ますますひどくなる一方のため、とうとう会社へも行けなくなってしまったという女性が、窓の近くへベッドを移動して休むようにしたところ、みるみる改善したという番組をやっていました。

    これも要するに、日陰になっていて、湿気がたまりやすい部屋の隅の方に就寝用のベッドを置いていたために、カビの胞子などが気管支に悪さをしていたということだったようです。

    また、ある女性は、観葉植物が大好きで、部屋の中に何鉢も置いていたところ、やはり、気分が悪くなり、めまいや吐き気、咳などの症状におそわれ、病院へ行ったところ、どうやら犯人は、その観葉植物だったということが判明したのです。

    観葉植物が放出する湿気が、風通しの悪い部屋中に常に滞り、一種のアレルギー症状を起こさせていたのだということでした。

    昔の人たちは、そんな科学的なことはまったく判らなかったものと思いますが、風通しの良い家は、健康に過ごせるということを、長年の経験から知っていたのだと思います。

    冬の寒い時は無理としても、今の時季、冷房で閉め切っている部屋の窓を時には開放して、部屋に自然の風を通してみるのも、気分が変わってよいかもしれませんね。face02


    (すみません。ちょっと記事の内容が古かったかな?八月中に書いたもので・・・・)(^_^;)  続きを読む


夏の終わりの顔面マヒ・・・・・152

~ 今 日 の 雑 感 ~



夏の終わりの顔面マヒ



    暑い夏が過ぎ、朝晩の風が涼しく感じられる頃になると、次のような症状を訴えてクリニックを訪れる患者さんがよくいるそうです。

    患者  「先生、朝起きたら、何だか顔半分が重だるくて、歯磨きをしたあと口をすすごうとしたら、口の端から水がみんなこぼれてしまって、うまくすすげないんですよ。それで、朝食を食べる時も、味噌汁がやっぱり口の端から流れ出てしまって、これはおかしいと思って来てみたんです」

    医師  「痛みは、ありますか?」

    患者  「いいえ、大して感じません」

    医師  「重だるいのは、顔半分で、もう半分は何でもないんですね?手足にしびれはありますか?」

    患者  「顔半分だけです。手足には、そういうことはありません」

    (何か、ちょっと、誰かのブログの書き方に似てしまって、ヤダナー)face03

    これは、たいてい、いわゆる「顔面(神経)マヒ」の症状なのだそうです。この症状になっている人は、麻痺している方の顔半分の目も、瞬きが出来ず、閉じることも出来ないため、眼球が乾燥してひどい場合は失明する恐れもあるといいます。

    ですから、医師は、症状に合わせた目薬と眼帯を併用すること、そして顔面のマッサージを勧めるそうです。こうした症状になった場合は、口笛を吹くということも出来なくなるといいますから、変だなと、思った時は、試してみるのもいいでしょう。

    では、何故、この「顔面マヒ」の患者が、夏の終わりに集中するかといえば、一番の原因と思われるのが扇風機の使いすぎなのだそうで、常に同じ方向からばかり風を受けるような生活を続けていると、そちら側の顔面半分に、そうした症状がでやすくなるのだといいます。

    これは、トラックの運転手のように、やはり開けた同じ側の車窓からばかり走行中に風を受けている人にも時々見られるもので、風に限らず、熱や一定の刺激に対しても起きることがあると聞きます。

    しかし、「顔面(神経)マヒ」は、「顔面(三叉)神経痛」とは、症状がやや異なるものだそうで、「顔面神経痛」のように、激しい痛みがあり、脳やその他の病気が原因(ウィルスが原因の場合もある)で起きるものとは違い、比較的完治(自然治癒)が容易なものだといいます。早い人では、二週間ぐらいで治りますし、遅くても半年ぐらいで元に戻るようです。(ただし「顔面マヒ」も、病気やウィルスが原因で起きる場合もあるとのこと)

    ただ、その間の生活には、不自由な面は否めません。言葉もはきはきとは話せませんし、食事にもある程度の支障はでます。

    また、これとは違った過程で「顔面マヒ」になる場合も、稀にあるそうです。それは、ひどいショックを受けるなどの心理的要因が元になる場合です。わたしの叔母が、十年前にくも膜下出血で倒れた時、そのあまりの痛がりように、そばで見ていた叔父の方が動転してしまい、この「顔面マヒ」になってしまったことがありました。

