色々おしゃべり 19
2013年03月31日

新聞のコラムにあったのだが、海外暮らしが長かった人が帰国してまず感じることは、
「日本のテレビ番組から、海外ニュースや海外の話題が減った」
と、いうことだそうだ。
かつて高視聴率を上げていた番組に、『ここがヘンだよ、日本人』という討論番組があったが、大勢の外国人をスタジオに集めて、日本の悪いところや外国人には理解できない習慣などを発表してもらい、日本人の有識者やタレントたちと侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を戦わせるという内容であった。
しかし、現在の日本でこのような日本叩きの番組を放送しても、ほとんど視聴率は稼げないだろうと、コラムの筆者は述べる。
特に、東日本大震災以降の日本では、日本人の悪口を言ったり、日本の短所を暴いたりすることは、放送業界でもタブーとなっているのかもしれず、とにかく日本を元気にするような番組作りが求められるのだろう。
それには、海外で活躍する日本人や、かつて世界から一目置かれた立志伝中の日本人などを取り上げることが不可欠で、
「今までは敗戦の痛みを引きずり、やみくもに世界に対して負い目を感じて小さくなって来たけれど、もうそんな必要はないんだ。日本は神代の時代から世界の中でも、類まれな恩恵に満ち溢れた優秀な国なんだ。誇りを持って、胸を張ればいい」
そう国民に自覚させる時代に突入したのだということを、マスコミもあらゆる手法を用いて前面に押し出すようになったということに違いない。
しかし、これは間違っても諸外国が考えるいわゆる「愛国精神」とは違う。
何故なら、日本人が誇るものは、日本という国でもなければ政府でもない。
国土の自然であり、文化であり、そこに暮らす人々の才能や英知の卓越さなのである。
この微妙な感覚の違いを見誤れば、どれほど日本を褒めそやし鼓舞する番組でも視聴者は一気に引いてしまうだろう。
以前、長野県出身のあるテレビ局の海外支局勤務記者が、こんな発言をしていた。
「海外赴任地では、『あなたは何人か?』と、訊かれることがある。そんな時、わたしは、『日本人です』と答えるのではなく、『信州人です』と答えることにしている。日本人としての誇りよりも、信州人としての誇りの方が勝るからである」
この言葉にこそ、日本人の真のプライドが納得できるような気がするのである。
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色々おしゃべり 18
2013年03月31日

今日で三月も終わり。
でも、まだまだ冬を引きずっていて、今日なんか小雨模様で寒いくらいだ。
お花見のニュースもちらほら耳に入っては来るが、ほとんど遠いところの出来事のようで、まったく実感がない。
写真、先の記事と同じものを入れてしまったなァ・・・。

わたしの一日は、家族以外の人との会話がほとんどないのだが、近頃は街の中に外国からの観光客が多くなったこともあって、話し相手になったのが外国人だけだった----などということも、ママあるようになった。
先日は、散歩の途中で白人青年から、「お手洗いを探しているんですが・・・」と流暢な日本語で尋ねられ、近くの公衆トイレへ案内。
家まで来たところで、今度は台湾から旅行に来たというカップルに、こちらも片言の日本語で台湾語と中国語の違いなどをレクチャーされた。
外国人観光客が日本人観光客と根本的に違うところは、彼らは、街の中に名所旧跡、ショッピング街などの特別な観光施設がなくても、そこの街の状況そのものを楽しむことが出来るという点にあるようだ。
何気ない神社や寺のたたずまいに感動したり、時には街の片隅に立っている日本人ならばど~ってことのない看板に注目して面白がっている。
今にも崩れ落ちそうな古い日本家屋を見て、カメラのシャッターを切ったり、時折、役所のスピーカーから流れる時報のメロディーにまでも感心している。
つまり、外国人観光客の観光とは、日本という国そのままの飾らない姿を体験するということであり、信州を歩いているということ自体に感激しているのである。
そう、彼らは、日本人観光客がバスや自動車での移動でしか旅を楽しめないのに対して、とにかく良く歩く。
乗り物での移動などもったいないとばかりに、何処までも自分の足で地道にその土地を体験するのである。
歩いていれば、地域の住人にも会うことが出来、そこで自然とコミュニケーションも成立するわけで、彼らは旅を丸ごと思い出にする術を知っているのである。
そういえば、わたし自身も海外旅行で最も印象深かったのは、名所巡りなどではなく、その土地の一般住民のような顔で街中を散策したことであった。
ただ、海外からの観光客は、自らの体験を旅の思い出とすることが一般的なために、ほとんど観光地経済に直接的な恩恵をもたらさない。
買い物などをするにしても、その金額は日本人観光客の半分にも満たないだろう。
一時期は、自国の高度成長の波に乗って大盤振る舞いの買い方をした一部の外国人たちも、その後バブルがはじけたり、対日本情勢が変化したりで観光熱もやや下火になりつつあるようだ。
そして、アベノミクス効果は、今後はさらに外国へのクールジャパン戦略をも視野に入れつつあるようで、これまでのような作り込まれたもてなしではなく、ありのままのもてなしを観光の目玉に据えるべく、舵を修正し始めている。
日本はそのままで素晴らしい。
下手に手を加えない素のままの地域を楽しむ術を発信することが、むしろ、これからの観光のあり方なのではないかと考える昨今である。
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色々おしゃべり 17
2013年03月30日

近頃のテレビ番組では、不謹慎だったり非常識だったりする人たちをスタジオに呼び、タレントたちがその人について色々意見を述べたり説教したりするという類のものが人気のようだ。
こういうスタイルの番組は、制作費が参加タレントたちへの出演料のみと、かなり割安に抑えられるというメリットがあるのだろう。
が、気になるのは、その説教のターゲットにされる出演者の心境である。
如何にも、感覚が世間の価値観とはズレていると思われる女性たちをスタジオへ呼び出して、タレントたちがそんな生き方に喝を入れるという手法なのだが、毎度思うのは、叱られることが判りながら、何故、彼女たちはスタジオへ登場するのだろう・・・と、いうことである。
YAHOO!ニュースを読んでいたら、
「あの番組に出たことで、婚約者に婚約を破棄された。わたしは、『男性からもらったブランド品を転売しているキャバ嬢もいる』と、番組スタッフに話しただけで、自分が転売しているなんて一言も言っていない。しかも、わたしのことをキャバ嬢と紹介していたが、わたしの本業はブランドショップの社長で、キャバクラ勤めはあくまでも副業。番組には、わたしの仕事を紹介してくれると言うので出演をOKしたのだが、あのように侮辱的なことを言われることが判っていたら、出演なんかしなかった」
と、立腹している番組出演者もいると、書かれていた。
テレビ局側の話としては、「まるで騙して出演させたかのように思われているようだが、彼女には出演してもらう理由も伝えていて、承諾ももらった」と、真っ向から食い違っている。
この番組に限ったことではないのだが、一人をやり玉にあげて激論する番組の受けがいいという背景には、不景気が長引き過ぎたために「金持ちは敵。楽して儲けている奴には鉄槌を!」という風潮の視聴者心理が多分に影響しているのではないかと推測される。
世の中を舐めているような女性をスタジオへ呼び出しては、その生き方に疑問を呈し、叱咤し、謝罪させ、更生させることで視聴者は溜飲を下げる。
上記の「騙された」という女性は、ある意味例外なのだろうが、もしかしたら、実は、この番組に呼び出される多くのターゲット女性たちは、おそらく叱られる損な役回りを納得ずくで引き受けることで、視聴率アップに一役買っているのではないだろうかとも思えるのである。
以前は、勧善懲悪といえば時代劇や刑事ドラマの世界だったが、ドラマ撮影にはお金がかかる。
そこで、手っ取り早く安上がりに勧善懲悪が可能な番組作りを模索した結果が、こうしたスタジオでの説教番組に落ち着いたのではないかと思われる。 続きを読む
色々おしゃべり 16
2013年03月29日

