ど~でもいい話・・・・・618

~ 今 日 の 雑 感 ~


ど~でもいい話face03



    入院中にものすごく足が浮腫んで歩けなかった時、看護師さんが「足、たまには洗いましょうね」と、言って、わたしの両足を盥の中へ入れて石鹸で綺麗に洗ってくれた。

    とにかく、二ヵ月以上もお風呂に入っていなかったので、足からは尋常でないほどのアカが出た。

    (超美人看護師さんは、目が点になった・・・)(・_・)Why?

    (ちょっと、友だちっぽくなった若い長身の外科医の先生も覗きに来て、未知との遭遇をした・・・)(+_+)What?

    身体の方は、まったく入浴が出来なかったので(足が上がらないので浴室まで行けない)、せめて、足だけでもと洗ってくれたのだ。

    そして、退院して来てしばらくすると、浮腫んだ左足の親指の爪の際がじくじくと炎症を起こし始めた。

    痛みはないが、カットバンを貼っておいても一向に治る気配がない。

    あまり不安だったので、ある時丸太のような足を必死で持ち上げ、親指をじっくりと観察してみた。

    すると、その傷の中に、何か白っぽい米粒のような物が入っていることに気付いた。不思議に思い、指でその米粒のような物を取りだそうと患部を押すと、米粒のような物はポーンと外へ勢いよく飛び出した。

    なんだろうと拾い上げてじっくり観察すると、なんとそれは、看護師さんが足を洗う時に使った石鹸の欠片だったのだ。

    こんなものが入っていたのでは、傷も治るわけがない。それが出てしまうと、いつしか炎症はおさまり、傷もきれいに消えた。

    浮腫んだ足は、感覚も鈍く、痛みもあまり感じないようだ。

    しかも、傷からは血ではなく水のような液体が出る。

    この傷は、小さかったからまだ何とか治ることが出来たが、これが大きな傷だったら、おそらく簡単には傷口はふさがらなかったと思う。

    浮腫んだ身体は絶対に傷を付けないことと忠告した、医師の言葉は、こういう意味だったのだと実感した。

    まあ、関係ない人には、本当にど~でもいい話なんだけれど・・・・。




    で、最近、ツイッターでもブログでも、「なりすまし」というのが横行しているそうだ。

    つい先だって、この「ナガブロ」でもあったよね。

    たぶん、あれは「なりすまし」-----。

    確かに、タイトルを見つけた時は妙なブログだとは思ったけれど、タイトルの後ろに「~の部屋」ってあったから、な~る・・・・と、納得した。

    それにしても、中野、飯山エリアには、時々摩訶不思議な現象が起きるんだ。

    これも、まあ、ど~でもいい話だけどね。face06

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泣けないわけ 2・・・・・617

~ 今 日 の 雑 感 ~


泣けないわけ 2



    身体の激痛は、何も手術前までのものではない。

    手術後もまた、別の意味のすさまじい痛みとの闘いが始まる。

    それは、全身にひろがる一秒の間断もない空前絶後の激しいしびれである。

    血液中のカルシウム値が5まで下がった(通常は10ぐらいある)信じられない数値によるこのしびれを緩和するため、心臓に直接カルシウムを送り込む静脈カテーテルから、しびれ止めを入れていた。

    しかし、それも気は心といった効果で、全身は常に無数の針で突き刺され続けているような痛みである。

    しびれは、感覚をも麻痺させ、頭皮や顔には一枚ベールをかぶったような奇っ怪な感触がある。

    髪は、どんどん抜け落ち、肌はガサガサになる。

    身体中の関節がこわばり、点滴台を杖代わりにしなければ、一メートルだって満足に歩けない。

    そして、担当医たちも驚愕する足の浮腫みが始まった。

    腎機能が落ちているために、点滴した水分がどんどん足に溜まり始めたのだ。

    最初は、左足の甲の部分が風船のように腫れあがった。

    その後、両脚は、あっという間に膨れ上がり、片足に五キロ以上の水分が溜まり込んだ。つまり、両方の脚で十キロ以上ということになる。

    正に、両脚が大きな水袋状態である。

    水分は、それからも徐々に上半身へと上り、ついには肺にまで入り込んだ。

    つまり、これ以上水が溜まると、地上にいながら溺死するということになる。

    父親は、担当医に向かい、「この脚をなんとかしてくれ!」と、懇願した。しかし、担当医も困惑するばかりだった。

    筋肉も落ち、骨密度などは測定不能。

    一時帰宅はしたものの、自力では自室へ入ることも出来ず、階段を上る時は弟に持ちあげてもらった。

    帰宅中も、一度の入浴も階下へ降りることも出来ず、ただ、部屋で「のだめカンタービレ」の再放送を見て過ごした。

    そして、即再入院。

    しかし、それ以上の特別な治療はない。

    幾つもの検査をしても、やはり、腎機能がどうしてそこまで低下したのかが判らなかった。

    退院して自宅へ戻っても、何も出来ない。しびれは続き、ただベッドで横になるだけの毎日だ。

    両親は、わたしの脚が早く細くなって欲しいと毎日マッサージをしてくれた。わたしも、何とかせめて動けるようにだけはならなくては----と、必死で杖を使いながら歩く練習を始め、そのゾウのような両脚で懸命にリハビリを続けた。

    今日は、十メートル。明日は、十五メートル。

    そんなカメの歩みのような歩行訓練だが、継続は力だ。今では、何とか短時間ならば普通の速度で歩けるようになった。

    しかし、その間、最も苦痛だったのは、全身のしびれや痛みではなく「どうして、もっと早く回復できないの?こうすればいいんじゃない?」と、いう周囲の焦りや素人助言の類である。

    こっちは、必死の思いで毎日生きているのに、何も判らない人が、ただ目の前に病人がいることが辛いと、勝手なお節介をする。これほど、腹立たしく苛立つことはなかった。

    「放っておいてくれ!」と、怒鳴りつけたこともある。

    誰が何を言おうが、自分を回復させられるのは自分だけなのだ。もしも、本気でこちらのことを心配するのなら、言葉などいらないから、通院の時に付き添って欲しい。食事の用意をしなくてもすむように、調理済みの惣菜を持ってきて欲しい。

    入浴時の介助をしてくれと、言いたかった。

    そんな時、初めて自力で洗髪出来た際の担当外科医の一言、「頑張りましたね。おめでとうございます!」と、これだけのすさまじい痛みを耐え抜いた事実を知る内分泌内科医の「本当にご苦労さまでした!」は、どれだけ嬉しかったことか・・・・。

