日本人はケンカ下手?
2013年01月07日
日本人はケンカ下手?

ある番組で、「日本人はケンカが下手だ」という話題を取り上げていた。
日本が外交問題で外国勢の主張に弱腰というのも、論理的なケンカが苦手だからだという。
そして、日本人は、ケンカをした後の気持ち悪さが嫌いなので、その場を意味不明な言葉を羅列して、とにかく丸く収めてしまがちなのだとか。
しかし、それは考え過ぎなのだそうだ。
外国人の考え方は、言い分はしっかり通すが、それを後々までも引きずらないというものなのだという。
つまり、ケンカする時はしっかりケンカしても、それを他の問題にまで持ちこまないことが大人の対応というものなのだそうだ。
ところが、日本人は、「まあまあ・・・」と、ケンカそのものを回避する知恵を身に付けた人を大人だと評価する。
だから、いつまで経っても、日本人の本心がつかめないと、外国人から怪訝がられ、
「良く判らない人たちの意見を聞くのは後回しでもいい」
と、いう退けもの扱いを受けることになってしまうのである。
ところが、医学的に考えれば、実は日本人ほど怒りやすい国民はいないのだそうである。
日本人は、もともと、セロトニンという感情をコントロールする神経伝達物質の分泌が、外国人に比べてかなり少ないのだそうだ。
そのために、元来日本人ほど闘争的な民族はいないのだそうである。
古くからの日本人の歴史を見ると、戦争をしない時代がないほど、戦争好きな国民性であることが判るし、戦国時代などは、身内を殺すことなども日常茶飯事であった。
では、それほど戦争好きな国民が、何故、これほどのケンカ下手になってしまったのだろうか?
実は、戦後の高度成長と経済発展がその最大の原因だという。
人は、金儲けのためならば、何を言われても腹を立ててはならないと思う。
言いたい奴には言わせておけ。こちらは、もらうものをもらえばいいんだからな----と、いう事なかれ主義が日本人の中に刷り込まれてしまったということのようだ。
しかも、その後に起きたお笑いブームのブラックユーモアで、腹が立つことを皮肉で笑い飛ばして来たのである。
つまり、それで何となくガス抜きをしてきたことが、今になって「ケンカの仕方が判らない」という政治の迷走を招いてしまっているのだそうだ。
だが、これからますますグローバル化が進む社会においては、このままでは日本人はケンカ外交上手な世界と対等な交渉すら出来なくなると危惧している若い親たちが取る手段が、我が子をインターナショナル・スクールに通わせるという方法なのだという。
ここで、世界各国の子供たちに揉まれて育つ日本の子供たちは、確かに自己主張が強く、自分の意思を絶対に曲げようとはしない。
相手を叩いてでも、暴言を吐いてでも、自分が欲しいと思うものは必ず手に入れるという、強固な意志を持っているのだ。
子供たちに遠慮はなく、分け合うということはしても、譲り合うなどということはしない。
こうして強い競争心を養うことが良いのかは一概には言えないかもしれないが、丁々発止で外国人と渡り合う世界に身を置くような職業に就く場合は、プラスに働くこともあるだろう。
ただでさえ、遺伝子レベルでは並はずれた闘争的性格を有する日本人が、自己主張という武器を手に入れて本気で戦う集団となった時こそ、実は世界最強の論理武闘国へと変貌するのかもしれない。
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人は見栄を張る生き物
2013年01月06日
人は見栄を張る生き物

かつて、近所の高齢女性で、やたらに自分が食べた物の自慢をしたがる人がいた。
「この間の旅行先では、伊勢えび料理を食べた」「先日、高級料亭へ行って、値段の高いカニ料理をお腹いっぱい食べた」「やっぱり、マスクメロンは〇〇産に限る」などなど・・・。
この自慢話を聞かされる近所の主婦たちは、彼女のことを「意地汚い、貧乏根性。お里が知れる」と、蔑んでいた。

最近は、年賀状にも見栄を張り、家族の幸せそうな写真を付けて送るのが主流になりつつあるが、これもある意味考えもので、離婚をしたとか、最愛の人を亡くしたなどという人がこんな年賀状を受け取れば、
「嫌みのつもりか!」
と、ケンカのタネを作ってしまうことにもなり兼ねないのである。
とあるビール会社も、この人の見栄が元で大失敗をしたことがあるという。
夏に向けての新商品開発を狙っていたその会社は、スーパーの店頭を借りて二種類のビールの試飲アンケート調査を実施したのだという。
一つは、値段の高いアルコール度数低めの高級志向ビール。もう一つは、一般向けの安いビールだった。
アンケートに協力した人たちは、ほとんどが値段の高い高級志向ビールの方がおいしいと答え、販売されたら買いたいと言ったという。
そこで、会社はこのアンケート結果に基づき、高級志向ビールの販売に踏み切ったが、結果とは違いほとんど売り上げが伸びなかったのだそうだ。
これにより判ったことは、人は自分がケチだと思われたくないがために、見栄を張って高級志向ビールの方がおいしいと答えたのだということであった。
もしも、このアンケート調査が二種類のビールの値段差をそれほどつけずに行なわれていたならば、結果はかなり違ったものになったであろうということだった。
ともあれ、人が見えを張りたいと思うのは致し方ないことなのだろうが、度を超すと軽蔑の対象ともなり兼ねないことも覚えておいた方がいいだろう。
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本物の看護とは
2013年01月05日
本物の看護とは