知恵袋に、33歳独身男性からの投稿で、
「20代の頃は、黙っていても女性たちがそばへ寄って来たのに、30歳を過ぎたら女性と出会う機会もなくなってしまった。田舎に住んでいるので、自分から婚活を頑張ろうと、街コンや合コンにも積極的に参加してみたが、容姿と収入がネックになって、結局メール交換も出来なかった。
街で高齢の男性が孫を連れている姿を見るにつけても、自分も早く両親に孫の顔を見せてあげたいと思うのだが、親孝行出来ない自分が情けなくなる。
どうしたら、女性と知り合い、結婚まで漕ぎつけられるようになるのか、教えて欲しい」
と、いうものがあった。
まだ、ベストアンサーは決まっていなかったが、回答には、
「あまり結婚を意識し過ぎると、女性たちはその気もちを見抜いて引いてしまうかも・・・。合コンには、さりげない会話を楽しむつもりで参加してみたら?」
とか、
「20代の頃、黙っていてもモテたと思っていること自体が間違い。結婚が前提の婚活となれば、単なる遊びではないので、女性たちも男性の収入や結婚後の生活に対してシビアになるのは当然」
など、現実的な意見もあった。
中には、
「33歳なんて、まだ焦る年じゃない。もっと、じっくり待ってもいいのでは?あまり結婚願望に固執するよりも、自然体でいる方が彼女も出来るんじゃないかな」
という、実に楽観的なアドバイスもあった。
こういう結婚を焦る男性にとかく見受けられる実態に、「両親を安心させたい」「孫の顔を早く見せたい」というようなことを口に出す場合があるという。
ある説では、これを言われると、その男性にわずかながらも好意を持った女性でも、
「つまり、子供を産める女でさえあれば、誰でもいいわけ?」
「もしも、子供が出来なかったら、どうする気?あたしとは、離婚になっちゃうの?」
と、色々な疑問が頭をもたげてしまい、結果、拒まれてしまうということが往々にして起きるのだそうである。
20代の男性には、女性たちもそれほどの高望みはしないが、30代ともなれば、それなりの地位や収入、知性、教養を期待してしまうものである。
モテない、容姿が問題----と、悩む前に、20代に怠った自分磨きの努力を取り返す方が先ではないかと思われる。
結婚を意識した女性が最も男性に期待することは、容姿や収入云々よりもまず、男性が尊敬するに足る人物なのか----と、いうことである。
中身が薄っぺらな男性を、女性が尊敬することはない。
人が人を好きになるためには、相手に自分と似たような部分があることも大事だが、自分よりも優れている部分があることはさらに重要なのである。
知識や能力は人並みでも、ひたむきさや努力を惜しまない男性を女性は見逃さない。
この投稿者に欠けているものがあるとしたら、自身の長所をアピールする術と向上心なのではないかと思われるのだが・・・。
因みに、「婚活を諦めれば、案外ひょんなことからいい人が現れるのでは・・・?」との回答もあったが、それは都市部のような人口の多い地域でのこと。
田舎のような高齢化が顕著な地域では、諦め=生涯独身となることは必須。
それなりのアクションは、やはり不可欠だろう。
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色々おしゃべり 15
2013年03月28日

「甘えたい」と思う気持ちは、何も子供だけに限ったものではない。
大人にも、誰かに甘えたいという欲求はある。
しかし、大人は、甘えという気持ちを、幼稚な感情と位置付けるのが普通であるため、これを素直に表現することが出来ない。
最近の社会傾向として、夫に先立たれ、子供も独立してしまった独り暮らしの中高年女性たちが、お互いの寂しさを埋めるために依存し合うという現象が増えているという。
だが、この依存状態があまりにエスカレートし過ぎて、時に相手の日常生活さえも束縛し兼ねないほどの親密さに移行してしまうことがあるそうで、さすがに、それは迷惑だと片一方が距離を置こうとすると、もう一方が阻害されたとばかりに被害者意識を持ち、相手の陰口を近所中に振れ回るという騒動にさえも発展するようなことが起きる場合も少なくないとのことだった。

大人は、甘えの欲求をダイレクトに伝えることを是としないため、本音は自分が相手の存在を欲しているにもかかわらず、
「一人暮らしだから、可哀そうだと思って親切にしてやれば、いい気になって!あたしの厚意を拒むなんて何さまのつもり?」
と、いうような悪態をつき、せっかく築き上げた関係を自ら棒に振ってしまう人も多いのだそうだ。
また、依存関係が強くなると、相手が自分以外の人と親しくしていることが許せなくなり、四六時中相手の行動を見張らなければ気が済まないという心理状態になってしまう人もいるらしい。
そういえば、過去に別れた人ともう一度会いたいという依頼人の願いを聞き、スタジオで対面させるというテレビ番組を観た。
その依頼人の一人として、三十年以上も前に音信不通になった幼なじみに会いたいという、70代の女性が登場していた。
女性は、夫と死別し、子供たちも独立して所帯を持つようになったため、昔お世話になった幼なじみの女性が、いきなり夜逃げ同然に姿を消したことを悔やみ、
「今度は自分が、彼女を助ける番」
と、番組に捜索を依頼したのだった。
しかし、幼なじみが夜逃げ同然に行方を消したにもかかわらず、強引にその消息を尋ねるというのは相手にとっても迷惑なのではないか----という想像は、依頼女性にはなかったようで、とにかく、自分が会いたい・・・の一点張りだった。
運よく幼なじみ女性がスタジオへ来たことで、依頼女性の希望はかなったわけだが、彼女は「今度は自分が助ける番」と言いながらも、実際は一人暮らしの寂しさ故に自分が助けて欲しいのではないのか----と、思わずにはいられなかった。
人が人に頼るということは決して恥ずかしいことではないし、甘えることも悪いことではない、むしろ自然な欲求であると、心理学者も言う。
しかし、その甘えが満たされない時、依存心が強ければ強いほど、「裏切られた」との思いも激しくなる。
この依頼女性が幼なじみを探し当てるまでの自己中心的な執拗さを見た時、幼なじみの女性がスタジオに来たことが正しい選択だったのだろうかと、一抹の疑念を覚えずにはいられなかった。
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色々おしゃべり 14
2013年03月27日

