~ 炎 の 氷 壁 ~ ⑩
2009年02月26日
雄介には、この女性スキーヤーの容貌に、はっきりとした見覚えがあった。
「きみは、昨日(きのう)の-------」
女性は、例のスキーリフトでの人身転落事故の際の通報者であり、また、神崎パトロール員が言うところの、志賀高原熊の湯温泉スキー場でスキーインストラクターを務めているという人物であった。彼女は如何にも聡明そうな眉目に、何故か、嘲りと侮蔑とも思えるような不可思議な色を含みながら、冷たく雄介を見る。そして、こう言った。
「悪いことは言わないから、あの時任という男とは、あまり親しくならないことね」
「それは、どういう意味なのかな?」
雄介は、質問しつつ頭の中で、昨日の、スキーリフトから転落した男性スキーヤーの救助に当たる時任に投じられていた、この女性の苦渋に満ちた眼差しを思い出していた。雄介は、更に訊ねる。
「きみは、誰なんだ?時任さんの知り合いか?」
「そんなんじゃないわ。でも、時任圭吾がどれだけ卑劣な奴かは、誰よりもよく知っている------」
彼女は、憎悪もあらわに雄介を睨み据えたまま、
「時任圭吾はね、あの男は、人殺しなのよ!」
怨念を噴出させるかのように、きっぱりと言い放った。
「------なんだって?」
雄介は、瞬間、次の言葉に窮した。この女は、気が確かなのだろうかと、女性の精神状態を疑った。と、相手は、雄介のそんな胸中の動きを敏感に察知するや、卑屈とも自虐ともつかない冷ややかな笑みを片頬に宿し、
「あなたにも、今にあの男の正体が判るわ。時任に会ったら伝えなさい。必ず証拠を見付けて、お前の罪を暴き出してやる------。殺人事件には時効があるけれど、そんなことには関係なく、わたしは必ずお前を追い詰めてやるから覚悟しておけとね」
そう挑戦的に叩きつけてよこすなり、再び滑り出して行こうとする。雄介は、咄嗟にそれを呼び止める。
「待ってくれ。せめて、きみの名前ぐらい教えろよ」
すると、女性は、雄介の方へ背(そびら)を向けた姿勢を保ちつつ、自らを黒鳥真琴(くろとりまこと)と、名乗った。
「------死んだ黒鳥和也(くろとりかずや)は、わたしの実兄(あに)よ」
さらに、彼女はそう付言し、まるで、何かしらの毒気にでも当てられたかの如く顔色無しに立ち尽くす雄介の眼前から、疾風の速さで、麓へと向かって滑り去って行ってしまった。
雄介の胸間には、不可解な溜飲(りゅういん)だけが苦く残った。
その日も一日のパトロール任務を、雄介は、さしたる支障もなく、パートナーの時任の指示を仰ぎながらも、まずまず無難に乗り切った。しかし、常時行動を共にしている時任ではあるが、いや、そうであるからこそ、雄介には時任に対する気遣いの方が先に立ち、どうにも、朝方出会った黒鳥真琴と称する奇妙な女性についての事情を話すことが出来ずにいた。
そんな雄介が、ようやっと何とか躊躇いを払拭し、パートナーに向ってその話題を切り出したのは、二人が宿舎にしている横手山ロッジへと、勤務を終えて引き揚げて来てからのことであった。
午後九時過ぎ、既に同ホテルの宿泊客たちはホテル内の食堂における夕食を済ませ、三々五々それぞれの客室へと戻っており、ロビー脇にあるラウンジに設けられているソファーには、赤々と燃えるマントルピース(暖炉)の炎を眺めながら、時任と野田開作の二人だけが寛(くつろ)ぎながら、世間話に興じていた。
雄介は、そんな男たちの方へとおもむろに近寄り、やや遠慮めいた神妙顔で、時任に声をかけた。
「時任さん、ちょっと、あなたに話があるんですけど、あとでいいですから、時間を取ってもらえませんか?」
これに対して時任は、訝しげに苦笑いをしながら、
「そいつは、構わんが、ここじゃァ話しにくいことなのか?」
と、問い返す。雄介は、言葉を濁しかげんに答える。
「まあ、そんなところです・・・・・」
「お前のプライベートに関しての話か?まさか、もう、仕事が嫌になったなんて言うんじゃないだろうなァ?」
