その手には乗らない!・・・・・558

~ 今 日 の 雑 感 ~


その手には乗らない!



    人は、言いづらいことを言ったり、相手を直接責めるには抵抗がある場合、「類似シナリオ効果」という手法を使うことがある。

    これは、相手に言いたいことと同じ事柄を別のシチュエーションを用意して説明するという方法である。

    たとえば、このように----。

    遅刻ばかりする社員に釘をさしたいのだが、面と向かって「きみ、遅刻はやめてくれないか」と、言うのでは相手との仲が険悪になると思った時など、「実は、別の課の奴なんだが、毎日毎日遅刻ばかりして来て、みんなに迷惑をかけているそうなんだ。この課には、そういう奴はいるのかな?」と、あえて別の人間を攻撃することで遠回しにその人物に注意を与えるのである。

    こういう方法は、女性がよく使う手でもあり、自分がご主人に何処かへ連れて行ってもらいたい時など、わざと、

    「〇〇さんところの奥さん、今度ご主人と海外旅行へ行くみたいよ。一年に一度ぐらいは外国へ行くのは今時は常識だって言っているわ」

    こんな具合に使い、「だから、うちも行きましょうよ」と、暗にほのめかすのである。

    しかし、そんなご主人と海外旅行をする奥さんの話は、まったくのでっち上げという場合もあり、大概においてそのシチュエーションは架空であることが多いのだ。

    そんな「類似シナリオ効果」だが、それも、相手がそのほのめかしに気付いてこそ効力を発揮する。

    上記の例でも、遅刻をしている社員が自分のことを言われているのだという自覚があってこそ、「痛いところを突かれた」と、反省するのである。

    ところが、それは自分のことではないと思い込んでいる場合などは、どれほど遠回しに皮肉ったところで、相手は痛くも痒くもない。また、相手の言わんとしていることを理解していたとしても、無理やり関係なさを装うというつわものもいるのである。

    そして、この「類似シナリオ効果」だが、あまり頻繁に持ち出すと、相手に手の内を知られてしまい、「また、ありもしないでっち上げ話を・・・・」と、逆に顰蹙を買う事態にもなり兼ねない。

    とかく、ささいな問題で他人の上げ足を取ろうとする者に、この「類似シナリオ効果」を多用する輩がいるのだが、わたしなどは、相手の言わんとしていることが嫌というほど判っているものの、あえてその部分に触れないように話をすることがあるのだ。

    ブログをやっていても、そういうコメントを書き込まれることはよくある。

    どうして、そんなどうでもいいことに固執していちいち文句を付けて来るのか、本当に理解に苦しむブロガーや読者もいるのだが、そうやって相手の上げ足を取れば、一瞬、勝ち誇ったような気分になるのだろう。

    実に、了見の狭い人間たちである。

    申し訳ないが、この「類似シナリオ効果」は、わたしにはほとんど通用しないので、そのつもりでいて欲しいものである。

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口げんかの仕方・・・・・557

~ 今 日 の 雑 感 ~


口げんかの仕方



    あなたは、友だちと口論になりました。

    その友だちよりも主張で優位に立つために大事なことは、決して防御態勢をとってはならないということです。

    たとえば、趣味でやっているバスケットボールのチームメートがあなたをこう非難して来たとします。

    「今日は、大事な試合だというのに、なんで、そんなに集中力が欠けていたんだ!?お前のせいで、試合はボロボロだ!」

    「ごめん、昨日は徹夜だったんだ。今朝の四時まで仕事していたもんだから、頭が働かなくてさ」

    もしも、あなたがこんな風に答えたとしたら、相手は必ずこう攻めて来ます。

    「どうして、もっと早く仕事を切り上げなかったんだよ。お前の段取りが悪いんじゃないの?」

    これでは、あなたは、ますます劣勢に立たされてしまいます。

    そんな時は、こういう答え方をしたらまったく形勢は逆転するはずなのです。

    「どうして、もっと早く仕事を切り上げなかったんだよ。お前の段取りが悪いんじゃないの?」

    「そうは思わないけれどね。じゃァ、きみならどういう段取りをするというんだい?教えてくれないか?」

    こう反対に質問をぶつけられたら、相手は、こう言い返すしかなくなります。

    「そんなの、おれに判るわけないじゃないか。おれは、お前じゃないんだから・・・・」

    ここで、既に相手の方が守勢に転じている訳です。そこであなたは、こう攻めます。

    「判らないのならつべこべ言うなよ!試合に勝ち負けは付きものだ。今度勝てばいいじゃないか」

    これで、相手はそれ以上文句が言えなくなるのです。

    かつて、少女マンガで『エロイカより愛をこめて』というものがありました。

    そこに出てくるNATO軍の情報部員でエーベルバッハ少佐という男性がいるのですが、ある列車の車内で事件が起こり、大騒ぎになります。車内の治安を預かる車掌は、ついいきり立って、「それより人が落ちたというのは・・・・!?つまらん冗談を言われては困りますな!」と、その事件の渦中にいた少佐を責めたのですが、少佐の答えは、

    「おれが冗談を言うように見えるか?それとも、きみは人が落ちた方がいいんかね?」

    「いいえ、そんな・・・・・」

    「じゃァ、よかったな」

    「・・・・・・」

    少佐の一言で、車掌は何も言えなくなってしまったのです。

    この反論こそ、口げんかの極意なのです。

    もしも、あなたが誰かから不当な質問をされた時は、こう答えることがベストです。

    「なら、あなたは、ぼくがどんな答え方をすれば満足なんだ?」

    と-----。

    すべての下駄を相手に預けてしまうことで、あなたの優勢が決まるのです。icon21  続きを読む


許してもらいやすい謝罪とは?・・・・・556

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許してもらいやすい謝罪とは?



    あなたが、もし何か失敗をしてしまい、それを咎められた時、どのような謝罪をしたら相手に許してもらいやすいと思いますか?

    そういう時は、まずは、素直にお詫びの言葉を口にしましょう。それも、「すみません」ではなく、「申し訳ありません」や「ごめんなさい」が、より謝罪の意を強く表わします。

    次に、自分が全面的に悪いのであり、進んでペナルティーを受け入れることも伝えます。

    ただ、その時に肝心なことは、しっかりと失敗の訳も同時に述べることなのです。

    もしも、約束の時間に遅れてしまったのだとしたら、その遅れた理由を出来るだけ詳細に伝えます。

    むろん、伝えることは事実に限ります。

    「家を出たのはいつもより早かったのですが、途中で六台もの車が衝突する玉突き事故がありまして、その渋滞に巻き込まれてしまったのです。わたしの車は、運よくその事故を回避できましたが、もしも、一分早くその場を通っていましたら、間違いなく病院行きだったはずです。この埋め合わせとして☓☓をさせて頂きますから、許して下さい」

    こう言われて、それでも責め続ける人はいないはずですし、自らペナルティーを申し出ることで、相手に、そこまでしてもらわなくても----という、逆の意味での罪悪感を持たせることが出来るのです。

    そして、謝る時は誠心誠意、真面目に頭を下げること。

    どれほど、あなたの言い分が正しくても、笑い顔や投げやりな言葉使いなどでは、相手に不信感を懐かせるばかりです。

    また、場合によっては、あえて自分の弱さを告白するという方法もあります。

    「ぼくは、昔から意志が弱くて、早起きをしようと思ってもどうしても出来ないのです。いつもこれで悩んできました」

    こう言われることで、相手は、自分にだけ弱みを打ち明けてくれたと優越感を覚え、それ以上追及しようという気持ちが失せてしまうものなのです。

    つまり、相手があなたの非を責めるのは、「約束の時間を守らなかった=自分は大事に思われていない」との失望感なのですから、「そんなことはありません。ぼくは、あなたをいつも気にかけているのです」という思いを、まず伝えることで、最悪の事態を回避することも出来るのです。icon22



    ただし、相手が「そこまでしなくても・・・・」と、返事をするとしても、決して自分に出来そうもないペナルティーを申し出るようなことはしないことです。もしも、「じゃァ、そうやって下さい」と、言われてしまった時、大変なことになりますからね。face07

    


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医師400人が偉いのか?・・・・・555

~ 今 日 の 雑 感 ~


医師400人が偉いのか?



