思い込みのトリック・・・・・678
2010年07月21日
~ 今 日 の 雑 感 ~
思い込みのトリック
『思い込みのトリック』----好評につき(?)、またまた出題します。(^_^.)エヘヘ・・・
1) 山田君は、夜ベッドに入ったが、電気スタンドを消し忘れたのでベッドから三メートルほど離れたテーブルの上にある電気スタンドを消すためにベッドを出た。
そして、電気スタンドのスイッチを切り、まだ部屋が暗くならないうちに再びベッドへ戻ることが出来た。
どうして、このようなことが可能なのだろうか?
お答え下さい。
2) ある貨物船のデッキから縄ばしごが垂れて、海面に浮いていた。
縄ばしごの先の方は海中に没していて見えないが、3.6メートルほど波風に揺れているのが見える。
時間がたつにつれ潮が満ち始め、海面は約80センチほど高くなった。
さて、水上に見える縄ばしごの長さは何メートルだろうか?
判りますか?
3) 画廊に飾られている一枚の肖像画の前で、一人の男性がこの肖像画を眺めている。
客の一人が、この男性に訊ねた。
「どなたの肖像画をご覧になっていらっしゃるんですか?」
すると、その男性が答えた。
「わたしには、兄弟も姉妹もいないのですがね、この男性の父親は、わたしの父親の子供なんですよ」
では、男性は、誰の肖像画を眺めているのだろうか?
さあ、お答えください。
答えを早く知りたい方は、『続きを読む』を開けて下さい。
回答は次回へ持ち越し-----などという意地悪なことはいたしません。

あなた、誤解されていませんか?・・・・・677
2010年07月20日
~ 今 日 の 雑 感 ~
あなた、誤解されていませんか?

あなたは、自分が誤解されやすいタイプだと思ったことはありませんか?
「そんなこと思ってもいないのに、勝手な噂を流された」
そうしたことがよくある人は、誤解されやすい人なのかもしれません。
アメリカである実験をしたところ、ほんの小さなことが原因で人は誤解されてしまうことが判りました。
一人の若い主婦がスーパーで買い物をしました。
籠の中には、豚肉500グラム、ニンジン一袋、豆のコーヒー一袋、ジャガイモ一袋、食パン一斤、小麦粉一袋、リンゴ三個が入っていました。
これを見たレジ待ちの他の客たちは、主婦の印象を、「計画性があり、倹約家で、良く出来た奥さんだ」と、思ったそうです。
ところが、この中の豆のコーヒー一袋を、インスタント・コーヒー一瓶に替えた途端、「怠惰で、買い物にも計画性がなく、浪費家の悪妻」と、評価が180度変わってしまったのだそうです。
インスタント・コーヒーなど使う主婦はズボラな性格に違いない----と、いう先入観が、主婦の印象を悪いものにしてしまったのでした。
しかし、わたしなどから言わせれば、豆のコーヒーを買う主婦の方がむしろ贅沢な暮しをしている有閑女性だと思うでしょうね。いちいち、豆を挽いてコーヒーを淹れるなんて、日々の子育てに忙殺される主婦には到底できないことですし、お母さんのお手伝いをしたがる幼児が火傷をする確率も高いです。むしろ、インスタント・コーヒーを買った主婦の方が、経済的で、色々な用途を考えているしっかり者と、映るはずです。
(インスタント・コーヒーは、そのまま飲んでも手軽でおいしいのはもちろんのこと、少量カレーに入れてもコクが出ますし、ポリフェノールたっぷりで、アイスコーヒーも簡単に作れます。買った小麦粉と水溶きインスタント・コーヒーを混ぜて砂糖を加えて焼けばコーヒー味のパンケーキにもなりますから)
が、そういうことを深く読まない人たちには、インスタントを使う=ズボラで怠け者という考え方があるため、その主婦の本当の姿が歪曲して伝わってしまった訳です。
こうしたささいなことから人は人を誤解するのです。
そして、一度誤解してしまったことは、簡単には消えません。特に、毎日顔を合わせている人同士でない場合には、いったん刻み込まれた印象が、一生続くことにもなり兼ねないのです。
そう考えると、人間は多くの他人のことをほとんど誤解したまま人生を終えることになるのでしょうね。
でも、どうせ誤解されるのであれば、良い人だったと、誤解されていたいものです。
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あなたの自己中度・・・・・676
2010年07月20日
~ 今 日 の 雑 感 ~
あなたの自己中度
あなたは、自分が好きですか?
世の中で一番大切な物は、自分ですか?
親よりも子供よりも、自分が大事ですか?
次にあげる項目の中で、あなたはいくつ当てはまりますか?
1) 自分について考えることが多い。
2) いつも自分の感情に注意を向けている。
3) いつも自分を理解しようと努めている。
4) 自分の行動の理由をよく考える。
5) 自分の気分の変化に敏感だ。
6) 自分を細かく調べる傾向がある。
7) いつも自分を意識している。
8) 何かに熱中している時も、自分の心の動きを意識している。
9) 自分を主人公にした空想を良くする。
10) 時々、自分を外から眺めてみる。
さあ、如何でしょうか?
