女与力・永倉勇気 捕物控 ②

 驚いた皆の目が、いっせいにその声の主の方へと吸い寄せられると、そこには、頭髪(かみ)を総髪に結い束ね、元結は緋色、紫地の長着に仙台平の襠高袴(まちたかばかま)を役者顔負けの伊達姿に着こなした、二本差しの若侍が一人、離れ座敷の上り口付近にある柱に、背中を凭れかけさせる格好で、こちらを眺めて佇んでいる。
 白皙(はくせき)、眉目秀麗なその若侍の口許には、しかしながら、確実に高島たちを侮蔑する笑みが刻まれていた。忽然として現れた侍に、多分の胡散臭さを覚えた高島は、
 「あんた、いったい何者だ?ここは、関わりのねェ者の立ち入りを差し止めている。出て行ってもらおうか」
 と、促した。だが、若侍は、そんな言葉には動ずる気配もなく、それどころか大股歩きにずんずん奥まで入って来ると、清太郎のすぐ脇を横切って、遠慮会釈もなしに、久造殺害の現場となった八畳間へと踏み込んで来た。
 そして、既に薦(こも)が被せられている久造の死体の方へは一瞥もくれずに、まっすぐ、明かり障子の窓のそばまで近寄るや、その閉められた障子窓の外側一枚には、まったく血痕が見られないことを確認すると、同時に、誰がこの障子窓を閉めたのかと、訊ねた。
 すると、久造の女房の杉が、それに答えて、
 「八丁堀のお役人方がみえる前に、わたしが閉めました離れ座敷はご覧の通りの平屋ですので、戸外の人目もございますから------」
 と、言う。が、その言葉が終らぬうちに、その若侍は、血痕の付いている内側の障子窓を音高く開け放った。
 窓の外には、狭い通路を隔てて真竹(まだけ)の林がある。これを見た侍は、ふっとほくそ笑み、やはりなと、独りごちたのち、おもむろに高島たちの方へと向き直ると、
 「こいつァ、自害だよ」
 短く言い切った。高島は、顔面を紅潮させ、
 「何を、戯(たわ)けたことを!素人如きの出しゃばる筋じゃない。だいいち、これが自害ならば、刃物はいったい何処にあるというのかね?」
 そう鋭く問いただす。と、若侍は、何とも余裕の面持ちで、
 「あそこの竹林を調べてみな。たぶん竹の枝先あたりに、紐か何かで結わえ付けられて、ぶら下がっているさ」
 平然たる口調のままに、窓外を指さした。
 「何を、馬鹿な事を------」
 どうせ素人の当て推量に決まっていると、端から無視を貫こうとする高島の頑固さに、ほとほと閉口した清太郎は、それなら自分が-----と、小者を一人伴って竹林まで行き、頭上に群れる真竹の青い葉先を丹念に調べる。
 すると、その中の一本の竹の枝先から、一尺(約三〇センチメートル)ほどの長さの細縄が垂れ、そこの先端に固く括り付けられている出刃包丁を発見した。その包丁に、血糊がべっとりと固着していることを確かめた清太郎は、その出刃包丁を竹の枝から外すと、懐中から取り出した手拭に細縄ごとそれを包み、興奮を隠せぬままに、離れ座敷で待つ高島たちの元へ駆け戻る。
 「ありましたよ!これがおそらく凶器です」
 差し出された出刃包丁には、流石にこれまでいくつもの難事件の捜査にかかわってきた経歴を持つ高島も、正直、瞠目(どうもく)せざるを得なかった。
 次の刹那、高島は、思わず若侍に詰め寄っていた。
 「あんた、どうして、これが自害だと判ったんだ?」
 若侍の回答は、ごく簡単なものであった。
 「人を危(あや)めるのに、とっさの場合でもねェかぎり、障子を開けっ放しにしとく奴は、ざらにはいねェよ。それに、この血飛沫(ちしぶき)の飛び方だ。殊に、天井だが、箒で何かを掃き出したかのような塩梅で、戸外へ向かって血痕が延びている。仏さんは、竹の強靭なしなり具合を利用して、自殺を他殺に見せかけるという、一世一代の芝居を打ったのさ。こういう人目を欺く手口は、自殺をする者に時々あり得るやり方だからな。だから------」
 当然その男は潔白(しろ)だよと、若侍は、無表情のまま新吉の方へ顎をしゃくった。



    ~今日の雑感~

    あるブロガーさんの記事で、県内の某有名新聞について、紙面に掲載されている記者が書いた記事と、読者投稿の記事は、ある意味連携しているということを知りました。それも、偶然の連携ではなく、その投稿記事は、新聞社サイドから、「こういう内容を書いた投稿をして欲しい」との依頼を受けて書かれているものらしいのです。
    どうりで、以前も当ブログに書かせて頂きましたが、知り合いが、何度投稿欄に投稿しても、掲載されたためしがないと、話していた理由の一つがここにもあったのかと、驚いた次第です。
    記者が書いた記事に賛成するような内容の投稿が、あまりにタイミングよく掲載されているのを読み、不思議には思っていましたが、偶然にしては出来過ぎだなァと感じたことも、幾度かありましたので、そのからくりが判って、正直呆れています。
    確かに、紙面には、一方の意見ばかりが載り、それに反対する意見は、ほとんど載りません。一般投稿募集欄というのですから、普通は、Aの意見が載ったら、反対意見であるBの見解を投稿する人もいるはずなのです。それが、例外なくAの意見のみというのは、如何にも不自然ですよね。
    つまり、そういう反対意見は、編集局が故意にはじき出しているとしか考えられませんし、逆に同意意見の方は、常連投稿者たちの会に所属している投稿メンバーたちが、持ち回りのように書いていると、考えられるらしいのです。そのため、いつも、同じ名前の投稿記事が掲載されるという、摩訶不思議な現象が出来上がっている訳なのでしょうね。
    危うく、こちらも騙されるところでした。新聞は、決して間違ったことは書かないという、読者の思い込みを巧みに利用したやり方に、空恐ろしささえ感じます。マスコミは、こうやって、さりげなく世論を扇動し、いつしか歪んだ方向へと誘導して行くのだということを、初めて理解した次第です。
  


女与力・永倉勇気 捕物控

~女与力・永倉勇気 捕物控~


桜 花 の 契 り






 「酷(むげ)えことをしやがる------」
 江戸は、北町奉行所定町廻り同心の高島文吾(たかしまぶんご)は、同僚内では中堅格に属する熟練同心の一人であったが、これほどまでに凄惨きわまる最期を迎えた死体に出くわすのは、至極まれなことでもあり、思わず眉をひそめずにはいられなかった。
 ことの一報は、文政三年(一八二〇年)三月(旧暦)、春、桜花爛漫ののどかな午睡の夢を破って、日本橋堀留町の自身番に詰める、町内役人が、番人としての役目上、月番に当たる北町奉行所へと届け出たもので、同奉行所定町廻り首席同心・佐々木軍兵衛(ささきぐんべえ)による差配のもと、高島文吾と若手同役の辻井清太郎(つじいせいたろう)の二人が、町奉行所の雇い人である小者や中間(ちゅうげん)を引き連れて、即刻現場へ赴いたのであった。


 現場となる呉服屋の離れ座敷に、一歩足を踏み入れた高島文吾と辻井清太郎は、天井といわず襖(ふすま)といわず、その八畳間の至るところを、赤黒く染めて飛び散っている血飛沫(ちしぶき)のすさまじさに、まずは、息を呑んだ。
 むろん、畳は血の海で、そうした血だまりの中へ沈みこむようにして、独りの男の死体があった。死体は仰向けで横たわり、左胸部と右頸部には、鋭利な刃物で抉(えぐ)られたものと思しい、傷口があり、死因は明らかに刺創からの大量出血によるものと断ずることが出来た。
 また、死体が、この呉服屋の主の久造(きゅうぞう)・四十歳と判明し、凶器として使用された刃物に相当する物も、死体のそばには見当たらないことなどから、一件を、離れ座敷へ容易に出入りすることが可能な、家人や奉公人らの中の何者かによる怨恨がらみの殺人(ころし)に相違ないと読んだ高島文吾は、そうした者たちの中から、主・久造の腹違いの弟で、既に三十七歳になりながらも、未だに独り身という新吉(しんきち)が臭いとにらむや、その場でただちに新吉に対する取り調べを始めたのだった。
 「新吉、お前がかねがね、店の商売のやり方について異母兄である久造と意見を衝突させていたことは、久造の女房・杉(すぎ)の証言からも明白だ。しかも、お前は、以前に、好いた女との仲を、家格の違いを理由に久造によって無理やり裂かれ、それを未だもって恨みに思い、たびたび久造を責めていたそうじゃねェか。そんなこんなの憎悪が積もり積もって、とうとう異母兄(あに)を手に掛けてしまった。そうなんだろう?すっかり、吐いちまわねェかい」
 ところが、新吉は、決して首を縦に振らず、
 「わたしは、異母兄(あに)を殺してなんぞおりません」
 との一点張りで、頑として容疑を否認し続ける。そこへ、さらに、被害者の女房の杉までもが、
 「義弟(おとうと)は、根っから商い一筋の生真面目ものでして、とても、肉親殺しなど出来る男ではございません」
 と、庇い立てするものだから、埒(らち)が明かない。
 そこで、高島は、何としても新吉に久造殺しの犯行を自白させるべく、その身柄を、俗に調番屋(しらべばんや)とも呼ばれる、大番屋(おおばんや)へと連行することを決め、ともに現場へ乗り込んできた後輩定町廻り同心の辻井清太郎に、新吉の身体に捕縄(なわ)を打つよう指図した。
 しかし、清太郎の表情には、高島の指示に躊躇するような影が一瞬よぎり、高島を見るその視線にも、明らかに疑念の色が呈されていた。そんな清太郎の様子にいらだった高島は、つい声高に、相手を叱りつける。
 「清太郎、何をぼうっと突っ立っているんだ!いつまでも同心見習いの気分でいられたんじゃ、こっちが迷惑だ。さっさと言われた通りに仕事をしねェかい」
 「でも、高島さん、まだ新吉を犯人(ほし)と決めつけるに足る確証がありませんよ。それを、大番屋へ引っ張るというのは、少々ことを急き過ぎていやしませんか?訊問(じんもん)ならば、近くの自身番(じしんばん)で行えば済むことでしょう。それが順序だと思いますが・・・・」
 確かに、こう清太郎の言うように、犯行動機ばかりが鮮明で、他には何らの証拠だても揃わぬ容疑者を、いきなり大番屋へ送致するというのは、かなり乱暴な方法ではあった。
 が、事件の重大さを考慮すれば、悠長に通例を重んじてなどいられないと、考える高島は、捕縛(ほばく)に二の足を踏む清太郎を押しのけると、小者らに新吉の身柄を取り押さえさせ、自らの手で、縄を掛けようとした。
 と、その時である、
 「そいつを大番屋なんぞへしょっぴいたら、北町奉行所は、赤っ恥をかくことになるぜ」
 俄かに、高島たちの背後から、威勢の良い甲声が浴びせられた。


 <注釈>    小者、中間 ------ 奉行所の雇い人




    *** 本日から、「女与力・永倉勇気 捕物控」を、連載いたします。皆さまには、ご愛読のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。



    ~今日の雑感~

    わたしの知っている女性薬剤師さん。アラフォーも目の前というので、かねてから密かに好意を寄せていた独身の青年外科医に思い切って、こう切り出したそうで、

    「あの~、先生って、たしか独身でしたよね~?」icon06
                           
    「そうだけど------。それが、なに?」(ーー )

    「もしかして、好きな女性が、いるとか~?」icon06

    「いない!」(ーー゛)

    「そ、それでも、いつかは結婚したいなんて、思いますよねェ・・・?」icon06

    「思わない!!」icon08

    一刀両断に、叩き斬られて、icon07撃沈したそうです。さすがは外科医。決断には容赦なしです。でも、彼女、これにめげずに頑張ってください。春が来れば、花も咲きます!(^-^)  

   


ちょっと、一服・・・・・⑲

 ~ 今 日 の 雑 感 ~


    第二回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、日本代表(通称・侍ジャパン)が、見事に悲願の連覇を果たしました。主砲・村田選手の負傷による戦線離脱や、チームリーダー・イチローの開幕当初からの打撃不振、ダルビッシュ投手の乱調、試合への出場、不出場に関係する、チーム内に漂う不協和音、などなど、様々な難局面を乗り越えての世界一は、実に意義のある勝利といえるでしょう。(ただ、アメリカ戦の際に、六人の審判のうち四人がアメリカ人というのは、どういう人選なのでしょうか?しかも、この時の審判団の中に、日本人は一人も含まれていませんでした。もし、アメリカが審判を出すなら、そのうちの半数は、日本人にするべきです。これでは、まったく公平を欠きます。アメリカは、そうまでして、勝ちたかったのでしょうか?まったく、何をか言わんや-----ですね)

    決勝戦を前にした一連のセレモニーでは、前回の優勝監督である王貞治氏が、自ら、優勝トロフィーの返還式に臨み、その際、脳梗塞で足が不自由となっている韓国代表監督の金寅植氏がベンチから出て来られないため、そこまで足を運び、金監督の肩を抱いて、ここまでの健闘をたたえ激励をした姿は、見る者に感動すら与えました。

    試合中は、地鳴りのような韓国側応援団の鳴り物を使った大声援の中に、日本側応援団の声は、終始掻き消されてはいましたが、それでも、彼らの懸命なニッポンコールは、確実に選手たちへと伝わり、優勝へ向けての強力なエネルギーになったことは間違いありません。

    今回の、WBCも、代表として登場したすべての国が、力の限りの戦いぶりを見せましたが、アメリカを下したベネズエラを相手に拮抗した試合を展開したオランダの頑張りには、目を見張るものがありましたし、これまで野球不毛の地とも言われて来たヨーロッパの台頭の目覚ましさを、実感させられた大会でもあったと思います。

    そのような中でも、特筆すべきは、やはりキューバの破壊力のすごさでした。今回の選手たちは、キューバ野球史上最も強力な選手布陣で臨んだというだけあり、メキシコを相手とした一発攻勢の威力は、素晴らしいものがありました。しかし、敗者復活戦で、再び相まみえた日本に完敗した時、キューバのカストロ前国家評議会議長は、自国の選手を労うことはもちろん、日本の選手に対しても、「厳しく体系的な練習を欠かさず、特に投手陣は、凄まじい投球数の練習をこなして、今のこの舞台に立っている。われわれも、見習わなければならない」と、最大級の讃辞を贈りました。自国を破った敵に対して、これほどの言葉を言えるとは、その度量の広さに感服すると同時に、キューバにも、「侍魂」があるのだということに、感慨無量の日本人も多かったのではないかと思います。

    それに比較して、韓国はどうだったでしょうか?決勝戦で日本に敗れた時、日韓の選手同士は、お互いの健闘をたたえ合い、それなりに美しい光景を演出してはくれました。しかし、いざ韓国内に目を転じますと、これまでのような表立っての日本批判は影を潜めていたものの、報道は、「イチロー、日本人ながら、よく打った」というような論調が多く、まるで、「日本人のくせに、世界一などとはおこがましい」とでも言わんばかりの報道が目立ちます。

    カストロ前議長と、韓国のこの報道姿勢の違いは何なのでしょうか?わたしとしては、もはや多くを語りたくはありませんが、こういうことを見たり聞いたりするにつけても、国品とか人品というものには、やはり「潔さ」が、何より大切なのではないかと痛感した次第です。それこそが、真の「武士道精神」「騎士道精神」というものなのではないでしょうか?  


