~ 炎 の 氷 壁 ~ 33
2009年03月24日
時任のパトロール勤務の志願が許可され、雄介は、これまでと変わらず、時任のパートナーとして、ゲレンデ巡回へと赴くことになった。パトロール中は、様々なアクシデントや事故現場にも遭遇し、スキーパトロール員には、それらすべてに対する手際よい処置が求められる。スキー技術の実力を過信して上級者コースへ入ってしまい、急峻(きゅうしゅん)なコースで立ち往生しているスキーヤーの救助があれば、迷子のための保護者探しから、滑走中に立ち木へぶつかったという怪我人の搬送、果ては、ゲレンデ内の陥没個所の補修や、ごみ拾いに至るまで、あらゆる分野に及ぶ仕事が、彼らに課せられた任務の範疇(はんちゅう)なのである。
雄介は、時任の病み上がりの身体のことを気遣いながらも、それでも、また二人一緒にスキーを装着してのパトロールに励むことが出来るのを、心の底から喜び、安堵もしていた。
やがて、その日も、午前中の勤務を一通り終えようとしている時刻、雄介と時任は、共に、横手山山頂にほど近い樹氷に覆われた針葉樹林の間にある、雪原に佇んでいた。そこから展望出来る紺碧の空と、くっきりとした白峰の輪郭を縁取って延々と続く数多(あまた)の山々を眺めながら、雄介は、スキーゴーグルを制帽の上に引き上げ、大きく深呼吸をすると、無性に何か大きな声を出したい思いにかられた。そこで、肺いっぱいに透き通った新鮮な空気を吸い込むや、口元を両掌で覆うと、
「ヤッホー!」
と、遥かな虚空に向かって、雄叫びを発した。それには、時任も、驚いた顔でサングラスの奥から雄介を見詰めたものの、そのあまりに子供じみた様子に、思わず苦笑を漏らした。そして、やおら右手で自らの胸板を押さえると、一瞬苦しげに眉をしかめる。雄介は、そんな時任を見て、慌てて自分の粗忽さを恥じるや、
「大丈夫ですか?痛みますか----?」
と、気遣いを口にした。時任は、胸を押さえながらも、心配いらないよと、笑い返すと、
「事故の際に打ったところが、少しばかり疼(うず)いただけだよ」
静かな口調で答えた。雄介は、自分が笑わせたせいですねと、詫びる。と、時任は、徐にサングラスを外し、穏やかな眼差しを雄介に向け、
「------お前、おれに何か訊きたいことがあるんじゃないのか?」
と、彼の方から水を向けて来た。雄介は、思いがけない時任の反問に、しばし思いあぐんだ末、
「実は・・・・・・」
と、やや口ごもった風を見せてから、あの雪崩事故以来ずっと気になっていた例の質問を、思い切って時任に投げてみた。
「-----ひとつ訊きたいんですが、あの雪崩が発生する直前、あなたと野田さんとの間に、いったいどんな会話があったんですか?崖の上からレースを見ていたおれの眼にも、先にランディングバーンに到達したのは、明らかに野田さんの方が先だと判りました。それなのに、時任さんは、どうして黒鳥真琴の居場所を、野田さんの口から聞き出すことが出来たんですか?そいつがどうしても納得いかないんですよ」
すると、時任は、その質問が雄介から持ちかけられることを、既に予期していたという口振りで、
「そうだな。お前には、全部話しておいた方がいいだろうな・・・・」
と、前置きしてから、淡々と語り出した。
「-------そうだ。お前が見た通り、スノーファイトのレースは、正しくおれの負けだった。野田は、おれに初めて勝ったことで有頂天だったが、おれには、あいつが喜べば喜ぶほど、何故か悲しげに見えて仕様がなかった。そして、もはや、おれ自身、野田の術中に屈することをほとんど覚悟した時、あの表層雪崩が発生したんだ」
時任は、そこまで話し、何か物思うように眩しげに遠い目をして彼方の天空を見る。
「その時、野田は、如何にも、すべてをやり終えたというような満足感にあふれた表情になると、突然、『黒鳥真琴は、横手山ロッジの客室にいる』と、告げ、直後、雪崩がおれたちに襲いかかる瞬間、彼は、いきなりおれの身体へ自分の身体をぶつけて、突き飛ばすと、自分はそのまま雪崩に飲み込まれ、押し流されて行ってしまったんだ・・・・。おれが、こうして、九死に一生を得ることが出来たのは、あの瞬間の野田の機転があったからなんだよ」
そう言って、ゆっくりと雄介の方へ首をめぐらせた。
「-------そうだったんですか」
思わず深い溜息をついた雄介は、それだけを応えると、改めて、時任と野田の間にあった他者には計り知れない濃密な心情を突き付けられた気がして、つい言葉に窮した。煩悶(はんもん)に堪えるかの如く俯く雄介を、時任は、兄のような視線で温かく見やると、お前の気持ちは判っているという面持ちで、そっと微笑んだ。
「だが、だからといって、野田のしたことが免罪になる訳じゃない。そして、あいつにあのようなことまでもさせてしまったおれ自身も、また、許される立場にはないということなんだ。このことは、おれにとって一生背負って行かねばならない十字架なんだろうな・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