    叔母の手術中、患者の家族が待機する場所にわたしもいたのですが、叔父の右目が全く瞬きをしないことに気が付きました。わたしが、隣に腰掛けている母に、「顔面マヒみたいだね」と、言うと、母も気付いていたようで、「うん、そうだね。きっと急激なストレスが原因だよ」と、言いました。

    その叔父の症状は、叔母が退院するまで、半年弱続きましたが、叔母が退院した途端に完治しました。face08

    この夏、「扇風機に当たり過ぎたな」と、思う人は、時々、自分の顔に注意してみてください。

    そして、もしも、少しでも奇妙だと感じたら、即刻、医師の診察を受けて下さい。 



    (注)  上記の症例は、あくまで、わたしが取材した人の経験談に基づくものですから、医学的に正確なものかは判りません。

      続きを読む


クチコミサイトを読む・・・・・151

~ 今 日 の 雑 感 ~

 
クチコミサイトを読む


    
    旅館やホテルの宿泊施設の「クチコミサイト」を読んでいると、本当に勉強になることが多い。

    どのホテルが、どのような客のもてなし方をしているのか、一目瞭然である。

    料理はほどほどだが、器の品がないとか書かれているのを読むと、客は、料理が盛られている皿や小鉢にまで高級志向を求めていることが判り、この客は、よほどの食通なのだな------と、思う。

    また、温泉のお湯が熱くて風呂に入られなかったと、書き込んでいるような客は、おそらく、あまり旅慣れていない人間なんだろうなとも、考えることができる。

    でも、こういう「クチコミ」を読んでいて思うことは、押し並べて、大きなホテルよりも、ごく小さな家族経営のような旅館の方が案外、客の評価が高いということである。

    雨で濡れて旅館へ戻ったら、時間に関係なく大浴場を使わせてくれたとか、帰宅途中のお弁当にと、御握りを作ってくれたとか、チェックアウト後にもかかわらず、お風呂へ入らせてくれたとか、そんな、実に些細なこころ配りが、客の好評を得ているのである。

    ここで判ることは、客は、コストパフォーマンスがまずまずで、宿泊施設が快適に過ごせることは、もちろんであるが、それ以上に、自分たちだけが特別扱いされているといった、ほんの小さな優越感を感じることで、評価の度合いを高くするという現実である。

    つまり、過度なお愛想などよりも、ごく自然な心配りの方が、そのホテルや旅館の付加価値を高めるということなのである。

    実は、わたし自身も、かつてあるホテルへ泊まった時、そこは、特別建物が新しい訳でもなく、食事も部屋食ではなく食堂で食べるもので、客室も古かったのだが、ホテル自慢のハンドメイドのヨーグルトが絶品で、それだけを目当てに、何度もそのホテルを利用したことがあった。

    また、そのホテルは、ロビーにピアノが一台あり、それは遅い時間でなければ誰が弾いてもいいというもので、そんなサービスも魅力的だったと思う。

    どんなに、高級な建物でも、従業員教育がなっていなければ、魅力も半減だろうし、忙しさにかまけて、投げやりな対応を取られても、二度とその旅館やホテルへは泊まる気がしなくなるものだ。

    そして、もう一つ、「クチコミ」が指摘しているのは、宿泊施設の良し悪しは、その街の雰囲気にも左右されるということである。旅館から外へ出た時の温泉街のありようも、また、大いに評価基準に反映するのである。旅館がどんなに素晴らしくても、一歩外へ出た時に、商店街が軒並み戸じめだったとか、散歩の途中で立ち寄った飲食店の対応がぶっきらぼうだったとか、それだけでも、客の期待は半減してしまうというものらしい。

    しかし、それをすべてクリアしようとしても、旅館やホテル内部の努力だけでは限界がある。

    ただ、少なくとも、温泉客に対する街の対応を改善するためには、宿泊施設側の街の住民への接し方が最も重要なファクターを握っていることは否めない事実である。旅館経営者が、街の住民への愛想をよくするとか、自分たちは「旅館さま」なのだなどと威張らないとか、旅館で使う食材は街うちで揃えるとか、旅館の客を外へ出さないような自己本位の経営をしないとか、客には街中で出来るだけ買い物をしてもらうように気を配るとか、そういうことを地道に続けることで、温泉街を巻き込んだ高評価を得ることができるのだ。