ちょっと、一服・・・・・⑱

~ 今 日 の 雑 感 ~



    北朝鮮が、四月四日から八日の間に、人工衛星ロケット(もしくは長距離弾道ミサイル)を発射する可能性が、一気に現実味を帯びてきました。
    
    おそらくは、人工衛星ではないという確率も、如実に高まりつつありますし、浜田防衛大臣も、「北朝鮮を刺激したくない」とのこれまでの政府見解を覆し、自衛隊法八十二条に基づき、「破壊措置命令」を、発令。これにより、自衛隊は、内閣総理大臣の指示をいちいち仰ぐことなく、全権をもって、ロケット(弾道ミサイル)の迎撃が出来ることになりました。

    今回の、迎撃が実際に行われることになれば、日本によるミサイル防衛(MD)システムが、初めて運用されることとなります。そのため、早くも、日本海海上には、ロケット(ミサイル)が東北地方上空を通過することを想定して、推進装置が落下するのを防ぐための、海上自衛隊のイージス艦二隻(ちょうかい・こんごう)の待機が決まり、また、いったん、大気圏外へ出た後に落ちて来るであろうロケット(ミサイル)本体に備えて、太平洋側洋上へも、一隻のイージス艦(きりしま)を展開するといいます。

    さらに、アメリカ海軍も、日本海に情報艦船オブザベーション・アイランドを展開し、自衛隊との連携を密にする運びといいます。

    まず、ロケット部分(ミサイル)を狙うに際しては、イージス艦からの迎撃による破壊を試みますが、破壊し損じた場合には、今度は陸上からのパトリオットミサイル(東京・埼玉・神奈川・岩手・秋田に配備)での迎撃を行なうとのこと。しかし、いずれも、「ピストルの弾を、ピストルの弾で狙い、打ち落とすようなもので、かなり成功の確率は小さい」と、専門家は口を揃えます。

    しかも、もし、うまく迎撃出来たとしても、推進装置(ミサイル)の破片やその他の燃え殻である部品が国内に落下するのを食い止めるすべは、今のところ皆無です。「破片が小さくなれば、安全です」と、専門家は言いますが、それは、決して、人体レベルの安全を謳ったものではありません。極めて甚大な被害を最小限に食い止めることが出来るという範囲の安全発言にすぎません。

    殊に、万が一の場合の着弾(NHKのニュースでは、既にこの表現を使っています)が予想される、秋田県や岩手県の県民の間には、相当の緊張が強いられています。

    河村官房長官は、「国民には、いたずらに不安をあおることがないよう、通常どおりの生活をお願いしたい。また、政府としても、各マスコミを通じて、ロケット(長距離弾道弾)の情報は、逐一流して行くので、テレビやラジオは、常にスイッチを入れておいて頂きたい」と、通常会見の席で述べていました。また、深夜の発射となった場合は特に、迎撃片がどこへ落ちるのかも予測が出来ないので、安易な避難行動は、むしろ慎み、家の中に待機していて欲しいとも、政府や専門家筋は注意喚起を行っています。

    ところが、北朝鮮側の言い分としては、「日本やアメリカが、万が一にも迎撃体制を取った時点で、それは我が国に対する戦闘行為とみなし、報復攻撃に出る」と、いうことで、まったく、世界の共通見解を無視した身勝手な理論を押し出しています。

    いったい、ここへきて、突然の強硬姿勢に転じた北朝鮮の思惑は、何処にあるのでしょうか?この態度は、脅しが、自国の利益になるという範疇を既に超えています。下手をしたら、本当に、イラクの二の舞になるかもしれません。アメリカが、オバマ政権になり、北朝鮮に対する軍事介入を最小限度に食い止められるとの見通しからか、それとも、現在のアメリカ最大の不況下では、アメリカ自身の体力が戦争を起こすほどの強度を保っていないと踏んだからなのか?実に、不可解です。

    日本の反応は、過剰だという理論も外国の一部評論家たちの間にはあるやにも聞きますが、原爆投下を経験したこともない国の人たちに、軽々しく、日本の国防に対する危機感に対しての意見を言う資格はないと思います。

    いずれにしても、杞憂が現実のものとなる以上、今後の日本には、それなりの覚悟が求められているのかもしれません。

    (なんて、書きながらも、実際のところ、正直、ビビっています。も~、いい加減にして欲しいですよ、まったく!)


    

    

          


ちょっと、一服・・・・・⑰

 < 学 校 に か か る 電 話 >


 これは、わたしの家の近所の女性が、高校生の頃に体験した実話です。
 
 今から約三十年ほど前、彼女は、その頃、長野市内にある、某女子校に通っていました。

 その女性の家は、昔から御商売をされているのですが、その家屋部分が庭を含めてかなり広い造りになっているものですから、当時は、その空いている部屋を、下宿として貸し出してもいました。

 その彼女が、まだ小学生の時、その貸し部屋に、一人の若い芸者さんが住むことになり、芸者さんは、三味線や踊りの稽古の合間には、よく彼女を部屋に呼び、おはじきをしたり、お絵描きの相手をしたりと、とてもよく面倒をみてくれたのだそうです。

 でも、彼女のご両親は、彼女が一人っ子だったこともあり、また、両親が高齢になって出来た娘でもあったため、それこそ目の中に入れても痛くないという可愛がりようで、ほんの短時間でも、自分たちの目の届かないところには置いておきたくないという過保護ぶりもあり、彼女が、芸者さんの所で遊ぶことを、あまり快く思わなかったのでした。

 そんな理由もあって、彼女も、小学生、中学生と、成長するにつれて、あまり足繁く芸者さんの部屋へ行くということはなくなって行きました。そして、彼女が高校生になった頃、芸者さんは、当時はほとんど不治の病とされている病気に侵され、お座敷に出ることもかなわなくなり、とうとう病院に入院することになってしまいました。

 その病院が、彼女の通う高校の近くにあったことから、彼女は、時々、放課後になると、両親には内緒で、こっそりと芸者さんのお見舞いに行っていたそうです。芸者さんは、その日一日の彼女の学校生活の話を聞くのを、とても楽しみにしていて、自分は、中学卒業と同時に、芸者の置屋(おきや)に奉公に出されたから、学校の話を聞くと、自分も高校生になったような気がすると、とても喜んでいたということでした。

 そんなある日、彼女の授業中に、学校の職員室に、その芸者さんからの電話が入り、彼女を呼び出して欲しいというのです。先生の一人が、授業中の彼女の教室まで来て、そのことを伝え、彼女が職員室の電話に出ると、受話器の向こうで、その芸者さんが、「もう元気になったから、今日退院するよ。いままで、お見舞いに来てくれてありがとうね」と、元気な声で言うのだそうです。彼女も、嬉しくなって、「じゃァ、今日家へ帰ったら、退院のお祝いをしなくちゃね」と、答えますと、芸者さんは、何度も「ありがとうね」を繰り返して、電話を切ったのだそうです。

 彼女は、既に家には芸者さんが帰って来ているものとばかり思い、喜び勇んで帰宅したところ、家の中の雰囲気が何だかいつもと違うことに気付きました。そこで、従業員の一人に訊いてみたところ、「芸者さん、亡くなったんですってよ、〇〇ちゃん」というので、彼女は、何だか狐にでもつままれているような気がして、「いつ亡くなったの?だって、あたし・・・・」と、途中で言葉を飲み込んだのだとか。それというのも、その従業員が話すには、「〇〇時頃なんだって。病院からの連絡で、〇〇ちゃんのお父さんと置屋のお母さんが、遺体を引き取りに行っているんだよ」と、いうことでした。

 その時間は、正しく、彼女が職員室の電話で、芸者さんと話をした時間だったのです。

 あの電話は、いったい何だったのか?自分だけが、聞いた空耳などではない。だって、電話を取り次いだ先生だって、それを聞いているんだから・・・・。

 彼女は、そのことを、後日両親に話したのですが、両親は、女子高生の絵空事と、取り合おうとはしなかったそうです。

 「でも、わたしは間違いなく、あの時、芸者さんと話をしたのよ」-------彼女は、今も、そのことが気になって仕方がないと言います。 



    


Posted by ちよみ at 11:28Comments(10)不思議な話

ちょっと、一服・・・・・⑯

~ 今 日 の 雑 感 ~


    こんにちは。次の小説を考える間の場つなぎのために、~今日の雑感~で、しのぎます。要するに、ネタが捻り出されないので、姑息にも「ズクなし」を、する訳です。よろしかったら、お付き合いください。(^_^;)
    
    
    最近ブログを読ませていただいていますと、何ゆえにか、「今の、自分を変えたい!」 と、言っておられる方が目に付きます。その方たちの気持ちを、わたしなりに推し量りますと、
    「自分は、不器用で、他人との会話もうまく出来ず、頑張れば頑張るほど空回りしてしまう。挙句の果てに、相手からウザいとまで敬遠され、こちらが良かれと思ってしたことが、ことごとく裏目に出て、もう他人と話をする時、何と言葉を発してよいものやら、判らなくなってしまった。いつでも、相手の顔色ばかりをうかがうようになり、和気藹々(わきあいあい)と、話が弾んだあとも、あんなことを言ってしまってよかったのだろうか?一緒に楽しく時間を過ごしたと思っているのは、自分だけの思い込みだったのではないだろうか?明日、会社へ行ったら、自分一人が抜け者扱いになっているんじゃないのか?------そんなことを考えると、夜も眠れなくなってしまうんです」
    ------と、まあ、色々と総じて、このような塩梅になろうかと、解釈してみました。そして、常にそういう自己抑制的思考を、頭の片隅に置きながら生活している人の中には、何とかして、こういうマイナス思考の自分から脱却したいものだと考え、自己意識の啓発を目的とするセミナーに参加したり、積極性を身につけるための勉強会に出席したりと、様々な手段で、そのための糸口を探し出そうとするようです。
    しかしながら、わたしなどから見ますと、そのように、自分を客観的に見詰めることが出来るということは、これはこれで、大変な才能であり、それだけ、前向きに自分の将来をとらえられる素晴らしい人だと、思えるのです。
    普通、人は大体が、自分は他人からどういう視線を受けているかなどということを、いちいち気にしながら生活など出来ないものです。他人から、指摘されたところで、性格を変えようとか、言葉遣いに気を付けようとか、そんなことに時間を取られるほど、余裕のある人はごく少数なのではないでしょうか?特別、そうしなければ、仕事をする上で支障があるとか、病的なほどの被害妄想を抱いてしまうことでもない限り、ほとんどにおいて、
    「うるさいな。おれにはおれのやり方があるんだから、いちいち文句を付けるなよ!icon23
    で、終わってしまうのが関の山でしょう。ところが、こういう人に限って、
    「きみは、そのままでいいんだよ。自分の個性をもっと大事にするべきだ」
    などという、半ば無責任な励ましを贈ってしまうものなのですね。でも、言われた本人が、変わりたいと言っているのですから、それを止め立てする必要はないのではないかと、わたしは思います。
    そうです。そういう方たちは、変わりたいのです。では、どう変わりたいのか?問題はそこにあるのです。おそらく、そういう人たちが理想とする自己の変化は、もっと自由にのびのびと他人とのコミュニケーションが楽しめる自分。同僚から頼りにされ、仕事もバリバリとこなせるエリート。他人への思いやりを持ち、自分も心地よくなるとともに、他人をも心地よく出来るような人情に厚い、機知に富んだ会話が出来る人間。加えて、外見も、それなりに見栄えが良くなれば、申し分ありませんよね。face02
    でも、そんな風に自分が変われる確率は、ほとんど皆無に近いのではないでしょうか?どんなに、高名なお師匠さんの講義を受けたとしても、人はそうそう一朝一夕に変身出来るものではないでしょう。でも、変わりたい。-----ならば、逆方向に変わってみるという手もありなのではないでしょうか。今のような自意識をかなぐり捨て、その他大勢の中に埋没し、息を潜めて一山百円の自分に徹してみる。悲劇のヒーローのように自分を飾るのをやめて、ドジも、ポカも、笑って受け流すような、格好の悪い自分になる。
    確かに、最初のうちは抵抗もあり、恥ずかしくもあるでしょうが、次第に慣れてみると、これが意外に居心地が良かったりするものなんですよ。人間、壁にぶち当たったら、一回は、今までの自分をきっちりリセットしてみることも肝心だとも言うじゃァありませんか。
    しかし、ここで、誤解してはいけないのは、自分を客観的に見ることはやめても、他人を客観的視線で見ることをやめてはいけないということなのだそうで、常に、相手の観察は欠かさずに、気持ちは高みに置いておくということなのだそうです。これが、出来れば、ほぼ人生の達観が出来たも同然なのだとか。そういう人は、どんなテクニックを用いずとも、他者の方からそばへ寄って来るのだそうです。すごいことですよね。
    でも、言うは易しですけれど・・・・・。
    如何です?こんなやり方、試してみたい方は、おられますか?わたしには、正直、そこまで自分を解放するなんてことは出来そうにありませんが・・・・。だって、時折何かに悩んでいるような陰のある人、嫌いじゃァありませんから。(^u^)ウフ・・・。




   
   

 

   


ちょっと、一服・・・・・⑮

   
< 書 道 室 の 怪 >



 皆さんは、楊貴妃(ようきひ)という女性をご存じでしょうか?世界の三大美女の一人として、エジプトのクレオパトラ、日本の小野小町と、並び称される中国は唐の時代、玄宗帝の寵愛(ちょうあい)を一身に受けた貴妃(皇后の下の位)のことです。

 楊貴妃は、その抜群の美貌と、卓越した歌舞の腕前の加えて、大変聡明な女性でもあったということで、十七歳で玄宗の第十八王子寿王の妃となりましたが、玄宗本人が貴妃に惚れ込み、自らの寵妃(ちょうひ・愛人)としてしまったというものです。(一説には、彼女は、中国人と西洋人のハーフだったとも言われています)

 その楊貴妃の出世を足掛かりに、楊一族は何人も皇族と縁組をするなど、目を見張るような繁栄を極めて行きますが、七七五年に、楊一族の反目による安禄山(あんろくざん)の大反乱が勃発すると、玄宗帝は楊貴妃を連れて四川に向かって逃れ、この反乱を招く原因となったのが、楊貴妃であるという部下の進言により、玄宗帝は断腸の思いで、路傍の仏堂の中で、楊貴妃を縊死(首をくくること)させたのでした。

 正に、美しすぎたが故の悲劇のヒロインという訳です。


 この楊貴妃が、侍女たちに見送られながら、今まさに死出の旅路へ赴こうとしている様を描いた日本画が、わたしの卒業した高校の、通称「書道室」に、額(がく)に入れられ飾られていました。作者の名前は忘れましたが、古き唐の時代の全身をゆったりと覆う背子(からぎぬ)と呼ばれる衣装に身を包んだ侍女たち数名が、丈の長い領巾(ひれ)のような袖を目元に当てて、楊貴妃との別れを惜しんでいるといった、図柄でした。

 書道室は、学校内唯一の畳敷きの部屋で、広さは八畳ほどのごく小ぢんまりとした場所でした。わたしが生徒だった当時は、一年生から三年生まで、書道、美術、音楽は、生徒の選択制を採用していて、高校三年の時、わたしは書道を選択していました。書道選択の生徒は、週に二時間ほどこの書道室を利用するのですが、ある時、一緒にこの科目を選択している同級生が、妙はことを言い出したのです。

 「あの書道室の額の絵だけど、ちょっと、おかしくない?」

 「おかしいって、何が?」

 他の生徒が訊き返しますと、その同級生の言うことには、日本画の中に描かれている侍女の人数が、日によって変わるような気がすると、言うのです。それを聞いたわたしたちは、そんな馬鹿なことがある訳ないでしょと、全く取り合わなかったのですが、不思議なことに、しばらくすると、それと同じようなことを他の生徒たちまでもが、噂し始めたのでした。

 「いつもは、六人いる侍女が、五人になっている時がある・・・・」

 と-------。わたしは、そんな話は気味が悪いので、出来るだけ考えないようにはしていましたし、書道室へ入っても、絶対に絵の人物の人数などは、数えないようにしていました。しかし、ある日、どうしてもそのことを確かめたいという女生徒が現われ、その生徒は、わたしたちがやめるように言うのも構わず、放課後、独りで、誰もいないその部屋へ行ってしまったのです。

 その女生徒が、あとでその時のことを同級生たちに語ったのですが、何とも、不思議な出来事が起きたのだそうです。
 彼女が、独り書道室内へ入り、壁に掛けてある額の中の絵の女性たちの人数を、一人二人と数えていた時のこと、やはり、人数が、昼間見た時よりも一人足りないと思った瞬間、彼女は、背後に何か人の気配のようなものを感じたのだそうです。そして、背後から首筋の辺りを、何か柔らかな布のようなもので撫でられた気がして、驚いて振り返ると、そこには、何とも恨めしそうな眼をした侍女の一人が立っていたと言うのです。

 女生徒は、腰が抜けるほど驚き、そのあとは、どうやって書道室から飛び出したのかもわからぬままに、学生鞄を抱えて、転がるように学校を出たのだということでした。
 それからというもの、その女生徒は決して一人では書道室へ行かなくなりました。いいえ、行けなくなってしまったのです。


 あの、楊貴妃と侍女たちを描いた日本画は、まだ、あの書道室内に飾ってあるのでしょうか?そして、侍女は、ちゃんと、六人いるのでしょうか?その後、その絵の噂を耳にしたことはありません・・・・・。(^_^;)



 **今回は、文章が少し短かったので、行間を開けてみました。如何だったでしょうか?  う~ん、すっきりしますねェ。icon01

 では、ここで問題です。楊貴妃が好んで食べたと言われる果物は、何だったでしょうか?