    昼のワイドショーを観ていたら、国内のとある大病院は、医師が最も就職したいと思う病院の一つで、その病院の魅力が何処にあるのかという番組を放送していた。

    53歳の病院長は、どうしたら大勢の医師が確保できる病院になるのかということを考え抜いた末、その一番大事なことは、患者に対する「接遇」であるという結論を得たのだという。

    患者は、「患者さま」であり、お客さまなのであるから、病院内ではとにかく優雅にくつろいで過ごして頂きたいという考えのもと、院内を高級ホテルのように改造し、基本患者はみな個室へ入れるようにして病室はオーシャンビューのスイートルームのような豪華さを追求したのだという。

    さらに、看護体制も手厚く整え、食事も病室にあるパソコンで好きな物をオーダー出来るというサービスを取り入れた。

    このように院内を新しく豪華に使いやすくすることで、患者が集まる。患者が集まれば収益も増え、最新の医療機械も導入出来るため、最先端の医療技術を学べるとあって医師もまたそういう病院で働きたいと思うわけで、すべての原点は、「患者のため」という発想にあると、いうのである。

    病院内にはコンビニもあり、そのまるで高級ホテルのような病院での仕事にあこがれて、全国から集まってきている400人もの医師がこの病院で働いているのだという。もちろん、医師への待遇面も素晴らしいものであった。

    勤務医の人数が多いので、もちろん、医師たちの過剰労働などもない。

    高額の給料に、余裕のある勤務シフト。まるで、夢のような職場である。

    病院長は、「患者さまの中には、もちろんお元気になられて退院して行かれる方も多いですが、この病院で亡くなる方もたくさんおられます。そんな患者さまにも、最後の時を美しい風景が見渡せるゆったりとした環境で迎えて頂きたい。この病院で亡くなるのなら本望だと思うことが出来る病院づくりが、理想なのです」と、語る。

    しかし、わたしは、この番組を観ていて、無性に腹が立った。

    病院長も、番組制作側もこの病院は患者もスタッフも全員が満足できる最高の医療機関であると、いうような放送の仕方をしていたが、では、患者の利益や病院スタッフの利益を考えるのならば、あなたたちだけが満足でいいのか?と、いう疑問が出て来るのである。

    一病院に400人もの医師を抱え込んで、その何処が素晴らしいことなのであろうか?

    そこで治療を受けられる患者たちにとっては、それこそ天国であろうが、そういう医師の一極集中による偏りが起きているために、一人の医師もいないへき地や離島で見殺しにされている人々の命があるということを、この病院長はどう考えるのであろうか?

    全国の片田舎の病院で、寝る暇もなく働きづめに働いている医師たちの苦労をどう考えているのか?

    そういう医師たちを、好きこのんでボロ病院で働いている愚か者だとでもいうつもりなのだろうか?

    自分のところで勤務している400人の医師のうち5人でも10人でも、他の病院へ移動してくれれば、どれほどの患者が助かるのかということが、このレポートからはすっぽりと抜け落ちていたのである。

    医師400人を抱えているということが、立派なことだ、偉いことだ、見習うべきことだなどと本気で思っているのだとしたら、これほど悲惨なことはないであろう。

    また、死の間際に豪華ホテル病院の個室で過ごしたことで、「ああ、ここで死ねて満足だ」などという患者がいるのであろうか。?患者の気持ちは、そんなことでは量れないのではないだろうか?

    患者が一番望んでいることは、人と人との温かなつながりであり、優しく話を聞いてくれる近しいぬくもりではないかと思うのだが・・・・。

    

    まったく、わたしには視点がズレまくりの病院ピーアール番組としか思えなかった。face03  続きを読む


もしかして、正夢?・・・・・554

~ 今 日 の 雑 感 ~


もしかして、正夢?



    明け方の夢は『正夢』になりやすいと言いますよね。

    で、こんな夢を見ました。

    とても、リアルで不思議な夢でした。

    わたしは、とあるサロンのような場所にいます。室内は、レースのカーテンやウッドテーブルなどが上品にセッティングされている瀟洒な空間で、そこにはわたしの他にも数名の男女が椅子に腰をかけていて、飲み物を片手に談笑をしているのです。

    わたしの隣には、細身の四十代ぐらいの黒っぽい服を着た男性が足を組んで座り、こんなことを話すのです。

    「この間、〇〇さんから連絡をもらって、どうしても手伝いが欲しいというので行って来たんだけれど、やっぱり、行くんじゃなかったよ。彼女と会うのはこれで二度目なんだが、どうもね・・・・」

    〇〇のところは、よく聞こえなかったのですが、わたしには何故か、「ああ、あの人のことだな」と、すぐに察しがついたのです。

    その男性のことも、初めて見る顔にもかかわらず、誰なのかが判っているという、実に奇妙な夢なのです。

    「何かあったの?」

    これを訊いたのは、男性の正面に腰かけている女性で、男性は、その質問に対して、

    「あんなに我儘で自分勝手な女性とは思わなかったんだ。とにかく、すべて自分の意見が通らないとご機嫌斜めでね・・・・」

    「へ~、そうなの。そんな風には見えないんだけれど・・・・。いつもは優しそうなことを言っている人に限って、内心は気が強いというけれど、彼女もそのクチだったのね」

    わたしは、そんな会話を聞いていて、彼らはその〇〇という女性と知り合いなのだと納得しているのです。

    すると、その男性が、鼻筋の通った端整な横顔に苦笑を浮かべながら、

    「いやァ、人は実際に顔を合わせてみないと本当のところは判らないものだね。もう、彼女とかかわり合うのはやめようと思うよ」

    と、言うのでした。わたしは、それを聞き、だから言ったじゃないのと、心の中で突っ込みを入れているのです。

    〇〇という女性が、わたしの思い描いている人物だとしたら、おそらく、わたし以外の人たちもようやく彼女の真の性格に気が付いたのだと、ホッとする夢なのです。

    確かに、〇〇という女性は実在する人ですが、わたしは、特別その女性のことを気にかけていた訳ではありません。

    でも、夢にこうして現われ、その正体に周囲の人たちが気付くというシチュエーションには、驚きました。

    そして、もしかしたら、事実このようなことが既に彼女を取り巻く人たちの間で起き始めている可能性もあるのです。

    さあ、実際に『正夢』となるのか-----?

    気になるところです。face03

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女性は、ただのお手伝いですか?・・・・・553

~ 今 日 の 雑 感 ~


女性は、ただのお手伝いですか?



