悪いようにはしないから・・・・・637

~ 今 日 の 雑 感 ~


悪いようにはしないから



    「悪いようにはしないから・・・・」

    こういうことを良く言う人って、本当に、相手のことを思いやっているのでしょうか?

    それが、案外、そうでもないのです。

    こういう口癖の人は、年上や上司に多いのですが、かなりの親分肌で相手を下目に見ている傾向が強いのです。

    本来ならば、そこで「これこれこういう理由があるから、きみにはこうして欲しいんだ。頼むよ」と、言いたいところを、彼のプライドがそれを許さないために、「とにかく、おれに任せておけばいいんだよ。悪いようにはしないからさ」と、言うことになってしまう訳です。

    また、こういうタイプの人は、自分以外を「あまり頭の良くない人間」と、思い込んでいる節がありますから、その本音の部分には、「どうせ、こいつに詳しいことを話しても判らんだろうな・・・・」と、いった軽蔑があるのです。

    ところが、それよりも何よりも、こういうタイプの人は、相手のことを思いやって「任せておけ」と、言っていると思ったら大間違いで、本心は、「おれに任せておけば、お前にとって一番いいようにしてあげる」ではなく、「おれにとって一番いいようにしたあとで、お前にも悪いようにはしないよ」と、いうところにあるのです。

    しかし、こういう親分肌タイプは、確かに相手のためにも悪いようにはしないはずです。なぜならば、もしも、相手に不利益を被らせるようなことになれば、自分のイメージダウンにもなりますし、恨まれることだってあるでしょう。

    そんなことは絶対避けたいはずですから、間違いなく「悪いようにはしない」はずなのです。

    が、それは、あくまでも自分の方に大きな利益があった場合のことで、相手への利益は二番目と考えていることを忘れてはいけません。

    そういえば、『サザエさん』という漫画に、主人公のサザエさんが母親のフネから、妹のワカメのワンピースを作ってくれと布を渡されたというエピソードがありました。

    サザエさんは、さっそく布を裁断しますが、途中でひどく悩み始めます。フネが何を悩んでいるのかと訊くと、サザエさんはこう答えるのです。

    「あたしのワンピースは裁断出来たんだけれど、ワカメのワンピースの分がどうしても取れないのよ」

    これを見ると、サザエさんは、まさにこの「悪いようにはしないから・・・・」の性格そのもののような女性だと判りますね。



    
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人の心は移ろいやすく・・・・・636

~ 今 日 の 雑 感 ~


人の心は移ろいやすく・・・



    あと出しじゃんけんになってしまうようだけれど、昨晩は、サッカーW杯の日本対パラグアイ戦を後半開始まで観て寝てしまった。

    あまりに、似通ったチーム戦力なので、これはPK戦へもつれ込むだろうな・・・・と、思ったからだ。

    もっと、頑張って起きていればよかったのだが、睡魔に負けた。

    そして、夢を見た。本田選手を始め、選手たちが泣いている夢だ。うれし泣きという感じではなかった。

    「あ~、負けたんだな」と、思って、朝起きたら、正夢だった。

    おそらく、パラグアイのボール支配率や、動きを見ていて、今回は厳しいと思った気持ちが反映していたのかもしれない。

    しかし、日本は本当に死闘を乗り越え、よくぞPK戦まで持ち込んだ。選手たちの気力は残っていたとしても、体力を考えれば既に限界は超えていたと思う。

    試合後の選手たちの顔が、まるで哲学者のように見えたのもそのせいかもしれない。

    競技場へ観戦に来ていた大勢の南アフリカの人たちが日本を応援してくれていたのにも感動した。

    岡田監督は、「日本が世界に通用するかと訊かれれば、それは、結果が教えてくれている。サッカーは勝つか負けるか。レクリエーションではないのだから、まだだということだろう」と、インタビューに答えていたが、ファンからしてみれば、本当に胸躍る一瞬を与えてくれて、ありがとうと言いたい気持ちだ。

    
侍ブルーの戦士たちに
感謝!!






    どうして、これほどまでに、人の心というものは容易く移ろうのであろうか?

    昨日まで、思いのたけを述べて悩みを打ち明けてくれていた人が、翌日からは人間が違うのかと思うような赤の他人の顔をする。

    「そんなこと、いつ話しましたっけ?」

    そんな素っ気ない素振りで、こちらを一瞥すると、さっさと通り過ぎて行くのだ。

    毎日が辛いと、泣いて訴えていたあの人間は何処へ行ってしまったのだろうか?他に関心事が出来た途端、まるでこちらの存在など端から知らないとでもいうような態度だ。

    どうしてそんなに簡単に、豹変出来るのか?

    あなたは忘れたふりをしても、こちらはしっかりと覚えている。

    興味が失せたとか、飽きたとか、そんな言葉で済ませられてはたまらない。

    そういえば、こんなこともあった。

    我が家の近くに住む一家の母親が認知症になった。この母親は、家庭の中で疎外されているのが辛いと、近所の親しい女性の家へ来て、涙ながらに自分が置かれている状況を訴えると、ここへ置いて欲しいと頼んだのだという。

    しかし、そんなことが出来るはずもなく、また、その狼狽ぶりがあまりに激しかったので、女性はその母親の娘に電話をかけ、家へ連れて帰って欲しいと頼んだ。

    娘は、女性宅まで来ると、帰りたがらない母親を引き取って何とか自宅まで連れ帰ったのだという。

    後日、女性は、その娘と街で偶然顔を合わせたので、てっきり娘の方から「その節はご迷惑をおかけして・・・・」の一言が当然あるものと思っていたが、娘は黙って通り過ぎようとするので、女性の方から思い切って声をかけた。

    「あれから、お母さんは大丈夫だった?」

    と、訊ねたところ、娘が言うことには、

    「何の話でしょうか?別に、大丈夫ですけれど・・・・」

    と、いうもので、お礼やお詫びの一言もなかったのだという。非常識な人間が多くなったと言えばそれまでだが、それにしても、あまりにふざけた話である。

    自分が迷惑をかけた相手のことは、一生覚えておいて欲しいものだ。

    あの時は、あの時などというご都合主義な理屈は、少なくともわたしには通じないから、そのつもりでいて欲しい。
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ど~なる名古屋場所?・・・・・635

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ど~なる名古屋場所?