もちろん、〇が多い人ほど自己中度は高い訳ですが、自己中にも二つの種類があり、一つは、「公的自己意識が強い自己中」で、もう一つが「私的自己意識が強い自己中」です。
「公的自己意識」の方は、自分が他人からどう見られているかを気にする自己中で、「私的自己意識」の方は、自分自身が自分に関心があるという内向きの自己中です。
先日、トーク番組でタレントの若い女性がこんなことを話していました。

「わたしは7歳の時に、自分の可愛さに気付き、今では一日100枚もの自分の写真を撮っている。麺類を食べている時の自分の口付きも好きで、麺をすすりこみながらガラスに映る自分の姿をつい見てしまう。わたしは、自分が大好きなんです」
彼女は、間違いなく他人の目を気にする「公的自己意識が強い自己中」だと思われます。
そして、もしも、あなたの周りにこんなことを口癖のように言う人がいたら、その人はきっと「私的自己意識の強い自己中」です。
「自分は、こんなに頑張っているのに・・・・」「わたしの方がうまくやった」「わたしばかり一生懸命にやっている」
こういうことを頻繁に言う人は、相手の貢献度よりも自分のやったことの方をはっきりと思い出すなど、自分を高めに評価する性格の持ち主です。
こういう人は、女性よりも男性に多く、休日に珍しく家事を手伝ったことを何年経っても「おれは頑張った」と、言い続けるタイプなのです。そういう時、その男性の頭の中には、毎日その何倍もの家事をこなしている妻の存在はみじんもありません。
わたしの家の近くでコンビニを経営するご主人も、「おれがやっている店だ」と、言いますが、ご主人が店に出ることはほとんどなく、打ちっぱなしのゴルフセンターなどで遊んでいる間、奥さんがお店を切り盛りしていることは、ご主人の頭の中にはまったくないようなのです。
ある時、奥さんは、「あなたがやっている店だというのなら、ゴルフへ行く時はお店を閉めて行って下さいね」と、皮肉っていました。
こう考えると、どちらかというと、女性は他人の目を気にする「公的自己意識が強い自己中」度が高く、男性は自分のことにしか意識が向かない「私的自己意識が強い自己中」度が高いということが言えるのかもしれません。
まあ、どちらも厄介な「自己中人間」ではありますが・・・ね。 続きを読む
男が引く女、女が引く男・・・・・675
2010年07月19日
~ 今 日 の 雑 感 ~
男が引く女、女が引く男

ここに面白いエピソードがある。
付き合い始めてもうすぐ三ヵ月になる若い男女がいる。
男性は、女性の素直な優しさを可愛いと思い、天使のようなとは言わないまでも、他人を思いやる美しい気持ちに惹かれていた。
そのため、内心では、この女性となら結婚してもいいかもしれないと半ば本気になり始めていたのである。
そうなると、男性は、女性にますます自身の気持ちを許し、自分のプライベートなことも色々と打ち明けるようになっていたのである。
すると、女性の方も、自分たちはもう婚約者同士も同然だと、男性に気持ちを許すようになって行く。
そこで、女性は、自分のことをもっと男性に知って欲しいと思い、これまでじっと心に溜めこんで来た日々の不満やうっ憤を相談し始めたのだった。
女性は、男性が「彼女はここまでぼくに本音を話してくれているのだ。この好意を無にしてはいけない」と、考えて、ますます親密になれるものと思い込んでいたため、会社での同僚の悪口などをどんどん男性に話し、「きみをそんな目に合わせるなんて、なんてひどい奴らなんだ」と、共に同情してくれるものだと期待したのである。
ところが、これを聞いた男性の反応は意外なものだった。
「どうして、そんなに人の悪口ばかりを言うんだ?きみは、そんな心のいやしい人だったのか。幻滅だよ」
これには、女性は愕然とし、「わたしのことが好きなら、一緒に悩んでくれてもいいじゃないの!わたしだって人間よ。人並みに愚痴も不満も陰口だってたたくわ。なんて、人の気持ちも判らない冷たい男なの?勝手に人を天使扱いしないでよ!」と、男性の心変わりをを責めたのである。
二人の恋は、終わりを告げた。
これでお判りだろうが、男とは、常に女に理想の天使像を求めるものなのだ。
心清らかで、いつも明るく、他人の悪口など口が裂けても言わない純真さが理想なのである。
しかし、女性は、その全く逆で、親しくなればなるほどお互いに同志的感情を持ち、外敵に対して結束できる相手であることを男性に求めるのである。
要するに、男が引く女は、人の悪口を平然と言う女。
女が引く男は、そういう女の肩を持てない男。
どうですか?
皆さんにも心当たりがあるのではないでしょうか?
