道案内をすることに・・・
2014年02月28日

リハビリを兼ねての散歩をするのが日課のせいか、観光客から道を訊ねられることが多い。
普通は、口だけで行き方を教えるのだが、時に、どうしても一人で行くのが不安だという人もいる。
そんな時は、自分も散歩の途中だから、一緒に行きましょう----と、言って、観光客を先導することも近頃はしばしばだ。
先日も、予約した旅館へ行きたいのだが、どうしても行き方が判らないと困惑していた年配の女性観光客を、そこまで案内した。
娘さんと二人で旅行しているのだそうだが、予約した旅館とはまったく別の方向へ歩いて来てしまったようで、その娘さんも誰かに旅館の行き方を訊ねて来るといい残したまま、何処かへ消えてしまい、女性は一人、心細さで半ばパニック状態の様子。
携帯電話も持っていないために、娘さんと連絡を取ることも出来ない。
わたしが道案内を承諾すると、「本当に申し訳ありません」と、少しホッとした顔になった。
案内をする途中、女性が、自分たちが泊る旅館はどんな所なのかと訊くので、
「以前、二時間サスペンスドラマの舞台としても登場した旅館ですよ」
と、答えると、ちょっと安堵したように納得した。
初めて泊る旅館が、どんな所なのかは気になるものだ。
目当ての旅館が見えるあたりまで行くと、そこには既に娘さんが待っていて、「お母さん、何処へ行っちゃったのかと心配したよ」と、やや立腹気味。
その後、母子は、わたしに丁寧に礼を言うと、旅館の玄関の方へと歩み去った。
温泉街は、ちょっと見付けにくい路地のような通りや道が複雑に入り組んでいたりして、観光客には判りづらいこともある。
地元住人のわたしでさえ、まだ知らない道があるくらいなのだから、初めて来た人が迷うのも当然だ。
それにしても、近頃は、何かと道案内をする機会が増えた。
それだけ、観光客が戻って来た----と、いうことの証であるのなら、それはそれで嬉しいのだが・・・。
二月は危険
2014年02月25日

二月という月は、どうもあまり良くないことが起き安い時季のような気がする。
親戚や知り合いにも、二月に亡くなった人が何人もいるし、大病を患ったり、凍結した場所で転んでケガをしたという人も案外多い。
寒さや日照不足などで起きるいわゆる冬季ストレスも原因の一つなのか・・・とにかく、危険な月といえる。
その危険な月ゆえか、先日、伯父が自宅近くの外湯の脱衣所で倒れた。
心拍が落ちてしまっていたそうで、意識が低下。
一緒に入浴に来ていた家族は先に外へ出ていたのだが、浴場内の異変に気付いて救急車を呼び、伯父は病院へ運ばれ、即刻応急処置を受けたのちICUへ。
発見が早かったので幸い大事には至らなかったが、今後はペースメーカーのお世話にならざるを得なくなってしまった。
今年の二月は特に寒さが厳しかった。
早く最低気温が氷点下から脱する気候になって欲しいものである。

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大雪のあと・・・
2014年02月21日

大雪のあとは、街のいたるところに除雪された巨大な雪山が作られていて、道路の見通しがかなり悪くなってしまっている。
路肩に寄せ付けられた雪の壁が道幅を狭くしていることもあり、自動車の通行にも支障をきたしている。
気温が高ければ、こうした雪の塊も次第に小さくなるのだろうが、何せ低温注意報が出るくらいのここ数日の寒気の居座りで、融ける気配もない。
今度は、改めてこの除雪後の雪を片付ける仕事が始まったため、あちこちで交通規制が行なわれて、道路には渋滞する車の長い列が出来ていた。
ソチ五輪のジャンプ団体で銅メダルをとった竹内選手も、昨夜長野駅に到着したそうだが、地元の大雪にはさぞビックリしたのではないだろうか。
どうも、今週いっぱいは、物流にも影響がありそうだ。
が、今日訪れたホームセンターには、ようやく雪かき用スコップも入荷していたので、さっそく一本買っておいた。
もう、あんな大雪は降らないとは思うが、一応念のため・・・。
それにしても、早く暖かくなって欲しい。
空気が冷た過ぎて、頭が痛くなるし、肺に持病がある人などは、冷たい外気さえ毒になるので、外出もままならないとこぼしている。
とんでもない大雪
2014年02月16日


まさか、ここに来て、これほどの大雪が降るとは・・・!!