    来月11日に迫る大相撲名古屋場所。

    大相撲の野球賭博問題で、日本相撲協会は28日、東京・両国国技館で緊急理事会を開き、特別調査委員会(座長=伊藤滋・早大特命教授)の処分勧告案に従い、賭博に関与した力士を謹慎させることで場所開催にこぎつけた。

    しかし、人気力士や親方不在に、関係者は不安と戸惑いを隠せないまま場所に臨むことになる。

    この名古屋場所が開催されるか否かは、他の五場所とは意味合いが違うという。

    現在の大相撲は年六場所制であるが、この名古屋場所だけが唯一自治体が運営にかかわっている場所なのだという。

    他の場所では、相撲観戦用のチケットは、お弁当などを売るお茶屋さんと呼ばれるところで販売されるのだそうだが、名古屋場所に限っては、自治体から依頼を受ける形になるのだろうか、一般のホテルやレストランなどがこのチケット販売を肩代わりしているというのである。

    しかも、このチケットは買い取り制なので、もしも、今回名古屋場所が開催されなかった場合は、チケットを買い取った自営業者は、何百万円もの損害を被ることになりかねないのである。

    更に、会場造りや力士たちの滞在などにかかる金額も自治体の予算に計上されているのだとすれば、明らかに市民の税金を無駄遣いしたことにもなる。

    また、名古屋場所一場所を中止した場合、NHKからの放送権料が約5億円など、その他諸々の興行収入を加え、相撲協会としてみれば約14億円が水の泡になる計算だという。

    相撲協会及び自治体としては、開催が決まってホッと一息というところかもしれないが、人気上位力士が何人も出場自粛となれば、番付上の幕内の取り組みも減り、興味も失せるのは否めない。

    また、10人の理事のうち5人もの理事が監督不行き届きで謹慎処分ということで、土俵下の審判員や取り組編成などにも間違いなく支障が出で来るであろう。

    そして、力士たちの名古屋でのケガや病気の際にも、対応する部屋の親方が名古屋入りしていないことは、かなりのリスクがあるものと思うが、そこは、部屋付き親方たちが面倒を見ることも出来るそうだ。

    しかし、ただ一部屋、境川部屋だけは部屋付き親方がいないため、境川親方が謹慎処分となると、部屋の力士たちの面倒を誰が見るのかという問題も出て来るという。

    そういう場合は、おそらく一門の中の謹慎に値しない親方が世話をするということになるのであろう。

    それにしても、場所前から力士幟(のぼり)が破られるなど嫌がらせが相次いでいる名古屋場所である。

    若い真面目な力士たちの身に危害が加えられるようなことだけは避けなくてはならない。

    事件にかかわりのない力士たちは、皆毎日懸命に血のにじむような努力をして、一場所一土俵に人生をかけているのである。

    元横綱朝青龍の暴行事件、ロシア人力士による大麻事件、そして野球賭博事件と、国民の税金が投じられたうえに税金も免除されている公益法人が、これほど不祥事まみれだったとは、信じ難いことである。

    この事件をきっかけに、相撲界の常識は、もはや現在の一般社会の常識には当てはまらないのだという自覚を強くしてもらいたいと思うのが、わたしたち大相撲ファンの切なる願いでもある。

    






    
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気持ちは伝わらない・・・・・634

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気持ちは伝わらない



    昨夜書いた記事の「不肖」がずっと「不詳」になっていたようです。

    まあ、確かに、それでもあながち間違いではないというものですが・・・・。(笑)



    それにしても、他人同士って、どうしてこんなに気持ちが伝わらないのでしょうね。

    この間、ある衣料品店で買い物をした時、こちらはしっかりとサイズや色を指定して取り寄せてくれるように頼んだのに、それが届いたので取りに来てほしいと連絡が来て行ったところ、色はその通りだったのですが、サイズが一つ大きい物を見せられたのです。

    「わたし、Mサイズをお願いしたのですが・・・・」

    と、言っても、相手は、「え?Lじゃなかったんですか?」と、キョトンとしている始末。

    「だって、念を押しましたよ。Mでって-----」

    そう言っても、まったく相手に申し訳ないの意思表示はないのです。

    こういうこと、皆さんにもありませんか?こちらの言うことが、ほとんど通じない。通じていても、ねじ曲がって解釈されてしまう。本当に、面倒くさいですよね。

    しかも、自分たちには非はない。そっちが伝え間違えたんだろうぐらいの態度なのです。

    ですから、わたしは、ぜひぜひ必要なことは、紙に書いて相手に渡すようにしていますが、それでも間違う時は間違うのです。たぶん、そんな紙もすぐに何処かへなくしてしまうのでしょうね。

    いつも、すべてが「しょうがないか・・・・。これでも・・・・」と、妥協の産物になってしまうのです。

    以前、大リーグ・マリナーズのイチロー選手が話していました。

    「日本の方がまだいい。アメリカは、ひどいよ。頼んでおいた品物がその約束の日に届いていなくても、平然と、『昨日、息子が熱を出して・・・・』などという考えられないような言い訳をするからね」

    他人に自分の気持ちをしっかりと受け止めてもらうことほど大変なことはないようです。

    しかも、一度は判ってくれたと思っても、次のシチュエーションでまた誤解を解かなくてはならないこともあります。

    最近、本当に面倒くさいと思うようになりました。


    でも、でも、本当に心底自分の気持ちを相手に伝えたい時は、案外言葉では無理なのかも・・・・。

    わたし的には、「目力」で相手を威圧するのが最も効果的かとも思います。(ー_ー)!!



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顎の骨が腐る!?・・・・・632

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顎の骨が腐る!?



    この間、歯医者さんで不思議なことを言われた。

    「ちよみさんは、骨粗しょう症の治療をしているそうだけれど、もしかしたら、うちでは抜歯は出来ないかもしれないよ」

    わたしは、何のことか判らず、先生、歯を抜くことが出来ないんですか?と、訊ねたところ、

    「歯を抜くのなんか簡単にできるよ。ただ、骨粗しょう症の治療で使われている薬で、それを飲んでいる人の歯を抜いた時、顎の骨が腐るということがあるんだよ。だから、もしも、その薬を使っていたら、ここでは抜けないということなんだ。そういう時は、長野市の口腔外科のある病院で抜歯してもらうことになるからね」

    これには、驚いた。そんな怖い薬を飲んでいる人がいるのかと----。

    でも、わたしが飲んでいる薬を歯科医師の先生に話したところ、その薬ではないということで、ちょっと安心だった。

    そんなことがあって、先日、新聞を読んでいたら、この時歯科医師の先生が言ったことと同じことが記事で出ていた。

    骨粗しょう症の治療に使われる「ビスフォスフォネート(BP)剤」という薬を飲んでいる患者が、抜歯などの歯科治療を断わられるケースが増えているという記事である。

    このBP剤を服用していると、歯科治療によって顎骨の骨髄炎や壊死が起きる危険性が増すというのである。

    だが、この因果関係はまだ今のところ不明確だともいわれており、医療現場の混乱を食い止めるためにも、正確な情報や調査を求める声が出ているのだという。

    女性は、高齢になると骨密度が低くなりやすいため、骨折の危険性も増す。

    そこで、整形外科では、骨粗しょう症の治療に効果的とされるBP剤を処方することが多くなって来ているという。

    このBP剤とは、そもそも骨を破壊する破骨細胞を壊すという薬で、破骨細胞が骨を吸収するのを抑える働きがあるということを利用して、骨粗しょう症や乳がん、前立腺がんの骨転移の治療薬として使われているものである。