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男の本心は言葉よりも行動で見抜け・・・・・673
2010年07月18日
~ 今 日 の 雑 感 ~
男の本心は
言葉よりも行動で見抜け
言葉よりも行動で見抜け
「あなた、わたしのことが好きなの嫌いなの?」
「そんなこと判っているじゃないか・・・・」
「判らないから訊いているんでしょ!」
「何で判らないんだよ。おれくらい判りやすい男はいないと思うけれどな」
付き合い始めた男女が、時々、喫茶店の片隅などで交わしている会話ですよね。
どうして、太古の昔からこの手の口論が絶えないのかといいますと、もちろん、そこには男女の微妙な心理の違いがあるのです。
でも、この二人も、間違いなくお互いを好きなのです。
だったら、いちいち口に出さずとも良いのではないかと思うのですが、それがそうもいかないのが女性なのです。
女性は、はっきり言って「言葉で相手を信用する動物」なのです。裏を返せば、言葉が伴わない恋愛は恋愛ではないのです。言葉といっても、別に声という意味だけではありません。表情でも文字でも仕草でもなんでもいいのですが、そうした表現方法を用いての現実的アプローチがないことには、相手を100パーセント信用できないのです。
しかし、男性はこれとはちょっと違います。
多くの男性にとっては、言葉は単なる信号に過ぎませんから、「この娘を自分に振り向かせたい」と、思えば、どんな軽慮な言葉でも平気で口から出すのです。
「きみ、可愛いね。今度一緒にドライブでもしない?」
ドラマなどで見かけるベタな誘い文句ですが、意外に一般の男性もこれと似たりよったりの言葉で女性の興味をひいているのです。
ところが、付き合い始めた頃は頻繁にその女性の良いところなどを持ちあげていた男性が、ある時期からパッタリと女性を褒めることも優しい言葉をかけることもしなくなります。
そこで、女性としてみれば「あの人、わたしのことが嫌いになったのかしら?」と、一気に不安になり、上記の台詞となる訳です。
ところが、男性の方はそれとはまったく逆で、「おれときみは、もう言葉でとやかく言う間柄じゃないだろう。それほど、おれはきみに気持ちを許しているんだよ」と、いうことになるのです。
その証拠に、そういう男性は言葉は発しなくても、常に女性の近くにいるはずなのです。男性は、誘い文句には長けていても、その後の恋愛言葉にはまったく無器用な人が多いのです。
ですから、あとは必死で自分の思いを行動で示そうとするので、女性はそれを見落としてはならないのです。
もしも、男性が女性のことを本当に嫌いになるとか、女性に興味がなくなった場合も、「きみのことが嫌いだ」「もう、飽きた」などとはおそらく言わないでしょう。
まあ、中にはそういうはっきりとした意思表示をする男性もいるでしょうが、ほとんどの男性は、自然消滅を目論みます。
これもやはり、行動で示す訳です。女性のメールにいつまでも返事をしない。女性が電話をかけても常に留守電状態。メールアドレスを変えてしまうとか、万が一電話に出ても「今忙しいから・・・・」「悪いけれど、会社にいる時はかけてこないでくれるかな?」などと、言い訳をするはずです。
しかし、女性は、「言葉の動物」ですから、はっきりとした意思表示がないうちは一年でも五年でも待つことだってあるのです。時には、男性が既に別の女性と結婚しているにもかかわらず、「わたしって、まだあなたの彼女よね」などと言って、男性の家へ押し掛ける人もいるくらいですから・・・・。
だから、男性がこうした冷遇的行動を女性にとるようになったら、言葉の「さようなら」はなくても、女性はある程度察する覚悟も必要だということです。
しかし、どっちにしても、面倒くさい問題ですけれどね。

『美人』の定義・・・・・672
2010年07月18日
~ 今 日 の 雑 感 ~
『美人』の定義
考えてみれば、このブログって不思議だと思う・・・・。
わたしが何処の何者かも判らないのに、また、「ナガブロ」でブログをやっていることを家族以外ほとんどの人は知らないのに、多くの方が読んで下さる。
会社に勤めている訳でもなく、社会と隔絶したような生活を送っていて、一日中家族以外の人間とは顔を合わさないことさえあるというのに----ありがたいことです。

ところで、この間、面白い話を聞いた。
週刊誌などの雑誌で、何かの事件記事を扱う時、見出しに「美人銀行員の犯行・・・・」とか「美人OL殺害の真実」などというように『美人』を枕ことばに使っていることがある。
これは、誰がその事件にかかわった女性たちを『美人』だと評価しているのか-----と、いうことであるが、何でもその女性が十人並みの器量であれば、たいてい『美人』を使うのだという。
『美人』の定義は人それぞれなので、特別にそうでない限り「美しい」と形容するのだそうだ。
その方が読者の興味をひくし、売り上げも伸びるのだという。
では、女性が絡んだ事件や事故で『美人』がなかった場合はどうなのか----と、言うことであるが、これはその女性が四十歳以上の中年か、もしくはほとんど「美」とは無縁の容姿の場合には、あえて『美人~』は、用いないのだという。
そのため、たとえ週刊誌の見出しに「美人~」と、あったとしても、「え?この人の何処が美人なの?」ということも良くある訳で、最近はあまりこうした「美人~」の表現は使わなくなったようである。
『美人』が付いていれば十人並み。付いていなければ、何をかいわんや・・・・では、女性を差別していることにもなりかねない。
それにしても、『美人』の定義は難しい。
うちの父などは、すらりと痩せた美人など、まったく興味がないそうで、昔ある自治体と企業主催パーティーで女優の沢口靖子さんが企業側のホステスとして出席していたのを見て、「真っ白な幽霊みたいな女がいた」と、話していたくらいである。
父の定義からすれば、痩せぎすで背の高い女性は、皆「十人並み以下」なのである。
だから、平均身長が160センチ以上にもなる今の若い女性たちは、昭和一けたの父に言わせればおしなべて「何をかいわんや」の部類なのだそうだ。(父の女兄弟は皆背が高いので、小柄な女性に憧れていたのだという)
そう言われれば、最近、共同浴場で顔を合わせる若い女性たちの大きいこと。
背も高く、横幅も半端でない。
こんな女性たちばかりが足腰の弱い高齢者になったら、いったい誰が面倒を見るのだろうか?
ふと、そんな老婆心が頭をよぎってしまう。
小柄で器量などもそこそこでいい。元気で健康に生きられれば、それが一番だと思う。

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嘘をつくなら一歩近づけ・・・・・671
2010年07月17日
~ 今 日 の 雑 感 ~
嘘をつくなら一歩近づけ

あなたがどうしても相手に嘘をつかなくてはならない時、近くで話をするのと、やや遠くから語りかけるのとでは、どちらが嘘をつきやすいですか?