今日は一日中、雪かき三昧。
雪は、わたしの肩の高さほども積り、いったい何処から手を付けていいやら途方にくれた。
殊に、駐車場の積雪はすさまじいもので、掘り進むための道を付けようと一歩足を踏み入れた瞬間は、深雪の中へ埋まり込むような感じとなり、恐怖すら覚えるほどだった。
それでも、周囲の雪を必死でラッセルしながら、ようやく車がある場所までたどり着いたものの、今度は豪雪にすっぽりと覆われた車を掘り出すのがこれまた至難の業。
水分を含んだ雪は想像以上に重く、わたし一人の力では掘り出すにも限界が・・・。

が、そこへ幸いにも弟が到着。
二人で一気に掘り進め、車の救出に成功した。
その後は、二人で我が家のベランダに移動。
ベランダ上に降り積もった巨大な雪山を一時間ほどかけて、ほぼ制圧した。
聞くところによれば、この予期せぬ大雪のため、雪かき用のスコップは、何処の店でもほぼ品切れ状態だそうだ。
午後、電話で明日の長野電鉄の電車の運行状況を訊ねたところ、現在始発からの運行に向けて除雪作業を急いでいるとのこと。
バスは、湯田中駅から中野駅までは何とか運行しようと努力しているそうだが、中野市内の除雪がままならぬため、市街への乗り入れは目処が立っていないとの説明だった。
とはいえ、これで降雪もピークを過ぎ、あとは南風が入って春になるのを待つばかりか----と、思いきや、明日はまたマイナス6度の厳冬に逆戻りだとか・・・。
ど~なっているんだ、地球!?


昔はにぎやかだった・・・
2014年02月12日

今日、我が家へやって来た年配の男性スキー客が話していた。
「何十年か前にもスキーをしにこちらへ来たことがあるんだけれど、街の中はとてもにぎやかで、ネオンがまぶしいくらいに点いていて、身動きが出来ないほど人通りも多かった。
駅はスキー客で大混雑。自分のスキー板がちゃんと見付かるか心配だった。それが、久しぶりに来てみると、あまりに街中が寂しいので、違う場所へ来てしまったのかと不安になったくらいだ」
街の活気のなさの原点は、長野オリンピックを招致した際に造った、中野市から志賀高原へ直接行くことが出来るオリンピック道路にあるといっても過言ではないだろう。
加えてこの大震災不況や住民の高齢化などが、追い打ちをかけた格好になっている。
それでも、これまで世界各地のスキー場を滑った経験を持つというその男性は、志賀高原の雪が忘れられず、今回は仲間のスキーヤーたちと町内の旅館に長逗留しながら志賀高原や北志賀の各スキー場を回っているのだそうだ。
そんな中で気付いたことは、ゲレンデにいるスキーヤーのほとんどが、自分のような年配者だということだと話す。
「若者の姿は、ほとんど見ない。今時の若者は、寒くて冷たいウインタースポーツには興味がないようだ。お金もないので、スキーウエアや板も買えないだろうし、ましてやホテルへ宿泊してまでスキーやスノーボードを楽しむなどという贅沢が出来るはずもないんだろうね」
近頃は、ゲレンデの食事(通称・ゲレ食)の味にもこだわりを見せることで、スキー客離れを食い止めようという試みがなされているやにも聞くが、景気が良くなって就職率が上がり、若者たちの財布のひもが緩まなければ、そうしたスキー場の努力も報われることはない。
さらに、その男性客が言うことには、
「今は、温泉が客を引く時代ではない。わたしのような都会の住人でさえ、都市の真ん中に造られている天然温泉施設で毎日のように入浴しているのだから、温泉場の魅力も薄れたということなんだろうね」
だそうである。

1980年代の志賀高原
世界の壁は厚い
2014年02月11日

連日熱戦が繰り広げられているソチ五輪だが、改めて世界の壁は厚いことを実感させられる。
スピードスケートでは、リンクを製氷したのがオランダの職人だとか・・・。
自国の選手に有利なリンクを作り上げることで、果たしてオランダはメダルを量産。
国を挙げて金メダルを獲りに来ていることが判る。
これまでもよく言われて来たことだが、オリンピックの前年の競技大会は要注意だそうだ。
海外の選手たちは、オリンピックに技術面、体調面などすべての照準を合わせて来るため、前年のパフォーマンスはやや力の出し加減を抑え気味にするらしい。
そのため、オリンピック前には、不思議と日本選手が表彰台を独占するような現象が起き、それを世界の実力と勘違いする節が往々にして見て取れるのだという。
つまり、早い話が海外勢はオリンピック間近になると、あえて手の内を明かさなくなるということなのだ。
だから、今回も日本勢の成績は「まさか、こんなはずでは・・・」の連続になってしまったわけで・・・。
世界は、それだけしたたかな戦略を組んで来ているということなのだろう。
ここまで来れば、正に、スポーツに名を借りたゲリラ戦といっても過言ではない。
正攻法の戦い方しか知らない日本が、そんな彼らに勝てるはずもない。
とはいえ、それでもなお姑息な手段を潔しとしないのが、また日本なのだろうけれど・・・。
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「楽しむ」という意味
2014年02月10日