    患者とは、言わば一種のアスリートなのだ。生きるというただ一つの命題に取り組むために、日夜血のにじむような努力を重ねているのである。

    だから、励ましはいらない。

    欲しいのは、称賛の一言なのだ!  続きを読む


泣けないわけ・・・・・616

~ 今 日 の 雑 感 ~


泣けないわけ




    わたしは、近頃、泣いたことがない。

    身体中の骨が潰れて行く激痛をこらえていた時の辛さで、涙はすべて使い果たしたようだ。

    立ち上がる時、起き上がる時、わたしはいつも猛獣のような声で絶叫していた。その声は、隣近所の家にも響いていたと思う。

    寝ても起きても痛みは去らず、畳に敷布団を敷いただけでは眠れなくなり、ベッドに低反発マットレスを二枚重ねしてその上に更に敷布団を敷き、仰向けのままの姿勢で一度も寝返りをうてぬまま、朝まで横になるのだ。

    掛け布団も重すぎて、真冬でも肌がけ一枚をかけられればいい方で、肋骨はそれでも何本も折れた。

    こうなると、頭蓋骨も縮んで薄くなって行くために、耳鳴りがひどくなり、一晩中耳の中でコーランが聞こえているような状態となる。

    心臓が異常な激しさで鼓動し、お風呂に入るとますますひどくなり、水圧で「ド、ド、ド、ド」と、もの凄い拍動をする。

    湿布薬で全身がかぶれ、身体中の傷が炎症を起こして血が混じった黄色い汁が出て来る。

    それでシーツは毎晩染みだらけだ。

    肩が落ち、奇妙なほどのなで肩になり、腕がまっすぐ上に上がらなくなる。

    歯がガタガタになり、眼球も飛び出す。

    手足が異常に熱くなるので、夏などは常に水で冷やさなくてはならない。

    腎臓には無数の巨大な結石が出来、腎機能も落ちる。たまにこの結石が尿管を下る時の激痛は、大の男も失神するという話である。確かに、痛みはすさまじかった。

    気味が悪いほど、食べても食べても痩せて行き、ついには食欲もなくなり、身体中が皺だらけになる。

    下着も痛くて、出来るだけ身体に触れないように、ハサミであちこち切り込みを入れた。

    手術の際、麻酔がかかったあとでその下着を見たスタッフは、おそらく意味が判らなかったことだろう。

    血液中に増えすぎたカルシウムのせいで異常な喉の渇きを覚え、水分を取りすぎるために手足が浮腫み、顔色も青白く膨れる。そのせいもあり、白眼が水で膨らみ、充血する。

    身長は10センチも縮み、背中は丸まり、歩行すら出来ない。

    今は、痛みもかなり引いたが、あの長い間の激痛があまりにひどすぎたために、感動という気持ちさえも失ってしまったようだ。

    人は、痛さを知る人ほど、他人には優しくなれるというが、その痛さも程度ものだと思う。

    あまりに激痛をこらえすぎると、感情すらも薄れてしまうのかもしれない。

    そのせいか、いつも何処か冷めている自分がいるのだ。

    でも、またいつか、花や空を見て心から美しいと思うことが出来るようになるのだろうか・・・・?

    悲しい話を聞いて、涙をこらえるような殊勝な気持ちが生まれるのだろうか・・・・?

    何かに感動するには、ある程度の体力的余裕が必要だということも知った。

    しかし、今の状態も、これはこれで悪くはない。

    痛みがないだけ天国だ。





    

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八十歳だって歩けるようになる!・・・・・615

~ 今 日 の 雑 感 ~


八十歳だって歩けるようになる!



    散歩の途中で、近所に住む八十代前半の主婦に出会った。

    「今、お医者さんへ行って来た帰りなのよ」

    と、言う。その主婦の歩く姿を見て驚いた。主婦は、この冬、凍結した道路で転び、大腿骨骨折をして救急車で運ばれたのである。

    あまりに重傷であったために、近くの総合病院では受け入れてもらえず、長野市の大きな病院へ救急車で向かい、手術を受けたのだそうだ。

    しかし、一緒に住む娘さんも病弱なため、遠くの病院までは面会に行くことが出来ないというので、ある程度傷が回復したのちは、近くの病院へ転院し、そこで毎日リハビリに励んだのだという。

    自分が寝たきりにでもなったら、病身の娘に負担をかけることになる。そんなことは、死んでも出来ないと、既に八十代にもかかわらず、主婦は必死で辛いリハビリを耐え抜いたのだそうである。

    そして、三ヵ月の入院を経て退院したのちも、杖を頼りに雪の日も雨の日も懸命に歩き続けたのだという。

    あれから、五ヵ月。

    もう、杖なしでスタスタと歩けるようになった。

    「毎日欠かさずウォーキングして下さい。一日でも欠かすと、その一日を取り戻すのに、三日かかりますからね」

    医師の言葉に忠実に従い、寝たきりになるところを回避した。

    今もそのウォーキングは欠かさずに続けている。杖は、未だに折りたたんで用心のためバッグの中に入れてはいるが、それを使わなくてはならないことは、ほぼないという。

    どれほど高齢になっても、本人の覚悟と努力があれば回復するのである。また、元のように歩けるようになるのだ。

    これで、証明された。

    身体の何処にも病気はなく、単に筋肉が落ちているだけで足が痛いといっている人は、結局、自身の努力が足りないからなのだと----。

    歩けるのに歩かない。それで、足が弱くなってしまい、ますます子供の世話にならざるを得なくなったという高齢者がどれほど多いことか。

    年のせいだからしょうがないなどという理屈は、もはや通らない。

    そんな気分にすらなってしまうほどの、八十代主婦の頑張りであった。  続きを読む


安かろう、良かろう・・・・・614

~ 今 日 の 雑 感 ~ 


安かろう、良かろう



    「安かろう、悪かろう」という言葉は、良く聞きますよね。

    確かに、安価なものには、それなりの価値や使い勝手しかないようにも思えますが、わたしは、そればかりではないと思います。

    「良いものは、お値段は多少はりますが、飽きが来ませんから長く使えますよ」

    こんな売り文句で商売人は、客に出来るだけ高いものを売りつけようとします。

    でも、長く使えますって、これから何年生きるというのでしょうか?

    50年?100年?----それだけ、使えることに何か意味がありますか?