    そのため、骨粗しょう症のひどい人にはこの服用を中断させることは極めて難しいといわれる。

    BP剤を三ヵ月以上服用を中止すると、寝たきりにつながる大腿骨頸部骨折のリスクが20パーセントも上がるといわれているのだ。よって、安易な中止は出来ない。

    しかし、高齢になればなるほど、歯科治療を必要とする患者もまた増える訳で、このままでは医師も患者も実に難しい選択を迫られることとなる。    

    BP剤を使っている患者の抜歯後に顎骨骨髄炎や壊死が起きた事例が海外で報告され始めたのは2003年からであり、そのほとんどは、骨粗しょう症患者が使用する経口剤ではなく、乳がん、前立腺がんなどの患者へ使用する注射剤によるものであった。

    確かに、今のところ、この薬を飲んでいる人とそうでない人との比較データも集まってはおらず、はっきりした論拠はないのだとも言われるが、やはり、患者の身になれば、万が一のリスクでも回避したいと思うのが当然である。

    女性高齢者は、四人に一人が骨粗しょう症であるといわれる現在において、この問題は極めて深刻であると言わざるを得ない。  続きを読む


ど~でもいい話 4・・・・・631

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ど~でもいい話 4



    先日の記事の中に、むか~し買った「ボンネ」のことを書いたが、それがこれだ。




    これは、いくらなんでも、もう頭に付けるのは如何なものか・・・・?だよね。

    因みに、ピンクレディーのUFOとは何の関係もございません。

    そして、この間、通販会社との間でスッタモンダしたナース・サンダルが、これだ。




    何処にでもあるような、普通のナース・サンダルなのだが、これが我が家へ届くまでにどれほどの電話料をかけたものか・・・・。実に、高い買い物であった。



    また、共同浴場で顔を合わせたご近所の女性からは、バラの花を頂いた。

    この女性のお宅の庭は、まるでバラの花園のように色とりどりのバラで埋め尽くされている。

    彼女が言うには、最近の花の流行は、花弁が丸いツルバラ系のものだそうで、オールド・ローズのような香りを楽しむ物が人気だそうだ。

    かつては、大輪で花弁の先がとがっている種類に人気が集まっていたそうだが、花の流行も世の中の風潮に左右されるようで、バブル期のイケイケ時代は、豪華で目立ちたがりな花が主流でも、現在のような不況下では、やはり花に癒しを求めるのか、愛らしい系の物が好まれるという。

    バラは世につれ、世はバラにつれ-----と、言ったところかもしれないな。

    その頂いたバラの花が、これだ。






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人を不快にする言葉・・・・・630

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人を不快にする言葉



    近頃の年配女性たちは、平気で他人を不快にする言葉を吐く。

    相手がそれを聞いてどんな風に感じるのかという想像力が全く欠如しているのだ。

    近所の七十代後半の女性が口説いていた。

    この前、六十代後半の飲食店経営の女性と話をしていた時のこと、話の流れで御柱の話題が出た。

    六十代後半の女性は、七十代後半の女性に訊ねたという。

    「この前の地元の御柱祭、見に行った?」

    「ううん、毎日やることが多すぎて、見に行く暇がなかったから行かなかったよ。御柱ももう何回も見たし、子供の頃は綱も曳いたしね」

    七十代女性が答えると、相手の女性は、こともあろうにこんなことを口走ったのである。

    「そんなこと言っていていいの?次はまた七年後だよ。その頃、もう、生きていないかもしれないじゃない」

    高齢者に寿命の話は、最もタブーである。六十代後半の女性は、まだ、自分がいつかは死ぬなどということは実感として判らないから、そんな配慮に欠けることを言ったのだろうが、七十代後半の女性にしてみれば、切実な数字である。

    「そうだね。それまで元気でいたいものだね」

    とは受け流したものの、彼女はその後ひどく落ち込んでしまったのだそうである。どう頑張ったところで、もう三十年は生きられない。高齢者になればなるほど、十年なんてあっという間に過ぎてしまうものだ。

    「長生きしてね」と、人は平気で言うが、長生きって何年のこと?と、考える。

    そんな不安の中にある女性に向かって、「もう、生きていないかもしれないじゃない」は、ないだろうと、ひどく悔しい思いをしたそうである。

    今の時代、八十代の人に「もう、年なんだから・・・・」は、禁句であるという。彼らは、自分たちを決して年よりなどとは思っていないのだ。否応なく身体は言うことをきかなくなり、記憶力も乏しくなってきてはいるが、それを認めたくはないのだ。

    周りの八十代は老人だが、自分は違うと思いたい。

    この七十代後半の女性も、「もう、生きていないかもしれないじゃない」と、言われるまでは、自分が老人だなんて考えもしなかったそうである。

    人の気持ちを平気で逆なでするような言い方をする人間たちにこそ、明日の命など判らないぞと、言ってやりたいものである。  続きを読む


街づくりの間違い・・・・・629

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街づくりの間違い


    
    『街づくり』と言えば、清々しい緑や広々とした石畳の街路を兼ね備え、真新しくおしゃれなレストランや喫茶店、ファッション関係の店舗などが整然と並ぶ様子を想像する人も多いと思います。

    道路幅も広く、解放感に満ちたタウン・スタイルは、正に未来志向の街づくりですよね。

    でも、それは、ただでさえ住民の多い都市部に適したもので、長野県のような田舎の小都市にはほとんど適さないものなのだと思います。

    まず、イメージして下さい。

    そういうおしゃれな街中に、モンペ姿の腰の曲がったおばあさんが立っている姿を-----。

    この二つの風景がマッチしていると思いますか?

    そして、そのおばあさんの気持ちを想像して下さい。おばあさんは、果たして街を安心して歩いているでしょうか?

    何か、困ったことがあっても、そんなおしゃれな店に助けを求めようという気持ちになりますか?広い道路を渡って、反対側のお店へ行きたくても、足が悪いから諦めようと思うのではないでしょうか。

    しかし、この街が道路も狭く、道の真ん中に細い川が流れていて、その脇には柳の木などが植えられ、川には小さな橋がかけられている。

    店と店の間は狭く、ごちゃごちゃとしたイメージだが、その軒先はアーケードでつながり、街中にいながら大きな家の中を歩いているような感覚だとなれば、このおばあさんは、おそらく実に安心した気持ちでそれらのお店で買い物も出来るのではないでしょうか?

    つまり、これが、かつて大勢の客でにぎわっていたの中野市の姿なのです。

    広く綺麗で近代的な街は、田舎の人たちの憧れです。

    でも、そういう街に毎日行ってみたいとは思わないはずです。

    温かみのある街づくりとはどういうものなのか?それは、一言で言って、「人の顔の見える街づくり」というものではないでしょうか。

    今の街づくりで、お隣の人の顔が見えますか?

    モンペ姿で風呂敷き包みを背負ったおばあさんが、その街の風景にマッチしますか?

    それが、答えです。  続きを読む


何故、謙虚になれないのか?・・・・・628

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何故、謙虚になれないのか?



