~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑮

 そして、雄介が、何やら言葉に表すことさえ憚られるような、ある種異様とも映る光景を目撃することになったのは、その日の夜も更けた頃であった。
 宿舎としているホテルの自室でベッドには入ったものの、何故かすんなりとは寝付けずにいた雄介は、何となく喉の渇きを覚えて、ロビーに設置されている自動販売機でスポーツ飲料でも買って来ようと、既に館内の照明も最小限まで落とされた廊下を、パジャマ姿のままで、階段を使って一階へと降りて行った。すると、薄明かりが漏れる寂静としたロビー脇のラウンジの一隅に、かすかに人の気配があった。それに気付いた途端、雄介は、そちらの空間を漂う雰囲気に、何とも形容し難い陰鬱な臭気の如きものを直感的に嗅ぎ取るや、とっさに物陰へと身を寄せ、それから改めてそちらの様子を密かにうかがった。
 ラウンジのマントルピースの前のソファーに埋(うず)もれるような体勢で、頭をやや左の方へ傾け加減にじっと目を閉じているのは、時任圭吾である。一日の激務の疲れが出て、ついこのような場所で眠り込んでしまったのであろう。その彫像の如く引き締まった顔を、マントルピースの中でちろちろと燃える小さな炎が、オレンジ色に照らし出している。
 もつれた運命の糸を懸命にほぐさんと悪夢の中で格闘を続けてでもいるのか、時任の眉間には、わずかに苦悶の皺(しわ)が刻まれている。身体は、微動だにせず、静かな寝息を立てている彼の首筋には、厳寒の候にもかかわらず、うっすらと汗が光っていた。
 そんな無防備な時任の表情を、その傍らで、男が一人じっと見詰めている。それは、まるで愛しい恋人でも眺めるかのように注視して佇む、野田開作の姿であった。熱っぽくからみつくとでも表現出来るほどの執着的な視線を時任に投げかける野田の薄い唇には、何処か怪しげな微笑が一はけ浮かんでいたが、やがて、その唇は、極めて低い小声で、独り言を呟き始めた。
 雄介は、野田の一言半句も聞き損じるまいと、物陰から耳をそばだてる。野田は、時任の寝顔に、今にも自らの頬を擦り寄せるのではないかと思われるほどに、やるせなさそうな鬱影を面(おもて)に宿しながら、忍びやかに囁く。
 「------時任、おれは、お前のためなら何でもするからな。たとえ、それが、天の摂理に背く大罪であろうと、厭(いと)いはしない。あの夏の日、お前にこの命を救われた時、おれは、自分自身に誓ったんだ。お前に何が起ころうとも、お前の身は必ずおれが守ると・・・・。だから、安心して眠れ。そうさ、お前には、おれが必要なんだ。お前は、決しておれから離れられない。おれを裏切れない。おれは、既に、悪魔に魂を売り渡した男なのだからな・・・・・」
 不可解な言葉を、呪文でも唱えるような口ぶりで吐息とともに独ごちた野田は、それからおもむろに、時任の首筋に滲んだ汗をその人差し指で静かに拭い取る仕種をする。
 「・・・・・・・・!?」
 雄介は、目の前で行われている情景が、現実のものとは俄には信じられない異様な感覚に捉われて、不意に声を上げかけ、慌てて掌(てのひら)で自分の口を塞いだ。次の瞬間、野田の眼球がぎょろりと動いたかと思うと、蛇が鎌首をもたげるように、闇に紛れて息を殺す自分の方へと向けられ、その口許には、不気味に歪んだ冷笑さえ浮かんでいるように雄介には思えた。だが、それは、雄介の中の逆上が描いた、ただの幻覚だったのかもしれない。
 いずれにせよ、雄介は、たった今目にし、耳にした出来事のすべてを記憶の奥底へと封印してしまいたい衝動にかられつつ、込み上げる胸の悪さと動悸を堪え、ホテル二階の自室へと戻った。もはや、喉が渇いていたことなど、念頭から吹き飛んでいた。雄介は、室内の灯りを消すと、そのままのめるようにしてベッドに倒れ込むなり、総身を走る震えに必死で抗いながら、野田の発した奇妙な言葉の意味を、彼なりに考えてみた。
 天の摂理に背く大罪とは何なのか・・・・?悪魔に魂を売り渡したとはどういうことなのか・・・・?ただ、一つはっきりとしたことは、野田の時任に対する思いが、単なる友人に対する気持ち以上に、かけ離れて強いということであった。それも、尋常な執着心ではない。あの二人の間の過去にはいったい何があったのか-------?
 雄介は、そうした疑問の数々を、頭の中で繰り返し考え続けたあげく、まんじりともせずに朝を迎えることとなってしまったのである。


   <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑感~
  
    「白球入魂」------今年の信濃グランセローズのスローガンとのこと。ちょっと、高校野球の精神のようですが、初心に帰るという今久留主監督の意気込みには、ふさわしい言葉とも言えます。球春到来!春のキャンプも始まり、クラシックスタイルのソックスの赤が、何とも鮮やかで頼もしく見える選手の面々。中野市内にある神社での必勝祈願が実り、秋には監督の胴上げが見られることを祈念してやみません。
    ところで、ピッチャーの佐藤広樹選手と、現在石川ミリオンスターズの選手となっている平泉悠選手とは、同じ東京都出身ですが、少年野球のチームメイトでもあったそうです。その後二人は、高校、大学、社会人と、全く別々の道を歩んでいましたが、偶然にもBCリーグ発足に際しての入団テストで再び顔を合せ、しかも、同じ信濃グランセローズに入団することが決まった時は、「本当に驚いた」と、平泉選手は語っていました。「ぼくは、捕手ですから、佐藤君の球を受けるのが希望なんです。二人でバッテリーが組めたら最高なんですけれど・・・・」と、話していた平泉選手。今は、またお互いに別々の球団でライバルとして競うことになってしまいましたが、投手としての素質に恵まれた佐藤選手と、長距離スラッガーの平泉選手、------NPBへの夢がかない、いつか二人でバッテリーを組む日が来ることを、わたしも願っています。

  





「今日のベースボールキャップ」-------『信濃グランセローズ』
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑭

 「あの時の出来事は、昨日のことのように脳裏に鮮明に焼き付いている。レースの当日、三月十日午前八時の志賀高原熊の湯温泉スキー場の天候は、小雪が舞う曇天ながら、視界は充分、風もさほど強くなく、まずまずのコースコンディションだった。スノーファイト仲間数人と野田が見守る中、おれとその大学生は、ともにスタート地点に並び、スターターを買って出た仲間の合図で、一気にコースを滑り降りて行った。滑り出した時点での速さはほとんど互角だった。しかし、コースの三分の一が過ぎたあたりで、おれのスキー板が一瞬横に流れ、タイムロスが生じた。そして、それを察知したであろう大学生の方が、間髪を入れず勝負に打って出ようと加速しかけた時のことだった。スキー板一本分ほど前に出ていた大学生の身体が、突如、何かに突っ掛かりでもしたかのように弾き飛ぶと、そのままもんどりうって、激しい雪煙の巻かれながら、急斜面を瞬く間に転がり落ち、ついには、おれの視界からその姿を消した。正に、あっという間の出来事で、おれはコースの途中でかろうじて滑りを止めたものの、唖然と、そこに佇み続けるしか術がなかった。
 大学生は、その日の午後、『魔の壁』から約一四〇メートル下の谷間(たにあい)の沢畔(たくはん)で、遺体となって発見された。捜索に当たった長野県警は、当事者であるおれには無論のこと、スノーファイトに関わった者たち全員への詳しい事情聴取を行なったが、最終的に大学生の死亡原因は、レース中にスキー板のバインディングの右足側一方が滑走時に加わった角の衝撃に耐えきれず、破損したために起きた不運な事故による滑落死であると、結論付けた。
 その死亡した大学生の名前が、黒鳥和也だったのさ。つまり、黒鳥真琴は、和也の実妹(いもうと)で、おそらく、おれが和也の挑戦を受けさえしなければ、兄は死なずに済んだはずだと考えて、おれを怨み続けていたんだろう。殺人の証拠を見つけるだの、人殺しだのと暴言を吐いたのも、彼女の中に蟠(わだかま)る肉親の頓死というものに対する、強い拒絶意識が、おれという言わば十五年来探し求めていた敵(かたき)を目前にしたことで、一挙に表へ噴き出したと見るのが妥当なのかもしれない。そんな、妄想的暴言でもぶつけなければ、彼女の精神は到底遣り切れなかったんだろうな」
 時任は、黒鳥真琴の心中を、彼なりの視点から同情までもを織り交ぜながら、冷徹に分析する。
 「そんなことがあったんですか・・・・」
 雄介は、時任の告白をじっと聞きながら、小さく溜息をつく。そして、そんな相手の物静かな面持ちを見詰めつつ、
 「でも、それじゃァ単なる逆恨みじゃァないですか------」
 と、呆れるように言った。雄介には、時任の話が保身の色付けを加えての物とはとても思えなかったし、彼の言うように、黒鳥真琴の言葉がただの憎しみの発露にすぎないのであるなら、実に迷惑千万なことだとの、無性に腹立たしい思いが込み上げていたのも事実だった。
 「しかし、何にせよ、決着はつけねばな」
 時任は、そう言って、さりげなく自分の腕時計に目を落とす。そして、かすかな吐息まじりに、もう来てもいい頃なのにな-----と、呟いた。
 「誰かを待っているんですか?」
 不思議そうに小首を傾げる雄介に、時任は、いったん、うんと生返事をした後で、こう明かした。
 「黒鳥真琴を、ここへ呼んであるんだ」
 「何ですって!?あの女が、今、ここへ来るんですか?」
 雄介は、ぎょっとして、思わず時任の顔を穴のあくほど凝視した。何とかして、黒鳥真琴の誤解とお門違いの怨恨を払拭しなければと思いつめる、時任の焦燥も判らなくはないが、あそこまで頑なに時任に対する疑惑と憎悪を膨張させてしまっている女の理解を売るのは、並大抵の努力で補い切れるものではないことぐらい、比較的楽天思考型の雄介にも、痛感されている事実であった。
 だが、それからしばらく待ったものの、結局、この時黒鳥真琴は姿を現さなかった。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>


    
    ~今日の雑感~

    「一方通行人間」------最近は、こういう類の人間が多くなったと言われています。これは、単に頑固で他人の話には聞く耳を持たないという、従来のいわゆる意固地人間のことではありません。正に、その名の通り、他人の言っている言葉の意味をほとんど理解する能力がないか、もしくは、理解を必要としない人間のことです。
    ある日、近所のコンビニエンスストアで、わたしは、奇妙な光景を見ました。二十代前半と見える女性店員に、八十歳ぐらいの男性客が、「ちょっと、近くに用事があるんだけれど、ここで買った荷物が重いんで、しばらくこの店に置いといてもらえないかな?帰りに、またもらって行くから」と、頼んでいたのですが、その女性店員は、「・・・・・・」と、まったく無言のままで、男性のことをただじっと見ているだけです。男性は、もう一度、同じことを言いましたが、やはり、反応がありません。その横から、別の客が、商品をレジまで持って来ますと、「ありがとうございます。温めますか?」などと、これにはちゃんと応対しているのです。高齢者の男性客は不思議に思って、近くにいるもう一人の別の客に、「どうなっているんだ?」と、訊ねました。すると、その別の客の言うことには、「要するに、一方通行人間なんだよ。マニュアル通りのことしか教えられていないんだよ。それ以外のことを訊かれると、固まっちまうんだ」と、言って笑っていました。「それじゃァ、ロボットじゃねェか・・・」高齢の男性客は、呆れ返った顔で、その重い荷物を抱えたまま、店を出て行っていまいました。
    これは、ほんの一例ですが、このような対応に出くわしたという話は最近頓(とみ)に耳にします。これでは、対話も何もありません。たぶん、その女性店員の人も、本当は、もっと男性客に親切に接したかったのかもしれませんが、マニュアル上、それが出来なかったのかもしれません。本当のことは判りませんが、何だか、世の中が、味気なくなって来たような気がしてなりません。
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑬

 その後の休憩時間に、同スキー場内にあるレストハウスへと入った雄介と時任の二人は、小さな円形のテーブルに向かい合わせに腰掛けると、長時間のゲレンデパトロールで冷えた身体を温めるため、束の間のコーヒータイムを過ごしていた。そのレストハウスの店内では、彼らの他にも大勢のスキー客が食事をしたり談笑したりと、皆思い思いのブレイクタイムを満喫している。その客たちのカラフルなスキーウェアに彩られた周囲は、まるで、花畑にでも迷い込んだかのような鮮やかさと、圧倒されるような人いきれに満ちていた。
 やがて、時任は、雄介を前に、白い大ぶりのカップに注がれたコーヒーに、ピッチャーのミルクを入れ、それを一口味わってから、さっきの話の続きを、静かに語り出した。
 「------今から十五年前、そんなおれが、やはり医大の春休みを利用して、信州への帰省かたがた志賀高原でのスキー三昧の毎日を送っていたある日のこと、神奈川県から来たという一人のある男子大学生から、スノーファイトの挑戦を受けることになってしまったんだ。その大学生とはもちろん初対面だった。しかし、大学生が、おれと一緒に滑りを楽しんでいた野田の滑走体勢を見て、へっぴり腰だとからかったのが発端になり、結局、売り言葉に買い言葉が高じて、挑戦を受けて立つことにしたんだ」
 「野田さんが、スキーをされていたんですか?」
 雄介が思わず口走ると、時任は、何だ、意外か?------と、いった表情で上目使い見詰め返し、
 「野田開作は、高校三年の夏に起きた山岳事故が原因の怪我の後遺症で、左脚に障害を負ってしまったんだよ。そのため、それからは、何度の高いコースは自分から敬遠するようになったものの、脚を負傷する以前は、我が母校スキー部のアルペン滑降のエースとして、将来を嘱望された男だったんだ。さすがに、今はもう日々の多忙さから、あまりスキーを履く機会もなくなったそうだが、それでも、まだ二十代前半だったあの頃は、野田もたびたびおれたち旧知のスキー仲間と連れ立って、志賀高原の笠岳(かさだけ)越えや、奥志賀から北志賀に渡る竜王(りゅうおう)越え等々の、ツアースキーに参加したりもしていたのさ」 
 「そうだったんですか・・・・」
 雄介は、嘆息気味に頷くと、
 「それじゃァ、野田さんのそうした栄光も知らずに、その大学生は恥辱を浴びせかけた訳ですね」
 ひでェことをしやがるなァと、雄介は眉を顰(しか)め、
 「親友がそんな目に遭わされたら、おれだって本気(マジ)ギレしますよ------!」
 ついつい語調が過激になる。時任は、そんな血の気の多さを隠そうともしない雄介の正義感あふれる顔を、何か面映ゆいものでも見るような優しげな眼差しで眺めながら、そっと微苦笑する。
 「だが、野田は、おれと大学生が『魔の壁』で戦うことには、あくまで反対した。自分のことが原因で、事態が悪化して行くのを、黙殺出来なかったという理由もあるのだろうが、それとは別に、野田は、三月の『魔の壁』が、殊に危険な状態になることを知っていて、おれと相手にもしものことがあってはいけないと、心配してくれていたんだ」
 「三月------?どうして、それが特別危険なんですか?」
 時任の言葉に、雄介は身を乗り出す。時任の説明は、こうである。
 「つまり、三月になると雪山の気温もこれまでよりは上がって来るだろう?アイスバーンになった斜面の上に新たな降雪が積もると、そこへ気温の上昇が生じた場合、表層雪崩が発生する危険のあることは、雄介、お前も知っているはずだ。要するに、雪山を知るものならば、それは誰しも懸念するところだが、南向きに切り立つ『魔の壁』にあっては、特にそうした条件が揃いやすく、脆弱(ぜいじゃく)な新雪面は、粗目になり、滑走者へのリスクもかなり高くなるという訳だ。しかし、おれは、必死で引き留める野田の気持ちよりも、おれ自身のスノーファイターとしての身勝手なプライドの方を優先させ、氷壁のチキンレースに挑んだんだよ。------そして、あの事故は起きたんだ」
 「事故--------?」
 雄介は、思わず時任の言葉を復唱する。時任は、そうだと、自らに得心を強いるかの如く深く頷いてから、十五年前にあの『魔の壁』でいったい何があったのかを、努めて感情的な部分を排した視線を保持しつつ、抑制のきいた冷静な口調で述懐するのであった。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑感~

    今日も、病院ネタで恐縮ですが、一昨年の秋、身体の不調で総合病院へ行ったわたしは、若い女性研修医の先生に診て頂いており、内科処置室という所で、点滴を打ってもらっていました。そこへ、急患を引き受けてもらえないかとの連絡が入り、年配の看護師さんが、その女性研修医に引き受けをOKしてもいいかと訊いたところ、いいという答えで、その救急患者は、ここへ搬送されて来ることになりました。すると、間もなく、新たな急患受け入れ要請が入り、こちらもどうしても受け入れてもらいたいとの救急隊からの連絡で、その研修医の先生は、この急患も引き受けるという返事をしたのです。しかし、返事をしてしまってから、「どうしよう。あたし一人じゃァ不安だわ・・・」と、いうことになり、病棟にいたベテランの医師に助勢を請うことに。
    「急患が二人来るんですけど、助けて頂けませんか?」しかし、どうも、ベテラン先生は、他の診察で手いっぱいな様子。すると、年配の看護師さんがそこでアドバイスをしました。「何でもしますから、お願いしますって言ってみたら?」研修医の先生は、背に腹は代えられず、その通りのことをベテラン先生に告げました。
    やがて、運ばれて来た急患の一人は精神科の方へ、もう一人のおじいさんの急患をその先生たちが診ることになったのですが、このおじいさん、意識が朦朧としていて、何を言っているのか全く意味不明。かなりお酒も飲んでいるらしく、「☓☓から落ちた・・・」というだけが精一杯。するとベテラン先生が、研修医の先生に、「お前、なんでもやると言ったんだから、この人が何を言っているのかちゃんと聞き取れ」と、言います。研修医の先生が、再度訊くと、おじさんは「炬燵(こたつ)から落ちた~」と、言っているように聞こえます。「炬燵?炬燵なのね?」研修医が念を押すと、それを訊いたベテラン先生が、「そうじゃない、脚立(きゃたつ)と言っているんだよ。口の開き方をよく見ろよ」と、教えました。
    カーテンで、周りは仕切られていたものの、ベッドで一部始終を聞いていたわたしは、やっぱり、経験者は大したものだなァと、一人感心していたものです。そのおじいさんは、それから頭部のCTを撮るため、ストレッチャーに載せられたまま処置室を出て行きました。ベテラン先生が、そこで研修医の先生に、「一つ、貸しだな。今度昼飯でもおごれよ」------ベテラン先生の顔は判りませんでしたが、何だか、ちょっといいラジオドラマのワンシーンを聴かせてもらったような気がしました。
    
 
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑫

 そして、全長一・五キロメートル、最大斜度四十五度の通称『魔の壁』は、そこにあった。熊の湯温泉スキー場の熊の湯第三スキーリフト(八九五メートル)を上りつめた地点より、目が眩(くら)むほどに深く切り込んだ白銀の渓谷を隔てて、その峨々たる氷壁は、地文(ちもん)に類する自然界の何物の触手をもことごとく拒絶し続ける壮烈をきわめて、紛れもなく存在していた。  
 熊の湯温泉スキー場におけるゲレンデパトロールの途中、対峙の方向にその『魔の壁』を眺望して、時任と雄介は、暫時滑走を止めた。
 「ものすごい斜面だな。あんな所を滑り降りる奴がいるんだろうか?まるで、絶壁そのものだ・・・・」
 雄介は、背筋を冷や汗が伝い落ちるような緊迫感に脅かされて嘆息する。
 「雄介、お前、あの壁を見たのは初めてなのか?」
 時任は、雪目防止ためのサングラスの奥から、パートナーのあまりに素直な驚愕ぶりを見詰めながら、少し呆れ口調で訊く。
 「ええ、志賀高原でスキーをしたことは何度もありますけれど、熊の湯へ来たことはありませんでしたから・・・・」
 雄介は、正直に答える。
 「そうか、それじゃァ、このゲレンデは、お前にとって今日が初滑りということか。だったら、教えておいてやるが------」
 そう言うと、時任は、その『魔の壁』についての解説を始めた。時任の説明によれば、つい最近までは、『魔の壁』も、熊の湯温泉スキー場のコースの一部として設定されていたのだが、滑降終着地点のいわゆるランディングバーンの距離が、極端に短く、即崖下へ落ち込みかねない危険な設計となっていた事実に加え、近年、俄に、自らのスキー技量を過大評価してこの超難コースに挑む自惚れた輩の急増が目立ち、それに伴う人身事故が多発し始めたという理由から、現在は立ち入り禁止の措置が執(と)られているとのことであった。
 それから、時任は、雄介にこう問いかける。
 「ところで、お前、スノーファイターと自称する連中のことを知っているか?」
 「スノーファイター?」
 雄介には、初めて耳にする言葉であった。時任は、そうか、聞いたこたはないか------と、やや自嘲的な呟きを漏らしながらも、その双眸を眼前の雪壁に凝着させている。そして、ゆっくりとした口調で、淡々と語り出した。
 「今から十五、六年も前のことになるが、その頃、ここ志賀高原の地元では、腕に覚えのある命知らずの若いスキーヤーたちが、自らをスノーファイターと呼んで、その王(キング)の座を狙い、互いのスキーテクニックと度胸を競い合っていたんだ。そして、その戦いの場が、あの『魔の壁』だった。おれもまた、そんなスノーファイターを気取った一人として、東京の医大の学生の身分でありながら、年末年始の休みや学年末の春季休暇を利用しては、志賀(高原)へやって来ると、彼らとともに、粋がった勝負師気分を満喫していたのさ」
 「時任さんが、スノーファイター・・・・ですか!?」
 雄介は、驚いた。あんな危険きわまりない絶壁で、単に滑降すると言うだけでも肝が縮むだろうに、そのスピードはもとより、ランディングバーンに到達した時点で、停止するまでの距離をいかに長く保てるかを競うと、いうことは、別言、どれだけ崖側近くで止まれるようスキー板を制御出来るかを試すということである。そんな、正に無謀きわまりないチキンレースを行なう猛者どもの仲間に、この時任も入っていたということになる。
 今では、一般のスキーヤーやスノーボーダーたちに、ゲレンデにおけるマナーやモラルを指導する立場にある時任の姿からは、想像も付かない、この男のもう一つの顔を見た思いであった。雄介の著しい驚きぶりに、時任は、少しばつが悪そうな含羞を面に宿す。
 「嘲笑(わら)いたければ、嘲笑えよ」
 投げやり気味に言い放ったのち、
 「雄介、お前、昨夜(ゆうべ)おれに訊いたよな?黒鳥真琴という女は、何者なのかと-----。野田は、あまり第三者の耳には入れたくない様子だったが、おれとしては、スキーパトロールの相棒であるお前には、出来るだけ隠し事なく、おれ自身の体験したことを話しておこうと思っているんだ」
 と、改めて雄介を見詰めると、少し微笑んだ。
 「------時任さん」
 スキーパトロールは、ある意味常時危険と隣り合わせの過酷な仕事でもある。故に、共に勤務するパートナーは、必要不可欠な、謂わば一種の命綱といっても過言ではない存在である。雄介は、心中では密かに敬意を懐き始めている時任の口から、直に相棒と呼ばれたことが、照れ臭いながらも嬉しく、また、何処か誇らしくさえあった。
 「それなら、もう一つ聞かせて下さい。あなたと野田さんの関係です。高校時代の同級生だということは判っていますが、それだけの関係じゃァないような・・・・。二人の間には、何かもっと親密なものがあるんじゃないんですか?それに、あの野田さんの左脚-------。こんなことまで訊いては、失礼かもしれませんけど、何だか気になるんです」
 雄介は、時任に呆れ返られることを覚悟のうえで、あえて、更に踏み込んだ質問をぶつけてみた。しかし、時任は、別段機嫌を害することもなく、
 「そうだな。雄介が、どうしても聞きたいというのなら、話そう------」
 そう、小さく頷いた。


