文章も臨機応変に・・・
2011年09月15日
文章も臨機応変に・・・

先ほど、YAHOO!ニュースを読んでいたら、若者たちの間では「寒い」という言い方ばかりではなく、「寒っ!」という言い方もかなり認知されているという記事があった。
「寒い」というよりも、「寒っ!」と、いう方が、その寒さがより強く感じられるということなのであろう。
これらも若者が使い始めた言葉ではあるが、今では大人たちの間でもその認知度は極めて高くなっている。
こうした短縮言葉に先駆けて、既に社会的にほぼ定着しているものが、「ムカつく」とか「キレる」と、いった表現の類であり、この言葉も本をただせば、「吐き気がする」とか「頭脳明晰」などの意味を持つ言葉であった。
しかしながら、現在は、まったく違う意味としても使われていて、むしろ、その新しい表現方法の方が一般的にさえなっている。
「姑息」という言葉も、わたしたちは普段、「ずるい」「こすい」「悪賢い」などの意味として用いることが多いが、実際の意味は、「一時の間に合わせ」という意味に過ぎないのである。
また、「檄をとばす」という言葉も、プロ野球中継でアナウンサーが「監督が選手に檄を飛ばしました」などと使い始めてからは、「叱りつける」「発破をかける」などの意味が主流とされるようになったが、もともとは、「自分の主張を述べ、人々に決起を促す文書である檄文」の意味であった。
わたしが、このブログで時々取り上げるタイトル「他力本願」も、もちろん、元来は阿弥陀如来の力により成仏することを願うこと」と、いう仏教用語に由来するものであるが、辞書にも記されている通り、今では「自分は努力をせず、他人の助力を待つこと」という意味も常識となっているのだ。
子供たちが文字を習い、作文を勉強する場合は、もちろん、本来言葉が持っている正しい意味を理解し、その使い方から学ぶことは必須であるが、文章や言葉はやはり人の意思を表現するための手段である以上、時と場合に則した臨機応変な使い方があってもしかるべきではないかと考える。
わたしも屁理屈をこねるのが大好きな方であるから、「本当は、そんな使い方をするんじゃないよ」と、一言言いたい人の気持ちは良く判るが、今の世の中、マスコミや企業が自分勝手に作り出している造語の類もごまんとあるわけで、読み手に内容が理解できる範囲の解釈の自由も認めざるを得ないというのが、実際のところであろう。
以前、わたしは、NTTコミュニケーションズの担当者に、「フレッツ光を知らないんですか?」と、言われたことがある。
そこで、こう答えた。
「あなた方企業が勝手に作った言葉を、押し付けられても困ります。もっと判りやすい別の言葉に言いなおして下さい」
今の日本には、それだけ「嘘言葉」が氾濫しているのだから、もしもあなた自身が自分に都合のいい言葉を作り出し、文章を書いたところで、誰に文句を付けられる筋合いもないというのが、現状ではないだろうか。
<今日のおまけ>
このところ、あまり食事に手をかけず、キャベツの煮たものばかりを食べていたので、ちょっと夏バテ気味でフラフラしていました。
そこで、少し塩分が気になったのですが、昨日は野菜カレーを作って食べました。
そして、今日は、買い出しに出かける予定だったので、いつもより多めの食事を摂ったところ、何となく頭がはっきりしたようです。
やはり、いくら病気のためとはいえ、あまりに小食だと日常生活がボロボロになるようです。
気を付けねば----。
このところ、あまり食事に手をかけず、キャベツの煮たものばかりを食べていたので、ちょっと夏バテ気味でフラフラしていました。
そこで、少し塩分が気になったのですが、昨日は野菜カレーを作って食べました。
そして、今日は、買い出しに出かける予定だったので、いつもより多めの食事を摂ったところ、何となく頭がはっきりしたようです。
やはり、いくら病気のためとはいえ、あまりに小食だと日常生活がボロボロになるようです。
気を付けねば----。

Posted by ちよみ at 22:26│Comments(2)
│ちょっと、一息 7
この記事へのコメント
本文とずれてしまいますが
お釈迦様が生まれて直ぐに「天上天下唯我独尊」と言われた事を例えて、「独り善がり」「自己中心」等と言われますが、この文字を虚心坦懐で見ると、本当の意味は
私というものは全宇宙の中に一人しかいない だから生命とは尊い
と全ての生命に共通する意味が有ると思うのですが、きっといつの間にか意味が違ったのでしょうね。
お釈迦様は4月8日生まれ と思うと、今年は一挙にシュンとなります
お釈迦様が生まれて直ぐに「天上天下唯我独尊」と言われた事を例えて、「独り善がり」「自己中心」等と言われますが、この文字を虚心坦懐で見ると、本当の意味は
私というものは全宇宙の中に一人しかいない だから生命とは尊い
と全ての生命に共通する意味が有ると思うのですが、きっといつの間にか意味が違ったのでしょうね。
お釈迦様は4月8日生まれ と思うと、今年は一挙にシュンとなります
Posted by DT33
at 2011年09月16日 01:06

DT33さまへ>
「天上天下唯我独尊」の解釈には諸説あるようですが、確かに、今は「独り善がり」とか「自己中心」といった意味で使われることが多いですよね。
単に、「わたしは全宇宙で唯一の存在であるから、わたしを崇めよ」という意味だという人もいますが、イジメや孤独死などの現代病ともいえる社会の歪を憂えるということを背景にした時は、DT33さんが言われるように、「私というものは全宇宙の中に一人しかいない だから生命とは尊い---と全ての生命に共通する意味が有る」と、いう説をあてはめる方が、本来のお釈迦様の気持ちを表わしているように思います。
4月8日はそんなお釈迦様の生まれた日であり、スーちゃんの誕生日でもあるそうですね。そう思うと、何か不思議と感慨深いものがありますね。
「天上天下唯我独尊」の解釈には諸説あるようですが、確かに、今は「独り善がり」とか「自己中心」といった意味で使われることが多いですよね。
単に、「わたしは全宇宙で唯一の存在であるから、わたしを崇めよ」という意味だという人もいますが、イジメや孤独死などの現代病ともいえる社会の歪を憂えるということを背景にした時は、DT33さんが言われるように、「私というものは全宇宙の中に一人しかいない だから生命とは尊い---と全ての生命に共通する意味が有る」と、いう説をあてはめる方が、本来のお釈迦様の気持ちを表わしているように思います。
4月8日はそんなお釈迦様の生まれた日であり、スーちゃんの誕生日でもあるそうですね。そう思うと、何か不思議と感慨深いものがありますね。
Posted by ちよみ
at 2011年09月16日 11:53

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