    知り合いの女性に、とにかく自惚れの強い人がいます。

    その人は、とにかく他人に説教するのが大好きなのです。

    そして、自分のやったことをいつも自慢します。

    「ほら、あたしの言った通りになったでしょう」

    「あたしの言う通りにすれば間違いないのよ」

    「あなたの素晴らしいところを、あたしは知っている。だから、こうしなさいね」

    「それはダメ。そんな気持ちでいるから職場でもうまく行かないのよ」

    「あなたは、もっと素直に人の言うことに耳を傾けなさい。その意地っ張りなところが嫌われる元なのよ」

    「あたしを信じていれば、悪いようにはならないから」

    これを聞いていると、何かを思い出すのです。

    新興宗教の教祖の説教。-----正に、そのものです。

    どうして、このような他人に意見をせねば気が済まない人格が出来上がるのでしょうか?

    何かしてあげるのなら、黙ってやってあげればいいのです。そして、もしも、その女性の言う通りになった時は、ニッコリ笑って、

    「そう、良かったわね。あなた、頑張ったもんね」

    これでいいじゃないですか。さも、自慢げに自分が教えたからだという言葉を吐く意味があるのでしょうか?

    何かをするなら、もっと謙虚になるべきです。余計な自慢話やお説教はいりません。

    もしも、それをして相手からお金を頂くなどという場合は、なおのことです。相手はお客さまなのですから。お客さまを叱るなど、もってのほかです。

    人間は、元来他人に何かを教えたいという本能を持つ動物です。それがあったからこそ、人間は、今のような文明社会を築いて来れたのです。

    小さな子供たちが、時々、先生ごっこをしている風景を見ることがありますよね。

    ものを教える人は偉い人だという認識が、既に二、三歳の子供にも備わっている証拠です。

    「大きくなったら何になりたい?」の質問にも、多い答えが「ピアノの先生」「保育園の先生」「学校の先生」「お医者さん」などだと言います。

    たぶん、このような女性たちも、そんな小さな頃の思いを未だに捨てきれないのかもしれません。

    正直、こういう人たちはハタ迷惑です。わたしは、この女性の自惚れ話を聞きながらいつも心の中で呟きます。

    「あんたが話す内容など、こっちは十年も前に知っているわ。知ったかぶりも大概にしろ!」

    そうなのです。

    嘘でもいいから、「そんなことがあるの?知らなかった~。また、教えてね」ぐらいなことを言ってみて欲しいものです。

    でも、こういう女性は、そんなこと口が裂けても言わないでしょうね。自分の無知を認めるなど、生涯の恥だと思っているはずですから。

    だから、一度でいいから言ってやりたいです。

    「あんたの知識など、何の役にも立たない」と-----。

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似ている人を好きになる・・・・・627

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似ている人を好きになる




    人は、自分に似ている人を好きになり易いという話があります。

    これは、別に顔が似ているということや、性格が似ているということではありません。

    つまり、価値観が似ているということなのです。

    性格には様々なものがあります。攻撃的な人、温和な人、大人しい人、明るい人・・・・。

    そういう多様な性格を持ちながらも、同じ目標や価値観を共有している人たちは、時間はかかるかもしれませんが気持ちを一つにして行動できるようになるのです。

    わたしは、学生時代、寮生活をしていました。

    始めのうちは、お隣の部屋に入った学生たちと顔見知りになり、何となく挨拶を交わすようになると、次第に打ち解け合い家族の話題なども会話にのぼるようになります。

    ところが、そういう関係はそう長くは続きません。やがて、その親しく話をしていた隣部屋の学生には、別の友人がいて、その友人と頻繁に外出したり共通の趣味の話などを聞かされるようになると、こちらは、まったくそうした趣味はないので、やがていつしかあまり会話をしなくなってしまうのです。

    ところが、ひょんなことから、家から通学して来ていた学生の中に、わたしと趣味が同じ者がいることを知りました。

    そうなると、今度はその学生と話をしている方が楽しいので、お互い急速に親しくなります。次第に、隣部屋の学生のことは別の世界の住人のようにすら感じて来てしまい、まったく疎遠になってしまうのです。

    気が付くと、その隣部屋の学生はいつの間にか大学自体をやめてしまい、何処へ行ったのかも判らずじまいでした。

    しかし、住んでいる所はまったく異なり、生活環境や専攻さえも違うというのに、その趣味が同じ学生とは未だに連絡を取り合っているのです。

    部屋や距離の近さよりも、態度や趣味趣向が似通っている人同士の方が、より親しくなりやすいということがこういうことでも判るのです。

    そして、親しくなれる大切な要素には、お互いのことを想像しやすい生活をしているというものが不可欠だと思うのです。

    そうでなければ、相手のことを何処まで信用していいものかが判りません。

    あ~でもない、こ~でもないと、常に相手の様子に気を使いながら話をするのでは疲れるばかりですし、正直何処まで信用していいのかも疑問です。

    とにかく、お互いに安心できる関係-----それが、態度や価値観の共有なのです。

    とかく女性は、ミステリアスな人に惹かれるとも言いますが、それは、おそらくある一定の価値観が同じうえでのミステリアスな部分なのだと思うのです。

    よほどの物好きでもない限り、終始何を考えているのか、何処に住んでいるのか、どんな生活をしているのかさえ判らない人を、好きになったりはしないものです。

    どんなに親しく言葉を交わしても気持ちを許すことが出来ないという場合は、おそらく、その相手とあなたの関心事や趣味などの価値観が根本的に違うということの証拠でもあるのです。  続きを読む


地獄谷のサルが商標登録?・・・・・626

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地獄谷のサルが商標登録?



    山ノ内町にある地獄谷野猿公苑のサルが世界的に有名になったことで、そのサルたちを意味する特別な呼称が定着して来た。

    しかしながら、その呼称は、町内の3ホテルがこのたび商標登録したことで、一般の人たちは気軽に使えなくなってしまった。

    だから、このブログにも、その呼称を書かないことにする。

    これに対して町議会では、町の財産でもある地獄谷のサルの呼び方を個人が商標登録するとは容認できないと、猛反発。竹節町長が「商魂たくましい」と、この3ホテルを名指ししたことで、ホテル側は、「他に商標登録する動きがあったので、それを阻止するために、今回動いた」と、説明したのだという。

    そして、これにより、この3ホテル以外の人たちは、一切この呼称を使えなくなる。インターネット上でこの問題提起をしたニュース記事はその使用できない呼称を書いていたためなのだろうか、24日の午後をもって完全に削除されたようであった。

    つまり、現時点ではこの3ホテルのみがそのサルの呼び名を菓子パン、飲食物提供、主催旅行において使えることになるらしい。

    町では、3ホテルからこの商標権を買い取り、引き継ぎたいとして、商標権取得にかかった30万円を肩代わりする補正予算を6月定例町議会に提出し、可決された。

    が、3ホテルとしては、「商魂たくましい」と言われたことがネックとなり、商標権譲渡には竹節町長の公の場での謝罪が条件だと言う。

    一方、町長側は、「譲渡に関しては話し合いで既に了承済みであり、合意文書の調印を待っている」との姿勢を崩さない。

    それにしても、何故、このようなややこしい事態が起きてしまったのだろうか?

