ネックレスは、幸運の暗示・・・・・598

~ 今 日 の 雑 感 ~


ネックレスは、幸運の暗示



    ネックレスが夢に出てきたら、それは幸運を意味していると言います。

    豊かさや富の象徴であるネックレスが夢に出てきて、それをあなたが身につけていたら、それは、仕事や恋愛、家庭生活が円満なことを意味しています。

    特に、周りの人とコミュニケーションがうまく行き、人気や友情に恵まれる暗示でもあります。

    また、あなたが女性なら、女としての魅力が輝いているサインだそうで、シングルの女性の場合は、新しい出会いや恋人が現われる兆しでもあるといいます。

    誰かにネックレスをプレゼントされる夢は、思いがけない臨時収入がある暗示でもあります。

    豪華なネックレスは、あなたの夢がかなうことを予感させているそうです。

    チェーンのネックレスは、あなたの周りの人とのコミュニケーションが順調で、何事もみんなで力を合わせて目標を達成することが出来るという可能性を示しているのだといいます。

    しかし、宝石店でどのネックレスにしようかと迷っている夢は、気まぐれや誰かを羨ましがっている証拠ですから、自分の気持ちの整理に努めましょう。

    また、金メッキのネックレスは、上辺だけの見栄にこだわっている証しです。素直な自分を取り戻す努力をしましょう。

    そして、ネックレスが切れる、絡まるなどのトラブルは、恋愛問題でこじれる可能性が暗示されます。自分の気持ちをごり押しすると、ますます問題を複雑にすることもありますから、一歩退いた位置から物事を冷静に見つめる必要があると思います。


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年上か?年下か?・・・・・597

~ 今 日 の 雑 感 ~


年上か?年下か?



    あなたが異性を好きになる時、年上と年下、どちらに魅力を感じますか?

    「わたしは、年上。いつも好きになる相手は、十歳以上も上の人なの」

    こういう女性も良くいますよね。わたしの知り合いにも約二名ほどいます。

    でも、最近の傾向は、どうも年上の女性と年下の男性のカップルが多いといういことのようで、映画『あなたは、わたしの婿になる』などにも取り上げられたように、しっかり者の彼女と、ちょっぴり甘えん坊の彼というパターンが流行のようです。

    どうも、こういう好意を抱きやすい年齢の好みは、恋愛ばかりに限らないようで、普段の仕事や近所づきあいなどでも同様の傾向が見られるとのことです。

    では、年上の人を好きになったり、年配者に魅力を感じたりする人の心理とはどのような物なのでしょうか?

    俗に言う、甘えん坊タイプなのでしょうか?

    いえいえ、むしろその逆なのです。甘えん坊というのは上辺だけのことで、本来年上とばかり付き合う人の深層心理は、意外にも野心家タイプだといえるのです。

    野心家というと、少々言葉がきついかもしれませんが、要するに、上昇志向の人間で、常に自分磨きのための努力を怠らない積極タイプの人なのです。

    言葉も巧みで、年上の人に目をかけてもらおうと、時には歯の浮くようなお世辞も平気で使える社交家です。

    そして、そんな年上の人から子供扱いされたくないという気持も働くために、年上の人に気に入られようと、懸命に勉強もし、自分が輝くためならば投資を惜しまない性格です。

    しかし、そのため無意識のうちに相手に気を遣うことが日常化していることもあり、時には知らない間に疲労を蓄積して、病気になる確率も高いかもしれません。

    適度な息抜きも必要ですから、時には、気の置けない友人や年下の人たちと会話を楽しむことも大事だと思います。



    では、反対に、年下とばかり付き合うことが多い人は、どのような性格の持ち主なのでしょうか?

    こういう人は、おしなべて気を遣わずに楽しく事を運びたいと思う人です。

    年上の人と付き合う時は、相手を立てなければならないという心理が働きますから、どうしても言動が窮屈になりがちですが、年下とでしたら、そういう気苦労は少ないと思われます。

    そして、年下好みの人の特徴は、お説教をしたり教訓をたれることが大好きなのです。

    「おれの若い頃は・・・・」とか、「お前たちに教えておいてやるがな・・・・」などという上から目線で他人を見るのが大好きで、女性ならば、「あなたって、わたしがいなければ何にも出来ないのね」とか、「しょうがないわね。あとは、わたしがやっておいてあげるわよ」などといって世話を焼きながらも、それが楽しいという姉さんタイプだと思われます。

    さあ、あなたは、年上好み、年下好み、どちらのタイプですか? 

    わたしは、以前は年上しか眼中にありませんでしたが、この年になりますと、もはや年上は、皆、〇〇〇に入ってしまっています。(笑)

    必然的に、好きも嫌いもなく、年下しかいないようになってしまいましたけれどね。face02  続きを読む


剣道の胴着の洗い方・・・・・596

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剣道の胴着の洗い方



    わたしの甥っ子も小さな頃から剣道を習っていますが、剣道は、お子さんたちが礼儀作法や努力、忍耐、責任感、思いやりなどを学ぶには、とても良いスポーツだと思います。

    ただ、そんな剣道少年を持つお母さまたちが頭を悩ますのが、胴着や袴の臭いだとも言われます。

    柔道や野球などと違い、剣道の胴着や袴は、あまり洗わない、もしくはまったく洗わないものだと、思い込んでおられる人もいるようですが、そんなことはなく、どんどん洗っていただいて結構です。

    特に、胴着は汗もしみ込みますし、毎日でもお洗濯して下さい。ただ、洗うとどうしても色落ちはしますから、昇級や昇段試験などの時は、試験官への心象に影響するという場合もなきにしもあらずですが、子供さんたちの衛生面を考えれば、こまめにお洗濯されるのがよいと思います。

    そして、その胴着の干し方ですが、天日干しの場合は裏返して干して下さい。色落ちしにくくなります。

    陰干しや室内干しでしたら、そのまま表を出して干して良いそうです。

    また、袴は、胴着に比べればそれほど頻繁に洗う必要はないとは思います。

    袴にも色々種類がありまして、綿袴は型崩れもしやすく、洗濯後のアイロンがけも大変ですから、基本あまり洗いません。

    テトロンの袴の場合は、これは、綿袴と違って洗濯も簡単に出来ますので、充分お洗濯が可能です。干す時も、ひだを整えてから袴の裾の方へいくつか洗濯バサミなどを重り代わりにつけて干せば、乾いたあとのアイロンがけもしないで済むので、とても重宝です。

    そして、小学生の子供さんを持つお母さまたちにお薦めなのが、最近登場し始めたジャージ袴です。

    このジャージ袴は、ジャブジャブ洗ってもらっても大丈夫ですし、干してもすぐに乾き、型崩れもしませんから、とても便利なのです。

    そして、剣道では、この他にも面、胴、小手などの防具も臭いの原因になり易いのですが、これらは、ただの水洗いも禁物です。しかし、消臭効果のある除菌剤(ファブリーズ等)をかけておきますと、かなり軽減できると思います。

    また、現在では、このような防具も予め抗菌されている物が市販されていますから、防具を購入する際は、よく検討されるとよいでしょう。

    こうした様々な方法をうまく組み合わせることで、剣道に付き物の臭いや衛生面の悩みはかなり改善出来ます。

    皆さんも、清潔な胴着、袴、防具で、お子さんたちに楽しく剣道を学ばせて差し上げて下さい。child   続きを読む


食ってかかる人は小心者・・・・・595

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食ってかかる人は小心者



    こんな話を聞いたことはありませんか?



