年の差婚を分析
2011年09月16日
年の差婚を分析

わたしの大学時代の恩師でもある、現在・駒沢女子大学教授で心理学者の富田隆先生による、最近流行りの「年の差婚」についての分析が、YAHOO!ニュースに書かれていました。
『これほど年の離れた有名芸能人との結婚というと「お金が目当てではないか」といわれがちですが、心理学的にみたときに、そうではないと思います。
理性で考えたときに、うんと年上の男性と子供が作れるのだろうか?などとマイナス面も考えてしまいますよね。でも、そうしたことよりも、彼女たちの場合は、相手への「情熱」が上回ったといえると思います。ちなみに、不倫もこのパターンといえます。恋愛では、性的部分の情熱を優先して恋愛する人と、周囲の状況を考えた社会的な関係を望んで恋愛する人と大きくふたつに分かれるのですが、年の差婚をする人は、前者です。
コミットメントには、「積極的に参加する」「宣言する」という意味があり、最たるものが結婚ですね。この3つがそろうと長続きしていい恋愛になります。年の差婚をした女性は、こうした3つの要素の中で情熱を占めるウエートが高かったということがいえるでしょうね。
こうした年の差の恋愛・結婚が増えてきた社会背景には、タブー意識がなくなったということが挙げられるでしょう。恋愛はこうでなければ、結婚はこうでなければという発想で考える人が少なくなってきた、ということです。
家族のあり方、結婚のあり方、恋愛のあり方など、大きな流れでいうと世の中の多様化が進んでいますよね。少なくとも若い人たちはこうした多様化を受け入れ、許容しています。これまではちょっとタブーと考えられてきたことが崩れていっています。こうしたことも、女性が年上男性と結婚する背景にはあるのではないでしょうか。』
富田先生、今は駒沢女子大で教授をされているんですね。
わたしの母校(S女子大)での講義を始める時の第一声、「ごきげんよう!」は、印象的でした。

で、本題。
確かに、年の差恋愛には、通常の恋愛以上に「情熱」「親しさ」「積極性」は不可欠だと思います。
また、「年の差婚」を選択する人たちは、社会通念としての理性よりも感情が先走り、結ばれているということなんですね。
今日のワイドショーでもこの年の差婚について取り上げていましたが、男性が上、女性が上のどちらのパターンでも、若い方の相手の心理は、「包容力」を年上に求めているという話でした。
殊に、女性側が10歳以上年上の場合の結婚は、既に国内でも一年間に5000件を上回る勢いだそうで、女性側の積極性が見て取れるそうです。(記憶が正しければ)
年下男性は、年上女性に対して、物心両面の安定感を期待し、年上女性は、年下男性から、育て上げる楽しさを得るのだそうです。
また、年上女性を好む男性の共通点として、今でいうところの「草食系男子」が多いそうで、もともと女性にあまり興味がないとか、自分の生活範囲に恋人としての女性は必要ないと考える男性が大半なのだそうです。
そして、そうした「草食系男子」は、もし彼女が出来たとしても、プロポーズが面倒くさいので、結婚までは考えない---という理由もあげられていました。
女性にとっての結婚は、正に人生の一大イベントですから、プロポーズされる際のシチュエーションにもこだわる人は多いはずです。素敵なレストランで結婚指輪をもらいたいとか、いきなりのサプライズ・プロポーズが良いとか・・・。
考える男性側にしてみれば、想像しただけでも疲れが出てしまいそうですよね。
でも、結婚相手が年上女性なら、そんな面倒くさい気遣いも無用と思うのかもしれません。
まあ、要は、自分に必要なものは女性ではなく「母親」であるということなのでしょうね。
自分の良いところも悪いところもすべて黙って受け入れてくれる女性----それが、10歳以上離れた年上女性というわけです。
こうした年下男性の中には、「出産後も働いてくれそう」と、いう目で年上女性を見ている人もいるそうで、正に夫婦共働きだった母親と自分の妻を混同しているといえます。
とはいえ、年上女性の方も年下男性を、自分の思い通りに育て上げる楽しみがある----と、答える人もいるのですから、どっちもどっちといった感じではありますが・・・。
因みに、年の差婚が危機を迎える原因として、4つほどあげられるそうです。
1 年上側が上から目線の説教をたれるような話し方ばかりする場合。
2 年齢差がありすぎて、お互いの話が一方通行になるような場合。(夫が妻の愚痴などに生返事ばかり返すとか・・・)
3 必要以上の過干渉。(年下妻の行動が気になって、しょっちゅうメールで居所を確認するとか・・・)
4つめは----台所と居間を行ったり来たりで、聴き損ねました。

でも、これからは、ますます年の差婚のカップルが増えるのではないかと想像されます。
いや、それ以上に、もはや結婚というシステム自体が煩わしいと考える人が増えて、案外、「茶飲み友達婚」のような、ある時間限りの縁側夫婦が出現するかもしれませんね。
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文章も臨機応変に・・・
2011年09月15日
文章も臨機応変に・・・

