本当に伝えたいこと・・・・・289

~ 今 日 の 雑 感 ~


★☆本当に伝えたいこと☆★



    まずは、以下の文章を読んでください。


    「わたしは、この連休中に、家の中の大掃除をしました。押し入れの中を整理していたところ、小さな箱を見つけ、『何が入っているのだろう?』と、ふたを開けてみますと、中には、たくさんの写真が無造作に入れられていて、その一枚一枚を眺めていると、一人の外国人の若い女性が写っている写真を見つけました。

    それは、今から30年ほど前の秋に、我が家にホームステイしていたオーストラリア人の23歳の大学生の写真でした。彼女は、わたしの家に約一月ほど寝泊まりし、日本の文化を学んで帰国したのですが、写真は、そんな彼女の思い出にと、我が家の庭で撮ったものでした。ある日、彼女は、近所の田んぼに出かけ、風にそよぐ一面の稲穂を見て、驚きの歓声をあげました。そして、わたしに、こう訊ねたのです。

    『あれは何ですか?』

    わたしは、彼女が稲穂を見たことがないことに驚き、

    『これはライスよ』

    と、答えようとして、ハタと困りました。確かに米はライスだが、これは稲穂だから、何と英語では言うのだろう?。そして、思いつくままに、米の植物だから、「ライスプラント」だと、返事をしました。彼女の国では、米を食べることもあるそうなのですが、それがどのように出来ているのかあまり知られてはいないのだそうで、麦畑の光景しか見たことがないというのでした。

    それでも、わたしは、自分の答えに不安もあったので、一応辞書で『稲』を引いてみると、そこには、正しく「ライスプラント」の文字が。自分が間違っていなかったことに、安堵しました。

    そんなことを思い出していると、あの秋の日、穏やかな陽光の中ににっこりと微笑んでいた、彼女のことが急に恋しくなり、また、いつか何処かで会いたいものだと、懐かしさがこみ上げるのでした。」



    この文章の中で、筆者が最も読者に伝えたいことは何だと思いますか?

    これが、もし、国語の問題だとしたら、答えは、「オーストラリアから来たホームステイ女性との思い出」とか、「懐かしい異文化交流について」などということになるのでしょう。

    しかし、この文章をもっと噛み砕いて考えれば、それは、「わたしの英語力自慢」が答えとなるのです。

    文章を書く人は、必ずその行間に自分が本当に書きたいことを、それとなく盛り込むことが多いのです。

    つまり、この筆者は、30年前のオーストラリア人女性との懐かしい思い出にかこつけて、自分が「ライスプラント」という言葉を、誰に教わることもなく、自分の知り得る英語を組み合わせて考えたという、「わたしって、なかなか英語力あるでしょう?」という自慢話を、この文章の中に盛り込み、それが最も伝えたかったことなのだということが判るのです。

    もしも、筆者が、こう書いたらどうでしょう?

    「30年前に我が家にホームステイしたオーストラリア人女性が、『稲』を知らなかったので、わたしは、自分の知り得る英語を駆使して、彼女に『それはライスプラントだ』と、教えることが出来たのです。わたしの語学力も、なかなか大したものでしょう」

    これでは、実に、えげつない自慢タラタラの鼻もちならない文章になってしまっていたはずです。

    文章というものは、存外曲者なのです。そこに書かれていることが、本当に筆者の言いたいこととは限りません。

    やたらに比喩を使って、相手に自分の真実の気持ちを伝えようとする場合など、その比喩が複雑すぎて、結局何を言わんとしているのか、さっぱり伝わらないということだってあるのです。

    わたしもある時、ブログのコメントで、あまりに遠回しな言い方がひどくて、返事のしようがないものを頂いたことがありました。しかも、それは、わたしの記事に対する反論のコメントだったらしいのですが、文面は、どう読んでも、わたしに共感しているようにしか取れないのです。

    しかし、後日、そのコメントを書き込んだブロガーさんのブログを読んだところ、「なんか、勘違いされたみたいだ。もう、コメントを書くのはやめよう」と、書かれていました。

    そのブロガーさんは、おそらく、ストレートに反論を書き込むことが怖かったのだと思います。言葉をオブラートに包み過ぎたことが、失敗の元だったのでしょうね。

    しかも、自分に文才があると自負しているような人ほど、回りくどい言葉を使いすぎて、こういうポカをやりがちなのです。

    もし、その筆者の言いたいことが大雑把に判っても、もう一度、文字と文字の間、文と文の間を、じっと味わってみてください。そうすれば、そこに、真に書き手の言いたいことが、自然と浮き出して来るかもしれませんから-----。icon22      続きを読む


やる気がないなら黙ってろ!・・・・・288

~ 今 日 の 雑 感 ~



やる気がないなら黙ってろ!
 


    わたしは、先ごろ、妙なことに気付いた。

    最近の人たちは、他人にものを頼みながら、それに対してあまりに無責任であると-----。

    わたしは、よく、他人から頼みごとをされるが、それに対して、もちろん無償で、しかも、出来るだけ迅速に要望にこたえようと頑張る。しかし、その頑張りを、頼んだ側が平然と無下にしてしまう現実があるのだ。

    中には、頼んだことすら忘れているという人間もいるくらいである。

    また、こちらが時間も手間もかけてやって差し上げたにもかかわらず、「こんな風なことを期待した訳ではない」と、いうような無礼千万な言い草を平然と吐く者さえいる。

    彼らは、いったいこちらの好意を何だと思っているのだろうか?

    「友人が必要ないというので、その資料はいらなくなった」

    そんな理屈でこちらが納得できると思っているのだろうか?頼んだ相手から報酬をもらっているのなら、その資料をどのように使ってくれても構わない。ゴミ箱に捨てようが、計算用紙に使おうが、それは依頼者の勝手だ。

    しかし、こちらが善意の無報酬で行なったことに対しては、たとえ、友人が文句を言おうが何を言おうが、きっちりと活用するというのが筋である。

    もしも、どうしても使いたくないのであれば、その友人とやらを連れて来て、わたしの前できっちりと謝罪させるべきである。他人に、タダで物を頼むということは、それ相応のリスクを覚悟するべきなのである。

    「タダほど高い物はない」ということは、そういう意味なのだ。

    わたしは、そういう心ない対応を一度されれば、決して、その人間のためには二度と協力はしないし、信用もしない。

    

    また、これは余談だが、一年ブログという物をやってみて判ったことだが、ブログは、書いている内容よりも、書き方が大事だということである。これは、ブログの体裁という意味ではない。書いている言葉の種類という意味である。

    わたしは、ブログを始めた当初は、これほどブロガーたちの中に非常識人が紛れ込んでいるとは思いもしなかったので、普通、世間的に使っている丁寧語を使用していた。

    しかし、このような言葉では、明らかになめられることが判った。そこで、こういういわゆる文語体で書くことにしたのである。本当は、もっと汚い口調で書きたいのだが、それでは、読者の方たちに失礼であると思うので、ここでとどめている。

    これからブログを始めようと思われている方がいたら、一言申し上げたい。

    ブログは、最初が肝心。甘い考えでは、犯罪すれすれの脅しをかけてくるようなブロガーたちに、太刀打ちできませんよ。
 
    ご用心あれ!face06   

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裁判員は、どうやって選ぶの?・・・・・286

~ 今 日 の 雑 感 ~


裁判員は、どうやって選ぶの?