    テレビを観ていた母が憤慨していた。

    「だから、年寄りの男は嫌われるのだ!」と、言う。

    話を聞くと、どうやら熟年男性の婚活特集のような番組を観ていたらしい。(なんで、そんな番組を観ていたのだろう?(-_-;))

    そこに出て来た七十代の男性が、老後を共に暮らす女性が欲しいということだったようである。

    その男性は、六十代の時に奥さんを亡くし、それからはやもめ暮らし。奥さんが亡くなってからは、家事一切を自分でやらなければならなくなり、「こんなに大変なことを女房は毎日欠かさずやっていたのかと、初めて判った」と、話したのだそうである。

    しかし、若い時ならばいざ知らず、七十歳を過ぎてからの掃除洗濯はとにかくきついということで、新しい妻にそれをやって欲しいのだというのである。

    だが、男性が今現在やっている家事一切は、自分一人分だけのことである。それでも、きついという神経はどういうことなのかと、母は憤るのだ。

    「甘ったれているとしか言いようがない!」

    確かに、わたしも母の言う通りだと思った。

    その男性は、今はもう年金生活であるため仕事はしていない。それならば、空いた時間で充分家事はこなせるはずなのである。それでも、自分でやるのが面倒だから、女性にやってもらいたいと言うのだ。

    つまり、男性の婚活は、自分が楽をしたいがためのものであり、女性を幸せにしてやろうというものではないのである。そして、あわよくば、自分の身体が言うことを利かなくなった時の介護を頼みたいというものであることも、その言葉の端々からはっきりと垣間見えたそうである。

    男性が言うことには、「女房が生きていた時は、夕飯を食べたあと、自分が縁側でのんびりお茶を飲んでいる間も、女房は食事の後片付けをしてくれていた。今は、後片付けは自分がしなければならず、実におっくうなのだ。もしも、女性が嫌なら結婚する必要はないから、籍は入れずにただ一緒に暮らして欲しいんだ」とのことであった。

    「何という、女性をバカにした話だろうか!?」

    母は、もはや怒髪天突き状態である。

    わたしも、こういう考えの男性のところへ喜んで嫁ぐ女性などいるわけがないと思った。彼がもの凄い大富豪というのであれば、それでも結婚したいという奇特な女性はいるかもしれないが、これでは、まったくお手伝いさん代わりにこき使おうという意図が見え見えである。

    それも、無償(ただ)でだ。

    まあ、こんな男性の婚活がうまくいくわけがないと、わたしも腹が立った。

    実に、身勝手で自己中な男のたわごとであった。(ーー;)  続きを読む


チーム名を侮るな・・・・・552 

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チーム名を侮るな


    スポーツのチーム名を考えてみると、勇ましい名称が多いのが判ります。

    NPBのチーム名も、「ジャイアンツ」「タイガース」「ドラゴンズ」「カープ」「ライオンズ」「ファイターズ」「ゴールデンイーグルス」「ホークス」「スワローズ」などなど、勇敢さやスマートさを表現する動物をチーム名にしているのです。

    因みに、BCリーグの我らが信濃グランセローズも、「偉大なるカモシカ」の名称を拝しているのです。

    では、どうしてスポーツのチーム名には、このように格好よさや勇敢さを求めるのでしょうか?

    それは、単に上辺だけの見栄えを考えている訳ではないのです。

    人が何かの目標を達成するためには、自分の力を最大限に発揮する必要があるのですが、その目標達成のためにチーム力を必要とするような場合、どうしても同じチーム内の結束力を高めなくてはなりません。

    それには協調性やチームワークなどの強い絆が不可欠となる訳です。

    その強い絆を生むのが外の敵に向けられる闘争心であり、闘争心を燃え上がらせるための自信をつけるには、自らを強者と思い込む必要が出てくるのです。その思い込みを象徴するのがより強さを現わす名称なのです。

    ある実験によれば、チームワークの良さを競うゲームで、そのチーム名が「なかま」というものと「勇者」というものを競わせたところ、圧倒的に「なかまチーム」の方が強かったという結果も出ているそうです。

    つまり、チーム名は、そのチームをどのような性格のチームに育て上げようかというところから名付けるのがよい方法なのだと思います。

    選手たちは、大概においてそのチーム名のような戦い方をするような精神状態に置かれるからなのです。

    そのためには、選手たち全員が自分たちのチーム名について詳しい知識を持つことも重要なのです。なぜならば、自分が所属しているチームの名前が何を意味するのかも判らなければ、選手たちはそのチームに誇りを持つことも出来ないからです。

    もしも、NPBのチームの名前が「すみれ」「ゆり」「バラ」「カトレア」「さくら」「なでしこ」「チューリップ」「パンジー」などであったら、果たして選手たちは闘争心を持続できるでしょうか?

    おそらく出来ないと思います。

    それだけ名前というものは、そこに所属する人々の感性に影響する物なのです。



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老化は病気ではない・・・・・551

~ 今 日 の 雑 感 ~


老化は病気ではない



    医事評論家の水野肇さんが書かれていたコラムの一文に、「老化現象は病気ではない」と、いうものがありました。

    それなのに、今の老人たちは、老化による足腰の痛いことや体調の悪いことを「病気」だと思って、次から次へと大病院へ押し寄せるために、勤務医たちは皆、疲労困憊し、医療ミスも起きやすくなっているのだというのです。

    老化は、病気ではないので、医師たちも治しようがありません。

    症状を和らげることしか出来ないのが現状なのだそうです。

    しかし、老人たちは、医師に「治して欲しい」と、詰め寄るので医療現場は困惑してしまうのです。

    水野さんは、こういう場合最も必要なのは、「総合診療医」の存在だと言います。老人たちの身体を心身共にトータルにケア出来る医師が、これからの高齢化社会にこそ必要なのであると-----。

    ところが、現実は、大病院の外来診療での老人たちのたらい回しであり、一人の老人がいくつもの診療科をかけもち受診するために、一日に35種類もの薬を使用するなどという、とんでもない薬漬け医療がはびこっているのだというのです。

    だが、世の中の現状は、そんなニーズとは逆方向へと進んでいるそうで、「総合診療医」のなり手が非常に少なく、またいたとしても、その知識や技量が乏しいために本来ならば「総合診療医」の診断で治療が出来るはずの患者までもが、大病院へ送られてしまうのだそうです。

    かつて、日本社会は大家族制でしたから、家の中で充分に老人介護は可能でした。

    しかし、現在の核家族宅、もしくは独居老人宅では、在宅介護などおいそれと出来るはずはありません。もしも、それでも家族が面倒をみろと言われれば、老人に対して「早く死んでくれないか」などという気持ちが先行してしまうのもやむを得ない事実なのです。

    身体が自由に動かなくなった高齢者は、出来ることなら完全介護の施設で親切、丁寧なケアの元、余生を送らせてほしいと願うものですが、大きく膨れ上がる老人医療費が、そんな高齢者たちの行き場をなくしているのです。

    特別養護老人ホームに入りたくても、高額な入居費を払わなければならないため、安価な施設を転々と渡り歩く「老人難民」が増えているのです。

    そこで、水野さんは提案します。

    「老化現象だけで病院へは行くな!」と----。

    人間、必ずいつかは死ぬのだから、それまでは、自分の身体の少々の具合の悪さや痛みは仕方がないことだと考えて、安易に病院へ行くなと、いうのです。そうすれば、必要な医療費も少なくてすみ、その分が本当に介護を必要とする老人たちの方へ回るのだと----。

    足が痛い、痛いから歩かない、ますます足が弱る、さらに痛くなる----この悪循環で、人間はダメになって行くのだと言います。

    身体が少しばかり痛かろうがどうしようが、病気でないかぎりは自分の身体を使い続ける。

    そんな老人たち一人一人の地道な努力が、今後ますます激しくなる高齢化社会の崩壊を防ぐことにもつながるのであり、「老人の将来を守るのもつぶすのも、老人である」----この考え方を忘れて欲しくはないと思いました。

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欲求不満人間のあらさがし・・・・・550

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欲求不満人間のあらさがし


    あなたの周辺に常に「あらさがし」に血道をあげている人はいませんか?