時任の苦衷が痛いほど判るだけに、雄介は、ただ黙って、頭(かぶり)を振ることしか出来なかった。やがて、時任は、
「ところで--------」
と、さりげなく話頭を転じるや、雄介に向かって、こんなことを訊ねて来た。
「雄介、お前、このスキーパトロールの仕事が三月一杯で終了したら、次に勤める当てはあるのか?」
「------いいえ、まだ何も決めていませんが」
唐突に何を言い出すのだろうと、雄介は時任の顔を不思議そうに見る。時任は、そうかと、小さく頷き、
「もし、お前がよければ、おれが就職口を世話してやってもいい。どうかな?」
と、言う。その申し出は、確かに、今の根無し草も同然の雄介の立場からすれば、正直二つ返事で飛び付きたい提言ではあった。ところが、雄介はその時任の申し出に即答を避けると、
「お話は、とてもありがたいんですが、もう少しじっくりと考えてみたいんです。おれという人間に、いったい何が出来るのか。これから何をするべきなのか。------以前のおれなら、時任さんのその言葉を何の遠慮も躊躇もなく、受け入れていたのでしょうが、今は、何だか、自分自身の力でも道を切り開いていけるような気がするんです。甘い考えかもしれませんけど、でも、試してみたいんです」
そう返事をする。時任は、そうかと、静かに頷き、得心した表情で、
「そうだな。ここ数日で、お前は、見違えるように逞しくなったからな-------」
スキーパトロール本部へ配属されて来たばかりの日と比べると、数段成長したと思えるパートナーの顔を、時任は、何とも頼もしそうに見詰めた。そして、改めてサングラスを掛け直すと、
「よし、本部へ戻るとするか!」
元気よく雄介に呼びかけた。
「はい!」
それに呼応して、雄介も返事をし、スキーゴーグルを顔へと下ろす。二人は、悠然とスキー板を麓の方向へ返すと、志賀高原横手山の広大な銀色の雪原に、華麗なシュプールを描きながら、パトロール本部への帰路に就いた。
< 終 >
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~ 炎 の 氷 壁 ~ は、本日で終了いたします。皆さまには、ご愛読頂きまして、誠にありがとうございました。
なお、この小説ブログは、小説の題材、主要人物欄、カテゴリー分け、文字の大きさ、太さ、文章の長さ、イラスト等々多岐に渡りまして、読者の皆様のご要望を、出来得る限り取り入れさせて頂いた作りとなっております。が、時に、ご要望にお応えすることが困難な場合もございます。わたしの未熟なパソコン技術では、対処しかねる問題や、文章力の拙さにより、読みにくい文脈があったり、文字構成が煩わしく感じられる面なども多々あろうかとは存じますが、その点、何卒ご寛大なお気持ちを賜りまして、今後とも、ご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。
ちよみ
雄介は、時任の病み上がりの身体のことを気遣いながらも、それでも、また二人一緒にスキーを装着してのパトロールに励むことが出来るのを、心の底から喜び、安堵もしていた。
やがて、その日も、午前中の勤務を一通り終えようとしている時刻、雄介と時任は、共に、横手山山頂にほど近い樹氷に覆われた針葉樹林の間にある、雪原に佇んでいた。そこから展望出来る紺碧の空と、くっきりとした白峰の輪郭を縁取って延々と続く数多(あまた)の山々を眺めながら、雄介は、スキーゴーグルを制帽の上に引き上げ、大きく深呼吸をすると、無性に何か大きな声を出したい思いにかられた。そこで、肺いっぱいに透き通った新鮮な空気を吸い込むや、口元を両掌で覆うと、
「ヤッホー!」
と、遥かな虚空に向かって、雄叫びを発した。それには、時任も、驚いた顔でサングラスの奥から雄介を見詰めたものの、そのあまりに子供じみた様子に、思わず苦笑を漏らした。そして、やおら右手で自らの胸板を押さえると、一瞬苦しげに眉をしかめる。雄介は、そんな時任を見て、慌てて自分の粗忽さを恥じるや、
「大丈夫ですか?痛みますか----?」
と、気遣いを口にした。時任は、胸を押さえながらも、心配いらないよと、笑い返すと、
「事故の際に打ったところが、少しばかり疼(うず)いただけだよ」
静かな口調で答えた。雄介は、自分が笑わせたせいですねと、詫びる。と、時任は、徐にサングラスを外し、穏やかな眼差しを雄介に向け、
「------お前、おれに何か訊きたいことがあるんじゃないのか?」
と、彼の方から水を向けて来た。雄介は、思いがけない時任の反問に、しばし思いあぐんだ末、
「実は・・・・・・」
と、やや口ごもった風を見せてから、あの雪崩事故以来ずっと気になっていた例の質問を、思い切って時任に投げてみた。
「-----ひとつ訊きたいんですが、あの雪崩が発生する直前、あなたと野田さんとの間に、いったいどんな会話があったんですか?崖の上からレースを見ていたおれの眼にも、先にランディングバーンに到達したのは、明らかに野田さんの方が先だと判りました。それなのに、時任さんは、どうして黒鳥真琴の居場所を、野田さんの口から聞き出すことが出来たんですか?そいつがどうしても納得いかないんですよ」