おそらくは、やや遠くから話した方が嘘をつきやすいと思います。
人間の心理としては、面と向かっては嘘をつくのがどうしてもはばかられ、無意識に相手との距離を取ろうとするのが普通なのです。
そのため、どうしても自分の嘘を相手に悟らせないようにするためには、むしろ、一歩相手へ近付くように距離を詰めてから話を持ち出すことが大切なのです。
人と人との距離には、実に微妙な影響を及ぼす効果があり、誰かを自分の意見に賛成させるためには、そのターゲットとの間を50センチほどに保つ必要があると言われています。
この50センチという距離感は、ちょうど片方の人が腕を伸ばした長さで、相手の肩に触れるのに適した距離でもあります。
かつてのソ連のゴルバチョフ書記長は、この距離を称して「相手と足で蹴り合える距離」と、言ったそうです。
つまり、他人同士でもそれだけ親密な話し合いが可能な距離だということなのです。
また、面白いことに、会議などで自分から離れた席に腰かけた人は、自分に対して批判的な考えを持っている人だと思いがちですから、そういう離れた位置に腰かけた人がむしろ好意的な意見を述べた時、人は、「あいつは、わたしに対してごまをすっているんだ」と、受け取るのだそうです。
ところが、少し遠くに座る人は自分に批判的な考えを持っているに違いないと、思い込んでいる場合、そのやや遠くに座っている人がその通りに批判的な意見を述べた時、人は、「これは、わたしのためにあえて苦言を呈してくれているのだ」と、肯定的に受け取ることが多いのだとか----。
つまり、相手を褒める時は、片腕を伸ばしたくらいの近距離で話し合い、相手の意見を否定したり苦言を呈する時の距離は、お互いが腕を伸ばし合い指先が触れるくらいの距離が、相手に無用の反感を抱かせずに説得できるベスト・スタンスだといえるのだそうです。 続きを読む
すれ違いざまの心理・・・・・670
2010年07月17日
~ 今 日 の 雑 感 ~
すれ違いざまの心理
公共の施設の廊下で人とすれ違う時、その相手がまったく見ず知らずの他人でも何故か緊張することってありますよね。
声に出して挨拶をするべきか、無視して通り過ぎてもいいものか、会釈ぐらいでお茶を濁す方が賢明か?
そんな色々な考えが一瞬のうちに頭の中で渦を巻くようなこと、ありませんか?
それが気まずくて、わざと視線をあらぬ方向へはずしてみたり、前をまっすぐ見たまま相手には気付かない風を装ってみたり、仕草がぎこちなくなることって、ままあるものです。
わたしが街中を散歩している時、向こうから歩いてきた年配の夫婦連れの観光客に、いきなり会釈をされたりすることもあるのです。
時には、声を出して「こんにちは」と、言って通り過ぎる人もいます。
女性同士の場合は、意外に抵抗感なく自然体でそういう挨拶が出来ますが、相手が男性となると、こういうことは少々違和感が伴うために、その年配男性たちは、すれ違う際、不思議と皆さん同じような仕草をするのです。
それは、咳払いです。
わたしは、これまでも何度も見ず知らずの男性たちと散歩の途中ですれ違いましたが、たいていの男性たちがまるで判で押したように、すれ違う瞬間に「ゴホン!」と、一つ咳払いをするのです。
どうして、このような反応が出てしまうのでしょうか?
それは、女性と近距離ですれ違うという一種の緊張感がなせる業のようで、黙って通り過ぎることにわずかながら罪悪感を覚えているせいのようです。
見ず知らず同士なのだから黙って通り過ぎても当たり前なのですが、それが何となく失礼なことをしているように感じてしまう。それをごまかすために咳払いをするのです。
つまり、社会生活を長年続けてきた年配の男性たちの感覚だからこそ、つい出てしまう「咳払い」なのでしょう。
しかし、これが若い男性となると、そんな感覚は皆無のようで、道で誰とすれ違おうがまったくの知らん顔です。中には、すぐ近所の住人であることが判っていながらも、挨拶をしない青年だっています。
社会で揉まれ続け、人と人のコミュニケーションがどれだけ大事かということを実感しているお父さん世代の人たちは、たまたま観光に訪れたような見知らぬ土地でも、相手に自分の印象を悪く取られたくないと思う習慣を捨てきれずにいるようで、真面目な人ほどすれ違いざまには緊張を強いられるのではないかと思うこの頃です。
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男女の視線の面白さ・・・・・669
2010年07月16日
~ 今 日 の 雑 感 ~
男女の視線の面白さ
最近は、人の目を見ないで自分の好きなことばかりを言い続ける人が増えて来ましたが、それは、会話とは言えませんね。
年配の女性の中には、逆に相手の目をじっと見つめ続けながら、相手に視線を外させまいと、つまり自分の話を聞かせ続けようとする技巧派も出てくる始末ですが、これも、会話とは言えません。
そういう人たちは他人の話など聞きたくないのです。自分のしゃべりだけを聞いてくれればいいという態度なのです。
もはや恋愛感情などはどうでもよくなった形振り構わずの人たちならば、こうした視線で顰蹙を買うことも特段気にしないのでしょうが、まだ、相手から自分がどう思われているのかが気になる若い人たちは、こんな視線の配り方では人間関係に無理が生じるというものです。
そんな訳で、男女の視線について考察すると、面白いことが判ると言います。
男女ともに好意を抱いている相手の目は良く見る傾向があるのですが、男性は、自分が聞き役に回っている時、女性の目を見つめる傾向があり、逆に女性は、自分が話す側に立っている時に、男性の目を見つめる傾向があるのだそうです。
お互いに目を見ている時は、まだ話がしたいという意思表示なのですが、どちらかが視線を外した時は、外した方が「もう、話を終わりにしよう」と、思っているのです。
