屋根の上の散歩者
2012年07月12日
屋根の上の散歩者

昨夜から我が家の屋根や隣近所の屋根の上を飛び回っていたサルたちは、深夜の大雨の中もずっとそこにいた。
鉄階段の軒下で雨宿りをしていたサルもいたようで、一晩中「キキッ」というような声を上げて騒いでいたので、明け方雨が上がった頃、部屋の窓ガラス越しにその様子を見てみた。
すると、正に目の前の屋根にサルたちがじっと座っている。
一匹は、まだ子供らしさが残る若いサルで、そのサルから少し離れたところには、胸に生まれて間もない子ザルを抱く母親ザルが。
それから、もう少し離れた屋根の上には、堂々たる体格のオスとおぼしきサルがいた。
どうやら、サルたちは一家族で、何かの理由で、山のサル社会から追い出されたのではないかと思われる。
しかも、このサルたち、よく見ると地獄谷野猿公苑のサルとはちょっと顔立ちが違うようなのだ。
顔は丸く、毛並みもふさふさとしていて、明らかに地獄谷のサルよりは顔つきが穏やかだ。
ただ、母親ザルだけは、地獄谷野猿公苑のサル特有の面長の顔をしていた。
そこで、これはあくまでも推測なのだが、オスザルは誰かに飼われていたペットで、それが逃げ出し、そのオスと偶然出会った野猿公苑のメスザルが共に山から脱走し、子供をもうけたというようなことなのではないだろうか?
屋根の上を悠々と散歩はするものの特段悪さをするわけでもないサルの一家は、その後日が高くなる前に何処かへ姿を消した。
また山から街中へ下りて来て、猟友会が出張ることにでもなればそれも可哀そうだ。
サルたちには、里山の中で餌を見付けて欲しいものである。
因みに、昨夜、この辺りにサルが来ていることを我が家へ教えてくれた近所の人は、飼い犬が不審を察知して屋根の上を見るように促したので気が付いたのだそうだ。
「老犬でも、一応番犬の役目は果たさねばとの思いがあったのかな?」
と、その人は笑っていた。
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杖、使いませんか?
2012年07月12日
杖、使いませんか?

我が家の前を、毎日二往復する高齢の女性がいる。
一度目はご主人を外湯へ入浴させるために、女性が付き添って来るのだ。
そして、二度目は、女性自身が入浴するために、独りで共同浴場までやって来る。
その女性の家から共同浴場までは片道五、六百メートルはあるだろう。
高齢者にとってみれば、往復はかなりきつい距離である。
ご主人はこのところめっきり足が弱くなってしまったので、一人でこの距離を歩いて来るのは大変だということで、毎日奥さんも同行するわけである。
もちろん、洗面器などの入浴道具は奥さんが持ち運ぶ。
ご主人は、手ぶらでやっと歩いている状態である。しかしながら、そのご主人が杖をついたりしている姿を見たことはない。
杖をつけば、一人でも共同浴場まで歩くことは出来るのではないかと思うのだが、そうはしない。
どうも、杖をつくということがご主人にとってはこの上もなく恥ずかしいことのようなのだ。もう、年も年なのだから、杖をついても、シルバーカーを押しても、何も不思議なことではないと思うのだが、それがどうしても出来ないらしい。
高齢女性の中には長距離を移動する時、シルバーカーを使う人は多い。
しかし、どういう訳か、足の弱い男性高齢者でこれを使用する人はほとんどいないのである。
杖をつくことにも、女性以上に男性には抵抗があるようだ。
そこで、意地でもそういうものに頼ることなく歩こうとするのだが、やはり限界があり、必然的に奥さんに負担をかけることになる。
見栄を張らずに補助用具のお世話になれば、もっと自由に外へ出て行くことも可能なのだろうが、男の沽券がそれを許さないのだろう。
わたしも脚がよく動かなかった時は、しばらくの間杖を使っていた。
杖は、本当に便利だし、これを使うことで家に閉じこもってばかりの生活が少し変わり、歩行訓練が出来るようになって行動範囲も広がった。
杖を使うことは決して恥ずかしいことではない。
格好など気にしている場合ではないと思うのだが・・・。
*** 写真は記事と何ら関係ありません。 続きを読む
「ぼくの夏休み」って、誰向け?
2012年07月11日
「ぼくの夏休み」って、誰向け?