    12月8日、長野県内でも初めてとなる裁判員裁判が始まりました。

    この裁判員に選ばれ、実際の裁判に携わることが出来る人は、六名。その他、に補充裁判員として二名が、同じく法廷へ出ます。今回の裁判員裁判では、裁判員に選ばれたのは男性が四人、女性が二人だったそうです。

    しかし、この裁判員を選ぶ際に、どうしても疑問に思われることがあるといいます。

    それは、この六名の裁判員が選ばれる過程が、とても不透明だということなのです。まず、裁判員の候補者として無作為に選ばれた四十二名の元へ、裁判所から裁判員を決定するために必要な、裁判官の面接に来てほしいという通知が来るそうです。

    その裁判員に適しているか否かを見極めるための面接に、出かけて行くと、まず、書類での適性検査があるそうで、それを書いたのちに、裁判官面接が始まるのだそうです。

    しかし、裁判官の面接を受ける前に、書類審査の段階で落とされる人もいるのだとか。ある男性は、その日わざわざ出かけて行ったにもかかわらず、書類審査だけで裁判員不適格とされ、「採用基準が明確でない」と、憤慨していたそうです。

    それはそうです。自分の仕事を休んでまでも、国民の義務を果たそうという真摯な意気込みで、交通費をかけて裁判所まで出かけて行くのです。それなのに、書類審査のみで、理由の説明もないままに、「不適格。お帰り下さい」では、あまりに人をバカにしているというものです。

    たとえ、裁判員になどなりたくないと思っていた人にとってみても、時間をかけてそこまで出て行く訳ですから、理由の説明もなく「落選」はないと思うのです。裁判所側の説明としては、「もしも、不適格の理由を発表すれば、裁判員になりたくないと思う人が、わざとその理由を付けて、選ばれないように画策するかもしれない」ということですが、自分が選ばれなかった人にしてみれば、職業や人格を否定されたようで、気分の悪いのは当然のことです。

    また、弁護士の立場からは、「裁判所と検察側が手を組み、被告に不利な裁判員構成を目論んでいると疑われても仕方がないやり方だ」と、いう意見もあるといいます。

    裁判官、検察側、弁護側、三者三様の理由があることは判りますが、それに振り回される国民はたまったものではありません。殊に、裁判員をやりたいと思っている人にしてみれば、不適格などと言われて腹が立たない方がおかしいくらいです。

    まず、先に選ばれた四十二名の裁判員候補者は、全員裁判官の面接を受け、やりたいかやりたくないかを訊ねてから、まず、やりたいという人を先に選び、そのあとからやりたくないと思う消極派からの選出をする方がよいのではないでしょうか。

    国民の司法への協力を仰ぐというのでしたら、積極的に裁判にかかわりたいと思っている人の善意を無視するということは、如何にも失礼だと思いますし、呼びつけておいて、「あなたは必要ありませんでした」は、常識的には通用しません。交通費や日当をくれれば済む話ではないのです。

    少なくとも「落選」した人には、その訳をきっちりと教えるのが筋だと思います。

    裁判所がそういう「お上意識」を改めない限り、裁判員制度が庶民の間に真の意味で定着するのは無理ではないでしょうか。始めのうちは、裁判員も確保できるかもしれませんが、時間が経つうちに、国民の不満が募り、裁判員制度自体が維持できなくなる可能性もあるように思えます。face09

    

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雪  女・・・・・285

~ 今 日 の 雑 感 ~


 
雪  女



    今からものすご~~~~く、前のこと、長野駅の駅ビル「MIDORI 」の中を、各ショップを冷やかしながら歩くのが好きでした。ファッション関係のお店って、眺めているだけで何となく幸せな気持ちになるんですよね。

    特別何を買うという訳ではないのですが、それでも、少しばかりおしゃれをして、ヒールの高い靴でも履いて歩けば、気分だけでもキャリアウーマンになったようで、ちょっぴり嬉しいものです。

    そんなある日のこと、また例のように、「MIDORI 」の中をぶらぶらしていると、いきなり、目の前にスーツ姿の若い男性が一人現われ、声をかけてきました。

    「すみません。あなた、人間ですよね?」

    「はあ~~~~~???」

    「あの~、ぼくと、お茶して頂けませんか?」

    「・・・・・・・????」

    どう見ても、わたしよりは年下の男性です。それも、開口一番、「人間ですよね?」とは、何なんでしょうか?

    何と返事ををしていいものやら、呆れた顔で沈黙していると、彼は、実に申し訳なさそうな表情になり、

    「すみません・・・・。何となく、雪女かと思ったものですから・・・・」

    雪女------!??? 

    「違います!!人間です!」

    わたしが答えると、男性は、恐縮そうに立ち去って行きました。

    う~~~ん、なんで、雪女なんて思ったんだろう?そんなに、人間が冷たそうに見えたのでしょうか?

    そして、その雪女を、お茶に誘おうとする気持ちにも、「?」でした。



    でも、わたしの「雪女」伝説は、これだけではありません。

    まだ、新聞記者をしていた頃、オーストラリアの大学生たちが志賀高原へスキーの研修に訪れた時のことです。

    彼らのホームステイ先での過ごし方を取材するために、渋温泉のある旅館へ行きました。そこでは、何人もの学生たちが夕食を食べていましたが、ちょうど、彼らとの交流の機会を持とうと、地元の青年たちもその夕食会へ合流していました。

    わたしは、そんな学生たちと地元の青年たちの交流の模様を写真におさめ、インタビューなども終えて、さて、帰ろうと、階段を下りてきた時です。

    ロビーにいた青年の一人が、突然、大きな声をあげたのです。

    「わあー!!びっくりした!」

    「はあ~~~~?」

    わたしが、怪訝そうな顔をすると、その青年が言うことには、

    「雪女かと思ったよ~」

    なんで、そんな風に思われるのか、実に不思議です。

    わたしは髪の毛も短いし、決して細身の楚々としたタイプではありません。これは、断言できます!!icon21

    それなのに、どうして「雪女」などと言われるのか、奇妙でした。

    未だに、あれは、彼らの言い間違いで、「雪女」ではなく、「雪だるま」のことではなかったのかと、思い出すたびにおかしくてなりません。(爆)face02


    怖い話を期待していた方、こんなバカ話ですみません。face07

       

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売られる日の丸・・・・・284

~ 今 日 の 雑 感 ~



売られる日の丸



    star今日のブログに書く記事は、若い人たちや太平洋戦争を知らない人には、出来るだけ読んで頂きたいと思います。


<日の丸行進曲>


母の背中に  ちさい手で   

振ったあの日の  日の丸の

遠いほのかな  思い出が  

胸に燃え立つ  愛国の

血潮の中に  まだ残る




    戦後六十四年。

    今、かつて日本軍と戦ったアメリカ兵たちが、戦利品として持ち帰った日の丸を、アメリカ国内で次々に売りに出しているという。アメリカには、こういう戦利品を高値で売買するマーケットがあり、かつての老兵たちは、このまま、日の丸を持っていても、自分が死んだあとは、価値の判らない子供たちに捨てられてしまうのが落ちだから、今のうちに金に換えておきたいのだというのである。

    アメリカには、どれほど小さな町や村にも、戦争記念館があり、そこには、第二次大戦や朝鮮戦争で敵から奪い取った品々が、誇らしげに展示されているのだという。

    現在、売られ始めている日の丸は、日本の兵士が出征の際に、近所の人たちが「武運長久」を願い、名前やスローガンなどを寄せ書きした物で、兵士は、これを胸にばってんになるように縛り付け、歓呼の声の中を出征して行ったのである。

    そして、戦場にあっては、この日の丸をお守り代わりとし、鉄兜(ヘルメット)の中にしまうなどして、アメリカ軍との激しい銃撃戦に臨んだものであった。こうして、戦いに散った日本兵は、210万人。そのうちの、115万人の遺骨が未だに不明とのことである。

    召集兵は、たった、一銭五厘のはがき一枚の召集令状で戦場へ送られて行ったこともあり、ほとんどの戦死者が身元不明なのだという。(ただ、大所帯の陸軍に比べて、海軍は、それなりに所帯も小さく、兵士の身元もしっかりと把握していたので、戦死者の身元調べは陸軍よりも進んでいるそうである)アメリカ軍の日本本土上陸を阻止するために召集され、本土防衛の要とされたサイパン島での激戦に投入された兵士のほとんどは、玉砕という名の自決を遂げ、彼らの被っていた鉄兜の中や、背嚢(はいのう)の中から、この日の丸は、発見されて、その多くがアメリカ兵の手でアメリカへ持ち帰られていたのである。