    あなたの発したほんのささいな言葉の欠点をついて、ネチネチと因縁を付けて来るような人です。

    それが、その相手の不利益になることならばまだしも、ただ単にあなたを追い詰めようとか、あなたに嫌な思いをさせてやろうという動機で、重箱の隅をつつくような性格の人は、おしなべて心の中に大きな欲求不満をかかえているのです。

    自分だけが面白くない日常を送るなんて割に合わない。

    周囲の人も不幸の道連れにしてやろう。

    そんな気持ちの表れが、病的なほどの「あらさがし」となっているのです。

    しかし、その「あらさがし人間」には、そのことに対する自覚があまりありません。むしろ、「自分は、こんな誰も気が付かないことを指摘できるのだから、なかなか大したものだ」と、いうような優越感さえ持ってしまっているのです。

    たとえば、あなたが、

    「昨日の午後は、喫茶店でお茶を飲んだわ。あそこってケーキもおいしいのよね」

    と、何気なく話したとします。すると、「あらさがし人間」は、間髪をいれず噛みつきます。

    「あら、あの喫茶店でお茶?変わったものを飲んだのね」

    あなたは、またか・・・・と、溜息をつきながらも、こう答えます。

    「お茶というのは言葉のあやでしょ。本当は、カフェオレを飲んだのよ。どうして、そんなことまで詳しく説明する必要がある訳?」
    
    これでは、せっかくの楽しい会話が台無しになってしまうというものです。

    しかし、暇人で、なおかつ夫や子供の問題でうっ憤をかかえている主婦などは、特に、このような「上げ足とり」や「あらさがし」をして、溜飲を下げるのです。

    人の話し方や物事の捉え方、表現の仕方などには、それぞれの個性というものがあります。

    一口に「赤」と、言っても、それが「えんじ色」なのか、「緋色」なのか、「濃いオレンジ色」なのか、人によって見えている色は様々です。また、その人のこれまでの生活環境や年齢、経験、性別等々によっても、言葉は変わってきます。

    そういう「あらさがし人間」に共通して言えることは、「自分の経験則からしか物事を判断できないという極めて狭い範囲における学習能力しかない」と、いうことでもあるのです。

    正に「井の中の蛙、大海を知らず」と、いうところでしょうね。

    要は、想像力が極めて希薄だということのなのです。

    これが、普通の大人の常識があるのであれば、「わたしは、こういう経験しかしたことがないけれど、もしかしたら別のことを経験している人もいるのかも知れない」と、考えるべきところを、そういう「あらさがし人間」は、「そんなのはおかしい。自分はこう教わった」と、実に短絡的に万事を判断するのです。

    これは、極めて怖いことですし、また、相手にしなければならない人たちにとってみれば、大迷惑な人間なのです。

    まあ、周囲の人は、またか…という諦めも手伝い、ある程度は大目に見ることもあるでしょうが、あまりこれが頻繁だった時には、一発ガツンと怒鳴りつけてやる必要もあるでしょうね。

    「お前の言っていることの方が、あらだらけなんだぞ!突っ込まれたくなかったら、大人しく口を閉じていろ!」  続きを読む


言葉一つで状況は変わる・・・・・549

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言葉一つで状況は変わる



    第二次大戦中、ラジオからは頻繁に「我が軍の損害軽微なり」の大本営発表が流れたことをご存知の方も多いだろう。

    また、帝国陸海軍は、決して「退却」「撤退」という言葉を使わなかったことも有名である。では、何と言ったのか?

    「転進」と、言ったのである。つまり、退くのではなく、向きを変えて進んだだけなのだという理屈である。

    「軽微」も「転進」も、要はまやかしの言葉であるが、これを聞いた日本国民は、「負けている」とは、思わないのである。

    このように、言葉は使い方によれば、人間の気持ちをどうとでもコントロール可能な代物なのである。

    かつて、アメリカで集団自決したカルト集団の信者たちは、遺体のことを「入れ物」と呼んでいたし、日本軍の悪名高い人体実験細菌研究班の731部隊では、受験に使う人間を「マルタ(丸太)」と、呼んでいた。

    こうやって、自分たちの理性を麻痺させて非人道的行為を行ないやすくしていたのである。

    「戦闘行為」よりも「軍事行動」の方が受け入れやすいし、「死者」というよりも「犠牲者」の方が実感が伴わずに済む。

    また、「故障」よりも「不具合」の方が責任逃れが出来て、「屠殺(とさつ)」よりも「屠畜」の方がまだ凄惨さを回避できる。

    「売春」を「援助交際」、「強姦」を「レイプ」----まだまだ上げればきりがない。

    これを「情報編集」という。

    わたしたちが日常使っている言葉は、このようにしてどんどん現実逃避して行くことで、感覚を鈍麻し続けて来たのである。

    それにより、人々は、昔なら口に出せないようなおぞましい言葉も簡単に話せるようになり、相手の気持ちを深く考えずに言葉を発するようにもなってしまった。

    わたしは、以前、このナガブロで親しくコメントをやり取りしていた人から、「嫌なら出て行けば?」と、言われたことがある。これまで何度も楽しくコメントを書きあっていたブロガーから、そのような言葉が飛び出すとは思いもしなかった。

    しかし、そういうことを平然と言うブロガーは、何も彼女だけではなかったのだ。要するに、彼らはむしろ親切心からアドバイスしたのだろうが、悲しいかなまともな日本語の使い方を知らなかったのである。

    もしも、「嫌なら出て行けば?」を、「どうしてもナガブロで続けることが辛いなら、別のサイトへ行くという方法もあるけれど、わたしは、ここで続けていて欲しいな」----こう書くだけで、内容は全く別物になったはずなのである。

    また、ある男性ブロガーは、「自分はもうナガブロとは縁を切った人間だから、そっちのことは関係ない」と、書いて来たが、これも、「自分はナガブロで書くよりも別のサイトの方があっているように思ったので、こちらへ移ったけれど、ブログを書き続けるのも辛抱がいるよね」と、言っただけで、実に誠意のある言葉になるのである。

    現代人には「言語力」のなさが目立つと言われる根本には、このような他人の気持ちを理解せずに発言するという人情の希薄さも起因しているものと考えられるのである。

    独りよがり、自分だけが判ればいい、相手が何を思おうが知ったことではない、しかし、自分は常に安全圏にいたい。

    安易な言葉のすり替えは、真実から目をそむけさせ、こうした自分勝手などうしようもない日本人を生み出し続けているのである。

    しかし、このような意識の麻痺を引き起こす言葉のすり替えも、時には重圧を軽減したり悩みを払しょくするのに役立ったりすることもある。

    「痴ほう症」が「認知症」となったり、「土人」が「先住民族」となったりした場合がそれであろう。

    言葉は人を傷つけもするが、救いもする。

    自分の発する一言が相手にどのように捉えられるのかを、常に考えながら言葉を選ぶことも人間の成長につながるのではないかと思う次第である。

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つま先の話・・・・・548

~ 今 日 の 雑 感 ~


つま先の話



    「つま先の話」と聞いて、いったい何のこっちゃ?----と、思われるでしょうね。

    でも、人の足のつま先って、案外、その人の本音を読みとるのに重宝するものなんですよ。

    