ご近所で小学生を持つママ友たちが話していた。
「『七人の敵がいる』のあとに始まった、昼ドラの『ぼくの夏休み』って、観てる?----あれって、子供向けのドラマじゃないんだね」
「ああ、あたしも観た。少年ドラマのようなタイトルで、平成から戦時中へタイムスリップした小学生の兄妹の話だって聞いたから、子供といっしょに観ようと思って録画しておいたんだけれど、あの内容じゃ、とても子供には観せられないわ」
「----でしょ。竹刀で子供を殴るような体罰シーンや大人の情事っぽいシーンもあるし、タイトルにつられて子供に観せなくて良かったと思っている。それに、あれが戦時中の日本人だなんて思い込まれたら、困るもん」
「そうだよね~。もっと、子供向けの楽しくてワクワクするような内容かと思っていたら全然違うし、ドラマ全体がとにかく暗い。主人公の兄妹はいつも泣いているし、テーマ曲が由紀さおりの『夜明けのスキャット』って、ど~なのよって感じだよね」
ママ友たちの会話を聞いて、わたしも興味が湧いたので、ちょっとそのドラマを観てみた。
確かに、ドラマの内容が暗い。
平成からタイムスリップした小学生(だと思う)の兄妹が主人公なのだが、妹は失語症を装いある診療所へ入院している。
兄は、旅館の下働きとして住み込むのだが、その家の主人や主人の子供たちにとにかく暴力を振るわれたり嫌みを言われる悲惨なシーンが多い。
旅館の仲居とも主人の愛人とも思える若い女も、主人公の少年を言葉汚くののしり殴ったりもする。
少年の心の支えは、母親に似ている旅館の女将(身重)と肝っ玉の据わった大女将なのだが、彼女たちも旅館の主人があまりに横暴なために少年を全面的に助けることが出来ない。
また、この旅館の座敷牢のような部屋には、一度は戦地へ応召したものの傷痍軍人となり帰って来た心を病む長男が幽閉同然にいて、少年はその長男に食事を運ぶ役目をいいつかっている。
そんなある日、その長男に少年は戦時中の日本にはまだ存在しない靴下をはいているところを見とがめられ、転んだ拍子に平成から持ち込んだスマートフォンを見られてしまう。
それは唯一、平成と自分たちをつなぐ母親の写真がおさめられていたスマホだったが、充電器をなくしてしまい使えなくなってしまった。
こんなストーリーが展開して行くのだが、どうせ「ぼくの夏休み」というタイトルにするのなら、大人たちを全面に出すのではなく、もっとこの時代の子供たちをたくさん登場させて、主人公たちは偶然親切な大人に助けられ、国民学校の転校生として通学し、当時の子供たちがどのような暮らしや勉強をしていたのかを、今の子供たちにも判りやすく描いた方が良かったのではないかと思った。
これでは、せっかくのユニークなSFドラマが台無しでないかと感じた次第である。
とにかく、この昼ドラをタイトル通りにとって、夢のある少年SF物だと思ったら完全に裏切られるので、小学生や中学生の子供さんに観せる時には注意する必要があると思った。

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都合の良い女
2012年07月11日
都合の良い女

ヤフー知恵袋の質問に、半年前から好意を持っていた同じ職場の上司に告白してしまったという27歳女性からの投稿があった。
上司は36歳の男性。すると、この上司からは、「彼女としては違う気がする。今は彼女作る気ない」との返事が・・・。
上司も自分のことを好きだと思うと、彼女自身は感じている。
だから、告白するまでは、一緒に買い物に行ったり、ご飯を食べに行ったこともあったのだが、告白後は上司の職場での態度に特別変化はないものの、何となく彼女に対しては冷たくなったように感じるという。
「告白する前に決めていた一泊二日の旅行にも二人で行く予定だが、上司にどのように思われているのかまったく判らないので不安だ。
何事もなかったかのように今まで通りしてるつもりだが、やはり辛いので、自分はどうしたらいいのか?
単に彼にとって都合のいい女なのだろうか?このまま思い続けていいのだろうか?それとも諦めた方がいいのか?
アドバイス頂きたい」
との悩みであった。
しかし、この文章には明らかに矛盾がある。
上司は、彼女からの「好きだ。恋人として付き合って欲しい」という告白に対して、「彼女としては違う気がする。今は彼女作る気ない」と、はっきりと答えている。
にもかかわらず、彼女は、「上司にどのように思われているのかまったく判らないので不安だ」と、思っているのである。
何故、彼女は、上司の返事を素直に受け取らないのだろうか?
「彼女としては違う気がする。今は彼女を作る気ない」というのは、文字通り、「あなたを彼女とは思わない」と、言っているのであって、その言葉に裏も表もない。
この投稿者は、はっきりと振られていることを認めるのが怖いため、このように知恵袋へ相談して、
「まだ脈はあるから、頑張って」
と、回答者たちに励ましの言葉をかけてもらうことを期待しているのだろう。
しかし、多くの回答者の声は、そうそう甘いものではなかった。
「あなたは、正に彼にとって都合のいい女になりかけている。一緒に旅行へ行くなどもってのほか。彼にその気がないのだから、すっぱり別れなさい」
と、いうものだった。
しかも、上司の「今は彼女を作る気ない」という言い方にも注目してみると、これは面倒な女性を振る時の男性の常套句だと思って間違いがない。
「今は、まだ結婚する気はない」「今は、まだ恋人はいらない」
男性がこんな言い方をした時、心理学的に見れば、「今はその気はないが、今後はどうなるか判らない」と、いう意味であり、十中八九こう答えた男性には、既に意中の女性がいるものなのである。
もしも、この女性がこれに気付かず一縷の希望を信じて上司と付き合い続けた場合は、かなりの確率で痛い思いをすることになるはずだ。
上司の方には、「彼女とは思えない」と、伝えたにもかかわらず付き合い続けるのだから、女性の方も自分は遊び相手なんだと割り切っているはずだ----と、いう思いが生まれるのは致し方ない。
自分が振られたと認めることは辛いだろうが、ここは現実を直視するべきだと、大半の回答者は忠告していた。
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地 震
2012年07月10日
地 震