 答えは、 「茘枝(れいし)」-------ライチ  でした。   


Posted by ちよみ at 11:30Comments(4)不思議な話

~ 炎 の 氷 壁 ~ 33

 時任のパトロール勤務の志願が許可され、雄介は、これまでと変わらず、時任のパートナーとして、ゲレンデ巡回へと赴くことになった。パトロール中は、様々なアクシデントや事故現場にも遭遇し、スキーパトロール員には、それらすべてに対する手際よい処置が求められる。スキー技術の実力を過信して上級者コースへ入ってしまい、急峻(きゅうしゅん)なコースで立ち往生しているスキーヤーの救助があれば、迷子のための保護者探しから、滑走中に立ち木へぶつかったという怪我人の搬送、果ては、ゲレンデ内の陥没個所の補修や、ごみ拾いに至るまで、あらゆる分野に及ぶ仕事が、彼らに課せられた任務の範疇(はんちゅう)なのである。
 雄介は、時任の病み上がりの身体のことを気遣いながらも、それでも、また二人一緒にスキーを装着してのパトロールに励むことが出来るのを、心の底から喜び、安堵もしていた。
 やがて、その日も、午前中の勤務を一通り終えようとしている時刻、雄介と時任は、共に、横手山山頂にほど近い樹氷に覆われた針葉樹林の間にある、雪原に佇んでいた。そこから展望出来る紺碧の空と、くっきりとした白峰の輪郭を縁取って延々と続く数多(あまた)の山々を眺めながら、雄介は、スキーゴーグルを制帽の上に引き上げ、大きく深呼吸をすると、無性に何か大きな声を出したい思いにかられた。そこで、肺いっぱいに透き通った新鮮な空気を吸い込むや、口元を両掌で覆うと、
 「ヤッホー!」
 と、遥かな虚空に向かって、雄叫びを発した。それには、時任も、驚いた顔でサングラスの奥から雄介を見詰めたものの、そのあまりに子供じみた様子に、思わず苦笑を漏らした。そして、やおら右手で自らの胸板を押さえると、一瞬苦しげに眉をしかめる。雄介は、そんな時任を見て、慌てて自分の粗忽さを恥じるや、
 「大丈夫ですか?痛みますか----?」
 と、気遣いを口にした。時任は、胸を押さえながらも、心配いらないよと、笑い返すと、
 「事故の際に打ったところが、少しばかり疼(うず)いただけだよ」
 静かな口調で答えた。雄介は、自分が笑わせたせいですねと、詫びる。と、時任は、徐にサングラスを外し、穏やかな眼差しを雄介に向け、
 「------お前、おれに何か訊きたいことがあるんじゃないのか?」
 と、彼の方から水を向けて来た。雄介は、思いがけない時任の反問に、しばし思いあぐんだ末、
 「実は・・・・・・」
 と、やや口ごもった風を見せてから、あの雪崩事故以来ずっと気になっていた例の質問を、思い切って時任に投げてみた。
 「-----ひとつ訊きたいんですが、あの雪崩が発生する直前、あなたと野田さんとの間に、いったいどんな会話があったんですか?崖の上からレースを見ていたおれの眼にも、先にランディングバーンに到達したのは、明らかに野田さんの方が先だと判りました。それなのに、時任さんは、どうして黒鳥真琴の居場所を、野田さんの口から聞き出すことが出来たんですか?そいつがどうしても納得いかないんですよ」
 すると、時任は、その質問が雄介から持ちかけられることを、既に予期していたという口振りで、
 「そうだな。お前には、全部話しておいた方がいいだろうな・・・・」
 と、前置きしてから、淡々と語り出した。
 「-------そうだ。お前が見た通り、スノーファイトのレースは、正しくおれの負けだった。野田は、おれに初めて勝ったことで有頂天だったが、おれには、あいつが喜べば喜ぶほど、何故か悲しげに見えて仕様がなかった。そして、もはや、おれ自身、野田の術中に屈することをほとんど覚悟した時、あの表層雪崩が発生したんだ」
 時任は、そこまで話し、何か物思うように眩しげに遠い目をして彼方の天空を見る。
 「その時、野田は、如何にも、すべてをやり終えたというような満足感にあふれた表情になると、突然、『黒鳥真琴は、横手山ロッジの客室にいる』と、告げ、直後、雪崩がおれたちに襲いかかる瞬間、彼は、いきなりおれの身体へ自分の身体をぶつけて、突き飛ばすと、自分はそのまま雪崩に飲み込まれ、押し流されて行ってしまったんだ・・・・。おれが、こうして、九死に一生を得ることが出来たのは、あの瞬間の野田の機転があったからなんだよ」
 そう言って、ゆっくりと雄介の方へ首をめぐらせた。
 「-------そうだったんですか」
 思わず深い溜息をついた雄介は、それだけを応えると、改めて、時任と野田の間にあった他者には計り知れない濃密な心情を突き付けられた気がして、つい言葉に窮した。煩悶(はんもん)に堪えるかの如く俯く雄介を、時任は、兄のような視線で温かく見やると、お前の気持ちは判っているという面持ちで、そっと微笑んだ。
 「だが、だからといって、野田のしたことが免罪になる訳じゃない。そして、あいつにあのようなことまでもさせてしまったおれ自身も、また、許される立場にはないということなんだ。このことは、おれにとって一生背負って行かねばならない十字架なんだろうな・・・・・」
 「・・・・・・・・・・」
 時任の苦衷が痛いほど判るだけに、雄介は、ただ黙って、頭(かぶり)を振ることしか出来なかった。やがて、時任は、 
 「ところで--------」
 と、さりげなく話頭を転じるや、雄介に向かって、こんなことを訊ねて来た。
 「雄介、お前、このスキーパトロールの仕事が三月一杯で終了したら、次に勤める当てはあるのか?」
 「------いいえ、まだ何も決めていませんが」
 唐突に何を言い出すのだろうと、雄介は時任の顔を不思議そうに見る。時任は、そうかと、小さく頷き、
 「もし、お前がよければ、おれが就職口を世話してやってもいい。どうかな?」
 と、言う。その申し出は、確かに、今の根無し草も同然の雄介の立場からすれば、正直二つ返事で飛び付きたい提言ではあった。ところが、雄介はその時任の申し出に即答を避けると、
 「お話は、とてもありがたいんですが、もう少しじっくりと考えてみたいんです。おれという人間に、いったい何が出来るのか。これから何をするべきなのか。------以前のおれなら、時任さんのその言葉を何の遠慮も躊躇もなく、受け入れていたのでしょうが、今は、何だか、自分自身の力でも道を切り開いていけるような気がするんです。甘い考えかもしれませんけど、でも、試してみたいんです」
 そう返事をする。時任は、そうかと、静かに頷き、得心した表情で、
 「そうだな。ここ数日で、お前は、見違えるように逞しくなったからな-------」
 スキーパトロール本部へ配属されて来たばかりの日と比べると、数段成長したと思えるパートナーの顔を、時任は、何とも頼もしそうに見詰めた。そして、改めてサングラスを掛け直すと、
 「よし、本部へ戻るとするか!」
 元気よく雄介に呼びかけた。
 「はい!」
 それに呼応して、雄介も返事をし、スキーゴーグルを顔へと下ろす。二人は、悠然とスキー板を麓の方向へ返すと、志賀高原横手山の広大な銀色の雪原に、華麗なシュプールを描きながら、パトロール本部への帰路に就いた。
                                                            <  終  >


    
     <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



     ~ 炎 の 氷 壁 ~ は、本日で終了いたします。皆さまには、ご愛読頂きまして、誠にありがとうございました。


     なお、この小説ブログは、小説の題材、主要人物欄、カテゴリー分け、文字の大きさ、太さ、文章の長さ、イラスト等々多岐に渡りまして、読者の皆様のご要望を、出来得る限り取り入れさせて頂いた作りとなっております。が、時に、ご要望にお応えすることが困難な場合もございます。わたしの未熟なパソコン技術では、対処しかねる問題や、文章力の拙さにより、読みにくい文脈があったり、文字構成が煩わしく感じられる面なども多々あろうかとは存じますが、その点、何卒ご寛大なお気持ちを賜りまして、今後とも、ご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。      
                        ちよみ





侍ジャパン


WBC


連覇  おめでとう !!  
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ 32

 野田開作の策略で拉致されていた黒鳥真琴の身柄は、野田の証言通り、彼の経営するホテルの横手山ロッジ内で、捜索隊によって発見され、即座に、隣接する市の総合病院へと搬送された。ホテル内の三階にある窓のない一室で、ドアに鍵を掛けられ、監禁状態に置かれていた彼女であったが、幸いなことに身体には目立った怪我もなかった。食事も与えられてはいたようで、少しばかりの脱水症状が見られたものの、体力の回復も早かったため、ほどなく病院を退院することが出来た。
 その黒鳥真琴の証言により、野田は、彼女を十五年前の殺人の時効が成立するまで、ホテルに監禁しておくつもりであったらしいと、いうことも判った。
 それと同時に、熊の湯温泉スキー場の『魔の壁』を中心に、渓谷一帯に渡る、野田開作の捜索作業も、長野県警、志賀高原山岳遭難対策協議会、及びスキーパトロール員たちの手で懸命に行われたが、雪崩事故から二日後の午後、彼の遺体がようやく峡谷内の沢筋で発見された。
 時任圭吾も、雪崩に巻き込まれたことによる外傷性ショックから、一時は意識不明となり容態が危ぶまれたが、長野県警の山岳遭難救助用ヘリコプターで搬送された先の別の総合病院で、翌日には意識も回復し、病室の彼に付き添っていた雄介を安堵させた。二人は、その後、これまでの一連の事件と事故に関する事情聴取をするために、病院を訪れた県警所轄署の警察官たちに事実の一部始終を証言して、調書の作成に協力した。
 その際、時任が、黒鳥真琴に会って、自分の口から十五年前に起きたことの真実を伝えさせてもらいたいと、その警察官たちに頼んでみたところ、彼らは、
 「------そのことなんですがね、時任さん、黒鳥真琴さんは、ご自分の中で、まだ今回の出来事についての気持ちの整理が付いていないので、あなたと会うのは、もうしばらく待ちたいと言われているんですよ。決心が付いたら、ご自分の方から、あなたに連絡したいと、おっしゃっていました。ですから、あなたも、彼女の心中を汲んで、いま少しそっとしておいてあげた方がいいかと、思いますよ」
 と、助言した。
 こうして、十五年前の未必の故意による殺人事件は、野田開作という被疑者死亡のまま時効を目前にして、一応の決着を見ることとなったのである。



 その後、時任は、五日間の入院を経て、再び横手山スカイパークスキー場のスキーパトロール隊へと復帰した。
 高木主任以下、神崎、可児、その他のパトロール員たちも、皆、待ちに待っていた時任の復帰を、諸手を上げて歓迎した。もちろん、雄介も同様である。しかし、雄介には、不安もあった。時任が、雪崩事故以来、入院中も野田開作のことをほとんど話題に出さなかったのである。たとえ必然的に殺人に手を染めてしまったとはいえ、野田は、時任にとってはこれまで唯一無二の親友だった男である。その親友が、眼前で雪崩に押し流されてしまったのであるから、時任の恐怖や無念は如何ばかりであったろうかと、考えると、とても軽々しく彼の退院を喜べなかったのであった。
 しかも、雄介には、もう一つどうしても解せないことがある。それは、何故、スノーファイトに負けた筈の時任が、黒鳥真琴の監禁場所を、勝った立場の野田から聞き出していたのかということである。
 雪崩が二人を直撃する瞬間、彼らの間に何が起こったのか、雄介にはどうにも気になってならなかった。
 だが、そんな雄介の気持ちを知ってか知らずか、野田が関与した事件については、一切触れることなく、時任は、高木主任への仕事復帰の挨拶をする。
 「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。休ませて頂いた分は、きっちり取り返しますので、何でも申し付けて下さい」
 高木主任もまた、あえて、野田の一件には言及せずに、そんな時任の身体を気遣い、
 「もう、ゲレンデへ出ても大丈夫なのかね?病院の担当医の先生から、きみの容態を聞いた時、胸を強く打っているので、肋骨にひびが入っていると教えられたんだが-----。まだ、痛むんじゃないのかね?無理はせずに、しばらくは、デスクワークをして様子を見たらどうかね?」
 と、提案する。しかし、時任は、首を横に振り、
 「お気遣いは、ありがたいのですが、おれは、もう大丈夫です。胸は、コルセットでがっちり固定してありますから、パトロールには何の支障もありません。それに-----」
 と、言い掛けてから、背後に立つ雄介を振り返り、
 「頼もしい、相棒もいることですから----」
 そう、付け加えた。高木主任も、そんな時任の言葉に、ふっと苦笑を漏らすと、仕方がないなというように軽い諦めを表情に宿し、判った、好きにしたまえと、ゲレンデパトロールを許可してから、
 「だが、無理だけはするなよ」
 そう、優しく言い渡した。
 「ありがとうございます!」
 時任は、素直に礼を言い、もう一度雄介を振り向くと、少しやつれてはいるものの、その浅黒く雪焼けした顔に、いつもと変わらぬ爽(さわ)やかな白い歯を見せて、はにかむように微笑んだ。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑感~

    去る十四日、信濃グランセローズ野球教室が、中野市民体育館で行われたそうです。参加したのは市内の少年野球チーム所属の小学生選手百人。グランセローズからは、監督、コーチ、選手の三十一人が会場入りして、グランセローズの選手たちが実際に行っている練習前のウォーミングアップの方法や、バッティングフォーム、ピッチングフォームの基本などを、子供たちへの個別指導なども盛り込みながら、丁寧に指導したそうです。
    また、会場では、野球教室の後、子供たちは、グランセローズの選手たちと一緒に、エアロビクスのトレーニングにも汗を流していたとのことです。(「北信ローカル」紙参考)

  写真は、「北信ローカル」紙面です。
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ 31

 スキーパトロール本部で電話の受話器を取ったのは高木主任であった。雄介は、今まさに目の前で起きた雪崩(なだれ)事故について懸命に説明をすると、すみやかな時任と野田の救助を要請する。その話し方が、あまりに性急であったため、高木主任は何度となく雄介に情報を確認し返しながらも、すぐに対応措置を講ずると、約束した。しかし、高木は、電話を切る際、雄介に、
 「------くれぐれも、自分一人で雪崩が起きた斜面に入り、二人を捜索しようなどとは思うなよ!二次遭難の危険があるからな!」
 と、強く言い含めた。だが、雄介は、それには答えなかった。このまま、ここで手を拱いていたのでは、自分が時任たちを見殺しにしたことになってしまう。そのような卑怯な真似は、男として、また、スキーパトロール員として絶対にしたくはないと、思っている。いや、それ以上に、時任圭吾を何としても助け出さねばならないという強い信念が、雄介の決意を堅固なものにしていた。
 雄介は、携帯電話を切ると、高木主任の命令を無視して、表層雪崩が発生したばかりの『魔の壁』の急斜面へと、降りて行った。谷底から吹き上げる強風が時折ブリザードの如く雪煙を巻き上げ、容赦なく顔面を殴りつけて来る。寒風にさらされ噴き出す涙を必死で手で拭いつつ、いつまた崩れ始めるか判らない不安定な足元を気にしながらも、慎重に歩を進めて行く。一歩間違えれば、雄介自身が斜面を転がり落ち、命を失いかねないのである。焦る気持ちに、精一杯のブレーキをかけながら、雄介は、やっとの思いで、雪崩が覆い尽くしているランディングバーンの辺りへと辿り着いた。
 しかし、そこは辺り一面真っ白な不毛の世界である。聞こえるのは、深い峡谷を吹き抜ける風の音ばかりで、他には何一つない。雄介は、時任の名を大声で呼びたい衝動にかられたが、それは出来なかった。自分の声が、再度の雪崩の引き金にならないとも限らないためである。呼び掛けすら出来ない苛立ちと、レースを止めることの出来なかった激しい後悔の念が、雄介の胸中を苦しく締め付ける。疲労と絶望感で、打ちひしがれた雄介は、とうとうその場へ崩れるように座り込んでしまった。
 これでは、いったい何処を探せばいいのか・・・・。時任も、野田も、この巨大な雪の塊の下敷きになってしまっているのだろうか?それとも、怒涛のような雪流に押し流されて、谷底へと落下してしまったのか?------途方に暮れる雄介は、目の前が真っ暗になる悲壮感に、完全に打ちのめされていた。
 すると、その時である。何処からともなく、人の呻き声のような音が、かすかに聞こえて来た。
 「・・・・・・・・・・」
 雄介は、自分の耳を疑いながらも、首を巡らして、周辺を見渡す。-------が、やはり、耳に入って来るのは、寒々と吹きつける風の音ばかりである。------やはり、空耳か・・・・。と、思い、悄然と落胆の色を面(おもて)に宿し、唇を噛んだ瞬間だった。
 「雄介・・・・・・」
 弱々しいが聞き覚えのある声が、はっきりと雄介の耳に届いた。それは、紛れもない時任圭吾の声であった。
 「時任さん------!」
 雄介は、必死でその声のする方へと歩き出すや、ほんのわずかに開いた雪の層の隙間に、雪まみれの上半身を持ち上げるようにして埋もれている時任の姿を発見した。雄介は、正に躍り上がらんばかりの興奮に逸る気持ちで、時任のそばへ駆け寄るや、傍らへと跪(ひざまず)くと、死に物狂いで両素手をスコップ代わりに使い、痺(しび)れるような冷たさも忘れて、雪の下に埋まり込んだその身体を渾身の力をこめて引きずり出した。
 制帽は脱げ、髪にも真っ白な雪をかぶった時任の顔面は、真っ蒼に冷え切り、唇も紫色に凍り付いてはいたが、雄介の腕の中に横たわりながらも、何かを訴えようと懸命に口を開こうとする。雄介は、その声を聞くため、時任の口元へ自分の耳を近付けた。
 「-------雄介、本部へ連絡しろ・・・・。黒鳥真琴のいる場所が判ったと・・・・」
 「本当ですか!?でも、どうして-------?」
 「雪崩がおれたちを襲う直前・・・・、野田が、教えてくれたんだ・・・・。彼女は、横手山ロッジの客室の何処かにいる。野田が彼女を拉致し、監禁していたんだ・・・・。だから、早く本部へ伝えるんだ・・・・」
 時任は、苦しい息の中で、そこまでを何とか話すと、すうっと意識が遠退いて行くように、瞑目したまま静かになってしまった。
 「時任さん!しっかりしてくれ!時任さん-------」
 雄介は、驚き、焦燥にかられながらも、何とか気持ちを立て直すと、先ほどの携帯電話を取り出して、時任の指示に従いスキーパトロール本部へ連絡を入れた。そして、再び電話口へ出た高木主任に、
 「-------黒鳥真琴さんの居場所が判明しました!横手山ロッジ内の客室の何処かに監禁されています。------それと、たった今、時任パトロール員を雪中より救出しました。こちらも、生存しています。早急に応援をよこして下さい!」
 そう告げたのち、雄介は携帯電話を切ると、彼の腕の中で、意識を失ったままの時任の身体をしっかりと抱き締めた。
 やがて、紺碧の上空には、長野県警の山岳遭難救助用のヘリコプターがプロペラ音を轟かせながら旋回し、横手山スカイパークスキー場・スキーパトロール本部からの雪崩事故発生の連絡を受けた救助隊も、麓の熊の湯温泉より『魔の壁』を目指して登攀(とうはん)を開始した。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>