信毎の投稿欄に、ある女性看護師さんからの投稿が掲載されていた。
50代のその看護師さんは、昨年9月に全身(内臓も)に炎症が起きるという膠原病の一種と診断され、腎臓も炎症を起こしているので、このままでは透析になるかもしれないと、医師から告げられたのだそうである。
まさか自分が患者の立場になろうとは、夢にも思わなかった彼女は、その後長期入院することになり、初めてベッドの上から看護師や医師を見る側になった。
誕生日に、食事にバースデーカードが添えられた時は、看護されるありがたさと命の大切さを心から実感できたことで泣いてしまったそうで、こういう病気にならなければ、長年看護師を続けてきてはいたものの、患者さんの本当の辛さや痛みを知ることは出来なかったと述懐していた。
おそらく、看護師として働いていた時は、日々の忙しさや煩雑さに追いまくられて、患者からの要望など、「いつものこと。適当にあしらっておけばいい」ぐらいに思っていたのかもしれない。
しかし、自分自身が命の危機に直面したことで、ようやく患者一人一人がどれほどの寂しさや怖さを胸に毎日を生きているのかということに、ようやく想い至ったのではないだろうか。
「病院は命を見詰める現場」とか、「患者に寄り添う看護」などと口先ばかりで言うことは容易いが、そのことを我が身に立って実感しながら仕事を行なっている医療関係者が、果たしてどれほどいるのだろうか?
この投稿者は、50代にしてようやくそのことを知ったわけである。
医師や看護師の立場から、手記や小説などでどれほど患者の痛みに迫ろうとしても、結局は他人の痛みであり、想像の域を超えることはない。
たとえ、身内に患者がいたとしても、やはり自身の身体で感じた痛みや悩みではないのである。
「医療関係者たるもの、死なない程度の病気は一通り体験した方がいい」と、良く言われるのも、そうした意味からであろう。
つまりは、自らの身体でそのことを知らない限り、血の通った本物の医療、看護などは出来ないものだということなのである。

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記憶は作り変えることができる
2013年01月04日
記憶は作り変えることができる

長野市民新聞の読者の方から、連載中の「地域医療最前線~七人の外科医~雪 線」の感想を頂きました。
誠に、ありがとうございます。とても嬉しく読ませて頂きました。
これからも、ご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
心理学者が記憶をテストする場合、「再生法」や「再認識法」という手段を用いることがあるという。
「再生法」とは、いくつかの回答を与え、その中から正解と思われるものを選び出させるというやり方だという。
警察も、取り調べや目撃証言などを集める際に、こうした「再生法」を良く使う。
そして、警察側が意図した証言を引き出すような場合、「誘導尋問」というやり方で相手が話しやすいように促したり、また何度も同じことを繰り返し質問することで、ありもしない偽の記憶を相手に刷り込ませてしまうという方法を使うこともあるそうだ。
ある実験では、被験者の前に5人の人を一列に並ばせて、

「この中に、計画的な破壊行為をした者がいる。その人物を指差しなさい」
と、命じたところ、そんな人物は一人も並んでいないにもかかわらず、被験者の78パーセントが、それらしいと思う人物を指差したのだそうだ。
また、別の被験者のグループには、「この中に犯人がいるかもしれない」と、言ったところ、前のグループほどではなかったが、33パーセントの人が、無実の人を犯人だと決めつけたというのである。
人の記憶というものは、決して正確なものではない。
久しぶりに青春時代の懐かしい歌を聴いて、
「これは、高校の卒業式の日に聴いた歌だ」
と、思っていたのに、実は、その歌がテレビやラジオから初めて流れたのは、卒業式より三ヶ月もあとだったなどということは良くある話なのである。
人は、インパクトの強い出来事が近い時期に連続して起きると、時間が経つ間にそれをまとめて記憶してしまうということもある。
また、自分や相手が望むような事実として都合よくねじ曲げて記憶してしまうということもあり得るのだ。
「20世紀少年」という近未来SF映画があるが、この作品もまた、一人の少年が自分に都合の良い記憶をでっちあげてしまったことからすべての悪の連鎖が始まるというものであった。
わたしも、最近、自分の記憶に自信がなくなることがある。
事実を事実のままに記憶することは、実はとても難しいことなのである。
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自分はこれでいいと言う人の心理
2013年01月03日
自分はこれでいいと言う人の心理

アニメ『天才バカボン』の主題歌ではないが、あなたの周りに、ことあるごとに、
「わたしはこれでいいんだ。これがわたしなんだから・・・」
と、いう人はいないだろうか?
しかも、そのことを必ず口に出す。
自分の心の中でだけ思っていればいいものを、わざわざ他人の前でそう言う。
誰かにそのことを報告しなくては、自分自身さえも納得させられないという小心で優柔不断な人間なのである。
つまり、これは、その人の本心では、
「本当は、こんなんじゃいけないんだ。もっと何とかしなければ、自分はダメになる」
そう自覚していることの証なのだという。
しかし、それをするには時間もかかるし、ズクもいる。だいいち自分に成し遂げられるかも判らない。
二十歳やそこらの娘ならばいざ知らず、今更、他人の教えを乞うようなみっともない真似が出来るわけがない。
だから、誰かに、
「お前は、そのままでいいんだよ」
と、言ってもらいたい。
そんな心理から、まるで自分自身に言い聞かせるように、「これでいいんだ」を、口に出すのである。
だから、「これでいいんだ。このままでいいんだ」を言う人ほど、自分に自信がない人なのである。
しかし、常に後ろ髪を引かれるような、心の何処かに重りをぶら下げているような気持ちのままに毎日を暮らすのも大変ではないだろうか。
もしも、本心から「わたしは、このままでいい」と思っている人は、そんなことをいちいち口に出したりはしない。
そして、もしも誰かから「そんなんじゃダメだ」と、言われたとしても、それに対して腹を立てるような、機嫌を悪くするような幼稚な反応は見せないものなのである。
そういう人にあえて言いたい。
決心は、あなた自身の心の中だけで唱えて欲しい。
声に出して宣言されても、他人は「だったら、そうすれば」としか答えようがないのだから。
今年こそは、もう、「これでいいのだ」を卒業してみては?