先ほど、YAHOO!ニュースを読んでいたら、若者たちの間では「寒い」という言い方ばかりではなく、「寒っ!」という言い方もかなり認知されているという記事があった。
「寒い」というよりも、「寒っ!」と、いう方が、その寒さがより強く感じられるということなのであろう。
これらも若者が使い始めた言葉ではあるが、今では大人たちの間でもその認知度は極めて高くなっている。
こうした短縮言葉に先駆けて、既に社会的にほぼ定着しているものが、「ムカつく」とか「キレる」と、いった表現の類であり、この言葉も本をただせば、「吐き気がする」とか「頭脳明晰」などの意味を持つ言葉であった。
しかしながら、現在は、まったく違う意味としても使われていて、むしろ、その新しい表現方法の方が一般的にさえなっている。
「姑息」という言葉も、わたしたちは普段、「ずるい」「こすい」「悪賢い」などの意味として用いることが多いが、実際の意味は、「一時の間に合わせ」という意味に過ぎないのである。
また、「檄をとばす」という言葉も、プロ野球中継でアナウンサーが「監督が選手に檄を飛ばしました」などと使い始めてからは、「叱りつける」「発破をかける」などの意味が主流とされるようになったが、もともとは、「自分の主張を述べ、人々に決起を促す文書である檄文」の意味であった。
わたしが、このブログで時々取り上げるタイトル「他力本願」も、もちろん、元来は阿弥陀如来の力により成仏することを願うこと」と、いう仏教用語に由来するものであるが、辞書にも記されている通り、今では「自分は努力をせず、他人の助力を待つこと」という意味も常識となっているのだ。
子供たちが文字を習い、作文を勉強する場合は、もちろん、本来言葉が持っている正しい意味を理解し、その使い方から学ぶことは必須であるが、文章や言葉はやはり人の意思を表現するための手段である以上、時と場合に則した臨機応変な使い方があってもしかるべきではないかと考える。
わたしも屁理屈をこねるのが大好きな方であるから、「本当は、そんな使い方をするんじゃないよ」と、一言言いたい人の気持ちは良く判るが、今の世の中、マスコミや企業が自分勝手に作り出している造語の類もごまんとあるわけで、読み手に内容が理解できる範囲の解釈の自由も認めざるを得ないというのが、実際のところであろう。
以前、わたしは、NTTコミュニケーションズの担当者に、「フレッツ光を知らないんですか?」と、言われたことがある。
そこで、こう答えた。
「あなた方企業が勝手に作った言葉を、押し付けられても困ります。もっと判りやすい別の言葉に言いなおして下さい」
今の日本には、それだけ「嘘言葉」が氾濫しているのだから、もしもあなた自身が自分に都合のいい言葉を作り出し、文章を書いたところで、誰に文句を付けられる筋合いもないというのが、現状ではないだろうか。
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臨機応変を学ぶ
2011年09月15日
臨機応変を学ぶ

今の若者たちは、「臨機応変」ということが苦手だそうだ。
こうしなさい。何時間やりなさい。こんな風にやりなさい。---などなど、きっちりとマニュアルが示されると真面目に取り組むことが出来るのだが、自分の頭で判断して物事を進める選択能力が落ちているらしい。
しかし、今回の大震災の被災地支援に投入された若い自衛隊員や警察官なども、この場所でその「臨機応変」を学んだという。
ある自衛隊員たちは、上官から命令された仕事に赴く際、小学校の教諭から「児童の成績表が入っている金庫を、泥の中から見付けだして欲しい」と、急きょ頼まれ、自らの判断で金庫の掘り出しを優先した。
金庫は掘り出され、中の成績表や書類も無事だった。
そこへ上官がやって来たので、金庫掘りを手伝った自衛隊員たちは、任務を勝手に変更したことを丁寧に詫びたが、上官もそれを咎めなかったそうである。
これまで、常にマニュアルに縛られて判断能力を放棄してきた若者たちも、この大災害を前にして、重要なものは、まず「人間力」なのだということを実践したのであった。
しかし、ある評論家は、「彼らの行為が許されたのは、あくまでも未曽有の災害時故であり、普段ならばこうした規律違反を見逃してもらえるとは限らない」と、言う。
つまり、人は平素からその場の事情や立場、環境に応じた的確な判断が、自然と出来るような心身の柔軟性を養っておくべきで、「臨機応変」は、一朝一夕に培われるものではないということなのだろうと思った。
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他力本願の女性 2
2011年09月14日
他力本願の女性 2

午前2時半ごろから、家の前がまたもや騒がしくなった。
バイクの騒音やら人の話し声やらで、とにかくうるさい。
警察もパトロールには来てくれるものの、いつまでもその場にいるわけではないので、常にいたちごっこの状態だ。
案の定、我が家の近所のあの女性も、今夜、共同浴場で一緒になった母親に愚痴ったそうである。
「もう、うるさくて、うるさくて、本当にかなわない。毎晩、家の窓から、騒いでいる連中を見ているんだけれど、腹が立ってしかたがないわ」
そこで母親が、訊いた。
「毎晩、窓から見ているって、ずっと?」
「そう、一時間でも、二時間でも見ているわよ。だって、眠れないんだもん」
彼女は、心底辛そうに答える。
「だったら、うるさいって、はっきり言わなきゃ。いつまで経っても、やめないわよ」
母親が説得すると、女性は、即座に、
「そんなの言えるわけないじゃない」
「でも、眠れないんでしょ。困っているんでしょ」
そう、母親が言い返した途端、
「あ~~~、誰か代わりに言ってくれないかしら・・・。あたし、嫌われるの嫌だもん」

いつもの他力本願が女性の口から飛び出した。
母親は、またか・・・と、思いながら共同浴場から帰って来ると、半ば呆れ顔で、
「何でもかんでも他人に依存すればことが済むと思っているんだから---。一度ぐらい自分で警察に電話すればいいのよ」
と、言う。
でも、彼女の長い人生そのものが、すべて人の力を借りることで成り立って来ているようなものだから、これからもそのやり方は変えそうもない。
まあ、本当に骨身に沁みて困ったと思わない限り、自分の口から助けを求めることなど、金輪際しないだろうな。
*** 因みに、こういう生活一般の記事においての「他力本願」をわざわざ真顔で仏教用語と解説するのは、野暮天というものですので、あしからず。

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マザコン男性を見抜くには・・・
2011年09月14日
マザコン男性を見抜くには・・・

デートや新婚旅行にまで実母を連れて行くというようなマザコン男性----たまにいますよね。
想像しただけでも、うえ~~~!