ワイドショーを観ながらお昼ご飯を食べていたら、かなり大きな横揺れ。
我が家はガラスだらけなものだから、ガタガタという音が激しくてちょっと緊張した。
二階の部屋では、タンスの扉が開いていたが、さほどの被害はなし。
役場からのスピーカー放送も、相変わらず何を言っているのか判らない。
でも、ベランダへ出て電線にとまっているツバメの様子をみたところ、何羽も寄り添うようにしてはいたものの、特段パニックの気もないので、まあ、大したことにはならないだろうと勝手に判断。
洗濯物を家内へ取り込んだ。
テレビの国会中継は地震速報に切り替わり、中野市、木島平村が震度5弱と伝えていた。
その後、何度も大きな余震が来ていたが、そこへ、弟から電話。
「大丈夫か?」
と、訊くので、タンスが開いたことを報告してから、そっちはどうかと訊ねると、
「会社の三階にいたので、揺れがすごくてパソコンが机の上でバタバタしていた」
とのこと。でも、大した被害はなかったらしい。
これから、地震の取材に飛びださなければならないことになるのだろう。
ただ、NHKのテロップ表示によれば、中野市民体育館の窓ガラスが割れたそうで、長野電鉄線は運行中止、高山村役場近くは停電、長野都市ガスも一部でガス供給が止まったらしい。
奇しくも昨日、新潟県の柏崎刈羽原発(東京電力)が被災した場合のシミュレーションを県内テレビが放送していて、ヨウ素剤備蓄状況に関するニュースも流れていたので、まずは、そのことが気になったが、今のところ同原子炉に異常は見られないとのことだった。
しかし、今回は、上越地域も震度4とかなり大きな揺れがあった訳で、やはり原発再開は一考の余地ありではないだろうか。
何か、日本の国土が電力会社や国に対して、
「地震を甘く見るな!」
と、警鐘を鳴らしたように思える。
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気疲れすること
2012年07月09日
気疲れすること

ちょっと、ぼやかせて頂きたいと思う。
わたしは、他人が飼っているペットの名前を呼ぶ時、異常に気疲れしてしまうのだ。
わたしにとってみれば、犬も猫も鳥もウサギや馬も、同じ動物にしか過ぎないので、名前はすべて呼び捨てにする。
ところが、近頃の愛ペット家たちは、ペットのことを自分の家族同然に思っているので、呼び捨てでは困ると、名前に敬称を付けることを暗に求める風潮があるからだ。
だから、わたしは、そういう面倒くさいことをあえて避けるため、必要以上にペット自慢をする飼い主に対しては極力その話題を持ち出さないように努めている。
犬や猫に「ちゃん」を付けて呼んだり敬語を使うなんて、正直いい大人がすることではないと感じているし、人間同然に動物を扱うのも、子供たちへの教育上良くないとさえ思っている。
そして、こういう記事を書くと、決まって一応抗議のつもりか犬や猫を飼っている一部ブロガーが「足あと」をつけに来るのだが、何故かコメントまでは書き込もうとしない。
つまりは、自分たちのペット愛は行き過ぎだと、反省すべき部分があることを自覚しているのだろう。
自分の飼い犬や飼い猫を呼び捨てにされても、それは当然だと思っているし、わたしたちも隣家のペットだからと言って無暗に可愛がったりはしない。
怒る時はしっかりと怒るし、苦情があれば飼い主にはっきりと言う。
かつて我が家の駐車場で犬に勝手にフンをさせようとしていた飼い主を、叱りつけたこともあった。
それが動物に対する本来の人間の態度だと思うからだ。
とはいえ、以前も何度も書いて来たことだが、わたし自身は動物が大好きなので、気に入ったペットがアップされているブログは、欠かさずと言っていいほどのぞかせて頂いている。
また、馬に魅せられて馬場へ通ったこともある。
我が家でもかつては、猫を飼い、小鳥に至っては数十羽も飼っていた。
捨て猫を拾って来て育てたこともある。
大学時代は寮生活だったので、捨てられている子猫を見付けても保護できずに悔やんだこともあった。
むろん、他人が我が家の猫や小鳥を呼び捨てにしても、もちろん何とも思わなかった。
いつから、日本人はそういう普通の感覚を忘れてしまったのだろうか?
何とも、奇妙な世の中になったものである。(-_-;)
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理解できない
2012年07月09日
理解できない

共同浴場から外へ出た瞬間、雨上がりの道路を走って来たワゴン車が、思いっきり水溜りの泥水をはね上げた。
その泥水が、せっかくきれいに洗ったばかりの素足に、
バシャッ!!


と、かかった。
ワゴン車のドライバーは、何もなかったかのような顔でまっすぐ前を見詰めたまま走り去る。
な、なにをしてくれるんじゃ~~~!!(ーДー;)
無性に腹が立ったが、このままでは気持ちが悪いので、再び外湯のドアを開けて中へ入り、湯船のお湯をザバザバ脚にかけて洗い直した。
そして、濡れたタオルで汚れたサンダルも拭くと、ようやく家へ帰ることが出来た。
まったく、雨降りの時季は、近くに人がいるかどうかを確かめ、気を付けて運転して欲しいものだ。
この間、テレビ番組でダメな女性のタイプをランキング形式で取り上げていたのだが、その中の上位に「ペットを愛し過ぎて離婚する女」という項目があった。
ある犬好きの主婦は、夫の転勤が決まり「お前も一緒に来てくれ」という夫に対して、
「何かあったときに預けることが出来るドッグホテルが変わると、愛犬がパニックを起こすかも・・・。そうなればワンちゃんが可哀そうなので、あなた一人で単身赴任して」
と、答えたことが原因で離婚になったと言っていた。
こんなペット中心の生活を送る女性は最近日本中で急増しているそうで、彼女たちの言い分としては、
「人間はいつも一緒にいてくれるとは限らないが、ペットは絶対に裏切らない。子供よりも愛している」
と、いうものであるらしい。
つまりは、自分以外はたとえ夫や子供でも信じられないという孤独な女性心理が影響しているのだそうだ。
そのために、最愛のペットに先立たれた女性は、身内が亡くなるよりも激しいショック状態に陥ることが多いようで、「ペットロス」によるうつ症状まで発症することがあるらしい。
しかも、そういう女性たちは、一般的に犬や猫が好きなのではなく、あくまでも自分の飼い犬や飼い猫だけを愛しているのである。
だから、他人の犬や猫はあくまでもただの犬や猫なのだが、自分が飼っているペットだけは特別な「子供」なのだ。
「近頃、震災後の絆という言葉が何処か空々しく聞こえるのは、こういう自分勝手なペット好きばかりが多くなったせいなのかもね」
別番組でも、コメンテーターを務めるあるタレント女性がため息交じりに呟いた。
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高校野球の不思議
2012年07月08日
高校野球の不思議