    あなたは、某会社の面接試験を受けに来た入社希望の学生です。

    面接官は、男性が二人。女性が一人。

    面接官たちは、一人一人が別々の部屋で、順番にあなたの面接試験を担当するのです。

    男性のA面接官は、あなたの正面に腰かけて、テーブルの上の資料に軽く目を通しながら、質問をします。その際、彼の足は大きく開き、革靴を履いたつま先も左右に開いた状態でした。

    女性B面接官は、あなたが次に入った部屋で、やはりあなたの正面に着席し、テーブルの下の両足は、やや斜めに傾ききちんと揃えられ、両のつま先も揃って外側をむいています。

    次の部屋の男性C面接官は、テーブルの下の足を組み、上になっている足のつま先は、まったく明後日の方を向いています。が、下になっている足のつま先は、まっすぐにあなたの方へ向けられていました。

    この三人の面接官たちの中で、最もあなたに関心を示していたのは、どの面接官だったでしょうか?

    



    答えは、男性のC面接官です。

    彼は、足を組んでいて、面接を受ける方のあなたは、少々不遜な印象を持ったかもしれませんが、彼の組んだ足の下側支柱となる足のつま先が、あなたの方へまっすぐに向けられていたというところがミソなのです。

    あまり上品な例え方ではない言い方で、「人間は、上半身と下半身は人格が違う」と、いう場合がありますが、この場合も意味は異なりますが、正にそういうことが言えるそうなのです。

    上半身は、あくまでも上辺の対応をするものなので、初対面に限らず人は礼儀や常識を重んずるため、あえて無関心を装うことがあり、わざと横を向いていたりもするのですが、その反対に下半身は、まったく無防備になるものなのです。

    顔ではそっけなさを作っていたとしても、相手の下半身----特に、つま先があなたの方へ向いていたら、その人は、相当高い確率であなたに興味を懐いているといることになるようです。

    要するに、つま先は嘘がつけないということなのでしょうね。

    しかし、ここで例外があります。

    それは、女性の場合です。女性は、自分の姿を美しく見せたいがために、マナー通りの足の置き方をすることが多いのです。でも、そういう際にも、その女性のつま先の微妙な角度に注目してみて下さい。

    本当に、あなたに関心があるのなら、彼女のつま先は、間違いなくあなたの方へほんのわずかな角度でも向けられているはずなのだそうですから。

    こんなところにも人間の心理は反映してしまうのですね。

    面白いものです。



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目に見えない相手ほど叩きやすい・・・・・547

~ 今 日 の 雑 感 ~


目に見えない相手ほど叩きやすい


    ニューヨーク大学の女子学生を対象にした受験で、こういうものがあったそうである。

    被験者とされた三人の女子大生に電気ショックを与える装置だと偽り、ボタンのついた装置を渡す。そして、もう一人の女子大生を彼女たちの前へ座らせ、最初は、顔を見せた状態のその女子大生へ向かって、電気ショックを加えるように命令したのだ。

    もちろん三人の持つ電気ショック用のボタンは偽物であるから、電気など流れはしない。

    最初の実験では、三人とも相手の顔が見えていることで、ボタンを押すことをためらったり、押す時間を極めて短いものとしたのである。

    ところが、今度は、相手の女子大生の頭から頭巾をかぶせ、同じことを命じたところ、三人は、ほとんど何のためらいもなくボタンを押し続けたのであった。

    これにより判ることは、人間の心理は、相手の顔が見える場合は理性的に働くものの、顔の判らない相手には、極めて残酷な行動に出ることができるということなのである。

    戦場の兵士にもこれと同じことが言える。彼らは敵の顔が見える時には銃を撃つことを躊躇するのだが、相手が茂みの中などにいて姿が見えない時は、何の抵抗も感じずに銃撃を始めたというのであった。

    こう考えると、「噂」という厄介な中傷が流れる原理も、これと同じと言えるのである。

    「噂」はとかく相手の顔が見えにくいところから火がつくものである。もしも、見えていたとしても、本当にその「噂」の対象となる人物とごく親しい人物が流すことはほとんどないのである。

    それは、犯人が特定されかねないという危機感が身近な人物には付きまとうために、滅多なことでそんな「噂」をながそうなどという気持ちにはなれないからなのだ。

    そのために、この「噂」を潰すためにはまず出所を確かめ、それを流した本人に「お前の仕業だとバレているぞ」と、知らせ、根元から元凶を引き抜くことが手っ取り早い方法なのである。

    それには、まず自分が生身の人間で、いつでもお前のそばまで行くことが出来ると知らせるのが効果的である。

    しかし、逆に相手がプレッシャーをかけようと自分の近くまで寄って来た時は、飛んで火に入る夏の虫ということで、それこそチャンスであるから、地の利をうまく生かしてこちらの優位を見せつけ、相手の機先を制することも可能なのである。

    その時は、自分の素顔を相手に見せ、出来れば自分のごく近しい人たちを連れて行き、その「噂」を流した人物に向かって、思い切り恥をかかせてやることが効果的なのである。

    そうすれば、そこで形成は一気に逆転。「噂」の対象が180度転換し、その相手へと変わってしまうのである。

    また、自分の「噂」を封じ込めるためには、逆に自分の方から友達などの協力を得て、さらに自分自身に対する「荒唐無稽な噂」を流すという手もある。「噂」とは、真実味があるから尾ヒレもついて人々が興味を示すのだが、そこから真実味をとってあり得ない内容ばかりになってしまえば、「噂」が持つ魅力は一気に色あせてしまうのである。

    つまり、こんな具合に。

    「聞いた?あの人、職場の男性と浮気しているらしいわよ」

    「へえ、そうなの?わたしは、あの人の浮気相手は有名な外国人俳優だって聞いたけれど、いつ日本へ来たのかしらね」

    「なにそれ?」

    「あなた、知らなかったの?本当らしいわよ。もう彼との間に子供もいるんですって。それもなんと10人」

    「・・・・・?」

    こんな「噂」では、バカらしくて人に話す気になどなれないからだ。

    いつの間にか、いったい何が本当か判らなくなり、「噂」を流す人々も自分の信用にもかかわることなので、口をつぐんでしまうのが関の山なのである。

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貧乏ゆすりは・・・・・546

~ 今 日 の 雑 感 ~


貧乏ゆすりは・・・・



    あなたは、貧乏ゆすりをする方ですか?