仕事で忙しい父親に欲求不満をつのらせた母親が、育児にばかり夢中になる。
特に、子供が男の子の場合、その傾向は顕著になるそうです。
何でもかんでも手とり足とり世話をやき、子供はいつしか自分一人では何一つ決められない自立心のない大人に成長してしまいます。
そうなると、今度は母親が焦り始め、このままでは子供の将来を妨げてしまうと、いきなり子離れを考えますが、長年自分という物を持たずに来た子供は、母親のその行為を「背信」とさえ受け取ります。
彼女が出来てもその女性の良し悪しを母親にチェックしてもらわないと安心できず、うまく結婚までこぎつけたとしても、ハネムーン先で何かあった時は、自分たちだけで対処することに不安があるため、
「ママもついて来てよ」
と、いうことになってしまうそうなのです。
もちろん、子離れできない母親もいますが、子供の方が毅然と干渉を断わることが出来れば、それはマザコンではありません。
しかし、男の子はだいたいが母親の希望を断わり切れないものなのです。
そこで、付き合っている男性や夫がマザコンか否かを判断するには、次のようなチェック方法があるそうです。
A いつもは礼儀正しいのに、酒を飲むと性格が一変する。
B 食べ物の好き嫌いが多い。
C 優柔不断な性格で、自分の感情をコントロールするのが苦手。
D 他人の褒め方が判らない。
さて、あなたの彼、または夫は、如何ですか?
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カメラの夢
2011年09月13日
カメラの夢

夢の中にカメラが出て来た時は、どんな意味があるのでしょうか?
カメラは、詮索や好奇心、探究心、秘密の暴露などを意味することがありますから、これが夢に出て来るということは、一口に言って、あなたの気持ちの中に、何か知りたいことがあると、考えてよいようです。
夢の中に、あなたが誰か知り合いをカメラで撮影しているシーンが出てきた時は、あなたがその知り合いの気持ちを知りたいと考えている証しだそうです。
殊に、その知り合いが異性だった場合は、相手があなたのことをどう思っているのかを知りたがっているということになるそうです。
つまり、あなたの中に、その相手に対する好意が芽生えているのかもしれません。
また、カメラで相手を撮影しようと思っているのに、何故かピントが合わなくて相手の姿がはっきりと見えてこない夢の場合は、あなたの気持ちの中に、相手の心を知りたいが、一方でそれを恐れているという感情が交錯していることを意味するのだとか----。
そして、誰か赤の他人が、あなたの好きな人にカメラを向けている夢は、大好きな人が誰か別の人に奪われてしまうのではないかという懸念や不安が見せるのだそうです。
それとは逆に、あなた自身がカメラで撮影される夢を見たという場合は、もっと自分のことを判ってもらいたいという気持ちの表われだとも言われます。
自分に注目して欲しいという願望が、見せる夢だともいいますから、物事に積極的になりつつある証拠だそうです。
今は、フィルム・カメラよりもデジカメの方が夢に出て来る確率が高いのかもしれませんが、もしも、フィルム・カメラが夢に出て来て、フィルムの交換がうまく出来ない場合は、あなたの気持ちの中に、人に言えないようなわだかまりがあるのかもしれません。
一度気持ちをリセットして、最初から順序立てて考え直しなさいという暗示とも言われます。
カメラの夢は、あなたの本音を反映していることが多いようですから、被写体が何なのかを良く思い出してみると良いそうです。
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ブログアクセス数の妙
2011年09月13日
ブログアクセス数の妙

ブログを書いていて思うのだが、こちらが書きたい記事が、必ずしも読者が読みたい記事とはならない場合が多いのだ。
たとえば、一昨日書いた「子供が煩わしい?」の記事だが、わたしとしては、ネタに窮したためのつなぎぐらいの感覚で事実を記したに過ぎない。
ところが、この記事のアクセス数が、異常に伸びている。
一方、本当は読んで頂きたい「石巻市立病院の四日間」とか、豪雨地域の首長たちが何故避難勧告を渋ったか----を、書いた「オオカミ少年?」等の記事のアクセス数は、とても低い。
読者の関心事がわたしの関心事とは必ずしも一致していないことが、如実に見て取れるわけである。
このことから考えられるのは、「子供が煩わしい?」の記事の読者層は、被災地の現状というものに対する関心よりも、早くも自分たちの置かれている日常生活の方によりスタンスを移しつつあるという事実ではないだろうか----と、いうことである。
実は、これまでもそうした傾向は時折り見ることが出来、かなり以前に書いた「車椅子で縄跳び」なども、小学生たちの友情についての記事だったのだが、やはり、アクセス数は伸びなかった。
要するに、問題意識の観点がわたしと読者の間では、ややズレる場合があるということなのであろう。
これは、一般的にブログ全体の読者年齢が、ある程度若いからなのかもしれない。
若い人たちにとっては、震災における高齢者問題などは、頭では理解できても身につまされるというほどの重要性は感じられないのが現状なのだろう。
このいわゆる世代間のギャップが、ブログの世界にも確実にあるわけで、単なるブログのアクセス数からも、これだけの社会認識の差が読みとれるのである。
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石巻市立病院の四日間
2011年09月12日
石巻市立病院の四日間

昨夜の報道番組で、3月11日の東日本大震災で最も壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市にある石巻市立病院(伊勢秀雄院長)が、どのようにしてこの大災害を耐えたかという、奇跡のドキュメントを放送していた。
石巻市立病院は、この大地震発生直後から津波の被害を受けると、4日間、外部との連絡も一切絶たれ、食料、水、医薬品も底をつく最悪の状態で孤立し続けたのであった。
地震発生時、病院の手術室では、ある患者の胃の摘出手術が行なわれていた。

