~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑨
2009年02月25日
野田は、ややはにかんだ面持ちで頷くと、
「死んだ両親が経営していた高原旅館を現代風にリニューアルしただけの話だよ------」
立派と言われるほどのものじゃないよと、殊勝な謙遜ぶりを見せる。野田の両親は、三年前の夏、誘客出張中の関西方面において交通事故の巻き込まれ、不慮の死を遂げたのだという。野田は、地元の大学を卒業したのち、しばらくは県外のホテルマン養成学校に在籍、その後、自宅へ戻り旅館業を手伝っていたが、両親の事故死によって、家業を急きょ引き継がざるを得ない状況におかれ、今日に至っているのだとの、時任からの説明であった。
「だから、野田は偉いというんだよ。自分の運命を常に前向きに受け止めながら生きている。利己主義の塊みたいな親父の意向に逆らえもせず、東京にある伯父の病院で安穏と勤務医を続けているようなおれには、お前の本当の苦労など理解出来てはいないのかもしれんが、ただ、頭が下がるばかりだよ」
そう言った、時任の視線が、それとなく野田の脚の方へと落ちる。野田の左脚には、さほど目立つほどではないものの、少しばかり障害があるらしく、その一方の足を軽く引き摺りかげんに歩くことに、雄介も先刻より気付いていた。この時任の視線に対し、一瞬息をのむような間を窺ったかに思えた野田であったが、次の時には、
「これか-------。もう、昔のことだよ」
己の左脚の太股を掌で摩(さす)りつつ、頓着とは無縁の口ぶりで、いとも平然と受け流した。そして、すかさず話頭を転ずる形で、
「時任、おれのことなどどうでもいいが、お前、自分の父親を悪く言うのはやめろ。お前の親父さんは、この地域でも有名な開業医じゃないか。誇りに思っていい人物だよ」
と、友人の自嘲的発言を諫めた。
「野田の言葉は、いつも正論だな」
時任は、苦笑する。雄介は、こうした時任と野田の会話を黙然として聞いてはいたが、しかしながら、徐々に、不愉快な気分に捉われ始めている自分に気付いていた。理由は、判然としない。ただ、昼間とは打って変わった饒舌ぶりの時任が、これ見よがしに旧友と胸襟(きょうきん)を開きあう態度を、雄介の目は明らかに一歩退いた所から、何処となく釈然としない感情に苛まれつつ、見詰め続けていたのであった。
翌朝、志賀高原一帯は、この冬一番という厳しい冷え込みに見舞われた。淡黄色を帯びた冬の太陽光が、群青に満ちた大空より燦々と降り注ぎ、高峰の大地に凛然として植生する樹氷林を、神々しいほどの生気で覆い尽くす。この日、はるか眼下に、志賀の山々を従える横手山の頂は、正しく雲上の城郭の観を呈するとともに、他の景勝を凌駕する気鋭にすら溢れて、聳え立っていた。
雄介は、ゲレンデパトロールの途中、緊急呼び出しを受けてスキーパトロール本部へ戻ったパートナーの時任と、一時別行動となり、一人横手山山頂付近にいた。眼前には実に、三百六十度の大パノラマが展開し、かなたにたなびく雲海と、雪の頂を連ねる北信五岳や北アルプスの尾根伝いの白が、紺碧の空と相まって、絶妙な風光を配している。
そのあまりに美しい展望を目交(まなかい)にして、雄介は自らの仕事を失念したかの如く、そこにスキー板を止め、思わず息を呑んだ。が、やがて彼は、背後から迫る人の気配を察知し、徐にそちらを振り返った。
やって来たのは、一人の女性スキーヤーであった。一気にアスピリンスノーの急斜面を滑り降りて来た女性は、激しく蹴立てた雪煙を、故意に雄介の体へ浴びせかけるようにして立ち止まる。そして、雄介に対する詫び言一つないままに、やおら、自分の目元を隠しているサングラスを外すと、
「あなた、時任圭吾の新しいパートナーね?」
と、前口上も割愛して、矢庭に切り込んで来た。
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~今日の雑感~
三月五日に開幕が迫った野球のWBC(ワールドベースボールクラシック)。原ジャパンがどんな活躍を見せてくれるか、今からとても楽しみです。ただ、わたしにとっては、三年前のWBCの記憶があまりに鮮明だったために、今回は、何だか二番煎じのような感じが否めません。
前回のWBCでは、アメリカの審判の明らかな誤審があり、イチロー選手の屈辱発言があり、対韓国戦の連敗により、優勝は遠のいたと観念した直後のメキシコの踏ん張りによる、奇跡の決勝進出あり。また、決勝戦での川崎選手の守備ミスを、日本選手全員が温かくフォローするといったチームワークの素晴らしさに至るまで、正にドラマを見ているかのようなシーンの連続で、特に、いつもはクールな西岡選手が、年上の川崎選手の頬を、両手で撫でて、先輩選手の緊張をほぐそうとしている様は、そこに野球を超えた男同士の友情の素晴らしさまでもが垣間見られた気がして、胸に迫る物さえありました。
後に、西岡選手自身が、WBCの思い出を語った時に、自分が一番イケていると思ったのがあの場面だったと、回想していたほどです。つまり、今回の原ジャパンには、そんな前回の鮮烈な印象を払拭させるような素晴らしい活躍が期待されている訳です。前途は、容易ではありません。しかし、その期待に応えてこそ、初代チャンピオンの称号も光るというものです。
