島田紳助引退

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島田紳助引退




    昨夜、何気にテレビを観ていたら、タレントの島田紳助さんが今にも泣き出さんばかりの深刻そうな表情で会見を行なっていたので、思わず画面に見入った。

    暴力団関係者との交際が発覚しての芸能界引退の緊急記者会見だった。

    場所は、新宿の吉本興業東京本部。

    会見で島田さんは、暴力団関係者との交際があり、友人を介してメールのやり取りもしていたと告白した。

    さらに、

    「自分は人と人の付き合いをしていた。自分の中ではセーフだったが、芸能界ではアウトだということだ」

    と、述べ、

    「明日からは、一般人なので(事実に反することを報道すれば)告訴する」

    と、いうようなことも付け加えていた。

    言葉は、いつもの番組内同様に流暢でよどみなかったが、その言葉の端々からはこのような事態に追い込まれた悔しさが激しくにじみ出ていた。

    島田さんは、「後輩への示しがつかないので引退する」と言っていたが、現在レギュラー番組6本も抱える人気司会者でもあるだけに、テレビ界はパニック状態だという。

    おそらく「人生が変わる一分間の深イイ話」などを仕切る島田さんの中では、暴力団関係者といえども恩義のある一人の人間としては認めてしかるべきだ----との思いがあったのかもしれない。

    そういう人生は何度でもやり直しがきくということを世間に訴える番組を放送しているテレビ界が、それほど冷徹な判断を下すとも思わなかったのかもしれない。

    テレビという健全潔白なメディア界で働く以上、芸能人も清廉潔白でなければならないと視聴者も考える。

    しかし、日本相撲協会が暴力団関係者との癒着を非難されたこととも正にリンクする問題が、どうしても昔から娯楽に結びつく事柄には付きまとうものなのだろう。

    島田さんがCM契約を結んでいる企業も多い。

    今後の企業イメージをどう作りなおして行くべきか、頭の痛い問題であろう。

    そんな島田さんの言葉で印象に残ったものがあった。

    文言は正確ではないと思うが・・・。

    「(芸能界とは)この程度でも辞めなければならないところなんですよ。これからやって行く若い人たちは、そういう(厳しい)ところだということをしっかりと自覚して働いて下さい」

    島田さんは、今後どんな活動をして行くつもりなのであろうか?

    案外、彼の頭の中には「政界」の二文字も刻まれているのではないかと思った。



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心理テスト・山登り・・・・・1066

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心理テスト・山登りyama



    これって、すごく当たっているなァ----と思うので、紹介します。



    あなたは、山に登ることにしました。

    ところが、リュックが重くて持っていけません。さて、どうしますか?




    A  麓に置いて手ぶらで登る。

    
    B  軽くなるように工夫する。


    C  大事な物ばかりなので、頑張って全部持って行く。




    これで判るのは、あなたの怒り方だそうです。

    
    Aを選んだあなたは、すぐに激怒するがあとにひかないタイプ。あなたが何に対して怒っているのか周囲の人には判りやすく、また一度怒り狂ってもあとにしこりを残さないので、どれほど怒っていても皆はあなたのことを嫌いになりません。


    Bを選んだあなたは、簡単に怒り出すことはありません。理不尽なことでも我慢に我慢を重ねて、それでもついに我慢できずに大爆発します。周囲は、あなたがいつ爆発するか気が気ではないので、いつもあなたの顔色をうかがっています。しかも、一度爆発すると、そのことについていつまでもネチネチと蒸し返すので、もっとも要注意人間のタイプです。


    Cを選んだあなたは、最後の最後まで怒りを吐き出すことが出来ないタイプです。そして、そういう小心者の自分自身に対しても腹を立てています。傍からは、一見、温和そうに見えるのですが、お腹の中は怒りの炎でいっぱい。ストレスを溜め過ぎて心身ともに大変なことになり兼ねない人でもあります。



    日本人の怒り方は、Bのタイプが多いんじゃないでしょうか。

    忠臣蔵の松の廊下の場面など正にこれですよね。そして、主君の恨みを晴らす赤穂四十七士の討ち入りも、そのものズバリだと思います。






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震災後遺症・・・・・1065

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震災後遺症




    3月11日の大震災以降、長野県北部地震や松本地震、また多くの余震が今も続く中、精神的に落ち着けず、常に気持ちが浮ついていて地に足が付けない心境だという人が多いそうだ。

    かの前復興担当大臣の松本議員も、軽度のそう状態だと診断されたそうである。

    こうした症状を示す人は、何かをしていなければ気持ちが変になってしまいそうで、やたらに明るくふるまったり、必要以上に身体を酷使したりもするらしい。

    被災地へボランティアに出かける人の中にも、実はそうした症状を抱えている人も少なくないのだそうだ。

    本来ならば、カウンセリングを受けた方がいい精神状態でありながら、それに気付かず被災地で身体を使い倒してしまい、帰宅後に燃え尽き症候群に陥るようなことにもなりかねない。

