~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑫
2009年02月28日
そして、全長一・五キロメートル、最大斜度四十五度の通称『魔の壁』は、そこにあった。熊の湯温泉スキー場の熊の湯第三スキーリフト(八九五メートル)を上りつめた地点より、目が眩(くら)むほどに深く切り込んだ白銀の渓谷を隔てて、その峨々たる氷壁は、地文(ちもん)に類する自然界の何物の触手をもことごとく拒絶し続ける壮烈をきわめて、紛れもなく存在していた。
熊の湯温泉スキー場におけるゲレンデパトロールの途中、対峙の方向にその『魔の壁』を眺望して、時任と雄介は、暫時滑走を止めた。
「ものすごい斜面だな。あんな所を滑り降りる奴がいるんだろうか?まるで、絶壁そのものだ・・・・」
雄介は、背筋を冷や汗が伝い落ちるような緊迫感に脅かされて嘆息する。
「雄介、お前、あの壁を見たのは初めてなのか?」
時任は、雪目防止ためのサングラスの奥から、パートナーのあまりに素直な驚愕ぶりを見詰めながら、少し呆れ口調で訊く。
「ええ、志賀高原でスキーをしたことは何度もありますけれど、熊の湯へ来たことはありませんでしたから・・・・」
雄介は、正直に答える。
「そうか、それじゃァ、このゲレンデは、お前にとって今日が初滑りということか。だったら、教えておいてやるが------」
そう言うと、時任は、その『魔の壁』についての解説を始めた。時任の説明によれば、つい最近までは、『魔の壁』も、熊の湯温泉スキー場のコースの一部として設定されていたのだが、滑降終着地点のいわゆるランディングバーンの距離が、極端に短く、即崖下へ落ち込みかねない危険な設計となっていた事実に加え、近年、俄に、自らのスキー技量を過大評価してこの超難コースに挑む自惚れた輩の急増が目立ち、それに伴う人身事故が多発し始めたという理由から、現在は立ち入り禁止の措置が執(と)られているとのことであった。
それから、時任は、雄介にこう問いかける。
「ところで、お前、スノーファイターと自称する連中のことを知っているか?」
「スノーファイター?」
雄介には、初めて耳にする言葉であった。時任は、そうか、聞いたこたはないか------と、やや自嘲的な呟きを漏らしながらも、その双眸を眼前の雪壁に凝着させている。そして、ゆっくりとした口調で、淡々と語り出した。
「今から十五、六年も前のことになるが、その頃、ここ志賀高原の地元では、腕に覚えのある命知らずの若いスキーヤーたちが、自らをスノーファイターと呼んで、その王(キング)の座を狙い、互いのスキーテクニックと度胸を競い合っていたんだ。そして、その戦いの場が、あの『魔の壁』だった。おれもまた、そんなスノーファイターを気取った一人として、東京の医大の学生の身分でありながら、年末年始の休みや学年末の春季休暇を利用しては、志賀(高原)へやって来ると、彼らとともに、粋がった勝負師気分を満喫していたのさ」
「時任さんが、スノーファイター・・・・ですか!?」
雄介は、驚いた。あんな危険きわまりない絶壁で、単に滑降すると言うだけでも肝が縮むだろうに、そのスピードはもとより、ランディングバーンに到達した時点で、停止するまでの距離をいかに長く保てるかを競うと、いうことは、別言、どれだけ崖側近くで止まれるようスキー板を制御出来るかを試すということである。そんな、正に無謀きわまりないチキンレースを行なう猛者どもの仲間に、この時任も入っていたということになる。
今では、一般のスキーヤーやスノーボーダーたちに、ゲレンデにおけるマナーやモラルを指導する立場にある時任の姿からは、想像も付かない、この男のもう一つの顔を見た思いであった。雄介の著しい驚きぶりに、時任は、少しばつが悪そうな含羞を面に宿す。
「嘲笑(わら)いたければ、嘲笑えよ」
投げやり気味に言い放ったのち、
「雄介、お前、昨夜(ゆうべ)おれに訊いたよな?黒鳥真琴という女は、何者なのかと-----。野田は、あまり第三者の耳には入れたくない様子だったが、おれとしては、スキーパトロールの相棒であるお前には、出来るだけ隠し事なく、おれ自身の体験したことを話しておこうと思っているんだ」
と、改めて雄介を見詰めると、少し微笑んだ。
