付加価値を買っている

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    過日、日本中を騒がせた高級ホテルやレストランの食材偽装問題について、ある放送業界関係者が、こんなことを書いていた。

    「客は、単に料理を食べたくてそのホテルへ行くのではない。高級ホテルで高価な食材を食べたという能書き(付加価値)が欲しくて、味など二の次でも高いお金を支払うのだ。だからこそ、食材の偽装表示は許せない」

    世間というものは、結局は本質でそのものを評価しているのではなく、どのような付加価値がそれを魅力的にしているのかだけで判断しているようなものなのである。

    この偽装表示の件にしても、本当に食材そのものの味が判っている人ならば、内部告発など待たなくても一口食べただけで、偽物か本物かの区別ぐらいついたはずである。

    要は、何かの作品にしても、それを作った人がどのような社会的地位や経歴を持っているかのみで評価が決まるといっても過言ではないのが、今日の社会なのだ。

    たとえば、何のコネもないごく普通のサラリーマンが、どんなに素晴らしい作品を作ったとしても、おそらくはその作品は一生日の目を見ることなどないだろうが、作者が有名作家の子供とか、社会的地位の高い人物という付加価値があれば、それがどんなに凡作でも受賞に値するような評価を下してしまうのが世間なのである。

    今回の偽作曲家の問題も、つまりはそういう本物を見抜く目がなかった世間が作り出してしまった幻影だったといえるのではないだろうか。

    もしも、実際に作曲していた新垣氏の才能を、最初から世間がしっかりと認めていたならば、このような愚かなことは起きなかったはずなので、耳が不自由な作曲家の作品という付加価値があったればこその、陳腐な好奇心ゆえに人々は飛びついたのである。

    ワイドショーでは、著名な作曲家がこんなことを言っていた。

    「この『ヒロシマ』という曲には、そのテーマに則した壮大さがないと思っていた。ここからは四畳半で苦悶する個人の姿しか見えない」

    果たして、そうだろうか?

    その評価も、また、実は作曲者が健常者であったということが判ったための後付けでしかないのではないだろうか。

    誰それの作だとかというような先入観などなく、真っさらな状態で曲を聴く分には、決してこの『ヒロシマ』が凡作だとは思えない。

    (もちろん、これはクラシック音楽ど素人の素朴な感想であるが・・・)

    これからは、作者の見かけや生い立ち、肩書、職業、地位といった付加価値に左右されることのない、たとえ誰が作っても、良いものは良いという正当かつ公平な作品評価が出来る人々が世の中に増えることを祈りたいものである。

付加価値を買っている




    

    


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