ぜひ、今回も、われわれファンの期待を裏切らない、ドラマティックなシーンを、たくさん見せて頂きたいものです。
「今日の一枚」-------『誠の旗』
「死んだ両親が経営していた高原旅館を現代風にリニューアルしただけの話だよ------」
立派と言われるほどのものじゃないよと、殊勝な謙遜ぶりを見せる。野田の両親は、三年前の夏、誘客出張中の関西方面において交通事故の巻き込まれ、不慮の死を遂げたのだという。野田は、地元の大学を卒業したのち、しばらくは県外のホテルマン養成学校に在籍、その後、自宅へ戻り旅館業を手伝っていたが、両親の事故死によって、家業を急きょ引き継がざるを得ない状況におかれ、今日に至っているのだとの、時任からの説明であった。
「だから、野田は偉いというんだよ。自分の運命を常に前向きに受け止めながら生きている。利己主義の塊みたいな親父の意向に逆らえもせず、東京にある伯父の病院で安穏と勤務医を続けているようなおれには、お前の本当の苦労など理解出来てはいないのかもしれんが、ただ、頭が下がるばかりだよ」
そう言った、時任の視線が、それとなく野田の脚の方へと落ちる。野田の左脚には、さほど目立つほどではないものの、少しばかり障害があるらしく、その一方の足を軽く引き摺りかげんに歩くことに、雄介も先刻より気付いていた。この時任の視線に対し、一瞬息をのむような間を窺ったかに思えた野田であったが、次の時には、
「これか-------。もう、昔のことだよ」
己の左脚の太股を掌で摩(さす)りつつ、頓着とは無縁の口ぶりで、いとも平然と受け流した。そして、すかさず話頭を転ずる形で、
「時任、おれのことなどどうでもいいが、お前、自分の父親を悪く言うのはやめろ。お前の親父さんは、この地域でも有名な開業医じゃないか。誇りに思っていい人物だよ」
と、友人の自嘲的発言を諫めた。
「野田の言葉は、いつも正論だな」
時任は、苦笑する。雄介は、こうした時任と野田の会話を黙然として聞いてはいたが、しかしながら、徐々に、不愉快な気分に捉われ始めている自分に気付いていた。理由は、判然としない。ただ、昼間とは打って変わった饒舌ぶりの時任が、これ見よがしに旧友と胸襟(きょうきん)を開きあう態度を、雄介の目は明らかに一歩退いた所から、何処となく釈然としない感情に苛まれつつ、見詰め続けていたのであった。

雄介は、ゲレンデパトロールの途中、緊急呼び出しを受けてスキーパトロール本部へ戻ったパートナーの時任と、一時別行動となり、一人横手山山頂付近にいた。眼前には実に、三百六十度の大パノラマが展開し、かなたにたなびく雲海と、雪の頂を連ねる北信五岳や北アルプスの尾根伝いの白が、紺碧の空と相まって、絶妙な風光を配している。
そのあまりに美しい展望を目交(まなかい)にして、雄介は自らの仕事を失念したかの如く、そこにスキー板を止め、思わず息を呑んだ。が、やがて彼は、背後から迫る人の気配を察知し、徐にそちらを振り返った。
やって来たのは、一人の女性スキーヤーであった。一気にアスピリンスノーの急斜面を滑り降りて来た女性は、激しく蹴立てた雪煙を、故意に雄介の体へ浴びせかけるようにして立ち止まる。そして、雄介に対する詫び言一つないままに、やおら、自分の目元を隠しているサングラスを外すと、
「あなた、時任圭吾の新しいパートナーね?」
と、前口上も割愛して、矢庭に切り込んで来た。
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~今日の雑感~
三月五日に開幕が迫った野球のWBC(ワールドベースボールクラシック)。原ジャパンがどんな活躍を見せてくれるか、今からとても楽しみです。ただ、わたしにとっては、三年前のWBCの記憶があまりに鮮明だったために、今回は、何だか二番煎じのような感じが否めません。
前回のWBCでは、アメリカの審判の明らかな誤審があり、イチロー選手の屈辱発言があり、対韓国戦の連敗により、優勝は遠のいたと観念した直後のメキシコの踏ん張りによる、奇跡の決勝進出あり。また、決勝戦での川崎選手の守備ミスを、日本選手全員が温かくフォローするといったチームワークの素晴らしさに至るまで、正にドラマを見ているかのようなシーンの連続で、特に、いつもはクールな西岡選手が、年上の川崎選手の頬を、両手で撫でて、先輩選手の緊張をほぐそうとしている様は、そこに野球を超えた男同士の友情の素晴らしさまでもが垣間見られた気がして、胸に迫る物さえありました。
後に、西岡選手自身が、WBCの思い出を語った時に、自分が一番イケていると思ったのがあの場面だったと、回想していたほどです。つまり、今回の原ジャパンには、そんな前回の鮮烈な印象を払拭させるような素晴らしい活躍が期待されている訳です。前途は、容易ではありません。しかし、その期待に応えてこそ、初代チャンピオンの称号も光るというものです。
ぜひ、今回も、われわれファンの期待を裏切らない、ドラマティックなシーンを、たくさん見せて頂きたいものです。
「今日の一枚」-------『誠の旗』
Posted by ちよみ at 10:39│Comments(0)
│~ 炎 の 氷 壁 ~
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。