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人真似と安心感
2013年01月02日
人真似と安心感

あなたは、「皆さん、お持ちですよ」とか「皆様にお買い上げ頂きました」などというセールストークに乗せられて、ついつい欲しくもないものを買ってしまったことはないだろうか?
これは、人間が本来持つ、「同調心理」を巧みについた販売員の常套句なのである。
人は、周りの人たちと同じでいたいとか、後れをとりたくないという気持ちを必ずもっている。
そのために、他人の行動につられたり、他人の意見に影響されてしまうことが往々にしてあるのだという。
「わたしは、絶対に他人の意見に流されるような心の弱い人間ではない」
そう信じている人も、もしもデパート火災などに遭遇した場合でも、何処までも自分の考えを通して、あくまでも自分が信じる人と反対の方角へ逃げるといった行動がとれるかといえば、甚だ心もとないはずである。
また、人と違った行動をとることで、周囲から非難されたり、仲間外れにされることを懸念して、不本意ながら従ってしまうという人も多いはずだ。
心理学者のアッシュは、これについて面白い実験を行なっている。
9人の学生を一つのグループにして二枚のカードを見せ、一枚のカードに書かれている横線と同じ長さの線を、もう一枚のカードに書かれている三本の横線の中から選べという課題を与えたのだそうだ。
その9人のうち8人は実はアッシュが用意したサクラで、サクラたちは、わざと間違った横線を選ぶ。
その時、残りの一人はどう反応するかということを見たのである。回答は一人ずつ順番に行なわれ、サクラではない被験者一名は、最後から二番目に答えるというやり方をとった。
これを被験者を替えながら何度も繰り返し行なった結果、被験者50人中、ほぼ三分の一が自分の意見を曲げて、サクラたちの意見に同調したのだそうである。
被験者の中には、サクラたちの意見を聞いているうちに、本当にそう思い込んでしまったという者もいたという。
何故、このようなことになってしまうのかといえば、人は「同調」により安心感を得たいと思っているのだという。孤立や孤独を恐れ、仲間でいることに安心する。
そういう深層心理が働くために、実は本意ではないことでもしてしまうという傾向にあるのだという。
ところが、時に人真似を極度に嫌い、人と違うことをすることに快感を覚えるという人もいる。こういう人を世間では「非常識」とか「天邪鬼」などと言いたがるが、ノーベル賞受賞者の中にはこういう性格の人が意外に多いのだそうである。
人と同じことを考えていたのでは、世紀の大発明や発見は出来ないということなのだろう。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とは、日本人の性格をよく表わした言葉だが、また日本人ほど同調性が好きな国民もいない。意味不明な曖昧笑顔も、日本人特有の同調性から生まれた世渡りの知恵なのかもしれない。
が、だからこそ、日本人ノーベル賞受賞者は多くないのだろうな。
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高校三年生
2013年01月01日
高校三年生

今日、あるテレビ番組の再放送を見ていたら、NHKの「思い出のメロディー」で、2011年最もリクエストが多かった歌謡曲が、舟木一夫が歌う「高校三年生」だったそうだ。
作詞は丘灯至夫、作曲は遠藤実。
ところが、この二人はともに高校を出ていないのだという。
その二人にとって、高校三年生という存在がどれほど眩しく見えていたか・・・。
これは、正に二人男性の高校生に寄せる憧れが凝縮した一曲だといっても過言ではないのだそうである。
実は、遠藤実さんは、丘さんの作詞が手元に届いた時、今の曲とはまったく異なるワルツ調のゆったりとした明るいメロディーを考え、その楽譜を持って行こうとしたらしいのだが、家を出たところでハタと気付いたのだという。
「来年は、東京オリンピックの年じゃないか。こんな曲よりも、もっとマーチ風の勇ましい曲の方がいいのでは?」
その一瞬の機転が、この名曲を生んだのである。
一方、作詞を手掛けた丘灯至夫さんは、この歌詞に経済的に高校を中退せざるを得なかった自身の悲しみや憧れのすべてを注ぎ込んだ。
殊に、二番の歌詞----
泣いた日もある 恨んだことも 思い出すだろ なつかしく ああ 高校三年生
ぼくら フォークダンスの 手をとれば 甘く匂うよ 黒髪が
ここには、丘さんのこの歌にかける思いの丈が十二分に描かれているという。
番組では、「高校三年生」という歌に寄せる多くの視聴者の心情や体験談をも取り上げていたが、この歌が人生の応援歌になっているという60代の女性は、
「ぼくら フォークダンスの 手をとれば----この歌詞を聞いた時、新しい時代がやってきたんだという実感がわいて、目の前が突然開けた感じがした」
と、語っていた。それまでは、男女が手をとりあってダンスをするなどもってのほかという教育を受けていた時代。これからは、わたしたちの時代なのだという晴れやかな気分になれたのだという。
また、未だに高校の同級会の最後には、この「高校三年生」を参加者全員で合唱して締めるという男性や、この歌を口ずさむことで生きる希望が持てたという、一昨年の東日本大震災で大きな被害を受けた福島県の女性もいた。
職場のリストラにあった女性は、目の前が真っ暗になったが、「高校三年生」を歌い、「今が高校卒業当時だと思えば、またやり直す勇気が出る」と、人生をリセットしたのだという。
そして、ある女性は、「高校受験に失敗し、憧れの高校生になれなかった時は、大好きなこの歌を歌うことも出来なくなったが、自分の息子が高校を卒業する時、卒業式でこの『高校三年生』が流れ、本当に感激した」と、いうエピソードも紹介されていた。
歌う舟木一夫自身も、ヒット曲に恵まれず悩んだ時期、この歌に縛られたままではダメだと「高校三年生」を封印したこともあったそうだが、「自分と同じ世代の人たちのために歌おう」と、考えを切り替えてからは、素直にこの曲の素晴らしさを聴いてもらいたいと思えるようになったそうだ。
「『高校三年生』は、もはや誰が歌っているとか、誰が作ったとか、そんなことは関係なく、日本人の心の歌になっているんです」
と、舟木さんは語る。
これからも「高校三年生」は、「青い山脈」のような、いやもしかしたらそれ以上の人々の心に寄り添う名曲として歌い継がれて行くのだろうと思う。
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心理の法則
2012年12月31日
心理の法則