すると、時任は、その質問が雄介から持ちかけられることを、既に予期していたという口振りで、
「そうだな。お前には、全部話しておいた方がいいだろうな・・・・」
と、前置きしてから、淡々と語り出した。
「-------そうだ。お前が見た通り、スノーファイトのレースは、正しくおれの負けだった。野田は、おれに初めて勝ったことで有頂天だったが、おれには、あいつが喜べば喜ぶほど、何故か悲しげに見えて仕様がなかった。そして、もはや、おれ自身、野田の術中に屈することをほとんど覚悟した時、あの表層雪崩が発生したんだ」
時任は、そこまで話し、何か物思うように眩しげに遠い目をして彼方の天空を見る。
「その時、野田は、如何にも、すべてをやり終えたというような満足感にあふれた表情になると、突然、『黒鳥真琴は、横手山ロッジの客室にいる』と、告げ、直後、雪崩がおれたちに襲いかかる瞬間、彼は、いきなりおれの身体へ自分の身体をぶつけて、突き飛ばすと、自分はそのまま雪崩に飲み込まれ、押し流されて行ってしまったんだ・・・・。おれが、こうして、九死に一生を得ることが出来たのは、あの瞬間の野田の機転があったからなんだよ」
そう言って、ゆっくりと雄介の方へ首をめぐらせた。
「-------そうだったんですか」
思わず深い溜息をついた雄介は、それだけを応えると、改めて、時任と野田の間にあった他者には計り知れない濃密な心情を突き付けられた気がして、つい言葉に窮した。煩悶(はんもん)に堪えるかの如く俯く雄介を、時任は、兄のような視線で温かく見やると、お前の気持ちは判っているという面持ちで、そっと微笑んだ。
「だが、だからといって、野田のしたことが免罪になる訳じゃない。そして、あいつにあのようなことまでもさせてしまったおれ自身も、また、許される立場にはないということなんだ。このことは、おれにとって一生背負って行かねばならない十字架なんだろうな・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
時任の苦衷が痛いほど判るだけに、雄介は、ただ黙って、頭(かぶり)を振ることしか出来なかった。やがて、時任は、
「ところで--------」
と、さりげなく話頭を転じるや、雄介に向かって、こんなことを訊ねて来た。
「雄介、お前、このスキーパトロールの仕事が三月一杯で終了したら、次に勤める当てはあるのか?」
「------いいえ、まだ何も決めていませんが」
唐突に何を言い出すのだろうと、雄介は時任の顔を不思議そうに見る。時任は、そうかと、小さく頷き、
「もし、お前がよければ、おれが就職口を世話してやってもいい。どうかな?」
と、言う。その申し出は、確かに、今の根無し草も同然の雄介の立場からすれば、正直二つ返事で飛び付きたい提言ではあった。ところが、雄介はその時任の申し出に即答を避けると、
「お話は、とてもありがたいんですが、もう少しじっくりと考えてみたいんです。おれという人間に、いったい何が出来るのか。これから何をするべきなのか。------以前のおれなら、時任さんのその言葉を何の遠慮も躊躇もなく、受け入れていたのでしょうが、今は、何だか、自分自身の力でも道を切り開いていけるような気がするんです。甘い考えかもしれませんけど、でも、試してみたいんです」
そう返事をする。時任は、そうかと、静かに頷き、得心した表情で、
「そうだな。ここ数日で、お前は、見違えるように逞しくなったからな-------」
スキーパトロール本部へ配属されて来たばかりの日と比べると、数段成長したと思えるパートナーの顔を、時任は、何とも頼もしそうに見詰めた。そして、改めてサングラスを掛け直すと、
「よし、本部へ戻るとするか!」
元気よく雄介に呼びかけた。
「はい!」
それに呼応して、雄介も返事をし、スキーゴーグルを顔へと下ろす。二人は、悠然とスキー板を麓の方向へ返すと、志賀高原横手山の広大な銀色の雪原に、華麗なシュプールを描きながら、パトロール本部への帰路に就いた。
< 終 >
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~ 炎 の 氷 壁 ~ は、本日で終了いたします。皆さまには、ご愛読頂きまして、誠にありがとうございました。
なお、この小説ブログは、小説の題材、主要人物欄、カテゴリー分け、文字の大きさ、太さ、文章の長さ、イラスト等々多岐に渡りまして、読者の皆様のご要望を、出来得る限り取り入れさせて頂いた作りとなっております。が、時に、ご要望にお応えすることが困難な場合もございます。わたしの未熟なパソコン技術では、対処しかねる問題や、文章力の拙さにより、読みにくい文脈があったり、文字構成が煩わしく感じられる面なども多々あろうかとは存じますが、その点、何卒ご寛大なお気持ちを賜りまして、今後とも、ご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。
ちよみ
侍ジャパン
WBC
連覇 おめでとう !!