    「クチコミ」を、読んでいると、旅館やホテル側が努力しなければならない課題は、まだまだ気が遠くなるほど山積しているように感じた。

          続きを読む


「温泉の素」が消えた!?・・・・・150

~ 今 日 の 雑 感 ~


    
「温泉の素」が消えた!?♨


    わたしの知り合いの女性に皮膚に疾患のある人がいて、いつも乾燥肌で痒みもあるため、長年、草津温泉の湯の花を原料とした「温泉の素」を、家庭のお風呂で利用していました。

    しかし、その愛用していた「温泉の素」が、ある時から、懇意にしていた商店から消えてしまったというのです。その女性の場合、その「温泉の素」を、入浴する時に、洗面器のお湯の中に少量入れて、身体にかけると、痒みもおさまり、とても具合がよかったのだといいます。 

    彼女は、何処か別の店にその商品が売られていないかと、あちらこちらを訪ねてみたそうなのですが、やはり、置いている店はありませんでした。何故、そんな昔から地元で売られていた「温泉の素」が、突然姿を消したのかといいますと、例の、白骨温泉のお湯を白濁させていたという「入浴剤騒動」により、販売元が、その製品を作らなくなってしまったからなのだといいます。

    その女性に言わせると、「あそこまで、問題を大きくする必要があったのか?県知事自らが、ホテルまで乗り込み、保健所や警察署の人間のような真似までして、入浴剤を悪者にしてくれたおかげで、わたしたちのように、その入浴剤を必要としている人間が使えなくなってしまったことへの責任は、誰がとってくれるのか?」と、いうことになるのです。

    あの「入浴剤騒動」にしても、入浴剤そのものに罪はありません。それを使って身体に支障が出たなどということは、一度もなかったのです。しかし、まるで、入浴剤を敵のように書きたてたマスコミの対応に苦慮した草津温泉の製造元などが、自主回収に回らざるを得なくなってしまったというのです。

    もう、あれから、何年も経ちますが、その時の余波は、未だに残っているのです。

    前知事自身は、サッサと国政に鞍替えして、もうあの時の一件など忘れているのかもしれませんが、あの軽率な行動によって、あらゆるところで、被害をこうむった人たちが大勢いるという事実は、決して消えるものではないのです。

    その女性は言います。

    「わたしは、政治なんかさっぱりよく判らないけれど、でも、世の中には、絶対政治家になってはいけないという人間はいるものなのよ。自分がとった行動が、どういう影響を周囲に及ぼすのかということの想像すら出来ない人間に、国民の生活なんか守れる訳ないんだから!」

    彼女は、今も、その「温泉の素」が、何処かで販売されていないか、探し続けているのです。   

      続きを読む


死体は語る・・・・・149

~ 今 日 の 雑 感 ~


 
 死体は語る



    昨年、全国の警察が扱った死因が明らかでない、いわゆる異状死体は約16万1800体に上るが、そのうち、司法解剖が行われたのは、約6300体であった。

    つまり、解剖医不足のため、全異状死体の3・9パーセントしか、解剖による確実な死因が見極められていないということなのである。

    解剖を怠ったことによる犯罪の見落としも少なくないと思われ、2007年には、大相撲時津風部屋の力士急死も、犯罪であることが見過ごされるところであった。

    そこで、実際の解剖をしなくても、かなりの精密度で死因を特定できるというシステムとして、今、「A i 」が注目されている。「A i 」とは、「Autopsy imaging 」の略で、死因究明のため、遺体をコンピューター断層撮影(CT )や、磁気共鳴画像装置(MRI)で調べる方法のことである。遺体にメスを入れずに、解剖が必要な体の部位を予め絞り込むことが出来たり、データの収集もできるなど、後に、事件性が発覚した場合でも、適切に対処できるという利点があり、解剖医不足の自治体などにも、大きな捜査戦力となり得る手法である。

    近畿大学では、このコンピューター断層撮影と三次元画像処理ソフトを組み合わせた機器を用いて、恐ろしいほどに鮮明な画像で死体全身の骨格から、脳の内部までを、1ミリ単位の正確さで詳細に見ることが出来るという。

    裁判員制度が始まり、最高検は「この制度でも、事実認定のため、裁判員にも相当に悲惨な死体の写真を示さなくてはならない」と、言う方針を打ち出しているため、もしも、実際に、頭部を解剖した写真が法廷の大画面に映し出されて、一般の裁判員が、冷静に正視できるかといえば、それは、かなり難しいと言わざるを得ない。

    しかし、この「A i 」の画像ならば、よく学校の理科室にある人体標本の模型とさほどの差はないため、裁判員にも比較的容易に受け入れられるのではないかと、専門家も話しているという。