    刑事が殺人現場に横たわる男性の刺殺遺体を見て、こう言いました。

    「酷いなァ、めった刺しか・・・・」

    「一つ一つの傷はさほど深くはありませんが、よほど狂暴な奴の仕業なんでしょうね」

    後輩刑事が眉をひそめます。

    しかし、先輩刑事は、こう断言しました。

    「そうじゃないよ。こういう刺し方をする奴はどちらかと言えば気が小さな人間なんだ。本当に豪胆な奴は、一撃でやっちまうもんだが、これは違う。相手が起き上がって来て自分を襲うのではないかと思うから、ここまで執拗に刺しているんだ。この傷の浅さからしても、犯人は、おそらく力の弱い気の小さな男か、もしくは女の可能性が大だな」


    つまり、俗に言う、「気の小さな犬ほど良く吠える」と、いうものと同じなのでしょうね。

    人間にも、これとほぼ似たことが言えるようです。

    口論になった時、相手に反論の隙を与えないほど自分の言葉をまくし立てる人がいますよね。

    そういう人の言葉をよく聞いていると、内容はほとんどどうでもいいことだったりするものです。何度も何度も同じ言い分を繰り返したり、ただただガァガァとわめき散らすばかりのどなり声を発しているものです。

    こういう人は、一見「強い人」のように思われがちですが、それは誤解です。

    こういう人ほど、自分が言い負かされることが大嫌いでそれを一番恐れる小心者なのです。

    こういう人は、大概において、物事を常に勝ち負けで判断します。自分が大声で早口にまくし立て、相手が黙ってしまえば、自分の勝ちと思いようやく矛を納めるのです。

    相手が自分の言い分に屈したと思い込んでいる訳です。

    そうではなく、単に「こんな奴に理論立った話をしても無駄だ」と、呆れていることが判らないのです。

    そんな訳ですから、次第に周囲もその人を敬遠して近付かなくなりますが、当人は、自分が畏敬の念を持って一目置かれていると大きな勘違いをしている場合すらあるのです。

    まあ、そういう人間と不幸にも口論になってしまった時は、相手に思い切りまくし立てさせながら、憐れみを宿した視線で冷やかに見詰めてやることが重要だと言えます。

    もしも、その相手が自分の身内であれば、それが始まったら「ああ、また発作が起きた」と、思って家族全員がその場から去ってしまうというのも手かもしれません。

    何せ、根はかなりの小心者ですから、時に力尽くや一人ぼっちにして黙らせてしまえば、あとは意のままにコントロールも可能です。

    しかし、職場などではこうは出来ませんから、ヒステリックなまでに口を動かし食ってかかり始めたら、完全無視して相手にしないというのがベストな選択でしょうね。



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鉄道の夢の意味・・・・・594

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鉄道の夢の意味



    わたしは、時々電車や列車に乗っている夢を見ます。

    しかし、決して楽しい夢ではありません。いつも、乗りながら緊張や不安にさいなまれている夢なのです。

    降りるはずの駅で降りられないとか、みんなが降りているのに、自分だけが乗り続けてしまうとか、その逆で、自分だけ見知らぬ駅で降りてしまい、途方にくれるとか、降りた駅が最初は見覚えがある駅なのに、街へ出たらまったく見知らぬ土地だったとか、列車の発車時刻に遅れるとか、とにかく、散々な夢なのです。

    どうやら、これは、自分だけが世間から取り残されてしまうのではないかという焦りや不安が見せる夢のようです。

    確かに、わたしは、十年にもわたり足が痛く、ほとんど歩くことが出来ませんでした。そしてその痛みが全身へと広がり、毎日毎日が痛みとの闘いで、いつか良くなるだろうと思い続けて日々を過ごしてきましたので、正直、季節が変わることすら頭になかったほどなのです。

    気が付いたら、十年以上が経過していたという具合ですから、このような悪夢ばかり見ていたのだと思います。

    ですから、本音を言いますと、わたし自身は、今の自分の年齢がもう一つ実感できないでいます。つまり、十年前に時間が止まったままなのです。

    目的地以外の場所で電車を降りてしまう夢は、思い通りの結果が得られないことへの警告でもあるそうですから、正にその通りだと思うのです。

    電車に乗り遅れる夢は、物事がうまく運ばないのではないか、変化についていけないのではないかという危惧だと言いますし、乗り換えを余儀なくされる夢は、仕事などの面で計画の見直しが必要だということを示しているのだそうです。

    そして、不思議なことに、わたしの夢にはしょっちゅうお寺が出てくるのです。

    列車を降りたあと、何故かお寺へ向かい、本堂で気持ちの良いそよ風に吹かれている夢とか、鐘楼の鐘が巨大なユリの花だったとか、長い階段の上にあるお寺へ一生懸命上っているとか、広く近代的な白壁の寺院の敷地を歩いているとか・・・・。

    鉄道とお寺の組み合わせは、何を暗示しているのでしょうか?