時任は、以前にも何人かのスキーパトロール員が、給料の安さと、それとは逆の仕事の過酷さが原因で、早々にスキー場を去って行った事実を目の当たりにしているため、もしや、またぞろリタイアの申し出かと、一瞬の緊張感を言葉に孕(はら)む。
「そんなんじゃありません。話したいのは、おれのことではなく・・・・、あなたのことです・・・・・」
雄介が、不本意ながらも奥歯にものの挟まるような言い方をすると、
「おれのこと------?おかしな奴だなァ。何を殊勝ぶっているんだ?おれのことなら、別に隠す必要なんかない。言いたいことがあるなら、今ここで言えよ」
時任は、まるで意に介さぬ素振りを見せる。だが、雄介の真顔を尋常でないと鋭敏に察した野田の方が、流石に長年客商売に携わって来た苦労人の気配りを見せて、
「-------さて、おれは、まだ仕事が残っているから、これで失礼するよ」
と、さりげなく腰を上げにかかった。ところが、そんな野田の細心に気付いた時任は、すかさず野田を制すると、
「雄介、おれは構わないから、今この場で話せ」
そう指示した。雄介は、これでも新参パトロール員の立場としては、先輩パトロール員に対して気を遣っているつもりなのになァと、胸中に一言ぼやいてから、この日の朝のゲレンデ巡視中、横手山山頂付近で起きたことの一部始終を、時任に伝えたのであった。
「-------時任さんを、殺人犯呼ばわりするなんて、あの黒鳥真琴とかいう女、何かよほどの勘違いをしているとしか思えないんですけれど、とにかく様子が普通じゃァなかった。一つ間違えば、危害さえ加えかねない程の剣幕だったから、ちょっと心配で、一応、あなたに報告しておいた方がいいと思ったんです」
雄介が、そう懸念の色を言葉の節に結んだ直後、時任の長躯が、何者かの力によって弾かれたかのように、ソファーから立ち上がった。その表情は、蒼褪めて強張り、握りしめた両の拳は、瘧(おこり)の如く小刻みに震えている。
「時任--------!」
野田は、不安の面持ちで、思わず時任の腕を摑んだ。
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~今日の雑感~
「~依存症」という言葉があります。「ギャンブル依存症」とか、「買い物依存症」、「アルコール依存症」などもそうですが、中には、「外出依存症」と呼ぶにふさわしいほど、外に出ることが好きな人もいます。そもそも、依存症とは、「楽しいことや刺激的なことを目の当たりにすると、脳内に多幸感をもたらすベータエンドルフィン、快感をもたらすドーパミンが多く分泌されるが、それが常習性を持つことにより、快感の前倒しが起き、そのことをやる前にドーパミンが増え、それをしている時に、セロトニンなどの安心感をもたらす物質が分泌されるために生じる現象である」と、いうことらしいのです。
つまり、その「外出依存症」の癖がある人は、「外へ出て、何かをしたい」と、思った時に幸福感を感じ、外出している時に、安心感を感じる訳で、普通は、最も安らげるはずの自宅の中にいると、むしろ焦燥感やイライラ感が募ってしまうのだそうです。実は、わたしの周りにも、これに近いタイプの女性がいて、お昼過ぎになると、家の中にいるのが苦痛でならないというのです。しかし、この人は、自分で運転も出来ませんし、独りで外へ出ることを極端に怖がる性質なので、そういう時は、必ずと言っていいほど、他の家族や知り合いの自動車に同乗させてもらい、外出するしか術がありません。実に厄介な問題なのです。
現在は、このような依存症の中に、「パソコン依存症」とか、「携帯電話依存症」などという物まで現れて、パソコンや、ケータイ電話を常に身近においておかないと、不安で仕方がないという子供さんまでいるそうです。それに関連して、ごく最近では、「ブログ依存症」なる言葉までも耳にします。ブログの中の会話でしか自分を表現できないとか、ブログを書いている時だけが唯一安心できる時間だとか・・・・。これは、ある意味、怖いことでもあります。あくまでも現実生活とのバランスを保ったうえで、ブログというコミュニケーションツールは楽しみたいものです。
「きみは、昨日(きのう)の-------」