「地域医療最前線~七人の外科医~2 雪 線(スノー・ライン)」へのご感想を頂きまして、誠にありがとうございます。
これからも、ご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
福岡市がホームページ(HP)上に開設した仮想行政区「カワイイ区」に市民から「男女差別を助長する」との苦情があり、人気アイドル・AKB48の篠田麻里子さんが「区長」を退任する騒ぎとなった。ただ「カワイイ」という言葉は近年、日本の若者文化などを表すキーワードとして企業や政府も観光戦略に活用、注目を集める。福岡市の事業は何が問題だったのか-。
「福岡は女性がカワイイ」。「カワイイ区」が開設した昨年8月、HP上にはそんな言葉と篠田さんの笑顔の写真が添えられていた。しかし今は見当たらず、通常のファッション情報などを載せている。(YAHOO!ニュース)
この問題、何がいけないのか、良く判らない。
「女子が可愛い」ということが、男性への差別になるとか、若い女性以外の人たちへの侮辱に当たるという理由なのだそうだが、、昔から似たような表現はあったではないか。
「東男に京女」「秋田美人」「越後美人」などなど・・・。
こういう評判に対して「差別的だ」などと立腹する人はいないと思うのだが・・・。
むしろ、わが県は美人の宝庫だと、鼻が高い気持ちになるのが普通ではないのだろうか。
悲しいかな、「信州美人」という言葉は聞いたことがないが、それでも、かつて、街を歩く人にいきなり英会話を話させるというテレビ番組で、インタビュアの男性が、
「長野駅前です。それにしても行きかう女性が皆さん綺麗なのには驚きますね」
と、信州の印象を語っていたのを観て、ちょっと嬉しかったのを覚えている。
福岡は女性がカワイイ----それをキャッチフレーズにして地域の魅力を発信しようとすることに、何か不都合でもあるのだろうか?
自分はあまり可愛くはない----と、思い込んでいる人たちのひがみが背景にあるのでは?と、疑いたくなってしまう。

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色々おしゃべり 13
2013年03月26日

今日はやけにヘリコプターが飛んでいるなァ・・・と、思っていたら、ニュースで皇太子ご一家が三年ぶりのご静養に---と報じていた。
愛子さまの春休みを利用されて、志賀高原でスキーなどを楽しまれるのだろう。
知恵袋に、ある再婚女性の投稿で、
「夫の先妻の子供と、自分の連れ子(先妻の子供よりも年上)を同じ小学校に通わせてもいいのか迷ったのだが、地域の教育委員に相談したところ、『逃げてばかりいても仕方がない。小学校は越境入学できても、中学、高校はどうするのか?同じ学校になることも十分考えられる』と、言われたので、意を決して同じ小学校に入学させた。
ところが、最近になって、先妻が、『後妻の子をわたしの子供と同じ小学校へ通わせるなんて、嫌がらせだ』というような噂を流していることが判り、周囲の母親たちからも白い目で見られるようになってしまった。どうしたらいいのか?」
という相談があった。
ベストアンサーでは、
「子供さんの気持ちを考えたら、同じ小学校へ入学させるのは間違っていた。高校にもなれば親が学校へ行くことはめったになくなるが、小学校や中学校の時は、そうはいかない。もしも、運動会などで実の父親が再婚者の連れ子の応援ばかりしているのを、先妻さんの子供さんが見たらどう思うか・・・ということまでも、考慮した上で結論を出すべきではなかったか」
と、苦言を呈されていた。
先妻さんの子供と後妻さんの子供とが同じ小学校へ通うことになれば、運動会、音楽会など色々なイベントでそうした状況が起きることは判り切っていたと思うのだが、投稿者の連れ子さんが転校でもしない限り、周囲の反応が変わることはないだろう。
これと似たようなケースだが、わたしの身近にも本妻さんとお妾さんの子供たちが、同じ小学校に通っていたということがあった。
まあ、この場合は、父親となる男性は、一度も学校行事に顔を出さないという方法で、それぞれの子供たちの気持ちへの配慮をしていたため、特別問題が起きるということもなかった。
この質問者も、先妻の子供と、自分の子供を同じ小学校へ通わせると決めたのなら、夫は決して学校行事に参加させないというくらいの気配りが必要だろう。
先妻にしてみれば、後妻がわざわざ同じ小学校へ子供を通わせるということは、自分に対する挑戦と受け取っても仕方がない。
質問者は、今後六年間は何を言われようと、耐え続けなければならず、質問者の子供たちも周囲の大人たちの好奇の目にさらされることを拒めないということである。
ただ、質問者と先妻の子供の学年が違うというのが、唯一の救いであろうか。
学年が違えば、親も子供も校内で顔を合わせることはそれほど頻繁ではないはずだからである。
それにしても、安易な結婚、安易な離婚、安易な再婚の増加が、こうした家族のねじれ現象を引き起こすことは珍しくない話である。
ある回答にもあったように、夫と離婚した妻と、再婚した妻が同じ地域に居住するのは別段不思議なことでもなく、目と鼻の先に住むという場合もある。
それだけ、再婚妻の方には、今後の生活への「覚悟」が問われるのだ----と、いうことのようである。