    では、鉄道が夢に出て来ても、幸運を暗示する例もあげておきましょう。

    目的地がしっかりしていて電車に乗っている夢は、あなたの将来にしっかりとした計画がある証拠です。

    異性と一緒に電車に乗る夢は、恋愛がうまく行く暗示です。

    そして、列車が順調に走り、ちゃんと目的地へ到着する夢は、物事が順調に運び、近々、目標が達成されることを示しているそうです。

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花の夢を見たら・・・・・593

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花の夢を見たら・・・・


    

    この前、<今日のおまけ>で少し触れた、「花」の夢について、もう少し詳しく書いてみたいと思います。


    ドライフラワーばかりを飾っているような薄暗いバーや、喫茶店には、案外、幽霊話やオカルトの話題が付き物ですよね。

    経営者は、そんなことは想像もせずにシックなイメージとか懐古趣味でドライフラワーを店内に飾っているのだと思うのですが、やはり、それは魂が死んだ花ということもあり、マイナスの運気を引き寄せてしまうということもあるようなのです。

    そんな意味もあって、花の夢を見た時も、それが生の花なのか、それともドライフラワーや造花なのかということで、かなり暗示が変わって来てしまうのだそうです。

    まず、夢に美しいドライフラワーが出てきた時は、あなたが、未だに過去の恋愛にこだわっていることを意味するようです。また、今の恋愛や結婚に疑問を感じている時も、よくドライフラワーの夢は見るようで、そのドライフラワーがホコリをかぶっていたりした場合は、思い出したくない過去の恋愛に悩まされているのかもしれません。

    知り合いに枯れた花やしおれた花を贈る夢は、あなたがその知り合いに対して敵意を抱いている証拠なのだそうです。

    そして、造花の夢を見たら、何かが切っ掛けで友だちから嫉妬されるかもしれません。相手の嫉妬心を煽るような言動はくれぐれも慎んで下さい。

    そんな訳で、生の花ではない夢は、やはり何処か警告の意味が強いのだそうです。

    では、生花の場合はどうなのでしょうか?

    箱に入ったりセロファンなどで包まれている花の夢は、何を暗示しているのでしょう?

    これは、あなたがプラトニックな愛に憧れている証拠だといいます。

    「花」は、そもそも女性の美しさ、成功、幸運、大切なもの、はかなさなどを意味しますから、花が咲く夢は、可能性の広がりを暗示したり、恋愛運の上昇を伝えてもいるのです。

    異性から花を贈られる夢は、その異性があなたに好意を持っている証しでもあり、その花が美しい花束であれば、ラブチャンスに恵まれるかもしれません。

    花瓶いっぱいに活けられている花は、金運の上昇や経済状況の好転を意味し、花輪の夢は、嬉しい知らせの前触れ。とくに、自分が花の冠を頭にのせていたりする場合は、結婚や結婚願望を意味しているようです。

    しかし、これには誹謗中傷を受けるという悪い暗示も含まれていますから、あまり有頂天にはなるなという警告でもあるといいます。

    そして、自分の持っている花を誰かに分け与える夢は、財産や自分の大切なものが分散してしまうことの暗示です。分け与えている相手が恋人や夫(妻)の時は、相手に愛想づかしをしていることを表わしているそうです。

    花の夢は、その花自体にも意味があります。

    花言葉なども参考にして考えてみて下さい。また、花の夢が「死」を暗示することもあるので要注意だそうです。そういう時に見る「花」は、とても鮮明なことが多いそうなので、そういう夢を見た時は、事故や病気に気を付けることも必要でしょう。

    実は、このブログにも時々書いていますが、わたしは病気が発覚する前、よく花の夢を見ました。

    この苦痛から逃れて、早く楽になりたいという心理が見せていたのかもしれません。


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食事をする夢・・・・・592

~ 今 日 の 雑 感 ~


食事をする夢



    何かを食べる夢を見ると、風邪をひく-----そんなことを聞いたことはありませんか?

    この根拠はよく判りませんが、もしかしたら、心が「寒い」と言っている証拠なのかもしれません。

    食事の夢は、皆さんも良く見ることがあると思いますが、そのシチュエーションによって、かなり意味合いが違うようです。

    おいしく物を食べている夢は、近々、あなたの希望がかなうことを暗示しているようです。

    そして、大勢で楽しくワイワイと食事をしている夢は、あなたの頑張りで周囲の人たちも幸せになるという暗示だそうです。

    そして、食べ物を分け合う夢は、愛情を確認したいという願望が見せるもので、満腹になる夢は、愛される充実感を感じている時に見る夢だと言います。

    しかし、一人で食事をしている夢は、満たされない思いをかかえているか、対人関係がうまくいっていない証拠ですし、また、芸能人や有名人と食事をしている夢は、地位や権力が欲しいと思っている時に見るようです。

    そして、いつまでも食べ続けている夢は、愛情に飢えていたり、寂しさを感じている証拠で、手づかみで食べている夢は、夫や妻への不満が爆発しそうになっている証拠だと言います。

    一人でこっそりと食事をしている夢は、自分の思いが相手に届かなかったり、別れた恋人に未練を感じている意味だと言われます。

    目の前の食べ物を食べずにいる夢は、避けて通りたい現実があるという証しで、食べたくないのに無理やり食べている夢は、仕事の面で何か躓(つまづ)きをするかもしれないという暗示だそうです。

    自宅での食事は、節度ある行動がトラブルを防ぐということを示しているということです。

    
    また、他人から食べ物をもらう夢は、あなたを助けてくれる人や情報が得られる暗示だそうなのですが、驚いたことに、わたし自身、この間ある人から大きなチーズ・ケーキをもらう夢を見たのです。

    そうしたら、翌日、果たして吉報が入りました。

    やはり、夢って、侮れないものですね。icon22  続きを読む


徒 然 雑 感 5・・・・・591

~ 今 日 の 雑 感 ~


徒 然 雑 感 5



    『フード・ファディズム』なんて言葉が最近はやり始めたらしいね。

    一時的食の流行とでも訳すのかな?

    なんでも、これさえ食べれば綺麗になる、痩せられる、健康になる----そんな宣戦文句に踊らされて、みんながいっせいにその食べ物に飛び付くことを表わす言葉らしい。

    そういえば、以前、テレビの健康番組が原因で、納豆が爆発的に売れたり、青ミカンやバナナ・ダイエットで痩せたなどという女性タレントの言葉をうのみにして、バナナを大量に買った女性たちもいたそうだね。

    玉ねぎなんかは、確かに血糖値を低下させたりする物質を含んではいるらしいけれど、人間がこれを食べて血糖値を下げようとすれば、それこそ膨大な量を摂取しなければならない計算になるそうだ。

    ヘルシーと言われる食品を食べ続けたおかげで、逆に病気になってしまうよね。

    それから、『バランス栄養食』なんて、CMをしている食品があるけれど、これも、災害時の非常食などには適してるそうだけれど、栄養成分を見るとすごく脂肪が多いんだって。