    
    ~今日の雑感~

    日本には、古代より独特の色彩感覚があったと言われます。例えば、赤の色一つとっても、よりピンク色に近い物を「紅梅」それから徐々に深紅に近付くにつれて、「紅」「赤」「蘇芳(すおう)」と変化して行きますし、若草色系統も、「もえぎ」「こけ色」「古代青」などというように、豊かな表現で分けられています。
    今回の野球のWBCおける日本代表侍ジャパンのユニフォームに採用された色も、単なる濃紺と呼ぶのではなく、「褐色」と、書いて「かちいろ」というのが正式な色の呼称であるとのこと。「褐色(かっしょく)」とは、普通は、黒みのある茶色のことを指すのですが、こういう勝負事に使う時は、これを「かちいろ」と、呼んで、濃紺よりも濃いほとんど黒に近い物を指すのだそうです。そして、この「褐色」は、文字通り武士が戦場に赴く時に身にまとう色なのだそうで、正に、決死の覚悟を表現しているのだと言います。
    そういえば、あの侍ジャパンのユニフォームを見て、「何処かで見たような気がする」と、思われた方も多いのではないでしょうか?実は、わたしも、あれを見た瞬間、濃紺と赤の色の配置に、「もしや・・・・」と、思い当たる物がありました。それは、日本各地にある消防団の制服である消防法被(はっぴ)の色の配置にそっくりなのです。デザイナーの人は、そこからヒントを得たのでしょうか?そんな訳で、彼ら選手を見ている時のわたしのイメージは、侍というよりも、選手たちが江戸は八百八町の「町火消し」の若い衆に見えて仕方がないのです。(^-^)
    しかし、WBCといえば、日韓戦で韓国が勝利した時、必ずといって(前回もそうでしたが)韓国選手が球場のマウンドに韓国の国旗(太極旗)を突き立てるのですが、あれは頂けません。いくら嬉しいからといっても、あの態度はあまりに度を超したマナー違反です。岩村選手も怒りを露わにしていましたし、あれは、野球を愛する人々の感覚からすれば、球場に対する冒涜であり、道徳的にも決して容認できるものではありません。球場側も何故注意をしないのでしょうか?それとも、韓国選手が、その忠告にも耳を傾けないのでしょうか?今後は、何らかの処分なり、対策を講じて頂きたいものです。


    ところで、昨日、中野市営野球場で行われた、信濃グランセローズ対全足利クラブによる練習試合は、一対五でグランセローズが敗れました。ほとんど通年のレギュラー陣を先発させた試合だったようですが、新入団選手が十人もいるのですから、思い切って彼らの実力を試してみるのも手ではなかったのかと、思いました。と、同時に今年のグランセローズには、「思い切り」が必要なのではないかと感じました。(しかし、何故、グランセローズが、毎度毎度波に乗り切れないのか、何となく思い当たる節はあるのですがね・・・・)(^_^;)
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ 30

 すると、今度は野田が、その雄介の叫びを遮るように、なおも時任に決断を迫る。
 「どうするんだ、時任?お前の可愛いパートナーの説得に従って、勝負を降りるのか?そうなれば、黒鳥真琴の居場所は、永遠に判らずじまいだぞ。もしも、このまま彼女が見付からないというようなことにでもなれば、お前は、彼女の実兄(あに)ばかりでなく、彼女自身をも見殺しにすることになるんだ。それでもいいのか?」
 「野田、雄介に話を聞かれた以上、彼がお前のこれまでの告白の証人だ。おれが、ここで勝負を降りても、雄介の言うように、お前は、もうお仕舞いなんだぞ。潔く、黒鳥真琴の居場所を白状した方がいい」
 時任は、雄介という援軍を得て、再度相手の説得を試みる。が、野田は、大きく首を横に振ると、
 「おれを、甘く見るなよ、時任。もし、逮捕されることになっても、おれは決して彼女の居場所はしゃべらない。そんなことは一切知らないと、徹頭徹尾白を切り通すさ。--------それでもいいんだな?」
 そこまで言われてしまっては、時任に、次の言葉は出なかった。ここに来て進退窮まった感の時任は、もはや、相手の条件を飲み、スノーファイトを履行するしか道がないことを悟ると、再度、承諾の意志を伝えた。
 「そうだな。やはり、お前の言う通りにするしか道はなさそうだ・・・・・」
 「それでこそ、王(キング)だよ」
 野田は、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。雄介は、焦った。このままでは、時任は、間違いなく野田の術中にはまり、命を落としかねない。こうなったら、もはや腕ずくででも、時任を止めねばならないと、深雪に足を取られながらも、そちらへ向かって駆け寄ろうとした。だが、その行動を制したのは、他ならぬ時任本人であった。
 「来るな、雄介!おれは、今から、こいつと決着をつける。お前は、その証人だ。そこで、しっかり見ていろ!」
 時任は、鋭く言い放つや、サングラスの奥から野田を見据え、スタートの合図を掛ける権利は、左脚にハンディのある野田に譲ると、告げる。野田もそれには流石に紳士的に礼を述べると、そのまま二人は、ゆっくりとスキーを滑らせて、峨々として聳え立ち、数多(あまた)のスノーファイターたちの挑戦を慄然たる冷酷さをもって見続けて来た、その『魔の壁』の先端へと進み出た。
 風は、南風。真っ青な上空には、雲一つない。『魔の壁』の雪面は、太陽の反射光により、既にバリバリのレインバッグ状態である。滑走時にスキー板へかける両足の体重を微妙にコントロールしなければ、雪面を踏み抜き、その下を覆う柔らかな新雪層に身体を吸い込まれて失速するか、勢いあまってスキーごと全身を放り出されるか、いずれにしても、ただではすまない危険な挑戦に違いなかった。
 野田は、ニット帽の額に上げていたスキーゴーグルを顔面に装着すると、やや離れた場所に並行して立つ時任に対して、声を掛ける。
 「------行くぞ、時任」
 「ああ、いつでも合図してくれ」
 時任も呼応する。そして、そんな二人の間に、風花を運ぶ一陣の雪風が舞った瞬間、野田の鋭い一声が響いたかと思うと、彼らの身体は、躍り出すようにして、一気に峡谷へ向かって滑り出していた。
 「時任さん-------!」
 眼前から二人の男の姿が消えたことに絶叫にも近い叫びを発しながら、雄介は、彼らの姿を追って、断崖の上へと走り寄る。そこから、眼下に臨んだ光景は、時任と野田が相前後して壁を滑降する姿であった。雄介は、その後ろ姿に向かい、何事もなくレースが終わるようにと、思わず胸中に合掌して祈った。激しい雪煙を蹴りたてつつも、二人は絶妙な距離感を保ってゴールへと突っ走る。しかし、やんぬるかな、終着点であるランディングバーンへと先に辿り着いたのは、野田開作の方であった。
 野田は、もうあとわずかで谷側への境界線というギリギリの所でスキーを急停止させると、ほんの数秒遅れてゴールした時任を振り返り、狂気にも似たの歓喜の声を発した。
 「おれの勝ちだぞ、時任!おれの勝ちだ!この『魔の壁』で、初めて、お前に勝ったぞ」
 「・・・・・・・・・」
 時任は、激しい息遣いのままに、右手でサングラスを外すと、半ば絶望感の中でその勝利宣言を聞いていた。野田は、さらに多弁に続ける。
 「おれが、どれだけこの時を待っていたか、お前に判るか!?人知れず、スキーの腕が鈍らぬように練習を重ねてきた努力が、ようやく報われたんだ。おれにだって、まだ、お前に負けない力がある。時任、おれは、まだ、お前と同等に、いや、それ以上に戦えるんだ。そうさ、おれは、お前のお荷物なんかじゃない。これからも、この手で、お前を守ってやれるということが証明されたんだからな。だから、もう諦めろ。黒鳥真琴のことも、何もかも忘れて、おれの所へ戻って来い。本間雄介が、今後何をしゃべろうが、おれとお前さえ白を切り通せば、これまで同様に警察を欺き続けることが出来るんだ。それが、もっとも、お互いのためなんだ。判るだろう?-------」
 その言葉が終わるか終らぬ時であった、静かに、しかし、腹の底を揺さぶるような地鳴りにも似た不気味な音が、周囲にとどろき始めたかと思うと、その音は次第に大きくなり、時任と野田の二人が、おもむろに、今まさに滑り降りて来た頭上の雪壁を見上げた瞬間であった。雪壁の途中の雪面に巨大な亀裂がめりめりと横に走ると同時に、凄まじい轟音を立てて幅二十メートルにも渡る雪の塊が、一気に崩れ、二人のいるランディングバーンへ向かって物凄い速さで急斜面を雪崩れ落ちて来たのであった。
 表層雪崩であった。
 雄介の心配は的中した。杞憂に済んで欲しいという願いは、天に届かなかった。雪崩は、『魔の壁』の下方に行くにしたがってさらに激しさを増し、眼下の男たちの姿を、その巨大な白魔の牙にかけて、一息に飲み込んで行ってしまった。
 「時任さん-------!!」
 雄介は、あまりの驚愕に膝が崩折(くずお)れて、その場に座り込んでしまった。頭の中は、正にパニック状態で、何を考えたらいいのかすらも判然としない。知らず知らずのうちに、涙がボロボロと両眼から噴き出し、頬を流れ落ちる。
 「------しっかりしろ!しっかりするんだ、雄介!落ち着いて考えろ!」
 雄介は、そう自分自身に強く言い聞かせると、ここへ赴く際に、神崎パトロール員から渡された携帯電話があることを思い出した。スキーウェアのジャケットのポケットから震える手で携帯電話を取り出すと、はめていた両手の手袋を口にくわえて引き抜き、必死でコールボタンを押して、横手山スカイパークスキー場のスキーパトロール本部を呼び出した。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑感~

    昨日は、世界情勢の危機に関する話をしておきながら、今日は、「ぼたもち」と、「おはぎ」の話をします。この脈絡のなさが、如何にもわたし的思考なのですが、しばし、お付き合いください。
    皆さんは、この二つの違い判りますか?餡子(あんこ)が粒餡なのが「ぼたもち」で、濾餡(こしあん)が「おはぎ」と、言う人もいれば、大きく作れば「ぼたもち」で、小さければ「おはぎ」と、言う人もいますよね。
    でも、こういう説は、どれもいわゆる俗説で、実のところは、「ぼたもち」も「おはぎ」も作り方は同じ物で、呼び名の違いは食べる季節に関係しているのだそうです。要するに、「ぼたもち」は、春のお彼岸に食べるもので、「おはぎ」は、秋のお彼岸に食べるものなんだとか-----。名前の通り、「ぼたもち」は、牡丹の花にたとえ、「おはぎ」は、萩の花にたとえてもいるのだそうです。そして、「ぼたもち」は、春に山の神様をお迎えするために供えるものでもあり、「おはぎ」は、秋の収穫に感謝するために供えるものでもあるのだということです。
    最近は、スーパーなどで販売される時には、一年を通じて「おはぎ」として売る出されていることが多くなっていますが、わたしとしては、やはり、そこは日本人の細やかな感性で、春は「ぼたもち」、秋は「おはぎ」と、パッケージのイラストもちゃんと変えて、売り出していただきたいと思いますね。だって、その方が、断然、季節感があって、食べる時の気持ちも違いますから。
    因みに、「山の神」とは、別説で、奥様のことを指すのだとか。お嫁さんは、年を経るにつれて、「女房」になり、「化け」、「七化け」、「化けべそ」、そしてやがては、「山の神」に出世するのだそうです。さて、あなたは、今どの段階の奥さまでしょうか?face02

    ところで、話は飛びますが、侍ジャパンの選手たちを見ていて思います。「何で、こんなに日本代表選手は、みんな揃いも揃ってイケメンなんだろう?」と------。これは決してわたしの欲目ではなく、ダルビッシュ、川崎、小笠原、涌井、中島、稲葉、青木、岩隈、馬原、イチロー、原監督に至るまで。やっぱり、人間何ごとも必死になると、男っぷりも上がるのでしょうか?(^-^)
 