それを構わず話し続けると、「うるさい人だな」とか、「面倒な人だ」と思われてしまい、せっかくの好印象も台無しになると言う訳ですね。もちろん、好意とは関係なく、相手がうるさがっても言っておかねばならないことは言うべきですが。
つまり、お互いに恋愛感情を持っている男女は、女性が話し続け、男性が聞き役に回っている時、見つめあっている場合が多いということになりますね。
また、どちらかというと女性は相手の男性のことを特別に感じていない場合でも、良く視線を合わせて来る時があります。
これは、女性の方が男性よりも自分が他人からどう見られているのか気にする性格なので、良い印象を与えたいがために、わざと視線を合わせて来るのです。
初対面にもかかわらず目を見つめて来る女性に対しては、「この女性はよほど自己顕示欲が強いな」と、思って正解だそうです。別に、男性のあなたに好意を感じている訳ではないので、勘違いしない方が賢明ですね。
ただし、一般的には10秒以上視線を合わせ続けると相手に不快感を与えると言われます。
好意を持っているか否かは置いておくとしても、お互いの会話をスムーズに運びたいのであれば、相手の目を3秒見詰めて視線を外す。----これが、大事なのだそうです。
アイコンタクトの3秒ルール----会話上手な人は、これを無意識のうちに行なっているのだそうです。
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人は、服装で判断される・・・・・668
2010年07月16日
~ 今 日 の 雑 感 ~
人は、服装で判断される
以前、「人は見た目が大事」と、いう話題が新聞紙上で議論されたことがありましたが、心理学上では、大事か否かは別にしても、人は見た目にかなり影響を受けることが判っているそうです。
その後、今度は、この男性はラフなTシャツとジーパン姿で同じように赤信号で横断歩道をわたったのですが、これを見ても誰一人真似をしてわたろうとする者はいなかったのでした。
つまり、最初の男性は背広姿の紳士であることから、このスタイルを一種の常識的権威の象徴として人々が認識していたために、彼の行動は間違いがないと思われてしまった証拠なのです。
しかし、その後のTシャツとジーパン姿には、この権威が感じられなかったために、周囲の人たちは、単に「ルールを守らない変な奴」としてしか男性を見ていなかったということなのです。
こういうことからも判るように、人間は間違いなく服装で人を選別しているのです。
人を見た目で判断してはいけません-----とは言いますが、社会生活を営む人にとっては、どうしても払しょくできない概念として深層心理に刻み込まれているものが、「見た目」なのです。
白衣を着ている人には、一目置くということも同じ意味ですし、警察官や消防官などの制服を見ただけで緊張するという心理もこれと似ています。
アメリカでは、かつてスーツ姿の実に真面目そうな男性がドラッグストアで強盗を働いた時、銃で脅されてレジのお金を渡さざるを得なかった店員でさえ、警察官の質問に対して「とても礼儀正しくて、言葉づかいも丁寧な立派な紳士だった」と、強盗を褒めるような言い方をしていたというのです。
もしも、初対面の人に自分をよく印象付けたいと思うのならば、それなりに身なりにも気を配ることが必要だということのようです。もしも、素の自分を見せたいと思うのならば、その後に気心が知れた頃を見計らってからでも遅くはないと思います。
因みに、昔の人は「金を借りに行く時は一番いい着物を着て行け」と、言ったそうです。つまり、今で言うところの『勝負服』と、いうものですね。これだけ立派な身なりの人ならば、間違いなく返済してくれるだろうと、相手を納得させる効果を期待していた訳です。
また、夫の愛人のところへ妻が乗り込むような場合も、「これでもかというほど化粧をしてめかし込んで行け」と、言ったそうです。美しさで愛人を圧倒して、「奥さまには勝てない」と、思い込ませるように仕向けたのだそうです。

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曾祖父の話・・・・・666
2010年07月15日
~ 今 日 の 雑 感 ~
曾祖父の話
『龍馬伝』の記事で少し触れたが、わたしの母方の曾祖父(ひいじいさん)は、群馬のさる城主の長男として幕末に生まれた。
もちろん、父親のあとを継ぐものだと本人も思っていたのだが、父親が後妻をもらい、その後妻に男の子が出来た。
後妻はもちろん自分の実の子を跡取りにしたい訳で、先妻の曾祖父が邪魔になった。
俗に言うお家騒動というやつだ。
曾祖父は、そんな家の内紛が嫌で、ある日、刀を一本担いで城を出奔した。
そして、江戸の道場などを渡り歩いて剣術修行をしたのだそうだが、そのうちに徳川幕府が倒れ、明治になってしまった。
武士の身分も紙切れ同然となったので、江戸にいても意味はないと諸国を転々としながらいつしか信州で根を下ろしたのだそうである。
明治に入って断髪令が出ても、武士のシンボルである髷を落とすのが嫌だとかなり抵抗を試みていたとか・・・。
(天然のくせ毛なので、ストレートパーマの技術などはない当時、髷を結うのは大変だったそうだ)
後妻に産まれた腹違いの弟は、その後千葉へ渡り、明治政府の官僚になったという。
群馬県には未だに城跡がある。
曾祖父も剣術を良く使い、父も剣道をやっていた。弟も剣道の指導員で、甥っ子も剣道少年だ。
よほど、剣道には縁が深い家系のようである。
共同浴場は湯治場じゃない!・・・・・665
2010年07月14日
~ 今 日 の 雑 感 ~
共同浴場は湯治場じゃない!
