ごめんなさいの言えない人・・・・・581

~ 今 日 の 雑 感 ~



ごめんなさいの言えない人




    日本には、昔から『お詫びの美徳』という文化がある。

    これは、きわめて特殊な考え方であり、他の外国ではおそらく想像も出来ないような感性であると言えるが、武士道の『切腹』や負け試合で頭を丸めるなどという行為は、正にこれにあたるものである。

    やくざの世界には、指を詰めるということなどもあるようで、自分が悪かったとか、負けたと思った時は、その事実を正直に受け止め、潔く非を認めることが、すなわち美しいこと、男らしいことという感覚が備わった民族が日本人なのである。

    そのために、日本語には、お詫びを表現する言葉が他国に比べて多いそうである。ごめんなさいの言えない人・・・・・581

    「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」「お許しください」「ご容赦ください」「謝罪します」「謝意を表します」「すまん」「悪い」「失敬」「失礼」「お詫びいたします」

    まだまだ、あるだろう。

    しかし、最近、こういう文化を是としない、日本人がもの凄く増えて来たように思う。

    自分が悪いと思っても、決して「ごめんなさい」を言わない。詫びるどころか、自分の方を肯定さえする鉄面皮たちのいかに多いことか・・・・。

    また、そういう恥知らずの卑怯者に限って、おもての顔は究極の善人面を見せているのである。

    そういう人間は、女性に多いのもこの国の特徴のようで、また、周囲が平気でそういう女たちを容認しているのだから始末が悪いのだ。

    意地っ張りで、腹黒い、目立ちたがり屋の女たちが、この国をダメにしていると言っても過言ではない。

    自分の子供が公共の乗り物の中で他の乗客に迷惑をかけても、その子を叱るどころか、

    「おっかないおじちゃんに『めっ』されたら困るよ」
  
    こんな風に他人に罪をなすりつけるような子育てをする、最低な人間たちである。

    まともに謝罪の出来ない自分本位の女たちの増殖が、ますます日本をダメにして行くように思うのは、わたしだけではないはずである。

    彼女たちは、自分を悪く言う人間はすべて敵であり、排除しなければ気が済まないとさえ思っている。

    たった一言「ごめんなさい」と、言えば、すべては丸く納まるはずにもかかわらず、意地を張って言わないがために、自らの墓穴をどんどん大きくしていくのである。

    自分の価値を貶めて、友人をなくしながらも、それでも頑なに自らは正しいと言い続ける実に虚しい人間たちと言わざるを得ないのだ。

    そういう女性、あなたの周りにもいませんか?

<今日のおまけ>

    わたしの周囲には、物事を常に否定的に見る人たちがとても多い。

    一言で言って田舎者のひがみであると思うが、信州人には、こういう傾向の考え方をする人間は比較的たくさんいるように思われる。

    わたし自身もこの傾向がかなり強い人間である。

    すべての物事を斜に見ることが大好きなのである。

    可哀そうなことを素直に可哀そうだとは認識出来ない。

    たとえば、以前新聞の投書欄に病気の60代女性の、もう命が長くないと宣告されたので、死ぬ前にもう一度オーロラを見てみたいと北欧へ旅行をしたという文章が掲載されていた。

    これを読んだ途端、わたしは思った。「もう一度ということは、それ以前にも行ったことがあった訳だ。そんな贅沢が出来る人なんだから、もういつ死んでもいいじゃないの。普通の人が出来もしないことが出来るのだから、もう充分でしょ」

    わたしは、贅沢を贅沢と思わない、そしてそのことをあたかも自慢するかのごとく吹聴する人間には鬼にもなるのだ。icon09


    ところで、次の総理大臣は、いったい誰になるんでしょうね?

    それにしても、前にも書いたように、小沢さんてどうしてこれほどまでに長期安定が嫌なのでしょうか?

    細川内閣の時もそうでしたが、結局、小沢さんが飽きてつぶしたようなものです。つまり、彼は、総理大臣になりたいのですが、常に金銭がらみの黒い噂が付きまとうため、自分は絶対に総理にはなれないことが判っているのでしょう。

    だから、せっかく作った政権も途中で面白くなくなってしまい、ブチ壊さずにおれないという、実に厄介な性格なのです。

    しかも、典型的な血液型B型人間だそうですから、気分屋で、飽き症な上に、トップに立たなくては気が済まないという面倒くさいところもあるのです。

    次の総理が誰になっても、小沢色を排除できなければ、参議院選挙は民主大敗になりかねませんね。


    

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この記事へのコメント
人の心の中には、誰でもひがみはあると思いますよ。

表面上は、他人のことに、悲しんだり、喜んだりしていても心の中では、いろいろ複雑な気持ちを持っているものだと思います。

すいません、ごめんなさいを言えない人は確かに増えているような気はします。
ここで、ごめんなさいの一言が言えれば
穏やかに解決すると思うところでも言わない人がいますね。
僕なんかはすぐ言いますけどね。

そういう人は結局、わがままなんでしょうね。
物事を円滑に進めていくには、謝るという
ことは大事なことで、大人の知恵でもあると思うのですが、それが出来ないんですね。

困ったものですね。
Posted by コミ at 2010年06月03日 08:42
コミさまへ>

 謝らない、謝れない人は、最近多くなってきました。感覚が欧米化して来たせいなのか、ただ単に意地っ張りなのか・・・。とにかく、謝った方が負けだと思っているようです。
 ですから、必然的に付き合う相手も、自分を責めない人、自分が間違ったことをしていても責任追及しない人とばかり付き合い、それで親密になったような錯覚に陥っているのです。
 かつて、わたしがあるブロガーのブログに自分の意見を書きこんだところ、「あんなものは書くものじゃない」と、言って来た別のブロガーがいました。つまり、そのブロガーは、人に意見したり追及したりするコメントは書くものではないというのです。
 でも、そういう人の意見は聞きたくないというのなら、コメント欄は閉鎖しておくべきです。コメントは誰が入れるか判らないのですから。
 そして結局、庇いだてをしたブロガーは、わたしが意見を書きこんだブロガーと顔見知りの人だったのです。
 そのわたしが追及したブロガーも、「申し訳なかった」の一言で済むところを、そういう庇い合うことだけでつながっている相手とのみ、未だに上辺だけの親しげなやり取りを続けています。
 このように、現実から逃避することで日々の生活を続けている人が増えたことが、「ごめんなんさい」の言えない人を増やしているのです。つまり、大人になりきれない幼児性の強い人ばかりが今の日本を作っていると言っても過言ではないのです。
 昨日の鳩山さんの総理辞任会見でも思ったのですが、「国民が聞く耳を持たなくなってしまった」と、言っていました。では、その国民に聞く耳を待たせるような行動をなぜ取らなかったんでしょうか?皆、相手が悪いという訳です。
 謝らない人たちの意識の根底には、常にこの感覚の幼児化があるのだと思います。
Posted by ちよみちよみ at 2010年06月03日 11:19
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