犯罪捜査に役立つ心理学に「一致法」と、「差異法」というい二つの方法があるそうだ。
「一致法」とは、容疑者がA、B、Cの三人に絞られた時など、現場でAを見たという目撃情報に合わせて、Aと現場との共通点を徹底的に捜査するという方法である。
現場にはAとの共通点はあるが、B、Cとの共通点が見当たらないという場合、犯人はAの確率が高いという結論に至る。
しかし、この方法だけに頼っていては、もしも犯人がA、B、Cの三人以外にいた時、Dというもう一人の容疑者を想定しないまま結論を出してしまうかもしれないという盲点があるそうだ。
そこで、もう一つの「差異法」と併用することで、この盲点をカバーできるのだという。
「差異法」は、「一致法」とは逆に、AとBの間に何か違う点はないかと考える捜査方法だという。
たとえば、修学旅行先でA高校とB高校が同じホテルに宿泊していたにもかかわらず、A高校の生徒だけが食中毒になった。
こういう場合、A高校の生徒たちがB高校の生徒たちと何か違う食べ物を口にしなかったか?----を、探るのである。
すると、A高校の生徒たちは、夕食後、ホテルを抜け出し寿司を食べに行ったことが判ったとする。
つまり、食中毒の原因は、寿司ではなかったか?との結論が導き出せるということなのだそうだ。
ある事件が起きると、その事件現場と共通点がある人物は誰か?そして、その人物は、他の容疑者とどこが違うか?
これらを考えることで、真相が見えて来ることもある----という心理の法則の一例である。
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今日の雑感 14
2012年12月30日
今日の雑感 14

★ 今年も、残すところあと一日。
都市伝説の語り部によれば、2013年からは人類の生物学的世紀が変わるのだそうだ。
つまり、来年以降に生まれる子供たちは、われわれとはDNAが異なる人類として誕生するのだとか・・・。
マヤ暦の新年とは、そういう意味があるのかもしれないとの説もあるという。
まあ、信じるか信じないかは、あなた次第----なんだろうけれど・・・ね。

★ 今日は、雨・・・。
この気温の高低は、いったい何なのだろうか?
まあ、暖かいに越したことはないのだが・・・。
そのせいか、今日の外湯の込み具合はすごかった。
身体を洗うスペースがないので、一人の女性は顔を洗っただけで一度湯船につかり、そのまま上がって行ってしまったくらいだ。
こういう時は、皆、入浴時間を少しでも短縮する心掛けが必要なのだが、長湯癖のある人はまるでそういう配慮をしない。
洗髪をして湯船へ入り、今度は身体を洗ってまた入り、顔を洗って入り、中には歯まで磨き始める図々しい人も----これでは、あまりに他の入浴者に迷惑である。
どうやったら短時間で入浴を終えられるか、各自研究して欲しいものだ。
特に、親しい人同士での背中の流し合いなどは、もっての他。こういうことは、誰もいない空いている時にやって欲しい。
世の中は何事も臨機応変でなくては進まない。
「だって、家へ帰っても誰もいないから、共同浴場へ来ている時だけが唯一の憩いの場なんだよ」
そのようなことをのたまう御仁もいるが、外湯は喫茶店ではないので、あしからず。
★ で、来年は巳年----。
そこで、もしも、ヘビの夢を見たら・・・と、いうことで-----。
ヘビは、幸運と不運、善と悪、破壊と再生など両極端の意味を表わす動物だということである。
白蛇の夢は、一口に言って幸運の印。運勢の上昇が望める吉兆を意味するものだとか。
ヘビを掴む夢は、金運が舞い込むという暗示で、ヘビが脱皮する夢は、人生の転換や新しいことへの発展などを教えているといわれるそうである。
そして、ヘビが下から上へはう夢は、運勢が好転する兆しということだそうだ。
しかし、ヘビに追いかけられたり、ヘビに巻かれたりする夢は、恋愛においてのトラブルが起きるかもしれないという警告であり、ヘビが木に巻きつく夢は、計画が失敗したり裏切りに合う予感だそうである。
そして、ヘビに噛みつかれたり飲み込まれたりする夢は、病気やケガに注意せよという意味だそうである。
また、ヘビが逃げ出す夢は、金運が下降気味という暗示だそうだ。
とはいえ、わたしがよく見るヘビの夢は、たいてい一匹ではない。それこそかなりの群れで現われる。地面一帯がヘビだらけというような夢も珍しくない。
たぶん、ヘビ映画の観過ぎなのだろうが、ホント、気持ち悪い。

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日々のたわごと 13
2012年12月30日
日々のたわごと 13