    まあ、どちらかといえば無意識のうちにしていることが多いものですから、他人に指摘されないと判らない場合もありますよね。

    「貧乏ゆすり」とは、一口に言って、フラストレーションの発散や解消をしているという仕草ですから、ストレスを感じている時によく起こるものなのです。

    細かく足を揺すると、その刺激が脳に伝わり、精神的な緊張を和らげる働きをするのだそうです。

    これが、子供ならば、大声でわめいたり、泣いたり出来るのですが、大人はそうはいきませんから、貧乏ゆすりで同等の効果を生じさせようとするのだそうです。

    ですから、頻繁に貧乏ゆすりをする人は、どちらかというと子供っぽい性格の人だといえるのかもしれません。

    心の不安や不満が解消すると、貧乏ゆすりも直ると思われます。

    つまり、貧乏ゆすりの激しい人のための解決策はただ一つ、精神的に大人になるということなのです。

    しかし、このように考えると、時にはこの貧乏ゆすりを逆にうまく利用するという方法もあるのです。

    相手を説得したい時、もしも、その相手が貧乏ゆすりを始めたとしたら、その時がチャンスなのです。

    あなたの話し方で、相手が追い詰められている証拠でもある訳ですから、ここで一気に攻勢をかけない手はありません。

    また、妻が夫の浮気を問い詰めた時、夫が貧乏ゆすりをし始めたら、それはほぼ浮気を認めているようなものだそうです。浮気がばれるかもしれないという心の焦りが、そのような仕草を誘発するのです。

    このように、交渉の場や夫婦喧嘩の時は、貧乏ゆすりは特に禁物なのです。

    自分の弱みを相手に知らせているのと同じことになりますから、そういう時は、グッとこらえて、出来るだけ大人の対応を心がけましょう。icon21  続きを読む


人を好きになる法則・・・・・545

~ 今 日 の 雑 感 ~


人を好きになる法則



    今日のグランセローズは、群馬ダイヤモンドペガサスに3対6で負けた。face07

    オリスタでのホームゲームだったのだから、もう少し気を入れて欲しかったが、疲れが出始めているのかな?

    特に、給前投手・・・・。きみは・・・・無の境地になれ!!

    まあ、それはそれとして、この間のブログで『希少価値』の話をしたが、好きな男性に対して『希少価値の女』になることが、男性の気持ちを摑む上で、重要な要素であるということだった。

    しかし、これはあくまで女性が男性を恋愛の対象として見ている場合の話である。

    では、ごく一般的に相手からの好感を得る場合には、いったいどういうことをすればいいのだろうか?

    これは、上記の『希少価値』とはまったく正反対のことをすればいいのである。

    つまり、人の気持ちというものは、いつも顔を合わせている人間に親近感を持つという特性を有しているからなのである。

    あまり馴染みのない土地へ行った時、偶然いつも顔を合わせている近所の人を見かけたりした場合、思わず声をかけたくなるというのも、そんな心理のなせる技なのである。

    いつも頻繁に会うことの出来る相手に対して、人はまず安心感を持つ。そして、その会う回数が多ければ多いほど、身内意識が強くなるのである。

    自分の名前について考えて欲しい。いつも身近にある自分の名前に使われている文字を見た時、まったく関係ない名前を見た時とは明らかに異なり、親近感や時には懐かしささえもがわくはずである。

    人の顔もこれと同じで、どれほど仲が良くても疎遠な人物のことよりも、身近な人物の方により好意を感じるものなのである。「遠くの親戚よりも近くの他人」----正に、こういうことなのである。

    そして、「好き」という感情に関しても、最初から好意を抱くよりも、話をしているうちにジワジワと相手を好きになって行く方が、その関係はより長続きするというものなのだ。

    ある時、その人物を「ちょっと、いいところあるじゃない」と、評価すると、次に会った時は、前以上にその評価を高めるような心理状態が出来上がるのだそうである。

    それこそが、俗に「気心が知れる」ということであり、お互いの間の仲間意識が次第に強くなっても行くのだ。

    それならば、メールや電話でも同じことが言えるのではないか?-----と、思いがちだが、これがあに図らんや、その効果は、やはり実際に顔を合わせることには、遠く及ばないのだそうである。

    以前、わたしとブログのコメントをやり取りしていた別サイトのブロガーさんが面白いことを書いていた。

    「どれほど、ブロガー同士お互いの間に信頼関係があっても、メールやコメントのやり取りだけでは、相手の本音が見えない気がして焦りや不安が募り、そのプレッシャーに耐えられず、結局それらのやり取りをやめてしまった」と-----。

    人間は誰しも疑心暗鬼を懐いて生きている訳で、好意を持続させるためには、お互いの顔が常に見える状態でいなければ難しいということなのかもしれない。


    もちろん、例外はあるだろうが・・・・。
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文章のルール?・・・・・544

~ 今 日 の 雑 感 ~


文章のルール?



    この間、ちょっと面白い新聞記事を読んだ。

    小説を書くのも、曲を作ることと似ているという話だ。

    音楽には、さまざまなジャンルがあり、「ブルース」「ジャズ」「ロック」「タンゴ」「ワルツ」など、それぞれに応じた曲のルールというものがある。

    一小節に幾つ音符を入れるかとか、必ずある音は半音上がるとか、そういういわゆる曲を作る上での手法の違いを心得ながら、その方法に則って書けば、それなりの曲が出来上がるというものなのだそうである。

    小説にも、これと同じような法則があり、その鍵を握っているのが「接続詞」なのだそうだ。

    この「接続詞」を、極力はぶいた上に、一人称を用いて小説を書くと、これが「ハードボイルド・タッチ」と、いうものになるとのことである。

    実は、わたしがこのブログに書いた『ダニー・コリガンの部屋』の文章を、シナリオライターの友人が、かつて、「ハードボイルドだね」と、言ったことがあったのだが、その出だしがこれである。



    ロサンゼルス、ダウンタウン7番街のヒルストリートと交差する近く、細くて薄暗い路地を20メートルばかり奥へ入った古いアパートメント・ビルの3階に、おれの新しい部屋がある。

 三日前に越して来たばかりの部屋だ。

 アパート正面のドアを開け、らせん階段を駆け上がり、鉄製の冷たく重い扉を押して入るこのカビ臭いチンケな巣に、おれは、毎晩、眠るだけのために帰って来る。




    こんな塩梅なのだが、確かに、「しかし」「つまり」「そして」「だから」などの「接続詞」が全く入っていない。しかも、「おれ」という一人称の書き方である。

    このように分析してみると、意外に文章もある一定のルールによって書けば、下手なりにもそれらしいものが出来上がるようである。

    また、こういう書き方は、自分の気持ちを淡々と綴っていけばいいだけなので、案外スラスラと書けるものでもある。要は、小学生の作文の延長で書いていけるのだ。

    たとえば、こんな具合に----。

    

    おれは、母ちゃんに作ってもらったデカい握り飯を一つリュックサックに放り込み、水筒にはウーロン茶を詰めて家を出た。

    今日は、待ちに待った遠足だ。

    目的地まで約五キロ。この間、クラスの列のおれの隣には、大好きな同級生のかおりがいる。

    おれは、これからの数時間を、かおりと一緒に歩くのだ。




    かなりませた作文になるが、これも「ハードボイルド・タッチ」である。

    でも、こんな作文を書いたら、間違いなく先生に呼び出されるだろうな。

    文章のルールが判れば、もっと色々な書き方が楽しめるかもしれない。icon22



    

    
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タグ :300


義理の話・・・・・543

~ 今 日 の 雑 感 ~


義 理 の 話



    
    通常の社会生活を営む上で、義理は大事な要素の一つだと思います。特に、日本人は、この義理を基軸に生活を循環させているということもあり、正月の年始回り、年賀状、暑中見舞い、旅行のお土産、お歳暮、誕生祝い、お盆の里帰りなどなど、一年の区切り区切りは、皆、義理で成り立っていると言っても過言ではありません。

    これを怠ると、「常識知らずだ」「変わり者だ」と、蔑まれる訳で、こういういわゆる一般人の仕来たりのようなものの重要性を外国人は理解できず、日本の生活に疲れてしまうということも多いそうです。