    地元紙に連載のエッセイを書いている女性も、先日の記事には、それに似たようなことを書いていた。

    この女性エッセイストは、東日本大震災があったのち、しばらくの間気持ちが落ち着かず、まったく記事を書く気力が起きずに連載を二回ほど休んだという。

    しかも、震災直後は防災グッズを入れたリュックサックを背負ったままで家事をし、万が一の時はいつでも逃げ出せるような体勢を維持していたのだとか・・・。

    そして、あれから4カ月経った今でも、そのリュックサックは枕元に置いて眠っているのだそうだ。

    想像以上の恐怖を体験した場合、極度の興奮状態が長期間続き、それが引き金となって精神のバランスを崩すという話も聞いたことがある。

    もしも、どうしてもその落ち着かない気持ちが病的に持続している場合は、もちろん心療内科医や臨床心理士などの診察を受けるべきなのだろうが、そこまでひどいわけではないが何となく焦りのような感覚が抜けないというような場合は、身の周りにある物の色を青系統に替えてみるという手もあるだろう。

    青い色には人の気持ちを鎮静させる効果があると言われる。

    心を落ち着かせたい時は、眠る前の入浴時に青い光に満たされてみる----と、いう方法もあるそうだ。

    浴室の照明に青いフィルターなどをかぶせてもいいかもしれない。

    震災の心理的後遺症が現われるのは、むしろこれからだという専門家もいる。無理のない範囲で出来るだけ平常心を取り戻すよう心がけたいものである。




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太陽光発電トラブル・・・・・1064

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太陽光発電トラブルicon01




    今日、「噂の東京マガジン」を観ていたら、太陽光発電ソーラーパネルのトラブルについて放送していました。

    ある電気屋さんは、太陽光発電のPRも兼ね、500万円をかけて自宅の屋根にソーラーパネルを取り付け、「自家用にも電気が使えるし、余った電気を売ることも出来る。10年も経てば元が取れる」と、思っていたところ、すぐお隣に高層マンションが建ってしまい、一日の大半が日陰になることで発電が60パーセントも落ちたと、困惑していました。

    そうなると余剰発電など出来るはずもなく、家庭で使う電気さえままならない状態なのだとか・・・。

    また、長野県安曇野市でソーラーパネルを取り付けた人は、屋根に詳しくない電気工事専門の人にパネルの設置をお願いしたために、屋根に無数のねじ穴を開けられ、雨漏りで困っているとのことでした。

    また、もう一人の男性は、もともとソーラーパネルをつける予定で家を建てたため、雨漏りなどの問題は起きなかったものの、家の中に取り付けた電圧を調整する機械がかなりの熱を出し、サウナ状態になるほど暑くなっているということでした。

    確かに、太陽光発電は余った電気を電力会社に買い取ってもらえることで、一月2万円から4万円ほどの収入になるというメリットもありますが、鳩が巣をかけたり、雨漏りが起きたり、ちょっとした日陰でも発電量が大幅ダウンしたりするというデメリットも大きいとのことです。

    しかも、ソーラーパネルを設置している家だからといって、立地優遇の既得権などもなく、隣にマンションが建つことを拒否することも出来ないそうです。

    そして、今はパネル設置家庭も少ないために買ってもらっている電気も、設置家庭が多くなれば買い取りを拒否されることも考えられるのだとか・・・。

    さらに、ソーラーパネルで十分発電が出来るのは春と秋のさほどきつくない太陽光で、もっとも多くの電気が賄えられるのではないかと思われる夏場は、思うほど発電できないことも判っているのだそうです。

    そして、もちろん冬に雪が多く降る場所などはソーラーパネルは適しませんし、たとえ高い建物が離れた場所にあったとしても、夕方の低い日差しなどでは影が長く伸びるためにパネルに影がかかり、発電が落ちることも考えられるそうです。

    太陽光発電は、一見素晴らしい発電システムのように思えますが、そういうリスクを抱える可能性があることも念頭に置いたうえで、設置して欲しいと番組では語っていました。

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最後の誕生日プレゼント・・・・・1063

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最後の誕生日プレゼントicon27





    少し前の新聞を読んでいたら、ちょっとジンと来る記事があった。

    新聞記事を読んで感動するなどということは、あまりないのだけれど、これは理屈なく迫るものがあった。

    