雲はわき光あふれて 天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ・・・
高校野球の夏がやって来た。
高校野球と言えば、まだ20代前半の頃、「ああ、紺碧の空高く」という高校球児たちを主人公にした新聞連載小説を書いていたこともあったな。
ところで、「たかじんのそこまで言って委員会」で、元某高校野球部監督が高校野球にまつわる不可思議な疑問点を様々あげていた。
この元監督は、甲子園大会で推薦枠で出場した高校に、自分のチームが負けたことを悔やみ、
「推薦枠になど負けるとは思わなかった。腹を切りたい」
との暴言を吐いたことが問題視され、監督をやめた経緯のある人だ。
この元監督が説明するには、高校野球で大活躍した選手も、ひとたびプロ野球選手になれば、たとえ母校へ来てもグラウンドへは一歩たりとも入れないし、もちろん後輩の練習に付き合うことなど絶対にしてはならないのだという。
中学生まではプロ野球選手や元プロ野球選手にコーチをしてもらうことも可能なのだが、高校野球や大学野球では、これが許されていないのだとか。
そのため、もしも父親が元プロ野球選手の場合、息子が野球部へ属していても、決して息子に野球を教えてはならないし、家の中で野球に関係する会話さえ基本的にはNGなのだそうである。
最近は、プロ野球選手も母校に限り後輩と一緒にランニングなどの練習をすることを許されるようになったそうだが、こんな理不尽な規則は、早く撤廃して欲しいと元監督は話す。
さらに、高校野球では、生徒が別の高校から転校し越境入学した場合、その生徒が野球部へ所属しても公式戦への出場は一年間認めないというようなルールもあるそうだ。
この際、親の転勤などで家族も一緒にその土地へ移り住んだ場合は、例外として出場を認める場合もあるそうなのだが、それにもかなり厳しい調査がなされるということであった。
以前、わたしが聞いた話では、プロ野球はお金を稼ぐという目的のためのスポーツであるから、アマチュア野球規定に照らしてみれば、崇高なスポーツマンシップに反した者たちだと見なされるのだという。
ある野球評論家は、プロ選手は、金で身売りする「男芸者」にたとえられていたこともあると、プロとアマチュアの確執について語っていた。
サッカーは、プロ選手が高校生を指導することも許されているのに、どうして野球だけはいけないのか?
多くの高校球児たちの最終目標はNPBへ行くことである。
それには、実力のあるプロ選手から教えを請いたいと思うのは当然のことなのに、それが許されない今のシステムは日本の野球の未来を潰しているも同然だ----と、元監督は言いたいようであった。
とはいえ、全国高校野球選手権大会は主催者が新聞社で、テレビの甲子園中継には今や民放も参入し、多くのスポンサー出資で成り立っていて、しっかり興行の色合いが濃いのだから、ほとんどプロ化していると言っても過言ではないはずなのだが・・・。
高校野球の不思議は、数え上げればまだまだ出て来そうだ。
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相手に良く思われるには・・・
2012年07月08日
相手に良く思われるには・・・

ようやく意中の女性と一緒に食事をすることが決定。
ここまで漕ぎ付けるには、涙ぐましい努力をしたものだ----と、いうのは少々オーバーだが、それでもせっかく掴んだチャンスをものにしない手はない。
今回のデートがうまく行けば、念願の恋人同士になることだって夢じゃない・・・かも。
ということで、初めて二人で食事をする店を選ぼうとした時、気を付けたいのがテーブルの形である。
選んだレストランが四角いテーブルばかりの店だとしたら、それは、一考の余地があるかもしれない。
四角いテーブルは、まだそれほど親しくない間柄の場合、必然的に向かい合って座ることになる。
こうした向かい合いの席というものは、普通ビジネスライクに会話をするような場合は良いのだろうが、これから相手との親睦を深めようという時には、あまり適さないものなのだそうだ。
たとえば、これから別れ話を切り出そうという恋人たちが、肩を並べて腰かけるということはまずあり得ないように、
真正面から目を見詰めあうというのは、下手をしたら敵対心を懐き兼ねないポジションでもある。
テーブルが少し大きめの場合は、テーブルの角を挟んで腰かけるということも出来るのだが、カップルがレストランのテーブルでこうした位置どりで食事をしていることは、あまりない。
やはり、自分の印象を相手に良く思わせたい時に必要なアイテムとしては、丸テーブルがお勧めなのだそうである。
丸テーブルは、その形からして相手に警戒心を懐かせにくいということで、ここに向かい合って座っていても、四角いテーブルほどの緊張を強いることなく会話を弾ませることが可能なのだそうだ。
また、少し近付くにしても、テーブルの角がないので違和感なく距離を縮められるというメリットもある。
あまり敷居が高くない雰囲気のレストランで大きすぎない丸テーブルを囲む。
これが相手に好印象を与えるための、ちょっとしたコツなのだそうである。