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色々おしゃべり 12
2013年03月26日

日本一の長寿県に男女とも長野県が選ばれたそうだ。
これまで長寿の代名詞だった沖縄県は、女性はかろうじて3位を保ったそうだが、男性は30位以下へと転落したという。
これは、沖縄県民の食の内容が昭和60年代までとはかなり変わり、いわゆるファストフード頼りのアメリカンスタイルに移行してしまったせいだという。
飲んだ後の締めがステーキとか、フライドチキンという人も少なくないそうで、もちろん調味料として大量の塩分も摂取される。
とても、長寿ランキング上位維持は難しいだろう。
それに比べて、長野県は全体的に各家庭の食事の塩分量が控えめになっているそうだ。
しかも、とにかく野菜や果物の摂取量がダントツ多い。肉や魚類が食卓に並ばなくても、野菜が並ばない日はないくらいだ。
健康維持のために毎日ウォーキングをしている人を大勢見かけるし、ことに長寿地域として知られる佐久市では、この減塩が各家庭で徹底されているらしい。
県内でも特に寒暖の差が厳しいとされる佐久市に長生きの人たちが多い原因の一つとして、おそらく、佐久総合病院の地域健康医療に対する長年の取り組みの成果もあるのではないかと思われる。
「長野県民は、教育県といわれた頃から頭が良い県民として知られている。普段から健康に対する意識が高く、真面目な性格が、こうした結果に結びついているのだろう」
「また、高齢者の就業率が高く、生き甲斐のある生活を送っている人が多い。熊本県もそうなのだが、水がきれいだということも、健康長寿の条件にかない、長野県民の大きなメリットとなっているのではないかと考える」
と、長寿の理由をあげる専門家もいる。
元気で長生きということは、当然、医療費も他の都道府県より少ないということになる。
では、長寿ランキング全国最下位は何処かというと、これが青森県だそうである。
青森県で街頭調査をしたところ、県民がかなりの塩分好きだということが判ったそうである。
ある青年は、「漬物に塩をかけて食べる」と、話していたし、女性も、「とにかく塩辛いのが好き」と、答えていた。
これは、わたしの学生時代にあった青森県出身の同級生のエピソードなのだが、一緒にとあるレストランへ入った時、彼女が、出てきた料理のライスにいきなりバンバン塩をかけて食べ始めたのを見て、度胆を抜かれたことがあった。
「ご飯に塩をかけるなんて、初めて見た。お赤飯じゃないのに・・・」
と、わたしがビックリしていると、彼女は、
「え?----普通だよ。だって、ご飯だけじゃ味ないでしょ」
と、逆に不思議がっていた。
未だに、彼女がこのような食事をしているのだとしたら、既にかなりヤバいことになっているのではないだろうか?
とはいえ、日本人の寿命は、全体的に見れば確実に以前に比べて伸びているという。
ただ、あとは如何に健康的に長生きするかということが大事なのだと、専門家はいう。
佐久市の女性が話していたように、やはり、理想の長寿は「ぴんぴんころり」ということのようである。
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色々おしゃべり 11
2013年03月25日

冷凍庫内でコチコチに凍っていた薄切り食パンが三枚あったので、電子レンジでチンしてみた。
すると、ふわふわになったので、このまま食べようかとも思ったが、一工夫してみようとズクを出し、小麦粉、卵一個、砂糖(少々)、牛乳(カップ一杯)、塩(少々)、マーガリン(適宜)、水を入れてかき混ぜた中に、ちぎって入れて、さらにパンの形がなくなるまで混ぜてみた。
これを大きめのスプーンでひとすくいしては、揚げ油の中へ。
カリッと揚がったらキッチンペーパーを敷いた器に取り出し、少しの砂糖をかけて熱々を食べてみた。
ちょっと不思議なモチモチふわふわな食感で、なかなかイケる。
小腹がすいた時など、ちょうどいい食べ応えだ。
レーズンなどがあれば、ぬるま湯で少しもどして混ぜてもおいしいかもしれない。
今、ちょっとハマっているのが、スパ王(カップ・パスタ)のぺペロンチーノ。
今まで色々な市販のぺペロンチーノを食べたが、これは安価でありながらもかなりおいしい。
パスタ抜きで、ご飯に味付け用粉末とガーリックオイルをかけても、イケる。
ただ、麺がもう少し軟らかく湯戻し出来れば完璧なのだが、まあ、あのモサモサ感も別に悪くはない。
塩分にこだわると、やや問題ありなのだが、たまに食べるには嬉しい一品である。
実は、五年前の手術後、あまり食欲が戻らず、何故かスパゲティーならば食べられたという時期が続いた。
しかし、スパ王のぺペロンチーノ味は、何処のスーパーやコンビニを探しても見付からなかった。
それが、今年に入ってから、良く行くスーパーの店頭に並んでいるのをついに発見した。
正に、約六年ぶりの対面であった。ヽ(^o^)丿

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思わず引いてしまう一言
2013年03月24日

男性が女性から言われて、思わず引いてしまう一言をアンケート調査すると、以下のものになるらしい。
「責任とってよ」
自分だって承知で付き合ったのに、責任はすべてこっち持ちかよ。世の中男女平等じゃないの?(男性側の気持ちを想像すると)
「結婚してくれなきゃ自殺する」
結論が極端すぎる。他にも選択肢はあるはずなのに・・・。
「両親が高齢なので、今後の介護のことも考えておかないとならないから・・・」
おれとのことよりも、両親の方が大事なのか?
「下宿の合鍵渡しておくね」
欲しいとは言っていない。
「毎日お弁当を作って来る」
いや~~、外食したい日もあるんだけれど・・・。
「(会えない日が続くと、何度もメールが来る)ねえ、あたしのこと嫌いになったの?」
束縛がきつ過ぎて引く。
「食事を作りに寮まで行ってあげる」
他の入寮者への手前、正直、迷惑です。
「(メールの返信が遅れると)詳しく訳を説明して」
あんたは、おれの母親か?
「一生養ってもらうから」
玉の輿狙うのなら、他をあたってくれ。
「あなたが死んだら、あたしも死ぬ」
勝手におれの寿命を決めるな。
「あなたを殺して、あたしも死ぬ」
悲劇のヒロイン気取りは一人でどうぞ。
「ずっと、離れないから・・・」
お前は、おれの背後霊か?
なるほど、どれも女性が言いそうな言葉だなァ。
女性は男性よりも現実主義だから、とにかく一事が万事確約を取りたがるわけで、それを男性は負担に感じてしまうのだろう。
結婚する前から、離婚の条件にサインさせられたという男性もいるそうだ。
まあ、だからこそ結婚後は現実的な女性が家事を切り盛りすることで、一家は成り立つのだろうけれど・・・。
夫婦そろって遠くの夢ばかり追っていたのでは、生活は早々に破たんする。
女性が一番望むのは、家族の幸せよりも先に、まず自分の幸せだということを、男性は念頭に置いておいた方がいいだろう。
どんな男性が理想ですか?----と、独身女性に訊ねれば、たいていの答えが、「優しい人です」だ。
でも、その優しさは、万人に対してのことを指している訳ではない。
つまりは、「わたしだけに、優しい人です」が、正答なのである。
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色々おしゃべり 10
2013年03月23日

YAHOO!ニュースに、しなの鉄道沿線の蕾を付けたばかりの桜の木が何者かによって切られてしまい、同社員がツイッターに、
「残念なお知らせです。信濃追分~御代田間の浅間山を望めるカーブ区間に植樹されていた桜の木のうち4本が無残にも切断されてしまいました。植樹されてから数年、初めて花の咲く日を待っていました。切られた枝の先には初めての蕾がついていました」