    わたしの家のご近所にかなり贅沢な暮らしぶりの奥さまがいましたが、「出来るだけ良い物を長く使うためと思えば、高価な物がいいわよね」と、言って、バッグでも着物でも帯でも、室内インテリアでも、それはそれはお金をかけたものを買っていました。

    それもこれも、娘や孫も代々使えるようにとの考えもあってのことでした。

    そして、その奥さまは八十歳になった時、一人娘さんに自分のこれまで買って来た物を譲ろうとしたのですが、娘さんが言うには、「大迷惑だわ。あんな、時代遅れの使い勝手の悪い物、いくら高級品だからって、わたしが使える訳ないでしょ。流行だってあるんだし、あんな無駄遣いをするお金があるのなら、現金でもらいたかったわよ」とのことでした。

    高価な物を買う時は、皆、長年使えるものだからとか、孫子の代まで使えるし・・・とか、思いますが、孫子が使ってくれる保証など何処にもありません。

    要するに、単に自分が欲しいだけのことで、何か理由を見つけて罪悪感なく買いたいがための口実が、「孫子のため」なのです。高い物は、良いなどという理屈も、結局は、それを自分が納得して買うための言い訳にすぎないのです。

    それが証拠に、今の日本で売られている物に、そんなに質に違いのある物はありません。

    デザインに関しては、むしろ安物の方が優れている場合さえあります。

    わたしは、出来るだけ安いもので、自分のセンスと合致するものを選ぶようにして買い物をします。わたしには、子供もいませんから、まずは自分が満足でき、納得できる物が必要なのです。

    それが証拠に、わたしは、たった500円の服を10年経ってもまだ着ています。1000円の靴が気に入っていて、5年以上も履いています。

    何も値段の高い物ばかりが本物ではありません。

    人間だって、同じです。肩書きのたくさんある人が、素晴らしい人とは限らないはずです。

    高い物は良い----日本人の目は、他の国の人たちよりも本質を見抜く力に優れているといわれているのですから、もう、こんな認識を改めても良い時代なのではないでしょうか?

    

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手は口ほどに物を言う・・・・・613

<今日のおまけ>

    最近の女性たちは、晩婚化に反して、専業主婦思考がより強まっているという。

    少し前までの女性たちは、男性と肩を並べたい。男性のように働きたいと頑張っていたが、今の若い女性たちは、生活自体に疲れていて、誰かほかの人のお金で贅沢をしたいと考えることが主流になって来たようである。

    でも、ただの専業主婦では物足りない。自分たちも何らかの形で社会とはつながっていたいのである。

    そこで考え出される手段が、お金持ちの男性と結婚し、子供は一人か二人。なんせ子供も一種のファッションアイテムだから、大勢いたのでは格好が悪いのだ。

    少しばかりの社会奉仕をしながら、午後は気心の知れたママ友たちとまったりとお茶を飲んで過ごす。

    これが、全国統計から見る若い女性たちの結婚思考なのだそうである。

    何だか、「金妻」時代に逆戻りしたみたいだなァ・・・・。face03  


ホームレスをなくす!・・・・・612

~ 今 日 の 雑 感 ~


ホームレスをなくす!



    先日の国会における菅総理大臣の所信表明演説に、「ホームレスという言葉には、二つの意味がある。一つは、皆さんが良く知っているハウスレス。これは、物理的に家がないという人たちのことだが、ホームレスという言葉には、もう一つの意味がある。それは、家はあるが誰とも会話する機会がない一人暮らしの高齢者だとか、周囲の人たちとの交流がないまま孤独死を迎える人たちのことである。国は、むしろ、こういう意味でのホームレスの人たちへの支援を考えなくてはならないと思う」と、いうものがあった。

    そして、奇しくもその菅総理の懸念が現実となった事件が起きたのである。

    44歳で寝たきりの病気の父親を、17歳の塗装工の長男が殺害したのである。

    父親から頼まれての嘱託殺人であった。

    父子は二人暮らしで、母親はいない。父親は病気でも入院することが出来なかったそうだが、おそらく国民健康保険への加入も困難なほど貧しかったのだろう。

    父親は、いつも死にたいと漏らしていたそうだが、さすがに子供に親殺しを頼むことも出来ず、始めのうちは友人に頼んでいたそうである。

    しかし、友人もそんなことは出来るはずもなく、ついに思い余った父親は、長男に自分を殺してくれるように頼んだのだそうである。

    事件当日、父親は、息子に向かい、自分の頭にビニール袋をかぶせ首の部分をガムテープできっちりと巻いてくれと頼んだという。しかし、息子は、実の父親を殺害しようなどという気持ちにはなれなかったようで、首に巻くテープを気持ち緩めにした。

    すると、父親は、「もっとしっかり巻け」と、長男に言い、「それを巻いたら、外へ出ていろ」と、命令したので、長男は言われる通りにしたのち、家の外へ出ていて、しばらくして戻ってみたら父親は窒息死していたということであった。

    実の父親を手にかけねばならなかった長男の気持ち。

    最愛の息子に親殺しを頼まなくてはならなかった父親の気持ち。

    どちらも、これほどの悲劇はない。

    まだ44歳という若い父親である。もしも、行政がもっとこの家族に踏み込んだケアを施していたとしたら、父親は死なずに済んだのかもしれないのだ。

    いや、病気も治っていた可能性だってある。

    この長男は、おそらくは保護観察処分で罪には問われないかもしれないが、それでも、一生父を殺したという現実の重荷を抱えながら生きて行かねばならないのである。

    菅総理が本気でホームレスをなくそうと考えているのならば、こうした世間の末端で苦しんでいる人々のためにこそ予算を使うべきなのではないかと考える。

    このような悲惨な事件が二度と繰り返すことのないように、次期内閣には取り組んでもらいたいものである。

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バスの夢を見たら・・・・・611

~ 今 日 の 雑 感 ~


バスの夢を見たら・・・icon17



    夢の中では、良く乗り物が出てきますね。

    この前は、鉄道の夢について書きました。

    そこで、今度は、バスやバス停が夢に出てきたら、いったいどういう意味を持つのかを考えてみたいと思います。

    バスは、大勢の人と一つの空間を共有する乗り物です。

    ですから、協調性や常識、順調さなどを表わすといわれています。

    もしも、バスの運転手でもないあなたが、バスを運転する夢を見たとしたら、近いうちに会社などで責任のある立場に立つことになるかもしれません。

    たとえば、何かの行事の代表や、仕事の取りまとめ役などです。

    観光バスに乗っている夢は、周りの人たちとうまく行くことを示していて、順調な人間関係や楽しい時間を意味していると言えます。

    バスに乗り遅れまいとしている夢は、会社や社会の規則を守ろうとしている夢ですが、あまり規則に縛られて自分の個性を失わないようにしましょうという警告でもあります。

    また、バス停でバスを待つ夢を見た時は、周りの人たちと協調性を持ち、自分勝手な振る舞いは避けて下さいという暗示です。

    そして、バスに乗り遅れる夢は、周りから孤立する気配を意味します。周囲とのバランスを大切にしましょう。

    バス停でバスを待っているのに、どのバスも停まらずに通り過ぎてしまう夢は、もっと自己主張するべきだという意味を持っています。あまり引っ込み思案にならないで、言いたいことは積極的に言ってみましょうという暗示だそうです。