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成功の秘訣は・・・
2012年07月07日
成功の秘訣は・・・

試験でも、競技でも、一番になろうと思うのは、プレッシャーがかかるものだ。
プレッシャーに負けて、まったくいつもの実力が出せなかったということは良くある。
そういう時は、一番になろうと思うのではなく、「上位へ入ろう」と、自己暗示をかけておくことが大切なのだそうだ。
よく「目標は八位入賞です」という選手の言葉を聞くことがあるが、これも、八位と具体的な順位を目標にしてしまうことで、やはりプレッシャーがかかるのだとか・・・。
つまり、あくまでも漠然と「上位」としておいた方が、自分の想像性を発揮でき、リラックスして試験や競技に臨めるのだそうだ。
万年二位と揶揄されるような人は、過剰に一位を意識するあまり最後の最後で極度の緊張を強いられてしまい、トップを取れないことが多いそうだ。
最初から、大きな目標をかかげるよりも、まずは少し頑張ればクリア出来るくらいの小さな目標をコツコツ積み重ねることで、いつしか大きな目標も視野に入って来るのだといわれる。
試験にしてもスポーツにしても、まずは手軽な範囲での「上位」を狙う。
それが出来たら、次はもう少し大きな大会などの「上位」を目指す。
それを地道に繰り返すことが、最終的な目標への到達を叶えることにもつながるのだそうである。

健康な人に病気の人の気持ちは判らない
2012年07月07日
健康な人に病気の人の気持ちは判らない

学校内のイジメが原因で生徒が自殺----ということがあっても、学校側や教育委員会は、
「イジメがあったことは把握していなかった」
「まさか、あれがイジメだとは判らなかった」
などというコメントを出すことが往々にしてあるが、これは、心理学的に見れば、ある意味当然のことなのだという。
何故なら、イジメはイジメられた経験がある人でなければ、その正体を完全には認知し得ないからなのだそうだ。
たとえば、病気で苦しんでいる人を、健康な人がどれほど一生懸命看病したとしても、その苦しみの半分も実感は出来ない。
本音を言えば、医師や看護師だって、患者の痛みや苦しさの30パーセントも判っていないのが実情なのだ。
だから、わたしは、医師や看護師も医療のプロになるのなら、簡単な病気ぐらいは一応一通り経験しておくべきだと言ったことがある。
もちろん、命にかかわるような病気やケガまでするべきだとは言わないが、患者の立場から見れば医療のプロには、その程度の経験はしておいて欲しいと思うのである。
つまり、学校にイジメがあるのではないかとの疑惑が浮上した場合、自らがイジメられた経験もなくイジメというものの恐ろしさについて想像すらつかない教育関係者がそれに対する結論を出すことは、お門違いと言わざるを得ないのではないだろうか。
イジメがあるのかないのか、決めるのはイジメの経験がある第三者の判断にゆだねるのが妥当な方法だと説く専門家もいる。
肉体的に病んでいる人に、それを治すために健康な者に対する方法を用いるようなことをしてはならないと同じように、心を病んでいる人に対しても、それと同様のことが言えるのである。
イジメがあるのかないのかの結論は、過去にイジメを受けた経験者や心理カウンセラーなどの専門家も交えて綿密な調査を行ない、慎重に決定するべきことではないかと考える。

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落ち込んだ気持ちを回復させる方法
2012年07月06日
落ち込んだ気持ちを回復させる方法

今、医療機関などで注目されているものに、「グリーフケア」がある。
これは、愛する人を病気や事故で失った家族の喪失感や寂しさを、医師、看護師、心理カウンセラーがそれぞれの知識をもとに、癒して行こうという取り組みのことである。
病院によっては、「グリーフケア外来(悲嘆ケア外来)」というものを設けているところもあるそうだ。
人の悲しみや辛さは、正に千差万別であるから、そうしたグリーフケアにあたる人たちは、ひたすら患者の話に耳を傾けるということが大切なのだそうで、間違っても、
「あなたがそんな風に悲しんでばかりいては、亡くなった人は浮かばれない」
とか、
「もっと、強くならなきゃダメよ」
などという励ましの言葉をかけてはいけないのだという。
そのように落ち込んだ人の気持ちを回復させるためには、黙って患者の言い分だけを受け止めることも大事なのだが、こういう時、音楽の力を借りるという方法もあるそうだ。
医療機関などへ行った際に、館内にクラシック音楽や日本の唱歌などが静かに流れていることに気付いている人もいるだろう。
わたしが入院していた病院の入院病棟にも、そんなクラシック音楽がかかっていた。
音楽には、人の気持ちに微妙な影響を与える力があるので、心理トリックに使うことも出来るのだそうだ。
単調な仕事をする工場などにも、倦怠感や能率の低下を防ぐためにBGMが流れていることがあり、医療機関にも痛みや心の不安を和らげるために音楽は、よく使われるようになって来たという。
ある心理学者は、この音楽療法を使い、一人息子を失ってひどいノイローゼ状態にあった知人を息子の好きだった音楽喫茶に通わせることで、立ち直らせることにも成功したそうである。
そんな音楽療法を行なう時にもっとも効果的な方法があるそうだ。
落ち込んでいる人にいきなり楽しげな明るい曲を聴かせても逆にその辛い感情に追い打ちをかけてしまい兼ねない。
そのために、まずはその人の気持ちに寄り添うような悲しい曲を聴かせ、それから徐々に華やかな曲へと移って行くことの方が、悲しみをいやす効果が大きかったとの実験結果もでているのだとか・・・。
因みに、ノイローゼ気味の人の対症曲としては、ビゼーの「カルメン組曲」や、リストの「ハンガリー狂詩曲」などがお勧めとのことだった。

