女与力・永倉勇気 捕物控
2009年03月30日
~女与力・永倉勇気 捕物控~
桜 花 の 契 り

「酷(むげ)えことをしやがる------」
江戸は、北町奉行所定町廻り同心の高島文吾(たかしまぶんご)は、同僚内では中堅格に属する熟練同心の一人であったが、これほどまでに凄惨きわまる最期を迎えた死体に出くわすのは、至極まれなことでもあり、思わず眉をひそめずにはいられなかった。
ことの一報は、文政三年(一八二〇年)三月(旧暦)、春、桜花爛漫ののどかな午睡の夢を破って、日本橋堀留町の自身番に詰める、町内役人が、番人としての役目上、月番に当たる北町奉行所へと届け出たもので、同奉行所定町廻り首席同心・佐々木軍兵衛(ささきぐんべえ)による差配のもと、高島文吾と若手同役の辻井清太郎(つじいせいたろう)の二人が、町奉行所の雇い人である小者や中間(ちゅうげん)を引き連れて、即刻現場へ赴いたのであった。
現場となる呉服屋の離れ座敷に、一歩足を踏み入れた高島文吾と辻井清太郎は、天井といわず襖(ふすま)といわず、その八畳間の至るところを、赤黒く染めて飛び散っている血飛沫(ちしぶき)のすさまじさに、まずは、息を呑んだ。
むろん、畳は血の海で、そうした血だまりの中へ沈みこむようにして、独りの男の死体があった。死体は仰向けで横たわり、左胸部と右頸部には、鋭利な刃物で抉(えぐ)られたものと思しい、傷口があり、死因は明らかに刺創からの大量出血によるものと断ずることが出来た。
また、死体が、この呉服屋の主の久造(きゅうぞう)・四十歳と判明し、凶器として使用された刃物に相当する物も、死体のそばには見当たらないことなどから、一件を、離れ座敷へ容易に出入りすることが可能な、家人や奉公人らの中の何者かによる怨恨がらみの殺人(ころし)に相違ないと読んだ高島文吾は、そうした者たちの中から、主・久造の腹違いの弟で、既に三十七歳になりながらも、未だに独り身という新吉(しんきち)が臭いとにらむや、その場でただちに新吉に対する取り調べを始めたのだった。
「新吉、お前がかねがね、店の商売のやり方について異母兄である久造と意見を衝突させていたことは、久造の女房・杉(すぎ)の証言からも明白だ。しかも、お前は、以前に、好いた女との仲を、家格の違いを理由に久造によって無理やり裂かれ、それを未だもって恨みに思い、たびたび久造を責めていたそうじゃねェか。そんなこんなの憎悪が積もり積もって、とうとう異母兄(あに)を手に掛けてしまった。そうなんだろう?すっかり、吐いちまわねェかい」
ところが、新吉は、決して首を縦に振らず、
「わたしは、異母兄(あに)を殺してなんぞおりません」
との一点張りで、頑として容疑を否認し続ける。そこへ、さらに、被害者の女房の杉までもが、
「義弟(おとうと)は、根っから商い一筋の生真面目ものでして、とても、肉親殺しなど出来る男ではございません」
と、庇い立てするものだから、埒(らち)が明かない。
そこで、高島は、何としても新吉に久造殺しの犯行を自白させるべく、その身柄を、俗に調番屋(しらべばんや)とも呼ばれる、大番屋(おおばんや)へと連行することを決め、ともに現場へ乗り込んできた後輩定町廻り同心の辻井清太郎に、新吉の身体に捕縄(なわ)を打つよう指図した。
しかし、清太郎の表情には、高島の指示に躊躇するような影が一瞬よぎり、高島を見るその視線にも、明らかに疑念の色が呈されていた。そんな清太郎の様子にいらだった高島は、つい声高に、相手を叱りつける。
「清太郎、何をぼうっと突っ立っているんだ!いつまでも同心見習いの気分でいられたんじゃ、こっちが迷惑だ。さっさと言われた通りに仕事をしねェかい」
「でも、高島さん、まだ新吉を犯人(ほし)と決めつけるに足る確証がありませんよ。それを、大番屋へ引っ張るというのは、少々ことを急き過ぎていやしませんか?訊問(じんもん)ならば、近くの自身番(じしんばん)で行えば済むことでしょう。それが順序だと思いますが・・・・」
確かに、こう清太郎の言うように、犯行動機ばかりが鮮明で、他には何らの証拠だても揃わぬ容疑者を、いきなり大番屋へ送致するというのは、かなり乱暴な方法ではあった。
が、事件の重大さを考慮すれば、悠長に通例を重んじてなどいられないと、考える高島は、捕縛(ほばく)に二の足を踏む清太郎を押しのけると、小者らに新吉の身柄を取り押さえさせ、自らの手で、縄を掛けようとした。
と、その時である、
「そいつを大番屋なんぞへしょっぴいたら、北町奉行所は、赤っ恥をかくことになるぜ」
俄かに、高島たちの背後から、威勢の良い甲声が浴びせられた。
<注釈> 小者、中間 ------ 奉行所の雇い人
*** 本日から、「女与力・永倉勇気 捕物控」を、連載いたします。皆さまには、ご愛読のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
~今日の雑感~
わたしの知っている女性薬剤師さん。アラフォーも目の前というので、かねてから密かに好意を寄せていた独身の青年外科医に思い切って、こう切り出したそうで、
「あの~、先生って、たしか独身でしたよね~?」

「そうだけど------。それが、なに?」(ーー )
「もしかして、好きな女性が、いるとか~?」

「いない!」(ーー゛)
「そ、それでも、いつかは結婚したいなんて、思いますよねェ・・・?」

「思わない!!」

一刀両断に、叩き斬られて、