    これもまた、以前わたしが書いたような「黙っていればあとは何とかなる」との安易な責任放棄と無縁ではないと思われる。

    もしも、この3ホテルが、「誰か他の人に先に商標登録されてしまっては困る」と、懸念するのであれば、そのことを真っ先に町へ打診すればよかったのである。

    「こういう動きが出ていますが、商標権を取っておいた方が良くはないですか?」

    と-----。それでも町が取得に動かなかった時、自分たちが登録を特許庁へ出願すればよい話ではなかったのだろうか?

    どうも、最近の人たちの気持ちが「知られなければいい」「波風を立てたくない」「そっと穏便にことを進めたい」というような逃げ腰の対応ばかりに終始しているようにさえ思えるのだ。

    そして、すべてが決まってから、「何で黙ってやったんだ?!」と、大問題に発展する。

    いつも、そんなことの繰り返しではないか。

    また、町側も脇の甘さを露呈した。

    新潟県で既にこの呼称が、ある分野に限り商標登録されていることも知らなかったのだろうか?

    それに気付いていれば、「これは、こちらも急がねばあたら町の財産を持ち腐れにしてしまうぞ」と、出願申請に出ることができたはずなのである。町職員たちは、あの立派な赤レンガ風の建物の中で何をしていたのだろうか?

    つまり、何事も最初が肝心なのだ。もっと、こうすればどうなるかという想像力を働かせるべきである。

    まったく、大人の発想が欠如しているとしか思えない。  続きを読む


多勢に無勢を逆転させる方法・・・・・625

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多勢に無勢を逆転させる方法


    
    あなたは、「カラスの頭は黒い」と言い、他の10人は、「カラスの頭は白い」と、主張したとします。

    しかし、あなたは、他の10人をあなたの意見に賛同させたいと考えています。果たしてどうしたらいいのでしょうか?

    それは、実に簡単です。

    絶対に自説を曲げてはならないということです。

    回りの人があなたを説得し、自分たちの意見に引き込もうとしたとしても、決してそれに乗ることなく、最後まで「カラスの頭は黒い」と、言い続けるのです。

    一瞬でも、煮え切らない態度を見せたり、不安を見せたりしてはいけません。

    徹頭徹尾自説を貫きながら、「わたしの研究では、あらゆる情報を集めた結果、カラスの頭は100パーセント黒なのです」ぐらいのことを言う方が、より説得力が増すのです。

    間違っても、「良く判らないのですが・・・・、もしかしたら・・・・、たぶん・・・・」などという曖昧な答え方をしてはいけません。

    しかし、もしそこに新しい情報や別の意見などが出てきた時は、内心の自説は絶対に曲げないと決めながらも、表向きは頑なだという印象を与えないように、わざと柔軟さをにおわせるのが大事なのです。

    「・・・・でも、この間、家の近所で白いカラスを見たという人がいましたよ」

    誰かがこんなことを言いだしたとします。それに対して、あなたは、「絶対にそんなはずはありません」などと言ってはいけません。そういう時は、

    「それは興味深い話ですね。確かに検討する価値がある情報かもしれません」

    と、考え直すふりをすることも必要なのです。

    その方が、信頼性を増すことが出来ますし、この人は、頭から人の話を否定するような人ではないんだという好感を得ることが出来るからです。

    そうなると、これまで絶対に「カラスの頭は白い」と、主張していた人たちの中からも、あなたへ同調する人が出て来るはずです。



    これとは逆に、少数派の意見を多数派に変える方法もあります。

    それは、政治家が派閥を大きくする際に良く使う手ですが、少数派の人たちを一時的に分断するのです。味方がいると判ると、少数派の結束は多数派よりも強固になることがあります。

    そういう場合は、少数派の人間を一人一人別々に呼びつけ説得することで、「意見が違うのは、実は自分だけで、他の少数派の人間たちもほとんどは多数派に寝返っている」と、思い込ませることが可能なのです。

    自分が少数派の時は、大勢の前で自説を頑固に貫くことが大事ですが、多数派の時は、相手を分断し、個別に説得することが重要ということになりますね。  続きを読む


ど~でもいい話 3・・・・・624

~ 今 日 の 雑 感 ~


ど~でもいい話 3



    今朝、例のサンダルがついに届いた!

    なんとも、素早い配送だ。

    注文してから紆余曲折。やはり、二足届けられそうになったところを、配送係の人が予め持ち帰ったという。

    結局、最終的に判断するのは人間なんだ。

    しかし、履いてみないことには判らない。わたしの足に合わなかったら、またひと仕事だ。




    が、これがうまい具合にピッタリだった。icon22

    ま、いずれにしても、めでたし、めでたし。





    わたしの家に、むか~し買ったヘア・バンドのお化けのような物がある。

    いつか、誰かの結婚式にでも招待された時に使おうかと思っていたのだが、何せ、わたしはいつもショートヘアなので、このお化けヘア・バンドは似合わないと思い、断念して来たのだ。

    しかし、最近になってこの名称が判った。

    『ボンネ』というものらしいのだ。

    文明開化の頃はやった女性のファッションで、『ボンネット帽子』というものがある。

    これを簡略化したもので、室内でもかぶられる小型の帽子が『ボンネ』らしい。

    女性皇族方の礼装を見れば、この『ボンネ』をかぶられていることが判る。

    最近では、花嫁たちがヘッド・ドレスとして、この『ボンネ』を髪につけることが主流になって来た。もちろん、皇族方の礼装では、ドレスととも布の『ボンネ』を付けることが通常であるらしいが、花嫁がかぶる『ボンネ』は、白が主である。

    しかも、この『ボンネ』、結婚式や披露宴に招待された場合、花嫁以外の招待客が身に着けるのは、たとえ白でなくてもタブーということなのだ。

    知らなかった。危ない。危ない。

    身に着ける機会がなくて、ラッキーだったのかもしれない。



   
    お隣から、ネマガリダケ頂きました!icon22

    も~~~、これを食べないと、夏が来た気がしませんよね。

    やっぱり、サバ缶?いいえ、うちは卵とじです。

    そして、このネマガリダケの季節になると、何故か落語の『首提灯』を思い出すのです。(笑)

    斬られた自分の首を手に持って、「はい、ご免。はい、ご免」て・・・・。面白い。


   
    
    ところで、昼食に一人1000円以上毎日かけられる奥さまって、どんな暮らししているのかな?