    
    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>


    ~今日の雑感~

    昨日は通院日でした。病院の中は、相も変わらず慌ただしく、検尿コップを持ってトイレから出た瞬間、救急隊員二名に搬送された急患が、ストレッチャーで勢いよく運び込まれて来たところと鉢合わせになり、危うくコップをふっ飛ばしそうになりました。実に、危なかった~。icon10ぶつかる直前で、我ながら、よく踏ん張ったと思います。あれが、モロふっ飛ばされていたら・・・・、考えるだに恐ろしい・・・・。face10
    わたしの病院での珍体験は、枚挙にいとまがありませんが、これもつい最近の出来事です。わたしが入るように言われるレントゲン室は、入口が二つで室内は一つなのですが、いつも同じ入口からしか入ったことのなかったものですから、その時までは、もう一つの入口があるとは思ってもいませんでした。それで、レントゲン撮影を終えていざ服を着ようとしたら、さっき脱いだ服が脱衣籠の中にない訳です。びっくりして青くなったわたしは、「服が消えてしまいました~!icon10」と、レントゲン技師さんに訴えました。慌てて奥のオペレーションルームから飛び出して来た技師さん、「あっ、そうだ。今日は、反対側の入り口から入られたんでしたよね」-----
そうだった!忘れていました。face08反対側の入り口付近の脱衣籠には、ちゃんと服が入っていました。とんだ赤っ恥体験でした。(~_~;)\テヘッ・・・

 
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑪

 だが、時任は抗(あらが)うように野田の手を振りほどくと、ひどく思いつめた眼差しを伏せたまま、黙然と唇を噛んでその場から立ち去ろうとした。なおも慌てた野田は、軽度の障害がある不自由な左脚を引き摺りながら、時任の後を追い、更にその前へ立ちかだかると、
 「時任、気にすることはないぞ。あれは、もう十五年も昔の話なんだ。それに、完全な事故だったと、長野県警も判断したじゃないか。お前には、何一つとして非はない。その黒鳥和也の実妹(いもうと)とやらが言っていることこそ、言い掛かりというものだ」
 押し殺した声で、懸命に擁護する。しかし、時任は、苦悶に沈む表情を変えることなく、
 「それは、判っている。だが、現にその女が、実兄殺しの犯人としておれを恨み、告発さえも辞さない覚悟でいるというんだ。このまま放っておく訳にはいかない・・・・」
 と、呻くように言う。
 「それじゃァ、どうするつもりだ?女に会って、自分の口から直に潔白を訴えるとでも言うのか?そんなことで、女が素直に納得なんかするものか。一層、お前に対する疑惑を濃くするのが関の山だ。だから、無理に説得しようなんて思うな。ここは、余計な波風を立てず、静観しておく方が賢明というものだ」
 野田は、紺色の洒落た三つ揃えで包んだ痩躯を必死の楯に使って、時任を思い止まらせようと努める。
 その一方で、時任と野田のあまりに予想外な衝撃にも似た反応を目の当たりにした雄介は、自分の伝えた事実の重大さを改めて認識すると同時に、彼らの驚愕の裏にあるものと推察される『事故』とやらについて、強く好奇心をくすぐられた。
 「いったい、どうしたっていうんです、時任さん。野田さんも、黒鳥真琴が何者なのか、心当たりがあるんでしょう?おれにも、教えてくれませんか?」
 雄介は、二人の会話の間に割り込むようにして、丁重に頼んだ。しかし、そんな雄介を肩越しに振り返った野田は、
 「本間君、きみにはすまないが、これは、我々二人の問題でね。今は、何も訊かないでくれたまえ」
 けんもほろろに言って来た。野田にかかっては、まったく門外漢扱いとなってしまった雄介は、そこで止む無く口を噤(つぐ)まざるを得なかった。


 「時任君、急で悪いんだが、今日の午後のパトロール勤務は、熊の湯温泉スキー場に変更してもらいたい。熊の湯温泉(あちら)のスキーパトロール員に風邪による欠員が出たそうで、横手山(こっち)に補充員のお鉢が回って来てしまったんだ。志賀高原観光開発索道協会(うえ)からの指示には逆らえんしな。本間君と一緒に行ってくれ。たった半日でも、二人に抜けられるのは痛いが、これも仕事だ。こっちは、残りの員数で遣り繰りすることになるが、この際仕方がない」
 次の日の朝、何処となく気まずい雰囲気を抱える格好で、パトロール本部へ出勤した時任と雄介を待っていたものは、高木主任のこの命令であった。無論、志賀高原内にあるすべてのスキー場が、それぞれのお家の事情を考慮し合い、スキーパトロール員やスキー教室のインストラクター等の出張交代及び補充助勢などを、臨機応変に行なうことは、決して珍しいことではない。しかしながら、その助勢派遣先が熊の湯温泉スキー場というのが、雄介には引っ掛かった。
 熊の湯温泉スキー場には、あのインストラクターの黒鳥真琴がいるのだ。そこで、雄介は、高木主任にそれとなく時任の派遣を見送るように頼み込んだ。
 「主任、おれは、何処へでも行きますが、時任さんは、この横手に必要ですよ。時任さんの代わりに、誰か別のパトロール員を派遣してもらえませんかね?たとえば、可児(かじ)君とか-------」
 その途端、
 「雄介、余計なことを言うな!」
 遮ったのは、他ならぬ時任本人であった。
 「------時任さん?」
 せっかく、あなたのことを心配して高木主任に直訴したのに、どうして止めるのかという表情を見せ、当惑する雄介を、射るような斜眼光で制した時任は、
 「いいんだよ。おれに対して気を遣う必要はない」
 そう言いながら、事務机で今日一日のパトロール員の配置を検討している高木主任の前まで歩み寄ると、まるで、自らを律することに努めんとする軍人の如き覚悟にも似た緊張を、その浅黒く整った横顔に刷(は)いて、こう付け加えた。
 「おれも、熊の湯へ行きます。あちらへは、そう連絡を入れておいて下さい」 


    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>


 
 ~今日の雑感~
 以前通っていた英会話スクールのアメリカ人教師は、信州大学の若い青年留学生だったのですが、彼が、日本の怖い話が聞きたいというので、拙い英語ですが、身振り手振りを交えつつ「雨女(レインウーマン)」の話をしてあげました。「時は江戸時代、雨のしとしと降る寒い夜、一人の町人が家路を急いでいると、そんな雨の中に傘もささず、着物姿の何処ぞのお屋敷のお女中と思しき、一人のうら若き女性が佇んでおりました。その女性は、濡れそぼった背中を向けて、しくしく泣いているような素振りでしたので、不審に思った町人は、その女性に、訳を尋ねたところ、彼女はやおら振り向くと、その蒼白い顔をほつれ髪に隠しながら、『わたしの赤ちゃんは、何処でしょうか?教えて下さいませんか』と、言うので、ちょっと、薄気味悪くなった町人が、『わたしは知らないから、他の誰かに訊いてくれ』と、その場から離れようとしました。でも、女性は、そのあとを何処までも付いて来て、突然、町人の背後から抱きついたかと思うと、『お前が、赤ん坊の替わりになっとくれ!』と、言うなり、町人の生気を奪い取ってしまったというお話・・・・」と、教えたところ、それが相当に恐かったらしく、次に会った時、「あれから、夜が不安で困った」と、言うのです。理由を訊くと、「だって、もし、雨女が新聞代の集金人に化けていたらどうしたものかと思って・・・」との返事。雨女が新聞代の集金に回るなどという発想は、日本人には、まずありえません。国が変われば、想像するシーンも変わるものだなァと、驚きました。f(~_~;)ハハ・・・

 「今日の一枚」------『新選組・八木邸にて』
 
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑩

 雄介には、この女性スキーヤーの容貌に、はっきりとした見覚えがあった。
 「きみは、昨日(きのう)の-------」
 女性は、例のスキーリフトでの人身転落事故の際の通報者であり、また、神崎パトロール員が言うところの、志賀高原熊の湯温泉スキー場でスキーインストラクターを務めているという人物であった。彼女は如何にも聡明そうな眉目に、何故か、嘲りと侮蔑とも思えるような不可思議な色を含みながら、冷たく雄介を見る。そして、こう言った。
 「悪いことは言わないから、あの時任という男とは、あまり親しくならないことね」
 「それは、どういう意味なのかな?」
 雄介は、質問しつつ頭の中で、昨日の、スキーリフトから転落した男性スキーヤーの救助に当たる時任に投じられていた、この女性の苦渋に満ちた眼差しを思い出していた。雄介は、更に訊ねる。
 「きみは、誰なんだ?時任さんの知り合いか?」
 「そんなんじゃないわ。でも、時任圭吾がどれだけ卑劣な奴かは、誰よりもよく知っている------」
 彼女は、憎悪もあらわに雄介を睨み据えたまま、
 「時任圭吾はね、あの男は、人殺しなのよ!」
 怨念を噴出させるかのように、きっぱりと言い放った。
 「------なんだって?」
 雄介は、瞬間、次の言葉に窮した。この女は、気が確かなのだろうかと、女性の精神状態を疑った。と、相手は、雄介のそんな胸中の動きを敏感に察知するや、卑屈とも自虐ともつかない冷ややかな笑みを片頬に宿し、
 「あなたにも、今にあの男の正体が判るわ。時任に会ったら伝えなさい。必ず証拠を見付けて、お前の罪を暴き出してやる------。殺人事件には時効があるけれど、そんなことには関係なく、わたしは必ずお前を追い詰めてやるから覚悟しておけとね」
 そう挑戦的に叩きつけてよこすなり、再び滑り出して行こうとする。雄介は、咄嗟にそれを呼び止める。
 「待ってくれ。せめて、きみの名前ぐらい教えろよ」
 すると、女性は、雄介の方へ背(そびら)を向けた姿勢を保ちつつ、自らを黒鳥真琴(くろとりまこと)と、名乗った。
 「------死んだ黒鳥和也(くろとりかずや)は、わたしの実兄(あに)よ」
 さらに、彼女はそう付言し、まるで、何かしらの毒気にでも当てられたかの如く顔色無しに立ち尽くす雄介の眼前から、疾風の速さで、麓へと向かって滑り去って行ってしまった。
 雄介の胸間には、不可解な溜飲(りゅういん)だけが苦く残った。