    バスが満員で乗れない夢は、自分が必要とされていないのではないかという不安や恐れの感情は反映したものです。仕事でもプライベートでも、努力が大切かもしれません。

    バスを乗り換える夢は、転職やこれまでの環境を方向転換する時期が来ているのかもしれません。タイミングを逃さないように気を付けましょう。

    ただ、ぼんやりとバスに乗っている夢は、スランプに陥っているのかもしれません。周りのなすがままにならないことも時には大事です。

    バスが暴走する夢は、集団心理が悪い方向へ向かっていることを暗示しています。自分の価値観を信じて、周りに流されないように踏ん張りましょう。

    実は、わたしもバスに乗る夢は良く見ます。

    ところが、鉄道の時と同じように降りるはずの駅で降りられなかったり、バスが恐ろしい速さで暴走したりする夢も時々あるのです。

    これは、夢の意味を信じるとすれば、明らかに周りの雰囲気に流されてはいけないという暗示だと思われます。

    自分自身のスタンスをしっかりと守り、我が道を行くことが大事なのだという警告なのでしょう。  続きを読む


消えた赤いハンカチ・・・・・610

~ 今 日 の 雑 感 ~


消えた赤いハンカチ



    岡山県新見市のある過疎地の村では、十二年前から足腰の弱いお年寄りたちのために、郵便局の局長さんが親身になって頼みごとを引き受けたり悩み相談に乗って来たそうである。

    局長さんは、一人暮らしのお年寄りたちに郵便局のマークのついた「赤いハンカチ」を配り、何か頼みごとがある時は、このハンカチを家の前に下げておいて欲しいとお願いしたのだそうである。

    すると、あちらこちらの家にこの「赤いハンカチ」が下がるようになり、その家を配達員が訪ねると、「買い物を頼みたい」とか「手紙を出したいんで持って行ってくれ」とか、時には、「訪問販売で高額の布団を買ってしまったんだが、解約したい」と、いう依頼を受け、局長さん自ら相手の業者と交渉したこともあったという。

    ところが、郵政民営化が進み、この地域の郵便事業は別の地域と併合されてしまったがために、今ではこの局長さんが行なっていた配達員による高齢者宅まわりが出来なくなったしまったのだという。

    「手紙を出したいので取りに来てほしい」と頼めば、郵便局側も今まで通り取りに来てはくれるが、そこで「じゃァ、貯金も頼む」と、言っても、それは分社化により所管が違うと断わられてしまうので、結局、お年寄り自身が出て行かなければならなくなると、悩みは尽きないという。

    新しい郵便制度では、「赤いハンカチ」は、何の役にも立たないために、局長さんはそのハンカチを回収してあるいたという。

    これまでは、配達員が各家庭を回るたびに「お茶を飲んで行きなさい」と言われ、世間話で時間をつぶすこともあったが、今では、郵便配達をする人たちの人数も限られており、配達区域が広範囲に及ぶようになったので、とてもお茶をごちそうになっている暇などないと、郵便局員と地域の人たちの間は、どんどん疎遠になって来たという。

    郵政民営化は、肥大化しすぎた郵政事業をスリム化させる目的で行なわれ、都市部に住む人々にはそれでもいいかもしれないが、結局、民営化を進める際にもっとも懸念された過疎地切り捨ての問題が現実化しているのである。

    菅内閣は、この問題にどう取り組むのか?

    国民新党の亀井元郵政担当相がこの制度の見直しを求めている意味も、判らなくはないといういのが本音だろう。

    業務の効率化とコストの削減、そして、過疎地住民たちへのサービスをそれぞれ考えた時、どうしても矛盾が生じてしまうのも当然と言えば当然だが、何とか双方のバランスを取る方法はないものだろうか?

    考えさせられる事実である。

    でも、わたし個人としては、郵便配達のおじさんが、配達先のお宅の風鈴の下がる縁側で麦茶を飲みながら家の人と談笑している夏の風景、嫌いじゃないんだけれどなァ・・・・。face02  続きを読む


思春期の正義感・・・・・609

~ 今 日 の 雑 感 ~


思春期の正義感



    先日、中学三年生の男子生徒が、友人がいじめに遭っているのを止めることが出来なかったという理由で自殺したというニュースを新聞で読んだ。

    学校側も、保護者たちも、警察でさえ「そんな理由で自殺するなど考えられない。何か他にももっと重大な悩みがあったはずだ」と、困惑しているという話だが、わたしは、充分にあり得ることだと考える。

    これは、わたしが確か小学生の頃に担任の先生から聞いた話だが、太平洋戦争が始まった時分、当時のある中学校で教師が男子生徒たちを前に楠正成の小説を読み聞かせたというのである。

    それから、しばらくして、その中の男子生徒の一人が、ただ単に楠正成の生涯に共感したという理由だけで、自殺したというのであった。

    おそらく、男子生徒の気持ちは、楠正成の後を追うといったものではなかったかと、その教師は話していた。

    自分が十代の頃のことを思い出してみれば判るだろうが、とにかくすべてに対して潔癖主義ということはなかっただろうか?一転の曇りや汚点も許せない。

    それは、自分自身に対してでもあり、また他人に対してでもある。

    善は善、悪は悪-----。彼らの心の中に、グレーゾーンは存在しないのである。

    だからこそ、太平洋戦争当時も十四、五のまだほんの子供たちが硫黄島で手榴弾自決するなどという悲劇が起きたのである。彼らの純粋で清らかな正義感を、大人たちが利用したのだった。

    沖縄の女子挺身隊の少女たちの惨劇も、正に、大人たちによって演出されたものとしか言いようがないと、わたしは思うのだ。

    この「いじめを止められなくてごめんなさい」と、素直な正義感から自殺した男子生徒も、おそらくはそういう彼らと同じ気持ちだったのではないだろうか?

    「いじめは悪いことです。周りの人たちも、見て見ぬふりをするのではなく、積極的にいじめを止めるように努力しましょう」

    もしも、大人たちがこうした教育を彼ら生徒にしていたとしたら、それを自分自身の義務だと感じてしまう子供も中にはいるかもしれない。

    特に、責任感の強い生徒は、そう思い詰めてしまうこともあるだろう。

    子供たちの素直な心をどのように成長させて行くべきか、親や教師たちにまた一つ新たな問題が課せられたといっても過言ではないのかもしれない。
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髪の毛の夢を見たら・・・・・608

~ 今 日 の 雑 感 ~


髪の毛の夢を見たら



    メールを送ろうとしていて、クリックの途中でもう一度文面を見直そうとマウスを押しっ放しにしていたら、弟がそばで大声で怒鳴っていた。

    「さっさと、手を放せ~~~!!」

    


    まあ、それはそれとして-----。

    髪の毛の夢を見ることはありますか?