外科部長の内山哲之(うちやま・て つゆき)医師(44)は急いで手術室まで走り、何かあった際は自分が責任を負おうと代わって執刀を引き受けた。
手術中、押し寄せる津波の影響で手術室の無影灯が消え、懐中電灯の灯りを頼りに何とか胃の切除のみを終えると、スタッフたちと一緒に患者を病院の上階へと運んだ。
医師や看護師などスタッフは、院内に取り残されている患者150人を上階へと移動させ、どうにか巨大津波の難を逃れたものの、石巻市立病院は、雪混じりの寒風吹きすさぶ中、おびただしい瓦礫と海水に退路を阻まれ、文字通りの孤立状態になってしまった。
しかも、震災当日の夜は、津波で破壊された漁船から漏れ出た重油に引火し、猛烈な炎が病院に迫るなど、恐怖は極限状態に達する。
それでも、看護師たちは、看護師長の指示で患者を出来るだけ一つの部屋へ集め、急変にも対処できるよう看護体制を維持。常に笑顔を絶やさぬよう、努めて明るく患者たちに接した。
医師たちは、電子カルテがすべて水没しているために、記憶を頼りにそれぞれの患者の診療履歴を紙に記録するなど、彼ら病院スタッフたちも自分の家族の安否が判らない不安と恐怖に押し潰されそうになりながらも、懸命に患者の命と向かい合っていた。
しかし、院内に残された患者150人は大半が高齢者であり、酸素吸入が必要な人や寝たきり状態の人も多い。暖房システムもダウンしている凍える寒さの中、患者たちの衰弱は否応なく進む。
食料庫が被災しているので、患者たちの食事も確保することが出来ない。
それでも内山外科部長は、少しでも食料の足しになればと、既に水没している一階の売店へと降り、わずかな缶詰などを手に入れた。
が、被災一日目にして早くも、紙コップにたった一口のご飯を入れ、缶詰のツナを少量載せただけのものが最後の食事となってしまった。
高齢患者たちは、皆で身体を寄せ合い必死で寒さに耐え、スタッフも屋上にSOSの文字を書くなど時折り上空に飛来するヘリコプターに向かい懸命に助けを訴えるが、誰一人として病院の孤立に気付くものはいない。
もはや限界だった。
「このまま救助を待っていてもダメだ。向こうが来ないなら、こちらから行くしかない」
内山外科部長は、切るように冷たい泥水の中へ身を投じると、行く手を阻む瓦礫の山を乗り越えながら、必死で石巻市役所までたどり着き、救助を要請した。
その声は、怒号に近かった。
ところが、その市役所も人手が足りず即座の対応が出来ないという。そこで、連絡を受けた宮城県は大災害の現場にいち早く投入される緊急医療チーム「日本DMAT」に救助を要請。
しかし、ドクターヘリは、重傷者を救うという場合にのみ出動を許可されるものであるため、今回の救助がそれに該当するかが問題であった。
石巻市立病院から南に約110キロ離れている福島県立医大でDMATの統括役を務めていた松本尚・日本医大准教授(48)は、「確かに病院の患者たちは大きなけがをしている訳ではない。だが、命の危険に遭遇していることに変わりはないはずだ。絶対にやらなくては!」と、決断する。
地震発生から四日目の14日早朝、大阪DMAT隊員・田原健一・大阪大高度救命救急センター医師(39)を乗せたドクターヘリの出動を皮切りに、千葉、静岡、山口、福岡等から応援に駆け付けた数機のドクターヘリが、福島県立医大へ集結。
前代未聞の入院患者大規模ピストン搬送が始まったのだった。
DMATのヘリは、石巻市立病院から患者を乗せ、自衛隊がキャンプを設営している約4キロ北の石巻総合運動公園へ。そこから、自衛隊ヘリや救急車に乗り換えさせて、さらに遠方の安全な病院へ運ぶ。
真っ先に搬送されたのは、あの震災の最中、胃切除手術を受けた患者だった。
そして、ヘリに乗り込む患者たちの身体には、医師たちが手書きした診療履歴がしっかりとくくりつけられていた。
帰路は、食料や水を乗せ、病院と運動公園を計30~40回往復し、ようやく120人余りを搬送した。そこで日が暮れたため、民間ヘリは飛べない。残る30人は自衛隊のヘリで搬送してもらうことになった。
翌15日、最後の搬送患者を病院スタッフ全員が見送ったのち、医師や看護師たちスタッフもようやく病院を後にした。
病院を出る看護師たちの背には、大きな袋が背負われ、その中には、まだ使える医薬品や医療器具などが入れられていた。
それは、彼女たちにとって、待ちに待った孤立状態からの解放。しかし同時に、別の被災地の患者を救うための出発でもあった。
*** 一応、備忘録として書いた記事です。記載内容がすべて正しいかは保証できません。
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子供が煩わしい?
2011年09月11日
子供が煩わしい?

東日本大震災以降、乳幼児を持つ母親に、ベネッセ次世代育成研究所がインターネットでアンケート調査を募ったところ、自分の子供がやたらに甘えて来て煩わしく感じるという母親が、七割に達するという結果が出たそうである。
ところが、昨年、同社が行なった郵送調査では、同じ回答は54パーセントだったとか・・・。
同様の質問は今度で4回目で、「煩わしい」が70%を超えたのは初めてだそうである。
今回の大震災が、如何に、乳幼児を持つ母親たちに大きなストレスを与えているかということが判ったという。
こうした傾向は、首都圏や被災地の東北以外でもほとんど変わらず、幼い子供を持つ母親たちが、直接震災を経験したか否かにかかわらず、育児におけるイライラを感じていることが浮き彫りになった。
子どもの言動の変化について首都圏の母親に訊ねると、震災後二週間を経て母親に甘えることが増えたのは0~2歳児の32%、3~5歳児の41%。
震災二カ月後でも0~2歳児の31%、3~5歳児の26%は甘えが続いていたという。
つまり、年齢の高い子の方が震災直後の影響は大きく、年齢の低い子は回復に時間がかかっているようである。
お茶の水女子大の菅原ますみ教授(発達心理学)は、
「親子とも大きなストレスを受けていて、小さな子どもたちに気になる行動が出ていることも明らかになった」
と、関連を指摘。
「母親に余裕がなくなり、子育てに対する否定的な感情が増大したり、子どもたちに苛立ちが向けられたりすることも多くなったと予想される」
と、分析している。
しかも、今回の震災に関しては、今後の子供への放射能の影響や、精神的なケアの問題など、母親たちの悩みは尽きない。
そうした母親の苛立ちを、幼い子供ほど敏感に受け止めるもので、夜泣き、夜尿症、吃音などにつながる懸念もある。
これからは、子供たちの精神的ケアのみならず、母親たちの心の問題にも着目した継続的な支援が重要になると、心配せずにはいられない。
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仕事を効率よく進めるには?
2011年09月10日
仕事を効率良く進めるには?

あなたは、継続中の仕事を始める時、
「あ~~、嫌だなァ・・・。また、やらなきゃならないのか・・・」
そんな気分のまま、重い腰を上げるのではありませんか?
こういう人には、もっと前向きになる方法があるのだそうです。
それは、前日の仕事を、調子が出て来た時点でやめる----と、いうことなのだとか。
興が乗り、仕事がはかどり始めると、人は区切りのいいところまでやってから----と、頑張ってしまうのですが、区切りのいところとは、すなわち、気持ちで言えば谷間ということで、翌日は、その谷間から再びやる気を盛り上げて行かねばならないことになるのです。
だから、仕事前の気分は重くなるわけですよね。
連続テレビドラマを観ていると判りやすいのですが、だいたい、ストーリーは、「もう少し観たい」「次の展開はどうなるんだろう?」と、視聴者がワクワク感を盛り上げた時点で、「次回へつづく・・・」と、なりますよね。
そうなれば、視聴者は、次回のストーリー展開が気になって、つい翌日、翌週も観てしまうわけです。
仕事もやはり同じようなもので、もう少しやっておきたいな----と、思うところで止めておけば、「早く手を付けたい」と、思う気分のままに、始められるということのようです。
もちろん、たった2、3時間で終わってしまうような仕事なら、そんなことは考えずに一気に最後までやり遂げてしまえばいいのですが、一週間、二週間と継続しなければならない場合は、こういうやり方もありなのではないかと考えます。
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オオカミ少年?
2011年09月10日
オオカミ少年?