    岩手県釜石市で洋菓子店を経営する亀山弘能(ひろのり)さん(58)が、今回の東日本大震災の翌日の3月12日に、一つだけ作ったバースデーケーキの話である。

    停電で冷蔵庫が使えなかったのだが、そのケーキはどうしても作らなければならないと思ったのだという。

    釜石市の高台にある洋菓子店「かめやま」の店内も、地震の影響で停電となり陳列ケースは倒れ、釜石港に近い支店は津波で壊滅的な状態だった。

    その高台の洋菓子店へ、12日、一人の男性が訪れ、「一日遅れだけれど、どうしても孫の誕生日を祝ってやりたい。注文しておいたケーキを何とか作って欲しい」と、頼んだのだという。

    その男性に対して亀山さんは、「停電で冷蔵庫も使えない。生クリームを作ることが出来ないので----」と、丁寧に断わり代金を返そうとしたのだそうだが、男性が諦めずに頭を下げるので、その理由を訊ねると、

    「ケーキは、この3月11日が誕生日の孫のために、少し前にこちらへ母親が注文しておいたもので、その母親は、この地震で夫と共に津波に飲まれた」

    とのことだった。

    亀山さんは、そういうことならば、ぜひとも誕生日ケーキを作ってやりたいと思い、生クリームの代わりに常温で扱うことが出来るバタークリームを使い、アンパンマンの顔をかたどったケーキを作った。

    「これは、店の商品なんかじゃない。お父さんとお母さんからの最後のバースデープレゼントなんだ」

    数時間後、4歳ぐらいの男の子が、祖父であるその男性に連れられて店へやって来た。

    店内で無邪気な笑顔を見せて、祖父と共にそのケーキを持って帰ったという。

    ケーキは、単なる嗜好品ではなく人の気持ちを元気にさせるものだ。

    亀山さん自身も若い頃食道がんを患って、自分の運命を呪ったこともあったが、今自分に出来ることは、心が温かになるようなケーキを作り続けることだと、電気が復旧した18日に店を再開した。

    お土産にもらった人が気を使わなくても済むようにと、大幅に値下げしたケーキを並べると、20個、30個と買って被災地の知人へ持って行くというお客さんたちが現われた。

    「津波でなくなった妻が、ここのケーキが好きだったから・・・」

    と、買い求める中年の男性もいた。

    自分に出来ることは、こうして故郷でケーキを作り続けること。一人一人が得意なことを懸命にやる。それが復興への近道だと思う。

    亀山さんは、そう信じて今日もケーキを作り続けているという。(記事内容要約)





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夏の共同浴場

夏の共同浴場soba




    今日も朝から良いお天気です。

    蝉の声もことのほか高く聞こえます。

    暑くなると、今まで明るいうちに温泉へ入っていた人たちも、出来るだけサッパリとして眠りたいので、入浴時間が夜型にずれ込みます。

    そのため、昨夜の7時から9時代の女湯などはものすごい込み方だったそうで、ちょっと時間を替えてくれればいいのに・・・と、皆不満顔でした。

    昨晩のテレビでは、東北六魂祭の歌謡イベントの長時間歌番組を流していたのですから、外湯も空いているかと思ったのですが、昭和歌謡や懐メロはほんのわずかで、あとは今風の歌手たちの共演だったので、おばさんたちは興ざめしてしまったのでしょうね。

    やはり、もう高齢化社会なのですから、テレビ局も「夏の紅白」とでも銘打って、昭和の歌をジャンジャン流してくれればもっと観る人が増えるんじゃないかな。

    それに、昨日の放送で気になったのは、今の若い歌手が昭和の歌を歌う時、何処となく茶化した感じがあったこと。

    彼らの気持ちの中に、古臭い歌だと舐めてかかる部分がチラチラ垣間見えて、何となく不愉快でした。

    演歌歌手の人はともかくとして、ポップス系の歌手の人には、とかく自分たちの歌の方が優れているというような感覚があるようです。

    でも、正直、一視聴者の立場から客観的に言わせてもらうと、昭和歌謡の方が歌詞も曲も歌手の歌唱力でさえもが数段上のように思えます。

    今の歌手には逆立ちしても追い付けないほどの人生経験の深さが、かつての歌謡曲の底には流れていたのではないでしょうか。

    こうした名曲は、結局は今後若い歌手が受け継がねばならない歌謡史の遺産だと思うのですが、時代背景や当時の人たちの気持ちをしっかりと勉強した上で歌い継いで行って欲しいと感じました。





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心理テスト・晩さん会・・・・・1062

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心理テスト・晩さん会icon28




    「面白い心理テストがあるよ」と、教えてもらったので、ご紹介します。

    


    あなたは、ある晩さん会に招待されました。しかし、他の招待客にはメインディッシュが運ばれて来ているのに、あなたのところには何故か運ばれて来ません。さて、その理由は何だと思いますか?