 
 その日も一日のパトロール任務を、雄介は、さしたる支障もなく、パートナーの時任の指示を仰ぎながらも、まずまず無難に乗り切った。しかし、常時行動を共にしている時任ではあるが、いや、そうであるからこそ、雄介には時任に対する気遣いの方が先に立ち、どうにも、朝方出会った黒鳥真琴と称する奇妙な女性についての事情を話すことが出来ずにいた。
 そんな雄介が、ようやっと何とか躊躇いを払拭し、パートナーに向ってその話題を切り出したのは、二人が宿舎にしている横手山ロッジへと、勤務を終えて引き揚げて来てからのことであった。
 午後九時過ぎ、既に同ホテルの宿泊客たちはホテル内の食堂における夕食を済ませ、三々五々それぞれの客室へと戻っており、ロビー脇にあるラウンジに設けられているソファーには、赤々と燃えるマントルピース(暖炉)の炎を眺めながら、時任と野田開作の二人だけが寛(くつろ)ぎながら、世間話に興じていた。
 雄介は、そんな男たちの方へとおもむろに近寄り、やや遠慮めいた神妙顔で、時任に声をかけた。
 「時任さん、ちょっと、あなたに話があるんですけど、あとでいいですから、時間を取ってもらえませんか?」
 これに対して時任は、訝しげに苦笑いをしながら、
 「そいつは、構わんが、ここじゃァ話しにくいことなのか?」
 と、問い返す。雄介は、言葉を濁しかげんに答える。
 「まあ、そんなところです・・・・・」
 「お前のプライベートに関しての話か?まさか、もう、仕事が嫌になったなんて言うんじゃないだろうなァ?」
 時任は、以前にも何人かのスキーパトロール員が、給料の安さと、それとは逆の仕事の過酷さが原因で、早々にスキー場を去って行った事実を目の当たりにしているため、もしや、またぞろリタイアの申し出かと、一瞬の緊張感を言葉に孕(はら)む。
 「そんなんじゃありません。話したいのは、おれのことではなく・・・・、あなたのことです・・・・・」
 雄介が、不本意ながらも奥歯にものの挟まるような言い方をすると、
 「おれのこと------?おかしな奴だなァ。何を殊勝ぶっているんだ?おれのことなら、別に隠す必要なんかない。言いたいことがあるなら、今ここで言えよ」
 時任は、まるで意に介さぬ素振りを見せる。だが、雄介の真顔を尋常でないと鋭敏に察した野田の方が、流石に長年客商売に携わって来た苦労人の気配りを見せて、
 「-------さて、おれは、まだ仕事が残っているから、これで失礼するよ」
 と、さりげなく腰を上げにかかった。ところが、そんな野田の細心に気付いた時任は、すかさず野田を制すると、
 「雄介、おれは構わないから、今この場で話せ」
 そう指示した。雄介は、これでも新参パトロール員の立場としては、先輩パトロール員に対して気を遣っているつもりなのになァと、胸中に一言ぼやいてから、この日の朝のゲレンデ巡視中、横手山山頂付近で起きたことの一部始終を、時任に伝えたのであった。
 「-------時任さんを、殺人犯呼ばわりするなんて、あの黒鳥真琴とかいう女、何かよほどの勘違いをしているとしか思えないんですけれど、とにかく様子が普通じゃァなかった。一つ間違えば、危害さえ加えかねない程の剣幕だったから、ちょっと心配で、一応、あなたに報告しておいた方がいいと思ったんです」
 雄介が、そう懸念の色を言葉の節に結んだ直後、時任の長躯が、何者かの力によって弾かれたかのように、ソファーから立ち上がった。その表情は、蒼褪めて強張り、握りしめた両の拳は、瘧(おこり)の如く小刻みに震えている。
 「時任--------!」
 野田は、不安の面持ちで、思わず時任の腕を摑んだ。


    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>


    
    ~今日の雑感~

    「~依存症」という言葉があります。「ギャンブル依存症」とか、「買い物依存症」、「アルコール依存症」などもそうですが、中には、「外出依存症」と呼ぶにふさわしいほど、外に出ることが好きな人もいます。そもそも、依存症とは、「楽しいことや刺激的なことを目の当たりにすると、脳内に多幸感をもたらすベータエンドルフィン、快感をもたらすドーパミンが多く分泌されるが、それが常習性を持つことにより、快感の前倒しが起き、そのことをやる前にドーパミンが増え、それをしている時に、セロトニンなどの安心感をもたらす物質が分泌されるために生じる現象である」と、いうことらしいのです。
    つまり、その「外出依存症」の癖がある人は、「外へ出て、何かをしたい」と、思った時に幸福感を感じ、外出している時に、安心感を感じる訳で、普通は、最も安らげるはずの自宅の中にいると、むしろ焦燥感やイライラ感が募ってしまうのだそうです。実は、わたしの周りにも、これに近いタイプの女性がいて、お昼過ぎになると、家の中にいるのが苦痛でならないというのです。しかし、この人は、自分で運転も出来ませんし、独りで外へ出ることを極端に怖がる性質なので、そういう時は、必ずと言っていいほど、他の家族や知り合いの自動車に同乗させてもらい、外出するしか術がありません。実に厄介な問題なのです。
    現在は、このような依存症の中に、「パソコン依存症」とか、「携帯電話依存症」などという物まで現れて、パソコンや、ケータイ電話を常に身近においておかないと、不安で仕方がないという子供さんまでいるそうです。それに関連して、ごく最近では、「ブログ依存症」なる言葉までも耳にします。ブログの中の会話でしか自分を表現できないとか、ブログを書いている時だけが唯一安心できる時間だとか・・・・。これは、ある意味、怖いことでもあります。あくまでも現実生活とのバランスを保ったうえで、ブログというコミュニケーションツールは楽しみたいものです。
    
 


 
 
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑨

 野田は、ややはにかんだ面持ちで頷くと、
 「死んだ両親が経営していた高原旅館を現代風にリニューアルしただけの話だよ------」
 立派と言われるほどのものじゃないよと、殊勝な謙遜ぶりを見せる。野田の両親は、三年前の夏、誘客出張中の関西方面において交通事故の巻き込まれ、不慮の死を遂げたのだという。野田は、地元の大学を卒業したのち、しばらくは県外のホテルマン養成学校に在籍、その後、自宅へ戻り旅館業を手伝っていたが、両親の事故死によって、家業を急きょ引き継がざるを得ない状況におかれ、今日に至っているのだとの、時任からの説明であった。
 「だから、野田は偉いというんだよ。自分の運命を常に前向きに受け止めながら生きている。利己主義の塊みたいな親父の意向に逆らえもせず、東京にある伯父の病院で安穏と勤務医を続けているようなおれには、お前の本当の苦労など理解出来てはいないのかもしれんが、ただ、頭が下がるばかりだよ」
 そう言った、時任の視線が、それとなく野田の脚の方へと落ちる。野田の左脚には、さほど目立つほどではないものの、少しばかり障害があるらしく、その一方の足を軽く引き摺りかげんに歩くことに、雄介も先刻より気付いていた。この時任の視線に対し、一瞬息をのむような間を窺ったかに思えた野田であったが、次の時には、
 「これか-------。もう、昔のことだよ」
 己の左脚の太股を掌で摩(さす)りつつ、頓着とは無縁の口ぶりで、いとも平然と受け流した。そして、すかさず話頭を転ずる形で、
 「時任、おれのことなどどうでもいいが、お前、自分の父親を悪く言うのはやめろ。お前の親父さんは、この地域でも有名な開業医じゃないか。誇りに思っていい人物だよ」
 と、友人の自嘲的発言を諫めた。
 「野田の言葉は、いつも正論だな」
 時任は、苦笑する。雄介は、こうした時任と野田の会話を黙然として聞いてはいたが、しかしながら、徐々に、不愉快な気分に捉われ始めている自分に気付いていた。理由は、判然としない。ただ、昼間とは打って変わった饒舌ぶりの時任が、これ見よがしに旧友と胸襟(きょうきん)を開きあう態度を、雄介の目は明らかに一歩退いた所から、何処となく釈然としない感情に苛まれつつ、見詰め続けていたのであった。



 翌朝、志賀高原一帯は、この冬一番という厳しい冷え込みに見舞われた。淡黄色を帯びた冬の太陽光が、群青に満ちた大空より燦々と降り注ぎ、高峰の大地に凛然として植生する樹氷林を、神々しいほどの生気で覆い尽くす。この日、はるか眼下に、志賀の山々を従える横手山の頂は、正しく雲上の城郭の観を呈するとともに、他の景勝を凌駕する気鋭にすら溢れて、聳え立っていた。
 雄介は、ゲレンデパトロールの途中、緊急呼び出しを受けてスキーパトロール本部へ戻ったパートナーの時任と、一時別行動となり、一人横手山山頂付近にいた。眼前には実に、三百六十度の大パノラマが展開し、かなたにたなびく雲海と、雪の頂を連ねる北信五岳や北アルプスの尾根伝いの白が、紺碧の空と相まって、絶妙な風光を配している。
 そのあまりに美しい展望を目交(まなかい)にして、雄介は自らの仕事を失念したかの如く、そこにスキー板を止め、思わず息を呑んだ。が、やがて彼は、背後から迫る人の気配を察知し、徐にそちらを振り返った。
 やって来たのは、一人の女性スキーヤーであった。一気にアスピリンスノーの急斜面を滑り降りて来た女性は、激しく蹴立てた雪煙を、故意に雄介の体へ浴びせかけるようにして立ち止まる。そして、雄介に対する詫び言一つないままに、やおら、自分の目元を隠しているサングラスを外すと、
 「あなた、時任圭吾の新しいパートナーね?」
 と、前口上も割愛して、矢庭に切り込んで来た。


    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>

  
~今日の雑感~

 三月五日に開幕が迫った野球のWBC(ワールドベースボールクラシック)。原ジャパンがどんな活躍を見せてくれるか、今からとても楽しみです。ただ、わたしにとっては、三年前のWBCの記憶があまりに鮮明だったために、今回は、何だか二番煎じのような感じが否めません。
 前回のWBCでは、アメリカの審判の明らかな誤審があり、イチロー選手の屈辱発言があり、対韓国戦の連敗により、優勝は遠のいたと観念した直後のメキシコの踏ん張りによる、奇跡の決勝進出あり。また、決勝戦での川崎選手の守備ミスを、日本選手全員が温かくフォローするといったチームワークの素晴らしさに至るまで、正にドラマを見ているかのようなシーンの連続で、特に、いつもはクールな西岡選手が、年上の川崎選手の頬を、両手で撫でて、先輩選手の緊張をほぐそうとしている様は、そこに野球を超えた男同士の友情の素晴らしさまでもが垣間見られた気がして、胸に迫る物さえありました。
 後に、西岡選手自身が、WBCの思い出を語った時に、自分が一番イケていると思ったのがあの場面だったと、回想していたほどです。つまり、今回の原ジャパンには、そんな前回の鮮烈な印象を払拭させるような素晴らしい活躍が期待されている訳です。前途は、容易ではありません。しかし、その期待に応えてこそ、初代チャンピオンの称号も光るというものです。
 ぜひ、今回も、われわれファンの期待を裏切らない、ドラマティックなシーンを、たくさん見せて頂きたいものです。

 
 「今日の一枚」-------『誠の旗』
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑧

 そこへ高木主任が、寒気(かんき)の帳(とばり)が降りた暮色の屋外から、赤黒く凍りつくばかりに冷え切った頬を両の掌(たなごころ)でごしごしと擦りながら、戻って来た。そして部屋へ入るなり、天井の照明を付ける。彼は、室内に漂うコーヒーの香りに気付くと、自分にも一杯注(つ)いでほしいと催促し、ストーブに身体を擦り付けるような仕種で暖をとる。コーヒーをカップに注ぎ、その中へ、角砂糖を二つ無造作に放り込んだ時任は、それを高木主任に手渡したところで、さりげなく、雄介が当面寝泊まりするホテルは手配出来たのかと、訊ねる。
 「たった今、横手山山荘と交渉して来たよ」
 高木主任の返事に、時任は、一瞬眉を顰(しか)め、
 「横手山山荘ですか・・・・?申し訳ありませんが、そいつは、キャンセルして下さい。本間は、おれと同じホテルへ宿泊させます。その方が、新入りを指導する上で、何かと目も届きやすいし、色々都合がいい」
 「きみが泊まっているのは、確か、横手山ロッジだったな。経営者は、きみの友人とか------」
 「そうです。あそこなら、今から頼んでもそれなりに融通を利かせてくれると思います」
 時任は、思案の表情を垣間見せる高木主任の意向もお構いなく、勝手に話を煮詰めて行く。しかも、宿泊する当事者である雄介本人が、すぐ隣にいるというのに、まったく存在を無視されたも同然の扱いを受け、
 「待って下さい。おれは、時任さんと同じホテルに厄介になるなんて話は一度も聞いちゃいませんから------」
 雄介は、バカにするなよとの苛立ちで、つい声高に食って掛かろうとしたが、そんな抗議も、
 「お前は、この件に関しては、高木主任に一任すると申し出たはずだぞ。主任が許可をくれれば、それで決まりだ。つべこべ言うな」
 時任の言下に、敢え無く潰された。そして、時任は、すぐさま自分の携帯電話から横手山ロッジへ新入りを宿泊させてくれるよう依頼する旨の連絡を入れてしまった。