    髪は、体調や気持ちが反映する部分ですから、案外、夢には意味があるものだそうです。

    あなたの髪が黒々とつやのある美しさをキープしている夢は、心身ともに健康で活力があることを示しています。何事も順調で、特に恋愛面がうまく行く兆しがあります。

    金髪の人が夢に現われたら、あなたの向上心が高まっていることを意味しています。また、あなた自身の髪が金髪になっていたら、教養を磨くことで運勢が好転する暗示だといいます。

    髪をとかす夢は、問題が解決し、運勢が上向く兆しです。そして、髪を洗う夢を見た時は、トラブルや困難が去り、気分もすっきりすることでしょう。

    しかし、髪が抜ける夢は、損失や健康状態が下降する暗示です。体調の変化に注意しましょう。

    禿げる夢を見た時は、将来に困難が待ち受けているかもしれません。恋人、妻(夫)、財産、地位などを失う可能性もありますから、慎重な行動が求められます。

    そして、突然白髪になる夢は、思いがけないトラブルや挫折に見舞われる暗示です。言動には注意した方が賢明かもしれません。

    髪を染める夢は、見当外れのことをしようとしている暗示で、髪がもつれてイライラしている夢は、人間関係のもめごとが起きる前触れともいえます。

    髪を切る夢は、気分転換したいと思っている証拠で、ヘアスタイルを変える夢は、あなたの気持ちに何らかの変化が生じ始めている兆しです。

    かつらをかぶる夢は、劣等感を持ったり本心をごまかしている場合であり、他人がかつらをかぶる夢は、その人が知り合いならば、「この人に、騙されないように」と、警告してくれているのです。

    自分の髪が汚れているのは、今の考え方は間違っているので、改善しなさいという警告だそうです。そして、知り合いの髪が汚れている夢は、あなたが、その人に対して不信感を抱いている証拠だといいます。自分の気持ちに素直になりましょう。

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徒 然 雑 感 8・・・・・607

~ 今 日 の 雑 感 ~


徒 然 雑 感 8



    ちょっと前に書いた記事で、内容が古くなって来ましたので上げてしまいます。


    栃木県足利市で見知らぬ女性に抱かせてもらった乳児を骨折させたとして、無職・五月女裕子容疑者(28)が逮捕された事件。

    五月女容疑者が「幸せそうな親子がねたましかった」と容疑を認める供述を始めたという。

    警察によると4月以降、同様の相談が十数件あり、五月女容疑者は逮捕当初、容疑を否認していたそうだ。

    警察には4月、「見知らぬ女に子どもを抱かれ、あざができた」という相談が1件あり、五月女容疑者の逮捕後、十数件寄せられた。

    うち二件は骨折の疑いもあるという。

    発生場所は足利市内のほか、群馬県太田市のショッピングセンターも含まれているそうだ。

    最近は、こうした「妬み」が動機の犯罪って、本当に増えたよね。

    「わたしにはないのに、どうしてあの人にはあるの?」

    「何で、世の中はこんなにも不平等なの?」

    かつてのように、日本中の大部分の人たちが貧しく思い通りの暮らしが出来ないことが当たり前だった時は、こういう嫉妬による犯罪というのはあまりなかったように思う。

    しかし、ひとたび日本人全員が中流意識を持ったのちの貧困や差別は、貧富の差がすぐ隣り同士で起きるようになってしまったため、こうした嫉妬や理不尽さが動機の犯罪を増加させているのではないかと思う。

    わたしの家の近所にも、両親は既になく兄弟は東京に住んでいてほとんど音信もないという若い一人暮らしの女性がいる。彼女の暮らしは瀟洒な庭付きの家に一人住まいの優雅な独身と、周囲の主婦たちには思われていて、時々嫌みさえ言われているが、しかし、彼女に言わせれば、どちらが贅沢かと思うそうだ。

    「わたしには、もう、頼る親がいない。独身だから夫も子供もいない。病気やけがをしても、病院へ連れて行ってくれる人もいない。こんな生活の何処が優雅だというのだろうか?主婦たちは、勘違いをしているんだ。あなたたちには、最後に頼れる夫も子供もいるじゃないか」

    人は、皆、隣の芝生は青く見えるものなんだ。

    でも、その芝生の中へ入れば、刈り込みや草取りなどの手入れはしなければならないし、どれだけ大変か判らない。

    わたしだって、子供の頃「ピアノのレッスンなんか出来て、幸せね」と、人には羨ましがられたが、冗談じゃないと思っていた。あのもの凄いスパルタ教育で、時にはひっぱたかれながら泣きながらレッスンしていたことなど、そう言う人たちはまったく知らないからだ。

    だったら、あんたが代わりに習ってみれば?一日だって務まりはしないから-----。そう思った。

    その乳児の足の骨を折った五月女容疑者だって、実際に子供一人を育ててみれば、どんなに育児が過酷なものかが判るはずだ。人間一人を一人前に育てるということは、自分の希望や夢をあきらめなくてはならないということが、おそらく彼女には判らなかったのだろうと思うのだ。

    
  

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剣道の面と小手を清潔に保つ・・・・・606

~ 今 日 の 雑 感 ~


剣道の面と小手を清潔に保つ



    先日、「剣道の胴着と袴の洗い方」についてアップしましたが、その際、面と小手はただの水洗いも禁物ですと書きました。

    しかし、他人の使ったレンタル防具を使わなければならないなど、どうしても臭いや汚れが気になる場合は、やはり洗っておいた方が衛生上良いと思われます。

    ひどい臭いがあるということは、雑菌が多く繁殖しているということですから、ファブリーズなどの消臭殺菌剤だけでは対処しにくい場合もあるのです。

    そういう時は、防具の型崩れに気を付けながら、まだ未使用の歯ブラシを使って慎重に水洗いすることをお勧めします。

    そして、特に汚れがひどい個所は、洗濯洗剤を少量付けた歯ブラシで優しくこすり洗いして下さい。その後は水で洗剤を流し、タオル等を使い手で押しながら水分を取ります。

    それから、風通しの良い廊下などへ置いて乾かします。

    また、小手に関しては、出来るだけ雑菌の繁殖を抑えるために、小手をはめる前には必ず石鹸で肘のあたりまでの手洗いをすることをお勧めします。

    学校や会社で色々な物を触った後、直に小手を付けると、汚れと汗が混じって小手の内部はさながら雑菌の巣になってしまうからです。そうなると、臭いだけではなく、病気を感染させる原因にもなり兼ねません。

    また、大人の剣道愛好者の間では、小手を付ける時、市販されている薄い布の手袋を付けてから小手をはめることがほぼ常識となっているようです。手袋が汗を吸い取ってくれますから、それを洗濯すればよい訳で、汚れや臭いはかなり軽減できます。

    なお、洗濯により胴着や袴が色あせすることも踏まえて、通常の稽古着とは別に、予め昇段・昇級試験用の新しい物を用意しておくのがベストでしょう。

    ただ、指導者によっては、出来るだけ防具の洗濯はしない方がよいという方針の人もいますので、以上のことも一概には強要出来ません。

    剣道については、また何かありましたら、随時書きたいと思います。

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夫の存在価値・・・・・605

~ 今 日 の 雑 感 ~


夫の存在価値



    サッカー日本代表、カメルーンに勝ちましたね!