「------時任さん」
スキーパトロールは、ある意味常時危険と隣り合わせの過酷な仕事でもある。故に、共に勤務するパートナーは、必要不可欠な、謂わば一種の命綱といっても過言ではない存在である。雄介は、心中では密かに敬意を懐き始めている時任の口から、直に相棒と呼ばれたことが、照れ臭いながらも嬉しく、また、何処か誇らしくさえあった。
「それなら、もう一つ聞かせて下さい。あなたと野田さんの関係です。高校時代の同級生だということは判っていますが、それだけの関係じゃァないような・・・・。二人の間には、何かもっと親密なものがあるんじゃないんですか?それに、あの野田さんの左脚-------。こんなことまで訊いては、失礼かもしれませんけど、何だか気になるんです」
雄介は、時任に呆れ返られることを覚悟のうえで、あえて、更に踏み込んだ質問をぶつけてみた。しかし、時任は、別段機嫌を害することもなく、
「そうだな。雄介が、どうしても聞きたいというのなら、話そう------」
そう、小さく頷いた。
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~今日の雑感~
昨日は通院日でした。病院の中は、相も変わらず慌ただしく、検尿コップを持ってトイレから出た瞬間、救急隊員二名に搬送された急患が、ストレッチャーで勢いよく運び込まれて来たところと鉢合わせになり、危うくコップをふっ飛ばしそうになりました。実に、危なかった~。
ぶつかる直前で、我ながら、よく踏ん張ったと思います。あれが、モロふっ飛ばされていたら・・・・、考えるだに恐ろしい・・・・。
わたしの病院での珍体験は、枚挙にいとまがありませんが、これもつい最近の出来事です。わたしが入るように言われるレントゲン室は、入口が二つで室内は一つなのですが、いつも同じ入口からしか入ったことのなかったものですから、その時までは、もう一つの入口があるとは思ってもいませんでした。それで、レントゲン撮影を終えていざ服を着ようとしたら、さっき脱いだ服が脱衣籠の中にない訳です。びっくりして青くなったわたしは、「服が消えてしまいました~!
」と、レントゲン技師さんに訴えました。慌てて奥のオペレーションルームから飛び出して来た技師さん、「あっ、そうだ。今日は、反対側の入り口から入られたんでしたよね」-----
そうだった!忘れていました。
反対側の入り口付近の脱衣籠には、ちゃんと服が入っていました。とんだ赤っ恥体験でした。(~_~;)\テヘッ・・・
熊の湯温泉スキー場におけるゲレンデパトロールの途中、対峙の方向にその『魔の壁』を眺望して、時任と雄介は、暫時滑走を止めた。
「ものすごい斜面だな。あんな所を滑り降りる奴がいるんだろうか?まるで、絶壁そのものだ・・・・」
雄介は、背筋を冷や汗が伝い落ちるような緊迫感に脅かされて嘆息する。
「雄介、お前、あの壁を見たのは初めてなのか?」
時任は、雪目防止ためのサングラスの奥から、パートナーのあまりに素直な驚愕ぶりを見詰めながら、少し呆れ口調で訊く。
「ええ、志賀高原でスキーをしたことは何度もありますけれど、熊の湯へ来たことはありませんでしたから・・・・」
雄介は、正直に答える。
「そうか、それじゃァ、このゲレンデは、お前にとって今日が初滑りということか。だったら、教えておいてやるが------」
そう言うと、時任は、その『魔の壁』についての解説を始めた。時任の説明によれば、つい最近までは、『魔の壁』も、熊の湯温泉スキー場のコースの一部として設定されていたのだが、滑降終着地点のいわゆるランディングバーンの距離が、極端に短く、即崖下へ落ち込みかねない危険な設計となっていた事実に加え、近年、俄に、自らのスキー技量を過大評価してこの超難コースに挑む自惚れた輩の急増が目立ち、それに伴う人身事故が多発し始めたという理由から、現在は立ち入り禁止の措置が執(と)られているとのことであった。
それから、時任は、雄介にこう問いかける。
「ところで、お前、スノーファイターと自称する連中のことを知っているか?」

「スノーファイター?」