    A  あなたの席がテーブルの端なので、給仕が運び忘れている。

    B  まだ、前菜が残っているので、運ばれて来ていない。

    C  あなただけの特別メニューを注文したので、調理に時間がかかっている。




    この心理テストで判ることは、あなたが合コンで持てない理由なのだそうです。

    A  を選んだあなたは、どちらかといえば引っ込み思案な性格なために、自己ピーアール不足で男性(女性)に存在がうまく伝わっていないようです。もっと、積極的に会話に参加した方が良いということのようです。

    B  を選んだあなたは、元彼(元カノ)のことが未だに忘れられないのかも・・・。前の失恋が尾を引いていて、新しい出会いに臆病になっている可能性があるようです。過去はさっぱり忘れて、明るくスマイル----だそうですよ。

    C  を選んだあなたは、相手を選り好みし過ぎている傾向がありそうです。あなたが理想とするような完璧な男性(女性)は、そうそういるものではありません。人のあらさがしをするよりも、良いところを見るようにした方がパートナーは見付かり安いということのようです。


    
    しかし、ある男性に言わせると、パートナーを選ぶ時は減点法式が必要だそうで、ほんの少しでも気に入らない部分が相手にある場合は、恋愛は諦めた方が良いそうです。

    何故なら、お互いの意見がかみ合わなくなった時、相手の欠点部分が何倍にも膨れ上がって見えて来るからだということでした。

    つまり、好きという感情などなくても、嫌いという感情がない相手を選べ----と、いうことのようですね。

    でも、何だか、それってちょっと虚しい気がするのですが・・・。(-_-;)




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心理テスト・女性の気持ち・・・・1061

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心理テスト・女性の気持ちface06




    本を参考にした男性への心理テストです。

    次のような女性の仕草や言葉に、男性のあなたは、どのような反応を示すでしょうか?



    A  女性は、黙ってすねている。

    B  女性は、何も言わずに泣いている。

    C  女性が「そんなことして、わたしをどれだけ傷つけているか判っているの?」と、怒る。

    D  女性が「判りあえないので、もうどうしていいか判らない」と、嘆く。

    E  女性が「どうして、いつも自分のやり方ばかり押し通そうとするの?」と、責める。



    



    これに対しての男性の反応は、

   


    A  「なに、すねているんだ!」と怒る。

    B  「泣いたって無駄だ!」と、突き放す。

    C  「感情的になるなよ」と、上から目線で諭す。

    D  「もっと、客観的に考えようよ」と、自分の冷静をアピールする。

    E  「今、仕事のことで頭がいっぱいなんだ」と、関わり合いを避ける。




    ところが、これらの男性の反応を、多くの女性は嫌うのだそうです。

    あなたが女性からこういう言動をされた時、これと似たような答え方をするなァと思う節が三項目以上あった場合は、もしかしたら無意識のうちに女性を傷つけているのかもしれません。

    では、こういう時、女性はどのような反応を男性に期待しているのでしょうか?

    女性が男性に期待することは、至極単純です。

    それは、「話し相手になって、一緒に悩んで欲しい」----これに尽きるのだそうです。

    「そうか・・・、きみはそんなに困っていたんだね。気付かなくてごめん」

    この一言で、女性の気持ちはほぼおさまるのだとか・・・・。

    つまり、女性が欲しいのは何があっても、とことん自分の味方をしてくれる彼で、正論を吐く知識人でも、クールな仕事人間でもないということなのですね。



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心理テスト・良く使う人称・・・・・1060

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心理テスト・良く使う人称





    面白い心理テストがあったので紹介します。



    あなたは、他者との会話でどのような人称を使うことが多いですか?


    A  一人称(わたし、おれ、ぼく----など)

    B  二人称(きみ、お前、あなた----など)

    C  三人称(彼、彼女、誰、あれ、それ----など)


    Aの口癖のように一人称を頻繁に使いながら会話をする人は、目的のためには手段を選ばないと言うマキャベリアンタイプの人だそうです。嘘も方便と考えて現実の利益を重要視するので、他人の言動を操作して、自分に有利に導くように立ち回ることも厭いません。
    人付き合いも良く、頼れる存在ですが、いざという時は情に流されない冷徹さも併せ持っている人だそうです。


    B、Cの二人称、三人称を良く使う人は、自己モニタリアンタイプだそうです。自分の言動を他者に合わせることで、他者の承認を得たり、摩擦を回避しようとする人だそうです。
    人当たりはいいけれど、外見重視で、自分の言動が状況に見合っているかを常に気にしているので、他者の言葉を基準において自分の意見を調整して行く、言わば場当たり的な主体性に欠ける人でもあります。
    いざという時は、結局、強い方の味方につくなど、あまり頼りにはならない人だと考えてよさそうですね。



    あなたは、どんな口癖を持っていますか?

    いつも、わたしは----、ぼくは----、という話し方ばかりして、相手の反応を無視してはいませんか?