かつて、刑事ドラマの中でピアニストの女性が、「ピアノの練習をしたあとは、おもちゃのピアノを弾くのが息抜きなのよね」と、言うシーンがあった。
「来る日も来る日もピアノを弾き続けて、もう楽譜なんて見たくないというくらいのレッスンをしながら、おかしいでしょう?」
でも、あの台詞、何となく判るような気がする。
実は、わたしもこれに似た状況にあるような・・・。
思いっきり文章を書きまくっているのにもかかわらず、その息抜きがブログを書くことになっているのだ。
ブログを書いていると、頭の中の整理が出来たり、切り替えが出来るような感じで、ホッとする。
こんなことを周囲の人に話すと、
「文章を書くなんて、たった原稿用紙一枚でも悩んでしまうのに、あんた、やっぱり変わっているわ」
と、笑われてしまうが、ブログと作文や論文ではまったく内容が違うわけで・・・。
まあ、どちらも人さまに読んで頂くものではあるが、ブログはとにかく気軽に書ける分だけ、文章を作るという作業をしながらも精神的にリラックスできるのかもしれない。
面白いものである。
ところで、先にも書いた信毎に連載されていた「正妻」という小説だが、これを慶喜の男目線で読むと、実はこういうことになるのではないだろうか。
「おれは、正室も、側室も、両方大事だ。二人の女は、本当におれにとってなくてはならない存在なんだ。どちらも、なくていいなどということはない。でも、やっぱり一番大事なのはおれ自身だ。おれがいなければ、二人の女は存在する意味がなくなるだろう。どんなに無様な格好で戦場から逃げ出したとしても、おれが生きているということこそが、二人の女ために最も重要なことなのだ」
こんな身勝手極まりない考え方の徳川十五代将軍のために、須坂藩主・堀直虎も新選組も会津藩も、命を投げ出したわけなのだが、慶喜自身はおそらくそれが最良の策だと、本気で考えていたのだろうと思う。
育ちなのか、生まれもっての性格なのか、もしも今の世の中に慶喜が生きていたならば、ネット上では稀代のKY野郎と嘲笑されることになったのかもしれないな。
結局、彼は、あの時代の人間で、正解だったのだろうな。
日々のたわごと 12
2012年12月29日
日々のたわごと 12

兵庫県警は28日、ストーカー規制法違反事件などの被害者保護のため、被害女性の氏名を記載しない逮捕状を請求して裁判所から交付を受け、容疑者2人を逮捕したと発表した。
県警によると、住所不定の運転手の男(60)と、姫路市のアルバイトの男(30)を、それぞれ県内の女性にストーカー行為をしたとして、今月逮捕、送検した。通常、逮捕状には被害者の氏名を記載するが、女性の要望に応じ、氏名を出さずに請求した。(YAHOO!ニュース)
当然だと思う。
ストーカー事件では、逮捕状に被害者の名前や住所を書いておいたがために、加害者が出所したあとで、住所を替えて住んでいた被害者が再度被害に遭うというケースが少なくない。
被害者名を告知しないということは、加害者側が何の容疑で逮捕されるのか判らないということになり兼ねないという意見もあるが、ストーカー容疑というだけで加害者には心当たりがあるはずなのだから、被害者名はあえて知らせる必要はないと思われる。
ただし、名前を知らせないということは、事実ストーカーとは無関係な人を犯罪に陥れるために、嘘の被害をでっちあげる者も出て来るやもしれないので、その点は慎重に対処して欲しいものである。
まあ、さすがに年末年始は、ブログなど読み書きしている人はあまりいないのかもしれないが、これも毎年のこと。
丸四年もナガブロを書いていると、何となく季節の推移が読めて来る。
それにしても、書き始めてからというもの、サイト内のブロガーの顔ぶれも目まぐるしく変わってきた。
わたしのブログに足あとを付けて下さるブロガーさんたちのハンドルネームも、四年前とはまったく異なる。
わたしは、あの頃とまったく変わらない調子で書いているだけなのだが、周りだけがどんどん変化を続けているようで世の中の流れというものを否が応でも感じざるを得ない。
そういえば、以前、わたしが何かの記事についてちょっと批判的なことを書いたら、「批評家気取りで、何さまのつもり?」というような反応を示したブロガーもいたが、顔が見えない相手には、人は呆れるほど無遠慮になれるものだということをも学んだ。
殊に女性ブロガーには、この癖が顕著にあるようだ。
先ほど、ネットニュースを読んでいたら、中国ではインターネット利用者は、今後、実名登録にするという方針が決まったというような報道があった。(詳しく読んでいないので正確なところは不明)
ネット被害や嫌がらせが多発するようならば、日本もいずれそうなるのかもしれないな。
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痛みは気のせい?
2012年12月29日
痛みは気のせい?

先日の新聞に、痛みはプラセボ効果で治せる場合があるという記事が書かれていた。
プラセボとは偽薬のことで、これについては心理学の領域で色々な実験がされているそうで、なんと、モルヒネの50パーセントほどの効果もあるという。
しかも、鎮痛薬だけではなく、色々な薬にもプラセボ効果はあり、現在は新しい薬の効果を実証する場合、本物の薬と偽物のプラセボを、患者はもとより医師にも判らないようにして、その効果を比較する方法が用いられているというのだ。
医師の中には、
「患者があまりに痛がるので、痛みどめだといってビタミン剤を注射したら、良く効いたというので、やはりあの痛みは気のせいだったんだよ」
と、話す人もいるという。