    勝ち点3をゲットしたことは、実に良かったと思います。気候が涼しいのも幸いしたのかもしれませんね。





    「あんなクソジジイ、早くくたばってくれればいいのに!!」

    いつも、苛立ちを露わにしながら悔しそうに話していた近所の主婦が、今日は、違う意味で不機嫌だった。

    主婦がクソジジイと呼んでいる彼女の夫が、久しぶりの同級会で遠方へ泊まりがけで旅行に出かけたのだという。

    それならば、うっとうしい夫が一時でも消えてくれて清々しているかと思いきや、すこぶる機嫌が悪い。

    この主婦は、二人の子供も既に所帯を持って独立しているので、夫と二人暮らし。夫がいない間は、家の中の用事もすべて自分一人で行なわなければならないのである。(当たり前と言えば当たり前)

    ただでさえ、足が弱く、痛みも抱えている彼女は、病院へ行くにも買い物に行くにも、頼りは夫の運転する自家用車である。どんなに、「クソジジイ」と、悪態をついても、夫という運転手がいなければ、彼女は何処へも行けないのだ。

    それも、夫に頼みさえすれば何処へでも連れて行ってくれるという安心感が彼女にはあったので、足が痛くてもリハビリしようという努力を怠っていたのである。

    そのせいで、家の中の用事もテキパキと出来なくなった彼女に不満が高じて、夫もつい怒鳴りつけてしまうのだ。

    正に、悪循環といっていい。

    その主婦に、こともあろうに、夫の留守中、ちょっとしたアクシデントが生じたのである。主婦の前歯が欠けてしまったのだ。主婦は、食べることだけが趣味のような人であるから、歯が欠けたなど一大事である。

    すぐに近くの歯科医院まで行こうと家を出た。 

    歯科医院までは、なだらかな坂道ではあるが、約300メートルほどの距離がある。(まさか、この程度の距離でタクシーを飛ばす訳にも行かない)

    普通の人の足ならば、ゆっくり歩いても5分とはかからない。しかし、足の弱い彼女は、100メートルも行かないうちに息切れがして、道端にあるベンチへ腰をおろしてしまった。

    しかし、何とか気を取り直して、また、頑張って歩き始めたが、更に100メートルほど歩いて、またベンチを見つけて座り込み、歯科医院へ着いた時は、息も絶え絶えの様子であったという。

    そして、治療を終えて家へ帰って来てから、足の痛みはさらにひどくなった。

    両足に何枚も貼り付けた湿布薬を見せながら、主婦は怒り心頭である。

    「まったく、こういう時に限っていないんだから!あたしがいて欲しい時にいなくて、どうでもいい時にばかり家の中でグウタラしている。どうしようもないクソジジイだわ」

    実に、勝手な言い分である。

    独身のわたしに向かって、「あんたは、いいわよね。気を遣う旦那もいないし、良いご身分だわよ」と、彼女は言うが、わたしに言わせれば、好きな時に自動車を出してくれて、病院や買い物に付き合ってくれる夫を持つ彼女の方が、よほど良いご身分だと思う。

    今度のことで、彼女も、自分がどれほど恵まれた存在か気付いたのではないだろうか?

    彼女の歯科医院通いは、これからも続く。しかし、わたしは、ご主人に、たった300メートルの距離を自家用車で送り迎えすることだけはやめなさいと、忠告したいと思った。  続きを読む


子供の成長に必要なこと・・・・・604

~ 今 日 の 雑 感 ~



子供の成長に必要なこと




    この間、あるナガブロガーさんの記事を読んでいたら、驚いたことに、我が家のことがかなり詳しく書かれていました。

    本当に偶然見つけたのですが、とても好意的な記事で、嬉しかったです。

    ありがとうございました。face02




    考えてみれば、わたしが子供の頃は、両親がとにかく忙しく、一緒に何処かへ旅行をしたなどということがほとんどなかった。

    一度だけ、何故か一家で東京へ一泊二日で行ったことがあったが、それが最初で最後の家族旅行だった。

    そして、我が家は自営業をしているので、幼い頃から家の手伝いをするのは当然で、ほとんど大人と同じ仕事を任されていた。

    だから、わたしの世話は、従業員の女性がしてくれており、保育園の遠足も親に付き添ってもらったことは一度もない。

    食事も両親と食べたことはなく、いつも弟と二人だけの食卓だった。

    でも、観光地の子供たちは、皆ほとんどがこんな子供時代を過ごしているはずなのだ。だから、子供たちがやたらに逞しい。子供は子供の確固たる社会を築いていて、ほとんどの行動が子供だけの単位で動くのである。

    さらに、子供たちは、家の仕事の大切な担い手で、農家の子供たちなどは、三、四歳の頃から牛やヤギなど家畜の世話をしたり、田畑の管理、収穫作業なども大人顔負けにこなしていた。

    忙しい母親に代わって三度の食事を作っていた女の子や、大勢の弟や妹の面倒を見ながら国立大学へ入った男の子もいる。

    しかも、加えて塾へ行ったり、勉強もそれなりにしっかりとやらなくてはならず、とにかく、寝る暇もなかった。

    考えてみれば、本当に頭のいい子は勉強などほとんどしなかったのではないかと思うのである。

    また、そういう忙しい子供たちのために、「稲刈り休み」などと称する特別な休日もあったほどだ。

    その分、夏休みや冬休みが削られていた。

    そして、他県では驚かれる「寒中休み」もあった。この期間は、あまりに雪が多く寒過ぎて、学校へ出て来るのが大変だという配慮から設けられた休日であった。

    むしろ、サラリーマンの子供たちの方が少なかったので、彼らが、そういう休みの日を利用して親子で何処かへ旅行したなどという話を聞いた場合、「卑怯者」のレッテルを貼ったりもしたくらいである。

    でも、今は、サラリーマンの子供たちが多くなり、農家や自営業者の子供たちの数が減って来たので、「稲刈り休み」はなくなってしまったという。

    平日も休日もなく、親子の団らんも経験できず、大人と同じように働きながら、それでも何一つ不満も言わずにわたしたちの世代の子供たちは過ごしていた訳である。考えてみれば、驚くべき時代であった。

    でも、今のように子供が親を殺すなどというような事件は、皆無であった。

    親の働く姿が子供たちに見えなくなってしまうサラリーマン世帯主体の世の中になったことが、このような悲劇的時代を生み出しているのではないかとすら思うのだ。

    わたしたち世代の、親と一緒に働いていた子供たちは、否応なしに親の背中を見て育つ。

    「こんな生活、ご免だ」と、思う子供もいたが、「親は、偉い」と、思う子供たちも多かったはずだ。働くといういことがどれほど大変で、でも、そうしなければお金が手に入らないのだということを知らず知らずのうちに学んでいた子供たちと、自分の知らないところで父親が儲けたお金をただ使うだけの子供たちの意識の差が、歴然と表れて来たのである。

    親は、子供にもっと自分たちの働く姿を見せるべきである。他人に下げたくもない頭を下げ、上司におべっかを使いながら必死で給料をもらう姿を、子供に見せるべきではないのだろうか。

