~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑬
2009年03月01日
その後の休憩時間に、同スキー場内にあるレストハウスへと入った雄介と時任の二人は、小さな円形のテーブルに向かい合わせに腰掛けると、長時間のゲレンデパトロールで冷えた身体を温めるため、束の間のコーヒータイムを過ごしていた。そのレストハウスの店内では、彼らの他にも大勢のスキー客が食事をしたり談笑したりと、皆思い思いのブレイクタイムを満喫している。その客たちのカラフルなスキーウェアに彩られた周囲は、まるで、花畑にでも迷い込んだかのような鮮やかさと、圧倒されるような人いきれに満ちていた。
やがて、時任は、雄介を前に、白い大ぶりのカップに注がれたコーヒーに、ピッチャーのミルクを入れ、それを一口味わってから、さっきの話の続きを、静かに語り出した。
「------今から十五年前、そんなおれが、やはり医大の春休みを利用して、信州への帰省かたがた志賀高原でのスキー三昧の毎日を送っていたある日のこと、神奈川県から来たという一人のある男子大学生から、スノーファイトの挑戦を受けることになってしまったんだ。その大学生とはもちろん初対面だった。しかし、大学生が、おれと一緒に滑りを楽しんでいた野田の滑走体勢を見て、へっぴり腰だとからかったのが発端になり、結局、売り言葉に買い言葉が高じて、挑戦を受けて立つことにしたんだ」
「野田さんが、スキーをされていたんですか?」
雄介が思わず口走ると、時任は、何だ、意外か?------と、いった表情で上目使い見詰め返し、
「野田開作は、高校三年の夏に起きた山岳事故が原因の怪我の後遺症で、左脚に障害を負ってしまったんだよ。そのため、それからは、何度の高いコースは自分から敬遠するようになったものの、脚を負傷する以前は、我が母校スキー部のアルペン滑降のエースとして、将来を嘱望された男だったんだ。さすがに、今はもう日々の多忙さから、あまりスキーを履く機会もなくなったそうだが、それでも、まだ二十代前半だったあの頃は、野田もたびたびおれたち旧知のスキー仲間と連れ立って、志賀高原の笠岳(かさだけ)越えや、奥志賀から北志賀に渡る竜王(りゅうおう)越え等々の、ツアースキーに参加したりもしていたのさ」
「そうだったんですか・・・・」
雄介は、嘆息気味に頷くと、
「それじゃァ、野田さんのそうした栄光も知らずに、その大学生は恥辱を浴びせかけた訳ですね」
ひでェことをしやがるなァと、雄介は眉を顰(しか)め、
「親友がそんな目に遭わされたら、おれだって本気(マジ)ギレしますよ------!」
ついつい語調が過激になる。時任は、そんな血の気の多さを隠そうともしない雄介の正義感あふれる顔を、何か面映ゆいものでも見るような優しげな眼差しで眺めながら、そっと微苦笑する。
「だが、野田は、おれと大学生が『魔の壁』で戦うことには、あくまで反対した。自分のことが原因で、事態が悪化して行くのを、黙殺出来なかったという理由もあるのだろうが、それとは別に、野田は、三月の『魔の壁』が、殊に危険な状態になることを知っていて、おれと相手にもしものことがあってはいけないと、心配してくれていたんだ」
「三月------?どうして、それが特別危険なんですか?」
時任の言葉に、雄介は身を乗り出す。時任の説明は、こうである。
「つまり、三月になると雪山の気温もこれまでよりは上がって来るだろう?アイスバーンになった斜面の上に新たな降雪が積もると、そこへ気温の上昇が生じた場合、表層雪崩が発生する危険のあることは、雄介、お前も知っているはずだ。要するに、雪山を知るものならば、それは誰しも懸念するところだが、南向きに切り立つ『魔の壁』にあっては、特にそうした条件が揃いやすく、脆弱(ぜいじゃく)な新雪面は、粗目になり、滑走者へのリスクもかなり高くなるという訳だ。しかし、おれは、必死で引き留める野田の気持ちよりも、おれ自身のスノーファイターとしての身勝手なプライドの方を優先させ、氷壁のチキンレースに挑んだんだよ。------そして、あの事故は起きたんだ」
「事故--------?」
雄介は、思わず時任の言葉を復唱する。時任は、そうだと、自らに得心を強いるかの如く深く頷いてから、十五年前にあの『魔の壁』でいったい何があったのかを、努めて感情的な部分を排した視線を保持しつつ、抑制のきいた冷静な口調で述懐するのであった。
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~今日の雑感~