何だか、これ、前にも書いているように思うんだけれど、また、新しいシチュエーションがあったのでご報告。
とかく温泉場育ちではない人は、普通の共同浴場と湯治場の区別が付いていない。
普通の共同浴場は近所の人たちが、ちょっとひと風呂浴びに来るという単なる体の汚れを落とす場であり、ゆっくりと時間をかけて入湯気分で和むようなところではないのである。
この区別が付かない人が意外にいて、この春辺りからわたしがいつも使っている外湯にもこういう湯治場気分の女性が一人入るようになった。
もちろん、近所の住人ではない。
何処かのお宅から外湯の鍵を借りて入りに来ている様子で、長い時には一時間以上もペチャぺチャと身体に温泉をかけながら洗い場を占領しているのである。
そんな訳で、近所の主婦たちが夕飯の前にサッと汗を流しに入ろうとしても、狭い浴場の一角を彼女が占領しているために、すぐに入ることが出来ないのである。
しかも、その長湯の女性は、知り合いの主婦が入りに来ることを待っているようでもあり、その主婦が来ると、そこから今度は長時間話をし始めるのである。
「迷惑だよね~。いつまで入っている気?」「もう、いい加減上がってくれないかしら」
脱衣所で彼女が上がるのを待っている主婦たちは、いつもイライラのしっぱなしである。
わたしもあまりにひどいと思っていたので、つい先日、一人の主婦が、
「ちよみさんて、お風呂へ入る時間、すごく短いけれど、どうして?もっとゆっくり入って行けばいいのに」
と、訊いたことをチャンスに、その女性の前で、こう皮肉をこめて答えた。
「わたしたち温泉場育ちは、子供の頃から近所のお年寄りに、『ここは湯治場じゃないんだから、入るのはせいぜい10分だよ。子供は、大人の邪魔をしないように入ること。大人は一日仕事をして疲れてきているんだから、迷惑をかけてはいけない。大人だって、20分も入れば充分だからね。入ったらサッサとやることをやって次の人の場所を空けてやるのが常識ってもんだよ』と、教えられてきましたから」
これを聞いてどう感じたのか判らないが、おそらく、この長湯の女性は、そんなことは自分とは関係ないことだと思っているのだろう。
未だに、一時間入浴をやめようとしない。
昨日など、あの狭い浴場内に10人も入っていたという。
一人一人の入浴時間が長すぎるのだ。
洗髪、洗顔、身体洗い、入浴----これだけのことをするのに、いったい何分かけているのだろうか?そんなにこすりにこすって、何をしようと言うのか?
もう一度言う。単なる共同浴場は、癒しを求める場所ではない。
勘違いをするな!
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オープナー・・・・・664
2010年07月14日
~ 今 日 の 雑 感 ~
オープナー
「オープナー」といっても、別に缶切りのことではありません。(笑)
要は、他人が悩みや個人的な問題を相談しやすく、また、そういう秘密の話を引き出すテクニックに優れている人をこう呼ぶのだそうです。
では、ここで、あなた自身にオープナーとしての素質があるか否かを調べてみましょう。
1) 打ち明け話をされることが多い。
2) 聞き上手と言われる。
3) 自分といると相手はくつろいだ気分になるようだ。
4) 人の話を聞くのが好きである。
5) 相手が何を考えているのか、話すように促すことがある。
この質問に三個以上〇の付く人は、「オープナー」だと思われます。
人が、自分のことを聞いて欲しくなるという人には特徴があると言います。
A 相手としっかり目を合わせて話が出来る。
B 相手の気持ちを聞く時は、いつも肯定の相づちを欠かさず、穏やかで好意的な反応を示してくれる。
C 相手の話に好意や興味を示す態度で話を聞いてくれる。
こんな特徴を持つ人には、他人も心を許し、今まで誰にも言わずに悩んでいたことなどを打ち明けることが出来るのだそうです。
ところが、こういう「オープナー」を自称する人の中には、時々思い違いをしている人もいて、自分の方が社会的力関係が上であるにもかかわらず、「部下は何でも話してくれる」などと、間違った認識を持っている人も多いのです。
つまり、オープナーの立場は、常に相手に対して特別の影響を及ぼさない対等な力関係であることが重要なのです。
何故なら、もしも、オープナーの方の力が相談者よりも大きい場合、話を促すことは一種の「命令」となりかねないため、相談者が必ずしも真実を語るとは限らないからなのだそうです。
ある小学校の教師で「子供たちは、自分を信頼し、いつも色々な相談や悩みを打ち明けてくれる」と、オープナーを自認していた女性がいたのだそうですが、子供たちの本音は、「あの先生には本当のことを話せない」という、まったく正反対の答えだったというのです。
どうして、このような意識のギャップが生まれるのかというと、そこには、「教師は児童に点数を付ける人間」と、いう立場的に対等でない事実があるからなのでした。
自分の成績を気にする子供たちが、女性教師の前で良い子を演じることなど当たり前です。
相談する悩み事でさえ、どんなことを話せば先生が喜ぶかということまでもリサーチした上で相談していた子供さえいたのだと言います。
これでは、本当の「オープナー」とは言えません。
他人に自己開示をするということは、かなりの勇気や決心を必要としますが、ひとたびオープナーに気持ちを打ち明けることで自分の内面が整理され、客観的に自分自身を見つめることが出来るようになるきっかけにもなるのです。
ですから、オープナーの立場は、実に難しく、常に慎重でなければならないのです。
ところが、最近の軽々しい人間関係では、そういう自覚がほとんどない人がオープナーを気取り、また、相談を持ちかけた方もそのオープナーの好意を平気で足蹴にすることもあるのです。
特に、ネットの社会では、この似非オープナーが増殖中で、秘密を打ち明けたばかりに煮え湯を飲まされたというケースがとても増えていると聞きます。
これからは、本物のオープナーと偽物のオープナーを見分ける目も必要な時代になるのかもしれません。
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やめろと言われると、なおやる心理・・・・・663
2010年07月13日
~ 今 日 の 雑 感 ~
やめろと言われると、なおやる心理
民主党の小沢前幹事長が選挙の応援に駆けつけている映像をテレビで観た。
あれほど、しばらくの間は静かにしていてくれと周囲に言われているにもかかわらず、「一兵卒として働く」と、口では言いながらも、結局、大勢の聴衆からのチヤホヤ感が忘れられずに、選挙期間中も各地の候補の応援に動き回り、党執行部の顰蹙を買っていたらしい。
どうして、ほんのしばらくの間も大人しくしていることが出来ないのだろうか?