    この不況下で、サラリーマンのご主人は、昼食を280円の牛丼で済ませているご時世に・・・・。

    よほど、その家庭はご主人がお金持ちなんだろうな。

    わたしなんか、だいたいいつもが父親が食べ残した冷麦をフライパンで焼き冷麦にするとか、残りのご飯をチャーハンにするとかして食べている。(正直、もう飽きた~~)icon10

    買い物に行くにも体力がいるし、母親は足が痛むから重い物を持っての買い物は出来ないし、とにかくいつもあり合わせの物で済ませるしかないのだ。




    そうそう、昼食で思い出したけれど、近所の飲食店のおばさん、鼻風邪をひいたのがもとで、まったく匂いが判らなくなってしまったそうだ。

    料理の味って、味覚だけではなくて臭覚に頼る部分が大きいから、匂いが判らないおばさんは調理ができない。
    
    ご主人と息子さんが厨房に立って頑張っているけれど、匂いが判らないと食材が新鮮か否かも判断できないから辛いよね。

    で、お医者さんは、「そのうちに治りますから----」と、言って特別な治療もしてくれないのだという。

    そんなもんなんだね~。( ..)φメモメモ
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サンダルが欲しいだけなんです・・・・・623

~ 今 日 の 雑 感 ~


サンダルが欲しいだけなんです



    昨日、通販でナース・サンダルを注文したという記事を書いたけれど、どうして、こうも通販会社にこちらの意図を理解してもらえないのかと、うんざりする事態になっている。

    今の通販会社には、どういうわけか、こちらから頼みもしないのに、勝手にこっちの住所や名前が登録されているらしいのだ。

    その登録データと、今回わたしが注文票に書き込んだ住所や電話番号が違うということで、わたしの方が嘘をついて商品を受け取ろうとしていると思い込んでいるらしい。

    データを間違って登録していたのは通販会社の方なのに、しかも、勝手にこちらへの相談もなしに登録していたのにもかかわらず、本人の方を疑うとは言語道断だ!

    そのために、何度もオペレーターに連絡をして訂正をしてもらった。

    ところが、今度は、オペレーターと配送所の方の連携がとれていないため、またぞろ、配送担当の方からわたしのところへ手紙が来て、「ご住所が違います。正しい住所をお知らせください」などということが書かれてあった。

    わたしは、また、オペレーターに連絡して、勝手にそちらが登録した住所や名前はすべて削除してくれと頼んだ。

    オペレーターは謝罪したが、もしかしたら、先に登録されている住所宛に品物が届いてしまうかもしれない。そうなると、新しい登録先への配送とダブってしまう恐れがあるので、先に届いた方は受け取りを拒否して欲しいというのである。

    まったく、どうしてこんな面倒くさいことになってしまうのか。

    わたしが注文した物を注文した住所へ送ってくれれば、それで話は済むはずではないか。

    話を闇雲にややこしくしているのは、通販会社の方なのだ。

    コンピューターなんぞに頼る商売をしているから、こういう片手落ちが続発するのである。昔のように、人間が人間の目で一通一通注文書を確認していれば、こんなことにはならないのだ。

    こういう不愉快な思いをして、「だったら、もういらないよ!」と、注文をキャンセルする客も少なくないはずである。

    しかも、わたしの家の固定電話からでは、0120がかからない。

    コンピューターが発達して、こんなに不便な時代になるとは思いもよらなかった。

    記事を書いているうちに、ますます腹が立って来たので、今日はこの辺で!  続きを読む


あなた、自意識過剰ですよ・・・・・622

~ 今 日 の 雑 感 ~


あなた、自意識過剰ですよ



    この間、当ブログに書いた記事、


    何だか最近、人のために一生懸命やることがうざいと思われているらしい。

    こっちは、あとから「知らなかったよ」なんて言われたくないので、やっていることなんだけれど、もう、いいや。

    自分がやることだけをやれば、他人がどうなったって知ったことじゃないよね。

    目の前の穴が見えなくても、落ちてみれば穴だって気付くよ。それでいいんじゃない?


    に対して、「これって、あたしのこと?」なんて反応が数件あった。

    いや、反応した人だけが、そう思った訳ではないだろう。

    でも、それは皆さん考えすぎ。

    どうして、こうも自意識過剰な反応を示すのかなァ?ブログに日々の不満をぶつけるなんて、誰だってやっていることだよ。

    ここに書いたことは、ブログとは一切関係のない人のこと。

    つまり、パソコンなんか触ったこともない人のこと。

    そんな、他人の書いた文章にその度に一喜一憂していてどうするの?

    確かに、わたしも少し前までは人の書いた文章を気にしてもいたけれど、明らかにこれは自分に対しての悪質な嫌がらせだと思うものに関しては、きっちりと証拠を取った上で、あとは無視することにした。

    まあ、そういう人間たちが同じ時間を共有しているということは実に腹立たしいことではあるけれど、向こうにだって生息する権利はあるしね。

    それはそれとして、他人の幸せに嫉妬する人が最近多くなっているように思うのは、わたしだけだろうか?

    自分が幸せだということは、これでもかというほどひけらかすくせに、それを黙って見せつけられていた人の方が、実は自分よりもグレードの高い生活をしていたと判った途端に手のひらを返すような態度に出る。

    これもまた、自意識過剰人間の業というか、悲しい実態だと思う。

    だから、わたしはいつもあえて卑屈な記事を書く。

    そうしておけば、自尊心人間の優越感を満足させることも出来るから。人は、自分の方がまだマシだと思うと、気分が良いものなんだよね。

    でも、あえてとはいっても、ほぼ実生活に即してはいるんだけれどね。(笑)

    それでも、自分を常に羨望の対象としてしか周囲に表現できない性格というのも、きつい物があると思う。それが本当に実態とマッチしているのならば、周囲だって呆れかえりながらもそれを認めざるを得ないんだけれど・・・・。

    たとえば、鳩山ファミリーのように。

    でも、ほとんどの人は、単に大風呂敷を広げているだけなんだよね。





    

    

    

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学食へ行かない学生たち・・・・・621

~ 今 日 の 雑 感 ~


学食へ行かない学生たち



    大学生になって楽しいことの一つに、学食で食事が出来るという物がある。

    わたしが卒業した大学には、ステラ・マリス(たぶんそうだったと思うんですが・・・)という名称の食堂があって、ここで仲の良い友人たちと昼食をとるのが楽しみだった。

    わたしの好きなメニューは、中華丼であった。この時の味が忘れられずに、卒業後も色々なところで中華丼を頼んではみるが、学食の味にかなう物はなかった。

    もしかしたら、中華丼そのものの味ではなく、友人たちと一緒に食べているという気持ちが、食事を数倍もうまい物に変えていたのかもしれない。

    それに、他の大学の学食も見てみたいと、青山学院大学の学食にもお邪魔して、食事をしたこともある。ここの大きめの貝殻の形をした器で食べるグラタンは、おいしかった。


    ところが先日、信濃毎日新聞のコラムを読んでいたら、今の学生たちは、あまり学食を使わないのだという。

    使わないどころか、一度も学食へ足を運んだことさえない学生もいるという。

    あんな楽しい開放的な空間へどうして行こうとしないのだろうか?あそこで食事をする時ほど、大学生になったという実感を得ることはないと思うのだが・・・・。

    コラムによると、そういう学食とは縁のない学生たちは、コンビニのおにぎりやお弁当で簡単に昼食を済ませてしまうのだそうだ。

    そして、そういう学生たちに訊ねると、彼らは、自分が関心のないものにはまったく魅力を感じないのだという。

    つまり、学食という学生時代の思い出と密接にかかわるであろう場所も、関心がなければ大学時代一度も足を運ぶことがなくても、別にもったいないなどとは思わないのだという。

    かつての学生たちなら、せっかく東京にいるのだから、一度はあの有名百貨店に行ってみたいと思うところが、今の学生たちにはそんな気持ちはさらさらないのである。

    しかも彼らは、それを拒絶しているのではなく、まったく興味がないのであり、視野にすら入らないというのだ。

    自分が好きなことや関心のあることには、たとえ周囲がどうあろうとも徹底的にのめり込むが、関心がない物に対しては、一生知らなくても構わないとさえ思っているようである。