「桜の木は当社用地内に植樹されていたものです。写真を見ていただければ自然に折れたものでないことはお分かりいただけるかと存じます」
と、ツイートするとともに、何者かによって故意に切られたとおぼしき桜の木の写真を掲載したということで、「ひどい鉄道ファンがいるものだ」という感想と、「これだけの証拠で、鉄道ファンの仕業だと決めつけるな」という意見とがツイッター上で激突しているそうである。
その後、しなの鉄道側は、「根拠のない憶測で、鉄道ファンの方たちに不快な思いをさせた」と、謝罪のツイートをしているというが、鉄道写真に詳しい専門家は、「あそこは、撮影ポイントとしても有名な場所。撮り鉄の仕業と見てほぼ間違いない」と、コメントしていた。
鉄道写真の良し悪しは、専門家でもないので良く判らないが、昔、報道写真を齧った経験から言わせてもらえれば、列車の車体だけが写っていれば可というものでもないだろうと思う。
被写体とともに沿線の木々や家並みなどの風景が一緒に納まってこそ、季節感や臨場感も出るのではないだろうか。
「〇〇鉄道に乗れば、この風景が見られるのだと、第三者に思わせるような写真が素晴らしい写真なのだ」と、専門家が言うように、写真を見た人に旅情を掻き立ててもらえるような写真を撮影してもらいたいものである。
実際のところ、今回の桜の木切断が誰の仕業かは判然としないが、木を切った者は、同鉄道や桜を楽しみにしていた乗客はもとより、絶景鉄道写真を撮りたいと思っている鉄道ファンに対しても何とも罪作りなことをしてしまったといえるだろう。
*** 写真の桜と文章は、関係ありません。
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色々おしゃべり 9
2013年03月22日

認可保育園への子どもの入園が認められなかった母親たちが、地方自治体に集団で「異議申し立て」に踏み切る動きが起きている。
東京・杉並区での母親たちの動きに続いて、2月28日には足立区に住む甲斐ゆきさん(33)ら十数人の母親が子ども連れで区役所を訪れ、入園不承諾の行政処分の取り消しを求め20通の異議申立書を提出した。
共働き世帯が増える中で、保育施設の整備は急務だ。しかし、大規模なマンション建設が続く足立区では、保育を必要とする子どもの急増に施設の整備が追いついていない。フルタイムの共働き家庭ですら、子どもを認可保育園に預けることができない事態が日常化している。
足立区の保育事情は厳しい。今年4月の認可保育園入園申し込みが3740人に達したのに対して、1次募集での「不承諾」(落選)の通知は1278人にも上っている。申込人数が5年前と比べて7割近くも増えるとともに、不承諾も8割近く増加している。
甲斐さんが住む梅田地区も事態は深刻だ。優先的に入園が認められる共働き世帯ですら、多くが不承諾通知を受け取った。母親がパートタイマーだったり、職探し中の家庭では、認可保育園への入園は絶望的だ。(YAHOO!ニュース)
このお母さんたちの行動は良く判る。
働き口を探しているお母さんたちにとってみれば、子供が入園していないということが採用基準のネックになっているわけであるから、現在働いているお母さんの子供よりもむしろ、入園の門戸を開放するべきなのだという理屈になる。
働き口を探しているお母さんは、働いていないお母さんではなく、働きたくても働くことが出来ないお母さんなのだということを自治体も考慮するべきではないだろうか。
もともと働く気がないことと、働きたくても子供がいることで不採用となるのでは、同じ無職でもその意味は180度異なる。
少子化、少子化といわれながら、保育所が不足しているというのも奇妙な話であるし、保育士の資格を持ちながらも就職が出来ないという人もいるのだから、単に保育士不足が原因とも思えない。
共働き夫婦や父子、母子家庭にとって子供が入園拒否されるというのは大変な問題である。
経済的な理由はもちろんだが、子供の情操面においても成長を妨げることになりかねない。
2、3歳~5、6歳の子供にとっては、その後の人生においての協調性、自主性等を培うために、どれほど人間的な基礎を構築する集団生活が必要かということをもっと真剣に考えるべきではないかと思う。
実は、わたしも幼児期、保育園への入園のくじ引きに外れたことがある。
しかも、一年間通った後だったので、どうして次の年度は通園出来ないのかが理解できず、かなり落ち込んでいたそうだ。(本人は良く覚えていない)
くじに外れたのはわたしだけではなく、近所の共働きの家庭の子供たちも10人近く抽選に漏れた。
そこで、くじに外れた子供の両親たちは、根気強く自治体にかけ合い、子供たちを何とか入園させることが出来たのだという。
入園拒否は、何も大人だけの問題ではない。
むしろ、一番の被害者は子供たちなのだと捉えることが大事なのではないだろうか。
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色々おしゃべり 8
2013年03月22日

NHKの番組を観ていたら、東日本大震災で福島原発が爆発した直後から、自動車メーカーのホンダには、
「早くアシモを原発へ投入してくれ!放射能漏れを何とかして欲しい」
という、多くの声が寄せられたという話題を取り上げていた。
「アシモは、会社の床のような平坦な場所ならば歩いたり走ったりは可能だが、事故原発内のような瓦礫が散乱している場所を歩くことまでも想定した作りにはなっていない」
と、いうことが分かっていたからだという。
「自分たちは、何のためにロボット開発をしてきたのか?」
強い自責の念に捉われたロボット開発チームは、東京電力に対して原発内の放射能除去のためのバルブの開閉を担当する災害用ロボットの無償提供を決めたのだそうである。
この福島原発事故により、今世界ではこうした大事故に対処できるヒューマノイド(人間型)ロボットの開発競争が勃発しているとのこと。
多くの研究者たちの意見を総合すると、災害現場のような想定外の場所へ行き、ミッションをクリアするためには、やはりアシモのような人間型でなければならないという結論に達したのだそうである。
そこで、アメリカは軍事予算からロボット開発のための費用をねん出し、このヒューマノイド開発プロジェクト競争に参加する研究者には、1チーム4億円の補助金を出すという試みを始めた。
世界のロボット開発者たちは、先を争うようにこのプロジェクトへの参加を申し出たのだといい、日本の東京大学の研究室にも打診があったという。
しかし、東大は、軍事予算を使うプロジェクトには参加してはいけないという規則を守り、これを断わった。
だが、どうしても開発を諦めきれない同大学の研究者の中には、大学に辞表を出して、この開発競争に参戦した者たちもいるのだそうである。
いわゆる産業用ロボットは、既に日本国内のあらゆる企業で人間と同じ仕事に従事している。
しかも、これまでのような如何にも機械という外見ではなく、ほとんどヒューマノイドに近い姿のため、ロボットと一緒に働いている女性たちも、
「隣で完璧な作業をしてくれるから、本当に助かる。こっちも負けるわけにいかないなって思いますよ」
と、もはやロボットたちのことを同僚と認識しているようですらある。
一台200万円のロボットは、食事をしない。給料も要求しない。休憩もとらない。10ヶ月も稼働させれば簡単に元は取れる。
経営者にとっては、正に理想的な従業員である。
近い将来、ロボットに搭載する人工知能開発がさらに進めば、職場から人の姿が消え、より高度な技術を取得したロボットのみが働く社会が来るのかもしれない。
ホンダは、その後東電からバルブ開閉ロボットよりも先に原発内探査ロボットを作って欲しいと頼まれ、現在はそちらのロボットを製作中だという。
そして、並行して、過酷な災害現場で人間の代わりに働くヒューマノイド・アシモの進化を急いでいる。
もしかしたら、十数年後には、学校や病院、役所などの公共施設で働く多くのヒューマノイドたちを見ることになるのかもしれない。
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負け美女
2013年03月21日