    そういえば、わたしの好きな「チーム・バチスタの栄光」も、犯人の手口を見極めるために、この「A i 」を、使っていた。

    これが、全国の警察署に利用されることになれば、犯罪の検挙率も格段に上がるのではないだろうか?いや、それにすぐ結びつかずとも、死因がうやむやにされ、他殺が事故死で片付けられるようなことは、格段に減るのではないだろうか。

    「A i 」導入で、死体は、今後ますます多弁に語り始めることになるのだろうと、各方面から期待されている。  続きを読む


ただの雑感・・・・・148

~ 今 日 の 雑 感 ~


ただの雑感(ネタがないので)(>_<)


   
    わたしのパソコンは、クリックした途端に画面が一瞬下へ落ちることがよくある。

    だから、「ナガブロ」のトップページを開いて、並んでいる写真を見て、「お、これ見てみよう」と、その写真をクリックした時、画面がゴンと、下へ落ちる訳で、結局、開かれたのはその写真の上のブログ-----なんてことがしょっちゅうなのだ。

    そんな時は、「うェ、またか」と、思う訳で、でも、その間違って開いてしまったブログが、案外面白かったりもする。

    しかし、中には、絶対に読みたくないと思うブログもある訳で、誤ってそれが開いてしまった場合は、こちらの「足あと」が、しっかり相手の管理画面に残ってしまうので、実に、ムカつくのだ。

    トップ画面を見る時は、「足あと」を消す設定をすればいいのだろうが、何せ、性分が面倒臭がりやなもので、ほとんど「ログアウト」状態にすることはない。

    今日もまた、ど~でもいいブログを一つ誤ってクリックしてしまった。わたしが、既に読む意味のないブロガーのブログだと思っているものだ。たぶん、わたしのハンドルネームを「足あと」に発見したブロガーは、「粗忽者が!」と、嘲笑っていることだろう。いや、もしかしたら、中信地域に住むさるブロガーが、時々わたしにやるような、「ある種の嫌がらせ」と、捉えられているかもしれない。

    でも、それならば、それでもいいのだが、もしも、こちらが引導を渡したブロガーのブログに、わたしの「足あと」が、突然、現われた時は、パソコンの不調による単純ミスだと、ご理解願いたいものだ。face03

    ただし、時々、わたしの甥っ子が、わたしのパソコンで「ナガブロ」を見る時があるので、その際に、「足あと」が残ることがままあることも、重ねてご了承願いたい。face02




    ところで、この間、テレビを観ていたら、視聴者投稿ビデオの中に、実に恐ろしいシーンが写り込んでいるものがあった。

    病室の青年が寝ているベッドの脇から、見知らぬ人の顔がのぞいているものや、三面鏡の前で書きを梳かしている三歳ぐらいの女の子が、ビデオを撮影しているお母さんの方を向いて笑っている時、三面鏡の中にはもちろん女の子の後頭部が映っているのだが、ただ、一番右端の鏡にだけは、前を向いてこちらを睨む女の子が映り込んでいるという、何とも奇怪なものであった。

    もう一つは、夜の闇の中を、白い着物を着た首なしの男がものすごい叫び声を発しながら、若者たちを追い掛けて来るという映像。これも、かなりのインパクトがあった。

    これらは、もし映像処理をされたものでなければ、何と説明したらよいのだろう。

    スタジオのゲスト・タレントたちも、あまりの怖さに、凍りついていた。face10icon10

    

      続きを読む


ああ、勘違い!・・・・・147

~ 今 日 の 雑 感 ~


ああ、勘違い!(>_<)


    世の中には、「どうしてこんなことを!?」と、いうように、他人が仰天するような勘違いをしている人が、たま~にいるものですね。

    たとえば、わたしの住む地域の自治会の責任者を、組長と呼ぶのですが、その組長は、一応住民の投票で選ばれます。

    ほとんどが、長年この土地に住んでいる年配者の中から選ばれるのが常ですが、それでも、中には、選ばれるまでに何年もかかってしまう人もいるのです。

    そうなると、候補者であるご主人よりも、やきもきしてしまうのが妻の方で、うちの主人は、このまま、組長を経験しないで終わってしまうのだろうかと、心配でならないのです。

    ところが、そんな時、ご主人がようやく組長に選ばれたという女性がいました。しかし、いざ、選ばれてしまうと、今度は、組内の様々な行事や書類の作成、会計などなど、仕事が目白押しで、他の役員たちの協力があるとはいえ、ご主人の能力では、何とも心もとないと、思った女性は、いつしか、相談役や、役員の人たちがその組長宅へ集まると、必ず、ご主人のそばに座って、話を聞くようになっていたというのです。