    こんなものを毎食食べていたら、絶対に肥満になってしまうね。

    人間は、不安をあおるような情報には特に弱いから、健康問題にはことさら敏感なんだよね。

    「現代は、ストレスが多い社会ですから、ストレスに打ち勝つため、この食品をどうぞ」

    「肥満は、心臓病や高血圧の大敵。肥満解消には、これを食べましょう」

    こんな情報にばかり振り回されていれば、結局、自分自身を見失ってしまい、拒食症や過食症に走ることにもなり兼ねないんだと思う。

    だから、自分が今接している情報は正しいのか?っていう、情報を疑う力が必要なんだそうだ。これを、『情報リテラシー』って呼ぶんだって。

    健康に必要な三要素は、「栄養」「休養」「運動」で、これに非喫煙が加われば良いんだそうだけれど、まあ、さほど長生きにこだわらない人は、喫煙だって他人の迷惑にならない範囲なら、別にかまわないんじゃないかと思う。

    だって、健康ということは、長生きとイコールじゃないからね。

    健康で短命、不健康で長寿、こんなこと何処にも当たり前にあることだから・・・・。

    まあ、人間、「そこそこの食事で、そこそこの健康」----これが一番いいんじゃないのかな?  続きを読む


SEX AND THE CITY・・・・・590

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SEX AND THE CITYicon06



    『SEX AND THE CITY』

    このドラマって、前に深夜放送でやっていたと思うんだけれど、テレビで映画版をやっていたので、観てみた。

    一口で言うと、ニューヨークに住む四人の四十代女性が友情と恋愛に悩みながらも逞しく前進する、都会派のラブ・コメディだ。

    テレビ版で観ていた時は、どうしてこんなに彼女たちは、とっかえひっかえお色直しのように服を着替えるのか疑問だった。しかも、主人公の四人がそれほど美しくない。(可愛らしくはあるけれど)

    まあ、何処にでもいる白人の女性という感じで、それがまた親近感を与えてウケているのだろうと思う。

    しかも、彼女たちのファッションが、このドラマの一つの売りなんだろうけれど、何と言うか・・・・、今の日本人の感覚からすると、少々田舎っぽいのだ。でも、これもまたご愛敬。

    確かに、デザインの奇抜さや色彩センスは素晴らしい衣装なんだろうけれど、これが現在のアメリカなんだろうな・・・・って感じ。

    でも、ストーリーは、軽くて楽しい。

    映画は、女性主人公のキャリー・ブラッドショー(コラムニスト)が、十年付き合った裕福な実業家のミスター・ビッグとようやく結婚へこぎつけたところから始まる。

    ニューヨークのビルの最上階にあるゴージャスなペントハウスで、夢の新婚生活が始まることを期待しているキャリーは、友人のシャーロット・ヨーク(お嬢さま願望が強い純愛主義者)、ミランダ・ホップス(ハーバード大出の弁護士)、サマンサ・ジョーンズ(PR会社社長で他の三人よりも少し年上・恋愛積極派)たちを前に、有頂天。

    しかし、当のミスター・ビッグは、過去に結婚に失敗していることもあり、いまひとつ慎重な様子で、式の前日もキャリーに不安を漏らす。それでも、キャリーは、明るく彼を励まし、翌日は素晴らしく優雅なウエディング・ドレスで結婚式会場までやって来るが、いつまで待っても新郎は現われず。

    そして、彼女の元へようやくかかった携帯電話で、「やはり、無理だ」と、彼は告げる。

    ウエディング・ドレスのままで、ミスター・ビッグと路上で会ったキャリーは、感情を爆発させて彼をバラのブーケで殴りつけ、友人三人とメキシコへ傷心旅行へ旅立った。

    確かに、荒唐無稽のようなお話だが、煮え切らない男に振り回される女性の悔しさや、憤りがコミカルな中にもしっかりと描かれている。

    どんなに偉そうなことを言っても、格好つけても、やっぱり女性は、花嫁姿にあこがれ、お姫様になりたいのだということが堂々と宣言されたドラマなのだ。

    そういう意味では、『マイフェア・レディー』や、『シンデレラ』から、女性の心理は一歩も進化していないようである。

    また、そうでなければ、こういう古典的な内容の恋愛ドラマが、高視聴率を稼ぐはずがないのだ。

    ただ、ミスター・ビッグが結婚をためらった原因には、自分の夫の浮気を責めていたミランダの結婚を否定する一言があったためではないかと、ミランダ自身が悩むシーンもあり、女性同士は、自分よりも幸せになる友人を心の底では素直に祝福できないという現実も、さりげなく提示していた。

    こんなこと、実際はあるわけないでしょ----と、思いながらも、それでもつい観てしまうといった毒にも薬にもならない愉快なドラマではある。

    ただ、一つこのドラマのストーリーから学ぶものがあるとすれば、それは、人間は誰しも孤独であり、どんなに素晴らしい恋愛をしても、他人同士である以上は永遠のハッピーエンドはあり得ないということ。

    だからこそ、友情は大切に-----なんだろうね。icon01

    

    

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敵、味方は、座り位置で判る・・・・・589

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敵、味方は、座り位置で判る



   
    あなたの上司のAさんが、ある商品開発に伴う画期的なアイデアを持っていて、それを製作担当者に説明しなければならないので、あなたもそのプレゼンの場に同席することになりました。

    しかし、相手の製作担当者は、Aさんのアイデアを商品化することにあまり前向きではありません。

    その商品を開発するのはとても難しく、コストもかかる上に必ず売れるという保証はないのです。

    時間の浪費になるとして、製作担当者は難色を示しているのですが、それを説得してどうしても新製品の開発にこぎつけたいと、Aさんは強気です。

    さて、このような時、あなた以外にもAさんに味方する人がいたとしたら、その人は、どの席に腰をかけると思いますか?


    会議用のテーブルがある場合、Aさんのアイデアに難色を示す人たちは、間違いなくテーブルをはさみ、Aさんとは反対側の席に腰かけるはずなのです。

    しかも、Aさんの真正面に座る者が、もっともAさんのアイデアに強硬に反対している人だということが言えるのだそうです。

    つまり、積極的に議論を戦わせるには、この位置が一番効果的なのです。

    では、そんな反対派の中でも、Aさんの真正面ではなくやや斜め前の席に腰かけた人は、どのような感情を持っている人なのでしょうか?