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ライフセーバーの災難
2012年07月06日
ライフセーバーの災難

米フロリダ(Florida)州マイアミ(Miami)の海岸で、溺れていた男性を救助したライフセーバーが、担当区域外で救助行為を行ったとして解雇された。地元メディアが4日、報じた。
報道によるとライフセーバーのトーマス・ロペス(Tomas Lopez)さん(21)は2日午後、マイアミ北部のハランデール・ビーチ(Hallandale Beach)で任務中に海水浴客から溺れている男性がいるとの通報を受け、救助に向かった。そのときの状況についてロペスさんは、「(現場まで)かなりの距離を走ったが、助けを必要としている人がいるのにノーとは言えないよ」と語っている。
救助された男性は直ちに病院に搬送され、現在も集中治療室で手当てを受けているという。
ところが、この件の報告書を提出したロペスさんは、救助を行った現場が担当区域から450メートル外だったことを理由に解雇を言い渡されてしまった。雇用主は解雇通告の際、「すまないが規則は規則だから」と申し訳なさそうに説明したというが、「耳を疑ったね」とロペスさん。
一方、ハランデール・ビーチへのライフセーバー派遣を請け負うこの会社は、「法的責任の問題があるので指定区域外での業務はできない」と主張し、ロペスさんも規則は知っていたはずだと強調している。
こうして時給8.25ドル(約660円)の仕事を失ってしまったロペスさんだが、もしもまた同じ状況に出くわしたら、同じように行動するだろうと話している。「良心に基づいてしたことだ。自分の倫理感を犠牲にするような仕事は、もう選ばない」【 7月5日 AFP】
何処の国にも理不尽な話というものはあるようですね。
人命優先の仕事をして解雇では、納得行くはずがありませんね。
それにしても、ライフセーバーの業務に規制区域があるとは知りませんでした。
日本でもそうなのかな?
このロペスさんの場合も、担当区域外で溺れている人を発見した時は、その区域のライフセーバーとか海上警察に連絡しなければいけなかったんでしょうか?
そんな時間的余裕がないときだってありますよね。
現実は、ドラマのようなわけにはいかないものですね。

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人を説得する方法
2012年07月05日
人を説得する方法

「料亭政治」という言葉を聞いたことがあるだろう。
「日本の政治は国会で行なわれているのではない。夜の料亭で行なわれているんだ!」
何処かで聞いたような台詞だが、かつての自民党が与党時代の政治は、正にこれだったとも言われる。
どうして、政治家は料亭やホテルの高級レストランへ反対派の議員を呼び出して説得工作などをしていたのか?
それには、やはりそれなりの心理学的意味があったのだそうである。
人は、どういう訳か、何かを食べている時に聞いた話には反論しにくいという心理が働くのだそうだ。
しかも、招待してくれた相手には少なからず気後れもするわけで、加えて食べるという動作への神経の集中が、頑なな思考回路を柔軟にほぐす作用を持っているともいわれるのである。
そして、食事中は、必然的に食べ物が口の中に入っているので、即座の反論が出来ない。
相手の話を聞かざるを得ない状況が、自然と作り出されてしまうのである。
すると、普段は一方的に反対していた感情にブレーキがかかり、もう一度考え直してみようかという気持ちにもなる。
食べ物を口に入れている時は、人間はかなり無防備にもなるのである。
そのため、人を説得するためには、料亭へ誘うのが一番効果的だということもあり、食事の席で敵を懐柔するという作戦が取られていたのだろうと思われる。
そういえば、わたしたちが大学で文芸サークルを立ち上げた時も、話が決まったのは確か新宿のとある喫茶店だったように記憶している。
一緒にやろうと意気投合した相手は、ほとんどそれまで親しく会話をしたこともなかった学生だった。
カウンターの席で横に並んで飲み物を飲んでいるうちに、「うちの大学、文芸部のようなものがないよね」ということに話が発展し、
「だったら、創っちゃおうか」(^_-)
なんてとんとん拍子に話が煮詰まったのだった。
肩を並べて食事を共にするということには、殊に不思議な連帯感をも生み出す力があるようだ。
もしも、あなたが誰かを説得して自分の意見に賛同させたいと思ったなら、こんな手段を使うこともありだということを覚えておいて損はないと思う。

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不愉快という感情
2012年07月04日
不愉快という感情