    これには、役員たちも、呆れかえり、

    「奥さん、ここは、一応、組の役員会議の場なんだから、関係ない人は遠慮してもらいたいんですけれどね」

    と、言いましたが、その女性は、言われている意味がよく判らなかったものか、

    「だって、あたしは、組長の妻なんですよ。一緒に話を聞いてもいいじゃないですか」

    と、ひどく不思議そうに言ったのだそうです。

    そして、この女性は、ついに極めつけの「勘違い」をしでかしてしまったのです。正式な組の会合が公会堂であった時、ご主人がちょうど病気で欠席しなければならなくなったにもかかわらず、副組長へ委任をすることなく、この女性が組長代理だといって、出席してしまったのです。

    会合に出ていた組員たちは、皆、びっくりしました。組長が欠席の場合のために、副組長がいるのです。どうして、まったく関係のない組長の妻が、会議を仕切らねばならないのでしょうか。

    これには、流石に、役員たちも厳しく言って聞かさねばならないと腹を決め、

    「奥さん、組長さんの代理は、副組長さんがやりますから、席から下がってもらえませんかね」

    と、説得したところ、やっと、女性は、自分が場違いのことをしているのだという現実を察し、思わず赤面して、そこから逃げ出したのだといいます。

    南米の何処かの国では、夫が大統領になった途端、次の大統領には自分がなれるものと信じて、議員の資格もないのに、いきなり選挙に打って出ようとした夫人もいたと聞きます。

    女性の中には、自分の夫が役職に就くと、自分も同じくその職に就いたように勘違いをしてしまう者がいるのです。

    確かに、奥さんの内助の功でご主人は出世出来たのかもしれませんが、夫と妻は、まったく別の人間なのだということを、しっかりと、肝に銘じてほしいものだと、思いました。icon09icon08  続きを読む


老人の話はくどくなる・・・・・146

~ 今 日 の 雑 感 ~


    
老人の話はくどくなる


    先日、友人たちと話をしていたら、「どうして、年寄りの話は、やたらにくどくなるのか?」という話題になりました。

    すぐに、言葉が口から出て来ずに、こちらが質問しても、相当時間が経ってから返事が返って来るのも、不思議だと、いうのです。

    特段、耳が遠いという訳ではありません。こちらの言葉は、はっきりと聞こえているのです。でも、返事をするまでに時間がかかる。質問の意味が理解出来ないのか?-----と、思うと、そうでもないのです。

    すると、ある友人が言いました。「経験がありすぎて、何から先にしゃべったらいいのか、どんな言葉で語ればいいのか、自分の話が間違っていたらどうしようとか、そんなことを色々考えているうちに、返事に時間がかかってしまうんだと思うよ」

    それを受けて、別の友人が、「わたしだって、この前、若い人たちに交じって、ある試験を受けたんだけど、最後に作文が出て、テーマが、『涙』でね、若い人たちは、みんな、何の躊躇もなくスラスラと書き始めているんだよね。でも、わたしは、すごく悩んじゃって、原稿用紙と十分もにらめっこしちゃった。だって、『涙』にも、いろんな『涙』があるでしょう?嬉し涙や、悲しい涙や、悔しい涙や------。わたしには、あんまりたくさんあり過ぎて、何を書いたらいいのか、判らなくなっちゃったのよ」

    わたしも、聞いていて、確かにそうだろうなと、思いました。二十代の頃の『涙』にまつわる思い出などは、身内が、亡くなったこととか、飼っていた犬や猫が死んだこととか、怪我をしたり病気になったりしたこと、イジメに遭ったなどということぐらいの、ごく狭い経験しかありませんが、年を取るにつれて、『涙』の訳も、複雑に変化し、それに対する感受性も若い頃とは変わって来ます。

    「死」という概念一つにしても、「小さな女の子が交通事故で死亡」などというニュースに接した時、わたしたちは、「可哀そうに」「気の毒に」「ひどい話だ」などと、思いますが、ある高齢者の女性に意見は、それとはまったく違うものでした。

    その女性は、こう言ったのです。「死んでよかったんだよ。この世の中、女なんて、生きていたって面白いことなんか何にもありはしない。わたしみたいな寂しい年寄りになるくらいなら、子供の頃に死んじまったほうが幸せってもんだよ」