    この人が製作担当者であっても、それほどAさんのアイデアを否定してはいないということになるようで、むしろ、全体の話し合いの内容を客観的に見ていて、最後にはAさんに賛成してくれる可能性もある人物だと思われるのです。

    そして、あなたは、もちろんAさんの部下ですから、座る場所は自ずとAさんの横ということになりますよね。

    あなたが何の違和感もなくここへ座ったとすれば、あなたは上司のAさんのことを心から尊敬し、信頼している証しだということになるようです。

    この席は、あなたが女性なら恋人のように相手に好意を懐いていることを証明するという席でもあり、また、隣の相手に気持ち的に依存していることを意味する場所でもあるようです。

    ですから、相手側に予め内容を知らせている会議に臨んだ時、あなたや上司の意見に賛同してくれそうな人は、あなたたちの斜め前に座った人と見るのが妥当のようです。

    そういう人は、案外、その後あなたたちの味方となり、協力をしてくれる関係になり得る可能性もある人なのです。

    また、会議への出席人数が多い時、Aさんから出来るだけ距離を取るような席に座る人は、出来ればそういう議論に加わりたくないという消極派です。

    決まったことには従いますという、無関心派と見てよいようです。





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人間の心理の不可解さ・・・・・588

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人間の心理の不可解さ



    山ノ内町の星川という場所で、去年まで八年間の長い間、一月以上にもわたる長丁場の夏祭り・盆踊り大会なるものが開催されて来たのであるが、さすがに、連日の大騒ぎにホテルの宿泊客やご近所から苦情が出て、実行委員の人たちは、今年から別の場所での開催を模索するようになったそうである。

    これまでは、片側が河川堤防という場所にある駐車場で行なわれていてのだが、今度は住宅地の真ん中で行なうことになりそうだとの噂で、その近所の住民たちは、「今度はうちの方か?勝手に決められて大迷惑だ」と思いきや、大反対している一部の人を除いては、案外皆さんが抵抗感がないことに驚いているという話を聞いた。

    事後承諾で、ほぼ納得しているというのである。(実行委員の人たちがお酒の一升瓶を持って、各家庭を回ったそうである)

    マイクを使わないという条件だからとか、うるさくしないからとか、去年までのように歌手は呼ばないとか、まあ、色々と規制を設けての開催を考えているとは言うが、盆踊りがそんなに静かに大人しく開催出来るというのであろうか?

    夜店の類も出るであろうし、ごみも散らかるであろう。

    音楽だって、最初は条件通り静かに始めたとしても、どうせ日を経るごとに大きくなり、人の声や下駄を履いての足音などの騒音をまき散らすことになるのは目に見えている訳で、今、納得している人たちだって、それで耐え続けられるのであろうかと、懸念の声もあるのだ。

    しかし、それでも、近所の人たちは、何を考えているのか実に物分かりの良い大人の対応をしようとしている。観光地の活性化に協力しようという真摯な気持ちからなのか?

    いや、わたしには、どうしてもそうは思えないのだ。何故なら、そう言う人たちも陰では、本当に頭を悩ませているのだから。

    にもかかわらず、表向きの顔は、物事を荒立てたくはないという冷静さを装っている。

    どうして、嫌なら嫌だとはっきり意思表示をしないのか?実に、不可解極まりない。

    迷惑料でももらおうという魂胆か?その方が儲かると思っているのか?でも、一月以上も続くんだぞ。それも毎晩。

    暑い夏の盛りに、窓だって閉め切りになど出来ないだろう。クーラーをかけるから良いと言うのか?いやいや、クーラーなどないお宅だってあるし、病人がいるお宅もあるだろうし、また、その時間には早くも就寝するという人もいるだろう。

    本心は、もっての他だと思いつつも、それを口に出せない。いや、自分の面子のためか、口に出そうとしない。

    だから、わたしは思う。何事も最初が肝心なのだ。いやだと思うのなら、最初からいやだと言い続けることだ。

    やめて欲しいと、言い続けても、それでもやるというのなら、公に騒音被害や安眠妨害を訴えるしかない。

    そして、反対にこれをいったん黙認した人たちは、あとから、こんなはずじゃなかったなどという、世まい事だけは言わないことである。

    それを覚悟の上で開催を承知したのだから、最後まで、いや、今後、何年続くか判らないが、口が裂けても音をあげるようなざまは見せるなよ!!





    
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倹約の我慢も限界か!?・・・・・587

~ 今 日 の 雑 感 ~


倹約の我慢も限界か!?



    この前の週末に買い物に出た。

    何処のスーパーも人、人、人。

    いったい何処にこんなに人間がいたのかと思うほどの込み具合だった。

    駐車場も満杯で、駐車待ちの車が出ているほどだ。

    各家庭は、ゴールデンウィークでさえも遠出を控えて節約、倹約に努めてきたが、もはや、それも限界に達したらしい。

    人間は、どんなにその時は出費を抑えたとしても、やはり、必要な物はいつかは買わなければならないもので、その時期が早いか遅いかの違いだけなのだ。

    我慢を続ければ、必ず何処かでその反動は来る。

    今までは、高いお米を買っていた人が、安いお米に替えることはあっても、お米は食べるのだ。不景気で給料が減ったから、今日から我が家は米なしだ-----と、いう家はまずないだろう。

    しかし、外食する回数を減らすとか、旅行の回数を減らすということならば出来るはずである。

    人間、外食をしなくても、旅行をしなくても死ぬわけではない。

    宝飾品を買わなくても、高級車を買わなくても病気になる訳ではない。

    こういう言わば趣味や嗜好のために支払うお金には、多額の税金をかけ、どうしても生活に必要な水道代、ガス、電気代、灯油代、贅沢品以外の食費、洗剤、トイレットペーパーなどの紙代、最低限必要な文房具用品、そのようなものには消費税をかけるのをやめて頂きたいものである。

    「お母さん、お刺身食べたい」

    小学校低学年ぐらいの女の子が言った。

    「そうね、久しぶりにお刺身、買って行きましょうか?何がいい?」

    母親が訊ねる。と、少女は、冷蔵ケースの中に並ぶお刺身の数々を眺めて、まず、タイの刺身に手を伸ばしかけてから、すぐその横のカジキのぶつ切りを手に取った。

    「これがいい」

    「ほんと?これでいいの?」

    母親は、ちょっと悲しそうな目で訊く。少女は、うんと、頷き、

    「あたし、カジキが大好きなの」

    嬉しそうに答えてそれを籠の中へ入れた。

    タイのお刺身は、一パック580円。カジキのぶつ切りは一パック299円。

    少女は、母親がいつも生活費を節約している姿を見ているらしく、本当はタイのお刺身が食べたかったに違いないのだが、ちょっぴり我慢をしたのだ。

    これが、ほとんどの日本国民の姿なのである。

    この少女は、もちろんバブルで日本中が浮かれていた時代のことなどは知らない。だから、今の生活が当たり前だと思いながら大人になるのだろう。

    高級レストランで外食三昧の政治家たちは、自分たちの食卓をこの少女に見せることが出来るのだろうか?