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親戚づきあいとは・・・・・1059

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親戚づきあいとは・・・





    その一家とは、特別、近しい親戚というわけではないが、まあ、友人以上親戚未満といったところか・・・。

    わたしも以前は、その家の子供たちに勉強を教えたこともあるし、年賀状などのやり取りもしている。

    そして、我が家の慶事には、その家の家族を全員招待したこともあった。

    しかし、その家の娘さんが結婚するという招待状は、何故か我が家の父親だけにしか来なかった。

    他の親せき筋へも同様で、ある親戚などは、家族全員が招待されているものとばかり思い込んでいて、結婚式場へ皆で行ったところ、一人分の食事しか用意されていなかったという、驚くべきことも起きていた。

    この席が用意されていなかった親戚は、確かに、招待状には家長の名前しか書かれていなかったものの、いつもの付き合い上、当然全員が招待されるものと確信していたために、式場で一悶着あったようである。

    しかも、この家族は、いつも家族全員が一緒に移動するので、その招待した側の親戚もそんなことは百も承知だったはずなのである。

    そんな訳で、その家族同士は、その後どうもしっくりいかないせいか、つい最近も相手側に告別式があったのだが、「あの時、バカにされた」との気持ちが先立ち、行くの行かないのと、最後までもめにもめた。

    思うに、親戚といえども、こちらが相手の家族全員を招待したからといって、こちらも招待されるとは限らないということなのだ。

    向こうには、また向こうの親戚などがいたり、こちらとは何ら関係のない付き合いもある。

    こちらが相手のことを考えるほど、相手も気遣ってくれているとは限らない。

    ましてや結婚式などとなれば、新郎側の出席者との人数のバランスもあるわけで、新婦側の招待客ばかりが大勢集まっても困るのだろう。

    家族全員で結婚式場へ押し掛けた親戚も、そういうところまで気を回すべきだったようにも思う。

    しかし、田舎には未だに来たい者は誰でも来い----の習慣があることも事実だ。

    その辺りの線引きが、実はとても難しいのである。

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女って、や~~ね!・・・・・1058

女って、や~~ね!face03




    「女って、や~~ね!亭主が出来ただけで、やたらに態度が大きくなってさ」

    いつも外湯で会う独身女性がぼやいていた。

    高校時代からの友人が結婚した途端に、何となく上から目線になったというのだ。

    何か言うたびに、「あんたって、何にも判っていないのね~~。世の中、そんな甘いもんじゃないわよ」とか、「まあ、頑張って!あんたにだって良いところはあるんだから」なんて俗に言う勝ち組オーラ全開で、独身時代は、その女性の方がどちらかといえばイニシアチブを握っていたくらいなのに、結婚した途端に形勢逆転。

    突然、態度が横柄になったというのだ。

    「結婚するって、そんなに偉いことなのかしら?わたしは、曲がりなりにも自分で働いて自立して生きている。でも、彼女は、一人で生きていくことが出来なかったので、結局男に養ってもらう道を選んだだけじゃないの」face09

    彼女の怒りは治まらない。

    確かに、女性の中には、結婚したことを人生の盾のように考えて、これまでは勇気がなくて出来なかったことまでも出来るようになったという人もいる。

    自分は、独りではない----という気持ちが芽生えて、人前でも平気で意見が言えるようになったという女性もいるくらいだ。

    あるベテラン脚本家の女性も、かつてテレビのインタビューで、「これまではどんなに局へシナリオを持ち込んでも尽く却下されていたのに、テレビ局に勤める主人と一緒になったことで即採用されたわ。今のわたしがあるのも、みんな主人のお陰ね」と、笑いながら語っていた。

    結婚がプラスに働くと、独身でいた時よりも多くのメリットが生まれる場合もあるだろう。

    しかし、勘違いしてはいけないのは、結婚したからと言って、それがためにその女性が人間的に立派になったわけでも才能が突然開花したわけでもない。

    このベテラン脚本家は、脚本家自身にそれなりの執筆力があったからテレビ局も採用に踏み切ってくれたのだと思う。

    つまり、結婚で女性が偉くなったわけでもなんでもないのだ。

    しかし、虎の威を借るキツネではないが、とかくそれを思い違いしている女性は少なくない。

    この怒りの女性が言うように、

    「結婚しようが子供が出来ようが、もともとの当人自身が変わるわけではないのだから、あまり、態度を変化させない方がいい。人生、一寸先は闇。次の瞬間は何があるか判らないのだから・・・」