    そんな会話の途中に、一人の友人は、「だから、お年寄りの話は、やたらくどくなるんだね」と、言い出したのです。

    「わたしね、近所のお年寄りの人たちと世間話をするボランティアをやっているんだけれど、お年寄りの話って、すごく進み方がのろいのね。いつまで待っても、結論が出て来ないの。それこそ、お寺へお参りに行ったという話でも、朝起きて、庭の花に水をくれたところから始まるのよ。それも、まっすぐには進まずに、お隣のおじいさんが出て来て挨拶をしたという所から、そのおじいさんのお孫さんの話の方へ脱線して行ってしまうのね。こちらが、お寺の話の方へ話題を軌道修正しようとしても、また、違う方の話を延々と続ける訳よ。どうして、そんなことになってしまうのか、最初のうちは判らなかったんだけれど、この頃、ようやくその理由が判ってきたの」

    その友人が、気付いた理由というのが、

    「お年寄りは、みんな、寂しいんだよ。話をサッサと進めて、結論を出してしまえば、わたしたちが、早く別の人の方へ行ってしまうと思っているみたい。出来るだけ、長く自分のそばに引きとめておきたいから、わざと、話を長引かせているんだよね」

    そうなんです。そのことは、わたしも薄々気付いていました。

    これは、今から、五、六年前のことですが、近所の主婦が困っていたことがあったのです。ある時、その主婦が、買い物先で偶然に一緒になった七十代の女性に、何気なく「今度、うちに遊びに来て下さい。お茶でもどうですか?」と、誘ったところ、その夜さっそくその七十代の女性が主婦の家を訪れ、深夜の十二時を過ぎても帰らず、おしゃべりを続けていたのだというのです。さすがに、主婦のご主人が怒ってしまい、女性の家族に電話をかけて、迎えに来てもらったのだと、話していたことを思い出しました。

    高齢者は、心の中に、山のような憤懣や、寂しさを抱えている。話をしている時だけが、唯一、安心していられる時間なのでしょう。しかし、高齢者同士の対話では、自分の方が大変な思いをしているんだという被害者意識と自尊心の方が前面に出てしまい、とかく、トラブルが発生しやすくなることも事実なようです。

    これからは、ますます高齢化社会が進み、自分の話を聞いてほしいと思う老人が急激に増えて行くものと思います。そういうことも考えて、高齢者自身もまた、話は出来るだけ簡潔に済ませるという努力をして頂きたいと、思うのです。icon23

      続きを読む


軍歌を歌ったことありますか?・・・・・145

~ 今 日 の 雑 感 ~



軍歌を歌ったことありますか?



    皆さんは、「軍歌」を歌ったことありますか?

    どんな「軍歌」を、ご存じですか?

    今では、戦争回帰とか、古臭いとかなどの理由で、あまり歌われなくなった「軍歌」ですが、そういう政治的背景をまったく抜きにして聴いてみますと、どうして、これが、なかなかの名曲が目白押しなのです。

    歌詞も、曲も、今の若手が作る曲先の歌とは根本的に違い、軍歌の歌詞は、日本語の美しさを最大限に引き出している、実に的確な言葉遣いを用いているものが多いのです。

    しかし、現在は、軍歌を歌いたいなどといえば、右翼か何かと勘違いされるというので、カラオケでも敬遠されがちだと言います。そんな訳で、肩身の狭いジャンルではありますが、もしも、これらの軍歌の歌詞を書き換えたら、もっと気軽に歌えるようになるのではないだろうかと、考えます。

    それほどに、曲のいい歌がたくさんあるのです。

    特に、わたしが好きなのは、「空の神兵(そらのしんぺい)」「燃ゆる大空」「雪の進軍」などです。

    「空の神兵」は、落下傘部隊の勇姿を描いた歌ですが、歌詞といい、曲といい、今聴いても、決して不自然さのない「軍歌」だと思いますし、特に、メロディーの美しさは、たくさんの軍歌の中でも群を抜いていると思います。

    また、「燃ゆる大空」は、その軽快なメロディーを、一度聴けば必ず覚えてしまうほど、明るく、さわやかな軍歌です。

    そして、皆さんもよくご存じの「雪の進軍」。これは、映画「八甲田山」の中で、雪中行軍をする兵隊たちが何度も口ずさむ有名な軍歌です。

    でも、せっかくのこの名曲も、軍歌というだけで敬遠されるというのは、如何にももったいないと思うのです。何とか、歌詞を現代の人たちが気軽に歌えるようなものに変更して、後世まで歌い継ぐことは出来ないものでしょうか。

    年配の従軍経験者たちだけが、過去を偲(しの)んで歌うというだけでは、きっと、あと数十年で、こうした歌は日本の歌謡史から姿を消してしまうのではないかと思うのです。

    戦争とは全く切り離して、純粋に歌謡としての「軍歌」を評価してみるのも、必要な時期が来たともいえるのではないでしょうか?
   