先日、あるテレビ番組に冬季五輪金メダリストの荒川静香さんと清水 宏保さんが出演していて、オリンピックの舞台に臨む選手たちの発言についてこんなことを語っていた。
「『オリンピックを楽しんで来ます』という選手の言葉を一般の人は誤解している場合がある。楽しむなんて不謹慎だ。もっと真剣になれ---と、いわれることがあるのだが、この『楽しむ』という言葉には、選手がこれまでに懸命に培って来た技術のすべてを出し切るという意味がある。そのすべてが出し切れた瞬間のハマった感覚が、『楽しむ』ということなのだ」
と、荒川さんが話すと、それに対して清水さんは、こう自論を展開した。
「荒川さんは、そう言うが、自分の場合は、『楽しみたいと思います』と、言った時は、実力が出せなかった。つまり、勝つ自信がなかったための予めの言い訳をしたに過ぎなかったのだ。『楽しむ』という言葉は、一種の逃げでもある」
おそらく、清水さんの言い分の中には、オリンピック選手は国民の税金を使わせてもらっていたり、日本という国を背負って競技に出場している以上、個人のパフォーマンスを追求するだけでは不十分だという意味が込められているのだろうと思う。
長野冬季オリンピックの際の日本人選手は、メダルラッシュとも称されるほどの目覚ましい活躍を見せた。
そこには、参加した日本選手全員にとって、日本で開催されているオリンピックだけに、日本国民注視の中での無様な戦いは見せられないという切羽詰まった状況が生まれていたように感じる。
特にオリンピック選手には、「日本を代表してオリンピックに出場させて頂いているのだ」という謙虚さと危機感が必要だと説く人もいる。
果たして、今回のソチ五輪に出場している選手たちの何人が、こうした思いを胸に懐きながら競技を行なっているだろうか。
清水さんの言葉の意味を考えれば、「選手たちには個人的に楽しむ余裕などあってもらっては困る」と、いうことになるのかもしれない。

付加価値を買っている
2014年02月07日

過日、日本中を騒がせた高級ホテルやレストランの食材偽装問題について、ある放送業界関係者が、こんなことを書いていた。
「客は、単に料理を食べたくてそのホテルへ行くのではない。高級ホテルで高価な食材を食べたという能書き(付加価値)が欲しくて、味など二の次でも高いお金を支払うのだ。だからこそ、食材の偽装表示は許せない」
世間というものは、結局は本質でそのものを評価しているのではなく、どのような付加価値がそれを魅力的にしているのかだけで判断しているようなものなのである。
この偽装表示の件にしても、本当に食材そのものの味が判っている人ならば、内部告発など待たなくても一口食べただけで、偽物か本物かの区別ぐらいついたはずである。
要は、何かの作品にしても、それを作った人がどのような社会的地位や経歴を持っているかのみで評価が決まるといっても過言ではないのが、今日の社会なのだ。
たとえば、何のコネもないごく普通のサラリーマンが、どんなに素晴らしい作品を作ったとしても、おそらくはその作品は一生日の目を見ることなどないだろうが、作者が有名作家の子供とか、社会的地位の高い人物という付加価値があれば、それがどんなに凡作でも受賞に値するような評価を下してしまうのが世間なのである。
今回の偽作曲家の問題も、つまりはそういう本物を見抜く目がなかった世間が作り出してしまった幻影だったといえるのではないだろうか。
もしも、実際に作曲していた新垣氏の才能を、最初から世間がしっかりと認めていたならば、このような愚かなことは起きなかったはずなので、耳が不自由な作曲家の作品という付加価値があったればこその、陳腐な好奇心ゆえに人々は飛びついたのである。
ワイドショーでは、著名な作曲家がこんなことを言っていた。
「この『ヒロシマ』という曲には、そのテーマに則した壮大さがないと思っていた。ここからは四畳半で苦悶する個人の姿しか見えない」
果たして、そうだろうか?
その評価も、また、実は作曲者が健常者であったということが判ったための後付けでしかないのではないだろうか。
誰それの作だとかというような先入観などなく、真っさらな状態で曲を聴く分には、決してこの『ヒロシマ』が凡作だとは思えない。
(もちろん、これはクラシック音楽ど素人の素朴な感想であるが・・・)
これからは、作者の見かけや生い立ち、肩書、職業、地位といった付加価値に左右されることのない、たとえ誰が作っても、良いものは良いという正当かつ公平な作品評価が出来る人々が世の中に増えることを祈りたいものである。
まるで、火サス
2014年02月06日