    今回のような千年に一度の大震災に襲われることだってある。

    要は、自分が幸せだと感じている時ほど、謙虚になることが肝要だ----と、いうことなのだろうな。

    そう思いながら、危うくのぼせそうになったので、慌てて風呂から上がった。icon16

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レスキュー・ファンタジー・・・・・1057

~ 今 日 の 雑 感 ~


レスキュー・ファンタジー




    写真家の藤原新也さんが東日本大震災について書かれているエッセイの中に、「レスキュー・ファンタジー」という言葉があった。

    レスキューは救急、ファンタジーは、空想である。

    被災地から遠くにいる人間は、このような未曽有の大災害を目の当たりにする時、自分にも何か出来ることがある筈だという被災者への同情心が、ある種のヒロイズム的な快感を生みだすものなのだということが書かれてあった。

    そういえば、連日テレビ画面に躍る、「がんばろう、日本」などの言葉が、何処か空々しく聞こえて仕方がないと言っていた人もいた。

    それは、おそらく、この大災害に対する人々の感覚の中に、まるでパニック映画でも観ているようなレスキュー・ファンタジーの一端が見て取れたということだったのかもしれない。

    しかし、これは間違いなく現実に起きていることで、被災地にいる人々は一刻一秒に生死をかけて命をつないでいるのである。

    そんな切迫した危急を鋭く伝える文章があった。

    映画監督であり作家の森達也さんのエッセイの一文だ。

    -----「手が回らないのではない。回さないのです」

    取材で訪れた石巻赤十字病院の石橋悟救急科部長は、地震発生後の初期段階で搬送されて来た身寄りがない寝たきり老人たちをロビーで「放置」したことについて、人手と医療資源が不足しているために手が回らないのですねと尋ねた僕に、きっぱりとそう言った。

    (中略)「恨まれていると思います。批判も受けます」と言いながら石橋部長は決して僕から目をそらしたりはしない。無力感を持ったかという質問に対しては、「感じません。人はそもそもが自然の一部であり、自然の前では無力です」との答えが返ってきた。-----

    この被災現場には、少なくともレスキュー・ファンタジーは存在しない。

    あるのは、淡々としてただやるべきことをするという驕りも気負いもない精一杯の懸命さだけである。





    

    

    

    

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仮設入居が進まないわけ・・・・・1056

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仮設入居が進まないわけ




    東北の被災地で仮設住宅への入居が進まず、空き部屋が幾つもあるという。

    テレビの報道番組では、その理由を調べるため、被災地の現状がどうなっているのか追っていた。

    被災地の自治体では、抽選にあたった場合、少なくとも二週間以内には避難所から出て、仮設住宅へ引っ越して欲しいと話していたが、入居しないままに仮設の鍵を持ち姿を消してしまった当選者も多く、所在をつかむにつかめないと、困惑していた。

    それにしても、どうして、このような事態が起きているのか?

    仮設に当選しているにもかかわらず、未だに避難所での生活を続けている男性に、理由を訊ねたところ、

    「自分は七人家族で、震災で職を奪われてしまったので、今はアルバイトで生活している。給料は、これまでの半分になってしまった。もしも、このまま家族で仮設へ入れば、その日から食費も光熱費も自分たちで出さなくてはならなくなる。でも、このまま避難所にいれば、食事もただだし、生活用品などの物資も無料で支給してもらえる。だから、今は、ここから出ることは出来ない。しかし、避難所から出るようになった場合、仮設がないと路頭に迷うことになる」

    と、いうことであった。

    つまり、今は、二股かけておかないと、不安で仕方がないということなのだろう。

    しかし、そうして当選しても入居しない人がいる一方で、入りたくても抽選に漏れて悔し涙を流している人もいるのだ。

    これは番組取材とは別の避難所だったが、奥さんが人工透析が必要で自分も身体が弱く高齢のため仮設へ早く入居したいのだが、遠方だが一応息子がいるということがネックになったためか、抽選に外れてしまったと、泣いていた男性もいた。

    とにかく、今回の震災では、行政や企業の思惑と、被災住民の希望がほとんど合致しないというミスマッチが異常に多いような気がする。

    政府や企業側が良かれと思い行なった就職支援も、結局、地元の被災者には受け入れられず、未だに就職出来ない人があふれている。

    他県での就職を斡旋したものの、どうしても、地元を離れたくないというのだ。

    福島県の避難準備地域に指定されている人たちも、地域の高濃度の放射能汚染が判った時点で、自主的に避難するかと思えば、土地を捨てたくはないという。

    政府は、命が大事なら何を置いても自主的に避難するだろうと考えたのだが、何故か彼らはそれをしない。

    これもまた、計算外だったといえよう。

    別の番組だが、一人の農家の主婦が発言していた。

    「もう、放射能で汚染された畑では野菜を作れない。どうしても出て行けと言うなら、(収入に見合う)お金を下さい」

    でも、本当に命が大事なら、そんな悠長なことは言っていられないと思うのだが、彼女たちはどうしてそうまでして危険な場所に居続けられるのだろうか?