    つまり、自分の意識にかなうごく狭い範囲の関心事には注目するが、自分から遠い問題にはとんでもなく無知だということも言えるのである。

    それで、ようやく判った。

    女子学生に「アジのたたき」を作ってくれというテレビ番組があった時、アジだと信じてカレイをさばいたり、「たたき」という言葉から金槌でアジを潰した者もいたのだが、彼女たちは、それが出来なかったからといって別に落胆することも悪びれることもなかった。

    つまり、そんな「アジのたたき」など、自分には何の関係もない料理なのだから、出来ようが失敗しようがどうでもいいことだった訳である。

    しかしながら、考えようによっては、これは少々怖いことでもある。

    自分の興味の範疇でないことは学ぶ必要性すら感じないという大人たちが、どんどん世の中に出て行くとなると、万事において関連性を持って物事を判断出来る大人が少なくなるということでもあるのだ。

    何か問題が起きた時、目の前にある難題を解決することばかりに気を取られ、実は、その問題を引き起こしている根本原因がいつまでたっても判らないということだってあり得る話である。

    仕事には、まったく関係がないと思われるゴルフが大好きだった判事が、そのゴルフの知識があったおかげで、被告人が主張していた「犯行時間はゴルフをしていた」と、いうアリバイを崩したというエピソードもあったくらいだ。 
 
    人生には、関心がないことも、「とりあえず見てみようか」という「無駄な好奇心」が重要なのである。

    だから、学生諸君、せっかく大学へ行っているのなら、一度ぐらいは学食で食事をしてみて欲しい。

    いつか君たちが親になった時、「お父さんが学生の頃の学食は、こんなメニューがあったんだぞ」と、子供たちに学生の頃の思い出を語る日が来るかもしれないのだから-----。

    
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ど~でもいい話 2・・・・・620

~ 今 日 の 雑 感 ~


ど~でもいい話 2



    「耳の形占い」をやってみました。

    わたしの耳は、逆三角耳。

    縦長で、耳の穴よりも上の方の幅が広いタイプです。




    こういう耳の人は、新しいことや流行りもの好き大胆な発想力で勝負の頭脳派で、頭脳明晰で好奇心旺盛、新しいものやワクワクすることが大好きな性格。

    付き合いがよく、連絡もマメなので友人が多く、輪の中心にいることが多そうです。ただ、頭がよすぎるために、自分の立てた計画通りにコトが進まないのを嫌う傾向が。好き嫌いもハッキリしていて、自分中心でないと気が済まない女王様タイプです。

    また、恋愛に関しては、いわゆる恋に恋するタイプ。「本気になれる相手になかなか出会えない」と嘆いている人も多いのが特徴です。相手を束縛してしまうなど、なぜか考えすぎて一方的な行動に出てしまう恋愛不器用さん。結果よりプロセスを重視するため、結婚という最終決断も遅れそうです。

    お金よりもやりがいで仕事を選ぶ傾向があり、発想力や独自の工夫で勝負しようとします。また転職時も、今とまったく関係のない仕事に挑戦するチャレンジャーな一面も。大変でも、好奇心が満たされていれば満足するタイプです。




    頭脳明晰、頭がよすぎるの部分は「?」ですが、もォ~~~、信じられないくらいに当たっています。

    どうして、こんなことぐらいで、ここまで性格が判ってしまうのでしょうか?

    「耳占い」恐るべし!!



    ま、ど~でもいい話なんですがね。face03



    わたしは、どちらかというと実にせっかちなのです。

    目の前にある片付けなくてはならないことは、すぐにでもやっつけてしまわなければ気が済まない性格です。

    子供の頃の宿題も、休みが十日あれば、最初の三日ぐらいですべて済ませてしまわなければ、おちおち休んでもいられないという、とんでもないイラチでもあるのです。

    にもかかわらず、今は身体が思ったように言うことをきかないので、時々そのイライラは頂点に達します。

    でも、最近は、それでも少しはそんな超短気な性格が緩和されつつあるのかもしれません。

    どちらにせよ、命にかかわることではない-----と、思えるようになったせいかもしれませんね。

    



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相手からの口撃を封じる方法・・・・・619

~ 今 日 の 雑 感 ~



相手からの口撃を封じる方法



    文久三年、浪士隊を率いて将軍家警護の大義を口実に京へ入った幕臣・清河八郎は、浪士隊の面々を前に、非常に難解な言い回しで、「自分たちの真の目的は、将軍家を守ることではなく、天皇を日本国の首領として奉るためである」との演説をぶった。

    この言葉を聞いていた浪士隊の人たちは、ほとんどが清河の話している意味が判らず、一部のサクラが「そうだ!その通り!」と、賛同の意を示したことにつられて、自分たちもそれを支持する意思を示してしまったのである。

    ところが、この演説に疑問を呈した人物がいた。

    その人物は、大勢の浪士が集う中、スッと手を上げると、「自分には学がないので、あなたの言われている意味がよく理解できないのだが、それでも、自分がここへ来たのは、あくまでも将軍家を守護するためであり、それ以外の何ものでもない。もしも、あなたの浪士隊構想の中に、それが含まれていないのならば、自分は、この場で浪士隊から離れる」

    そう言ったのであった。この人物が、のちに京都の治安維持と長州藩士を始めとする勤皇・倒幕派せん滅のための幕府公認の斬殺集団として名をとどろかせた、新選組局長・近藤勇である。

    近藤は、剣の道では天然理心流の達人であったが、元が農家出身であるため、さほど学はなかったと思われる。

    しかし、彼には、人の真偽を見抜く天性の眼力があった。

    こういう近藤のような人物の前では、清河のような学問で身につけた知性をひけらかす者は、実に不利だといえる。つまり、そういう人物は、頭ではなく本能的な感性で相手の正体を見破るというすべを心得ているからである。


    だが、現代社会のわたしたちのようになまじ教育を受けている者たちには、この清河のような言葉巧みに相手を煙に巻く弁術が、意外に効を奏することがあるのである。

    相手から圧力をかけられたり、口げんかの攻撃を受けたりした場合、攻撃相手の思考を一時的に軽いトランス状態へ持って行き、時間稼ぎをする間に逆に主導権を握ってしまうということも可能なのだ。

    たとえば、こんな具合に。

    「どうして、あなた自身が答えを出せないようなことをわたしに訊くの?」

    「あなたは、それを知っているつもりになっていることを本当に信じているの?」

    「言っていることは判るけれど、それでは真実にはならないな」

    「ぼくが信じることを期待しているなら、そんなことにはならなかったよね」

    「自分が信じていたことを知らないの?」

    こんな言い方をされれば、相手は、一瞬何を言われているのか判らなくなるというのである。

    そこで、「答えられないことを、わたしに訊くつもりなのか?」と、やり返す。つまり、ここで、既に非は相手側に移り、あなたは相手を責める方へと立場を逆転出来るという訳である。

    ただ、そんな時、その相手が近藤勇のような人間でないことが重要なのだ。

    もしも、あなたの切り返しを近藤が受けたなら、必ずこう言い返してくるであろう。

    「あんたが何を言っているのか判らないが、それでも悪いのはあんただ」

    と-----。

    

    
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ど~でもいい話・・・・・618

~ 今 日 の 雑 感 ~


ど~でもいい話face03



    入院中にものすごく足が浮腫んで歩けなかった時、看護師さんが「足、たまには洗いましょうね」と、言って、わたしの両足を盥の中へ入れて石鹸で綺麗に洗ってくれた。

    とにかく、二ヵ月以上もお風呂に入っていなかったので、足からは尋常でないほどのアカが出た。

    (超美人看護師さんは、目が点になった・・・)(・_・)Why?