 その後、各々の持ち場における任務を終えたパトロール員たちも、次々に本部へと戻って来た。そして、この日一日の勤務中に携わった諸事についての詳細を記入した報告書を作成し、高木主任に提出したのち、各員スキー用具の手入れなど明日の仕事のための下準備を調(ととの)える。やがて、それらを一通り済ませた者から、夜間当直員以外のパトロール員たちは、自らが宿舎としているホテル等へと、帰路に就くのであった。
 雄介もまた、時任圭吾に伴われる格好で、スキーパトロール本部を後にする。結局、気紛れとも言える強引さに押し切られるしか術を持たぬまま、宿泊先を決められてしまった雄介にとって、それは実に気の重い一日の終業であり、それ以上は一言も反論できなかった自分の不甲斐なさを痛感せざるを得ない帰途でもあった。漆黒の夜空に煌くオリオン星座の冷たさが、恨めしかった。

 
 時任が宿としている横手山ロッジは、パトロール本部のある横手山スカイパークスキー場ゲレンデ監視塔から、徒歩で五分ほどの場所にあり、白樺林道沿いの雑木林に囲まれた間に、温もりを感じさせる暖色系の門灯をともして、ぽつねんと建っていた。建物の半分ほども積雪に覆われて佇む外観は、ホテルというよりも、リゾート地のペンションと呼ぶ方が相応(ふさわ)しいこぢんまりとしたもので、志賀高原一帯に立ち並ぶ数多くの大型観光ホテルをイメージしていた雄介にとっては、正直、少しばかり当て外れの感は否めなかった。とはいえ、そんな高級ホテルに泊めてもらえるというような期待をしていた訳でも、さらさらなかったが・・・・。
 ホテル内のロビーへ一歩足を踏み入れた時任と、雄介を出迎えたのは、この横手山ロッジの経営者で、時任とは、地元の高等学校で同級生だった当時からの友人の、野田開作(のだかいさく)という男であった。時任は、野田に雄介を紹介する。
 「今日から、おれと組んで仕事をすることになった本間雄介君だ。よろしく頼む」
 「お前の同僚なら、いつでも歓迎するさ」
 野田は、女性的な細面の痩せた色白の顔に、繊細そうな笑みを浮かべながら、落ち着いた声で答えると、雄介の部屋は、時任が使用している二階の部屋の隣室の一人用客室を用意しておいたと、話した。
 「お世話を掛けます」
 雄介も、ここは一応体裁を繕い頭を下げる。ここまで来て、もはや、意地を張るのも大人げないと、腹を括っていた。すると、野田は、その肉の削(そ)げた頬に、年齢にはいささか不釣り合いな深めの皺を刻んで、ニヤッと、破顔し、
 「お宅も、時任の無理強いに往生させられている口じゃァないのかい?こいつの指導は、人一倍荒っぽいことでも有名だからね。何人のパートナーが途中で逃げ出したことか-----」
 「おい、余計なおしゃべりはするなよ。これから、お前のことを、この新入りに、まだ三十代の若さで立派に一国一城を牛耳っている独身エグゼクティブの見本のような男だと、褒めちぎってやろうと思っていたのになァ」
 時任は、野田を睨み加減に言う。だが、そのリラックスした顔には、野田のことを憎めない奴だというような苦笑いがあり、勤務時の鋼(はがね)の如き冷厳さは、かけらも見当たらない。それだけ時任は、この野田開作に対して気持ちを許しているのであろうと、雄介は考えた。 


    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい> 

 
~今日の雑感~         
 
 ついに、我が家の温水器が壊れました!正確には、温水器からお湯を運ぶ配管に亀裂が出来て、そこから熱湯が地下へ漏れてしまっていたらしいのです。三週間ほど前から、どうも調子がおかしかったのですが、とうとう水しか出なくなり、頭を洗っているうちに、急に冷水になってしまうので、何とも悲惨です。早く修理しなければ、電気代もばかになりません。よりによって、こんな時期に・・・・!(>_<)


「今日の一枚」--------『京の宵闇』
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑦

 どうやら、神崎には、今しがたまでそこにいた女性通報者の身元に心当たりがあるようだ。
 「確か、熊の湯温泉スキー場で、スキーのインストラクターをしている娘(こ)だよ。間違いない」
 志賀高原の熊の湯温泉スキー場は、本格的実力派向きのゲレンデを備え、ナイタースキー対応の設備も充実した老舗中の老舗と呼ばれるスキー場であるとともに、予てより、皇室関係の人々とも所縁(ゆかり)の深い、数々の歴史を生み育んで来た名門コースを有する場所としても、全国的に周知されている存在であった。
 「それならば、何も-------」
 黙って姿を消す必要などないではないかと、雄介は、自己の不首尾は棚に上げて、思わず不快感を口にしかけた。だが、そんな些細な個人的感情に、いつまでも拘泥(こうでい)し続けている訳にはいかない。仕事は待っていてはくれないのだ。
 「雄介、けが人のスキー板やストックを纏めて、本部(した)まで運び降ろしてやれ」
 時任は、雄介を名前で呼び捨てにする。その間髪を入れぬ手加減なしの高声が、雄介の耳朶を打った。
 「は、はい!」
 雄介は、急きょ、自分もスキー板を装着すると、ハンズフリースキーの要領で、両腕に自分のストックと共に負傷者のスキー用具一式をも抱えながら、橇(そり)担架に若者を乗せて運ぶ神崎と可児の後方から、時任とともに、ゆっくりとゲレンデを滑降し始めた。


 冬山の日没は早い。
 正しく、釣瓶が落ちるが如き様で、太陽は、幻想的な紫紺に茜がにじむ暮愁の余韻を西の虚空に描出しつつ、突として峭壁(しょうへき)の端に隠れる。
 雄介は、初仕事に就いての一日が、瞬く間に過ぎたことに、心なしかある種の安堵感と充実感を覚えてもいた。時計の針が午後五時をまわった頃から、ナイターコースを設けていない当スキー場のスキー客たちの人数は、次第に疎(まばら)となって来る。そんな閑散とし始めたゲレンデ内の様子を、監視塔の中のスキーパトロール本部の部屋から、窓硝子越しに眺める雄介のそばへ、やおら近付いた者がいた。
 時任圭吾であった。高木主任以下他のパトロール員たちが未だに出払ったままの、薄暗さを増した室内には、熱湯でドリップしたてのコーヒーのまろやかな香りが、ゆったりと漂っている。
 「初日からいろいろあって、疲れたろう?」
 時任は、慰労の言葉をかけながら、コーヒーを注いだ湯気の立つマグカップを、雄介に手渡す。雄介は、恐縮気味にそれを受け取りつつも、
 「時任さんは、おれが早々に音を上げることを内心期待していたんでしょうが、そいつは問屋がおろさず残念でしたね」
 皮肉をこめて、敢て憎まれ口を返した。時任は、端整な口元に微苦笑を含み、その涼やかな眼差しで淡然として、この小生意気な新入りを見詰める。そして、
 「まだ判らんさ。スキー客の入り込みはこれからが本番だからな。今日など序の口だよ」
 一言釘を刺したものの、何故か語調にそれまでの刺々しさはなかった。雄介には、もう一つこの時任という男の正体がよく飲み込めない。年齢は、雄介より十歳ほどは上であろうか・・・?
 「時任さん、あなたって、よく判らない人ですよね------」
 今日が初対面だというにもかかわらず、雄介は、そんなぶしつけな言葉を時任にぶつけた。
 「そうか・・・・・?」
 自分も一口コーヒーを啜る時任の反応は、いとも素っ気ない。そこで雄介は、可児パトロール員より聞いたという部分は、体よく割愛して、さりげなく訊ねた。
 「医者なんて立派な職業を持っているくせに、どうして、スキーパトロール員なんてやっているんですか?物好きにもほどがあるってェもんじゃないですかね」
 「おれは、根が変わり者なのさ」
 時任は、雄介の意地悪な質問に対しても、ニッと、白い歯を見せて、さらりと受け流した。
 「詰まる所は、雪山に魅了された 男のロマンティシズムのなせる業(わざ)という訳ですか。それじゃァ、奥さんはたまらないなァ」
 首をすくめて、カップに口を付ける雄介が、道理至極の物知り顔で溜息を洩らすのを、目の隅に収めた時任は、
 「------おれは、まだ独り身だよ」
 と、ぶっきらぼうに言ってよこした。


    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑記~

    既にお気付きの方もおられると思いますが、以前掲載いたしました「信濃グランセローズ」の三人の選手の写真を、削除させて頂きました。信濃グランセローズ球団や選手の方からのクレームがあった訳ではありません。しかしながら、こうした写真には、様々な方向からの肖像権なるものが発生するとのことで、たとえブログといえども、また、被写体が有名無名にかかわらず、人物関係の写真掲載は慎重にするべきであるとのアドバイスを頂いたためです。たとえば、もし、記事掲載に対する球団側や選手たちの了解が得られたとしても、そこには今度はオフィシャルスポンサーとの兼ね合いが発生する訳です。オフィシャルスポンサーは、スポンサー料を球団側に支払うことにより、球団との契約上、広告等に正式に球団名や選手の写真を載せることを許諾されています。ですから、第三者が選手の写真を使う時は、ユニフォーム着用以外の写真に限るということになりますが、では、プライベート写真は掲載してもいいのかということになりますと、これはこれで、また新たな対個人の問題がそこには生まれます。(オフィシャルスポンサーは、それ以外の団体や個人が、たとえ正式な会員資格を有していたとしても、球団や選手に関する情報を発信することに神経を尖らせています)
    そのような様々な事情により、ブログをご覧いただいた方々、及び、コメントを下さった方々には、この場を借りて、再度の削除をお詫びするとともに、ご報告させて頂く所存です。


    そこで、ブログに写真を使われている方々にお訊きしたいのですが、普段掲載されているブログの写真は、何処まで自由な掲載が可能なのでしょうか?以前、わたしが公共の紙面へ記事を書かせて頂いていた時は、取材元はもちろん、その取材をした場所の提供者の掲載許可も頂いた上で、写真掲載をしていました。
    しかし、個人としてブログを書く時は、その許可がどの範囲まで必要なのかが、法律には詳しくないわたしには、もう一つよく判らないのです。(?_?) 
    皆さんのブログを拝見していますと、レストランで食事をした時などの料理や店内の様子、レストランの外観、また、その他の公共施設や個人店舗などで撮影したものが、よく掲載されていますが、それらは、すべて、お店の方や、店舗の所有者等に掲載許可を頂いてから載せておられるのでしょうか?そして、その場面に必然的に写り込んでしまった一般の人たちに対してはどのような処置をされておられるのでしょうか?また、テレビの放送シーンや、出版物からの引用などは、どの範囲までなら、ブログ掲載が許されるのでしょうか?
    もし、このようなことに詳しい方がおられましたら、ぜひ後学のためにお教え頂きたいと思います。<(_ _)>
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑥

 「そいつァ、頼もしいな-------」
 時任が苦笑交じりの笑みを浮かべた時である。彼の腰に巻かれているホルダーベルトに納められた携帯無線通話機(トランシーバー)から、スキーパトロール本部の高木主任の声で、業務連絡の緊急通報が流れた。当スキー場の第二Bリフトから、男性スキーヤー一人が落下し、けがをしている可能性もあるので、神崎パトロール員に橇(そり)担架を持たせて現場へ向かわせたが、近辺を巡回中のパトロール員がいたら、至急合流するようにとの指令であった。
 「第二リフトなら、このすぐ先ですね」
 雄介の言葉が終らぬうちに、時任は手早く腰のホルダーから携帯無線機を取り出し、今から雄介と二人で現場まで急行する旨を、本部へ連絡した。


 雄介が、時任と共に事故が起きたとされる横手山スカイパークスキー場の第二Bリフト下の現場付近へ到着した時には、早くもゲレンデの上には数人のスキーヤーが集まっていて、野次馬よろしく抉(えぐ)れるように一段低くなったスキーリフト下斜面を見下ろしているところであった。そこは、運悪く、ちょうどセーフティーネット(安全網)が途切れた場所でもあり、男性スキーヤーは、直接雪面へと叩き付けられてしまったものと思われる。
 雄介と時任は、急ぎその場でスキー板を脱ぐと、歩いて土手下へ向かい、深い雪に埋もれ込む形で仰向けに倒れている一人の若い男性のもとへと近付いた。そこに、神崎パトロール員の姿は、まだない。倒れている若者の傍らに、年齢二十五、六歳の女性が一人、スキー板を履いたまま、若者を見守りつつ佇立しているだけである。
 「あなたが、事故を教えて下さったんですね?」
 雄介の問いかけに、女性は、通り掛かりに偶然スキーリフトから人が落ちるのを目撃したので、常時持っている携帯電話でスキーパトロール本部へ通報したのだという事情を、顔色一つ変えることなく整然と説明する。だが、彼女のその瞳は、質問している雄介にではなく、何故か時任の方へと、何処か名状しがたいような冷徹さすら底に秘めた暗渋のごとき色を宿して、投じられていた。
 そんなことには気付くはずもない時任は、落下事故を起こした若者への救助処置を速やかに開始する。優に、地上十メートル以上はあろうかと思われる所から落ちた割には、積もったばかりの深雪が運よくクッションの役目を果して、若者は命にも別状はない様子で、意識も鮮明であった。しかし、時任が若者に姓名を訊ねようと顔を近寄らせた際、強い酒気が鼻を衝いた。
 「きみ、酒を飲んでいるな?」
 時任が訊くと、若者は、身体中の痛みに顔をしかめながらも、
 「------ウイスキーのお湯割りと地酒を少々。そう目くじらを立てるほどの量じゃありませんよ。それとも、酒を飲んでスキーをやれば、飲酒運転者同様に切符でも切られるんですかね?」
 と、以前寝そべったままの体勢で、薄ら笑いを口元に這わせる。減らず口を叩きやがってと、一睨みした時任が、若者の足から、未だに履いたままのスキー板を取り外そうとバインディングに手を触れた瞬間、
 「ぎゃっ!」
 若者が、鋭い悲鳴を発した。声に驚いて振り向く雄介に、時任は、手を貸すように言う。
 「こいつァ、骨折している可能性大だな・・・・。慎重に扱えよ」
 時任の指示で、二人がかりでようやく両足のスキー板を外し、次いでスキー靴をも脱がしたところへ、ようやく、神崎が橇担架を抱えて現れた。彼女の隣には、可児パトロール員の姿もある。
 時任は、神崎たちに若者を麓のスキーパトロール本部まで搬送する準備を任せ、自分は本部への携帯無線機による状況報告にかかった。
 「高木主任、時任です。神崎と可児もたった今現場へ到着しました。落下したスキーヤーは、二十三歳男性。転落時の衝撃で、頸(くび)と背中と両足に痛み。右足首は骨折の疑いあり。感覚、運動機能、現在のところ正常。意識もあります。但し、多めのアルコールを摂取している模様。ただちに救急車の手配を願います。以上」
 実に、的確かつ板についたスキーパトロール員ぶりの時任の連絡内容であった。尊敬と羨望の入り交じった眼差しを、自分自身でも気付かぬうちに時任の背中へと注いでいた雄介の耳元で、可児がそっと囁く。
 「時任さんは、ああ見えて現役の外科医なんですよ。ご自身の口からは、決してしゃべりませんがね」
 「本当かい!?でも、どうして医者がこんな仕事を-------?」
 雄介が、驚きと疑問の声を発した途端、
 「おい、通報者の住所と氏名は控えたのか?」
 時任の野太い声が飛んだ。負傷者の方へ掛りきりになっていたことで、つい女性通報者の存在を念頭より外してしまっていた雄介は、自らの不手際を恥じると同時に、慌てて周囲を見回したが、既に、滑り去って行ってしまったものらしく、彼女の姿は影も形もなかった。参ったなと、臍(ほぞ)を噛む雄介に、俄に救いの手を差し伸べたのは、神崎であった。
 「------心配いらないわよ。わたし、あの娘(こ)なら知っているから」
 そう言って、女性の滑り去った方角に双眸を凝らした。



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑感~

    
    地元の新聞に、中野市内にある浜津ヶ池公園市民センターの友遊館という所で、信濃グランセローズの選手たちと子供たちが参加しての「そば打ち交流会」の記事が掲載されていました。
    高田周平選手や小高大輔選手らが、子供たちと楽しそうに、そば打ちやそば切りの体験をしている様子が写真付きで紹介されています。小高選手は、小学校低学年と思われる男の子の手に自分の手を添えて、そばを切る指導をしていて、その優しい表情が、何とも印象的な写真です。男の子も嬉しそうで、その手元をのぞき込むもう一人の男の子の顔つきも、真剣です。
    参加者たちの和やかな交流風景が伝わって来る、良い記事でした。
    (諸事情により、新聞記事の添付写真を載せられないのが、何とも残念です。)





















 

  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑤

 しかし、この忠告は、単に少年たちの反抗心をより頑迷なものとしたに過ぎなかった。彼らは、最初、雄介の方をチラッと一瞥したものの、それを無視すると、すぐにまた顔を寄せ合って自分たちの会話に戻ってしまった。仕方なく、再び雄介は彼らに声を掛ける。
 「おい、聞こえないのか?そこは危険だから、早くこっちへ上がって来いと言っているんだよ」
 それでも、少年たちは、胡散臭そうな目つきで、如何にもうるさいといった表情をこちらへ向けて来るだけである。
 「・・・・・・・」
 「------どうした、新米?しっかり、説得してみろよ」
 困惑の顔色を隠せない雄介の心中などお構いなしに、時任は、急かせるような口ぶりでゲレンデ上から催促して来る。その口元は、明らかに薄笑いを浮かべているのが判った。そんな時任の態度にも、ついに辛抱出来なくなった雄介が、
 「おい!いい加減、話を聞いたらどうなんだ!?」
 思わず声を荒らげた時である。少年たちは、いきなりその場に立ち上がると、故意に雪面を蹴散らかしたり、こちらに向って前に突き出した手の中指を立てる仕種をするなど、しごく挑戦的な態度に出たあげく、ついには、雄介目がけて飲みかけのペットボトルを投げつけて来たのだった。
 プラスティックのボトル容器は、飲み口の蓋が中途半端にしか閉められていなかったため、雄介の左胸にぶつかった途端、中の液体が飛び出して、支給されたばかりの真新しいユニフォームを濡らした。
 「スキーパトロールだからって、格好つけるんじゃねえよ、おっさん!何処で滑ろうが、おれたちの勝手じゃねェか!人が作ったコースなんかで満足出来る訳ねェだろう。うざったいんだよ!」
 少年の中の一人が険しい形相で噛みつくと、他の二人もつられたように、
 「オフピステ(新雪面)で滑りたい!オフピステで滑りたい!」
 と、まるで歌でも歌うように連呼し、囃したてる。結局、彼らには、自分たちが今とても危険な状態に直面しているのだという実感が、ほとんどないのであった。
 「-------------!」
 雄介の胸中を、ほんの一瞬ではあるが、こんな輩はいっぺんマジで死ぬほどの恐怖を味わってみればいいんだという、憤りがよぎった。が、そこは、何とか気持ちを堪えて、そのような感情の高ぶりなど噯気(おくび)にも出さぬ冷静さで、淡々と続ける。
 「そうか、それじゃァ、好きにするさ。でも、一つだけ教えておいてやる。もしも、お前たちが、忠告を無視した結果事故に遭ったとしても、お前たちの意思には関係なく救助隊は出動するんだ。一応の決まりだからな。そうなれば、お前たちが生死にかかわらず発見されようが、また、発見されなかろうが、当然のことながら、救助費用がお前たちの家族に請求されるという訳だ。
 この救助費用だが、いったい一日の相場で幾らくらいが遭難者やその家族の負担となるのか知っているか?一般人による救助活動に加えて、捜索ヘリ(ヘリコプター)まで出動しようものなら、遭難者一人につき百万円は下らない計算になるんだぞ。それが、三日、四日と続いたら、家族はどういう状況に置かれことになるのか、如何に脳天気なお前たちにも、想像ぐらいはつくはずだ。よく考えてみろ」
 この雄介の説論を聞いた少年たちは、あまりに生臭い実情を突き付けられたことで、思わず鼻白んだ顔付きになる。それでも、即座には素直に矛(ほこ)を収めることは、その貧弱な自尊心が許さぬらしく、またもや口々に反駁を試みる。
 「そんなの嘘だ!こっちが何も知らないからって、いい加減なことを言うな!被害者から救助費用をふんだくるなんて、話が逆じゃねェか」
 それに対して、雄介は、
 「勘違いするな!本末転倒は、お前たちの方だ。山での事故や遭難は、本来すべて自己責任において処理されねばならないものなんだぞ。ましてや、立ち入り禁止の注意看板やロープが設置されていることを認識しながら、それに従わず、必然として事故に巻き込まれた奴などに、誰も同情なんかしない。それが、現実というものだ。甘ったれるな!」
 「・・・・・・・・・」
 ここまで言われては、少年たちに、もはや反論の余地はなかった。彼らは、雄介に促されるがままに、渋々ゲレンデへと戻リ始める。ちょうど、一人が雄介の前を通り過ぎようとした時、
 「ちょっと待て-------」
 雄介は、声を掛けると、雪の上に転がっているペットボトルの容器を指差し、拾っていくように指示した。少年は、如何にも面倒くさそうにではあったが、それでものろのろとした動作で、落ちているキャップとボトルを拾い上げ、少しふてくされ気味の小声ではあったが、
 「------どうも、すみませんでした」
 と、詫びる。そして、ようやく、ゲレンデへ戻った三人は、各自カラフルなスノーボードを巧みに操りながら、次々に斜面を滑り降りて行った。
 そんな少年たちの後ろ姿を見送った雄介は、いささか複雑な気分を抱えつつ、時任のそばへと滑り戻る。時任は、例の如く気難しげな雰囲気を、その端整な横顔に刻みつつ、あえて、雄介から視線をそらすような態度で佇む。
 「おれ、出過ぎたまねをしたのでしょうか?」
 雄介が、口吻(こうふん)にやや懸念をのぞかせると、意外や、時任は、ほんの刹那ふっと頬を緩ませ、
 「出し抜けに金銭(かね)の話を持って来たのは、多少えげつなかったが、新入りの初仕事にしては上出来だ。よく辛抱したよ」
 思いがけない時任の優しい言葉に、雄介は、ようやく身体中に張り詰めていた不自然な凝りが、ゆっくりと解(ほぐ)れて行く感覚にも似た、ある種の安堵感を感じたのであった。そこで、ちょっと自慢の芽をのぞかせ、胸をそらすと、
 「これでも一応、教育学部卒業ですから、青少年の心理状態に関する知識の基礎は、ほぼ学習済みでしてね。そいつを少々応用してみただけのことですよ」
 雄介は、さも当然だと言わんばかりに嘯(うそぶ)いた。