小さな子供がお腹を痛がった時、お母さんが手のひらをお腹にあてて静かにさすってやるだけでも、痛みがひいたという話は良く聞く。
これは、お母さんと子供の間に大きな信頼関係があるからこそ、起きるプラセボ効果なのだという。
プラセボ効果は、患者本人の治りたいという気持ちが強いことや、患者がどれほど医師を信頼しているかでもかなり変わってくるのだそうだ。
もちろん、治りたいと思う気持ちが強い患者ほどこの効果は高く、また、医師を信頼している患者ほど効果は高いのである。
どれほど検査をしてもさしたる原因がなく、それでも痛みがひどいという患者は、もしかしたらその病気を治したくないというような気持ちが何処かにあるのかもしれないし、さらに、担当医との間に信頼関係が築けていない可能性もあるということになる。
わたしの知り合いの年配女性にも、脚の痛みがひどくて運動が出来ないという人がいて、鎮痛薬も既に相当強いものを処方されているために、医師からは、これ以上の薬は出せないと注意されている。
しかも、脚に特別な問題があるわけではないそうだ。
この女性も、もしかしたら潜在意識の中では、脚の痛みを治したくないと思っているのかもしれない。
痛みがなくなれば、今までのようにご主人に頼りきりの生活が出来なくなる恐れが出て来るからだ。脚が痛むという理由がありさえすれば、家事労働の手抜きもある程度許してもらえる。
もしかしたら、人が認知症やうつ病を発症するきっかけの一つとして現実逃避があるように、痛みも現実逃避の一手段として持続している場合もあるのやもしれない。
痛みの発生には、心の問題が大きいということは以前から言われているが、そういう患者にとっては、誰か一人でも心から信頼できる人が現れるだけで、痛みはかなりの確率で回避できる問題なのかもしれないのである。
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今日の雑感 13
2012年12月28日
今日の雑感 13

このとんでもない寒さのせいか、夜布団へ入ると、朝が来なければいいと思ってしまう。
そう、近所の主婦に愚痴ったら、
「あたしなんか、そんなこと結婚してからこの方何十年、毎日思っている」
と、言われてしまった。
それも、何だか大変だなァ・・・。

ところで、ある情報番組を観ていたら、民主党政治が停滞したのは、大臣たちが部下である各省庁の職員たちへの気配りを手厚く行なわなかったせいではないかと想像させるような話題になった。
大臣になると、一般議員の給与に大臣手当のようなものが加算されるのだそうだが、そんなものでは賄いきれないほどの出費がかさむのだという。
たとえば、予算編成期に支払われる職員たちの夜食代などは、大臣個人のポケットマネーから出さざるを得ないのだという。
これは、過去の政権でのエピソードらしいのだが、ある省など1200人もの職員が徹夜作業をしなければならず、大臣は、その職員全員のためにアンパン一つずつを配ったのだそうだが、その程度のサービスでは、大臣の誠意が感じられないと、職員の士気も下がり気味だったとか・・・。
また、ある大臣は、部下の全職員にうなぎ弁当を配ったそうで、大変な赤字になってしまったそうだ。
正しく、大臣職は名誉職であり、資産の乏しい議員などにはおいそれとは務まらない仕事なのかもしれない。
先日、我が家を訪ねてきた長野市在住の女性が、
「たまたま長野市民新聞を取っている人から新聞を借りて読ませてもらったら、ちよみさんの小説が載っていてビックリした。今度、うちも取らせてもらおうかな?」
と、言って下さった。
ぜひ、よろしくお願いしますと、返事をした。
小説の感想を直に聞くことが出来て、とてもありがたかった。


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お飾りさ~~~ん!
2012年12月28日
お飾りさ~~~ん!/(゜Д゜)\
昨日、買い出しで買って来た鏡餅(お飾りさん)二つのうち一つを、弟一家に持たせた。
すると、今日になって父親が、
「お飾りさん、一つは神棚に飾るが、もう一つ店に飾る分が欲しい」
と、言い出した。
「お飾りさんぐらい、何処にでもあるから買っておくよ」
と、答えたが、二十九日はくんち餅といって縁起が悪いので、今日のうちに買ってこいという。
そこで、近所のお店へ行ってみたが、普通の切り餅は売っているものの、鏡餅は置いていないという。
このブログにも再三書いたが、我が家の近所にあったスーパーが軒並み閉店したために、そのお店以外で鏡餅を売っているところが思い付かない。
「この街じゃ、正月用品も揃えられないのか!?」

もう、父親は怒り始めている。
聞くところによれば、自動車がない家では、お正月の準備が出来ないために、松飾りもお節もお供えもなしだということだった。
仕方がないので、面倒くさかったがまた車を出した。
しばらく行ったところの日用雑貨量販店で、ようやくお飾りさんをゲット!
お飾りさん一つのために、朝から大騒ぎだ。
ホント、疲れる・・・。

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今日の雑感 12
2012年12月27日
今日の雑感 12

「つい先日、田宮さんが退院しました。だいぶ回復したみたいでね……。退院する際にはもう車椅子ではなく、杖をついて歩けるほどまでには回復したみたいです」(田宮の知人)
今年4月にくも膜下出血のため倒れ、都内の病院に入院していた田宮五郎(45)。あれから8カ月、ついに彼が退院したのだ。退院には、恋人の浅野ゆう子(51)も付き添っていたという。
田宮五郎は、田宮二郎(享年43)の次男。彼と浅野の真剣交際をスクープしたのは「女性自身」6月26日号でのことだった。5月に病状が伝えられた際には「リハビリは3カ月程度」とも報じられていたが、症状は思うように改善しなかった。入院から3カ月後の7月には、リハビリ専門の施設に転院している。
「田宮さんは『半年後には復帰できるよう頑張りたい』と言っているようでしたが、医療関係者からは『俳優復帰へのハードルは高い』という厳しい意見が多かった。しかし、彼は決して諦めようとはしませんでした」(インターネット・ニュース)
今後の療養は浅野さんの家か、田宮さんの家のどちらかで続けるということのようだが、田宮さん自身は、ラジオあたりから芸能界への復帰が出来れば・・・と、希望しているらしい。
まあ、いずれにしても、杖をついて歩けるまでに回復したというのは、良かった。
自分の足で歩くことと、車椅子では、身体の回復力も免疫力もまったく変わってくるといわれる。食事だって、口から食べるのと、点滴や胃ろうとでは、まったく栄養の吸収率が違うのだ。
人間の身体は、実にうまく出来ている。
わたしの叔母も、60代でくも膜下出血を発症し、約半年間の入院をしたが、その後杖をつきながらのリハビリを経て、元通り(ある意味、元通り異常か?)まで回復した。
再発の危険性がないわけではないので、急激な運動や焦りは禁物だが、田宮さんはまだ若いので、十分回復の望みもあるはずだ。
これからは、とにかく焦らないこと。イライラしないこと。
昨日出来なかったことが今日半分まで出来る----という薄皮をはがすような日々の成長を喜びとしながら、頑張ってもらいたい。
五年後を目標に、まずは一歩一歩----だね。