桐朋学園大の新垣(にいがき)隆講師(43)が、6日、都内で会見を行い、「現代のベートーベン」と称される全聾(ろう)の人気作曲家・佐村河内(さむらごうち)守氏(50)のゴーストライターをしていたことを告白、謝罪した。また、佐村河内氏と通常の人々と同じように会話していたことを明かした。(YAHOO!ニュース)
驚いた!

まるで、火曜サスペンス劇場のような話だ。
ビジネスの才能はあるが、まったく作曲の出来ない自称・作曲家が、自らのゴースト作曲家との間に生じた確執が元で、事件に発展する。
サスペンスドラマならば、そんなストーリー展開になりそうなことが、現実に起きるとは・・・。
この問題で感じたことは、フィギュアスケートに使用する際の曲は、最近作られたようなものは出来るだけ避けた方がいいということ・・・。
クラシック音楽を使用するならば、ショパンやベートーベンといった昔から誰もが知っているような作曲家が手掛けた曲を選んだ方が間違いがないという事実だ。
それにしても、自らに作曲の才能がないにもかかわらず、他人に作らせた曲を自分だけの作だといって発表し、販売するとは恐ろしい度胸だと思う。
聴力のあるなしはさて置き、いくらゴースト作曲家が、その旨を承諾していたとしても、普通は後ろめたさが先立っておいそれと出来る所業ではないはずだ。
誰かに楽譜の細部を指摘された場合は、どう対応するつもりだったのだろうか?
世の中には不可思議なことが多い。
それにしても、新垣氏の記者会見だが、もう少しハキハキとした答え方が出来ないものだったのかな。
あれでは、出席した記者たちからの質問にほとんど答えていないのも同じだ。
あんなしゃべり方で、果たして大学の講師が務まるのだろうか・・・?という疑問も浮かぶほどのうやむやぶり。
同氏の記者会見を放送していたワイドショーのゲスト解説者も、思わず苛立ちを隠せなかった。

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今日は、二度も・・・。
2014年02月05日


この間は、地球が変になったのかと思うくらいの暖かさ。
そして、今日は一転、今年一番の最低気温を更新。
朝の凍てつきは恐ろしいほどで、しかしながら、こんな日に限って、二度も病院へ行くことになってしまった。
(一回は通院する父親の迎えで、一回はわたし自身の都合)
こんな日は、さすがに車で外出するのを控える人が多いのか、交通量もいつもより少なめ。
走っている車は、皆、これでもかというくらいスピードを落としてノロノロと行く。
それでも、いきなり前を走る一台のバイクが、一瞬ハンドルを取られたようにスリップした時は、ドキッとした。

毎年、冬になると、つくづく思う。
とんでもない場所に住んでいるんだなァ・・・と。
ところで、皆さんは、突発性難聴という病気をご存知だろうか?
耳の中でセミが鳴いているようなジャージャーという音が絶え間なく聞こえていたかと思うと、ある日突然パタリと何も聴こえなくなる耳の病気だ。
両耳が一度に聴こえなくなるということは稀なのだろうが、過度なストレスや過労、糖尿病などが原因で起きる場合が少なくないそうだ。
どちらか片方の耳が聴こえにくくなっている場合、もう片方の耳が音の聴き取りをフォローしているため、本人が気付かないこともあるらしい。
最近、やけにテレビの音が小さく聞こえるとか、人から声をかけられていることが判らないなど病気の前兆はさまざまだが、たいていがテレビの故障だろうとか、相手の声が小さかったからだなど、人間はとかく自分に都合の良いように解釈してしまうので、早期の発見を難しくしている面もあるという、
そんな中でも、一番判りやすいのが電話。
電話をかけたのに、相手の声が聴こえないとか、呼び出し音が聴こえず、故障しているのかと思った時は、もう片方の耳に受話器を当ててみると良いだろう。
それで相手の声や呼び出し音が聴こえたならば、突発性難聴になっている可能性が大きい。
飲み薬で改善できる症状もあるそうなので、早めの耳鼻咽喉科への受診が大事だそうである。