女性は、例のスキーリフトでの人身転落事故の際の通報者であり、また、神崎パトロール員が言うところの、志賀高原熊の湯温泉スキー場でスキーインストラクターを務めているという人物であった。彼女は如何にも聡明そうな眉目に、何故か、嘲りと侮蔑とも思えるような不可思議な色を含みながら、冷たく雄介を見る。そして、こう言った。
「悪いことは言わないから、あの時任という男とは、あまり親しくならないことね」
「それは、どういう意味なのかな?」
雄介は、質問しつつ頭の中で、昨日の、スキーリフトから転落した男性スキーヤーの救助に当たる時任に投じられていた、この女性の苦渋に満ちた眼差しを思い出していた。雄介は、更に訊ねる。
「きみは、誰なんだ?時任さんの知り合いか?」
「そんなんじゃないわ。でも、時任圭吾がどれだけ卑劣な奴かは、誰よりもよく知っている------」
彼女は、憎悪もあらわに雄介を睨み据えたまま、
「時任圭吾はね、あの男は、人殺しなのよ!」
怨念を噴出させるかのように、きっぱりと言い放った。
「------なんだって?」
雄介は、瞬間、次の言葉に窮した。この女は、気が確かなのだろうかと、女性の精神状態を疑った。と、相手は、雄介のそんな胸中の動きを敏感に察知するや、卑屈とも自虐ともつかない冷ややかな笑みを片頬に宿し、
「あなたにも、今にあの男の正体が判るわ。時任に会ったら伝えなさい。必ず証拠を見付けて、お前の罪を暴き出してやる------。殺人事件には時効があるけれど、そんなことには関係なく、わたしは必ずお前を追い詰めてやるから覚悟しておけとね」
そう挑戦的に叩きつけてよこすなり、再び滑り出して行こうとする。雄介は、咄嗟にそれを呼び止める。
「待ってくれ。せめて、きみの名前ぐらい教えろよ」
すると、女性は、雄介の方へ背(そびら)を向けた姿勢を保ちつつ、自らを黒鳥真琴(くろとりまこと)と、名乗った。
「------死んだ黒鳥和也(くろとりかずや)は、わたしの実兄(あに)よ」
さらに、彼女はそう付言し、まるで、何かしらの毒気にでも当てられたかの如く顔色無しに立ち尽くす雄介の眼前から、疾風の速さで、麓へと向かって滑り去って行ってしまった。
雄介の胸間には、不可解な溜飲(りゅういん)だけが苦く残った。
その日も一日のパトロール任務を、雄介は、さしたる支障もなく、パートナーの時任の指示を仰ぎながらも、まずまず無難に乗り切った。しかし、常時行動を共にしている時任ではあるが、いや、そうであるからこそ、雄介には時任に対する気遣いの方が先に立ち、どうにも、朝方出会った黒鳥真琴と称する奇妙な女性についての事情を話すことが出来ずにいた。
そんな雄介が、ようやっと何とか躊躇いを払拭し、パートナーに向ってその話題を切り出したのは、二人が宿舎にしている横手山ロッジへと、勤務を終えて引き揚げて来てからのことであった。
午後九時過ぎ、既に同ホテルの宿泊客たちはホテル内の食堂における夕食を済ませ、三々五々それぞれの客室へと戻っており、ロビー脇にあるラウンジに設けられているソファーには、赤々と燃えるマントルピース(暖炉)の炎を眺めながら、時任と野田開作の二人だけが寛(くつろ)ぎながら、世間話に興じていた。
雄介は、そんな男たちの方へとおもむろに近寄り、やや遠慮めいた神妙顔で、時任に声をかけた。
「時任さん、ちょっと、あなたに話があるんですけど、あとでいいですから、時間を取ってもらえませんか?」
これに対して時任は、訝しげに苦笑いをしながら、
「そいつは、構わんが、ここじゃァ話しにくいことなのか?」

と、問い返す。雄介は、言葉を濁しかげんに答える。
「まあ、そんなところです・・・・・」
「お前のプライベートに関しての話か?まさか、もう、仕事が嫌になったなんて言うんじゃないだろうなァ?」
時任は、以前にも何人かのスキーパトロール員が、給料の安さと、それとは逆の仕事の過酷さが原因で、早々にスキー場を去って行った事実を目の当たりにしているため、もしや、またぞろリタイアの申し出かと、一瞬の緊張感を言葉に孕(はら)む。