    そんな中でも特に、信州人は、この義理を重んずる県民性を有していると思うのです。

    そんな義理に忠実な性格が、ブログ上にも時々垣間見られます。

    ブログとは、自分の意見を好きなように表現できる場所だと、わたしなどは考えるのですが、どうも信州人ブロガーの考え方はそうではないような場合が往々にしてあるのです。

    ブログを書いている人たちの平均年齢が、他県のブロガーたちよりも高いこともその理由になっているのかもしれません。

    要するに、ブログの世界に通常の生活感が、より色濃く反映しているのです。

    まず、そのブログの書き方で気になることは、他人のブログを攻撃するような書き方を極力避けねばならないことです。ブログを読んでいると、「それは違うだろう」と、思うことは多々ありますが、それについての反対意見を書き込むことは、正に義理を欠いたことになるようです。

    また、ブログのコメントを頂いた場合も、たとえレスを返したとしても、頂きっぱなしでは、「失礼な人ね」と、いうことになるのです。開けてしまったブログにコメントを残さなければ、「読み逃げ」と、思われるようですし(わたしは、「読み逃げ」など、しようがされようがまったく気にしません)、殊に難しいのは、「お気に入り欄」の扱い方です。

    ひとたび「お気に入り」へ入れたブログに対しては、必ず一日に一度は開けなくては相手に失礼だとか、ましてや「お気に入り」を勝手に削除するのは論外だというような意見を持っているブロガーもいるほどですから、ここへの登録は、より慎重にする必要があるようです。

    でも、わたしは、そういうことにはほとんど頓着しない性格ですから、そんな馬鹿げたことで義理を果たそうなどとは考えたこともありませんでしたし、これからもそんな風に相手に合わせることは、たぶんしないと思います。

    「お気に入り」へ入れたければ入れますし、必要なくなれば消します。

    コメントも書きたければ書き込みますが、何が何でも相手から自分のブログに書き込んで欲しいなどとは望みません。(ただ、書き込んだコメントに対してレスがない場合は、かなりブチ切れますが)

    ブログは、決して、ご近所づきあいではありません。

    コメントにしても単なる褒め合いやご機嫌伺いなどではない、もっと有意義な意見交換をしようではありませんか。icon21  続きを読む
タグ :把瑠都


本気度を知る質問方法・・・・・542

~ 今 日 の 雑 感 ~


本気度を知る質問方法



    A君は、Bさんとの結婚を考えています。

    そして、二人は、既に式場の手配までも済ませているのですが、A君には、まだBさんが本当に自分と結婚する意志があるのか確信が持てません。

    そこで、彼は、Bさんとも共通の友人であるCさんに頼んで、Bさんの本心を確かめようとしました。

    A君から依頼を受けたCさんは、Bさんを喫茶店に呼び出します。

    「ねえ、あなた、A君と本当に結婚するつもりがあるのよね?」と、CさんはBさんに訊ねました。

    すると、Bさんは、「当たり前よ。もちろん、あるに決まっているわ」と、即答します。

    でも、それでもまだ信じ切れなかったCさんは、もう一度今度は違う方向からの質問をしてみました。

    「そうは言っても、これからまだ式までは間があるんだから、事情によっては結婚できない場合もある訳よね。あなたの場合、そういう時は、どういう理由が考えられるのかしら?」

    すると、Bさんは、「そうね~、たとえば、わたしと彼のどちらかが事故にあったとか、病気になったとか・・・・。親が入院するとか・・・・、まあ、そんなことがあれば、結婚も考えなくてはならないことになるかもしれないわね」と、答えたのです。

    途端、Cさんは、溜息をつき、A君にこう伝えました。

    「Bさんと結婚するのは、やめた方がいいみたい。彼女、本気であなたと結婚する気はないわよ。たぶん、式の前になって『やめたい』って言いだすに決まっているわ」

    さあ、どうしてCさんは、こんな風にA君に報告したのでしょうか?

    それは、BさんがA君との結婚を本心から望んでいる訳ではないと、Cさんは判断したからです。

    相手の本気度を探る時、「絶対に〇〇するよね?」と訊けば、必ず相手は「するさ」と、答えるものなのですが、「しない場合もあるよね?」と、訊いた時、「そんなことないよ!絶対に、何があってもするさ」と、答える場合は、これは確実に実行すると信じていいのですが、しないこともあり得るという前提で、色々と理屈を並べ出した場合は、これは相手に迷いがあるか、もしくは最初からそのことについて真剣には考えていなかったという証拠になるのだそうです。

    ですから、もしもあなたが相手のやる気や本気度を確かめたい場合は、こういう「万が一」の場合の相手の出方を調べる必要があるのです。

    もしも、相手が、出来なかった場合の言い訳をことさら並べ立てるようであれば、その言葉は、あまり鵜呑みにしな方がいいということを、覚えておいた方があとあと後悔ぜずに済むと思いますよ。

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タグ :偽医者騒動


飛び込み診察を頼みました・・・・・541

~ 今 日 の 雑 感 ~


飛び込み診察を頼みました\(^o^)/



    今日は、通院予約日ではありませんでしたが、ちょっと調子が悪かったので、飛び込み診察をお願いし、病院へ行ってきました。

    今日の診察は、泌尿器科です。

    わたしを診察して下さったのは、まだ三十代前半の若くてハンサムな男性医師です。少しハンサム過ぎて、一見女性のようにも思えるのですが・・・・。face05

    症状の方は、一過性のもののようでさほど深刻なことではありませんでした。(まあ、既に充分深刻な状態ですので、これ以上大変なことになっても困るのですが・・・)


    
    そんな中、診察を待っていたわたしの前に、車椅子を自分で動かしながら高齢の男性がやって来ました。

    その男性は、わたしの隣に腰をかけていた五十代と見える女性に声をかけたのです。女性は、脳溢血を患い身体がほとんど動かない父親と見られる高齢男性の車椅子を押して、待合所へ入って来たのです。

    彼女の父親は、言葉にならない叫び声のような物を絶え間なく発しているので、女性も何度か「静かにして!」と、制していましたが、まったく、効果はありません。

    女性は、もう諦め顔で腰かけていたのですが、そこへ、その別の高齢男性が話しかけて来たのです。

    「おう、珍しいな。父ちゃん、元気そうで良かった」

    「お久しぶりです。まったく、いつもこんな調子で、周りにご迷惑をおかけして困っているんですよ」

    二人はどうやら知り合いのようでした。女性は、その高齢男性が一人で車椅子を操っているのを見て、

    「あれ?今日は、奥さまは?いつもご一緒でしょ?」

    すると、男性は、う~んと、返事に詰まったように唸ってから、一言、

    「もう、あの世だ」

    と、言ったのです。女性は、ひどく驚き、だって、この間お会いしたばかりですよと、声を高くすると、その男性は苦笑いのように口を歪め、

    「うん、いつも通院日にはおれの車椅子を押して来てくれたんだけンど、この四月にあっちの方が先に逝っちまったわ」

    「また、どうして!?何処か悪かったんですか?」

    「自分でもよく判らなかったようなんだけれど、家ん中で急に倒れて、くも膜下出血だったみたいだな。おれのことで相当にくたびれていたみたいで、寝不足続きで・・・・。救急車を呼んだんだけれど、間に合わなかったみたいだ・・・・」

    男性は、無理やり明るい調子でそう話してはいたが、その言葉の端々からは、寂しさや悲しさよりも怒りの方が強いような感情がにじみ出していました。

    男性は、言います。

    「本当に、まさかあっちが先にあの世へ行っちまうなんて思いもしなかったからさ。病院へ来るのも全部自分でやらなきゃならなくなっちまった。さっさと逝っちまったもん勝ちだよな」