    答えは、そこにあるのではないかと考える。   続きを読む


徒 然 雑 感 4・・・・・586

~ 今 日 の 雑 感 ~


徒 然 雑 感 4



    北海道の夕張市といえば、2007年、財政債権団体になった自治体だよね。

    そこの診療所の医師が、先月、首つり自殺を図った五十代の男性の受け入れを断わっていたというニュースがあった。

    この診療所の村上智彦医師は、男性が既に心肺停止の状態にあると聞き、外来患者の診療中でもあり、対応不可能として救急隊からの受け入れ要請を断わったそうで、この診療所は昨年九月にも同様に首をつった状態で見付かった男子中学生の受け入れを断わっていたそうだ。

    村上医師は、「首つりと聞いて検案(死亡確認)のケースと判断した。緊急性が低く、自分は外来もあったため、他の医療機関で対応してもらいたいと伝えた」と話しているそうで、藤倉肇市長は「誠に遺憾という思い。市立診療所の開設者として総括が必要だ」と語ったという話だ。

    でもね、「誠に遺憾」と言ったって、心肺停止状態の患者を診療所へ運んで何が出来るって言うわけ?

                         結果、死亡確認をするだけの話でしょ?

    しかも、事故や事件、災害に遭った事例じゃない。自殺でしょ?

    わたしは、この医師の判断に間違いはなかったって思うけれどね。

    わたしも以前、病院で採血をしてもらった時、どういう訳か家へ帰って来たら採血した腕の血管が紫色に浮き出て来てしまって、あまりに不気味だったので、翌日は休診日にもかかわらず救急外来へ駆け込んだことがあった。

    そうしたら、わたしのあとから中年の男性が一人、奥さんと思しき女性とやって来て、「親指の第一関節から上が取れてしまった!」と、言う。何かの機械で切ってしまったらしいのだが、もう、夫婦そろって顔面蒼白。

    そりゃァ、そうだよね。指が取れちゃったんだから、もうパニックだよね。

    もちろん、取れたとはいっても、取れた親指をくっつけて来たんだけれど、その日の救急担当の外科医は落ち着いたもので、先にわたしの方の診察をしてくれるという。

    わたしは、向こうの人の方が緊急だからと、遠慮したんだけれど、医師は、それでもわたしの方を先に診ると言って、わたしは診察してもらった。結局、採血の際に血管を針が突きぬけてしまい、腕の止血がうまく行っていなかったための事故だったようだ。

    でも、聞けば、こういう一見ささいなことの方があとで重大な症状を引き起こすことがあるので、わたしの方を優先したという。しかし、親指が取れているのは、単に親指が取れているだけのことで、当面、命に問題が生じることではないそうで、その後、その医師は、男性の親指を上手にくっつけてくれたそうだ。

    つまり、医師たちの判断は、素人には理解できない場合が多い。

    どれが優先で、どれが後回しでもいいかなどという判断は、結局、現場の医師にしか判らないことなんだよね。

    もしも、村上医師が、外来患者を放りっぱなしのままで首つり自殺者を診察していて、その外来患者の症状が急変したら、「遺憾だ」と、言った市長は、どう責任を取るつもりなのだろうね。

    首つり自殺者も死亡、外来患者も死亡-----そういうことだってない訳じゃないでしょ?

    誰も来手のない破産自治体の診療所で一生懸命働いている医師に、あまり負担をかけるようなことをして欲しくないよね。下手な責任追及なんかしたら、また、医師がいなくなってしまうよ。

    その方が困るんじゃないの?

    
    



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徒 然 雑 感 3・・・・・585

~ 今 日 の 雑 感 ~


徒 然 雑 感 3



    どうして、皆さん、不景気だ、不景気だといいながら、毎日毎日、素敵なレストランで外食をしたり、ケーキやパフェを食べたり、旅行をしたり、食器や洋服を買ったり出来るんでしょうね?

    わたしには、不思議でなりません。

    不景気なんて、本当は嘘で、皆さんお金持ちなんじゃないですか?

    日本の政府は、国民に騙されているんじゃないんでしょうか?

    だって、ブログを読んでいれば、あれを買った、これを買った、あそこへ行った、これを食べた、そんな記事ばかりです。

    ランチが2000円。とてもお得でした!----なんて、記事もありましたよ。

    信じられません。バブルの頃だって、わたし自身はランチに2000円も使ったことはありません。

    それとも、ブログを書いている人たちは、物すごくお金持ちの人ばかりなんでしょうか?

    以前、自民党の麻生元総理は、「ホテルのバーは安い。三万円でおつりがくる」と、言っていたことがありましたが、その感覚とさほど変わらない言葉です。

    だって、自動車で遠出をすればガソリン代だってかかるでしょ?公共交通機関の運賃だってバカにならないし・・・・。

    ついさっき、幸福実現党という党の参議院選の立候補者が家の前に立っていて、「どうして、この街はこんなに人通りがないんですか?」なんて訊くものだから、観光客が激減していて、旅行に来た観光客もお金を落とさなくなったからだと答えると、本当に驚いていました。

    でも、どうして、今更驚いたりしているのでしょうか?

    国会議員に立候補するのなら、そのくらいの現状は熟知していて当然じゃないですか?各商店の経営状態も知らない人が国会へ行って、何をしようというのでしょうかね?

    まったく、理解不能なことばかりです。

    こんな明日のことが判らない世の中です。今あるお金は、万が一病気になったり寝たきりになったりした時に使おうと思えば、おいそれと買い物なんか出来ませんよね。これまでは毎年何回か温泉旅行に来ていたお年寄りたちも、年金をもらっても溜めこむ一方で、誰も無駄遣いなんかしませんよ。

    給付が始まった子供手当も、市長さんが、「子供さんの学費や、塾代に使って下さいね。絶対、大人のためには使わないでくださいね」と、言いながら、子供連れの主婦に渡していましたが、インタビューに答えた主婦たちは、「家族で旅行へ行く資金にします」とか「レストランでおいしいものでも食べます」なんて、平然と言っていました。

    本当に、国民の血税からねん出した子供手当をなんだと思っているのでしょうね?