 
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ 29

 そして、さも不愉快だと言わんばかりに、薄い唇を歪めると、
 「あの厄介女、もうちょっと大人しくしていてくれれば、よかったんだ。あと、少し黙っていてくれれば、万事は丸く収まったのに・・・・」
 野田は、如何にも悔しそうな面持ちで言う。それを聞いた時任は、すかさず付言した。
 「時効ということか------?」
 「そうだよ。時効だよ。それも、確かに問題だった。十五年前は、まだ、刑事訴訟法の改正以前だから、その時起きた殺人の時効は十五年だ。あと二ケ月、たった二ケ月待てば、その時効がやって来たんだ。それなのに、あの黒鳥真琴は、わざとこの時期を見計らって、お前にプレッシャーを掛けるために姿を現したんだ。黙って、実兄(あに)の死を受け入れていれば無難に済んだ物を・・・・。身の程も弁えず、おれたちの周辺を嗅ぎまわったりして、余計な穿鑿(せんさく)をするから、あんなことになるんだ・・・・。黒鳥和也の死の真相について教えてやると、彼女の宿泊先のホテルへ匿名の電話を掛けたら、疑いもせずにのこのこやって来た。馬鹿な女だよ・・・・」
 「------あんなことになるとは、どういうことなんだ!?野田、お前、黒鳥真琴にまで、手荒なことをしたのか・・・・?」
 時任の顔色が、激しい動揺を見せて真っ赤に上気する。恐怖感にも近い驚きで、声が上擦っている。
 「・・・・・・・!?」
 木の幹の陰から、時任と野田のやり取りを聞いていた雄介も、野田の口から不意打ちの如く飛び出した言葉に、突発的に声を上げそうな衝動にかられて、慌てて自らの口をスキー手袋をはめている手で押さえた。雄介は、身体中の毛穴が開き、一気に冷や汗が噴き出すような、あまりにおぞましい感覚に襲われ、悪寒に震えた。
 まさか、野田開作は、あの黒鳥真琴までも手に掛けたのではないだろうか?一昨日、熊の湯温泉スキー場のレストハウスに黒鳥真琴が現れなかったのは、既に、その時には彼女の身柄は、野田の手のうちにあったためだったに違いない。------そんな雄介の想像が、確信に変わるのに、さほど時間はいらなかった。
 時任は、なおも野田を追及する。
 「黒鳥真琴が何処にいるのか、お前は知っているんだろう?」
 「ああ、知っている。もちろんな。------しかし、たとえ時効が迫っているとしても、あの女が今更騒ぎ立てたところで、おれの完全犯罪が完璧に立証で来るものではなかっただろうが、それにしても、目障りなことには変わりない。まあ、いずれにしても、あの女の存在が、お前にとって煩わしいものである以上、排除するのが妥当な選択だと思ったんだよ。------だから、そんなに怒るなよ。すべては、お前のためなんだぞ、時任。むしろ、礼を言ってくれるのが普通だろう?」
 野田は、自分の犯罪は、あくまでも時任のために行ったものだと言い募る。時任は、ついに怒りの堰を切って叫んだ。
 「野田、貴様の言い訳を聞くのはもうたくさんだ!黒鳥真琴を何処へやった!?答えろ!」
 「そんなに興奮するなよ、時任。せっかくの美男が台無しじゃァないか。おれは、何があっても常に冷静なお前が好きなのになァ------」
 野田は、はぐらかすような冷笑を浮かべたのちに、
 「だから、ここで決着をつけようと言っているんだよ。もしも、このスノーファイトでお前が勝ったら、おれは、黒鳥真琴の居場所を教えて、地元警察の所轄署へ自首をする。お前が負けたら、今の話も彼女のこともすべて忘れて、また、元通りにお前はおれの所へ戻って来る。これが条件だ。後にも先にも、この一発勝負だ。おれには、こんな脚のハンディがあるし、決して、お前にとって悪くない条件だと思うがな」
 と、時任に挑戦状を投げた。そして、そう時間を掛けて考えている暇はないぞ。黒鳥真琴のことが本当に心配なら、早く決断した方がいいとも、判断を急かせる。
 「-------お前のその言葉、本当に信じていいんだな、野田?」
 時任が、言質(げんち)を取るように念を押すと、野田も、もちろん約束すると、真顔で深く頷く。
 「判った-------。その条件、飲もう。勝負してやる」
 そう時任が返事をした次の刹那、もう、いてもたってもいられなくなっていた雄介が、身を潜めていた木の陰からしゃにむに飛び出すと、大声で時任を止めた。
 「そんな約束しちゃダメだ、時任さん!野田が約束を守るという保証はない!彼の本心は、あんたと心中することにあるんだ。今ここで、スノーファイトをするのは、正に自殺行為なんですよ!」
 「雄介・・・・・・?」
 時任は、突然現れた雄介に、唖然と目を向ける。野田も、想定外の人間の出現に流石に戸惑いを隠さなかった。
 「時任、お前、独りで来たんじゃなかったのか?」
 野田の目には、明らかに激しい嫉妬と、時任に対する懐疑心が満ちていた。だが、それを打ち消したのは、雄介だった。
 「時任さんは、関係ない!ここへ来たのは、おれ一人の判断だ。今の話は、おれも聞かせてもらった。野田さん、あんたは、もうこれ以上逃げられやしないんだ。黒鳥真琴を何処に隠しているのか、白状しろ!」
 雄介は、止む無くレースを承諾させられた時任を、何とか翻意させようと、形振り構わずに必死で叫んでいた。


    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>


    
    ~今日の雑感~

    四月四日から八日の間に、北朝鮮が人工衛星を打ち上げる可能性が高いという情報が、世界中を駆け巡っている。本当に人工衛星なのか?それとも、テポドンと呼ばれる長距離弾道ミサイルなのか?アメリカ国防省も我が国の防衛庁も、今のところ詳細は不明とのこと。ただ、射程を決める際の発射台の角度で、その何れかがほとんど把握できるとの話ではあるが、それが判ったところで、発射を止められる訳ではないだろう。相手が、人工衛星の打ち上げであると通告している以上、日本側にどのような抑止手段があるのか、何とも心もとない限りである。それが、人工衛星にせよミサイルにせよ、日本海に展開している海自のイージス艦に迎撃を命令するという政府筋の話もあるらしいが、もしも、迎撃を試みたとしても、確実に打ち落とせる確率は極めて低いのが現状だとの専門家の意見もある。百歩譲って日本海上での迎撃に成功したとして、その撃墜片は何処に落下するのであろうか?よしんば、弾道ミサイルでなかったとしても、大気圏外へ出る前に軌道が変わり、国内へ落下などという事態も皆無とは言い切れないのだ。しかも、ここに来て、何故か北朝鮮からの韓国人の強制退去が始まっているとも、ニュースは報道している。いったい、今後何が起こるのか、世界はただ手を拱(こまね)いて注視し続けるしか術がないのだろうか?   
   下世話な話、その時、わたしたち一般庶民は、何処で何をしていればいいのか?少なくとも、その人工衛星なる物の軌道については、(落下するにしても、着弾するにしても、目標地点までの到達時間は、たった数十分のことではあるだろうが)テレビやインターネットで逐一情報を教えて欲しいものである。いずれにしても、わたしのこんなSFめいた懸念が、単なる杞憂で終わることを祈りたいものである。


   今日は、何か真面目に、国際情勢を語ってしまったなァ・・・・・。(^-^) 
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ 28

 雄介は、走った。彼には、時任と野田の二人が何処で対面する手筈になっているのかも、はっきりと想像出来ていた。
 横手山スカイパークスキー場を出たところにあるタクシー会社の事務所まで行くと、熊の湯温泉スキー場へ急いで欲しいと運転手に告げて、タクシーに乗り込んだ。熊の湯温泉スキー場までは、自動車(くるま)を走らせれば、たった十分弱の距離であるが、その十分でさえもが雄介にはもどかしく、はやる気持ちを持て余しながら、タクシーの後部座席で、ただひたすらに時任の無事を案じるしかなかった。
 やがて、熊の湯温泉スキー場の玄関口ともいえる老舗ホテルの前でタクシーを止めた雄介は、乗車賃を支払うと、降車する間際に、運転手に向かい、同スキー場の通称『魔の壁』へ行く最短ルートを訊ねる。すると、運転手は、何とも訝しそうな顔つきになり、本当にそんな所へ行くつもりなのかと、不安がると同時に、
 「お客さん、もし行ったとしても、決してその壁でスキーをしようなんて思っちゃァいけませんよ」
 と、忠告する。それに対して、雄介が、あそこのコースが現在は滑走禁止になっていることは承知していますと、答えると、運転手は、それだけの理由で忠告する訳ではないと言う。
 「特に、今日のように晴れて気温が上がって来ている時は、たとえ一月といえども要警戒なんですよ。あそこの壁は、雪崩(なだれ)の常習地帯でもあるんですからね。表層雪崩が起きる確率がきわめて高いんですよ。だから、単なる物見高さだけで行くのならば、やめておいた方がいい。危険ですからね。気を付けて下さいよ」
 それでも、行き方を知りたがる雄介に根負けしたように、タクシー運転手は、ゲレンデ回り以外の『魔の壁』への近道を教えると、まだ不安を表情に残しながら、雄介をその場に降車(おろ)し、そのままタクシーをUターンさせ元来た道を走り去って行った。
 「------表層雪崩か」
 雄介は、一言口の中で呟いてはみたが、そんなことが起きる確率が高いというのならば、なおのこと、時任のことが心配になった。確かに、志賀高原(やま)の気温は、午前中よりもさらに高くなって来ている。数日前には、たっぷりと新雪も積もっているのだ。タクシー運転手の警告は、あながち単なる脅制とも思えない。
 しかし、今の雄介の胸中には、それにより『魔の壁』行きを躊躇しようなどという思いは、これっぽっちもなかった。
 雄介は、タクシー運転手に教えられた通りの道順で、単身黙々と、山肌を覆う雪面を踏み漕ぎつつ、その場所を目指した。

 
 そして、やっとの思いで、『魔の壁』を真下に臨む雪原までたどり着いた彼の眼前には、果たして、時任圭吾と野田開作、二人の男の姿が忽然として現れたのだった。
 「時任さ------」
 未だ無事な様子でそこに佇む時任の姿に、一瞬の安堵感を懐いた雄介は、思わず声を掛けようとしたものの、雪原に吹く風の音に混じって聞こえて来た野田の次の言葉に、いきなり声を失った。雄介は、咄嗟に機転を利かせ、すぐ近くに立つ木の陰に慌てて身を潜ませる。自分がここへ来ていることが野田に知れては、彼の真実の告白を聞くことが出来なくなるかもしれないと踏んだからである。
 それほどに、野田の言葉は、雄介にとって衝撃的なものであった。そして、間違いなく、時任にとってもである。
 野田は、時任に向かって吐き捨てるように言った。
 「時任、ここではっきりと、お前に伝えておく!十五年前の黒鳥和也の死は、単純なスキー事故なんかじゃない。あいつは、おれが殺したんだ。警察だって、そのことは見抜けなかった。正しく、完全犯罪だったのさ-----」
 「・・・・・・・・!?」
 瞬間、時任は、絶句し、その顔は、あまりの激しいショックに彫像の如く生気を失って凍りついた。だが、しばし間をおいてから、低く絞り出す声音で、野田に反論した。
 「嘘だ・・・・。そんなことは、お前の作り話だ・・・・。そんなことをして、何の意味があるというんだ?」
 「意味------?決まっているじゃないか。時任、お前を助けるためだよ。あの三月の時期に、『魔の壁』でスノーファイトをするということが、どれほど危険なことか、地元の者なら知らないものはいない。もし、勝負の最中に表層雪崩が発生するなど、お前の身に万が一のことがあったらと、おれは、そればかりを懸念していた。だから、簡単に勝負の決着をつけるためには、少々の小細工ぐらいは、当然の策だったのさ。そこで、お前たちのスノーファイトが行われる前日の夜に、黒鳥和也が泊まっているホテルを突き止めて、そこのスキー保管室に入ってあいつのスキー板を見付け出し、片一方のスキーのバインディングの留め金具に細工をしたんだ。滑走時に一定以上の強い衝撃が加わると、バインディングが破損するようにな-----。結果、ああいうことになってしまったが、我ながら、大成功だったと思ったよ」
 「大成功!?------何が、大成功だ!お前のその細工のせいで、黒鳥和也は、崖から転落して死んだんだぞ!人間の命をなんだと思っているんだ!?」
 時任の両肩が、怒りと衝撃で震えているのが、雄介の所からもはっきりと判った。雄介自身も、思いもかけない驚愕で、ややもすれば膝がくず折れてへたり込みそうになる身体を、必死で持ちこたえていた。
 野田は、時任のそんな反応に対しても、ふてぶてしいほどの平静な態度で、
 「だから、あれは、おれが行(や)った殺人だと言っているだろう?でも、おれだって、本当にあいつが死ぬなんて確信は、最初からあった訳じゃない。レースの途中で相手のスキーが流れて、お前が勝ちさえすれば、それだけでよかったんだよ。要するに、あれは、未必の故意とはいえ、いわゆる不可抗力だったんだ。お前を、守るためには、止むを得ない手段だったのさ」
 そう、薄ら笑いを浮かべながら語ると、こう付け加えた。
 「これで判っただろう?お前が、決しておれから逃げられないということが------。もし、あの時の真相をお前が警察に話すというのならば、おれは、あくまでもお前に頼まれて細工を施したと証言するよ。だって、その方が話にも真実味があるからな。警察だって、おれたちが共犯だという方が信じやすいと思うぜ」
 「野田、貴様は、本当に悪魔に魂を売ってしまったんだな・・・・・」
 時任は、正に、獣(けだもの)を見るような憤怒と軽蔑が入り混じった絶望的視線で、サングラスの奥から野田を睨み据えた。
 「時任、お前がどんな風におれを見ているのか、ちゃんと判っているぞ。だから、頼む。そんな目でおれを見るな。すべては、お前のためにやったことだ。判るだろう?」
 野田の言葉は、鋭い刃となって、時任の苦悶の心中を容赦なく抉(えぐ)り続ける。そして、更に、こんなことまでも言い出した。
 「すべては、あの女が現れたことから始まったんだ。あの女さえ現れなければ、おれたちは、こんなことにはならなかった・・・・。あの女の出現が、おれとお前の何もかもを狂わせてしまったんだ・・・・。本当の悪魔は、あの黒鳥真琴なんだよ!」
 野田は、如何にも憎々しげに、その名前を吐き捨てたのであった。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑記~

    電車やバスなどの公共の乗り物に乗っていると、たびたび迷惑行為やマナー違反をする人を見かけますが、わたしにもかつて、こんな経験がありました。これは、もう十年ぐらい前の話ですが、わたしが電車に乗っていた時のことです。向かい合わせの席に、一人の中年男性が座って来ました。少し、お酒が入っているようで、赤ら顔のその男性は、しばらくすると何故か、わたしのことをじろじろ観察し始めたのです。季節は、真冬でしたので、わたしは、ロングのオーバーを着ていました。
    すると、いきなりその男性は、何を思ったのか、わたしに対して突然耳を疑うような暴言を吐いて来たのです。
    「お前、お前だよ。なに、お高くとまった顔しているんだ?いい物着やがって」
    「・・・・・・・・・?」
    わたしは、この人、急に何を言い出すのだろうと、不愉快に思いながらも、無視を決め込みました。どうせ、お酒が入っているのだろうから、反論したところで始まらないとも、思ったのです。しかし、その男性は、その態度が面白くなかったのか、
    「おれ、お前みたいな奴、大っ嫌いなんだよ!格好つけやがって!」
    (別に格好なんか付けていませんけど------face09
    「黙ってねェで、何とか言えよ!」
    (あんたと話すことなんか、ありませんから!face10
    「お前、おれを馬鹿にしてんだろう?」
    (うるさいな!それ以上言ったら、こっちにも考えが-------!icon09
    と、ごついシルバーの指輪をしていた右の拳をぐっと握りしめた時、こちらのシートの異変に気付いた別の乗客の方が男性車掌さんを呼んで来て下さって、
    「お客さん、いい加減にしなさい!こっちへ来て!」
    と、その車掌さんは、酔っぱらい男性をひっ立てるように連れて、別の車両へと行ってしまいました。正直、ほっとしましたが、ああいう時というのは、変にこちらも意固地になりまして、席を立った方が負けだというような気持ちにもなる物なんですね。後で考えれば、あんな暴言に付き合わず、さっさと別のシートに移ればよかったのだと・・・・。でも、あの剣幕だと、そこまで追い掛けて来る可能性も無きにしも非ずで・・・・。
    ブツブツ文句を言いながら引っ立てられて行く男性の後ろ姿を睨みながら、
    (------貴様、命拾いしたな)
と、独り、不敵に呟いた、ちよみさんでした・・・・。(ー‿ー゛) 
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ 27