昨夜のNHK総合テレビでは、今回起きた台風12号による紀伊半島の大水害について取り上げ、特に、和歌山県内で何故これほどまでに死者行方不明者が出たのかについて、NHK解説者や水害に詳しい学者が話していた。
和歌山県内にこれほどの大被害をもたらしたわけは、断続的に続いた大雨により、地層深くに染み込んだ雨水が、岩盤ごと山を持ち上げ、深層崩壊を起こしたためだそうである。
この大崩落が集村を飲み込んでしまい、多くの犠牲者を生んだのだという。
しかし、こうなるかもしれないことは、気象予報からも予め判っていたことである。
問題は、何故、そうした危険性が予測できる集落に住んでいる人たちに、自治体の首長たちが避難を呼びかけなかったのか----と、いうことである。
この質問を番組の司会者が、今回被害が大きかった市の市長に訊ねたところ、驚くべき答えが返って来た。
「オオカミ少年になりたくなかったからです」
この市では、大惨事が起きる直前に一度小規模な洪水被害が出ていたため、堤防の決壊等を懸念し、市長が避難勧告を出したのだという。
すると、この避難勧告を避難指定地域の区長がテレビで知り、市長のところへ、
「自分に何の相談もなく避難勧告を出すとは何事だ。実際、避難するほどのことはなかったじゃないか」
と、いうような趣旨の苦言を述べて来たのだそうである。
避難指示や避難勧告を出したものの、被害がそれほどではなかった場合、住民は、「どうせ、また、市長の脅しだろう」ぐらいの気持ちにしかならない。
それでは、むしろ本当に危険な時の避難の役に立たない指示や勧告になってしまう----と、市長は答えるのである。
そして、この「オオカミ少年になりたくない」の思いは、この市長に限らず、他の自治体の首長たちも同じであった。
避難指示や避難勧告は、市町村単位で出すことになっているそうだ。
これを聞いた災害時の心理に詳しい専門家は、「とにかく、こうした災害時には国や県が独自の調査に基づき、市町村へ避難指示や勧告を促すというシステムを整備しなければ、実際の被災現場にいる自治体の長には荷が重すぎる」等のアドバイスをしていた。
さらに、「この指示や勧告が出たら、何をおいてもとにかく避難することが重要で、何もなかったら、それを良かったと考えるべきである」と、釘をさす。
ある町長は、「うちは高齢者が多いので、避難場所まで何度も足を運ぶのを嫌がる傾向がある。一度出した避難指示が空振りに終われば、次の指示には従わない人が出かねない」と、答えていたが、この専門家は、
「何度でも避難してもらうことだ」
と、まず避難ありきを強調する。
確かに、高齢者を多く抱える自治体にとって、避難を呼びかけるタイミングを計るのは実に難しいことであろう。しかも、その責任がすべて市長村長に任されているというのも酷な話である。
やはり、こうした大災害が事前に予想される場合などは、国や県といった大きな単位による特別な避難指示や勧告が必要になるのではないかと感じた。
因みに、避難指示とは、「何が何でも今すぐ避難しなさい!」という、避難命令。避難勧告とは、「避難の準備をして、避難して下さい」ということだそうである。
言葉の強さから、「避難勧告」の方がレベルは上のように勘違いしがちだが、そうではないという。
だったら、「避難指示」を、「避難命令」にした方がいいような気もするのだが・・・、どうなんでしょうね。
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中学生合唱コンクール
2011年09月09日
中学生合唱コンクール♫
過日、テレビをつけたら、中学生の合唱コンクールの様子を放送していた。
中学生という時期は、男子生徒の変声期と重なることもあり、参加校の合唱メンバーは、ほとんどが女子だったが、中には、男子生徒が数人参加している学校もあり、どの中学もなかなかの力量を発揮してたように思う。
とはいえ、こういう中学生や高校生の合唱コンクールをテレビで観るたびに思うのだが、どうして、主催者や指導者は課題曲や自由曲にこのような難しい曲を選ぶのだろうか?
有名な作曲家や作詞家の作品をコンクール曲に持ってきていることは理解できるが、聴いている側としては、まったく知らない曲ばかりを歌われても、正直、少しも感動を覚えない。
学校教育の一環なので、その辺は目をつぶって欲しい----と、言われればそれまでだが、曲の歌詞さえはっきりと聴こえないほどのハーモニーの混在を、どう評価すればいいのか常に疑問に感じるのだ。
テレビの視聴者で、初めて生徒たちの歌を聴き、歌詞を間違いなく書きとめられる人が何人いるか、一度アンケート調査してみればいいのである。
おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。
それとも、こういうコンクールは、もともと一般視聴者に聴かせるためのものではないというコンセプトで実施されているのであろうか?
それならば、何故、テレビ放送があるのか?疑問は尽きない。
まだ、彼らは中学生である。もっと、誰にも判りやすい、知名度のある合唱曲を歌わせることは出来ないものか。
「流浪の民」でも「荒城の月」でも「ハレルヤ」でもいいと思う。
その方が、確実に大人になってからの思い出にもなる筈だ。
わたしの母親は、学生の頃ラジオ局でピアノ伴奏もしたほどの合唱好きであるが、さすがにこの聴いたことのない難曲ばかりのコンクールには飽きが来たらしく、途中でチャンネルを替えてしまった。
来年からは、もっと中学生らしい合唱曲を期待したいものである。
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他力本願の女性
2011年09月08日
他力本願の女性