    しかし、ここへ来て、それを持ち帰ったアメリカ兵たちも高齢となり、少しばかりのこずかい銭にでもなればと、日の丸を売り出しているのだという。しかし、そんなアメリカ兵の中にも、ぜひともこの日の丸を自分の生きているうちに日本兵の遺族の手に返さねばと考え、インターネットのホームページを通じて、遺族探しを始めている人もいる。

    そして、そんな日の丸が、年間200枚も、日本政府宛てにアメリカから送り返されて来ているのだそうである。しかしながら、その大部分は、遺族の手には返っていない。

    理由としては、日の丸に書かれている名前だけでは兵士の特定が出来ないとか、出身の町や村の名前が書かれていても、遺族が日の丸の存在を知らないとか、戦争自体に関心がない遺族が大半で、若くして亡くなった身内の記憶もあいまいという人たちが多いからだという話である。

    そんな行き場を失った多くの血染めの日の丸が、今も増え続けているそうである。

    「武運長久」-----日の丸に書かれた文字は、一見、お国のために死んで来いという家族や近所の人たちの気持ちを表した言葉のように思えるが、その言葉の裏には、「運よく、命長らえて帰ってこいよ」という、切なる願いであったと、戦争史に詳しい作家は語っていた。

    「そんな日本兵や家族の気持ちを思うと、今も胸が張り裂けそうな思いがよみがえってくる」

    かつてサイパンで日本軍と銃撃戦となり、仲間の兵士を逃がしたのち、銃で頭を打ちぬいて自決した若い日本兵の日の丸を持っていた元アメリカ兵の男性(85)は、語っていた。

    日の丸をぜひとも遺族の手に戻してやりたいという元アメリカ兵もいれば、金に換えるために売り払う元兵士もいる。 

    アメリカにとって、日本の日の丸は、どのような意味を持つのか?戦争という忌まわしい過去の亡霊なのか、それとも、息子や夫を思う日本人の家族の魂の象徴なのか?-----日本もアメリカも、その位置づけを今も模索し続けている。  続きを読む


寂しい子供たち・・・・・283

~ 今 日 の 雑 感 ~


寂しい子供たちchild


    近頃の子供たちを見ていて思う。

    この子たち、本当に子供時代を楽しんでいるのかなァ?-----と。

    わたしたちが子供の頃って、ワイワイガヤガヤ、街中に子供の声がいつもあふれていた。小学校や中学校の登下校時間などは、もう、うるさいぐらいに子供同士が流行りの歌謡曲を歌ったり、リコーダーを吹いたり、怒鳴り合ったり、ふざけ合ったり、などなど、それはすさまじいものだった。

    子供は、普通、全身で声を張り上げて話をするものだ。そうやって、体力を付け身長も伸び、成長していくはずなのだ。

    しかし、近頃の子供はどうだろう。登下校中も皆不思議なほどにおとなしい。確かに、友達同士で話もしながら歩いてはいるのだが、まるで、お通夜の帰りのようにちんやりとしている。

    礼儀も正しいし、言葉使いもさほど悪くはないが、何処となく「覇気」が感じられない。大笑いするとか、怒りをあらわにするとか、感情が乏しいように思う。

    そんな原因の一つに、「言語活動の貧困」をあげる大学教授もいる。奈良教育大学の小柳和喜教授は、子供たちの会話のための「話題のハブ機能」がなくなってきて、逆に携帯電話特有の(無機質な)言語文化が発達したことで、子供たちが、自分たちの感情や意思を、その貧困な言葉では表現しきれなくなっているのではないかというのである。

    だから、感情が表に出てこない分、いきなり暴力的に爆発したり、突飛な行動に走ってしまったりもするのだろう。

    わたしたちが子供の時代、教授の言う「話題のハブ機能」の役割を果たしていたのが、本年度いっぱいで高学年向きの休刊が決まった小学館の学習雑誌であり、また、アイドルと呼ばれる芸能人たちの存在であった。

    小学館の学習雑誌は、「小学五年生」「小学六年生」が休刊となるという。

    漫画、芸能情報、勉強方法と、話題が満載で、常に子供たちの話題の核をなしていた学習雑誌の休刊は、ある意味、時代の変化を如実に表している現実といえる。要するに、子供たちがみんなで盛り上がれる「話題のハブ」が、今はないのである。

    個人の好みが多様化したことで、タレントや歌手、俳優たちに関しても、知っている人たちは知っているが、知らない人たちは名前さえも聞いたことがないということが、今の社会にはゴロゴロしているのだ。子供たちは、インターネット社会の中で育ち、自分に関心のあることには恐ろしく前向きに取り組むが、まったく関心のない話題には見向きもしない。

    そのため、付き合う友達も細分化し、固定され、その友人同士でさえ、かつての子供たちように、互いに悩みを打ち明け合うような、深く相手に踏み込んだ付き合い方など決してしないのである。

    必然的に、友達は少なくなり、気心を許して大声を上げるなどという無作法なことはできなくなるのであろう。

    しかし、小柳教授は、こうも言っている。「子供たちが携帯電話などで作り出した言語文化を問題視するだけではなく、学校で学ぶ言葉と、(遊びで使う)他の言葉との違いを教える必要があると思う。文章のエキスパートである学習雑誌なら、たとえば、ケータイ小説と作文の違いを特集するなどの試みも出来るのではないか?」

    わたしも、インターネットに偏りがちな子供たちの生活の中にも、間違いなく、活字文化は必要であると思うし、また、雑誌でなくては伝えられないこともたくさんあると思う。

    子供は、言わば空想の中で生きる動物であるから、インターネットのような短絡的な文字の配列では到底伝えきれない言葉の重みや味わいというものも、必ず必要なはずなのである。空想を巡らす時、その下地となる雑誌や本が欠かせないアイテムであることは、今も昔も変わってはいない。

    生き生きとした子供たちの表情を再び取り戻すためにも、やはり、紙に書かれた文字や共通の話題は、間違いなくこれからの社会にとって不可欠なものであるということを、明言したいのである。  続きを読む


良い戦争、悪い戦争・・・・・282

~ 今 日 の 雑 感 ~


良い戦争、悪い戦争



    オバマ米大統領が10日、ノルウェーのオスロで行ったノーベル平和賞の受賞演説に、被爆地の広島と長崎で波紋が広がっている。「時に武力は必要だ」と、戦争容認と取れる発言をしたオバマ氏に、被爆者は核廃絶に向けた活躍に期待を寄せながらも、「戦争肯定は間違い」「良い戦争と悪い戦争があるのか」と失望や憤りの声を上げた。
    広島県原爆被害者団体協議会の金子一士理事長(84)は11日、「オバマ氏が核廃絶の世論を巻き起こしたことは間違いないが、良い戦争と悪い戦争があると言っているようだ。戦争を肯定しながら『核なき世界』を目指すのは矛盾しているのではないか」と疑問を呈した。日本原水爆被害者団体協議会の坪井直代表委員(84)は「アフガニスタンへの米軍増派をめぐる国内問題などもあるのだろう」と立場をおもんぱかり、「核廃絶への道を真っすぐ進むよう今後も応援したい」と話した。
    「戦争を肯定することは絶対に正しくない」。語気を強めたのは、爆心地から約800メートルで被爆した長崎市の下平作江さん(74)。家族3人を原爆で失った。「戦争で犠牲になるのはいつも非戦闘員。ボタン一つでいつ核兵器が使われるか分からないのが現代の戦争で、人類が滅びる可能性だってある」と話し、「『核のない世界』の演説を聞き、平和な世界が来ると思ったから支持したが、平和のためと戦争を推し進めるのは被爆者の思いと反する。理想を失わないでほしい」と訴えた。
    長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長(78)は「平和賞受賞は的外れではない」としつつ、「日本はかつて『正義のため、平和のため』と称して戦争を行った。日本は過去の反省を生かし、『平和のための戦争』の危険性を率直に伝えてほしい」と日本政府に注文を付けた。