 志賀高原の空は、コバルトブルーの金属的な輝きを放って時任圭吾と野田開作の頭上に冠していた。一般のスキーヤーが滑るゲレンデとは隔絶した、深い峡谷を挟んで聳え立つ『魔の壁』の上に、今、二人は立っている。この日、熊の湯温泉スキー場に吹く風は、厳冬を忘れさせるほどに穏やかで、太陽の発光までもが、季節感を狂わせるような強さを放って、志賀連山の峰々の白を際立たせている。
 聞こえるのは、時折、風花を巻き上げつつ広大な雪面を叩く風の音だけであり、そこには、対峙する二人の男の姿以外に動くものは何もない。しかし、そのような白銀一色の世界にありながら、彼ら二人の距離に漂う空気は、どす黒い刃にも似て胡乱(うろん)な緊迫感に満ち満ちていた。先に、口を開いたのは、野田だった。スキーウェアに身を包み、スキー板を履いた姿で佇む野田は、ゴーグルをニット帽の上ヘ持ち上げると、あとから到着した時任を眺めて、何とも愉快そうな笑顔を見せる。
 「来てくれたんだな、時任------。嬉しいよ。お前なら、おれがここで待っていることを暗黙のうちに判ってくれると思っていた」
 そして、同じようにスキーを履いた時任の姿に、至極満足げな様子で、
 「それに、おれの頼んだ通りに、スキーで来てくれたんだね。ありがとう------」
 と、極めて優しい言葉を掛けて来た。時任は、スキーパトロール員用の制帽の下のサングラスを外すことなく、野田を真正面から鋭く睨み据えると、はっきりとした口調で迫った。
 「礼などいらない。言われたように、こうしてやって来たんだ。黒鳥真琴についての情報を、早く教えてくれ」
 すると、野田は、にやにや笑いを浮かべながら、まるで、そんな時任の焦りを楽しむかの如く、わざと焦(じ)らすような口振りで悠然と構えてみせると、
 「------なあ、そうせっつくなよ。その話よりも先に、お前に頼みたいことがあるんだ。このおれの頼みを聞いてくれたら、彼女に関する情報を提供してやるよ」
 そう、何とも思わせぶりなことを言い出した。時任は、一瞬、脳裏に危険な感覚を閃(ひらめ)かせる。だが、この申し出を無下に拒否すれば、今後の行方不明者の捜索に支障が生じることも考えられると判断した時任は、不本意ながらも、野田の頼みとやらに応じる意向を表わした。
 「判った。条件があるなら言ってみろ。おれに出来ることなら、頼みを聞こう」
 「ありがとう。お前のことだ、そう言ってくれると思っていたよ------」
 野田は、心底から嬉しそうに言うと、なに、簡単なことだよと、前置きしてから、
 「今から、おれと、この『魔の壁』で、勝負をしてもらいたいんだ。お前にとっては、朝飯前のことだろう?」
 「ここで、お前とスノーファイトを------!?」
 時任は、あまりに予期せぬ野田の申し出に、唖然として声を飲んだ。そして、野田が何故自分をこの場所へ呼び出したのか、その理由をようやく理解した。しかし、その挑戦を受けるのは、あまりに無謀な話である。時任も、野田も、もうかつての若かりし日の自分たちとは違うのだ。ましてや、野田には、左脚の故障というハンディがある。加えて、この『魔の壁』自体が、十五年前と同じくスキーの滑降に耐えうる環境にあるのかどうかも判然としない。そのように、様々な支障が重なる今の現状において、この場所でのスノーファイトを実行するなどということは、そのまま死を意味するといっても過言ではない。
 「無茶だ!出来る訳がない」
 時任は、即座に否定した。それを聞いた野田は、少し寂しげな溜息をつき、
 「お前も、分別臭くなったものだな。昔のお前は、おれがどんなに止めても、決して怯んだりはしなかった・・・・」
 「あの頃のことを言われれば、おれには反論の余地はない。要するに、バカだったんだ。粋がって、自尊心を満足させることにしか自分の価値を見い出せなかった。だが、もう今は、そんなことはどうでもいい。卑怯者と呼ばれようが腰抜けと蔑まれようが、危険を冒してまでも懸ける勲章など、何の価値もないことに気が付いたからな。だから、野田、お前もそんな下らないことはもう忘れて、早く、黒鳥真琴の情報を教えてくれ」
 そう、時任が訴えた直後であった。それまで、自虐的な双眸で黙然と時任を見詰めていた野田が、いきなり、弾けるように大きな笑い声を上げて身体を反り返したと思うと、すぐに真顔に戻り、今度は、時任に向かって激しい剣幕で罵倒し始めた。
 「下らないこと!?あの時、黒鳥和也とお前が戦ったことが、下らないことだったという気か!?ふざけるな!!」
 野田は、凄まじい執念を顔面に刻むと、突発的な怒りにまかせて、履いたスキー板で雪面を踏み叩いた。
 「時任、お前は、十五年前の黒鳥和也との『魔の壁』のスノーファイトで、偶然あいつのスキーのバインディングが外れたために勝つことが出来たと思っているのかもしれんが、それは、とんだ勘違いだ。いいか、あいつのバインディングが滑降の途中で外れて、あいつが谷底へ転落して死んだのは、決して偶然なんかじゃない。あの時、お前が怪我もせずに無事でいられたのは、おれのお陰なんだぞ。おれが、お前の窮地を救ったんだ。そんなことも知らないで、下らないとは、どういう言い草だ!?ふざけるな!!」
 「・・・・・・・・・!?」
 時任は、野田の言葉が、あまりに自分の思考と乖離(かいり)していることに、一瞬、目眩(めまい)を覚えた。
 「野田・・・・・、お前は、何を言っているんだ・・・・・?」
 戸惑う時任の呆然とした表情を睨みつけながら、野田は、
 「出来るなら、お前にだけは、あの時の真実は教えたくはなかったが、もう、それも無理だ。お前とおれは、一蓮托生------。真実を共有することでしか、お互い生きてはいけないんだからな--------」
 居直りにも似た不敵な笑みを漏らした。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>


    
    ~今日の雑感~

    先日拝見したあるブロガーさんのブログに、「嫉妬心」についての記述がありました。その方は、どうしても、ある一人の女性に対して、「嫉妬心」なる物を感じずにはおれないということで、特定のセミナーなどで自己啓発に努力されておられるとのこと。そうやって、自分の嫌な部分を懸命に矯正しようとされる積極的姿勢には、感心します。また、あるブロガーさんのブログには、そういう「嫉妬心」に振り回されないようにするには、自分にも他人より優れているところがあるのだという自信をつけるのが効果的であるとの記事もありました。こう見ますと、皆さん、「嫉妬心」というものには、かなり関心がおありなのですね。
    
    ただ、これを読ませて頂きながら、わたしは、ふと思ったのですが、「嫉妬心」て、そんなにいけないものなのかと------。確かに、「嫉妬心」は、それを持つ人の気持ちを暗欝にしますし、不健康にもするでしょう。いつも、相手を妬ましく思うままでいては、自己嫌悪にも陥りますし、だいいちそんな自分を客観的に見た時は、恥ずかしくさえありますよね。そのうえ、「嫉妬心」が高じて、犯罪に走ったり、それほど極端な例ではないにしても、嫌がらせをしてみたり、などということになれば、それはもう論外です。実に、世の中にはびこる戦争や騒乱の大部分は、大なり小なり「嫉妬心」が原因で起きていると言っても過言ではありません。
    しかしながら、その一方で、そういう「嫉妬心」が起爆剤となって、素晴らしい発明品が生まれたり、弱小会社が世界的企業に成長したという例も、数限りなく存在することもまた事実なのです。さらに、世界に誇る日本文学の傑作である「源氏物語」も、謂わば、「嫉妬心」が、物語の根幹をなす大河小説です。俗にいう「大奥物」や「戦国物」も、「嫉妬心」が主要な軸を構成しているからこそ、華やかであり勇壮なのではないでしょうか。
    そう考えると、一概に「嫉妬心」を、封じ込めてしまうことが、全くの健康的な人生観とも言い切れないことに思い当たるのです。同じ「嫉妬心」でも、美しい嫉妬心、健全な嫉妬心を育むことは、むしろ、その人の人生観をより幅広い大人の生き方にステップアップさせてくれるのではないでしょうか?かくいう平安時代随一の陰陽師・安倍晴明も、「人間は呪(しゅ・自らを縛るもの)があればこそ人間なのだ」と、のたもうたそうですから------。(^◇^) 
    では、わが身に翻って考えてみますと、もちろんわたしにも「嫉妬心」は充分にあるでしょう。しかし、何分、根が大雑把に出来ているものでして、結局、「人間最後は、生きるか死ぬかだ」と、考えてしまう性質ですから、人情の機微に関しては、もっとも縁遠い性格なのかもしれませんね。


  


ちょっと、一服・・・・・⑭

 
< ピ ア ノ 室 の 怪 >



 わたしが通っていた高校は、カトリック系のミッションスクールだったという話は、以前の「ちょっと、一服・・・・・」にも書かせて頂きましたが、やはり、そういう宗教関係の学校だったからでしょうか、俗にいう七不思議とまでは行かないまでも、案外、ミステリアスな話題は、校内のあちらこちらに転がっていまして、これからお話しする「ピアノ室」にまつわる不思議な話も、生徒たちの間では、代々語り継がれていたものの一つでした。
 こういう、学校の怪談めいた話に興味をお持ちの方は、「ああ、自分の卒業した学校にも、こんな話があったなァ」と、思い出されることでしょう。------では、本日も、最後まで、お付き合いください。



 わたしが通っていた高校は、市街地の高台に位置していまして、構内にはカトリックの聖堂もある閑静な趣の建物でした。
 そこは、音楽教育にも熱心に取り組んでいる校風でしたので、校舎内には、幾室ものピアノ室も用意されていて、そのピアノ室ごとに、一台のピアノが据えられ、室内は、厚い防音壁で覆われ、生徒は、使用時間を申し出ることで、誰でもそのピアノを利用することが出来ました。
 ピアノ室を使う生徒たちの中には、もちろん、音楽大学を目指すような本格的な勉強のためにピアノの練習をする者もいれば、単に授業の合間の気分転換に曲を弾きたいという者もいます。わたしと同じクラスのその女生徒も、どちらかと言えば、後者に当たるものでしたが、ピアノを弾くのが大好きで、時々、そのピアノ室を利用しては、クラシックのピアノ曲を楽しんで弾いていました。
 その彼女が、期末試験明けのある日、「ピアノ室へ一緒に行かない?あたしが弾く曲、聞いてみてよ」と、わたしを誘うので、正直、あまり気乗りはしなかったのですが、卒業までに一度くらいは、そのピアノ室なる物を見ておくのも後学のためかと思い、付いて行くことにしました。それというのも、わたしには、ピアノに対する一種の軽いトラウマがあり、何も、学校に来てまでピアノを見ることはないだろうと、思っていたものですから、多分、その時、彼女に誘われなければ、一度も、その場所へは行くことなく終わっていたに違いありません。
 使用を申請する時に借りた鍵で扉を開け、ピアノ室の一つへわたしたちが入ると、その女生徒は静かに扉を閉め、おごそかな顔付きでピアノの前へ腰かけて、普段の彼女からは想像できないような力強いタッチで、「乙女の祈り」を、弾き始めました。わたしは、その間彼女の脇に立ち、(これは、『乙女の祈り』というよりも『乙女の絶叫』だなァ・・・・)などと考えながら、それを黙って聴いていたのですが、ふと気が付くと、その部屋の入り口付近の壁にある、何やら、数本の引っかき傷のような物に目が留まりました。
 その壁の傷跡は、ちょうど、人間が手の指を広げて爪を立てたような感じのもので、誰かが悪戯に手で引っ掻いたのかとも思っていました。やがて、彼女のピアノ演奏も終わり、「どうだった?」と、自分の腕前の評価を訊ねるので、「うん、とってもよかったよ。〇〇ちゃんは、ピアノ上手なんだね」などと、上手を言ってから、ピアノ室の使用時間も終わりに近付いたので、二人してそこを引き揚げました。
 ところが、わたしは、さっき見た壁の傷跡のことが何故か気になって仕方がありません。そこで、教室へ戻る途中で、その女生徒に、そのことをさりげなく話しました。すると、彼女は、にやにや笑いを浮かべ、「やっぱり、気が付いたんだ」と、言います。「あの傷ね、あれは、確かに、人間の引っかき傷なんだって」「誰か、悪戯でもしたの?」と、わたしが訊きますと、「そうじゃないよ。あのピアノ室、ちょっと噂があってさ。今日は、あそこの鍵しか貸してもらえなかったから、仕方なく使ったけれど、普段は、みんなあの部屋は敬遠するんだよ」と、何とも意味深長な言い方をします。わたしが、更に訊きただしますと。「これは、あくまで、先輩から聞いた噂なんだけどね----」と、前置きした後で、「今から十年ぐらい前、あのピアノ室の中で、女子生徒が一人死んだんだって-----。その生徒、夏休みに、ピアノの練習に学校へ来て、練習中に眠り込んでしまい、気が付いたら、部屋には廊下側から鍵がかけられていて、どんなに叫んでも誰も来てくれずに、閉じ込められたまま夏休みが終わって------。みんなが新学期に登校して来た時に、やっと発見されて、その時は、もう、餓死していたんだってさ」と、言います。「じゃァ、もしかして、あの引っ掻き傷って------?」わたしが半信半疑で訊きますと、彼女は、そうと、頷き、「出して欲しいと、必死に爪で引っ掻いた跡なんだって。発見された時は、爪痕があちらこちらにあって、部屋中すごい状態だったそうなんだけど、あとで上から壁紙を張って隠したんだって。でも、どうしても、あそこの一か所だけが、浮き出て来てしまうんだって・・・・」と、真顔で話します。
 でも、その生徒がここへピアノの練習に来ていることは、家の人だって知っているはずだから、帰宅しないと判れば、学校へ真っ先に探しに来たんじゃないのかな?と、わたしが言いますと、彼女は、「その子、実家から通っていたんじゃなくて、家の人が借りてくれた市内のアパートで独り暮らしだったんだって。だから、誰も気付いてあげられなかったんじゃないの?」と----。「でね、今でも、夏休み頃になると、誰もいなくなった校舎の中に、ピアノの音が鳴り響くんだってさ」そういった瞬間、その女生徒が、わたしの首を、両手で絞めて来たものですから、「ギャ~ッ!icon10」わたしは、大慌てで、そこから駆け出してしまいました。


 でも、本当に、そんなことがあるのでしょうか?どだい、高校生の噂話なんてものは、年数を経るうちに、いつしか尾ひれがついてどんどん膨らんでいくものですから・・・・。真偽のほどは、今もって判りません・・・・。(~_~;)
 


 では、引き続き、「炎の氷壁」を、お読み下さい。
   


Posted by ちよみ at 11:01Comments(0)不思議な話

~ 炎 の 氷 壁 ~ 26

 時任圭吾が野田からの呼び出しに応じて、熊の湯温泉スキー場へと赴くのを引き留められず、なす術がないままに見送るしか出来なかった雄介の後悔は、スキーパトロール本部へ戻ってからというもの、ますます膨らんで行った。黒鳥真琴の捜索が難航している最中(さなか)、落胆と疲労の色を濃くしつつ、本部の事務所へと戻って来たパトロール員たちは、各自スキー靴を脱ぎ、疲れた足を労(いたわ)りながら、遅めの昼食を取る。雄介も彼らに交じって、索道協会が用意した握り飯に手を付けようとしたのであるが、やはり、時任のことが気掛かりで、どうにも食欲がわかない。
 そんな雄介の様子を不審に思ったものか、神崎パトロール員が、マグカップに注いだお茶を差し出しながら、顔を覗き込むようにして話し掛けて来た。
 「本間君、どうしたの?お握りは嫌いだった?」
 「------いいえ、そんな訳じゃありませんけど・・・・・」
 「だったら、今のうちに少しでも腹ごしらえしておかないと-----。これから、また捜索に出なけりゃならないんだよ。冬山でのすきっ腹は、ただでさえ命取りになるんだからね。無理してでも、食べておきなさい」
 「はあ・・・・・・・」
 雄介は、ぼそりとした声音で返事をすると、仕方無しに握り飯を一口かじる。
 高木主任は、事務机に向い、先ほどから引っ切り無しにかかって来る電話の応対に当たっていた。しばらくして、その受話器を置いたのち、そこにいるパトロール員たちに向かって、午後からの捜索活動には、長野県警のヘリコプターも出動する旨を言い渡した。これにより、この捜索活動は、おそらく今日が山場になるだろうということは、そこにいる誰もが暗黙のうちに悟ることが出来た。
 「とにかく、まだ、諦める訳にはいかんからな。みんな、性根を入れて発見に努めてくれ!」
 高木主任は、そう檄文(げきぶん)を飛ばすが如く言い放ってから、
 「それにしても、こんな大事な時に、いったい時任君は、どうしてまた熊の湯温泉なんかに行ったのかね?本間君、きみは何かそれについて詳しいことを聞いていないのか?」
 と、雄介に質問を振って来た。
 「・・・・・・・・・・」
 雄介は、正に答えに窮して、眉間に皺を寄せ俯いてしまう。だが、次の瞬間、腰掛けていたパイプ椅子を蹴り飛ばして勢いよく立ち上がると、大股で高木主任の眼前へと歩み出る。
 「ど、どうしたんだね-----!?」
 その予期せぬ剣幕に、思わず声を裏返えらせた高木主任に向かい、雄介は、意を決して願い出た。
 「主任、申し訳ありません。おれも、午後の捜索から少しの間外れます。私用の外出許可をお願いします」
 「何を言い出すんだ?時任君がいないだけでも、員数不足で手が回らんというのに、きみまで外れてしまったら、ますます捜索に支障を来たすことになる。許可する訳にはいかんよ」
 唐突な雄介の頼みに、高木主任は決して首を縦に振ろうとはしない。雄介は、それならばやむを得ないと、腹をくくり、
 「では、許可はいりません。勝手に行かせて頂きます。叱責は、帰ってから受けますので、ご存分にどうぞ!」
 そう、語気荒く言い置くと、雄介は、もはや高木主任を振り返ることなく、スキーパトロール員用のユニフォームジャケットを引っ掴むとともに、靴も軽快に歩けるスノーブーツに履き替えるや、一目散に本部事務所を飛び出して行く。
 そして、監視塔の玄関口まで走り出て来たところで、その雄介を背後から追い掛けて来た神崎が声をかけた。
 「本間君!待って-------」
 神崎は、雄介を呼び止めると、
 「時任さんの所へ行くつもりなんでしょ?」
 と、訊く。やや躊躇った末に、その通りですと、雄介が答えると、神崎は、何を思ったのか、自分の携帯電話を雄介に手渡し、
 「あんた、携帯持っていないでしょう。これ、持って行きなさい」
 と、言う。雄介が、戸惑いを顔に表すと、神崎は、遠慮する必要はないからと、強いて押し付け、
 「何かあった時に、役に立つかもしれないからね」
 如何にも、意味深長な言い回しで、雄介を送り出した。雄介は、そんな神崎の好意に対して簡単に礼を述べると、熊の湯温泉スキー場にいる時任の許へと急ぐべく、既に除雪の行き届いた道を脱兎の如く走り出して行った。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑感~