    東北地方の人たちの気持ちが、信州人のわたしには、どうしてもいまひとつ良く判らないというのが、本音である。

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スーパーは社交場・・・・・1055

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スーパーは、社交場




    諏訪市のJR上諏訪駅前にあった「まるみつ百貨店」が閉店したことで、2月21日から始まった買い物弱者対策である「駅前緊急買い物サポートタクシー」の利用者が、ほとんど伸びず、サービスを見直すことになったというニュースを観た。

    日常の生活用品や食料品を「まるみつ百貨店」で買い求めていた高齢者をいわゆる買い物難民にしないための措置であったが、何故、高齢者はこのサービスを利用しなかったのであろうか?

    サポートタクシーに乗って遠くのスーパーまで買い物に行かねばならないほどは、困っていなかった----と、いうことなのか?

    それとも、サポートタクシーとはいえ、自分の好きな時間に乗り降り出来ないという不便さゆえの敬遠だったのだろうか?

    理由は色々考えられるが、そんな中、もっとも大きな理由の一つは、高齢者は変化を嫌う----と、いうことだったように思う。

    そもそも、高齢者にとっての買い物とは何なのか?

    日常生活に必要な食品や雑貨を買うことが目的だけではない。定期的に通うことが出来る主婦感覚を忘れないようにする場所であり、なおかつ話し相手を見付けるための手段なのである。

    病院が高齢者のサロン化していると言われて久しいが、スーパーマーケットや百貨店もやはり同じような役割を持っているのである。

    いつもほぼ同じ時間にそこへ行くことで、いつもの顔ぶれに会える。

    買い物は言わば付録で、店内の椅子に腰かけ、午後のひと時を気の置けない友だちと楽しくおしゃべりする。

    それが、本来の目的なのである。

    高齢者がよく言う言葉に、「夕方は寂しい」と、いうものがあるが、この感覚は、若いうちにはほとんど理解出来ないもので、高齢者がよく飴をなめるのも、この寂しさを紛らわせるためなのだそうだ。

    飴をなめている時だけは、かつて母親に甘えた頃の子供時代のように安心感を保てるのだという。

    つまり、高齢者にとって買い物の場は、単に消費の場ではなく、親しい友人たちと出会える社交場なのである。

    その意味を汲まず、高齢者を「買い物弱者」の一言で片付けようとした市側の読み違いが、このサポートタクシーの利用の低調に深く関係しているのではないかと考える。

    高齢者たちを本当に救いたいと考えるならば、「まるみつ百貨店」のあった場所に新たな買い物の拠点を作ることが必要だ。

    この間のニュースでは、旧「まるみつ百貨店」の元従業員が、駅前に新たなスーパーマーケットを開店したという話題を取り上げていた。

    まだ、小規模な店舗で客のニーズにすべて応えることは出来ないそうだが、それでも高齢者たちの心のよりどころにはなるはずである。  続きを読む


仕事が出来る人、出来ない人

~ 今 日 の 雑 感 ~


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    「仕事が出来るか出来ないかは、その人のデスクの上を見ると判る」


    のだとか----。

    仕事が出来ると言われる人は、仕事を頼まれやすい人ですから、必然的にデスクの上は資料や本が山のように積まれることとなります。

    しかし、その膨大な資料の山も、仕事が出来る人の場合、出来ない人とは積み方に違いがあるのだそうです。

    仕事が出来る人の資料や本の積み方は、たいていが「縦と横の線で構成されている」のだそうです。

    つまり、資料が斜めに置かれていたり、パソコンやキーボードが斜めに置かれたりしていない----と、いうことなのです。

    斜めの線が視野に入ると、人はどうしても気が散りやすくなるのです。

    そして、知らず知らずのうちに神経が集中出来なくなり、余計なことに目移りしがちになるようです。

    しかし、デスクの上が縦と横の線で区切られていると、物を置くスペースにも余裕が生まれ、すっきりと片付きます。

    気持ちの上でも、区切りや区別を付けやすいということなのです。

    そして、もう一つのポイントは、「デスクの上に、あまり多くの色を置かない」ということだそうです。

    特に、赤、黄色、緑といった刺激的な原色は要注意だと言います。

    これらの強い色が常に視界へ入りこむことで、気持ちが散漫になり、論理的に物事を考えにくくなるのだそうです。

    どうしても、そういう色の付いた物がデスク周りに必要な時は、出来るだけ眼の届かない場所へ移動することが得策だとか---。

    そして、出来れば、デスクの上には、一つの仕事に関係する資料や本だけを置き、その仕事が一段落付いたら、それらはまとめて片付け、次の仕事に必要な資料や本と置き換えておく----と、いうやり方も、仕事の効率を上げるコツだと言われます。

    さて、今、あなたがパソコンのキーボードを打っているデスク周りは如何ですか?