    <YAHOO ! ニュース>




    オバマ大統領が、ノルウェーのオスロで行われたノーベル平和賞の受賞式の際の演説で、「世界の平和のためには、時に戦争も必要だ」とも取れる趣旨のことを内容に盛り込んだといいます。

    日本では、「核廃絶を訴える大統領の言葉とも思えない」と、驚きや落胆を口にする人々が多いそうですが、そもそも、オバマ大統領の中では、「核」と「戦争」は、全くの別物という認識があるのではないかと思われます。

    何故なら、戦争で「核兵器」を使われた日本人にしてみれば、「戦争」イコール「核」の考え方が当然ですが、その核兵器の威力を自らに体験していない人たちの感覚からすれば、「戦争に核を使うことはやり過ぎだが、別の兵器ならば問題がない」と、いうことになる訳です。

    つまり、戦争が起きても、必ずしも核が使われる訳ではないし、戦争など起きなくても、核兵器だけがテロリストの手に渡り単独で使用されることだって考えられるのです。

    ですから、オバマ大統領が、これまでの大統領とは違って戦争に反対しているという訳ではないのでしょう。アメリカは、これまで通り、アメリカのやり方に反対する国に対しては、やはり、武力で鎮圧することが正義なのです。

    それこそがアメリカの考える「良い戦争」であり、アメリカに敵対する国が起こす戦争は「悪い戦争」なのではないでしょうか。これは、かつて日本の戦国時代に、日本中の戦国大名たちの中で、最も強い者がすべての大名、すべての領地を統治した時、平和が訪れると、考えていたことと、まったく同じ発想なのです。

    よって、世界はアメリカが統治すれば、完全なる平和が訪れると、オバマ大統領も考えているのかもしれません。しかし、日本国内が徳川政権によって260年間の平定をなしたのは、そこに、宗教や人種が関わらなかったからなのです。しかし、世界は、そんな単純なものではありません。

    アメリカが未だに勘違いをしているのは、自分たちの思想の根底にあるキリストの教えが最も崇高で正しいものだと思い込んでいることなのです。しかし、彼らが当面の敵と定めている中東諸国には、まったく別の正義であるイスラムの教えがあるのです。アメリカは、彼らを未開の下層民族だというような認識を持っているようですが、それは、第二次大戦中に、日本人を見下していた認識と、少しも変わってはいないのです。

    彼らは、日本兵はド近眼で、ほとんど周囲が見えないために、飛行機の操縦などは絶対に出来ないだろうと、本気で考えていたほどの無知さ加減だったのだそうです。そして、今度は、その考え方を、アフガニスタンやイラク、イラン、そして今やアルカイダの拠点ともなり始めているイエメンなどに対して、あてはめているという訳です。

    もしも、オバマ大統領が本気で世界の平和を望むのなら、むしろ、アメリカの方が、彼らイスラムの考え方に寄り添おうとしなければ無理なのではないかとさえ思うのですが、そんな考えは、正しく夢物語に過ぎないでしょうね。

    彼らの戦争の根底に、宗教問題が根強くあるかぎり、たとえ地球上から「核」がなくなっても、戦争は決してなくなることはないと思うのです。また、アメリカという国は、戦争をしなければ生きていけない、戦争を食べながら生き延びて行く国でもあるのです。これまでの歴史を見ても、アメリカは、経済的不況に追い込まれると、自作自演策をとってさえ、戦争を仕掛ける口実を見つけては、無理やり敵を作り、攻撃してきました。

    あのワールドトレードセンターが倒壊した同時多発テロでさえ、アメリカ政府が国民をアルカイダせん滅へ駆り立てるための自作自演だったという説があるほどです。

    では、次に、アメリカが狙うのは、何処の国なのか?彼らにとっての「良い戦争」を仕掛けられる相手を、今まさに、物色している最中なのかもしれません。face07  続きを読む


子供は、男性が産んでください・・・・・281

~ 今 日 の 雑 感 ~


子供は、男性が産んでください



    数年前、突然、我が家へ三人の中年女性が訪ねてきました。

    見ず知らずの女性たちです。そのうちの一人が、わたしに一冊の本を見せ、

    「わたしたち、こういうものを売っているんですけれど、ご結婚されていますか?」

    と、訊ねるので、いいえ、独身ですと、答えると、その女性の顔がにわかに嬉しそうに変わり、

    「だったら、ぜひ、この本を買って読んでみて下さい。とてもいいことが書かれていますから」

    と、言います。わたしは、そういう宗教系の本に興味はないので-----と、断わったのですが、その女性たちは、

    「わたしたち、宗教なんかじゃないんですよ。ただ、独身女性たちに結婚して頂きたくて、こういう本を紹介しに各ご家庭を訪問させて頂いているんです。結婚の素晴らしさを、お教えしてまわっているんです」

    と、説明します。わたしが、ああ、結婚紹介所の人たちなんですねと、納得したところ、

    「いいえ、そういうものじゃないんです。ただ、純粋に、結婚を勧めているだけなんです。この本を読めば、結婚がどれほど世の中のためになるか、また、ご自分の幸せのためになるかが書かれているので、読んで頂きたいのです」

    と、真顔で話すので、わたしは、

    「でも、この近所にも多いですけれど、結婚してもすぐに離婚して出戻ってきてしまった女性ばかりですよ。それも、しっかり、子供さんを連れて。彼女たちが幸せとは、どう見ても思えないんですけれどね」

    と、つい、いつもの調子で反論してしまいました。すると、彼女たちが言うには、

    「それは、結婚の意味を理解していなかったことの悲劇なのです。結婚とは、自分が幸せになることばかりを望むのではなく、相手をも幸せにするという気持ちが大切なのです。今の女性たちは、その気持ちが欠けているので、すぐに離婚というような選択をしてしまうのです。ですから、そういう悲しい結婚をしないためにも、この本を読んで頂きたいんですよ」

    どうしても、結論を本を売ることに結び付けようとするのです。そこで、わたしは、さらに言いました。

    「でも、結婚すれば、子供を産むのは女性ですよね。これって、不公平だと思いませんか?わたしは、結婚相手の子供を産みたいなんて思いませんね」

    これには、流石に、その女性たちも驚いた様子で、

    「でも、子供はかわいいですよ。ご自分の子供さんを欲しいと思いませんか?」

    「自分の子供は欲しいとは思いますが、自分が産むなんて御免ですね。自分のDNAを残したい気持ちは山々ですが、わたし自身が、そんな面倒なことはしたくありません」

    「では、今はやりの代理母とかを考えるということですか?」

    何だか、女性たちも、次第に不可解な顔つきになってきました。そこで、わたしは、さらに、

    「代理母などというものは、わたしは認めません。女性をバカにしているというものでしょう」

    と、答えてから、

    「男性が産めばいいんですよ。代理母が産めるのなら、男性にだって産めるようになるかもしれないじゃないですか。医学は日々進歩しているんでしょ?だったら、きっと、もうすぐ、そういう時代が来ますよ。どうせ、出産は帝王切開になるんだから、代理母と変わらないじゃないですか。だいいち、すぐれた女性の子供を、より多くの男性に産んでもらう方が効率もいいんじゃないですか?男性の方が体力もあるし。だから、子供は、男でも女でも産みたい人が産む。それでいいのだと思いますけれど-----。そういう時代が来た時に、わたしも結婚を考えます」

    と、言いました。

    「・・・・・・・・」

    女性たちは、驚いた表情で、わたしを見つめましたが、やがて、

    「では、この本は必要ないですね・・・・」

    と、小さく言い、玄関を出て行きました。きっと、帰る道すがら、変わった人の家へ行ってしまったものだと、呆れていたに違いないと、思います。

    しかし、わたしの気持ちは、今も、あの時の言葉のままです。男女平等というのなら、男性も平等に子供を産んでほしいものです。今や、社会進出は何も男性の特権ではありません。子供を夫に託し、戦場へ赴く女性兵士もいれば、ジャンボ旅客機を操縦する女性パイロットに、昔は、女は乗せないと言われた戦闘機を操縦する女性士官や、軍艦の女性艦長だっているのです。

    子供を産むことだけが女性の権利である必要はないのです。

    そうは、思いませんか?face02

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沖縄県民の本音は何処に?・・・・・280

~ 今 日 の 雑 感 ~


沖縄県民の本音は何処に?