「困っているんだけれど、誰か代わりに話してくれないかな?」
そういう他力本願ばかり言っている女性が身近にいます。
迷惑を受けていることを自分の口から相手に伝えるのが嫌なので、そうやって誰かれ構わず訴えることで、自分は安全圏にいながら解決しようとするわけです。
その女性が、わたしにもそれとなく接触して来ました。
もちろん、わたしは、その女性のためになど動きません。
「奥さん、ご自分で言いに行かれたらいいんじゃないですか?」
と、応えて、その場から離れました。
すると、翌日、その女性が嬉しそうに、
「悩み、解決したわ。あれだけ大勢に声をかけておいたから、誰かが言ってくれたみたい」
と、話します。
女性には、こういう虫の良い人がたまにいるんですよね。

ところで、ドラマ「ブルドクター」ですが、昨夜、初めてじっくり観てみました。(むろん、録画で)
既婚女性法医学者が女刑事とタッグを組み、政界と医療現場の癒着から発展した汚職事件を解明するため奮闘するというストーリーですが、一口に言って、「チーム・バチスタシリーズ」の女性版といえば判りやすいかもしれませんね。
しかし、出て来る俳優たちが、何故か皆、医師に見えないのが不思議です。
主人公の江角マキコ女史もあまり白衣が似合う方ではないように思います。
着こなしの問題なのかな?
ただ、一人、ヒロインの夫役の歌舞伎俳優・市川亀治郎氏の救命医ぶりは、くたびれた白衣姿も板についていて、ちょっと意外な発見でしたね。
彼には、これからも医師の役をやってもらいたいなァ・・・なんて、ちょっと思いました。
敏腕女性刑事が恋と仕事の選択に悩むシーンやヒロインが夫の苦悩を理解できずにいたという家庭問題なども随所に散りばめながらのストーリー展開が、ハードタッチの「チーム・バチスタシリーズ」にはない、ホームドラマの性質も加味していて、女性視聴者には受けるかもしれませんね。
でも、もうすぐ最終回ですけれど----。

CMが多すぎる
2011年09月08日
CMが多すぎる

昨日、夕方のニュース番組を観ていたら、ヨーロッパで巨大な雹(ひょう)が降り、民家の屋根に無数の穴を開けたり、自動車のフロントガラスを破ったりして、大変な被害が出た----とか、曽我ひとみさんの夫のジェンキンスさんが、かつて北朝鮮で田口八重子さんらしき女性を紹介されたことを思い出した----と、いった情報を流していた。
この火災警報器を無断で外したというニュースに入る前、CMタイムになったのだが、このCMの時間の長いこと。
いったい、幾つのコマーシャルを流せば気が済むのか----と、思うくらい延々と続き、10CMを数えたあたりから数が判らなくなってしまった。
一緒にニュースを観ていた母親曰く、
「今、何のニュースの続きだったんだっけ?」
訊ねられたこちらも、とっさには思い出せないほど、まだまだCMは続いている。
とうとう、待ちくたびれた母親は、別のチャンネルに切り替えてしまった。しかし、わたしは、そのニュースの続きが気になり、再び元のチャンネルに画面を戻すと、ようやく、本当に、ようやく、ホルモン焼きで庁舎内が大騒ぎ----のニュースへと戻ったのだった。
ところが、そのニュースの結末を伝えた直後、画面はまたぞろCMタイムに突入。
「あれだけ、CMを流し続けたんだから、もういい加減にして欲しいよね」
ついに、わたしも呆れ返り、他のチャンネルに切り替えた。
どうして、これほどまでにコマーシャルばかり流すのだろうか?これでは肝心のニュースが何をやっているのかさっぱり理解できない。
それに、近頃、生命保険や医療保険のCMの多いこと。(個人的には、アフラックのCM、正直、もう勘弁です)それから、健康食品のCMも恐ろしい本数が流れている。
かつてのテレビ界は、CMも芸術だった。もう一度観てみたいと思う秀作が目白押しで、番組と番組の間のCMの本数も少なく、先の場面を忘れるなどということは、ほとんどあり得なかったはずである。
そんな記憶力の悪い忘れ上手の視聴者のためとばかりに、CM明けの番組の冒頭に先ほどのシーンをこれでもかと再放送するテレビ局まで現われる始末だ。
でも、そんなものは決して親切でもなんでもない。
本当に視聴者のためを思うのなら、番組と番組の間のCM数を減らせばいいだけの話である。
いくらなんでも、番組中の一CMタイムに、CM30本はやり過ぎだ。
地デジの時代に入ったのだから、CMが必要な人のみが観られるCMだけの別チャンネルを作ればいいのである。
若者のテレビ離れも、結局はこういう原因が大きいのではないだろうか?
だから、わたしもどうしても観たい番組は録画して観ることにしている。この世の中、それでなくても忙しいのだ。テレビ局には、もっと効率の良い番組構成をお願いしたいと思うこの頃である。 続きを読む
文章を書くって、難しい
2011年09月07日
文章を書くって、難しい

色々なブログ記事を読ませてもらうと、つくづく文章を書くって、難しいもんだなァ・・・と、思う。
たとえば、内容的にとても考えさせられる重いテーマを取り上げているのに、文章が難解で途中で読むのが辛くなる記事もある。
わたしの場合、かなりの近視にもかかわらず、テレビを観る時や運転をする時以外は眼鏡をほとんど使わない人間なので、小さくて細かい文字がびっしり所狭しと埋まっているブログは、少々抵抗があるのも事実なのだが、それ以上に、文章の流れが気になる方なのだ。
文章を読む時、特に気になるのが「てにをは」の使い方である。
それから、場面場面に合わせた言葉が使われているか否かだ。
これらがうまく噛み合わさっていないと、存外、文章は読みにくいものとなる。
「彼は、ジーンズがよく似合う」という文章があったとしよう。別におかしなところはないように思うが、わたしは少し違和感を覚えてしまうのだ。
「彼は----」と来たら、「ジーンズがよく似合う男だ」と、締めなければ何処かしっくりこない。
そして、「彼には、ジーンズがよく似合う」----これなら、OKだろう。
また、ごく一般の人物を対象にした描写にもかかわらず、「隣に引っ越して来た若い男性が突然やってくるなり、持ち出した案件は、我が家の愛犬の鳴き声がうるさいという苦情であった」というのも、何処か大仰な気がする。
もちろん、文面に滑稽さをかもし出さんとする意図があるのなら、それも良しであろう。
しかし、そういう狙いがないのなら、やはりここは素直に、「隣に引っ越して来た若い男性が突然やってくるなり、我が家の愛犬の鳴き声がうるさいと文句を言い始めた」ぐらいが適当ではないかと思う。
まあ、何と言うか、言葉にもその場に応じたTPOがあるように思うのである。
などと書いてはいるが、書きたいことを自由な文章で書くのがブログであるから、無理やり型にはめる必要もないのだろうが、せっかく読みごたえのある内容なのだから、最後まで読者を疲れさせないように読ませて欲しいと感じた次第である。
自分のことは、思いっきり棚の上へ放り上げてだが---。(~_~;)
因みに、上記の例文は、わたしの創作なので、実際のブログ記事とは何の関係もありません。
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夏の定番番組
2011年09月06日
夏の定番番組