「あいつは、実に不愉快な奴だ」
あなたにも、そんな風に感じる人は、身の周りに何人かいるのではないだろうか?
それは、おそらく、その相手があなたのプライバシーに平気で踏み込んで来るからではないかと推察する。
プライバシーといっても、別にあなたの部屋へ勝手に上がり込むとか、あなたの携帯電話をのぞき見するなどというような具体的な話ではない。
あなたが自分だけの領域と考えている生活習慣などについて、やたらに情報を得たがるというような類の話である。
男性の中には、奥さんに、「今日は何時に帰るんですか?」と、訊かれるだけでも不愉快になるという人もいるそうだ。
「何時に帰ろうと関係ない。お前にいちいち報告する必要が何処にあるんだ!?」
たとえ、口には出さずとも、そうむかっ腹を立てている男性は、意外に多いという。
妻には、夫の帰宅時間を把握しておきたい理由はもちろんある。
それまでに風呂を沸かしたり、夕食の用意をしておかねばならないからだ。
だが、当の夫にしてみれば、それを訊かれるのは自分のプライバシーをのぞかれることも同じなのである。特別後ろめたいことなど一切ないが、そこまで妻に干渉されなければならないのか----との苛立ちの方が先に立つ。
また、妻が作った料理についてやたらに説明するのが鼻につくという夫もいる。
食卓につくなり、妻が「これは、何処何処の店で買った、100グラムいくらのお肉でね。いつもの味付けじゃ物足りないと思って、こんな香辛料を使って、フライパンで何分焼いてみたの」などの説明を始めるので、うざったくてかなわない。
そんな夫の声も良く聞こえて来るものである。
不愉快とは、一口に言うと、自分の精神的領域に遠慮もなく踏み込んで来る、無神経な人間に対して懐く感情のようである。
つまり、不愉快オーラを発散している人に共通する点は、自分のことしか見えずに、相手の気持ちに対しての気配りが出来ないということのようである。
自分が発する言葉で、相手がどんな反応を示すかを想像出来ない人たちが増えて来たということなのかもしれない。

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観光に携わるなら・・・
2012年07月04日
観光に携わるなら・・・

山ノ内町内を観光客に道案内する時に、説明の目印となるのが橋である。
町内の主要河川として流れるのが渋・安代温泉の横湯川、この横湯川と角間川が合流してなる夜間瀬川だ。
これらの川には、八つもの橋がかかっており、下流から夜間瀬橋、天神橋、穂波大橋、栄橋、星川橋、黒川橋、渋湯橋、和合橋----となる。
黒川橋に関しては、かつて安代橋と呼んでいた地元住民もいるが、現在の安代橋は、安代温泉本通り(堤防沿いではない)にかかる小さな橋のことをいうそうだ。
これらの橋の名前を覚えているだけでも、観光案内はかなりし易くなるはずだ。
だが、町内の観光業に携わる若い人たちの間には、こうした橋の名前や川の名前がうろ覚えとか、ほとんど知らないという人が多い。
志賀高原までの道順を観光客に訊ねられても、橋の名前を知らないのでは伝えようがないのである。
また、渋温泉までの川をすべて夜間瀬川だと思い込んでいる者もいる。
横湯川と角間川が何処で合流するのか判らなければ、橋の説明さえ出来ない。
「おもてなしが大事」と、口を酸っぱくして唱えるにしても、自分たちが住んでいる場所の地図さえ判らないのでは、そんなものは素人の知ったかぶりに過ぎない。
観光客にはおいしい料理を提供して、面白おかしく過ごしてもらいたいというばかりでは、観光のプロの仕事とは言えない。
地域には、地域の伝説にまつわる歴史や独特な文化、地名がある。
殊に、ホテルや旅館業にかかわる人たちには、そうしたことを徹底的に勉強してもらいたいものだ。
因みに、渋温泉の横の川は、横湯川という名前である。
渋温泉の横湯川には、下流から渋湯橋、和合橋とあり、和合橋を渡ると沓野方面へと上り坂が続く。

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共同浴場の湯船の中に・・・
2012年07月03日
共同浴場の湯船の中に・・・

昨日、共同浴場へ行ったら、先に入っていた近所の主婦が湯船の中をのぞいて、
「何か、変なものが沈んでいるのよね」
と、不快そうに言うので、わたしものぞいてみると、湯船の床の一部に真っ白な粉状のものが沈殿していて、その近くには白い湿布薬が沈んでいた。
「今日は、湯払い(掃除)の日だから、せっかく綺麗なお湯に入れると思って来たのに、何でこんなものが落ちているわけ?」
主婦は、実に迷惑そうに言う。
古くからこの辺りに住んでいる人たちなら、もしも湿布薬が浴槽内ではげてしまっても、必ず拾って帰るはずだし、こんな粉状の物体を浴槽内へ散乱させたまま知らぬ顔を決め込むなどということはあり得ない。
「きっと、遠くからやって来た人だね。近頃は、平気で組み内以外の人にも鍵を貸す人がいるから----」
主婦は、そう言いながら、お湯の中のゴミを吸い出すための道具で、その粉状の物をすくいあげた。
わたしも、沈んでいる湿布薬を指でつまんで浴槽の外へ放り投げた。
この時間帯に入浴する人たちはほぼ決まっている。
わたしにも、主婦にも、この落とし物をして行った人が誰なのか、ある程度の予想は出来ていたが、あえてそのことは口に出さない。
でも、二人が同じ人物のことを考えているのは間違いがなかった。
自分が入浴してしまえば、あとから来る人が困ろうがどうしようが関係ないという無責任者の入浴を制限する術はないものであろうか?
それにしても、あの粉状の物体は何だったのだろう?
少々気味が悪かったので、上がり湯を目いっぱいかけて浴室を出た。