    正直言って、わたしには、沖縄県民が本当に、アメリカ軍基地が県外に移ることを望んでいるのか、本音のところは、このまま県内に置いておいてほしいのか、はっきりと判らない。

    ある評論家の話だと、本気で基地を県外へ持っていってほしいと思っている人は、ほんの一握りだということであるし、基地内で働いている二万人以上の県民の雇用場所がなくなることも問題視されているそうである。

    岡田外務大臣は、連立政権内の意見調整のため、年内決着は難しいとの考えを宜野湾市の伊波洋一市長に伝え、アメリカ側が名護市辺野古へ移転するという現行案のほかには選択肢はないという認識を示しているということも説明したという。

    そんな中、県外移転の案の一つとして、関西国際空港を利用したらどうかとのアイデアも持ち上がっているらしい。関西国際空港は、未だに各航空会社の利用が少なく、B滑走路などは、まったく使われていないともいうことで、ここを、米軍の飛行場にあてたらどうかとの案も出ているのだそうである。

    しかし、関西国際空港は、大阪市の近くでもあり、ここには世界的な金融の核となる大手の銀行が集中しているということもあって、騒音や、万が一の事態を考えると危険だという反対論も根強い。

    そうかといって、沖縄県民にすべてのしわ寄せを押しつけたままでいいとは思えず、開いている空港があるのなら、利用しない手はないと、大阪府知事の橋下徹氏は、個人的な意見と断わりながらも、この案を検討してみる価値ありと発言した。

    ところが、これとは別に、わたしには、やはり疑問がある。沖縄の米軍基地に土地を貸している地主たちの中で、土地を貸すことに反対している地主たちは、ほんの一握りであるらしく、しかも、その土地も、全部合わせてもかなり少ない面積なのだそうだ。そんな反対地主の中には、テレホンカードの半分ほどの土地しかもっていない地主もいて、その地代4円を国が支払うために、880円の手数料をかけているという事実まであるのだという。

    もしも、橋下府知事の考えるように、関西国際空港にアメリカ軍基地の一部が移転したとすれば、大阪府にそれなりの交付金が国から入るであろうし、2万人以上の雇用が確保できる訳でもあり、この案は、一石二鳥にも三鳥にもなる訳である。もちろん、かなりの騒音を我慢すればの話ではあるが、それも、海上に出来た関西国際空港ならば、沖縄県の普天間基地への統合などよりはかなりましな解決策となるのではないかと、素人考えながら思う。

    また、米兵の犯罪などに対しても、沖縄県民のような大らかな気質の人々に比べて、関西人は気性も荒い訳で、もしも、そのような不祥事が起きても、むしろ米兵の身の方が危ういほどであろう。そんなこともあり、関西という土地柄は、米兵の犯罪抑止効果も期待できるのではないかと思われる。

    しかし、そうなると、沖縄の米軍基地で働いていた人たちの再就職先の問題であるが、基地が県外へ移転した時を機会に、沖縄県民も、依存型の生活から脱却するべきではないかと考えるものである。

    わたしたち信州人からすれば、一年を通して温暖で、穏やかな気候の沖縄は、まるで天国のようにも思えるもので、生活の危機感が薄いのではないかとも思うのである。信州は、決して大げさではなく、冬の灯油代で一年の収入が消えてしまうような暮らしである。そのことを考えれば、沖縄県民も、もう少し自力で経済を活性化しようという気迫をもって欲しいのだ。

    そうはいっても、やはり、アメリカからは離れたくないという県民の本音が多くある以上、基地は、沖縄に必要なものなのかもしれない。そこのところがもう一つはっきりしないので、国民も今回の問題にはあまり関心がわかないのだと思う。

    もう一つの案として、グアム移設が取りざたされてはいるが、グアムのアメリカ空軍がこれを拒否しているという理由の本当のところは、空軍には空軍のプライドがあり、海兵隊などのいわゆる上陸部隊要員である下層兵士たちと、同じ基地内で生活するなど真っ平だという本音があるらしい。(北沢防衛大臣は、このグアム案には消極的らしい)

    中国や北朝鮮における有事の際の前線基地として沖縄の役割を強調するのは、言わば表向きで、実際の理由は、そういうところにあるのだそうである。

    いずれにせよ、県外移転にしても、県内移転にしても、沖縄県民の意識が一つにまとまらねば、他の都府県の国民たちは、何の言葉の出しようもないというのが現状ではないかと思われる。


    アメリカ軍の基地は沖縄県外か、それとも県内か、いや、国外か、何処に落ち着けば、日本、沖縄、アメリカの三方がまるく納まるんだろう?大岡裁きではないが、三方一両損の結論を早く鳩山総理の口から聞きたいものだ。icon20

    
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ふざけるな、官僚!・・・・・279

~ 今 日 の 雑 感 ~


ふざけるな、官僚!



   昨日12月8日は、ジョン・レノンの命日だったそうですね。
   
   でも、わたしにとっての12月8日は、やはり太平洋戦争開戦の日のイメージの方が断然強烈ですね。真珠湾奇襲攻撃----実は、奇襲でも何でもなかったんですけれどね。(爆)でも、やっぱり、「ニイタカヤマ ノボレ」「トラ トラ トラ」ですよね。icon09






    「皆さんは、勘違いをしているのです。キャリア官僚に天下りをするなということの方が、間違っているのです。キャリアとは、職業ではありません。これは、資格なのです。弁護士資格とか、医師の資格とかと同じものなのです。ですから、官僚は、霞が関から離れても一生官僚なのですから、天下りは、彼らの権利でもあるのです」

    これは、麻生前総理の予算委員会答弁での言葉である。

    これを聞いた時、わたしは、驚くと同時に、感心もした。このようなめちゃくちゃな認識を、平然と口にする麻生前総理にも驚いたが、これが、自民党議員たちの中にある常識的な意識だったのだ思うと、開いた口がふさがらなかった。

    キャリア官僚という職業が、資格だなどと思っている国民が、果たしているのだろうか?キャリア官僚が天下りするのは当然の権利で、その天下り先を作ることも、政府の仕事だというのである。

    これは、霞が関のキャリア官僚たちの言い分であるが、

    「みんな、好きで天下りをしている訳ではない。定年まで働ければいいが、次官の同期が役所内にごろごろいて、うまく機能するはずがない。だから、事務次官レースに敗れた者は、肩たたきにあって霞が関を去るのだ」

    と、いうことなのである。しかしながら、こんな身勝手な理屈を今まで許していた方がどうかしている。民間会社で、こんな理屈が通るところがある訳がない。

    次官レースから落ちた者は、窓際族として、定年まで働けばいいのである。そんなことをすれば、彼らの給料だけで膨大な額を支払わなければならなくなると、いう説もあるが、だったら、給料を減らせばいいのだ。負け犬に支払う給料を、これまで同様に国庫が負担する必要はない。それが嫌なら、役所を辞めればいいだけの話である。