    
     <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



     ~今日の雑感~

     NHKのクローズアップ現代という番組で、知らないうちにパソコンに感染させられ、まったく意図せぬサイバーテロの片棒を担がされるといった、ボットネットという新手のウイルスが出現したとの情報を取り上げていました。
     ある悪意を持った人物が、世界中のごく一般家庭のパソコンにこのウイルスを感染させると、パソコンの所有者は、自分のパソコンがそんなウイルスによって恐ろしい力を発揮しているとは全く気付かぬまま、悪意の者に操られる形で、特定の企業のパソコンに大量のめちゃくちゃな情報を流し続け、その企業を業務継続不能にしてしまうのだとか・・・・。そのめちゃくちゃな情報が、その特定の企業に向けて、世界中から一気に大量流入し、企業の情報処理が全く機能しなくなったところを見計らって、ウイルスを感染させた者が、「この攻撃をやめて欲しかったら、言う通りにしろ」と、金銭を要求してくるとのこと。
     とんでもないウイルスが出来てしまったものです。たとえば、これまでのコンピューターウイルスといえば、大体が、パソコンの画像を破壊したり、パソコン内部の情報を混乱させたりするものだったそうですが、これは、パソコン自体にまったくアクセスが出来なくなってしまうというものだそうで、情報の集積や送受信をすべてコンピューターに頼っている、現代の企業状況にとっては、正に致命的です。こんなニュースを見るにつけても、昔のように、情報は全部大学ノートやルーズリーフの帳面に手書きで記入していた頃ならば、このような犯罪に巻き込まれることもないのにと、思ってしまうのは、わたしだけでしょうか?
     そういえば、この前、「ナガブロ」も、まったく画面が動かなくなってしまった時が・・・・。これって、まさか・・・ですよね・・・・。face07      

 
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ④

 雄介は、これから実際にスキーパトロール員としての一日目がスタートするのだと考えると、柄にもなく武者ぶるいが走るような緊張感にさえ襲われた。そんな逸る気持ちをスポーツ用サングラスの下に押し隠して、雄介は初仕事に臨むべく、ゲレンデへの第一歩を、白銀の絨毯に刻んだのであった。

 
 志賀高原横手山スカイパークスキー場は、海抜二千三百五メートルの横手山山頂からの本格的ダウンヒルが楽しめる巨大で変化に富んだコース設定が自慢のスキー場である。積雪、雪質ともに抜群のゲレンデには、初心者用から上級者用までスキー技術の段階に応じたコースが完備されており、横手山東側につながる春スキーのメッカで同スキー場に付属する渋峠(しぶとうげ)スキー場も加えると、その索道機(スキーリフト)数は、全十基。晴れた日の山頂からの眺望も折り紙つきで、北アルプスはもちろん、遠く佐渡ヶ島や富士山をも視界に収めることが出来るのであった。
 この広大なスキーエリアのすべてが、雄介たち横手山スカイパーク・スキーパトロール本部所属のスキーパトロール員に課せられた、謂わば管轄区域なのであり、彼らは、たった十人足らずの監視体制で、全域を隈なくカバーしなければならない責任を負っているのである。無論、冬季のみの短期雇用ではあるが、ボランティアという訳ではないので、無給奉仕ではないにせよ、かなりに重労働であることに変わりはない。これまでにも、寒さと疲労、そのうえ高地における生活といった悪条件が重なったために体調を崩し、三日と持たずに職場退去(リタイア)したスキーパトロール員さえもいるというほど、過酷な仕事であることも事実であった。
 それだけに、性根を据えてかからねばならない仕事であることは、雄介も、パトロール員研修の期間中から担当教官により、徹底して頭に叩き込まれていたのであった。
 時任パトロール員は、まず、雄介をスキーリフトに乗せると、自らも一緒に横手山山頂を目指した。山頂の風雪も既に峠は越していたが、未だ時折吹きつける突風はたちまち白濁たる渦を巻いて、茫漠と眼界を遮って行く。時任は、リフトから降り立つなり、背後にいる雄介を振り返った。
 「リフトからゲレンデを見ていて、何か気付いたことはなかったか?」
 時任の、如何にも新米を試すかのような口振りに、やや戸惑いながらも、
 「別に何も・・・・・」
 雄介は、言葉少なに答える。サングラスの薄茶色のレンズの奥に光る時任の目は、雄介のそんな当惑を完全に見抜いていた。と、次の瞬間、
 「付いて来い!」
 時任は、一声かけるや否や、片方の足に履いたスキー板を後ろへ蹴り上げるようにして、パウダースノーの新雪を蹴散らしながら、凄まじいスピードで急斜面を滑降し始めた。その姿は、今まさに獲物を追い詰めて食らい付かんとしている猛獣を、雄介に連想させた。そして、雄介自身もまた時任に後れを取ってはなるまいと、まだ一般スキーヤーたちに荒らされていないまっさらな雪の斜面に身を躍らせて行った。
 やがて、前方を滑走していた時任のスキー板が、激しく雪煙を撒き散らして大胆な急制動を掛けた。雄介も慌ててそれに倣うと、立ち止まった時任が、おもむろに右手の側のストックを上げ、立ち入り禁止区域となっている尾根伝いの雪庇(せっぴ)のあたりを指し示す。見るとそこには、事故防止のための立ち入り禁止を表すロープを潜ってゲレンデ外の斜面へ滑り降りたものか、幅広の板でつけられたと思われる滑走痕が三本、くっきりと記されていたのであった。
 その滑走痕の先に目をやると、そこには、十七、八歳と思しい三人の少年が、スノーボードを各々の傍らに置き、雪の上にしゃがみ込んでいる。三人は、雄介たちの存在にはまったく気付く素振りもなく、一本のペットボトル入りの清涼飲料水を回し飲みながら、時々奇声にも似たけたたましい笑い声を発していた。
 そんな少年たちのあまりに危なっかしい無防備な様子を、ほとんど呆れ顔で眺めていた雄介に向かい、
 「あのバカ者どもに、ゲレンデ内に戻るように言え」
 時任が、不意打ち的に命ずる。
 「-----おれが、ですか?」
 躊躇いを匂わす雄介に、時任は、早く連中のそばへ行って説得しろと言わんばかりに、涼しい顔で顎をしゃくる。雄介は、不承不承のまま立ち入り防止用のロープを潜って少年たちの方へ静かに近付くと、出来る限り相手を刺激しないように言葉を選びながら、努めて穏やかな口調で話しかけた。
 「おい、きみたち、その場所は危険区域だぞ。雪庇はいつ崩れるか判らないから、今すぐ戻りなさい」



    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>





 「今日の信濃グランセローズ選手」-----小高 大輔 投手

   歌が抜群にうまい、チームのムードメーカー。新潟アルビレックスや福井ミラクルエレファンツなどの名前の由来にも詳しい才知の青年で、気配りも長けているハンサムガイ。今や、グランセローズの顔とも言うべき選手の一人です。


 **写真は、都合により削除致しました。**
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ③

 直後、パトロール本部に一本の無線連絡が飛び込んだ。既に早朝のゲレンデ巡回を行っている別の同僚パトロール員からの一報で、横手山スカイパーク第六リフト南側斜面付近を単独滑降していた男性スキーヤーが、誤って片方のスキー板を流してしまったため、紛失したスキー板の捜索を要請しているとのことであった。高木主任は、速やかに、可児パトロール員に対して、現場へ赴き紛失物の発見に努めるよう指示を与える。可児は、慣れた手際で素早く身支度を整えるなり、颯爽と部屋から走り出して行った。
 窓外の吹雪は、徐々に衰えを見せ始め、鉛色の雪雲が重く垂れこめていた上空にも、やがて、ほのかな冬の陽光が戻りかけていた。
 「この分だと、何とか午後は晴れそうね」
 窓硝子にうっすらと染み着いた氷幕を右手の指で拭い取り、その硝子越しに空模様を眺めながら、神崎パトロール員が、低く呟いた。その瞬間、いきなり、ノックもせずに入口の扉を開け放し、その男は入って来た。


 男は、スキーパトロール員用ユニフォームとなっているスキーウェアを着ている姿から、同本部所属のパトロール員であることは一目瞭然に知れたが、入室後すぐに雄介に向って少々胡散臭げな一瞥をくれたきり、頭髪や肩口についた融けかかった雪を無造作に払い落しながら、高木主任の面前へと歩み出た。
 高木主任は、男の帰着を待ちかねていた様子で、身を乗り出しかげんに訊ねる。
 「スノーボーダーの容態は、どうだったね?ひどく嘔吐していたが、やはり、頭か?」
 「ええ、中野市内の総合病院の救急外来へ搬送したところ、頭部を連続して軽打したことによる頭蓋内損傷が濃いとの診断です。たぶん、蜘蛛膜下出血でしょうが、血管造影等の検査をして詳細な診察結果が出次第、こちらにも、病院側から連絡をくれるそうです」
 男は、とりわけ興奮した素振りもなく、極めて事務的に報告を済ませる。話の内容から推して、おそらく、彼は、自らも救急車に同乗し、麓の総合病院への負傷者の移送に付き添ったのであろう。それを傍らで聞いていた神崎パトロール員は、詮方なしとばかりに大きな溜息をつき、
 「初心者も同然の人間が、一端プロのスノーボーダー気取りで、ヘルメットも着けずにダウンヒルに挑戦しようなんて、土台考えが甘いんだよ。しかも、こんな視界もままならない吹雪の早朝から、たった一人で滑走するなんて、冬山を舐めているとしか言いようがない」
 ばっさりと切り捨てた。
 「判った。御苦労さん------」
 高木主任は、男を手短に労った後で、思い出したように雄介の方へ目線を移した。
 「本間君、紹介しよう。彼は、時任圭吾(ときとうけいご)パトロール員だ。きみのことは、しばらくの間、この時任君に就けようと思う。時任君は、ここ横手山スカイパークスキー場では、今シーズンで既にパトロール歴も三年目になる経験豊富な巡視員だから、遠慮せずに色々と教えてもらいたまえ」
 途端、時任圭吾パトロール員の表情が、明らかに強張った。上背のある屈強そうな身体(からだ)を、やや斜に身構えると、一瞬、瞠目の眼光を雄介の顔面に放ったのち、再度高木主任の方へ向き直った。
 「主任、お言葉を返すようで恐縮ですが、今の話は初耳です。おれには、パートナーなど必要ありません。第一、新米の教育係などという柄じゃない。誰か他の奴に頼んで下さい」
 が、高木主任は、微苦笑を浮かべながら、
 「そう我儘を言うなよ------」
 と、言葉少なに諭しただけで、前言を譲ることなく、後は黙々と勤務状況の整理事務に没頭するべく、パソコンを打ち始めた。 
 「------残念だったわね」
 事務机の角に腰を片掛けした格好の神崎が、時任を見てニンマリとほくそ笑んだ。時任の顔には、落胆と苦々しさが半々にあると、雄介の目には映った。雄介にしてみても、時任のこうした半ば嫌悪を含んだ反応は、あまり愉快なものではなかったが、新参者に対するある種のアレルギーはどこの職場にもあって当たり前のことだと、ここは潔く割り切るしかなかった。
 時任が、その眉太鼻高な浅黒く引き締まった容貌を雄介のすぐ近くまで持って来るや、歯切れの良い口調で命令したのは、それから程なくのことであった。
 「お前、本間雄介といったな。何をぼやっとしているんだ。さっさと制服に着替えて、ゲレンデへ出る準備をしろ。ぐずぐずするな!」
 俄に、スキー場内のパトロール出動に、時任の助手として加わることになった雄介は、急かされるがままに更衣室へ行き、支給されたばかりの真新しいスキーウェアユニフォームに袖を通した。