    少なくとも、わたしたちは毎日そういう親たちの姿を目にしながら育ってきた。

    今一番子供たちに必要なことは、学問やスポーツで優秀な成績を収めることよりも、まず、自分の親がどうやって自分を養ってくれているのかを学ぶことなのではないかと考える。      続きを読む


ホテル・旅館の夢・・・・・603

~ 今 日 の 雑 感 ~


ホテル・旅館の夢



    小惑星探査機『はやぶさ』が、「イトカワ」で砂を採取した可能性のあるカプセルを放出、大気圏突入で消滅しました。

    まるで、親鳥が卵を産んで消えたかのような最後です。

    本当は、2007年に地球帰還の予定だったのが、約3年も遅れたことになります。しかし、彼女は、しっかりとミッションを果たしました。ちょっと、感動ですね。icon22




    わたしは、時々、ホテルや旅館などの自宅ではないところへ泊る夢を見ます。

    それほど、頻繁に旅行をした訳でもないのですが、よほど別の場所に泊るということにインパクトを覚えているようです。

    実は、つい先日もホテルに関する不思議なシチュエーションの夢を見ました。

    わたしは、友人と二人で山の温泉宿に来ています。

    その友人というのが、何と女性タレントさんなのです。ところが、宿泊したホテルがひどく古くて、泊った部屋も引き戸のドアは傷だらけ、部屋の真ん中には炬燵もあるのですがその炬燵板もひしゃげている有り様で、とにかく室内も狭いうえに、棚の上には何体ものひな人形らしきものが飾られているという、とんでもなく貧相な夢なのです。

    そして、わたしは、「こんな部屋しかないなんて、おかしいよね。絶対にもっといい部屋が空いているはずなんだよ」と、愚痴をこぼし、タレント女史は、「しょうがないじゃん。ここでも泊まれるだけいいよ。でも、あたし、何だか風邪ひいちゃったみたいだ。ゾクゾクする・・・・」と、言って、部屋の隅に積まれている座布団に身体をもたれかからせるのです。

    ホント、おかしな夢ですよね。

    わたしの夢の中には、基本、美人はあまり登場しません。どちらかというと、親しみやすい親近感ある顔の人がよく現われるようです。(でも、美男子は、それなりに登場します)(*^_^*)

    この夢をわたしなりに分析してみますと、みすぼらしいホテルや旅館に泊まる夢は、休養のチャンスを逃しているという意味で、もしかしたら、誰かに傷つけられるかもしれないという暗示だそうです。

    確かに、この後、ちょっと凹むことがありました。

    貧弱なテーブルや壊れたテーブルの夢は、計画がうまく運びにくくなるかもしれないという意味もあり、経済的ピンチの暗示でもあります。

    確かに、一瞬、ヤバそうな感じにもなりましたが、もともと経済的にはピンチですから、仕方がありませんね。

    そして、有名人は、いつもテレビなどで観ているので、夢の中でも想像しやすいのだそうです。そして、彼女が風邪をひいたということは、病気の夢という観点からして、現実からの逃避を意味するのだそうです。

    また、たくさんの人形は、孤独感の表われとも・・・・。

    こう考えると、わたしの夢は、いつも不安感で満ちているということになりそうですね。

    まあ、さもありなんです。

    ただ、ホテルや旅館の夢を見た場合は、おしなべて、その人に休養が必要だということを示しているようです。

    でも、わたしの場合はいつも休養のような日々のはずなのですが、やはり、身体がまだ本調子でないので、何かをやる時、普通の人の何倍も疲れてしまうからなのかもしれませんね。

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窓の夢の意味・・・・・602

~ 今 日 の 雑 感 ~


窓の夢の意味



    「窓」-----夢の中で、これが出てきたら、いったいどのような意味があるのでしょうか?

    「窓」は、コミュニケーション、希望、可能性、チャレンジ精神、好奇心などを表わす物の象徴だと言われています。

    ですから、窓から日が差し込んで来る夢は、運勢は上昇している兆しだと言われます。幸運をつかむチャンスに恵まれるかもしれません。

    窓を開けて外を眺める夢は、社会で起きている出来事を積極的に見極めようとしている気持が表われた夢です。その外の景色が美しいと感じるものならば、社会へ出て行く自立心が育っている証しだと思われます。

    あなたが窓から外へ出て行こうとする夢は、意外な発想が問題解決のきっかけになるかもしれません。考え方を柔軟にすることが大事でしょう。

    逆に、窓から家の中へ入る夢は、新しいチャンスや思いがけない幸運に恵まれる夢です。

    窓を探す夢は、問題解決の糸口を発見するかもしれないという暗示です。

    開いている窓の夢は、金運が上昇する暗示だそうです。

    しかし、閉じている窓があまりに大きな場合は、楽しいことや気分転換を求めている気持ちが反映しているそうで、それだけあなた自身の現実が厳しいことを示しているようです。

    窓に灯りがともっている夢は、何か生活に変化が起こる前触れだそうです。周囲の状況に気を配る必要がありそうです。

    窓のない部屋にいる夢は、社会への無関心、周りの人たちへの鈍感さを示しています。そのままでいると、トラブルや困難に直面しますよとの暗示だそうです。

    そして、壊れた窓や日々の入ったガラスは、あなたの心が傷ついている証拠ですから、自分を癒す方法を見つけることが大事です。信頼できる人の言葉が、力になるでしょう。

    「窓」の夢は、正にあなた自身の気持ちが見せているのです。

    その窓から何が見えるのかにも、気を配っておく必要があるかもしれませんね。  続きを読む


徒 然 雑 感 7・・・・・601

~ 今 日 の 雑 感 ~


    
徒 然 雑 感 7




    わたしは、(以前もブログに書いたことだけれど)ブログに上げる記事は必ずしも自分が本当に思っていることではなく、「こういう見方をする人だっているはずだよね」とか、「それじゃァ、この反対の意見の人はいないのかな?」などと考えて、あえて多方面からの見方を記すこともあるんだよね。

    「物事を眺める時は、常に批判の目を持って見なければ、真実には届かない」

    ジャーナリズムの原点だと教えられた。

    まあ、ブログ上では、そんな肩ひじの張った考えを持って書いている訳ではないのだけれど、やはり、習性は抜けないんだよね。

    だって、褒めるばかりの文章なら、わたしじゃなくても書いてくれる人はいくらもいるでしょう。

    それに、みんなと同じ意見じゃ、ブログだってつまらないじゃない。

    こんな話もあったよ。NPBの阪神タイガースの大ファンは、阪神が試合に負けた翌日の新聞を買う時も、何処かに『阪神勝利』と、書かれている新聞はないものかと探すんだって。

    それだけ、人の気持ちは多彩なもんなんだよね。

    嘘でもいいから、自分と同じ考えの人はいないかな?---って、思う気持ち、判らなくはないよね。

    ところで、「会社更生手続き中の日本航空は7日、パイロットの自宅と空港間をタクシーで送迎する待遇を打ち切る方針を明らかにした」ってニュースを読んだけれど、「金融機関などから批判の強いパイロットの厚遇を薄めることで、コスト削減を図るとともに、金融支援への理解を求めたい考え」なんだそうだね。

    パイロットって、確かに常人がおいそれとなれる職業じゃないからお給料も高額だし、待遇も重役並みだったんだね。

    すごいよね~~~。face08

    世の中、知らないことがまだまだあるもんだね。

    でも、これからは日航のパイロットも自分で自家用車を運転して空港まで通うことになるんだね。いままで、自分で運転したことがない人たちだから、運転は慎重にして欲しいものだよね。

    それとも、高額の給料をもらっている人たちだから、自前でハイヤーの手配をするのかな?