おそらくは、小沢さんの気持ちの中に菅体制に対する不満があり、少しでも党の執行部に嫌な思いをさせてやろうという報復意識があったのだろう。
そして、結果、自身が県連の頭越しに擁立した第二の候補が敗れ、民主党が惨敗した途端、またいつもの如く何処かへ雲隠れしてしまった。
やめと言われればなおやってやりたくなる意地悪な心理は、ほとんどの人の中にあるのだろうと思うが、それを実行に移すか否かは、その人の人間性にかかっているものなのである。
「言うな」と、忠告されると、わざとしゃべりまくったり、「やめろ」と、言えば、無理やり嫌いなものを見せつけたりする者もいる。
こういう人間は、早い話が幼児性が強い人物だと言いきれる。
自らの我を通すためには、平気で相手が不快に思うことをする。近頃は、そういう大人が実に増えて来た。
そんな稚拙な手を使って何が面白いのか判らないが、きっと本人にとってはそうするしかうっ憤のはけ口が見付からないのであろう。情けない人々である。
四、五歳の幼児が時々やる手であるが、一人の子供を仲間外れにして「〇〇ちゃんと、あたし、すご~く仲良しだもんね。あんたなんか友達じゃないから----」などと、意地悪をしていることがある。
これを大人が諫めると、なおもその嫌がらせを続けるという心理状態と、彼らはまったく同じことをしているのだということにさえ気付かないのだ。
これからの日本は、ますますこうした幼児性の抜けない大人が増殖して行くのだろう。
あなたの周りにも、こういう幼児性ヒステリック人間はいませんか?
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一時間悩んでさっさと忘れる・・・・・662
2010年07月13日
~ 今 日 の 雑 感 ~
一時間悩んでさっさと忘れる
野球賭博で前代未聞の退職金なしの解雇処分になった大嶽親方。
先のテレビのインタビューでは泣きの涙で元大関琴光喜を庇っていた姿とは裏腹に、最後の会見では、「もう、謝ったでしょ」と、いたってサバサバした表情であった。
さすがは元貴闘力。いつまでもウジウジと引き摺らない勝負師の性格が出たなと、呆れながらも感心した。
いつまでも自分の言動に固執し、「あんなことをしなければ良かった」「あんなことを言わなければ、あの人を傷付けずに済んだのに・・・・」などと悩み続ける人は、身体や心にストレスをためまくるばかりで、運勢までもマイナスに働くのだそうである。
良いか悪いかその人の人間性はさて置くとして、悩む時は徹底して悩んでも、そのあとはさっさと忘れる方が人として大成するのだそうだ。
一つの失敗にこだわっていると、それが気持ちの中で大きく広がり、再び同じような状況になった際、そのことに気を取られて肝心なことが見えなくなってしまうのだという。
自分の発言のミスが増えると、ますます言葉が出なくなり、ストレスもたまり自信をも失う。
そうなってしまうと、自分で自分をがんじがらめに縛りつける状態となり、とても成功や飛躍は難しくなるのだ。
こういう時は、「相手はこちらが気にしているほど、その言動に執着してはいない」と、思うことが正解で、事実、そういうものらしい。
それでも、どうしても気になって仕方がない時は、一筆相手に謝罪の手紙を送るのがよいという。
書くことで自分の心のわだかまりも薄れるのだという。
また、手紙をもらった方も、詫びられて悪い気がする者はいないはずである。
と、まあ、一般的には言われているが、手紙を送っても決して相手を許そうとしない執念深い人間もいる。
そうした精神状態の人間も稀ではあるがいることは事実なので、とにかく、相手が何を考えていようが、自分はきれいさっぱり忘れることが出来た方が世の中勝ちなのかもしれない。
「あっさり忘れろ自分の失敗。とことんほじくれ他人の失敗」
こんな言葉が一時はやったが、出来ればわび状を書くことでストレスもろともさっさと整理してしまうことが望ましいようである。
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歯科医院にクラシックが流れる訳・・・・・661
2010年07月12日
~ 今 日 の 雑 感 ~
歯科医院にクラシックが流れる訳♫
最近は、歯科医院や産婦人科などでクラシック音楽を流している所が多くなってきたそうですね。
わたしが通っていた歯科医院では、日本の童謡や唱歌、イギリス民謡などをメロディーのみで流していました。
音楽には、人間の身体にかなり影響を及ぼす力があるそうで、心理トリックの良い道具として活用する職場などが増えてきているのだと言います。
たとえば、レストランや回転ずしなどでは、客の回転をよくするためにテンポの良い曲をあえて流し、短時間でたくさん食べるように仕向けているのだとか----。
歯科医院や産婦人科などの患者に緊張を強いる場所では、リラックス効果をねらって、ある特定のクラシック音楽を流すのだそうです。
(もちろん、クラッシック音楽ならば何でもいいという訳ではありません。やはり、それなりの用途があり、病院でワーグナーの「ワルキューレ」では、むしろ逆効果ですよね)
でも、わたしのような極端に神経質で繊細な人間には、あまり効果はないように思うのですが・・・・。(笑)誰の話だ?