    「そんなこと・・・・。奥さま、一生懸命やって下さっていたじゃないですか・・・・」

    女性は、怪訝そうな顔でつぶやくように言います。すると男性は、

    「どうせ逝くんなら、おれを看取ってからにしてもらいたかったさ。あっちの方が、おれより一回りも若かったんだからな」

    そう腹立たしげに言うと、じゃァ、また-----と、頭を下げ慣れない手の動きで車椅子の車輪を動かしながら去って行ったのでした。

    その姿を見送り、女性は、大きくため息をつきました。

    わたしにも、彼女の気持ちは判りました。結局、女房なんてものは、亭主のための介護要員でしかないのだと、彼女もそう思ったのでしょう。そして、女性は、相変わらず意味不明な奇声を発している父親のそばまで行くと、

    「お父ちゃん、あたしが先に逝っちゃったって知らないからね!」

    と、声を荒らげたのでした。

    

    


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上司があなたを叱ったら・・・・・540

~ 今 日 の 雑 感 ~


上司があなたを叱ったら・・・



    「きみ、何度言ったら判るんだね!?また、ここ、間違っているぞ」

    課長のアドバイスをもらい、あなたが徹夜で仕上げた企画書を、その課長が突き返して来たとします。

    こんな時、あなたならどのように反応するでしょうか?


    
    1) 「あれ?だって、課長から言われた通りに書き直したんですよ。ぼくのせいじゃないですよ」

    2) 「すみません。もう一度書き直します。ぼくのミスでした」

    3) 「はい・・・・。判りました。書き直しておきます」


    まず、1)を選んだ人は、『外罰型』といわれる性格です。間違いや失敗は、すべて相手の責任だと思い、自分は完ぺきなのだから非は自分には絶対にないと、思い込むタイプです。

    こういうタイプの人は、徹底的に自分をガードするため、たとえ上司にでも責任を転嫁してしまいます。子供の頃から、いつも自分は正しいと思い込まされる教育を受けてきているので、一見優等生タイプの上品さを持ち合わせてはいますが、周囲との協調性のない鼻持ちならない人間という評判が立つような場合があります。

    こういうタイプの人のエピソードで、面白い物がありました。

    ある女性が大卒の新入社員として入社してきました。

    なかなかの美人ですし、英語も堪能と来て、社内での評判も上々でしたので、ある時上司から重要なプロジェクトのアシスタントを任されました。

    ところが、それからしばらくして彼女はいきなり休暇届を提出したのです。驚いた上司が、この大事な時期にそんなものは認められないと拒否したところ、その女性社員は、何とも不思議そうに、「だって、家族旅行があるんですよ」と、屈託のない顔で答えたのだそうです。

    上司はあきれ顔で、「何を考えているんだ?きみはこの会社の従業員なんだから、家族旅行など断わるのが当然だろう」と、言うと、女性は、「そんなことは出来ません。会社の仕事よりも家族の方が大切だと思うのは当然じゃないですか。会社は赤の他人が経営しているものですが、家族は他人じゃないですよ」と、平然と答えたのだそうです。

    正に、『外罰型』の究極の考え方だといえますね。

    次に、2)ですが、これは、その反対で『内罰型』といわれるものです。すべての責任は自分にあると考え、失敗の理由も考慮せずに、とにかく謝っておけばいいと、安易に反応してしまうのです。

    そのために、常に気持ちの中にはフラストレーションが溜まりにたまっていて、何事においても消極的で悩み多い人生を送るはめになるのです。

    そして、3)ですが、これこそ現代の若者に多い『無罰型』反応です。

    無責任タイプの典型で、仕事など正直どうでもいいと考えている人物です。出世しようなどという欲もなければ周りとの軋轢をも最も嫌いますから、面倒なことに巻き込まれたくないという逃げ腰人間なのです。

    ですから、周囲の人たちの評価も低く、大切な話の仲間には加わらせてもらえないこともあるのです。しかし、本人はむしろそれを望んでいて、会社は単なる金もうけの場所と、割り切っている人が多いのもこういうタイプの特徴です。

    どうですか?

    あなたは、どのタイプの人間でしょうか?   続きを読む


主婦の身内自慢・・・・・539

~ 今 日 の 雑 感 ~


主婦の身内自慢



    あなたの身の回りに、会えば必ず身内の自慢ばかりをする女性はいませんか?

    そういう女性は、おしなべて専業主婦に多いそうです。

    「うちの息子は、今年、東大に合格したんですよ」

    「うちの娘の旦那は、弁護士なんです」

    「この間、主人が部長に昇進しましてね」

    こんな話ばかり聞かされていては、相手になる方も大変ですよね。

    それにしても、どうして専業主婦の会話にはこういう身内自慢の話題が多いのでしょうか?

    それだけ、彼女たちは生活する世間が狭いということなのです。要は、自慢のタネが身内にしか転がっていないということなので、どうしても、身近な人たちの話ばかりが多くなってしまうのです。

    そのため、彼女たちの話は、自慢話の他はほとんどが愚痴のオンパレードにもなるのです。

    身内の自慢話でなければ、身内の愚痴が、専業主婦の話題には欠かせない訳なのです。しかし、もしも、彼女たちが外へ働きに出たりして、自分の生活圏を広げた途端、何故か、この自慢話や愚痴は突然数を減らします。

    彼女たちの関心事が、家の中のことだけではなくなるからです。見聞きする世界をほんの少し大きくするだけでも、この身内自慢を解消することが出来ますから、まるで性格までも変わったように思われるのです。

    また、さらに、他人が話を聞いて欲しい場合にもかかわらず、すぐにその話題の先を自分の方へ取ってしまい、自分のことばかりをしゃべりたがる女性もいますよね。

    たとえば、Aさんが、「うちの娘だけれど、この間孫を連れて里帰りしてね・・・・」と、話しだしたのに、Bさんは、それを聞くことなく、「へ~、そうなの、実はわたしの娘もね、この前孫を連れてやって来て、その孫が学校の絵画展で優秀賞を取ったのよ」なんて具合に、どんどん自分の方の話ばかりを始めてしまうのです。

    こういう人も、案外専業主婦に多いそうです。

    彼女たちの関心は、自分の身の回りに限局していますから、他人の話などに正直興味はないのです。

    要するに、一口に言って、大人になりきれない精神状態に置かれてしまっているため、自分の世界以外の話を聞くのが怖いし、劣等感を得ることになる可能性がある話題を無意識に遠ざけているのです。

    どうしても、外でお勤めをしている女性は、社内旅行の話題や男性社員との会話、新しい製品の話など、内容も多岐にわたりますから、専業主婦の狭い知識では勝てるわけがないのです。

    このように話の主導権を握らないと気が済まない女性は、根が子供っぽい性格ですから、付き合う方もかなりの神経を必要とします。

    実は、わたしの叔母が正にこのタイプで、この間もわたしの話を聞きたいと言って来ながら、時間の大半を自分の体験談で終わらせてしまいました。そこで、わたしが、

    「で、結局、叔母ちゃんは、わたしに何を聞きに来たわけ?」

    と、訊ねたところ、叔母は我に返ったような顔をし、わたしは、また最初から説明を始めなくてはならなくなりました。それでも、また、途中から叔母が自分の話をし出したので、わたしは、ついにブチ切れ、

    「人の話は最後まで聞きなさいよ!」と、怒鳴ってしまいました。

    本当に疲れる性格です。face09

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