学食へ行かない学生たち・・・・・621
2010年06月22日
~ 今 日 の 雑 感 ~
学食へ行かない学生たち
大学生になって楽しいことの一つに、学食で食事が出来るという物がある。
わたしが卒業した大学には、ステラ・マリス(たぶんそうだったと思うんですが・・・)という名称の食堂があって、ここで仲の良い友人たちと昼食をとるのが楽しみだった。
もしかしたら、中華丼そのものの味ではなく、友人たちと一緒に食べているという気持ちが、食事を数倍もうまい物に変えていたのかもしれない。
それに、他の大学の学食も見てみたいと、青山学院大学の学食にもお邪魔して、食事をしたこともある。ここの大きめの貝殻の形をした器で食べるグラタンは、おいしかった。
ところが先日、信濃毎日新聞のコラムを読んでいたら、今の学生たちは、あまり学食を使わないのだという。
使わないどころか、一度も学食へ足を運んだことさえない学生もいるという。
あんな楽しい開放的な空間へどうして行こうとしないのだろうか?あそこで食事をする時ほど、大学生になったという実感を得ることはないと思うのだが・・・・。
コラムによると、そういう学食とは縁のない学生たちは、コンビニのおにぎりやお弁当で簡単に昼食を済ませてしまうのだそうだ。
そして、そういう学生たちに訊ねると、彼らは、自分が関心のないものにはまったく魅力を感じないのだという。
つまり、学食という学生時代の思い出と密接にかかわるであろう場所も、関心がなければ大学時代一度も足を運ぶことがなくても、別にもったいないなどとは思わないのだという。
かつての学生たちなら、せっかく東京にいるのだから、一度はあの有名百貨店に行ってみたいと思うところが、今の学生たちにはそんな気持ちはさらさらないのである。
しかも彼らは、それを拒絶しているのではなく、まったく興味がないのであり、視野にすら入らないというのだ。
自分が好きなことや関心のあることには、たとえ周囲がどうあろうとも徹底的にのめり込むが、関心がない物に対しては、一生知らなくても構わないとさえ思っているようである。
つまり、自分の意識にかなうごく狭い範囲の関心事には注目するが、自分から遠い問題にはとんでもなく無知だということも言えるのである。
それで、ようやく判った。
女子学生に「アジのたたき」を作ってくれというテレビ番組があった時、アジだと信じてカレイをさばいたり、「たたき」という言葉から金槌でアジを潰した者もいたのだが、彼女たちは、それが出来なかったからといって別に落胆することも悪びれることもなかった。
つまり、そんな「アジのたたき」など、自分には何の関係もない料理なのだから、出来ようが失敗しようがどうでもいいことだった訳である。
しかしながら、考えようによっては、これは少々怖いことでもある。
自分の興味の範疇でないことは学ぶ必要性すら感じないという大人たちが、どんどん世の中に出て行くとなると、万事において関連性を持って物事を判断出来る大人が少なくなるということでもあるのだ。
何か問題が起きた時、目の前にある難題を解決することばかりに気を取られ、実は、その問題を引き起こしている根本原因がいつまでたっても判らないということだってあり得る話である。
仕事には、まったく関係がないと思われるゴルフが大好きだった判事が、そのゴルフの知識があったおかげで、被告人が主張していた「犯行時間はゴルフをしていた」と、いうアリバイを崩したというエピソードもあったくらいだ。
人生には、関心がないことも、「とりあえず見てみようか」という「無駄な好奇心」が重要なのである。
だから、学生諸君、せっかく大学へ行っているのなら、一度ぐらいは学食で食事をしてみて欲しい。
いつか君たちが親になった時、「お父さんが学生の頃の学食は、こんなメニューがあったんだぞ」と、子供たちに学生の頃の思い出を語る日が来るかもしれないのだから-----。
<今日のおまけ>
足が未だに浮腫んでいるので、楽に履ける夏用サンダルが必要になった。
そこで、通販でナース・サンダルを取り寄せることにした。
わたしは、以前は良く通販で買い物をしていた。最近は、あまりやっていなかったが、通販は現物が届かなくてはそれが良いかどうか判らないところに難点がある。
自分に合わなくて送り返すのも手間が煩わしいが、気に入った物があった時には、それも仕方がない。