あるテレビ番組で「怖い女たち」について取り上げていたのだが、近頃、「負け美女」なるものが世の中に増殖中なのだとか・・・。
これは、29歳以上の未婚女性で、そこそこ美人だったことが仇になり、若いうちは男性からも引く手あまたのモテぶりだったがために、美しくなろうとか結婚に前向きになろうという努力が薄く、気が付いたら男性から声をかけてもらうこともない寂しい独身を続けていた---と、いう種類の女性たちなのだそうである。
この「負け美女」の特徴としては、自分は男性にモテないわけではないとのかつての栄光が未だに尾を引き、意中の男性がいても常に上から目線でしか話が出来ないという欠点を持つのだそうである。
たとえば、好意を懐く男性へのメールに、
「わたしと飲みに行きたいのなら、誘ってくれてもいいよ。今日は、少し飲みたい気分なんだ・・・」
とか、
「きみ、以前からわたしのこと気にしていたみたいだけれど、明日は珍しく暇だから食事ぐらいなら付き合ってあげるわ」
などと、書いてしまうように、本当は自分が誘って欲しいのに、その気持ちが素直に言えないために、こうした不遜な態度に出てしまうのだという。
そして、そんな女性の身勝手さに愛想を尽かした男性が返信をしないと、
「わたしを舐めない方がいいよ」
と、いうような脅迫めいた一言を送ってしまうような高慢さが抜けないのだという。
また、ここまでお高くとまっていなくても、飲み会の席などでつい、婦人科の持病の話とか、親の介護の話題など、あまりに現実的な会話を始めてしまうというのも、若い男性たちには重く感じてしまい、さらに結婚が遠のくという「負け美女」の典型なのだそうである。
「〇〇さんて、綺麗だし性格も悪くないんだけれど、人生観に夢がないんだよね」
と、いうことになってしまうのだろう。
このブログにも以前書いたのだが、モテる女性とは、男性が勝手にストーリーを想像できる女性だという。
つまり、分かり過ぎている女性には想像を楽しむ余地がないため、恋愛感情が膨れ上がらないということになるらしい。
要は、「負け美女」とは、外見はそこそこ美しいが、あまりに生活臭があり過ぎる女性ということのようである。
そうはいっても、この生きにくい世の中で、3、40歳にもなるまで乙女のような神秘性を漂わせている余裕はない。
20代前半ならば、「リラックスするのは、どんな時ですか?」の質問に、
「庭の木漏れ日が見える窓辺で、ゆっくりとモーニング・コーヒーを頂いている時でしょうか?」
なんて、可愛い答えの一つも似合うだろうが、40歳も過ぎれば、そんなのは絵空事に聞こえてしまう。
「冷房ガンガンかけた部屋で風呂上りにテレビのプロ野球観戦しながら、キンキンに冷えた缶ビール片手にあたりめ齧っている時が天国だよね~~」
ほとんどの女性は、これが現実なのだろうけれどね・・・。
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色々おしゃべり 7
2013年03月20日

口を開けば嫌みや皮肉のオンパレード---っていう人、いるよね。
とにかく、世の中が面白くなくて仕方がないんだろうな。
幸せそうな人を見ると、無性にいじめてやりたくなる。
そんな迷惑な性格の人が、わたしの周囲にもいる。
昔は、そういうのを「女中っ根性」といって、最低女の代名詞でもあったようだが、女性には誰か一人を仲間外れにしなくては気が納まらないという根性のねじ曲がった人が少なくない。
人の不幸を見て、自分の方がまだましだと納得するのだが、それも一時的なものだから、すぐにまたぞろ妬みの虫が顔をのぞかせて来る。
でも、人の嫉妬心なんてきりがないもので、どれほど嫌がらせをして相手を困らせても自分が幸せになれるわけではない。
そういう人は、一度命の危機にさらされるような大病を患ってみれば、自分のやってきたことがどんなに虚しいことかが分かるはずだ。
幸せというものは、地位や名誉やお金があったり子供が良い学校へ入ることなどではない。
明日も元気で健康に生きられるということが、もっとも幸せなことなのだということに気付くだろう。
ある有名な女性競泳選手がこのようなことを言っていた。
「ロンドンオリンピックに出場したくて頑張っていたが、突然、卵巣のう腫が見付かり、お腹が痛くてたまらず手術をすることになった。不安で、その時は、あれほど出たかったオリンピックだけれど、もうどうでもよくなってしまった。健康って、それほど大切なことなんだ」
病気になれば、他人への嫉妬心や競争心なんて、正直どうでもよくなる。
自分のことだけで頭がいっぱいになる。
他人を妬み、嫉み、憎らしがる気持ちなど、何処かへ吹き飛んでしまうに違いない。
でも、なってから気付いたのでは遅いんだけれどね。

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ゲレンデの死角
2013年03月19日

19日午後、長野・山ノ内町の志賀高原のスキー場で、クロスカントリーの練習中の男子児童が、圧雪車にひかれて死亡した。
事故が起きたのは、山ノ内町の志賀高原「一の瀬ダイヤモンドスキー場」に隣接した、クロスカントリーコース。
午後1時すぎ、練習中だった山ノ内町の小学5年生・三原舜矢君(11)が、練習中に圧雪車の後部に巻き込まれた。
消防によると、通報を受けた救急車が駆けつけたが、現場で舜矢君の死亡を確認したという。
現場のコースでは、今週末にスキー大会が予定されており、舜矢君はスキー部の仲間22人で、練習中だった。
圧雪車は、大会に向けてコースを整備していたという。
警察は、圧雪車を運転していた34歳の男性(県警によると、運転手は前進中、車の後部ローターに巻き込んだとみられる。異常音に気づき、自分で110番した)から、当時の状況などを聴いて、事故の原因などを調べている。(03/19 18:06) FNN
本当に痛ましい事故が起きてしまった。
どういう状況で三原くんが圧雪車に巻き込まれてしまったのか、今の時点での詳細は不明だが、もしかしたら、男の子のこと、圧雪車を見たくて、ついそばまで寄ってしまったということも考えられる。
子供は、大人がついぞ思いもつかない行動に出ることがある。
一つのことに夢中になると、そのことだけに神経が集中してしまい、周囲に何が起きているのかという判断が出来なくなるのだ。
スキーの練習に集中していても、それは同じことで、危険が迫っていることなど一切眼中に入らないだろう。
だからこそ、引率する大人の最大限の注意力が不可欠なのである。
大事な子供さんをこのような事故で亡くした親御さんの胸中を思うと、強く胸が痛むと同時に、地元住民としてどうして周囲の大人たちがもっと早く危険を察知出来なかったのかが悔やまれる。
子供が見ている世界は、大人が見ている世界とはまったく異質なものであるということを、大人たちは常に頭の隅に置きながらの配慮を怠ってはならないのではないだろうか。
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色々おしゃべり 6
2013年03月19日