    ダツカン(脱官僚)をして、商売をするなり、別の民間会社にペーペーの新入社員として勤めるなり、進路はいくらもあるではないか。

    キャリア官僚が「資格」だなんて、呆れた冗談というものである。

    それに、最後まで勝ち残った次官だって、辞めた後は天下りをする。「事務次官までのぼりつめると、生涯のポストや収入が保証される。審議官クラスで終わる人とは、とんでもない格差が出来るのだ」と、いうことであるらしい。そして、役人は、そういう「格差社会」をいつも気にかけているものらしい。

    そして、ある財務省のOBは、「そういう第二の人生を含めた土台があればこそ、国民のために尽くすという意識もあるので、その土台がなくなったら、公務員の意識に大きな影響が出ることは目に見えている」と、語る。

    つまり、「役人というものは、自分の地位や金が確約されているから、国民のために働く意欲も湧くので、それがないのであれば、どうして、われわれエリートが、(無知蒙昧な人たちのために)わざわざきつい仕事などするものか」と、いうことなのである。

    われわれ国民は、そんな人を馬鹿にした連中の給料のために、必死でなけなしの税金を支払ってきていたのかと思うと、情けなさすぎて、逆に笑えてきてしまう。

    しかし、ここへきて、民主党中心の新政権は、天下り禁止を打ち出した。天下りしたい奴はすればいいが、その天下り先へは、これまでの自民党政権の時のような国からの交付金は、いっさい支払うつもりはない。給料が欲しければ、自分たちで稼げと、いう訳である。

    この間の事業仕訳けの際にも、とんでもない天下り団体の正体が明るみに出ていた。詳しいことは判らないが、どうやら、女性の元キャリア官僚ばかりが天下る場所があるらしいのだ。国から各団体へ支払われるお金が、何故か必ずある団体を経由して支払われているらしいということで、不可解に思った仕訳け人の一人が、その団体を調査したところ、そこの代表らしき女性元官僚が答えることには、

   「わたしたちのような女性官僚が天下る先は、ほとんどない。だから、(そういう女性官僚の天下り救済の場として)ここはどうしても必要なのだ」と、臆面もなく話したのである。 

   これには、その仕訳け人も、開いた口がふさがらなかったようである。

   もちろん、その団体に支払われる交付金や補助金は、見直しとなったらしい。

   そうなれば、彼女たちの行く場所はなくなってしまう訳だが、パートをクビになった主婦のことを思えば、何のことはない。これまで考えられないような贅沢な暮しを楽しんできた女性たちである。明日からは、スーパーマーケットのレジ係をすればよいだけのことなのだ。

   それよりも、女性の働く職場を作ることが、本来の彼女たちの仕事ではなかったのか?そういう仕事を怠慢していて、自分たちだけは、役所を退職後も、ちゃっかりと再就職口を得ようなどと虫がよすぎる話である。

   国民をバカにし続けたつけは、大きい物と自覚して頂きたいものである。icon09 

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クリスマスカード・・・・・278

~ 今 日 の 雑 感 ~


    <今日のおまけ>

    わたしは、クリスマス・カードを集めるのが好きで、かなり前から色々買いだめてきては、この時季が来ると袋から取り出しては一人悦に入り、眺めている。(ちょっと、不気味かもしれない。爆)

    もちろん、実際に送ったりもするが、中にはどうしても気に入ったものがあり、それは二十年以上経っても使う気になれない。同じカードを何枚か買っておけばよかったのだろうが、その一枚しか手元にないと思うと、どうしても使用することを躊躇してしまうのだ。

    今年もまた、袋から出して眺めてはみたが、やはり、もったいなさの方が先に立つ。(溜息)

    皆さんは、クリスマス・カードをお友達やお知り合いに送りますか?icon06  


人を変えても自分は変わるな!・・・・・275

~ 今 日 の 雑 感 ~


人を変えても自分は変わるな!



    あなたは、毎日の仕事や職場で、人間関係で落ち込んだり、ムカついたり、苛立ったりすることはないですか?

    皆さん、そんなことの一つや二つ、必ずありますよね。

    でも、そんな時、あなたならどうしますか?じっと我慢の子-----ですか?それとも、ここは一発はっきりと相手に不快感をぶつけますか?もしくは、自己啓発セミナーの本などを読んで、自分のいたらないところを研究したりする方でしょうか?

    じっと我慢の子は、辛いですよね。わたしも、出来ればこれは避けて頂きたいと思います。我慢は、決して良い結果を生みません。周りを増長させるだけでなく、あなた自身の身体にも必ず悪影響を及ぼします。

    わたしは、この我慢を続けていたおかげで、病気になった人を何人も知っていますし、おそらくは、わたし自身もそんな一人だったのだと思います。ですから、もしも、あなたが、本気で自分の身体のことを心配するのなら、相手の好きになどさせてはいけません。はっきりと、自分の意見をぶつけ、場合によっては、相手を怒鳴りつけることもいとわないことです。

    しかし、それ以上に、危険なことがあります。

    それが、自分を変えようとすることなのだとわたしは思うのです。

    「気に入らないことがあったら、相手を非難する前に、まず自分の方を変える努力をしよう」

    自分が変われば、当然、相手も変わってくれるはず-----まさか、そんな虫のいいことを、本気で信じている訳ではないですよね。はっきり言わせて頂きますが、そんなことは、絶対にあり得ません!!

    あなたが、変わろうとする努力は本物でしょうが、それを、相手にまで求めることはナンセンスです。では、相手は、性格の変わったあなたを見て、何と感じると思いますか?そうです。何も感じはしません。あなたが、自分は変わったと思い込むことで、自己満足を得るだけのことです。

    「でも、自己満足だっていいじゃないか」

    そうですよね。でも、それでは、あなたに対する嫌がらせは終わりませんよ。あなたが、何をされても気にしないという、正に「無」の境地まで、自分をコントロール出来ていれば、確かに問題はないのでしょうが、果たして、修行僧でもないあなたに、そこまでの自己改革が可能でしょうか?

    また、百歩譲って、その完璧なる自己改革が奇跡的に成功したとして、あなたが職場で今の仕事を維持していけるかといえば、それはかなり無理が生ずるものと考えます。あなたはよくても、周囲の社員は大半が、あなたとの接触を御免こうむりたいと思うでしょうね。そんな、不気味ちゃんと一緒に肩を並べて仕事をするなど、到底考えられませんから。

    しかし、もしも、その自己改革が中途半端に終わったとしたら、これは、悲惨としか言いようがありません。

    人間は、一度に急激に自分を変えることなど出来ませんが、少しずつ変えて行ったとしても、それは、自分が健康で心身に余裕がある時に可能な話です。もしも、ほんの少しでも身体に異変が起きた時、その自己変革を維持できる保証は何処にもないのです。そこで、気持ちを立て直すことが出来ずに、先祖がえりを起こしたら、もう歯止めは利きません。

    そのストレスは、怒涛のごとく、あなたの心身を蝕むでしょう。

    それが、精神的に作用すれば、うつ病や統合失調症、パニック障害、適応障害などなどに、身体的に作用すれば、癌、白血病、甲状腺機能異常、円形脱毛症、糖尿病、視力低下などなど、大変な病気を抱え込むことにもつながるのです。

    人間は、感情の動物です。感情を封じ込めることが、最も危険なのです。

    ですから、悲しい時は思いっきり泣き、悔しい時は力の限り相手を罵倒し、怒る時は徹底して憤慨する。そうやって、日々のストレスのガス抜きをすることをこそ、健康に生きる手段と考えるべきなのではないでしょうか。

    情緒的な問題ではありません。あなた自身の身体の問題なのです。

    気に入らないことがあったら、その対象となる相手の性格を変えさせても、自分の方が変わろうなどとは、絶対に思わないことです。命が大事なら、それを思い出して下さい。   続きを読む