今日も、病院ネタで恐縮ですが、一昨年の秋、身体の不調で総合病院へ行ったわたしは、若い女性研修医の先生に診て頂いており、内科処置室という所で、点滴を打ってもらっていました。そこへ、急患を引き受けてもらえないかとの連絡が入り、年配の看護師さんが、その女性研修医に引き受けをOKしてもいいかと訊いたところ、いいという答えで、その救急患者は、ここへ搬送されて来ることになりました。すると、間もなく、新たな急患受け入れ要請が入り、こちらもどうしても受け入れてもらいたいとの救急隊からの連絡で、その研修医の先生は、この急患も引き受けるという返事をしたのです。しかし、返事をしてしまってから、「どうしよう。あたし一人じゃァ不安だわ・・・」と、いうことになり、病棟にいたベテランの医師に助勢を請うことに。
「急患が二人来るんですけど、助けて頂けませんか?」しかし、どうも、ベテラン先生は、他の診察で手いっぱいな様子。すると、年配の看護師さんがそこでアドバイスをしました。「何でもしますから、お願いしますって言ってみたら?」研修医の先生は、背に腹は代えられず、その通りのことをベテラン先生に告げました。
やがて、運ばれて来た急患の一人は精神科の方へ、もう一人のおじいさんの急患をその先生たちが診ることになったのですが、このおじいさん、意識が朦朧としていて、何を言っているのか全く意味不明。かなりお酒も飲んでいるらしく、「☓☓から落ちた・・・」というだけが精一杯。するとベテラン先生が、研修医の先生に、「お前、なんでもやると言ったんだから、この人が何を言っているのかちゃんと聞き取れ」と、言います。研修医の先生が、再度訊くと、おじさんは「炬燵(こたつ)から落ちた~」と、言っているように聞こえます。「炬燵?炬燵なのね?」研修医が念を押すと、それを訊いたベテラン先生が、「そうじゃない、脚立(きゃたつ)と言っているんだよ。口の開き方をよく見ろよ」と、教えました。
カーテンで、周りは仕切られていたものの、ベッドで一部始終を聞いていたわたしは、やっぱり、経験者は大したものだなァと、一人感心していたものです。そのおじいさんは、それから頭部のCTを撮るため、ストレッチャーに載せられたまま処置室を出て行きました。ベテラン先生が、そこで研修医の先生に、「一つ、貸しだな。今度昼飯でもおごれよ」------ベテラン先生の顔は判りませんでしたが、何だか、ちょっといいラジオドラマのワンシーンを聴かせてもらったような気がしました。
やがて、時任は、雄介を前に、白い大ぶりのカップに注がれたコーヒーに、ピッチャーのミルクを入れ、それを一口味わってから、さっきの話の続きを、静かに語り出した。
「------今から十五年前、そんなおれが、やはり医大の春休みを利用して、信州への帰省かたがた志賀高原でのスキー三昧の毎日を送っていたある日のこと、神奈川県から来たという一人のある男子大学生から、スノーファイトの挑戦を受けることになってしまったんだ。その大学生とはもちろん初対面だった。しかし、大学生が、おれと一緒に滑りを楽しんでいた野田の滑走体勢を見て、へっぴり腰だとからかったのが発端になり、結局、売り言葉に買い言葉が高じて、挑戦を受けて立つことにしたんだ」
「野田さんが、スキーをされていたんですか?」
雄介が思わず口走ると、時任は、何だ、意外か?------と、いった表情で上目使い見詰め返し、
「野田開作は、高校三年の夏に起きた山岳事故が原因の怪我の後遺症で、左脚に障害を負ってしまったんだよ。そのため、それからは、何度の高いコースは自分から敬遠するようになったものの、脚を負傷する以前は、我が母校スキー部のアルペン滑降のエースとして、将来を嘱望された男だったんだ。さすがに、今はもう日々の多忙さから、あまりスキーを履く機会もなくなったそうだが、それでも、まだ二十代前半だったあの頃は、野田もたびたびおれたち旧知のスキー仲間と連れ立って、志賀高原の笠岳(かさだけ)越えや、奥志賀から北志賀に渡る竜王(りゅうおう)越え等々の、ツアースキーに参加したりもしていたのさ」
「そうだったんですか・・・・」

雄介は、嘆息気味に頷くと、
「それじゃァ、野田さんのそうした栄光も知らずに、その大学生は恥辱を浴びせかけた訳ですね」
ひでェことをしやがるなァと、雄介は眉を顰(しか)め、
「親友がそんな目に遭わされたら、おれだって本気(マジ)ギレしますよ------!」