足が未だに浮腫んでいるので、楽に履ける夏用サンダルが必要になった。
そこで、通販でナース・サンダルを取り寄せることにした。
わたしは、以前は良く通販で買い物をしていた。最近は、あまりやっていなかったが、通販は現物が届かなくてはそれが良いかどうか判らないところに難点がある。
自分に合わなくて送り返すのも手間が煩わしいが、気に入った物があった時には、それも仕方がない。
朝は納豆だ!・・・・・638
悪いようにはしないから・・・・・637
人の心は移ろいやすく・・・・・636
ど~なる名古屋場所?・・・・・635
気持ちは伝わらない・・・・・634
顎の骨が腐る!?・・・・・632
悪いようにはしないから・・・・・637
人の心は移ろいやすく・・・・・636
ど~なる名古屋場所?・・・・・635
気持ちは伝わらない・・・・・634
顎の骨が腐る!?・・・・・632
Posted by ちよみ at 20:54│Comments(2)
│ちょっと、一服・・・・・ 31
この記事へのコメント
こんばんは。
そうなんですよね。
人生には無駄なことも必要なんだと思いますよ。
自分の興味があることだけという人生では
寂しいし、話にもならない。
生きていく上では、無駄だと思われることも経験したり、聞いたりして巾を広げていくことが大切なことだと思います。
その無駄だと思われることも、いつか
役に立つこともでてくるのだから、何にでも興味を持って欲しいものです。
そうなんですよね。
人生には無駄なことも必要なんだと思いますよ。
自分の興味があることだけという人生では
寂しいし、話にもならない。
生きていく上では、無駄だと思われることも経験したり、聞いたりして巾を広げていくことが大切なことだと思います。
その無駄だと思われることも、いつか
役に立つこともでてくるのだから、何にでも興味を持って欲しいものです。
Posted by こみさん at 2010年06月22日 22:52
こみさまへ>
今、「ジェネラル・ルージュの凱旋」最終回を観ました。
このストーリーでは、救命救急チームの部長の速水医師が悪性リンパ腫で明日をもしれぬ命となり、救命チームの医師たちは、脳と心臓にある影を転移性リンパ腫だと思い込んでいたのですが、実は、その影は免疫不全から来る膿瘍だということが判り、一命を取り留めるという内容が含まれていました。
つまり、リンパ腫にばかり目が行っていて、単なる膿までも腫瘍だと思い込んでいた訳です。これに気付いたおかげで、膿は抗生物質投与で消え、リンパ腫は、その後の化学療法で治療が可能となったのでした。
これで判るように、自分の得意分野ばかりをどれほど治療しても、根本原因を治療出来なければ何にもならないということなのです。それには、色々な無駄知識が必要なのですよね。
何か事にあたる時も、無駄な知識があるからこそ多方面からの対応が可能になるのだと思うのです。
確かに、自分に興味があることだけの人生なんて、寂しいし、ほとんど使い物になりませんね。人生にはやはり無駄な知識や経験が必要なのだと感じました。
今、「ジェネラル・ルージュの凱旋」最終回を観ました。
このストーリーでは、救命救急チームの部長の速水医師が悪性リンパ腫で明日をもしれぬ命となり、救命チームの医師たちは、脳と心臓にある影を転移性リンパ腫だと思い込んでいたのですが、実は、その影は免疫不全から来る膿瘍だということが判り、一命を取り留めるという内容が含まれていました。
つまり、リンパ腫にばかり目が行っていて、単なる膿までも腫瘍だと思い込んでいた訳です。これに気付いたおかげで、膿は抗生物質投与で消え、リンパ腫は、その後の化学療法で治療が可能となったのでした。
これで判るように、自分の得意分野ばかりをどれほど治療しても、根本原因を治療出来なければ何にもならないということなのです。それには、色々な無駄知識が必要なのですよね。
何か事にあたる時も、無駄な知識があるからこそ多方面からの対応が可能になるのだと思うのです。
確かに、自分に興味があることだけの人生なんて、寂しいし、ほとんど使い物になりませんね。人生にはやはり無駄な知識や経験が必要なのだと感じました。
Posted by ちよみ
at 2010年06月22日 23:38

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