  続きを読む


ピアニスト・辻井伸行・・・・・144

~ 今 日 の 雑 感 ~


ピアニスト・辻井伸行


   
    世の中に、ピアニストと呼ばれる人は星の数ほどもいますが、その演奏テクニックをこれでもかと見せつけたり、いわゆるコンクール必勝マニュアル通りの弾き方で、聴衆を惹きつけたとしても、それは、ほんの一時の喝さいを浴びるだけで、そのピアニストの生命を持続させることはできません。

    音楽も、絵画などの芸術を同じように、その演奏家独自のだれも真似の出来ない「色」が出せなくては、本物といえないのが常です。

    世界中に毎年現われては消えて行くあまたの綺羅星の如き、若いピアニストたちの中で、この辻井伸行というピアニストには、何処か他の者たちとは違うな-----と、思わせるものを、わたしは感じました。

    わたしは、辻井さんの演奏をテレビでしか観聴きしたことがありません。しかし、初めて、彼の演奏を聴いた瞬間、何か、とても温かな感覚に包まれたのです。

    辻井さんのピアノには、特別あざとい技術がある訳ではなく、最近の若手によく見られる大袈裟なパフォーマンスがある訳でもありません。

    聴衆に媚びるような技を労しなくとも、その身体からにじみ出る何とも言えない優しさが、音となってピアノの鍵盤からあふれ出るといったような、絶妙な味わいが、彼の演奏にはあるのです。

    おそらく、それは、辻井さんが生れながらに持っている本能的な勘といいましょうか、筋肉の収縮といいましょうか、誰かに教えられて身に付いたというものではなく、辻井さんが天性有している独自の力加減が、そんな演奏を可能にしているのだと思います。

    大きく翼を広げたと思った途端、すうっとその力を抜く。抜いたと思った瞬間に、再び這い上がるような伸び上がりを見せる。今まで、何度も、聴きなれた曲が、まったく別物のように生命を吹き込まれ、生まれ変わる-----。

    まったくの素人が聴いても、「おっ、いいね」と、思ってしまう安心感が、そこにはあるのです。

    ピアノを弾いたことのある方はお判りになるでしょうが、他の楽器と同様に、いったん鍵盤の位置が頭に入ってしまうと、何処にどの音があるかなどということは、特別鍵盤を見ずともほとんど感覚で判るものなのです。もし、目をつむっても、簡単な曲なら、普通の人でも空で弾くことが可能です。

    つまり、目の見えない人がピアノを弾くのと、健常者が弾くのと、さほどの違いはありません。つまり、問題は、一番最初に弾こうとする曲を、どのように覚えるかということだけなのです。それを、楽譜で覚えるか、点字の譜面で覚えるか、耳だけで聞いて覚えるか、それは、ピアノを弾く人の選択の自由というところでしょう。

    もし、健常者でも、楽譜の音符が理解出来なければ、誰かの演奏したピアノ曲を何度も聴いて覚えてもいいのです。そこに、メリット、デメリットはありません。

    確かに、辻井さんは目が不自由ですが、一般のピアニストと、何ら変わりはないのです。それでも、彼のピアノは素晴らしい。そして、素晴らしいと思えることの理由のもう一つに、辻井さんの演奏がとても判りやすいということもあるのです。

    芸術でも、文章でも、判り易さというものは、とても重要です。

    何故か、辻井さんの演奏を聴いていると、「あ、もしかしたら、わたしにも弾けるかも・・・・」と、思わせるような親しみやすさがあるのです。もしも、子供たちが、彼の演奏を聴いたら、「自分もピアノを習ってみようかな?」と、思うのではないかとすら感じます。

    わたしにとって、辻井伸行というピアニストの出現は、ちょっと嬉しい発見でもありました。




    ***  辻井伸行-----ピアニスト。1995年7歳で全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノ部第1位受賞。2009年6月7日、アメリカで開催されたヴァン・クライバーン 国際ピアノコンクール優勝。