ついつい語調が過激になる。時任は、そんな血の気の多さを隠そうともしない雄介の正義感あふれる顔を、何か面映ゆいものでも見るような優しげな眼差しで眺めながら、そっと微苦笑する。
「だが、野田は、おれと大学生が『魔の壁』で戦うことには、あくまで反対した。自分のことが原因で、事態が悪化して行くのを、黙殺出来なかったという理由もあるのだろうが、それとは別に、野田は、三月の『魔の壁』が、殊に危険な状態になることを知っていて、おれと相手にもしものことがあってはいけないと、心配してくれていたんだ」
「三月------?どうして、それが特別危険なんですか?」
時任の言葉に、雄介は身を乗り出す。時任の説明は、こうである。
「つまり、三月になると雪山の気温もこれまでよりは上がって来るだろう?アイスバーンになった斜面の上に新たな降雪が積もると、そこへ気温の上昇が生じた場合、表層雪崩が発生する危険のあることは、雄介、お前も知っているはずだ。要するに、雪山を知るものならば、それは誰しも懸念するところだが、南向きに切り立つ『魔の壁』にあっては、特にそうした条件が揃いやすく、脆弱(ぜいじゃく)な新雪面は、粗目になり、滑走者へのリスクもかなり高くなるという訳だ。しかし、おれは、必死で引き留める野田の気持ちよりも、おれ自身のスノーファイターとしての身勝手なプライドの方を優先させ、氷壁のチキンレースに挑んだんだよ。------そして、あの事故は起きたんだ」
「事故--------?」
雄介は、思わず時任の言葉を復唱する。時任は、そうだと、自らに得心を強いるかの如く深く頷いてから、十五年前にあの『魔の壁』でいったい何があったのかを、努めて感情的な部分を排した視線を保持しつつ、抑制のきいた冷静な口調で述懐するのであった。
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~今日の雑感~
今日も、病院ネタで恐縮ですが、一昨年の秋、身体の不調で総合病院へ行ったわたしは、若い女性研修医の先生に診て頂いており、内科処置室という所で、点滴を打ってもらっていました。そこへ、急患を引き受けてもらえないかとの連絡が入り、年配の看護師さんが、その女性研修医に引き受けをOKしてもいいかと訊いたところ、いいという答えで、その救急患者は、ここへ搬送されて来ることになりました。すると、間もなく、新たな急患受け入れ要請が入り、こちらもどうしても受け入れてもらいたいとの救急隊からの連絡で、その研修医の先生は、この急患も引き受けるという返事をしたのです。しかし、返事をしてしまってから、「どうしよう。あたし一人じゃァ不安だわ・・・」と、いうことになり、病棟にいたベテランの医師に助勢を請うことに。
「急患が二人来るんですけど、助けて頂けませんか?」しかし、どうも、ベテラン先生は、他の診察で手いっぱいな様子。すると、年配の看護師さんがそこでアドバイスをしました。「何でもしますから、お願いしますって言ってみたら?」研修医の先生は、背に腹は代えられず、その通りのことをベテラン先生に告げました。
やがて、運ばれて来た急患の一人は精神科の方へ、もう一人のおじいさんの急患をその先生たちが診ることになったのですが、このおじいさん、意識が朦朧としていて、何を言っているのか全く意味不明。かなりお酒も飲んでいるらしく、「☓☓から落ちた・・・」というだけが精一杯。するとベテラン先生が、研修医の先生に、「お前、なんでもやると言ったんだから、この人が何を言っているのかちゃんと聞き取れ」と、言います。研修医の先生が、再度訊くと、おじさんは「炬燵(こたつ)から落ちた~」と、言っているように聞こえます。「炬燵?炬燵なのね?」研修医が念を押すと、それを訊いたベテラン先生が、「そうじゃない、脚立(きゃたつ)と言っているんだよ。口の開き方をよく見ろよ」と、教えました。
カーテンで、周りは仕切られていたものの、ベッドで一部始終を聞いていたわたしは、やっぱり、経験者は大したものだなァと、一人感心していたものです。そのおじいさんは、それから頭部のCTを撮るため、ストレッチャーに載せられたまま処置室を出て行きました。ベテラン先生が、そこで研修医の先生に、「一つ、貸しだな。今度昼飯でもおごれよ」------ベテラン先生の顔は判りませんでしたが、何だか、ちょっといいラジオドラマのワンシーンを聴かせてもらったような気がしました。
Posted by ちよみ at 11:26│Comments(0)
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