また、緊張した神経を緩和する場合、いきなり穏やかな曲を聴かせてもあまり意味がないそうで、最初は更に神経を緊張させるような曲をあえて聴かせ、その後、徐々に神経を鎮静させる音楽に移行させて行く方が、より効果が高いのだということです。
これを「同質の原理」と名付け、悲しみに打ちひしがれている人の気持ちをいやすためにも、この方法は効果的だということでした。
つまり、始めのうちは悲しい曲を流し、やがて穏やかで明るい曲にシフトして行くのです。
そうすることで、立ち直りが早くなることが実験で判ったとのことでした。
音楽療法の権威である心理学者の研究によれば、頑固な便秘で苦しんでいる人に食事の前と就寝前にモーツァルトの「メヌエット」、ショパンの「マズルカ舞曲」、シュトラウスの「ウィーンの森の物語」と聴かせたところ、三日目から便通があったそうです。
便秘の解消には、この曲の他にドボルザークの「ユーモレスク」やチャイコフスキーの「白鳥の湖」なども効果があったそうです。
音楽療法ではないですが、わたしは子供の頃書店の棚に並んでいる本の背表紙を眺めていると、無性にトイレへ行きたくなるというまか不思議な現象に襲われることがよくありました。
読書は大好きで、書店へ行くことが何よりも嬉しかったのですが、この現象が起きることをあらかじめ想定して、お目当ての本の場所へ直行すると、他には目もくれずにそれを手に取り、レジへと向かうよう心がけていました。
音楽は耳からの情報ですし、本は目からの情報であるため、あまり関連性がないようにも思うのですが、もしかしたら共通の何かがあるのかもしれないと、ふと思ったしだいです。
因みに、頭痛の軽減には、ガーシュインの「パリのアメリカ人」やベートーベンの「ロマンス・ヘ長調」なども効果的だという実験結果が出ているそうです。

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龍馬伝・・・・・660
2010年07月12日
~ 今 日 の 雑 感 ~
龍 馬 伝
NHKの大河ドラマ『龍馬伝』----別に観る気もなかったが、選挙の開票速報のためにいつもよりも早く番組が始まったので、惰性でほんの少しだけ観てしまった。
感想は、たった一言。
画面がホコリっぽ過ぎる!!ゴホッゴホッ
思わずうがいをしたくなるような砂っぽさ、ホコリっぽさだ。
何なんだ、この映像は?幕末って、こんなに色があせていて、汚かったのか?
ちょっと、ひどすぎる。
まあ、内容は史実完全無視の劇画だと思えばいいという評価なので、なるほどと思いながら観てはみたが、土佐弁がすごすぎて聞きづらいこと甚だしい。
いつも誰かが怒鳴っていて、実に耳障りだ。
どうせ、嘘八百なら、この前の『新選組!』の方がまだよかった。
うちの曾祖父(ひいじいさん)が生きていたら、たぶん泣くな。
「おれたちは、こんなに汚くなかった」って----。
江戸の斎藤道場で剣術の修業をしていたそうだが、もっとずっと清潔ですっきりした生活だったそうだし・・・・。
何だかドラマを観ているうちに、だんだんゾワゾワして気持ちが悪くなったので、途中でチャンネルを替えた。
やっぱり、龍馬は好きになれない。
生理的に無理。
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投票所は何処だ!?・・・・・659
2010年07月11日
~ 今 日 の 雑 感 ~
投票所は何処だ!?
今日、7月11日は参議院選挙の投票日。
投票人用紙を持って、いつもの投票所へ散歩を兼ねて出かけたのだが、その場所の前まで来ていつもと雰囲気が違うことに気が付いた。
入り口に紙が貼ってある。
「投票所は、〇〇〇に変わりました。そちらへ行って下さい」
なに~~~!?

ここまででもやっとの思いで歩いて来たというのに、これからまだ数百メートルも歩かなくてはならないのか?
それも上り道を!
一瞬、もうここで帰ろうかなァと、思ったが、せっかくここまで歩いて来たのだから、もうひと踏ん張りして行こうかと、悲壮な決意をし、新しい投票所へと向かった。
ところが、その場所まで行くと、今度はそこの入り口の扉が開かない。
押しても引いても開かない。
な、なんだ、これは!?
そんなにわたしに投票させたくないのか?
そこへ、やはり同じように入り口が判らず戸惑う男性がやって来て、
「投票所が変わったっていうんで、来てみたんだけれど、これじゃァ入れない。もしかしたら、まだ別の入り口があるのかもしれないから、見て来ますよ。ちょっと待っていて下さいね」
親切にも、他の入り口を探しに行ってくれて、ようやく入ることが出来た。
投票所の中に入ってまず気付いたことは、選挙の投票立会人の数がいつもに比べ圧倒的に少ないことだった。
要するに、これこそが民主党の目玉商品『事業仕分け』の効果なのだ。
自治体への選挙関連予算が仕分けられたせいで、投票所までが統合され、立会人の数も減らされたのだ。
きっとそうだと思う。
まあ、一日1万6000円もの無駄なバイト代を立会人に払うくらいなら人数制限するのは良いことだが、これは、足の悪いお年寄りたちにはかなりきついだろうと思う。家族といっしょに自動車で来ることが出来るお年寄りはいいが、足の弱い一人暮らしの老人などは、たぶん投票を断念した人が大半だったと思うのだ。
そんなことで、これからはインターネット投票が主流になるのかもしれないが、お年寄りにネットの扱いは無理だろう。
これからの時代は、ますます高齢者の意見が政治に反映されない日本になるのではないかと案じられた日であった。 続きを読む