「そんなんじゃありません。話したいのは、おれのことではなく・・・・、あなたのことです・・・・・」
雄介が、不本意ながらも奥歯にものの挟まるような言い方をすると、
「おれのこと------?おかしな奴だなァ。何を殊勝ぶっているんだ?おれのことなら、別に隠す必要なんかない。言いたいことがあるなら、今ここで言えよ」
時任は、まるで意に介さぬ素振りを見せる。だが、雄介の真顔を尋常でないと鋭敏に察した野田の方が、流石に長年客商売に携わって来た苦労人の気配りを見せて、
「-------さて、おれは、まだ仕事が残っているから、これで失礼するよ」
と、さりげなく腰を上げにかかった。ところが、そんな野田の細心に気付いた時任は、すかさず野田を制すると、
「雄介、おれは構わないから、今この場で話せ」
そう指示した。雄介は、これでも新参パトロール員の立場としては、先輩パトロール員に対して気を遣っているつもりなのになァと、胸中に一言ぼやいてから、この日の朝のゲレンデ巡視中、横手山山頂付近で起きたことの一部始終を、時任に伝えたのであった。
「-------時任さんを、殺人犯呼ばわりするなんて、あの黒鳥真琴とかいう女、何かよほどの勘違いをしているとしか思えないんですけれど、とにかく様子が普通じゃァなかった。一つ間違えば、危害さえ加えかねない程の剣幕だったから、ちょっと心配で、一応、あなたに報告しておいた方がいいと思ったんです」
雄介が、そう懸念の色を言葉の節に結んだ直後、時任の長躯が、何者かの力によって弾かれたかのように、ソファーから立ち上がった。その表情は、蒼褪めて強張り、握りしめた両の拳は、瘧(おこり)の如く小刻みに震えている。
「時任--------!」
野田は、不安の面持ちで、思わず時任の腕を摑んだ。
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~今日の雑感~
「~依存症」という言葉があります。「ギャンブル依存症」とか、「買い物依存症」、「アルコール依存症」などもそうですが、中には、「外出依存症」と呼ぶにふさわしいほど、外に出ることが好きな人もいます。そもそも、依存症とは、「楽しいことや刺激的なことを目の当たりにすると、脳内に多幸感をもたらすベータエンドルフィン、快感をもたらすドーパミンが多く分泌されるが、それが常習性を持つことにより、快感の前倒しが起き、そのことをやる前にドーパミンが増え、それをしている時に、セロトニンなどの安心感をもたらす物質が分泌されるために生じる現象である」と、いうことらしいのです。
つまり、その「外出依存症」の癖がある人は、「外へ出て、何かをしたい」と、思った時に幸福感を感じ、外出している時に、安心感を感じる訳で、普通は、最も安らげるはずの自宅の中にいると、むしろ焦燥感やイライラ感が募ってしまうのだそうです。実は、わたしの周りにも、これに近いタイプの女性がいて、お昼過ぎになると、家の中にいるのが苦痛でならないというのです。しかし、この人は、自分で運転も出来ませんし、独りで外へ出ることを極端に怖がる性質なので、そういう時は、必ずと言っていいほど、他の家族や知り合いの自動車に同乗させてもらい、外出するしか術がありません。実に厄介な問題なのです。
現在は、このような依存症の中に、「パソコン依存症」とか、「携帯電話依存症」などという物まで現れて、パソコンや、ケータイ電話を常に身近においておかないと、不安で仕方がないという子供さんまでいるそうです。それに関連して、ごく最近では、「ブログ依存症」なる言葉までも耳にします。ブログの中の会話でしか自分を表現できないとか、ブログを書いている時だけが唯一安心できる時間だとか・・・・。これは、ある意味、怖いことでもあります。あくまでも現実生活とのバランスを保ったうえで、ブログというコミュニケーションツールは楽しみたいものです。
Posted by ちよみ at 10:54│Comments(0)
│~ 炎 の 氷 壁 ~
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。