    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



    ~今日の雑感~

    「炎 の 氷 壁」を、ここまでお読みになって、「まるで、デジャヴを見ているようだ」と、思われた方、あなたは前作をよく読んで下さった方ですね。ありがとうございます。実は、前作のベースになったのが、この小説なのです。ですから、そう思われて当然なのです。とはいえ、今後は、前作とは無論異なる展開となります(そうなるように努力しますicon21)ので、是非とも懲りずにお読み頂きたく、お願い申し上げます。(*^_^*)     


    ところで、最近よく作家の先生たちや、小説を趣味にされている方々の間で、リレー小説なるものが流行していると、聞きます。実は、わたしも、まだ小学生の頃、担任の先生の思い付きにより、クラス中を巻き込んだリレー小説を書いた経験があるのです。一人、四百字詰め原稿用紙を二枚から三枚の分量に書いた物語を、一定のストーリー基準をもとにして、学級全員が次々に書きつないで行くのですが、その物語の初回の出だしのみを先生が書き、そのシチュエーションは、貧しい屋台のラーメン屋の両親と、その両親を手伝いながらも懸命に生きる、まだ幼い息子の物語という、小学生には何とも難解なプロローグとなってしまったのです。
    「屋台のラーメン屋さんて、どんなんだろう?」------見たことも、食べたこともないわたしたちは、想像の世界で書き続けて行きました。そんな皆の頭の中にあったイメージは、おしなべて、あの即席ラーメンのパッケージに描かれている、いわゆるチャルメラおじさんでした。そんな理由もあって、最初はすごく深刻で暗い雰囲気の物語が、話が進むにつれて、だんだん内容の主旨がずれて来てしまい、最後のクラスメートが書き終えた時は、何と、ものの見事にコメディーさながらの、とんでもなく明るい小説になってしまっていたのです。しかも、貧しいイメージなど何処かへ吹っ飛び、何のことはない、ごく普通のホームドラマに変わってさえいました。(~_~;)
    要するに、リレー小説というのは、長々と伝えて行く伝言ゲームのようなもので、わたし自身にはあまりなじまないものなんだろうなと、いう先入観が、はるか以前に出来てしまっていたことを、思い出しました。でも、その出だしと結末とのギャップを面白がるという楽しみ方も、一方であるのかもしれませんが・・・・。そういえば、あのチャルメラおじさんのかつての膝の継ぎあては、今のパッケージでは消えているとか・・・・。これも、時代の流れなんでしょうね。
  


~ 炎 の 氷 壁 ~ ②

 つまり、雄介にとって、この日がスキーパトロール員としての初勤務となった訳である。スキーパトロール員の仕事というのは、実に種々雑多である。たとえば、大雪が降った時などの昼夜を分かたぬゲレンデ整備の手伝いから、文字通りスキー板を装着してのゲレンデ巡視、けがをしたり病気になったスキーヤーやスノーボーダーに対する応急手当と搬送、そして、果ては迷子の一時保護など、数え上げればきりがない。そのため、スキーパトロール員たちには、卓越したスキー技能の習得はもとより心肺蘇生法等の救急救命処置の技術習熟も求められるのであり、雄介も採用通知を受け取ったのちに、志賀高原にある全スキー場を実質管理する志賀高原観光開発索道協会が設けるスキーパトロール員養成講習を修了後、この横手山スカイパークスキー場本部配属を申し渡されたのであった。
 雄介は、神崎に注いでもらったコーヒーを一気に飲み干した。じんわりとした心地よい熱さが、すきっ腹に沁みた。
 実のところ、ここへ来る決意を固める以前の雄介には、長く自分自身を喪失していたともいえる時期があった。長野市出身の彼は、東京に出て、世間では一応有名私立大学と位置付けられている学府の教育学部を卒業し、教員資格を取得したものの、元来、何が何でも教師になりたいというほどの強い情熱を持っていた訳ではないので、その後は、自分の将来像が全く予測できぬままに、都内に安アパートを借り、その日暮らしのフリーターのような生活を、何年も続けていたのである。
 そんな折、コンビニエンスストアの書籍コーナーで、たまたま手に取った一冊のスキー専門雑誌に掲載されていた志賀高原各スキー場派遣のためのスキーパトロール員募集の記事が目に留まったのだった。雄介には、高校、大学時代と、スキー部に籍を置いていた経歴もあり、相当の指導者資格も有している。
 「今の閉塞状況下から自信を解放するには、この機会をおいては他にないのかもしれない・・・・」
 漠然とではあるが、そんな焦燥にかられた雄介に、もはや選択の余地はなかった。こうして、雄介は、両親の待つ故郷信州の地に、数年ぶりに再び戻って来たのであった。
 「ところで--------」
 自分の事務机(デスク)の前に腰を据えた高木主任は、やや上目使いにこの新参を観察しつつ言う。
 「きみのスキー用具一式と、それ以外の荷物は、昨日のうちに宅配便でこの本部宛てに届けられているが、これから三月下旬までの約二ケ月半は、ほとんどが志賀高原での山籠りとなるので、その間寝泊まりするホテルを、このスキー場近辺で決めておいてくれたら、荷物もそっちへ運ばせておくつもりだ。むろん、宿泊料は、スキー場側の負担になっている。何処か決まった宿があるのなら、早めに申し出してもらいたい」
 すると、即座に神崎パトロール員が、
 「でも、宿泊部屋の質は、期待しちゃダメだよ。従業員部屋に毛の生えた程度の客室しか提供してもらえないのが相場だからね」
 横から口を挟む。
 「神崎先輩は、相変わらず毒舌家ですね」
 神崎の真向かいに、ストーブを隔てて簡易なパイプ椅子に腰掛ける若手の可児周平(かじしゅうへい)パトロール員は、スキーブーツの手入れをしながら、苦笑気味に肩をすくめる。そんな神崎と可児の親しげにも見受けられる様子から、二人にはこれまでもスキーパトロール員として何度かパートナーを組んだ経験があるらしいことを、雄介はそれとなく感じ取っていた。
 「ホテルの件に関しては、特段考えてはいませんので、すべて主任にお任せします」
 雄介は、返答する。高木主任は、そうかと頷き、可児パトロール員に命じて、部屋の隅にあるロッカーの中から新品のスキーパトロール員用ユニフォームと、本間雄介と記された名札を持って来させ、
 「しっかりな-------」
 との一言を添えて、雄介にそれらの品を手渡した。


    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>


    ~今日の雑感~

    我が家の近くに天然温泉の公衆浴場があります。地元の人たちが利用する温泉場なのですが、最近、その脱衣所に防犯のためのベルが取り付けられました。近所のお年寄りたちも毎日のように入浴に来られるので、浴場内で気分が悪くなったり、また、心ないものによるのぞきや痴漢行為などがあった時、すぐさま近所の人たちが助けに駆け付けられるようにと、設置されたのです。
    しかし、そのベルが設置されてまだ間もないというのに、頻繁に鳴るのです。それも、かなりの大音量ですから、近くの家の人たちは、その度に「すわ!一大事か!?」と、浴場に駆け付けます。------が、何のことはない。今のところ、そのすべてが子供のいたずらや、「このボタンは何だろう?」との好奇心から、つい押してしまったといった、軽率な行為でした。
    そして、一昨日の夜もまた------。ジリリリリリ・・・・・!!!
    もちろん、すぐ隣の家の人は、既に就寝前であったにもかかわらず、大慌てで駆けつけて下さいました。でも、やはり、これもまたいたずらだったようで・・・・。こんなことでは、もしも万が一本当に深刻な事故や事件が発生した時、「どうせ、また、いたずらだろう」と、思われて、誰一人助けに行かないという事態にもなりかねません。
    「本当に、人騒がせはやめてもらいてェなァ」face07-----そう、ぼやいていた近所の男性の声は、実に、切実だと、思いました。
  


~ 炎 の 氷 壁 ~

 ~ 炎 の 氷 壁 ~






  その日、山は明け方から生憎の吹雪となった。時折、さらなる強風が縦横に駆け巡ると、辺りは、一瞬にして白亜の闇に包まれた。降雪紛々たるスキー場の一角に、ひっそりと佇むゲレンデ監視塔を眼前に据えて、しばし立ち止まった本間雄介(ほんまゆうすけ)は、おもむろに腕時計へと視線を落とす。
 「一月十七日午前八時三十二分、到着か------」
 ぼそりと独ごつと、肩にかけた大型のスポーツバッグを揺すり上げたのち、再びスノーブーツを雪に軋ませて歩き始めた。
 監視塔まで続く細い間道は、白樺林の間隙を縫うような形に均(なら)されてはいるものの、吹き積もる雪により、その軌跡も次第に不確かとなり、冬枯れの樹枝が、ただ風勢に頭(こうべ)を喘ぐばかりであった。
 長野県の北部、群馬県と県境を接する広大な上信越高原国立公園の核心部を占めて、志賀高原はある。岩菅山(いわすげやま)、志賀山、横手山、焼額山(やけびたいやま)等々、標高二千メートル以上の山々からなる志賀高原は、全山二十二のスキー場を抱える国内有数のウインタースポーツリゾートであり、去る一九九八年の長野冬季五輪の際には、この地で数々の名勝負が行われたことも、今ではスキー史の一ページとなっている。
 そうした志賀高原のスキー場の一つである横手山スカイパークスキー場内に建つゲレンデ監視塔の中へと入った雄介は、ジャケットに付いた雪を払い落し、スキーパトロール本部と記されたプレートが下がる木製の扉をノックした。パトロール員室のストーブの周りには、三人のスキーパトロール員が集まり、各自思い思いにくつろいだ格好で暖を取っていたが、うち一人は女性であった。
 雄介が室内へ入ると、三人の目は一様に彼へと向けられた。彼らはまるで申し合わせたように、皆無表情であった。一番奥に腰掛けていた未だ二十代前半と思しい若い男性パトロール員が、やおら立ち上がると、雄介に向って軽捷(けいしょう)に会釈をし、入れ違いに部屋から退出して行った。
 これを見計らったかのように、今まで雑誌を読み耽(ふけ)っていた女性パトロール員が、活字から目を離し、ニヤリと乾いた唇を歪めた。彼女は、ストーブのそばへ寄って体を温めるよう雄介を促したのち、熱いブラックコーヒーを注いだカップを半ば強引に彼に手渡して来た。
 「飲んでおきなさい。天候の良し悪しにかかわらず、出動は待ったなしなんだからね」
 女性パトロール員の胸元の名札には、神崎綾子(かんざきあやこ)と書かれている。年齢は、雄介よりもやや上であろうか。三十歳前後と思われ、その言動から察して、かなりのスキーパトロール経験を有するものであろうことは、容易にうかがい知れた。 こちらの心中を見透かしたかの如き神崎パトロール員の通暁(つうぎょう)した態度に、いささかの戸惑いを覚えながらも、雄介が遠慮がちにコーヒーを一口啜(すす)り込んだ時である、奥の続き部屋との間にある扉が開いて、見事なまでに雪焼けした顔の一人の中年男性が、慌ただしげに姿を現わした。中年男性は、ここ志賀高原の横手山スカイパークスキー場のスキーパトロール本部主任の高木三郎(たかぎさぶろう)であった。高木主任は、目敏く雄介の存在に気付くと、自ら大股に歩み寄り、長身の青年を見上げながら、好人物そうな柔和な笑みをたたえる。
 「本間雄介君だね。着任を待っていたよ」
 「今日から、こちらのパトロール員としてお世話になります。よろしくご指導下さい」
 雄介は、静かに一礼した。





    <この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>



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    本日より、新たな小説ブログ、「炎の氷壁」を、連載してまいります。皆さまには、前作の「地域医療最前線~七人の外科医~」ともども、引き続きご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

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