    わたしのデスク周りは、やはり、資料や本が山積みですが、それでも一応縦横の線が引かれています。

    でも、効率がいいかどうかは、結局その日の気分次第というところですけれどね。(笑)



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お菓子をもらう夢・・・・・1054

~ 今 日 の 雑 感 ~


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    わたしは、時々、夢の中で他人からケーキをもらいます。

    別に、現実に食べたいと思っているわけではないのですが、この前も、ある人から新作だというケーキをもらう夢を見ました。

    他人から食べ物をもらうというシチュエーションの夢は、必要な情報や協力を与えてくれる相手に恵まれるという暗示だそうです。

    では、その食べ物がお菓子の類だった場合はどうなのでしょうか?

    異性からお菓子をもらう夢は、あなたに思いを寄せている人がいるという意味だそうで、近々、愛の告白を受けるかもしれないということでした。

    しかし、目の前にあるお菓子を食べてしまう夢は、周囲への依存度が高まっている証しで、あまり安易に甘えることがないように----という警告の意味があるようです。

    わたしの場合も、その夢の中のケーキを試食してしまいました。

    味は、ソフトな甘さで、まあまあおいしかったです。ケーキは周りがふわふわのカステラで包まれ、中にホワイトクリームが入っているシンプルな物。そのクリームの中には銀色の粒が入れられてありました。

    自分の周囲にお菓子がたくさんある夢を見たら、自立できない自分を促す夢だそうで、来客にお菓子を出す夢は、自分自身をアピールしたいと思っている証拠。

    その来客が異性だった場合は、その人を誘惑したいと感じているのだそうです。

    お菓子を自分で買う夢は、自分自身を認めたいという気持ちのサインで、目の前にお菓子があっても食べたいのに食べられないというのは、好きな人がいても告白できないジレンマが見せる夢だそうです。

    そして、お菓子を人にあげる夢は、特に要注意。

    現実は、あなたが思っているようにうまくは運ばないということを暗示している夢だそうです。中でも、あなたがお菓子を渋々あげる夢は、相手があなたに寄せる期待が大きすぎて、それが知らず知らずのうちにプレッシャーになっていることを教えているものだそうです。

    ただし、もしも、あなたが実際にダイエットなどをしていて、お菓子が食べたいのに食べられないというストレスがある場合は、上記の理由では括れないそうですから、あしからず。 

   

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北志賀高原診療所へ医師を・・・・・1053

~ 今 日 の 雑 感 ~


    
北志賀高原診療所へ医師を




    山ノ内町の北志賀高原(須賀川区)で長年へき地医療に携わって来た北志賀高原診療所の医師・小河原当元(まさもと)先生が4月30日に七十三歳で亡くなられた。

    小河原医師は、30年ほど前に東京から移住。

    町営の北部診療所の所長となり、1989年に独立して北志賀高原診療所を開設。

    親切温厚な人柄から地域になくてはならない名医として、住民たちに慕われて来た。

    体調を崩した三年前頃までは、往診も行なっていたという。

    診療所では診察とともに薬も受け取ることが出来、定期的に受診していた高齢者にとっては実に利便性に富んだ医療施設であったという。

    小河原医師が亡くなり診療所が閉じてからは、地域柄、木島平や飯山市などの医療機関へ行くようになった人も多いが、自動車を持たない住民にとっては、かなり不便な状況となっている。

    この医師不在の事態を受けて、須賀川地区では地域医の一日も早い確保を町に陳情した。

    竹節義孝町長は、「須賀川の窮状を何とか救いたい」と、地元の医師と中高医師会へ協力を要請したというが、未だ見通しは立っていないようだ。

    夫人の由美子さんからも「地域医療存続のため、診療所施設を使ってもらっていい」との言葉をもらっているという。

    

    どんなに優れた施設があっても、距離的に通うことが出来ない患者にとってみれば、まったく意味をなさないのが医療機関である。

    テレビ番組でスーパードクターシリーズなどが取り上げられるが、いったい何人の国民がその医師の治療で命を取り留めることが出来るだろうか?

    患者を病院まで運んでくれる家族の存在、治療費、交通費などの問題がすべてクリア出来た人だけが助かることが出来る医療が、本当の医療といえるのだろうか?

    こういう問題を考える時、地域医療格差という現実が否応なく突きつけられる。

    国民皆保険制度を唱える以上、受けられる医療に格差が生じてよいはずがない。同じ国民保険料を支払っているにもかかわらず、住む地域によって受けられる医療技術に違いがあっていいわけはないと思う。

    警察や消防サービスが差別なく国民に提供されるのならば、医療も同様でなくてはならないと思うのだが・・・。
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