年末は自殺者が増える・・・・・274

~ 今 日 の 雑 感 ~


年末は自殺者が増える



    1998年以降、日本の自殺者数は、年間三万人を超えています。

    この自殺者が最も増えるのが、これからの季節、年末だといわれているのです。会社の経営が立ち行かなくなるとか、借金が払えないとか、病気を苦にしてとか、理由は人それぞれですが、日本人特有の終末意識が影響しているのではないかとも考えられます。

    そして、そういう自殺者の大半が、やはり、現在、または過去に精神疾患にかかったことのある人だというのです。そのため、病院の精神科には、連日連夜、患者からの悩みの相談電話がひっきりなしにかかって来るのです。

    しかし、医師も看護師も入院患者の対応で忙しく、患者からの電話に長時間対応している訳にはいきません。また、対応できたとしても、相談内容を聞くだけで、それ以上のことは何も出来ないのが現状なのだそうです。

    電話口で、「死にたい」と、訴える人たちに、何もしてやれないことの歯がゆさ。それが辛いと、電話の応対に出た看護師は話します。しかも、特に人間が精神的に追い詰められて、気分が落ち込むのは、深夜の時間帯なのだそうで、高齢者の中には、何の病気もないのに、その時間になると、ただ寂しいという理由だけで、救急車を呼び、病院へ来てしまう人も少なくないというのです。

    別に、何の症状も認められないため、帰宅を促しても、「寂しいから、ここにおいてくれ」と、懇願して、救急用のベッドを占領してしまう高齢者もいるのだとか。

    そこで、政府は、今回、福島瑞穂消費者・少子化担当大臣を軸に、年末の自殺防止のためのプロジェクトチーム「自殺対策緊急戦略チーム」を、発足させたそうです。このような、国を挙げての自殺予防対策に最も取り組んでいると思われるのが、イギリスです。

    イギリスには、「アウトリーチ」と称する、危険度回避対策チームというものがあり、精神科に通う患者の家を定期的に訪問するというシステムを導入しているとのこと。

    こうした自殺を予防するには、最も大切な時期というものがあり、それが、患者が病院を初めて訪れた初期の頃と、しばらく通院したのちに、ある程度治療効果が出始めた頃なのだそうです。実は、この頃が、最も患者の自殺率が高く、初期の頃は、患者の中に、まだ自分がうつ病やら統合失調症等の精神病だという実感がないため、通院をやめてしまい、そのために気分が落ち込んで突発的に死に走るというケースと、次は、ある程度通院したのち、体調もいいので薬の服用をやめてしまい、自殺願望が出てきてしまうというケースが多いのだそうです。

    ある精神科の医師は、「それこそ、24時間、365日、患者さんたちの悩み相談に対処可能な施設などのシステムの構築を急ぐ必要がある」と、訴えていました。

    もしかしたら、そんな悩みのはけ口に、ブログを活用するのも一つの手かもしれません。皆さんも、もしも、深夜、気分的に落ち込んだら、そんな自分の悩みをブログ記事に綴ってみませんか?ほんの少しでも、気持ちが休まるかもしれませんよ。icon06


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上から目線のブロガーたち・・・・・273

~ 今 日 の 雑 感 ~



上から目線のブロガーたち



    はるみっちゅさんのブログ記事に、「自分は物事を上から目線で見ている」なる一文があった。

    そして、「自分が楽しければ人も楽しいなどということはない(しかし自分だけが楽しければいいとも思わない)」という言葉も添えられていた。

    わたしも、この考えには同感である。人間は、多かれ少なかれ、物事を自分を中心とした「上から目線」で見るように出来ているのだと思う。そうでなければ、自分というものの証しを自覚できないからだ。

    そして、そのことを自覚しつつブログを書くなり、日々の生活を送る人間は、まだかなりまともだと言える。

    だが、自分が「上から目線」で物事を見ていることを、まったく理解していないにもかかわらず、如何にも相手の立場に立って考えてやっているという大間違いをしているブロガーも多いのである。

    しかも、そういう人間は、大概において、自分が周りを楽しませてやるというような気風があるから、「自分が楽しめば、人も楽しいに違いない」と、本気で考えている訳なのだ。

    でも、それは、やはり、ある種の思い上がりだと思う。たとえば、落語家やお笑い芸人たちを見ても判るように、彼らは人を楽しませ、笑わせることが商売だが、彼らの稽古や苦悩は、計り知れないほど大変なものだという。

    思い通りの芸が身に付かずに、自殺をした落語家も多い。自分たちの笑いが客に受け入れられず、消えていった芸人も数知れずである。もしも、彼らが、自分も楽しみながら芸を磨けるのなら、こんな苦労を味わうはずなどないのだ。

    むしろ、「自分が楽しい時は、周りは決して楽しくない。自分が辛ければ辛いほど、周囲を楽しませることが出来る」-----これが、真実なのではないかと思うのである。

    だから、「わたしは、人が楽しむため、人が幸せになるために生きている」などと、言うブロガーがいると、では、「あなたは、どれほどその人たちのために命を張っているのか?」と、問いたいのである。「上から目線で語るのだから、金儲け仕事など絶対していないんだろうな?」と、訊ねたいのだ。

    これは、以前わたしがある人から聞いた言葉だが、「人を諭すようなことを言うのなら、絶対、金銭を取ってはならない。金銭を取りながら、言って聞かせるようなことを語る人間を、世間は詐欺師と呼ぶのだ」と、いうことのようである。

    まあ、こういう種類の理屈に当てはまらない職業も確かにあることはある。

    国家資格を与えられている人たちが、その職種だといえよう。

    しかし、ブログ上で、偉そうに人さまを説教するような者は、ほとんどこういう資格など有している者たちではない。資格など何も持たないくせに、経験則だけで語る不届き者も少なくないのだ。

    その点、ブログは利用価値の高いアイテムである。顔が見えない分だけ、自分の偽りの姿がうまく隠せてしまうからだ。

    だから、わたしは、「自分は周りの幸せのために生きている」などと臆面もなく語る人間は、ブロガーに限らず信用しないことにしている。もし、これを言いたいのなら、決して自分の利益を求めるな。もし、利益を求めるのなら、常に下手に出ていろと、言いたいのである。icon09  続きを読む


ハンドルネームに騙された?・・・・・271

~ 今 日 の 雑 感 ~

ハンドルネームに騙された?



    皆さんは、ブログを始める時、ハンドルネームを何にしようかと考えましたか?

    せっかくブログを書くのだから、一端、気の利いたものにしたいと、思いますよね。でも、案外、落ち着く先は、よくある陳腐なパターンになってしまうもので、たとえば、自分の愛犬や愛猫の名前とか、大好きな食べ物の名前とか、もともとある自分のニックネームとか、ここは、シンプルに本名とか-----。

    だいたい、そんなところになってしまうものですよね。それでも、中には、あまりに凝り過ぎて、自分でも、本当の綴りが判らなくなるという人や、コメントを書く人が、相手のハンドルネームがあまりに複雑で、よく綴りを間違えるとか、そんな弊害も出てくる場合もありますね。

    そんなこんなで、途中でハンドルネームを変えるブロガーさんも時々見受けます。

    わたしは、一年前にブログを始めた時、まだ、パソコン自体にもほとんど慣れていなかったので、ブログの意味がよく判らず、そこに書かれているブロガーさんたちのハンドルネームで、ブロガーさんの性格や暮らしぶりを勝手に想像していたのです。

    しかも、書かれているブログがどういうものかも把握しきれていませんでしたから、その記事を書いているブロガーさんが男性か女性かも判らず、また、ブロガーなどというものは、自分を偽って書いている人だっているはずだと強く信じいてたこともあり、あまり、胡散臭そうなハンドルネームを使っているブロガーのブログは、なるべく見ないようにしていました。