今日は、涼しくてとても気持ちのいい日でした。
空の色も澄んで、遠くの山の端までくっきりと臨めます。
北海道には、台風12号の影響で雨雲が停滞し、大雨を降らせるという予報ですが、北信地方にはさわやかな秋の晴天が広がっています。
ところで、先日放送の「本当にあった怖い話」を録画しておいたのを思い出し、昨夜観てみました。
のっけから、バスの乗客のエピソードは怖かったですね。同じバス停で主人公以外の乗客がほとんど降りてしまい、残った少女があれでは・・・、肝をつぶしますよね。
同窓会への招待の話は、ちょっと切ない感じでしたね。ただ、あの留守電一本で同窓会会場まで行ってしまったというのは、少々不自然な気がしますが、あれも霊が彼女たちの気持ちをコントロールしていたのでしょうか?
それから、古い従業員アパートの怪奇現象もなかなかのものでした。ただ、ギシギシという音があまりしつこいので、怖いというよりは途中からイラついて来ましたが・・・。アパートを出てからも付きまとわれるのは、迷惑ですね。
病院の旧館の車いすの少女の話は、確かに怖かったのですが、主人公の女の子のお父さん役の俳優さんの方に目が行ってしまい、ニヤついて観ていました。(この俳優さん、名前は知らないのですが、ちょっと良い感じです。確か、テレビ版の『ジェネラル・ルージュの凱旋』や『霧に棲む悪魔』にも出ていましたね)
最後の片平なぎさ主演のルビーの指輪のエピソードは、「こういうことって、あるかもね・・・」と、思いながら観ました。正直、あまり怖さはありませんでしたが、宝石が持ち主の念を溜めるという話は、よく聞きますよね。
やっと、夏のドラマらしい雰囲気を味わえました。
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失敗は恋愛の元
2011年09月05日
失敗は恋愛の元

女性の皆さんに質問です。
あなたは、自分のことをしっかり者で、失敗の少ない、バリバリ仕事が出来るタイプだと思いますか?
それとも、いつもドジってばかりいる、要領の悪いダメ人間だと思っていますか?
ほとんどの女性は、これほど極端ではない中間的なタイプだと思っているのではないでしょうか。
しっかり者のように見える半面、時々思いがけないポカをする。
実は、そこに人が人を好きになるポイントがあるのだそうです。

「わたしなんか、ぜんぜん綺麗でもないし、男性にモテルるわけないわ。でも、仕事の面では絶対に人には負けない自信がある。わたしの辞書に『失敗』の二文字はないのよ」
そんなキャリアウーマンタイプの女性には、やはり、男性は声をかけにくいものなのです。
彼女が怖いから?
いいえ、そうではなく、あまりに恐れ多くて近寄りがたいからなのです。
男性の方が自分のレベルを見透かされそうで、つい二の足を踏んでしまうために、こういう女性は自分はモテないと、勘違いをしていることが多いのだとか・・・。
でも、こんな完璧主義者が、思いがけず仕事で失敗をしてしまうことがあったとしたら・・・。
きっと彼女は死にたいほど落ち込み、自分を責めるはずです。
ところが、そういう彼女の姿は、周囲の男性の目にはとても魅力的に映るわけで、「ああ、この人も普通の人間なんだ」と、安心感を与えるのだそうです。
失敗に慣れていない女性の姿は、落ち込んでいたとしても決してマイナスイメージをもたらすものではありません。
これまでのイメージとのギャップが、より女性を素敵に見せてしまうのです。
いつも完全主義のあなた、時にはドジを踏むことも必要ですよ。
その失敗が、あなたのプラス評価につながるかもしれませんから。
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岡村隆史のお見合い番組
2011年09月04日
岡村隆史のお見合い番組