雄介には、初めて耳にする言葉であった。時任は、そうか、聞いたこたはないか------と、やや自嘲的な呟きを漏らしながらも、その双眸を眼前の雪壁に凝着させている。そして、ゆっくりとした口調で、淡々と語り出した。
「今から十五、六年も前のことになるが、その頃、ここ志賀高原の地元では、腕に覚えのある命知らずの若いスキーヤーたちが、自らをスノーファイターと呼んで、その王(キング)の座を狙い、互いのスキーテクニックと度胸を競い合っていたんだ。そして、その戦いの場が、あの『魔の壁』だった。おれもまた、そんなスノーファイターを気取った一人として、東京の医大の学生の身分でありながら、年末年始の休みや学年末の春季休暇を利用しては、志賀(高原)へやって来ると、彼らとともに、粋がった勝負師気分を満喫していたのさ」
「時任さんが、スノーファイター・・・・ですか!?」
雄介は、驚いた。あんな危険きわまりない絶壁で、単に滑降すると言うだけでも肝が縮むだろうに、そのスピードはもとより、ランディングバーンに到達した時点で、停止するまでの距離をいかに長く保てるかを競うと、いうことは、別言、どれだけ崖側近くで止まれるようスキー板を制御出来るかを試すということである。そんな、正に無謀きわまりないチキンレースを行なう猛者どもの仲間に、この時任も入っていたということになる。
今では、一般のスキーヤーやスノーボーダーたちに、ゲレンデにおけるマナーやモラルを指導する立場にある時任の姿からは、想像も付かない、この男のもう一つの顔を見た思いであった。雄介の著しい驚きぶりに、時任は、少しばつが悪そうな含羞を面に宿す。
「嘲笑(わら)いたければ、嘲笑えよ」
投げやり気味に言い放ったのち、
「雄介、お前、昨夜(ゆうべ)おれに訊いたよな?黒鳥真琴という女は、何者なのかと-----。野田は、あまり第三者の耳には入れたくない様子だったが、おれとしては、スキーパトロールの相棒であるお前には、出来るだけ隠し事なく、おれ自身の体験したことを話しておこうと思っているんだ」
と、改めて雄介を見詰めると、少し微笑んだ。
「------時任さん」
スキーパトロールは、ある意味常時危険と隣り合わせの過酷な仕事でもある。故に、共に勤務するパートナーは、必要不可欠な、謂わば一種の命綱といっても過言ではない存在である。雄介は、心中では密かに敬意を懐き始めている時任の口から、直に相棒と呼ばれたことが、照れ臭いながらも嬉しく、また、何処か誇らしくさえあった。
「それなら、もう一つ聞かせて下さい。あなたと野田さんの関係です。高校時代の同級生だということは判っていますが、それだけの関係じゃァないような・・・・。二人の間には、何かもっと親密なものがあるんじゃないんですか?それに、あの野田さんの左脚-------。こんなことまで訊いては、失礼かもしれませんけど、何だか気になるんです」
雄介は、時任に呆れ返られることを覚悟のうえで、あえて、更に踏み込んだ質問をぶつけてみた。しかし、時任は、別段機嫌を害することもなく、
「そうだな。雄介が、どうしても聞きたいというのなら、話そう------」
そう、小さく頷いた。
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~今日の雑感~
昨日は通院日でした。病院の中は、相も変わらず慌ただしく、検尿コップを持ってトイレから出た瞬間、救急隊員二名に搬送された急患が、ストレッチャーで勢いよく運び込まれて来たところと鉢合わせになり、危うくコップをふっ飛ばしそうになりました。実に、危なかった~。


わたしの病院での珍体験は、枚挙にいとまがありませんが、これもつい最近の出来事です。わたしが入るように言われるレントゲン室は、入口が二つで室内は一つなのですが、いつも同じ入口からしか入ったことのなかったものですから、その時までは、もう一つの入口があるとは思ってもいませんでした。それで、レントゲン撮影を終えていざ服を着ようとしたら、さっき脱いだ服が脱衣籠の中にない訳です。びっくりして青くなったわたしは、「服が消えてしまいました~!

そうだった!忘れていました。

Posted by ちよみ at 11:19│Comments(0)
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