    パソコンを始めてまだあまり間のないわたしは、使い方を理解しきれていないため、判らないことがあると、その度にパソコンを持っては、購入先の電機店まで教えを請いに行きます。しかし、その都度思っていたことは、何とも運びがってが悪いということです。わたしの物は、いわゆるノート型パソコンなのですが、やはりノートとは言ってもそこは機械ですから、重いし、持ちづらいし、何とも大変でした。すると、その電機店のお兄さんが、「こんな物があるんですけれど、お使いになってみませんか?」と、見せてくれたのが、ノート型パソコンを運ぶためのパソコンケースなるもの。
    この中に、パソコンを納めて運べば、もし落としたり転んだりした時も、かなりの確率で破損は免れるとのこと。見た目もなかなか格好良くて、ちょっとしたビジネスマン感覚が味わえます。こんなケースが販売されていたなんて、全然知りませんでした。電機店のお兄さん、アドバイスありがとうございました。(^。^)
 


 
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ 25

 でも、それじゃァ、何だか寂しいじゃないですか。そこまで、自分に枷(かせ)を掛けなくても------。あなたは、その事故のことで、もう充分責任を感じて苦しんで来られたんだから、もう自分自身の心を、その時の『魔の壁』から解放してやってもいいんじゃないんですか?------雄介は、そう、喉の先まで出掛かった気持ちを、やっとの思いで飲み込んだ。
 時任は、しばし無言でじっと何かを考え込んでいる様子であったが、傍らで、自分を見詰めている雄介の視線に気付くと、 
 「すまない。仮眠(やす)むところだったのかな?突然、転がり込んで来て、邪魔をしてしまったな。おれに構わず、隣室(むこう)で寝てくれ。おれは、もうしばらくここで起きているよ」
 と、気を遣う。雄介は、そんな時任にむしろ恐縮して、
 「いいえ、おれも事務所(ここ)で仮眠します。向こうの部屋より、こっちの方がストーブもあって暖かいですから-------」
 と、言うと、隣の部屋から自分と時任の分の掛け蒲団を二枚運び出して来ると、別の長椅子の上で、一枚の掛け蒲団を身体にかけて横になった。すると、徐に立ち上がった時任は、雄介が眠りやすいようにと、事務所内の蛍光灯の灯りを消し、そのまま窓際へと歩み寄ると、ブラインドもないむき出しの窓硝子越しに、戸外のゲレンデに広がる暗闇にじっと視線を投じる。その横顔にストーブの炎が鋭利な影を刻むと、男の双眸は、更に苦悩の色を濃くして、掛け蒲団の陰から、それを眺める雄介の胸中をかすかに締め付けた。
 雄介は、今にも時任のそばへ駆け寄り、広い背中(そびら)を抱き締めてやりたい衝動を覚えつつも、その傷心のすべてを受け止めるまでには、未だ踏み出せずにいる己の小心の致し方なさが何とも歯がゆく、悔しさと情けなさにそっと唇を噛んで、掛け蒲団を頭の上まで引き上げた。



 やがて、夜が明けると、抜けるような青空の下、この日も早朝午前七時から黒鳥真琴の捜索は開始された。志賀高原索観光開発道協会所属のスキーパトロール員たちに加えて、地元警察署員に志賀高原山岳遭難対策協議会のメンバーも参加しての、総勢およそ五十人の人員体制による山岳捜索が行われた。しかしながら、捜索は難航を極め、黒鳥真琴の行方は杳(よう)として摑めず、スキーパトロール本部へ届けられる情報も、尽くが誤報に終始していた。
 雄介も、午前中の捜索活動を一通り終えて、時任等他のスキーパトロール員たちとともにいったん本部へ戻ろうと山を滑り下り始めた時のことであった。俄に、時任の持つ携帯電話が呼び出し音を発した。時任は、同行しているパトロール員たちに、先に下山するように促したのち、携帯の端末を耳に当てる。
 他のパトロール員たちは、指示されるがままに滑り去って行ったが、雄介だけは、その電話の内容が何となく気になって、その場にスキー板を履いたまま留まっていた。すると、電話に出た時任の顔色がみるみる険しく変わるのが判った。
 「・・・・・ああ、それで、お前は今何処にいるんだ?・・・・・そんなに、重要な話なのか?」
 声にも、異常な緊迫感が満ちている。
 「・・・・・・本当なのか?判った。それじゃァ、これからそっちへ行こう。でも、話を聞くだけだぞ・・・・。昨夜(ゆうべ)のことを撤回するつもりはないからな」
 時任は、携帯電話を切ると、雄介の方を振り返り、やや言いにくそうな口振りながら、こんなことを頼んで来た。
 「すまないが、本部へ戻ったら、おれはこれから熊の湯温泉スキー場へ行くと、高木主任に報告してくれ」
 「これからって、午後の捜索はどうするんです?」
 「出来るだけ、早く帰ってくるよ。そうしたら、また捜索活動に合流する。だから、これ以上は訊かないでくれ------」
 この返事を聞いた雄介は、電話の相手が誰なのかを直感した。
 「今の電話、野田さんからだったんですね?熊の湯温泉スキー場で、会うんですか?」
 「ああ・・・・・。何か、おれに話したい重要なことがあるらしい」
 雄介に事実を看破されたせいか、時任の言葉は、何となく歯切れが悪い。
 「重要なことって、何です?もしや、黒鳥真琴に関係することじゃァ-------?」
 雄介が、思わず口走った瞬間、時任のサングラスの奥の目が、雄介を射抜くように動いた気がした。
 「だから、それ以上は訊くなと言っただろう!」
 語気を強めると、口を真一文字に結ぶ。雄介は、そんな時任にはおよそ似つかわしからぬ焦燥ぶりを見て、ひどく嫌な胸騒ぎを覚えた。
 「時任さん、どんな風に野田さんに懇願されたかは知りませんけど、おれは、行かない方がいいと思います!話なら、電話でも出来るじゃないですか。どうして、わざわざ顔を合わせる必要があるんですか?黒鳥真琴に関する情報なら、何故、今の電話で話してくれないんですか?変ですよ」
 「確かに、お前の言う通りだが、野田は、そうでも言わないと、もう二度とおれには会えないと思っているんだろう。しかし、もしも、事実、野田が彼女に関する情報を何か摑んでいるのだとしたら、話を聞いても損はないと思う。それに、おれも、あいつにはたくさんの借りがあるしな。行くだけ行って、これを最後に、きっぱりと決着をつけて来るさ」
 時任の決心は、揺るぎそうもなかった。それならば------と、雄介は相手の近くへスキー板で歩み寄り、
 「おれも、一緒に行きます!あなたを、一人で行かせるのは不安だ。それに、どうして、熊の湯温泉スキー場なのかも気になる。あそこには、『魔の壁』があるんですよ。わざわざ、そこで会う理由は何ですか?」
 「おれにも、そいつは判らないが・・・・・」
 時任は、口籠もってから、しかし、そこには、やはり自分一人で行かねばならないと、答えた。
 「それが、野田の条件なんだよ」
 そう説明したうえで、とにかく、ここは自分の思う通りにさせて欲しいと頼んだ時任は、腰のホルダーベルトごと携帯用無線通話機(トランシーバー)を外すと、雄介にそれを預けて、単独でその場から滑り出して行ってしまった。
 「-------時任さん!やっぱり、独りで行くなんて無謀ですよ!」
 雄介は、時任の滑り去る後ろ姿に向って、力の限りに呼びかけたが、その声は風に千切れ、もはや相手には届かなかった。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑感~
   
    NHKの「クローズアップ現代」で、授業料が払えずに退学を余儀なくされる高校生、そして、健康保険料を親が払えないために、けがや病気をしても医者にかることが出来ずに、学校の保健室を病院代わりに頼る子供たちが増えているという問題を取り上げていました。ある私立高校の男子高校生は、父親が経営していた自動車の部品工場が昨年の秋閉鎖に追い込まれ、親兄弟とともに工場内で寝泊まりする日々。片道二百円の電車賃が払えずに、約一時間かけて徒歩で登校しているのだとか。食費もぎりぎりまで切り詰めなくてはならず、とても授業料まで手が回らないので、中退しなければならないかもしれないと、悲壮感を滲ませていましたし、ある父親は、健康保険料を滞納しているため、高熱を出した子供を病院へ連れて行くことが出来ずに、死なせかけたと、嘆いていました。たとえ、今後、政府の方針転換で、中学生までの保険料は無料になったとしても、三割負担はなくならない訳だから、結局病院へ行けないことに変わりはないと、言うのです。
    少子化により起きる弊害を何とか回避するために、子供をたくさん産んでほしいといいながら、その一方では、産科医不足や、小児高度救命病院の不足、それに加えての上記のような苦境に立たされる子供たちの急増など、今日の国の政策は、矛盾だらけです。この就職難の時期に、高校中退者を大勢出し、彼らにどうやって働けというのでしょうか?貧しいものはより貧しく、富める者ばかりが人生の選択を可能とする、かつての日本のような世の中が、もう目の前まで迫って来ている------。そんな、不安を感じるのは、わたしだけでしょうか?     
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ 24

 「-------よせ!」
 時任は、差し出された野田の手を振り払い、なおも、語気を強める。
 「野田、もしかして、お前、黒鳥真琴の消息に心当たりがあるんじゃないだろうな?」
 野田は、振り払われた右手を気まずそうにスラックスのポケットに仕舞い込み、あんな女のことをおれが知る筈がないだろうと、唇を尖らせる。そして、恨めしげに相手を見詰めて、
 「時任、お前、ここ数日で、人が変わってしまったみたいだな・・・・。でも、おれは、いつまででもお前の味方だ。今は、おれのことを疎ましいと思っているかも知れんが、そのうちに気も変わるさ。-------いいとも、ここを出て行きたかったら、そうすればいい。それで、お前の気が済むなら、好きにするさ。しかし、どうせ、また、おれの所へ戻って来ることになるのだろうからな」
 如何にも、未練がましい言葉を連ねた。時任は、大きく頭(かぶり)を振ると、
 「お前のことが信じられなくなってしまった以上、おれが、その気持ちを隠してこのホテルに居座ることはもう出来ない。スキーパトロールの就業期間が終わり次第、即刻志賀高原(やま)を下りるつもりだ。横手山ロッジ(ここ)には、二度と顔を出すつもりもない。今まで、世話になったことは、心底ありがたいと思っている。しかし、おれには、どうしても、お前の気持ちが理解出来ないんだ。正直、重荷ですらある。これまでの宿泊料で支払不足の分は、パトロール本部の方へおれ宛てに請求書を出してくれればいい。すぐに、振り込むから、そうしてくれ」
 きっぱり言い置くと、野田を一人残したまま、時任は、再び彼を振り向くことなくワインセラー(貯蔵庫)を出て行った。


 その夜も更け、もうすぐ日付が変わろうとしていた時刻、スキーパトロール本部の夜間当直員を自ら買って出た雄介は、事務所内の長椅子に凭れながらテレビのニュース番組を観ていたが、やがて、それにも飽きて、テレビのスイッチを切ると、少し仮眠をとっておこうと、蒲団が用意されている隣部屋へ移動するため、大きな欠伸(あくび)をしながら重い腰を上げた。------その時であった。
 いきなり、事務所の入り口のドアが乱暴に開いて、大きなボストンバッグを持った時任が入って来た。その様子が、あまりに興奮していて、尋常ならざる雰囲気に見えたもので、雄介は、驚き、思わず声を張り上げた。
 「どうしたんですか、時任さん!?そんな大荷物を抱えて。何か、あったんですか?」
 それに応えるよりも先に、時任は、ボストンバッグを足元に放りだすように置くと、さっき雄介が夕食の時に飲み残しておいたペットボトル入りの清涼飲料の蓋を開けて、中の液体を一気に飲み干す。そして、空になったプラスティックボトルを近くのゴミ箱に叩きつけるように投げ入れると、今まで雄介が座っていた長椅子にどっかりと腰を下ろし、怒りを込めた強い口調で、絞り出すように言った。
 「今し方、横手山ロッジを出て来た------」
 「出て来たって、ホテルを引き払ったということですか?」
 雄介が、半信半疑で訊ねると、時任は、そうだと頷き、先刻までの野田との間のやり取りについて、掻い摘んで雄介に話して聞かせた。そして、自分も、今夜はここで一晩泊らせてもらう旨を告げる。聞いた雄介は、ついに時任が野田に対する長年蓄積し続けて来た疑念を噴出させてしまったに違いないと直感し、彼なりの複雑な自責の念を感じた。
 そこで、恐る恐る口を開く。
 「おれのせいですね・・・・・」
 「そうじゃない・・・・。お前の反応は、ごく自然のことだ。お前から聞いたことは、単にきっかけだったにすぎない・・・・。おれは、ずっと以前から、野田の不可解な態度には気付いていたんだ。だが、そのことにあえて目をつぶり、自分に都合のいいように解釈して来たんだ。野田の親切心を利用していたのさ。今までのパートナーたちやお前に、不愉快な思いをさせていることを薄々は察しながらも、野田を咎める勇気がなかった。本当に、申し訳ないと思っている」
 時任は、そう詫びると、両手で頭を抱えてしまった。
 「それにしても、おれには判らない・・・・・。何故、あそこまで、あいつは、おれのことを・・・・?」
 それを聞いた雄介は、時任の深潭(しんたん)に沈む辛そうな顔を見下ろして、静かに言う。
 「でも、おれ、何となく判るような気がします。野田さんの気持ち・・・・」
 そう言いながら、少し気恥ずかしそうに視線を時任から外すと、
 「おれも、ここへ来る前までは、自分というものに自信が持てず、いつも地に足が付いていないような不安定な諦めが心の何処かにあって、人の顔すらまともに見ることが出来ないほどの劣等感の塊だった。いや、今だって、それがすべて払拭されているかと言えば、否かもしれない。でも、ここのスキーパトロール員になり、時任さんや神崎さんたちと仕事をするうちに、こんなおれでも、他人(ひと)の役に立つことが出来るんだということに気付いて、少しだけれど前向きになれた気がするんです。 
 きっと、野田さんも、あの不自由な左脚のこともあって、時任さんのためにだけは、自分の存在にも意味があるのだと思いたかったんではないでしょうか?時任さんが、野田さんにとっての生きる張り合いなのかもしれません。だから、あなたのためなら何でもするというようなことも、口走ってしまったのではないでしょうか?」
 と、正直な自らの心情と私見を吐露した。すると、時任も、
 「そうだな・・・・。もしも、野田に妻や子供でもいたなら、たぶん、おれなんかに、ここまでの執着心は持たなかったのだろうな・・・・・」
 と、長嘆息を吐く。雄介は、再び時任を眺めると、今まで心の隅で疑問に感じていたことを、さりげなく持ち出した。
 「ところで、時任さんは、どうして、結婚されないのですか?職業も、見栄えも、収入も、おれなんかに言わせれば、実に完全無欠って感じですよ。女性たちが放っておく筈がないと思うんですけれど------」
 すると、時任は、それを軽く鼻であしらうような寂しげな微笑を浮かべ、雄介を目だけで見上げる。
 「雄介、お前は、結婚したいと思うのか?」
 「もちろんですよ。おれにも、理想の家庭像はありますから」
 「そうだな。お前は、きっと子煩悩ないい父親になると思うよ」
 時任は、そう微笑んでから、俄に真顔になる。そして、自らに言い聞かせるかの如き口吻(こうふん)で、
 「-------人間てェやつは、幸せが大きい分、悲しみも大きいんだよ。おれ自身は、たぶん、そんな大きな悲しみには耐えられそうにない。だから、ほどほどでいいのさ」
 「それが、独身の理由ですか?」
 「まあ、な・・・・・」
 この答えを聞いた雄介は、時任が、言葉の深部で暗に、実兄をスキー事故で失った黒鳥真琴の悲しみを語っているのだということを直感した。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑感~