    (ちょっと、友だちっぽくなった若い長身の外科医の先生も覗きに来て、未知との遭遇をした・・・)(+_+)What?

    身体の方は、まったく入浴が出来なかったので(足が上がらないので浴室まで行けない)、せめて、足だけでもと洗ってくれたのだ。

    そして、退院して来てしばらくすると、浮腫んだ左足の親指の爪の際がじくじくと炎症を起こし始めた。

    痛みはないが、カットバンを貼っておいても一向に治る気配がない。

    あまり不安だったので、ある時丸太のような足を必死で持ち上げ、親指をじっくりと観察してみた。

    すると、その傷の中に、何か白っぽい米粒のような物が入っていることに気付いた。不思議に思い、指でその米粒のような物を取りだそうと患部を押すと、米粒のような物はポーンと外へ勢いよく飛び出した。

    なんだろうと拾い上げてじっくり観察すると、なんとそれは、看護師さんが足を洗う時に使った石鹸の欠片だったのだ。

    こんなものが入っていたのでは、傷も治るわけがない。それが出てしまうと、いつしか炎症はおさまり、傷もきれいに消えた。

    浮腫んだ足は、感覚も鈍く、痛みもあまり感じないようだ。

    しかも、傷からは血ではなく水のような液体が出る。

    この傷は、小さかったからまだ何とか治ることが出来たが、これが大きな傷だったら、おそらく簡単には傷口はふさがらなかったと思う。

    浮腫んだ身体は絶対に傷を付けないことと忠告した、医師の言葉は、こういう意味だったのだと実感した。

    まあ、関係ない人には、本当にど~でもいい話なんだけれど・・・・。




    で、最近、ツイッターでもブログでも、「なりすまし」というのが横行しているそうだ。

    つい先だって、この「ナガブロ」でもあったよね。

    たぶん、あれは「なりすまし」-----。

    確かに、タイトルを見つけた時は妙なブログだとは思ったけれど、タイトルの後ろに「~の部屋」ってあったから、な~る・・・・と、納得した。

    それにしても、中野、飯山エリアには、時々摩訶不思議な現象が起きるんだ。

    これも、まあ、ど~でもいい話だけどね。face06

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泣けないわけ 2・・・・・617

~ 今 日 の 雑 感 ~


泣けないわけ 2



    身体の激痛は、何も手術前までのものではない。

    手術後もまた、別の意味のすさまじい痛みとの闘いが始まる。

    それは、全身にひろがる一秒の間断もない空前絶後の激しいしびれである。

    血液中のカルシウム値が5まで下がった(通常は10ぐらいある)信じられない数値によるこのしびれを緩和するため、心臓に直接カルシウムを送り込む静脈カテーテルから、しびれ止めを入れていた。

    しかし、それも気は心といった効果で、全身は常に無数の針で突き刺され続けているような痛みである。

    しびれは、感覚をも麻痺させ、頭皮や顔には一枚ベールをかぶったような奇っ怪な感触がある。

    髪は、どんどん抜け落ち、肌はガサガサになる。

    身体中の関節がこわばり、点滴台を杖代わりにしなければ、一メートルだって満足に歩けない。

    そして、担当医たちも驚愕する足の浮腫みが始まった。

    腎機能が落ちているために、点滴した水分がどんどん足に溜まり始めたのだ。

    最初は、左足の甲の部分が風船のように腫れあがった。

    その後、両脚は、あっという間に膨れ上がり、片足に五キロ以上の水分が溜まり込んだ。つまり、両方の脚で十キロ以上ということになる。

    正に、両脚が大きな水袋状態である。

    水分は、それからも徐々に上半身へと上り、ついには肺にまで入り込んだ。

    つまり、これ以上水が溜まると、地上にいながら溺死するということになる。

    父親は、担当医に向かい、「この脚をなんとかしてくれ!」と、懇願した。しかし、担当医も困惑するばかりだった。

    筋肉も落ち、骨密度などは測定不能。

    一時帰宅はしたものの、自力では自室へ入ることも出来ず、階段を上る時は弟に持ちあげてもらった。

    帰宅中も、一度の入浴も階下へ降りることも出来ず、ただ、部屋で「のだめカンタービレ」の再放送を見て過ごした。

    そして、即再入院。

    しかし、それ以上の特別な治療はない。

    幾つもの検査をしても、やはり、腎機能がどうしてそこまで低下したのかが判らなかった。

    退院して自宅へ戻っても、何も出来ない。しびれは続き、ただベッドで横になるだけの毎日だ。

    両親は、わたしの脚が早く細くなって欲しいと毎日マッサージをしてくれた。わたしも、何とかせめて動けるようにだけはならなくては----と、必死で杖を使いながら歩く練習を始め、そのゾウのような両脚で懸命にリハビリを続けた。

    今日は、十メートル。明日は、十五メートル。

    そんなカメの歩みのような歩行訓練だが、継続は力だ。今では、何とか短時間ならば普通の速度で歩けるようになった。

    しかし、その間、最も苦痛だったのは、全身のしびれや痛みではなく「どうして、もっと早く回復できないの?こうすればいいんじゃない?」と、いう周囲の焦りや素人助言の類である。

    こっちは、必死の思いで毎日生きているのに、何も判らない人が、ただ目の前に病人がいることが辛いと、勝手なお節介をする。これほど、腹立たしく苛立つことはなかった。

    「放っておいてくれ!」と、怒鳴りつけたこともある。

    誰が何を言おうが、自分を回復させられるのは自分だけなのだ。もしも、本気でこちらのことを心配するのなら、言葉などいらないから、通院の時に付き添って欲しい。食事の用意をしなくてもすむように、調理済みの惣菜を持ってきて欲しい。

    入浴時の介助をしてくれと、言いたかった。

    そんな時、初めて自力で洗髪出来た際の担当外科医の一言、「頑張りましたね。おめでとうございます!」と、これだけのすさまじい痛みを耐え抜いた事実を知る内分泌内科医の「本当にご苦労さまでした!」は、どれだけ嬉しかったことか・・・・。

    患者とは、言わば一種のアスリートなのだ。生きるというただ一つの命題に取り組むために、日夜血のにじむような努力を重ねているのである。

    だから、励ましはいらない。

    欲しいのは、称賛の一言なのだ!  続きを読む