    そんな訳で、わたしは、まず、この人はたぶん女性だろうと、思う人のブログを手始めにあけるようにしました。

    ですから、一番初めに読んだブログは、「はるみっちゅ」さんのブログだった訳です。折り紙を男性がやるなんてことは想像しませんでしたし、名前も何となく女性的でしたから------。今考えてみれば、大爆笑ですよね。face02

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沖縄返還の密約・・・・・270

~ 今 日 の 雑 感 ~


沖縄返還の密約(ーー;)


    この前、TVのサスペンスドラマ「家政婦は見た」で、日本政府がかつて、ある国との間で密約を結び、そのことを生きているうちに公にしようとする元官僚が、かつて、その密約をスクープしたももの、外務省で事務をしていた女性と情を通じてその事実を聞き出したということで、新聞社を追われた元記者の男性と再会し、記者会見を開くが、元官僚は事実を証言したにもかかわらず、「認知症老人のたわごと」と片付けられてしまう。-----そんなエピソードが放送されたが、まさか、それが現実にあったことだとは、わたしは、これまで、まったく知らなかった。


    近頃、かつて自民党が行なった国策の秘密が次々に暴露され始めている。

    これは、明らかに政権交代による成果だといえる。政権が別の政党に移れば、これまでなあなあで行なわれてきた不正行為が、白日のもとにさらけ出され、確実に不正行為としてあぶりだされてくるからである。新政権の手で掘り出されてからでは、逃げようもないと、かつて不正にかかわった者たちは、一斉に、自己保身のための自白行為に走り始めたものだと思われる。

    いつの世も、政治家や官僚というものは、抜け目なく出来ているのだ。

    今回の、沖縄返還時に、アメリカの負担金を実は日本が肩代わりしていたという国家機密にかかわり、その事実を東京地裁の法廷で認めた、元外務省アメリカ局長の吉野文六氏(91・松本市出身)も、三十七年前は、この事実を完全否定していた。そのことについて、吉野氏は、「あの当時は、検察当局が政府(自民党)の方にあった。今は、否定できない」と、語っている。

    この吉野氏の嘘を、国家の嘘としてスクープした元毎日新聞記者の西山太吉さん(78)は、1972年の3月、当時、社会党だった横路孝弘衆議院議員に証拠のコピーをわたし、国会で吉野氏を追及して追い詰めたものの、西山さんに資料を提供したという当時の外務省の女性職員が警視庁に出頭したことで、彼女とともに、西山さんも国家公務員法違反の容疑で逮捕され、「ひそかに情を通じて」などと表現されたことが原因で、新聞社を辞めざるを得なくなると、実家へ戻り親族の経営する青果会社で定年まで勤めたのだった。

    そして、実家に戻った西山さんは、「自分だけが糾弾されて、国家の国民に対する犯罪は不問。こんな不条理があるものか!」と、飲み歩き、競艇場に通う日々が続いたとも話す。

    そして、今回の沖縄返還密約訴訟で、元アメリカ局長だった吉野文六氏は、この12月1日午後一時過ぎ、東京地裁で証言し、密約が存在し、かつての自身の証言は虚偽であったことを、西山さんの見守る前で、はっきりと認めたのであった。

    そして、今回これを認めた背景には、アメリカが出して来た公開資料に、吉野氏本人が書いた「BY (ブンロク・ヨシノ)」のイニシャルがあったため、「もはや否定はできない」と、思ったのだという。

    吉野氏と、西山さんは、三十七年の歳月を経て、証言終了後には恩讐を超えての再会を約束したというが、外務官僚として国家の秘密をかばい続けた吉野氏と、正義のペンをふるったばかりに女性との情事の噂まで流されて、新聞社を追われた西山さん、-----この二人の間のあまりにかけ離れた境遇は、そう簡単に修復できるものではないと思う。

    なぜならば、この民主党への政権交代がなければ、吉野氏もこの証言を拒み続けたまま、秘密を墓場まで持って行ったであろうし、西山さんは、自分の正当性を一生晴らせぬまま、無念の生涯をすごす破目になったであろうからである。

    西山さんは、この吉野氏の証言を、「歴史の裁断」と、称したが、正に、これこそが、「天が暴いた真実」と、いったところであろう。しかし、それにしても、かつての新聞記者というものは、大したものである。まだ四十そこそこの青年が、国家を敵に回し、ペン一本で戦いを挑んだ訳で、今の新聞記者たちに、果たしてそのような根性があるだろうかと、怪しくなる。

    そして、西山さんが、もしも、あのまま記者を続けていたら、この他にもどのようなスクープ記事を書き続けていたかと思うと、何とも残念な気持ちになるのは、わたしだけではないだろう。

    それにしても、こういうかつての国家権力が隠蔽してきた嘘は、これからも暴かれ続けていくのではないかと、考えるのである。




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早朝は、老人パラダイス・・・・・269

~ 今 日 の 雑 感 ~

icon06早朝は、老人パラダイスicon06


  
    後期高齢者の父は、持病の高血圧があるため、一月に一度は必ず近くのクリニックへ診察をしてもらいに行く。

    それも、朝の七時前に一口朝食を食べてから、スクーターを飛ばして出かけるのだ。まだ、診察開始の時間には早いのだが、その時間に行かないと、順番の予約が出来ない訳で、順番が書かれた札をもらうと、また家まで戻り、今度はしっかりと朝食を食べてから、再びクリニックまでゆっくり出かけるのだ。

    他の患者さんたちも、皆、同じようなことをしているのだという。

    しかし、最近、その最初に出かける時間が、さらに早まった。いくらなんでも、そんなに早くクリニックのドアが開いている訳はないと思うのだが、父が言うには、

    「これでも、もう、遅いくらいなんだ。今日なんか行ってみたら、あの時間で、おれの順番は、既に11番目だったんだぞ」

    続けて、

    「そのあとで、診察開始時刻に行った時は、もう待合室は、年寄りであふれかえっていたんだからな。順番札をもらってきていたから午前中の診察で済んだが、一歩遅ければ、間違いなく午後に回されていた」

    これには、わたしも母も仰天だった。父が午前七時にクリニックへ行った時は、もう早くも、その前に10人が順番取りに訪れていたことになるのだ。いったい、クリニックは、何時に開院しているのだろうか?

    そして、それほど朝早いうちから開院しなければ、患者をすべて診ることが出来ないのだとしたら、医師は、いったい、一日に何人の患者を診察する計算になるのだろうか?

    そんなことを考えると、正直、恐ろしくなった。しかも、そこのクリニックの先生には持病もあると聞く。時々、体調を崩して、先生本人が入院したりもするそうなのだ。face08icon10

    この間、民主党の議員で、元内科医だった男性が話していたが、以前、自分が大学病院へ勤めていた時、一人で一日70人以上の患者を担当させられて、ついに自分が倒れてしまったのだという。その時、「おれはこのまま、医者を続けていたら間違いなく死ぬな」と、直感し、国会議員への転職に踏み切ったのだということであった。

    ここのクリニックの先生も、下手をしたら、そんなことにもなりかねないのではないかと、わたしは、思った。開業医は、勤務医よりも楽だという世間の通り一遍の認識があるのも事実だが、そんな甘いものではないと、その患者数からも察することが出来る。

    毎日、ひっきりなしにやって来る大勢の高齢患者。そして、今年は、そこに新型インフルエンザの猛威である。

    今年の冬は、各地で医師が過重労働による疲労のために、医院を閉じなければならない事態が起きるのではないかとも懸念されるのである。

    高齢者の人たちが朝早く起きて、病院や医院へ行くことは仕方がないにしても、午前七時前というのはあまりに常識的でないようにも思う。

    それにしても、どうして世の中にはこんなにも患者があふれてしまったのだろうか?もっと、根本的なことから日本人の生活を見直さなければ、今後、日本の医療システムは確実に崩壊していくような予感を持つのは、わたしだけであろうか?



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