    あんな主婦たちの道楽や贅沢のためにびた一文だって使われると思うと、腹立たしいばかりです。

    大学進学を希望する子供たちの奨学金に使うとか、何かもっと有意義な別の使い道を考えてもらいたいものです。
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大声のバカ笑いはストレス溜まりまくり・・・・・584

~ 今 日 の 雑 感 ~


大声のバカ笑いはストレス溜まりまくり



    男でも女でも無暗に大声でバカ笑いをする人がいますよね。

    別に面白い話題でもないのに、やたらに、大きな声で笑う。テレビ・タレントにもよくこの手の人がいます。

    こういう人は、自分に注目して欲しいためにこんなバカ笑いを連発しているのではありません。

    自分が参加している場の雰囲気が落ち込まないように、必死で取りつくろっているのです。

    意外にも周囲がどのような反応をしているのかが気になって仕方がない性分で、相手が退屈していたり、白けていたりすることが何故か自分の責任のように思い込んでしまうタイプなのです。

    ですから、そう言うバカ笑いをする人の目を見て下さい。まったく笑ってはいないはずなのです。

    声だけで如何にも面白いというような表情を作ってはいますが、腹の底から愉快な笑い声とは程遠い単調な発声で笑っているのです。

    女性にも、相手を喜ばせようと一生懸命演技をする人がいますが、その人が無理やり滑稽なふりをしているのは、男性よりもはっきりと読み取ることが出来ます。

    やはり、そういう人は目を見て下さい。まるで、目に表情がないのです。そして、額にはおそらく青筋が出ていることさえあるでしょう。相手を退屈させるわけにはいかないという使命感にも似た悲痛な頑張りが、そういう人の心理にはあるからです。

    元気いっぱいのサービス精神旺盛な態度は、とかく、豪放磊落、明朗快活と受け取られがちですが、そういう人たちの内心は、ストレス溜まりまくりの疲労感であふれているというのが事実のようです。  続きを読む


延々としゃべり続ける人の心理・・・・・583

~ 今 日 の 雑 感 ~


延々としゃべり続ける人の心理



    
    政治家同士の討論会などをテレビで観ていると、相手が話をしていることもまったくお構いなく、延々と自分の主張を話し続ける人がいる。

    あれは、実に見苦しいものだが、特にそう言うしゃべり方をする政治家は、左翼系統的な党に属しているように思う。

    討論と演説の場を混同しているといえるのである。

    他の出席者たちが自分の話を聞いていようがいまいが、そんなことはまったく関係なく、自分の主張だけをしまくる。

    議論や話し合いというものは、相手の意見にも耳を傾けてこそ成り立つものだということは、小学生でも知っていることなのに、まるで、時間が足りないとばかりに、他の人が指摘を入れる間など与えてやるものかとばかりに、機関銃のようにまくし立てるのだ。

    観ていてとても不愉快で、イライラして来る。

    テレビ画面に向かって、「早く黙れ!!」と、叫びそうになるほど、ムカつく。

    おそらくは、所属する政党の方針で、「これだけのことは絶対に最後まで言ってこい」と、指令を受けて参加しているのかもしれないが、あの話し方を聞いていれば、「決して、お前の所などに票を入れてやるものか」と、思ってしまう。

    正しく、逆効果になることが何故判らないのかと思うのだ。

    政治家に限らず、一般人にもこのような話し方をする人は多い。

    いや、最近とみに多くなったように感じる。

    話したいのは、自分のことだけ。他人の話など聞くのは時間の無駄だとばかりに、延々としゃべる続ける中高年層のおばさんたちの増えたこと。

    相手に一言をはさむ余地さえ与えるものかとばかりに、お互いにベラベラとまくし立てるおかげで、周りで聞いている者たちは、いったい二人が何の話をしているのかも判らない。

    普通、会話というものは、「この間こういうことがあってね」とくれば、「そうなの。知らなかったわ」というようなキャッチボールが当たり前なのであるが、彼女たちの話し方は、「この間こういうことがあってね」と一人が話すと、「わたしにもこんなことがあってね」と、もう一人が返し、「こんなことになったのよ」と、一人が結末を教えても、もう一人は、「そんなことどうでもいいけれどさ」と、さらに自分の話を続けてしまうのである。

    これは、ただ単に自分の主張だけを聞いて欲しいと思う心理とも違い、自分の意見が相手から評価されることを恐れる気持ちが働いているせいもあるのだという。

    言葉の間を開けて、相手のつけいる隙を見せた途端、どんな反撃に遭うか判らないという不安感が、彼女たちに息継ぎさえも許さないようなしゃべり方をさせるのだそうだ。

    自分は、いつも正しい。「それは違うよ」なんて、まかり間違っても指摘されたくはない。

    家の中では、夫の理不尽な言動に、毎日「はいはい」と、従順に返事をして来たのだから、外で話をする時ぐらいは、「わたしの話だけを聞きなさいよ!」の苛立ちが、おばさんたちの一方通行、猪突猛進話術に拍車をかけているのだと思うのである。

    

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性格は歩き方で判る・・・・・582

~ 今 日 の 雑 感 ~


性格は歩き方で判る



    あなたは、自分の歩き方に気を配ってみたことがありますか?

    いつも、背筋をピンと伸ばして歩いているとか、足が長く見えるように大股で歩くようにしているとか、歩き方は人それぞれですが、それでも、普段歩く時は、さほど姿勢にまでは気をつけていないという人の方が多いのではないでしょうか?

    いつもは、大股でさっそうと肩で風を切るように歩いていた女性が、ある時背中を丸めるような姿勢で歩いているのを不思議に思い訊ねたところ、前日、恋人と別れたことを話してくれた-----なんてこともあったとか・・・・。

    それでは、歩き方でその人がどのような性格か判るという大まかな例を、少し上げてみましょう。

    まずは、特別忙しいこともないのに、常にせかせかと歩きまわる人がいますが、こういう人は男性に多く、周りの人にも自分と同じ歩調で歩くことを要求したり、身勝手で攻撃的な性格の持ち主と言えます。

    妻が重い荷物を抱えて困っていても、自分だけはさっさと先に行ってしまい、遠くから「何やっているんだ!早く来い!」などと怒鳴ることが多いタイプです。

    わたしが東京にいた時、けっこう有名な俳優さんがちょうどこんなシチュエーションで、奥さまと思われる女性に向かって怒鳴っている光景を目撃したことがありました。が、そのご夫婦は、その後離婚したそうです。

    では、相手の歩調に合わせるようにして歩く人は、どのようなタイプなのでしょうか?