13日にアリゾナ州で行われた決起集会。松坂、岩隈、藤川、中島の日本人メジャー選手の来訪にも積極的に声をかける姿は見られなかった。4人は前回の優勝メンバーで米国での戦いも熟知している。だが、目的意識を持って質問をぶつけてこない。前日に日本から到着したばかりで時差ボケや疲労もあっただろうが、その熱の低さに4人は「元気がないな。アメリカに来ただけで満足してしまったのかな」と声をそろえたという。
「共にアメリカへ!」を合言葉に2次ラウンドでは台湾戦に驚異の粘り腰で勝利。一気に1位突破を決めた。そこで、ホッとした空気が出たのは事実だった。しかも、アリゾナでの練習試合2試合は本番のサンフランシスコとは気候も湿度も大きく違う。「ここで合宿やっても意味がないよ」とある選手は言った。
前回、前々回は世界一が至上命令だった。意識の違いは、1次ラウンドの戦いに表れた。過去2大会も同ラウンドの最終戦に敗れたが、その時はイチローの怒声が飛び交った。「ふざけんなよ!」「次見てろよ!」。そのイチローはいなかった。今回のキューバ戦。敗れてもナインからは笑みがこぼれ「次は頑張ります」と軽々しく言う選手もいた。主将の阿部を中心にチームはまとまっていたのも事実。ただ、イチローのように強烈なキャプテンシーで引っ張る選手もいなかった。
サンフランシスコからが本当の戦いと考えた選手はどれだけいたか。かつて、松坂は言ったことがある。「いったん気持ちを緩めると、次に気持ちを入れようとした時に力みや重圧につながる」。逆に言えば、張り詰めたまま、3週間を戦い抜くだけの精神力は選手に備わっていなかった。(ネット・ニュース抜粋)
松坂選手たちWBC優勝経験組にしてみれば、今回の侍ジャパンの選手たちからは、大会に懸ける熱さや気迫が感じられなかったということなのだろう。
第一回大会で優勝監督となった王さんは、その後胃がんが見つかり手術、前回大会で活躍したイチロー選手は、大会後胃潰瘍を患い、大リーグ開幕は故障者リスト入りした。

予選を勝ち進んだだけで、仕事をし終えてしまったような空気を、松坂選手たちも感じたに違いない。しかし、その背景には、日ハム時代に日の丸を背負って戦ったダルビッシュ選手が昨年7月に呟いたツイッターでの一言が影響していたのではないかとも考えられる。
「(アメリカへ来れば分かるだろうが)WBCの結果を知らない選手も多いし、米国、ドミニカ(共和国)、ベネズエラはベストメンバーが出てないから何とも思われていません。これが現実」
つまり、あんなに死に物狂いで戦ったWBCが、大リーグ関係者には草野球程度の価値しか認めてもらっていないという気持ちのギャップが、彼にこのようなツイートをさせてしまったのだろうと思われるが、もしも侍ジャパンの選手たちの心理に、こうした一言が無意識のうちにも浸透していたとしたならば、準決勝、決勝はおまけ----程度の認識が出来上がっていたとしても不思議ではない。
要するに、「何が何でも勝たねばならない!」という熱意が、侍ジャパンには端からなかったということに他ならないのである。
それにつけても気になったのが、今回、日本チームのキャプテンに選ばれた阿部選手(巨人)の言葉である。
「次はもう、代表になるつもりはない。若い選手たちに頑張ってもらいたい」
阿部選手自身だって、まだ33歳である。十分、若いと言っていい年齢だ。
大会が始まったばかりの頃から何度となく語っているこの年寄り臭い言い方は一体何なのだろうか?およそキャプテンとは思えない逃げ腰の言い分である。(このキャプテン阿部という決定に対して、イチロー選手が異を唱えたという説もあるそうだが・・・)
何処か覇気のない表情を見るにつけても、「三連覇は難しいだろうな」と、思わずにはいられなかった。
おそらく今回のWBCは、負けるべくして負けた----と、いっても過言ではない結果だったのであろう。
次回の代表選手選考では、野球の実力よりもまず、選手個々のWBCへの意気込みを重視した方がいいように思える。
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色々おしゃべり 5
2013年03月18日

世界フィギュア----男子は四回転時代に突入!

もう確実に四回転が成功しなければ試合の土俵にも上れないということだ。
そして、女子は、三回転半、もしくは三回転---三回転プラス演技力が勝負の鍵という感じ。
ただ、やたらに苦しげで悩ましげな表情で踊る選手が多くて、最近はちょっと滑稽に見えてきた。
せっかく観客の前で滑るのだから、もっとハッピーな顔が出来ないのかな。
世の中、ただでさえ不景気で暗いんだから、氷上ぐらい極めつけに明るくしてもいいんじゃないかと思うんだけれど・・・。
陽気で元気なプログラムは点数が伸びないということで、高橋選手もSPの曲を「月光」に変更したようだ。
でも、わたしは、前のプログラムの方が好きだったな。
高橋選手にしても浅田選手にしても、軽やかに弾むようなステップこそが彼らの真骨頂じゃないのだろうか。
ニヒルでセクシーな高橋、鬼気迫る羽生、春風に舞う花弁のような浅田と、自分らしさを出す方が、ジャンプもうまく行くような気がしてならない。
ソチ五輪まで、あと一年を切った。
憂国の哲学者のような深刻顔は、誰かさんに任せて、日本勢には「これが自分なんだ」という人真似ではない演技を望みたい。
WBCプエルトリコ戦----侍ジャパンの井の中の蛙的性格が出てしまったというところか・・・。