    わたし、西部劇大好きなんです。以前は、ビデオなどを借りて、片っ端から観ました。「荒野の七人」「駅馬車」「黄色いリボン」「OK牧場の決闘」「騎兵隊」「アラモ」などの有名な作品から、「ブロークンランス」「ブロークンアロー」などのマニア好みの物まで、映画からテレビドラマに至るまで、それこそ何作も-----。でも、そんな中でも、特に印象深かった作品があります。それは、「ワーロック」です。1959年制作のアメリカ映画で、出演は、ヘンリー・フォンダ、アンソニー・クイン、リチャード・ウィドマーク他。札付きのギャンブラーのモーガン(クイン)を連れた執行官(フォンダ)のブレイスデルが、敵対する無法者カウボーイ集団から、ワーロックの町を守ろうとする話なのですが、こう言えば、如何にも定番の西部劇ストーリーのようですが、この作品は、そう単純には終わりません。ワーロックの町を悪党たちから救ったブレイズデルは、協力者である美しい女性との間に愛をはぐくみ、町にとどまる決心をしますが、モーガンは、それを許さず、町に火を放って暴れます。結局、ブレイズデルは、今までに何度も自分の窮地を助けてくれたモーガンを手に掛けることになり、彼自身もまた、無法者の片割れとしてワーロックを追われることになるのです。
    この作品は、西部劇の名を借りてはいるものの、謂わばそこには人間社会にはびこる大いなる矛盾を描いている訳でして、監督は、西部劇には似つかわしくない社会派のエドワード・ドミトリク。この皮肉な結末は、当時、ハリウッドの赤狩りで共産主義の疑いを掛けられ、転向(共産主義者や社会主義者が、その思想を捨てること)を余儀なくされた監督自身の姿が反映されているのです。
    西部劇が好きな方も、そうでない方も、ぜひ一度観て頂きたい映画だと思います。

*写真左から、リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、アンソニー・クイン
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ 23

 「野田、やっぱり、お前が・・・・・?」
 時任は、ここに来てようやく、自分のこれまでのパートナーが、尽く去って行った原因が、やはりこの野田開作にあったということに確信を持った。
 「貴様、なんて奴なんだ-------!」
 時任は、己の耳を疑いたくなるほどの暴言を聞きあまりの胸糞の悪さに、全身に悪寒が走るのを覚えた。時任に怒鳴り付けられたにもかかわらず、野田の顔には、思い焦がれるような、媚び諂(へつら)うような、卑屈とも見える薄ら笑いが浮かんでいる。
 「------だって、仕方がないだろう?あいつら、みんな邪魔なんだよ。お前とおれの間に、遠慮会釈もなく割り込んで来やがって--------。なに、ちょっと、嫌みの一つも言ってやっただけさ。そうしたら、簡単にビビッちまって、要するに、腰抜けなのさ」
 そうせせら笑いながら、白状すると、今度は、恨みがましささえ込めた視線を時任へ突き刺し、
 「時任、お前だって悪いんだぞ。おれの気持ちを逆撫でするように、性懲りもなく、またぞろあんな本間なんて男を連れて来て----。おれが、どれほどの妬ましい思いであいつを見ていたのか、お前は、少しも判ろうとしなかった。でも、これで、また元通りだ。それでいいじゃないか・・・・」
 「もう、たくさんだ!お前とは一緒にいられない。おれも、今からこのホテルを出て行く!」
 時任は、これまで長年に渡り信頼し続けて付き合って来た刎頚(ふんけい)の交わりとも言うべき旧友の心中に、そのような倒錯的概念が侵潤していたことなど知る由もなかった。そんな、自らの迂闊(うかつ)を憾みつつ、野田に背を向けてそこから立ち去ろうとした。
 刹那、野田の鋭い罵声が、時任の背中に浴びせられた。
 「本間雄介の所へ行くつもりか!?たとえ、あいつの所へ行ったとしても、お前は、決しておれから逃げられやしないんだぞ!」
 「----------!?」
 時任は、返しかけた踵(きびす)を、思わず元に戻す。
 「どういうことだ?」
 野田は、冷笑(わら)っている。冷笑いながら、時任の訝しげな表情を漫然と眺め、やがて、唐突に、こんな思い出話を語り始めた。
 「時任、お前、覚えているか?おれが、この左脚に大けがをした時のことを-------。あれは、おれたちが高校三年の夏休み、二人だけで、志賀高原の北東に位置する岩菅山へ登山した時だった。山には慣れているはずのおれが、先に岩盤をフリークライミングの要領で登攀(とうはん)中、あと一歩で頂上という所まで来て、不覚にも足を滑らせ、十メートルほど下の登山道へ滑落した。左脚を複雑骨折したうえに、膝の靱帯までも痛めてしまった。しかし、当時はまだ、現在のように携帯電話が普及している訳ではなく、おれもお前も携帯電話なんか持ってはいなかったし、よしんば持っていたとしても、志賀高原周辺は携帯電話の電波圏外ということもあって、電話で助けを求めることなど出来ない。そこで、他の登山者を探して助けを呼んでもらおうとしたが、生憎その日は、周辺を登山している者は誰もいなかった。日暮は、間近だ。
 おれは、激痛と、絶望感から、今にも失神してしまいそうなくらいの状態に追い込まれていた。ところが、お前は、その時、何の躊躇も見せず、周辺に落ちている木の枝を拾うと、負傷しているおれの脚に応急的に添え木を施してから、そんなおれを背負うと、意識を失う寸前のおれを懸命に励ましながら、片道十キロもの登山道を降り、麓の山小屋の主人に救急車の手配を頼んでくれた。
 山小屋についた時点では、お前の体力が既に限界を超えていただろうことは、おれにも判っていた。お前だって、気絶するほどに、苦しく疲労していたはずだ。それなのに、必死で歯を喰いしばり、おれを救おうとしてくれたんだ。本当に、ありがたくて、涙が出たよ。
 そして、おれは、救急車で搬送された病院のベッドで、自分に誓ったんだ。時任圭吾のためなら、おれは何でもすると。もしも、お前が、この先窮地に追い込まれるようなことがあったなら、おれは、たとえ、人殺し、悪魔と世間から罵(ののし)られようとも、必ず、お前を守り抜くと--------」
 「人殺し-------?」
 時任の声が、胡散臭げにくぐもった。
 「野田、まさか、お前・・・・?」
 その胸裏を、ある陰惨な推測が過ぎった。野田は、相変わらず、媚(こび)を売るようなゆがんだ笑みを頬に刻みつつ、淡々たる口調で言う。
 「バカだなァ、時任、何を想像しているんだよ。単なる言葉の文(あや)じゃないか」
 そして、今度は、探りを入れるような目付きで、こう訊ねて来た。
 「ところで、時任、お前、昨日、黒鳥真琴には会えたのか?」
 「-------なに?」
 「ああ、そうだった。彼女、行方不明なんだってなァ。今日の午後、志賀高原ホテル組合の方から、尋ね人の広報が回って来ていたよ。-------でも、よかったじゃないか。面倒臭い女が姿を消してくれて。お前も、内心ほっとしたろう?」
 野田は、そう言いながら、時任の顔へとそっと右手を伸ばし、さりげなくその頬に触れようとした。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空のものですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑感~

    最近思うこと。マスメディアが何故かブログの中から、小ネタを拾い集めていること。これって、何だかおかしくないですか?記事や番組の取材は、記者が自分の足で探して掻き集めて行くものと、昔から相場は決まっているんじゃァないでしょうか?それが、ブログのサイトを開けば、そこには無料(ただ)ネタがごろごろって。それを電話一本で、取材して掲載、もしくは放送なんて、いわゆる信州方言で言うところの、「ズクなし」と思われても仕方がありませんね。
    ところが、そんなブロガーの中で、自らの取材を希望する人がいても、それには対応してもらえないと訴えるブログ記事も-----。何だか矛盾していますよね。どうせ、取材するなら、そういう希望者の記事や話題も取り上げてくれてもいいのにと思います。最近のメディア関係は、投稿とか、ブログとか、素人の力に頼り過ぎてはいませんか?それとも、プロの筆力や構成力が、素人並みになってしまったということなのでしょうか?どうにも、首を傾げます・・・・・。
    こんな苦言ばかり書き連ねていますので、お前は、他人に厳しすぎるという人もいますが、このご時世です。口はばったいことも言いたくなります。就職したくても出来ない人、正社員になりたくてもなれない人、そういう弱者がいる一方で、まともに就職して、しかも人の羨むような仕事にあり付きながら、そのうえ小ズクまで惜しもうなんて考える要領よしには、耳の痛い言葉の一つも吐きますよ。はい、自分のことは棚に上げるのは、得意ですから・・・・。(ーー゛) 

「今日の一枚」------『出稽古の朝』
 
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ 22

 時任圭吾の頭の中では、黒鳥真琴が行方不明になっているということに対する、えも言われぬ漠然とした整理のつかぬ懸念もさることながら、加えて、本間雄介が話したところの、野田開作の奇妙な言葉の意味の不可解さも、混沌たる渦を巻いていた。時任にも、稀に、自分に接する野田の態度や親切心があまりに過剰で、気味が悪いとさえ思えることがある。今まで、スキーパトロール員を続ける中で、彼のパートナーは何人も交替したが、仕事がきついという理由で辞めた者がいる一方で、野田との間のトラブルを辞職の原因に挙げる者がいたのも事実であった。
 そんな時、時任は、必ず彼らにそのトラブルの理由を訊ねたものだが、彼らは一様に、
 「時任さんには申し訳ないんですけれど、野田さんて、何となく怖いんですよ。あなたと一緒にこれからも仕事をして行くとなると、必然的に、あの人とも顔を合わせなくてはならない訳で、とても我慢出来そうにありません。勘弁して下さい------」
 そんなことを告げると、そそくさと志賀高原(やま)を下りて行ってしまった。
 だが、そのような雲をつかむにも似た理由では到底納得のいかない時任は、ある時、いったい彼らパートーナーとどのようなやり取りをしたのかと、直接、野田に問い質(ただ)したことがあった。しかし、野田は、
 「なに、単なる意見の相違だよ。言い争いをした訳でも、何でもない。ましてや、彼らに何らかの脅しをかけて怖がらせるなんて、そんなことおれの立場で出来る訳ないじゃないか。バカバカしい」
 と、笑って取り合おうともしなかった。だが、ここに来て、新しいパートナーの本間雄介までが、先に辞めて行った彼らと同様のことを言い始めているのだ。
 時任の野田への不信感が、再び頭を擡(もた)げ始めていた。


 スキーパトロール本部を出てから、宿としている横手山ロッジへと、いつものように戻って来た時任は、午後十時過ぎ、ホテルの一般業務が一段落した頃合いを見計らって、フロントデスクで帳簿の整理にあたっていた野田開作を、同ホテル内の半地下に造られているワインセラー(貯蔵庫)室内へと、呼び出した。
 「いったい、どうしたっていうんだ、時任?こんな所へ呼び付けて。話なら、別の場所でも出来るだろう?」
 珍しく、不機嫌顔で現れた野田は、何やら、そわそわと目線の落ち着かない素振りで、居心地悪そうに立っている。ワインセラーの薄暗い電球の明かりの下で、野田の顔色は蒼白くさえ見えた。
 「仕事中に、すまない」
 時任は、一応形式的な詫びを入れてから、
 「ここなら、何をしゃべっても、他の者に聞かれる心配はないからな」
 時任は、努めて無表情を装いながら、乾いた声を室内に響き渡らせる。そして、
 「おれの訊きたいことは、判っているはずだ。今日は、いつものはぐらかしはなしだ。きっちりと、答えてくれ」
 と、野田に迫った。しかし、野田は、彼独特の人を見下したような微苦笑を浮かべ、困惑顔で眉をひそめる。
 「お前の訊きたいこと?そんなこと、おれが判る訳ないじゃないか。いくら親友とはいっても、以心伝心というほどの芸当は出来ないよ。------本当に、どうしたんだ?いつものお前らしくないぞ」
 「判らないなら、はっきり言おう。野田、お前、昨夜(ゆうべ)、雄介の見ている前で、おれに何をしたんだ?」
 時任は、しゃべりながら自分の言葉が、自然と険を含むのが判った。すると、野田は、呆れたように、ふんと鼻で小さく笑うと、
 「何だ、そんなことか・・・・」
 そう、やや安堵の溜息をつきながら、そばにある木製の丸椅子を手元へ引き寄せて、そこへ腰を下ろした。そして、臆面もなく失笑気味に、
 「------別に、大したことじゃない。あの、本間雄介という坊やが大袈裟なんだ。おれは、ただ、お前の寝顔を見ていただけだよ。それだけのことさ。なのに、自分が勝手におれたちの様子を盗み見るような姑息な行動を執っておきながら、こっちを悪者呼ばわりするとはな。こちらの親切心が徒(あだ)になったというものだよ」
 と、言った。しかし、時任は、そんな言い訳がましいことを聞きたいのではないと、なおも野田を追及する。
 「雄介の話によれば、お前は『悪魔に魂を売り渡した』と、言っていたそうだが、それはどういう意味なんだ?雄介が、お前のことをあそこまで警戒し、嫌悪するというのには、それ相応の理由があるに違いないんだ。お前は、これまでのおれのパートナーたちにしたように、おれの知らないところで、雄介にも同じ嫌がらせのようなことをしたんじゃないだろうな!?」
 それを聞いた途端、それまで大人しく淡々とした表情で時任を見詰めていた野田の目付きが、俄に嫌悪感に満ちた鋭い光を放ったかと、思うと、寸時を置き、押し殺した声で吐き捨てるように言った。
 「-------雄介、雄介、雄介!どうして、あんな奴のことをそれほど気にするんだ?まだ、知り合って数日の男のことを、何でそこまで・・・・・?」
 そう言うと、椅子からゆっくりと立ち上がり、激しく肩を震わせて、憎々しげに呻(うめ)く。
 「あんな奴、どうなろうと、知ったことじゃない!時任、お前には、おれがいればいいだろう?おれさえいれば、本間雄介なんて男は、必要ないはずだ!そうだろう!?」
 野田は、思わず、時任の方へ一歩踏み出す。驚いた時任は、反射的に身体を退(ひ)くと、異様なものを見るような眼で野田を凝視し、顔面を強張らせた。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空のものですので、ご了承下さい>


    ~今日の雑感~
    
    晴れたかと思うと、曇って来て、雪が降って来たと思うと、また晴れて、三月の空は本当に落ち着きがない。春浅き日には風花(かざはな)が似合うなどと言いますが、そんな風流を楽しめるのも、健康な心体なればこそ。わたしのように未だに病み上がりの身には、この気紛れな天候は実際、応えます。
    ところで、信濃グランセローズを取り上げておられるブロガーさんたちの記事も、シーズン開幕間近とあって写真や文章にも気合が入って来ました。みなさん、フットワーク軽く中野ローズ球場(市民球場)にも足を運ばれていて、何ともうらやましい限り。わたしのこの体調では、選手たちの勇姿を実際にこの目で見られるのは、いつになることやら・・・・。まだ、当分は、先のことのようです。そこで、ここでは、わたしの持っているささやか情報の中から、選手たちのエピソードを小出しにして行くことに------。

    これは、昨年の小高大輔選手との他愛のない会話の一つです。
    「BCリーグの各球団名の由来って、どういうことなのか、知っています?」
    と、わたしが訊くと、小高選手は、もちろんですと、答え、
    「『信濃グランセローズ』の球団名は、偉大なるのグレートと、カモシカのセローが合体したものだということは知っていますよね?それじゃァ、『福井ミラクルエレファンツ』は、判りますか?これは、福井県の格好が動物の象に似ているからという説があるんですよ。それに、『新潟アルビレックス』は、アルビーの白で白鳥の意味と、レックスの王の意味を合わせた言葉。『群馬ダイヤモンドペガサス』は、文字通りの天馬(ペガサス)から命名しているんだと思います。------」
    「へ~、詳しいんですねェ。小高選手は、お話も上手だから、子供たちに野球のこと以外でも、色々と講演などしてもらえると嬉しいでしょうね」
    「ありがとうございます。今度は、球場まで足を運んで下さいね」
    「がんばって、元気になりますね」
    わたしも、返事をしながら、とても清々しい気分になりました。 
    こんな小さなことでも、ファンにとっては嬉しいことですよね。
    ただ、三月とはいっても、まだ雪模様の日が続く土地柄の中野市に練習の本拠地があって、選手たちは体調管理などにも気を遣うでしょうし、なんだか少し気の毒なような気もします。でも、こうしたハンディを克服して、ぜひ今年は優勝の二文字をその手中に収めて頂きたいものです。

 











          「今日のベースボールキャップ」-----『群馬ダイヤモンドペガサス』(左上) 『福井ミラクルエレファンツ』(右上) 『新潟アルビレックス』(左下)