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愛を語る人は愛を知らない
2012年07月03日
愛を語る人は愛を知らない

近頃の歌謡曲には、やたらと「愛」を強調する歌が多いと思うのだが、この「愛」という言葉、わたしにはどうもしっくり来ない。
「愛は地球を救う」とか、「愛燦々」とか、「愛は祈り」などなど・・・。
「愛情」というのであれば、何となく理解も出来るが、「愛」という言葉には、何となく眉つばの匂いがしてならないのである。
分け隔てなく接することが「愛」だという人もいるし、他人のために幸せを祈ることを「愛」だと説く人もいるが、問題はそうされた人自身が、それを「愛」と感じられるかということである。
ある心理学者は、自分の著書の中でこう言っている。
「愛を殊更に強調する人は、普通の人より人を愛することが出来ない冷たい人であるらしい。あるいは、普通の人より愛情欲求が満たされない人であるらしい。
皆で愛を合唱しながら、普通の人より愛を与えることも受けることも出来ない人である」
つまり、殊更に「愛」を唱える人は、「愛」という言葉さえ発していれば、それで自分の価値が高まるはずだと思い込んでいる安易な人だといえるのだ。
「愛」を強調する人ほど、お互いの存在には無関心であり、もしも本当に誰かかを助けなければならなくなった時、真っ先に逃げ出すような小心者なのである。
そういう人は、結局、「愛」という言葉に逃げ込んでいるに過ぎないのである。
人が本当に必要としているのは、「愛」などという上辺の言葉ではない。
日々の生活費であり、医療であり、坂道を登るときにさりげなく荷物を運んでくれる手である。
政治家も政治生命をかけるとは言うが、「命」をかけるとは言わない。
(野田総理は、今回の消費税増税問題において、それらしき発言をしたそうだが、とても本心から出ている言葉とは思えない)
「愛」を語る歌手も、「私には歌しかないので、被災地の人を元気付けるために歌うだけだ」というが、「被災地の人が好きな歌を歌う」とは決して言わず、結局、自作の訳のわからない歌を歌って自己満足しているだけのことである。
「愛」など語る必要はない。
人が心から欲するものは、格好の良い「愛」などではなく、不器用でも実のある「情」なのである。

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小腹が空いたので・・・
2012年07月02日
小腹が空いたので・・・

小腹が空いたので、こんなお手軽ピザを作ってみました。
8枚切りの食パン一枚をオーブントースターへ入れて焼きます。
その間に、器にケチャップと砂糖、水(ほんの少し)を入れて混ぜ、ウインナーソーセージを切り、玉ねぎの皮をむいて輪切り(スライス)にしたものをボールの水にさらしておきます。
食パンがほんのりキツネ色に焼けたら、オーブントースターから取り出して、その一面へ先ほど混ぜたケチャップを薄く塗り、水にさらしておいた玉ねぎをトッピング。
その上へマヨネーズ少々をかけ、さらにとろけるチーズ半枚(もしくは一枚)をかぶせ、そこへ切っておいたウインナーソーセージを散らしたのち、再びオーブントースターへ。
そして、さらに加熱。
チーズがとろけて、ウインナーソーセージが焼けてピチピチ言って来たら、出来上がり。
お好みでタバスコかけて召し上がれ。
因みに、わたしはグリーンのタバスコが好きです。
とろけるチーズがない時は、玉ねぎのスライスの上へウインナーソーセージを載せ、そこへマヨネーズを少し多めにかけてオーブントースターへ入れても、ピザとはまた趣の違う味でおいしいです。
写真は、ウインナーソーセージ、やや載せ過ぎですな。

暇がある時に何枚か作り置きして、ラップやアルミホイルに包んで冷蔵庫や冷凍庫へストックしておくと、後日電子レンジやオーブントースターで加熱するだけで食べられるので便利ですよ。
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イライラした時の対処法
2012年07月02日
イライラした時の対処法

イライラする----と、一口で言っても、その原因は千差万別。
虫が好かない奴がいるとか、子育てが煩わしいとか、義父母との折り合いが悪いとか、会社の上司の説教が癇(かん)にさわるとか、体調が悪いとか、ホルモンバランスが乱れているなんて時も、イライラは起きるそうです。
でも、よくよく考えてみると、そんなイライラの原因が一つということはないはずです。
たいてい、イライラする時は、最も根本的なわだかまりを中心に据えて、その周囲をもう少し軽い原因要素がいくつか明滅しているような場合なのだといわれます。
あれもこれもと煩雑に物事が入り組んだ状態の時、人は特にイライラ感を増大させるのですが、そんな時は、今自分をイラつかせている一番大きな原因は何なのだろうと考えてみることで、苛立ちの正体が浮かび上がって来るのだとか。
つまり、消去法を使うことで、まずそれほどのイラつき原因ではないと思える事柄から一つずつはぎ取って行き、最後に残ったものが最大の要因であることが見えて来るのだそうです。
たとえば、こんな具合に。
子供の塾代を払わなければならない----これは、明日、銀行から振り込む。
来週末、義理の母親が家へ来る----来週になってから考えよう。
PTAの会合に出席しなければいけない----この日は午後からなら可能だから、前日に当日の午前中は欠席するとの連絡を入れる。
でも、まだ何かイライラする・・・原因は何だ?
そうだ、お腹が空いていたんだ。何か食べよう。

こんな具合にです。
どうです?
何となく自分の見詰め方の参考になりませんか?

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