ところで、女は本当に現金だ・・・と、思うことがある。
ご主人が生きていた時は、高慢そのものでツンケンしていたのに、亡くなった途端に人が変わったのかと思うほど低姿勢になった近所の主婦は、自分がどれだけご主人という後ろ盾で守られていたのか、ようやく実感できたそうだ。
女性の中には、とかく、夫や嫁家の地位や権力を我がものと勘違いする人がいる。
自分は、単に縁あってそこへ嫁いできただけという気持ちをいつしか忘れ、まるで、もともと家の財産さえも自分が築いてきたような錯覚に陥ってしまうのだ。
しかし、周囲の人たちが妻である女性に一目置くのは、本来持っているその女性の徳や人望からではなく、夫の人柄や先代から受け継がれて来た家の格式であることを自覚しなければならない。
それが判らない女性が、世の中には多すぎる。

長野市民新聞に新連載始まる
2012年12月27日
長野市民新聞に新連載始まる

長野市民新聞に、
地域医療最前線~七人の外科医~
シリーズ2
雪 線(スノーライン)
の連載が始まりました。
熱血青年外科医・高林大吾と、先輩外科医たちの新たな挑戦にご期待下さい!!
ご愛読のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。<(_ _)>

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今日は、久しぶりに買い出しに出た。
日用雑貨店は、お正月用の鏡餅や門松などを買い求める客で、たいそう繁盛していたが、スーパーでは、このところの不景気を反映してか、お節料理コーナーがやや小さめになっているような気がした。
お正月のお節に使う練り物製品などは、縁起ものとあってこの時季は軒並み値段が高いので、高齢の買い物客たちはあまり手を出したがらない。
どうしても必要な家の外に飾る松飾りなどは、いつも通りに買うが、家の中で食べる食材の方には、あまりお金をかけないようにしようという倹約気風が如実に見て取れた。
お雑煮に入れる筍や三つ葉も、値段が張る高級物よりも、一つ100円前後のものが良く売れているようだし、切り餅も一袋600円ぐらいのものが多く出ているらしい。
長引く不況は、日本の風物詩をも庶民の手の届かないものにしてしまっているようだ。
テレビ欄を見ても、今までのお正月番組とは明らかに違う点がある。
深夜帯の映画放送数が極端に減ったことだ。
レンタルDVDの影響やテレビ離れが広がったせいだとも思えるが、テレビで放送されるお正月の映画を楽しみにしている人たちには、非常に残念なことである。
もう、テレビを観ながらお正月を迎えるという時代ではないのかもしれないが、ますます日本から季節感がなくなって行くような寂しさを覚える。
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クリスマス・ディナーは何のため?
2012年12月26日
クリスマス・ディナーは何のため?

この国は、年末にやることが多すぎて毎日バタバタだ。
なのに、異常な寒気の影響で、身体が思うように動かない。
温泉に入っている時が一番ホッとする。
寒さで頭が痛くなるというのは、こういうことを言うんだろうな。
今年は、不況風が激し過ぎたせいか、テレビでもクリスマスを盛り上げるような企画はあまりなかったような気がする。
そういえば、知恵袋にも何だか良く判らないような投稿があった。
ある女性が、彼と一緒にレストランでクリスマス・ディナーをしたんだけれど、彼がちょうど会社の人事で希望の部署に入れず、とんでもなく落ち込んでいたというのだ。
女性は、この日のディナーを心から楽しみにしていたそうで、彼のためにプレゼントまで用意して優雅な時間を過ごそうとしていたのに、彼の表情は沈鬱なまま。
少しも楽しそうじゃない彼に対して、

「わたしの気持ちも知らないで、何を聞いても上の空。こんなクリスマス・イブを過ごすはずじゃなかったのに、何なのこの態度。せっかくの食事が台無しよ」
と、怒りがおさまらないのだという。
この相談に回答者たちからは、
「人の気持ちを察することが出来ないのは、むしろあなたの方。彼の気持ちを考えれば、クリスマス・ディナーなんかに来たくはなかったのが本音でしょう。それでも、あなたとの約束を守って来てくれているのだから、落ち込む彼を慰め元気付けるのが、彼女であるあなたの務めのはず。それを、気分を台無しにされて面白くないとは何事ですか」
との叱責の声が大半だった。
女性は、恋人とのクリスマス・ディナーにきらびやかな夢を描くもの。何日も前から着て行くドレスや化粧にも気を配り、中には、わざわざ美容院へ行ってドレスアップする人もいるだろう。
この女性は、その夢と努力が水の泡となってしまったことに、怒りがおさまらないのかもしれないが、確かに彼女の視野の中には彼の存在は皆無のようである。
投稿記事を読むにつけても、彼女にとって彼は、クリスマス・ディナーを楽しむためのおしゃれアイテムの一つでしかないような印象を受けた。
そういえば、以前、結婚式でお気に入りのウエディングドレスを着たいばかりに、好きでもない男性との結婚を承諾したという女性の話を聞いたことがある。
綺麗な着物を着て人前に出たいがためだけで、仲人を引き受け続ける女性もいるそうだ。
女性のおしゃれにかける執念はすさまじい。
この投稿者も、きっとその類の一人だったのだと思われる。
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今日の雑感 11
2012年12月25日
今日の雑感 11