ナインティナイン岡村隆史(41)さんのお見合いを企画するテレビ番組を、たまたま観ました。
何と言いますか・・・、相手の女性たちは、皆、業界関係者ということもありますので、この番組に出ることで知名度を上げようぐらいのつもりで、見合いを引き受けていると言ったところでしょうか。
わたしは、岡村隆史さんのお見合い自体にはさほど興味もありませんが、面白いと思ったのは、岡村さん自身の結婚感です。
岡村さんは、精神的ストレスでしばらく芸能界の仕事を休んでいたことがありましたが、復帰した直後にもある番組で自身の女性に対する気持ちを話していました。
「ぼくは、こういう仕事をしているので、(本当の性格を出した時)女性から『あなたは、そんなことする人じゃない』と、よく言われてしまうのです。そして、ぼくに近付いて来る女性は、ぼくが芸能人だということで近付いて来るのではないかと思うんです。下心があるのではないかと・・・」
そして、今回のお見合い番組でも、岡村さんは、「結婚相手になる女性は、若くて26歳ぐらいから30歳ぐらい人が良い」と、理想を語っていました。
それに対して、結婚アドバイザーの女性は、「もう、40歳を過ぎて一人でいる男性は、自力で伴侶を見付けることは諦めた方がいい。自力で見付けられる人は、若いうちに見付けているのだから」と、話し、「岡村さんも、自分の年齢を考えれば、せいぜい歳の差があっても10歳以内にするべきだ」と、アドバイスしていました。(確か・・・)
つまり、「岡村さんの理想とする結婚相手は、あまりに若すぎる」ということを、結婚アドバイザーは言いたかったのだと思います。
年齢差があり過ぎるカップルは、やはり、結婚生活にひずみが生じる確率も高く、食生活などでも意見の相違が表われることが多いのだとか。
しかし、岡村さんは、26歳でもまだ本人としては譲歩しているような口ぶりでした。本当は、もっと若い人の方がいいと思っているのではないかと、観ていて感じたほどです。
よって、岡村さんの理想の結婚相手の条件を整理してみますと、こういうことになります。
A 出来るだけ若い20代の女性。
B 岡村隆史の職業目当てではない女性。
C 本当の岡村隆史の性格を丸ごと受け入れてくれる女性。
これから判ることは、
A 自分よりも考え方が大人ではなく、従順で、自分のことを常に尊重し、意思の自由を約束してくれる女性。
B 岡村隆史が無一文の地位も名声もない男であっても、愛してくれる女性。
C 岡村隆史がどれほどひどい性格でも、黙って寄り添ってくれる優しい女性。
と、いうことだと思います。
では、このような女性は、実際問題、現実に存在し得るものなのでしょうか?
おそらくは、岡村さんのお母さん以外には存在しないのではないかと思います。
つまり、岡村さんが理想としている女性像は、お母さんなのではないでしょうか。そして、彼の望む結婚とは、子孫を残すという意味ではなく、二人の男女が生涯幸せに寄り添いながら共に暮らすというものなのではないかとさえ想像されるのです。
岡村さんは、よく「チューをしたい」と、言いますが、あえてこういう言葉を使うのも、ある種の男性としての虚勢ではないかと思うのです。
まあ、これは、あくまで岡村さんのこれまでの数少ない言動から分析した勝手な推測にすぎませんが、このお見合い企画がうまく行って、良い結婚相手を見付けられればそれに越したことはないのですが・・・。
せっかく類まれなお笑いの才能を持ちながら、結婚問題で悶々と悩みストレスを溜めて心を疲れさせたのでは、何とももったいない話です。
ただ、芸能界とは、こういうファンの関心事もまたタレントの人気をアップするための手段に使うような世界ですから、何処まで信じられるかは判りませんが・・・ね。
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コンプレックス指標
2011年09月04日
コンプレックス指標

心理学の本によると、コンプレックスの大きさがどれくらいなのか、だいたい知ることが出来るテクニックがあるんですね。
たとえば、親が子供に、
「今日の算数のテスト、どうだった?」
と、訊いたとします。
「75点だった。問題を良く読まなかったんだよね。失敗しちゃった」
即座に、こんな答えを返す子と、
「・・・・・・」
しばらく沈黙ののち、
「・・・95点だった。一つ間違えちゃった」
と、ようやく反応する即答がない子、もしくは、
「・・・あ、そのことだけど、ぼく、今から友だちに会わなきゃならないから・・・・」
などとごまかす子がいたとすれば、即答を避ける子供や話を違う方向へ持って行こうとする子供の方が、明らかにその話題を避けたいと思っていることが判るのだそうです。
この子供が答える間の時間の長さが、心理学でいうところの「コンプレックス指標」なのだそうです。
人間は、触れられたくないと思う話題は、出来れば避けたいと思うものです。
そのために、答えるまでの時間が長くなったり、もしくは、別の話題にすり替えようとしたり、笑ってごまかそうとするのです。
もっと高度なテクニックとして、聞こえないふりをする場合もありますよね。
でも、もしも、相手がこのような反応を見せたとしても、
「ああ、判った。どうせ、ろくな点数じゃなかったんでしょ。ダメじゃない!」
などと頭ごなしに言わないで下さい。
子供が自分の方から話したくなるまで待つか、失敗してしまった問題にもう一度チャレンジ出来るような雰囲気作りを心掛けることが大切なようです。
「そんな悠長なことはしていられない」
それも、またもっともなんですけれどね・・・。

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段差の恐怖
2011年09月03日
段差の恐怖

先日、新聞の文化面に、要支援2の認定を受けている80歳の女性が、足腰の衰えのために自宅の玄関の段差32センチの上り下りが難しくなり、買い物に行くのをおっくうに感じるようになってしまった----と、いう寄稿記事がありました。
女性の愚痴を耳にしたケアマネージャーから筆者である建築士に相談があり、その建築士が玄関床と土間の間、土間と玄関外のポーチの間に二段階の踏み台を設けたことで、女性は助けがなくても玄関の出入りがスムーズに出来るようになったということでした。
費用は数万円程度から可能で、踏み台をしっかりと固定すれば、介護保険の住宅改修工事として補助を受けることも出来ると書かれていました。
家の中を使いがってよくリフォームをすれば、まだ十分に身体を動かすことが出来るお年寄りが、数十センチの段差がネックとなって外出を控え、延いては要支援から要介護になってしまうのでは、あまりにもったいないと思います。
女性は、「こんなに簡単に上り下り出来るのなら、もっと早く工事すればよかった」と、話しているとか---。
でも、たった32センチだけでしょう?どうして、それっぽっちの段差で上り下り出来なくなるわけ?
若く健康な人は、そう思いますよね。
ところが、歳をとって足腰の筋力や骨、関節が弱ると、それこそたった5センチの段差の上り下りも出来なくなるものなのです。
わたしも、少し前までは、この80代の女性と同じ----いや、それ以上にひどい状態でした。
家の中の10センチの段差が上れない。壁に手をついて身体を支えても、それでも足が上がらないのです。
とても一人では身体を動かすことも出来ないくらいでした。
家の廊下を移動するにもキャスター付きの椅子を杖代わりに転がしながら歩き、階段の上り下りさえ難しいので、二階へ上がったらそこだけで生活をしていました。
ですから、この高齢女性の気持ちは、痛いほど判ります。もちろん、そんなわけで、我が家も家中に手すりが付き、トイレまでリフォームしたくらいです。
リフォームには確かにお金もかかりますし、経済的にきついことも事実ですが、リフォームによって身体の未だ使える機能を維持したり、向上させたりも可能になる場合があるのです。
もしも、家の中での生活に不便を感じるようになった時は、どの個所を一番直したいかを見付けることで、身体への負担をかなり軽減出来るのではないかと、この記事を読んでいて感じた次第です。
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