    こういう人たちは、タクシーじゃなくて、ハイヤーだよね。たぶん・・・・。

    だって、彼らが操縦席に座らなくては、飛行機は飛ばないんだからね。もしも、事故に巻き込まれでもしたら大変でしょ。

    すぐに、代わりのパイロットを補充して----なんてことは、簡単には出来ないことだと思うから・・・・。

    まあ、いずれにしても、空も道路も安全運転でお願いしま~~す!icon20


    さっき、応接間の掃除をしていたら、ピアノの上にお守りが一つ。

    そうだ。わたしが入院していた時、甥っ子がわざわざ善光寺へ行き買って来てくれた平癒祈願のお守りだ。

    身体が痛くて周りのことも良く判らなかった頃、そこへ載せたままにしておいたものだ。

    京都へ修学旅行に行った時も、わたしが好きな新選組のキーホルダーを買って来てくれた。

    甥っ子に、改めて「ありがとう」を言ったが、さすがに男の子。「そんなことあったかな?」だって。

    こういうところは、シャイなんだよね~。


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平和な共同浴場・・・・・600

~ 今 日 の 雑 感 ~


平和な共同浴場♨



    最近、共同浴場に入る時間を、少し早めた。

    すると、今までの煩わしい人間のやり取りが、まったくといっていいほどなくなったのだ。

    今、わたしが入る時間は、ほとんど利用する人がいない、正に穴場の時間帯なのだ。

    初夏になり、日が長くなった分、遠くから入りに来る人たちも急いで家を出る必要がなくなったことに加え、冬場のように一日中汗をかかずに済む訳ではないので、出来るだけ寝る前に入浴し、さっぱりした身体で眠りたいと思うのが人情である。

    だから、必然的にみんなの入る時間が後ろへとずれこんで行くのだ。

    しかし、どうしても仕事の都合かなにかで日が高いうちでないと入れないという人たちもいる。

    こういう人たちは、今までの時間を変えようとはしないもので、そんな訳で、わたしが見つけた穴場時間帯が出来あがっているのだと思うのだ。

    だ~れもいない広い湯船の中で、のんびりお湯につかるのは、本当に気持ちが良い。

    他の人に邪魔されることなく、自分のスタイルとペースで入浴が出来るなんて、最高である。

    時々は、顔を合わせる人もいるが、近所の人ではないので気を遣う会話をする必要もない。お互いに、知らん顔のまま無言で身体を洗い、髪を洗い、湯船に入る。

    また、わたしよりも若い女性たちは、もっと無口である。

    日常の挨拶を交わせば、あとは皆黙々として自分のやることだけをやり、さっさと上がって行く。

    実に、開放的で楽である。

    これが、ほんの少し時間が遅くなるだけで、共同浴場の雰囲気はがらりと一変するのだ。

    近所の主婦たちが夕食の前にひとっ風呂浴びようと大挙して押し寄せる。

    「わたしの場所へ座らないでよ!」

    「あんたは、良いご身分だよね」

    「この間、お父ちゃんと大げんかしてさ」

    「その足、まだ治らないの?いつまで、そんな入り方してんの?」

    「やだ~、奥さん、少し痩せたんじゃないの?病気?」

    とにかく、黙って入浴することが出来ない。いがみ合いや嫉妬交じりのお世辞の言い合いが延々と続くのだ。

    そんな訳で、六十代未満の女性たちは、出来るだけ彼女たちと一緒の入浴時間にならないようにと、さまざま知恵を絞って逃避するのだ。

    だから、わたしも今の時間は誰にも教えたくはない。

    たった、三十分だけのリラクゼーション・スポット。

    でも、とても貴重な三十分なのである。icon22

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徒 然 雑 感 6・・・・・599

~ 今 日 の 雑 感 ~



徒 然 雑 感 6




    ここで書くことは、あくまでも私見ですので、あしからず。




    ブログを始めて半年ぐらいは、あっちこっちのブログへコメントを書いて、また返事をもらって、楽しくてしょうがないもんなんだよね。

    その気持ち、よく判るよ。

    パソコンの前に座るのが嬉しくてたまらないんだ。

    そして、コメント上で仲良くなった人とは、実際に会って食事をしたり、遊びに行ったり----。

    特に、異性からのコメントなどもらうと、本当に違う世界が開けたような気分になる人もいるみたいだよね。

    でも、そこまでにしておいた方がいいと思うよ。

    そう、当たらず触らずのコメントでサラッとやり取りしていれば、何の問題もないからね。

    相手の気心が判らないうちは、あまり、相手の領分に入り込まないこと。これが大事。

    相手が気分を害するのではなくその相手とそれまでも親しくコメントをやり取りしていた人や、まったく外部からその様子を見ているだけの人が、あなたの知らないところでお角違いの焼きもちを焼いていることが無きにしも非ずなんだから、気をつけた方がいいってこと。

    わたしも、以前、ある男性ブロガーと、まあまあ親しくコメントをやり取りしていたら、何と、そのブロガーには既に親しいブロガーの彼女がいて、とんでもない嫌がらせをされたこともあったしね。(その彼と彼女は二人とも既婚者同士だったんだけれど、ブログ上ではそんなこと関係ないみたいだし・・・・)

    そんなやり取りにゲンナリして、こちらからコメントの書き込みをやめた途端、相手の彼女からの嫌がらせも止んだんだよね。その後、彼のブログに「だから言ったでしょ!」のシッペコメントが入っていた。

    女って、怖いよね。たかだかブログ上といえども、他の女には負けたくないんだよ。

    いや~~~、参ったね。こんなおばさん相手に、マジ喧嘩を吹っかけて来るんだから・・・・。(笑)

    母親がそんな低俗な嫉妬心を燃やしていると判ったら、夫も子供もドン引きだよね。

    だから、それからというもの一度もあちらのブログは訪問していない。彼らは、まだ続いているのかな?いや、おそらくは男性の方が逃げ出せずにいるんじゃないかな?

    コメントを書き込む時は、相手を選んだ方がいいと思うよ。

    そう、あなた、あなたに忠告しているんだからね。





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