    そういう人は、温和で周囲に気配りがっ出来、敵も少ない人です。ただ、お人好しすぎるあまり優柔不断と思われがちで、決断に時間を要することもしばしばですが、結婚相手としては理想的な人です。

    でも、人によっては物足りなさを感じるかもしれません。

    リズム良く歩く人は、自信家です。特に女性は、自分が有能であることを自負していて、仕事は出来ますが異性に対する思いやりに欠けるところがあるようです。仕事命のキャリアウーマンタイプに、こういう歩き方の人は多いようですね。

    元気よく走るように歩く人は、明るい性格で異性にも思いやりがありますが、落ち着きがないようにも思われるため、周囲からは少し軽く見られがちです。

    そして、何かをしながら歩く人は、自己中心的で子供っぽい傾向があります。音楽を聴きながら、仕事の書類を読みながら、ペットボトル入りのジュースを飲みながらなど、常に何かをしていなければ気が済まない人なのです。

    ちなみにわたしは、必死にがむしゃらに歩くタイプです。つまり、そうしなければ、倒れてしまうのです。(笑)

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ごめんなさいの言えない人・・・・・581

~ 今 日 の 雑 感 ~



ごめんなさいの言えない人




    日本には、昔から『お詫びの美徳』という文化がある。

    これは、きわめて特殊な考え方であり、他の外国ではおそらく想像も出来ないような感性であると言えるが、武士道の『切腹』や負け試合で頭を丸めるなどという行為は、正にこれにあたるものである。

    やくざの世界には、指を詰めるということなどもあるようで、自分が悪かったとか、負けたと思った時は、その事実を正直に受け止め、潔く非を認めることが、すなわち美しいこと、男らしいことという感覚が備わった民族が日本人なのである。

    そのために、日本語には、お詫びを表現する言葉が他国に比べて多いそうである。

    「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」「お許しください」「ご容赦ください」「謝罪します」「謝意を表します」「すまん」「悪い」「失敬」「失礼」「お詫びいたします」

    まだまだ、あるだろう。

    しかし、最近、こういう文化を是としない、日本人がもの凄く増えて来たように思う。

    自分が悪いと思っても、決して「ごめんなさい」を言わない。詫びるどころか、自分の方を肯定さえする鉄面皮たちのいかに多いことか・・・・。

    また、そういう恥知らずの卑怯者に限って、おもての顔は究極の善人面を見せているのである。

    そういう人間は、女性に多いのもこの国の特徴のようで、また、周囲が平気でそういう女たちを容認しているのだから始末が悪いのだ。

    意地っ張りで、腹黒い、目立ちたがり屋の女たちが、この国をダメにしていると言っても過言ではない。

    自分の子供が公共の乗り物の中で他の乗客に迷惑をかけても、その子を叱るどころか、

    「おっかないおじちゃんに『めっ』されたら困るよ」
  
    こんな風に他人に罪をなすりつけるような子育てをする、最低な人間たちである。

    まともに謝罪の出来ない自分本位の女たちの増殖が、ますます日本をダメにして行くように思うのは、わたしだけではないはずである。

    彼女たちは、自分を悪く言う人間はすべて敵であり、排除しなければ気が済まないとさえ思っている。

    たった一言「ごめんなさい」と、言えば、すべては丸く納まるはずにもかかわらず、意地を張って言わないがために、自らの墓穴をどんどん大きくしていくのである。

    自分の価値を貶めて、友人をなくしながらも、それでも頑なに自らは正しいと言い続ける実に虚しい人間たちと言わざるを得ないのだ。

    そういう女性、あなたの周りにもいませんか?  続きを読む


徒 然 雑 感 2・・・・・580

<今日のおまけ>

    鳩山さん、総理を辞任しましたね。まさか、辞めるとは思わなかったので、驚きです。
  
    よほど、輿石参議院会長や平野官房長官から、意見をされたのかもしれませんね。でも、問題は鳩山さんではなく小沢さんでしょ?そっちは、どうするのかな?

    え?小沢さんも幹事長辞任?----これで、民主党、参議院選挙も少しは戦いやすくなるのかな?




    人間は、すさまじい苦痛を耐え続けていると、人相が変わります。

    これは事実です。

    苦しさで常に顔を歪めていると、そういう顔になってしまうのです。

    でも、そういう人を汚い人とか、不細工な人とかいう権利は誰にもありません。

    痛みも苦しいことも知らずに、ただのほほんと生きて来た人に何が判るかと、わたしなどは思います。

    健康な人が若々しく美しいのは当たり前なので、そんなものは何の自慢にもならないのですよ。  


徒 然 雑 感・・・・・579

~ 今 日 の 雑 感 ~


徒 然 雑 感



    この人のブログにコメント書きたいなァと、思っても、先客がコメントを既に入れていて、その先客が正直あまり好きじゃないブロガーだったりすると、「ああ~、やっぱりやめておこう」ってことになる。

    それ以上に、名前を見ただけでも気分が悪い。

    そんな名前を朝から見てしまった分には、一気にやる気が失せてしまう。

    しかも、そのコメントに何の含蓄もなければ、「あんた、なんでこんなもの書き込んだ訳?」って、訊きたくなってしまうのだ。文章の短さじゃない。要は、内容のぜい弱さに呆れるばかりなのだ。

    本当に、ど~でもいことなんだけれどね。

    ど~でもいいことと言えば、『接遇』って、最近良く耳にする言葉だけれど、つまりは、『おもてなし』ということなんだと思う。

    でも、どうして、こんなものをわざわざ勉強しなければならないのかねェ?しかも、病院で『接遇』って、いったい何なの?

    そんなことを学ばなければならないほど、いままでの病院スタッフの患者に対する態度って悪かったってこと?話し言葉なんかどんなに丁寧にしたって、気持ちが伴わなければ、そして行動が伴わなければ、そんなもの絵に描いた餅でしょ?

    それに、患者の側から言わせてもらえれば、医師や看護師の親切な態度が、接遇勉強会でマニュアル化されているものだなんて知ったら、「バカにしないでよ!」って言いたくなる。

    実際、ある病院へお見舞いに行った際、「〇〇さんがいてくれるから、わたしたちも助かるわ」なんて、言われて喜んでいた女性患者がいたけれど、わたしは知っている。看護師さんたちが陰で、「あの患者さんには、こういう接し方をしてね」って、話し合っていたことを。

    これって、「心に寄り添う」ってこと?そうじゃないでしょ?単なる接し方の技術解説でしょ?

    つまり、看護師さんたちにとっては、患者は一人の人間ではなく、「物」だってことを証明している訳だ。

    わたしが今通院している病院は、接遇なんてものとはかけ離れた田舎病院だけれど、看護師さんたちの患者にかける言葉は温かい。

    「ばあちゃん、なっちょだい?ちったァ痛みはとれたかね?」

    ここで研修した若い医師たちの初めて来た時の青なり瓢箪みたいな顔が、病院をあとにする時、ものすごく泥臭く逞しくなっていることに、驚くのはわたしだけではないはずである。

    下手な『接遇』マニュアルなんかで、この感性を忘れて欲しくないなァ。 


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