残念というレベルの話ではないように思う。
結局、最後までチームが本当の意味で一つになり切れなかったということだろう。
それにしても、この選手たちが年俸一億、二億ともらっているのかと思うと、「嘘でしょう」と言いたくなる。
野手陣も投手陣も、ヘビに睨まれたカエルよろしくもはや自滅同然のボロボロ状態。
普通なら鳴り物入りの応援は出来ないところを、今回は許されていた(たぶん・・・)にもかかわらず、空振り貧打のオンパレードで、仕事を休み旅費をつぎ込んではるばる日本からやって来たファンの大声援も功を奏さなかった。
アメリカまで来られただけでも、儲けもんの今侍ジャパンだが、日本の全球団はこの成績を見て、現選手たちの力が総合的にかなり落ちていると認識した方がいいだろう。
フィギュアスケートにしても、野球にしても、世界は日本が気付かない間に恐ろしいスピードで進化し続けているようだ。
まあ、いずれにしても、選手たちには「お疲れさま」と、言っておきたいが、一つ感動の収穫があったとするならば、それは台湾選手たちの清々しい潔さである。
彼らも次回のWBCには、きっと日本を圧倒するだけのパワーを蓄えて臨むだろう。
侍ジャパンも、こんなところで足踏みをしている場合ではない。
色々おしゃべり 4
2013年03月17日

知恵袋に、夕方公園で友人と待ち合わせしていたところ、突然、見ず知らずの中年女性から声をかけられ、家出少女と間違われた----との投稿があった。
「家出ではなく、今日は友人宅へ泊ることになっている。このことは親も知っている」
と、話したのだが、女性はこれを頭から嘘だと決めつけ、
「あなた放置子でしょう。早くお家へ帰りなさい。警察呼ぶわよ」
と、居丈高に言うので、怖くなっていったんその場から逃げ出した。
どうして、こんなことを言われなければならないのでしょうか?
という高校生からの投稿があった。
これに対する回答には、何故か、
「そんな気持ちの悪いババア、放っておけ」

「頭がおかしい女なんだ」
「ウザいおばさんて、何処にもいますよね」
と、いうような注意をした女性を否定する意見ばかりが目立ったが、投稿者がベストアンサーに選んだのは、
「きっとあなたのことを、中学生ぐらいに思ったのだろう。夕方、こんなところに子供が一人でいるのは危険だと判断し、女性は声をかけたのだと思う。赤の他人に声をかけるのは、勇気がいる。下手をしたら反撃されるかもしれないのだから。女性が声をかけたのは、あなたの身を心配してのこと・・・」
と、いう回答だった。
一部の回答の中には、
「間違いなく、その女性はボランティア補導員ですね。声のかけ方がそのままです」
と、いうものもあった。
まあ、そうなのだろうな----と、思う。
日没近くの公園で、スマホ片手に一人立っている子供を見付ければ、補導ボランティアならば声をかけないわけにはいかないだろう。
わたしも大学生の頃、街を歩いている時に中学生と間違われ、警察官に「早くお家へ帰りなさい」と、言われたことがある。
「一応、大学生なんですけれど・・・。家は遠くで・・・」
と、答えると、警察官はビックリして、
「それじゃァ、帰るわけにはいかないよね」
と、苦笑いしていた。(因みに、当時、スタジオ見学に行った時は、俳優の露口茂さんにも中学生に間違われ、ご両親は知っているの?帰りは大丈夫?と、訊かれた)
こんな具合に、昔はまったく赤の他人でも、子供と見れば親身に声をかけて心配してくれるのが当たり前だった。
それが、今は、心配して声がけすると、「ウザい」「頭がおかしい」「気持ち悪い」というような回答が、当然のように返って来る。
これでは、子供が一人で公園などで遊んでいても、大人は見て見ぬふりをするしかなくなってしまう。
まあ、犯罪目的の人間が声をかけて来る可能性もあるので、子供の方も知らない大人が近付いて来たら犯罪者と思え----と、教育されているのだから仕方のない反応なのかもしれないが、何とも殺伐とした光景である。
たとえ、子供といえども自分の身は自分で守るしかないのが現代社会なのだろうと思うにつけても、おかしな世の中になってしまったものだと溜息をつかずにはいられない。
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色々おしゃべり 3
2013年03月16日

結局、日本もTPP交渉に正式参加することになったようだ。
農業や国民皆保険制度は、必ず維持すると総理会見では述べていたが、何だか頼りなさそうな話し方だった。
では、日本の主張が通らない場合は、交渉から下りることも視野に入れているのだろうか?
前へ進む勇気を持って下さい----と、訴えてもいたが、これが前へ進むことになるのかさえ、安倍さんにも実際のところはよく判ってはいないんじゃないだろうか。
安倍さんたちが考えているほど、農業や医療は甘いもんじゃない。
やる気がある若い人たちなら、どんどん日本の優秀な農産物を海外へ輸出し、採算が取れると思っているようだが、どんなにやる気のある若者がいても、農地はそう簡単に手に入るものではないし、市場に出せるだけのまともな作物や畜産物ができるまでに一体何年かかると思っているのだろう。
国保制度にしても、海外から医師や看護師を高給で雇用する高所得者向けの医療施設や国保以上に有利な保証がある保険会社が進出してくれば、医師や看護師は、そういう施設の方に流れ、患者側も国保からそっちの保険会社に乗り換える人が増えて来るのではないだろうか。
ただでさえ医師不足の過疎地や山間地で暮らす人たちは、正しく生命の危機にさらされることになってしまう。
となれば、長野県なんて、もっとも危険な地域だといえる。
今だって、金持ちはがんになっても治療費300万円もかかる陽子線治療を選択することもできる。
しかし、お金がない人は、抗がん剤もまともに打つことが出来ない。
金持ちは生きろ、貧乏人は死ね----これがこれからの日本の医療になるのかもしれないと考えると、それが未来ある国の姿なのかと疑問が湧く。
有名な作詞家の男性は、手術を望まず、この陽子線治療でがんを克服したと言っていたが、その話を聞くにつけても無性に腹が立った。
そんなこと、堂々とテレビで話して欲しくはないと思ったし、金に物を言わせるような治療を選んだ者が、大きな顔で国民の代表気取りのコメントを述べて欲しくはないとも思った。
ある党の考え方の根本には、有能な弱者が無能な強者を制御することに意味がある---ということが透けて見えるが、安倍さんも選挙を見据えて、こうした意見に引きずられた感が無きにしも非ずだ。
だが、一方で海外から安い原材料が輸入されるというメリットはある。
しかし、ひとたび食の安全が危惧されるような輸入物が市場に出回れば、潔癖主義の日本国民は黙ってはいないだろう。
とにかく、やると決めたのだから、やってみればいい。
安倍内閣のお手並み拝見と行こうじゃないか・・・と、いう心境である。
もしも、失敗しても、民意が後押ししたなどという詭弁だけは、使って欲しくないものである。
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