近頃流行りのメンタリズムで、他人の心を自由自在に操るという特技を持っている人たちに対して、北野武氏がこう言った。
「そんな力があるなら、戦争をなんとかしろよ!」
本当だ。
それだけの力があるのなら、人間の性ともいえる憎しみや恨み、嫉妬などもどうとでもコントロール出来るはずである。
メンタリストと呼ばれる彼らは、どうしてそれをしないのだろうか?
単にスタジオゲストを驚かせるだけではなく、その技術をちゃんと世の中の役に立てて欲しいものである。
わたしは、どうも昔からマジックとかサーカスのようなエンターテイメントにいま一つ乗れない。
心から驚いたり感心したりすることが出来ないのだ。
「あ~~、すごいね。大したもんだね」
とは思うのだが、必ずタネがあると判っているので、頑張って考えたんだろうな・・・と、その努力の方に関心が行ってしまうからなのかもしれないな。
気功で屈強なアメフト選手たちを次々と倒した男性も、
「わたしの目を見て!」
と、選手たちに言っていた。これがどうやら、ミソなのだろう。
何故なら、以前観た番組で、ある気功の達人に相撲で挑んだタレントが、まったく達人の顔を見ないままに姿勢を低くして突進し、脚を取る形で苦もなく倒してしまったことがあった。
何事にもカラクリはあるようだ。

お年寄りにお金を使ってもらうためには
2012年12月25日
お年寄りにお金を使ってもらうためには

NHKの討論番組で、自民党の石破幹事長が言うには、
「給料も少なく使うお金がない若い人たちへお金を移すには、お金を持ってはいるものの将来への不安から使おうとしない高齢者に、どうやってお金を使ってもらうかを考えなければならない」
とのことだった。
確かに、高齢になれば身体も若い頃のように動くわけでもないので、旅行やスポーツにお金をかける人は少数だ。
加えて、流行を追うといった好奇心や興味も薄れているので、新商品に対する購買欲も薄いし、買った物が本当に自分のためになるのかを一番に考えるので、単なる冒険心から消費をするような真似もしない。
唯一お金を使うとすれば、子供や孫のためであるが、加速する少子化のためにこれもあまり期待できない。
石破幹事長は、
「とにかく、高齢者に安心した生活を約束出来ればお金を使ってくれるのだろうから、そこが重要なのだ」
と、説明する。
実に、介護保険料は年金から天引き、しかもその年金自体も減らされるとなれば、ますます財布のひもは固くなり、最低最小限の生活費しか使わないというデフレスパイラルは止まらない。
これは、かつて双子のおばあちゃんタレントとして一世を風靡した故・蟹江ぎんさんの娘さんたちが言っていたことだが、
「日々摂生して病気や寝たきりにならず、介護や医療をほとんど受けない元気なお年寄りには、給付金の一割でもいいからご褒美として返して欲しい」
これが多くの健康なお年寄りたちの本音ではないだろうか。
そのご褒美が、また一年元気で過ごそうという生きる励みにもなるはずだ。
高齢者にお金を使ってもらいたいと考えるならば、手っ取り早くこんなことから始めてみても良いのではないかと、ふと思った。
今年、感動したことありますか?
2012年12月23日
今年、感動したことありますか?

高齢の人たちの話を聞いていると、実に似たような言葉を使っていることに気が付く。
テレビで料理番組を観ていても、
「あんなやり方、あたしは前から知っているわ。ああ、あんなんじゃダメだ。あそこであんなことしちゃ、せっかくの味が台無しだよ」
「あのあと、誰が片付けるの?板前さんは弟子にやってもらえばいいんだから気楽なもんだ」

「あんなに手の込んだことをしなくても、あれとあれを混ぜれば簡単に同じ味になる。あれで料理研究家なんて、笑うわ」
などなど、だいたいがダメ出し突っ込みのオンパレードだ。
一人でも、
「へ~~、あんなやり方があるんだね。知らなかった。今度試してみようかな?」
と、いうような新しい発見や驚きを口に出す人はほとんどいない。
若者と高齢者の一番の違いは、物事に対してどれだけ感動したり感心できるかということだそうである。
多くの感動や感心が出来る人は、気持ちが若い証拠なのだという。つまり、生理機能が感情面に及ぼす影響はバカにならないということのようだ。
高齢者は、若者に比べて自分の流儀や概念に固執する傾向があるというが、これは、加齢によって身体に機敏性や柔軟性がなくなってきているという証明でもあるそうだ。
また、それは即ち、新しい物事を許容する心の余地が少なくなってきているということでもあるのだという。
今回の総選挙で自民党が躍進し、第三局の維新や未来が思ったよりも得票数を伸ばせなかったことも、こうした理由に基づくものだという意見もある。
高齢になるにつれて、変化を望まなくなる傾向は顕著になる。上記の料理番組への反応でも判るが、年を重ねると新しいことを覚えたり実践するのが煩わしくなるために、自分のやって来たことだけで十分だと考えるようになる。
あなたには、今年、我を忘れるほどに感動したことがあっただろうか?
自分だけの世界に浸れて夢中になれる何かを持っているだろうか?
これまでの人生では体験したこともないような、まったく新しいことにチャレンジするだけの好奇心とズクがあるだろうか?
それがある人は、まだまだ精神は老け込んでいないということなのだそうである。
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