      続きを読む


男の戦争と女の戦争・・・・・143

~ 今 日 の 雑 感 ~


男の戦争と女の戦争


    人間の記憶というものほど、不確かなものはないようです。

    あれほど辛く、苦しく、悲惨な記憶であるはずの太平洋戦争も、時が経るにつれて、人の心の中では、様々な化学変化を起こし、ある人にとっては、逆に甘美な記憶へとすり替わってしまうことすらあるようなのですから。

    また、逆に、大して辛い経験ではなかったことまでも、恐ろしく悲惨な体験として、記憶に刻まれてしまっているという人もいます。

    この記憶の違いは何なのでしょうか?同じ体験をしても、ある人は、良き思い出として、また、ある人は、二度と思いだしたくないほどの現実として心に刻んでしまう。

    わたしには、色々、戦争中の体験談を高齢者の方たちに取材しているうちに、そこには、簡単にいって、男女の性別の違いがあるように思えて来たのです。

    わたしが、話を聞かせて頂いたある男性高齢者の方は、海軍の主計兵(調理場で働く兵士)でした。

    その男性は、軍艦の中で兵士たちの食事を作る仕事をしていたのですが、やはり兵隊である以上敵の攻撃にさらされながらも、懸命に縁の下の仕事に従事していたといいます。

    その男性は、やはり、上官に殴られたり、毎日怒鳴られてばかりいたそうですが、それでも、その当時の話をする時は、何故か、とても、懐かしそうで、楽しそうですらあるのです。そして、未だに戦友と会えば、涙を流しながら『同期の桜』を熱唱するのだといいます。

    その男性が言うには、「少なくとも、戦時中は、男としての生き甲斐があった。生死が隣り合わせの過酷な環境だったが、それでも、真の友人が出来、毎日が生きているという充実感でいっぱいだった」と-----。

    しかし、これが、女性となると、まったく感じ方が違うのです。ある高齢者の女性は、看護婦として戦地で、負傷兵の治療に従事したそうですが、それは凄惨な現場で、病院とは名ばかりの医薬品などほとんどない不衛生な場所での勤務だったといいます。麻酔なしでの手術など日常茶飯事で、もう二度と、あんな思いはご免だと言います。

    戦後も、その記憶を必死で抹殺しようと努め、軍歌も戦争ドラマも大嫌いだというのです。戦争の記憶を風化させてはいけない、などというのは、戦争を知らない世代の人たちの理屈で、心底戦争は嫌だと思う人間にとっては、たとえ終戦記念日とはいっても、その頃の話など、テレビで放送するのはやめて欲しいと思うと、いうところが本音だそうです。

    そんな気持ちの彼女のところへ、ある日、突然、かつて病院で世話になったという元軍人が会いに行きたいと手紙を寄こしたこともあったそうですが、彼女は、きっぱり断ったといいます。

    どうして、あんな嫌な記憶を、いまさら思い出すようなことをする気になるのか、彼女には、その元軍人の気持ちが判らないというのです。

    元軍人は、おそらく、当時の若く美しい看護婦から受けた親切が忘れられず、その時のお礼を言いたいという純粋な思いで、彼女との面会を望んだのだとは思いますが、しかし、女性にとっては、あんな戦火の中の恐ろしい記憶の断片を、たとえ一時でも思い出すことすら辛かったに違いありません。

    この記憶の持つ意味の違いを考える時、男性は、とかく、過去の出来事を美化する傾向があり、女性は、より強い嫌悪感へと拡大する傾向にあるように思いました。

    ですから、わたしは、戦争体験を高齢者に語ってもらう時、男性の話は、ある意味、やや割り引いて聞くことにしていますし、女性の話は、より、正味に近いものとして聞いています。

    また、陸軍にいた元兵隊と、海軍にいた元兵士の方では、やはり戦争の捉え方は違いますし、戦地での経験がある方と、内地勤務だった方では、また、戦争に対する感覚も違います。

    それに、戦場で戦った兵士よりも、満洲からの引揚げの民間人の方が、より過酷な終戦を迎えたとも言えるのです。引揚者の中には、ソ連兵に見つからないようにと、泣いている赤ん坊を、もう一人の幼い兄弟に抱かせて、二人を背後から銃で撃ち殺し、上の兄弟だけを連れて日本へ戻って来たという、一家の人の話も聞きました。

    このような色々な体験談を聞くと、一口に「戦争は嫌だ」などという単純な言葉では言い表せられない現実が,たった六十四年前にあったのだということを、改めて、考察し直さねばならないと思うこの頃なのです。  続きを読む