ちょっと、一服・・・・・⑰
2009年03月27日
< 学 校 に か か る 電 話 >
これは、わたしの家の近所の女性が、高校生の頃に体験した実話です。
今から約三十年ほど前、彼女は、その頃、長野市内にある、某女子校に通っていました。
その女性の家は、昔から御商売をされているのですが、その家屋部分が庭を含めてかなり広い造りになっているものですから、当時は、その空いている部屋を、下宿として貸し出してもいました。
その彼女が、まだ小学生の時、その貸し部屋に、一人の若い芸者さんが住むことになり、芸者さんは、三味線や踊りの稽古の合間には、よく彼女を部屋に呼び、おはじきをしたり、お絵描きの相手をしたりと、とてもよく面倒をみてくれたのだそうです。
でも、彼女のご両親は、彼女が一人っ子だったこともあり、また、両親が高齢になって出来た娘でもあったため、それこそ目の中に入れても痛くないという可愛がりようで、ほんの短時間でも、自分たちの目の届かないところには置いておきたくないという過保護ぶりもあり、彼女が、芸者さんの所で遊ぶことを、あまり快く思わなかったのでした。
そんな理由もあって、彼女も、小学生、中学生と、成長するにつれて、あまり足繁く芸者さんの部屋へ行くということはなくなって行きました。そして、彼女が高校生になった頃、芸者さんは、当時はほとんど不治の病とされている病気に侵され、お座敷に出ることもかなわなくなり、とうとう病院に入院することになってしまいました。
その病院が、彼女の通う高校の近くにあったことから、彼女は、時々、放課後になると、両親には内緒で、こっそりと芸者さんのお見舞いに行っていたそうです。芸者さんは、その日一日の彼女の学校生活の話を聞くのを、とても楽しみにしていて、自分は、中学卒業と同時に、芸者の置屋(おきや)に奉公に出されたから、学校の話を聞くと、自分も高校生になったような気がすると、とても喜んでいたということでした。
そんなある日、彼女の授業中に、学校の職員室に、その芸者さんからの電話が入り、彼女を呼び出して欲しいというのです。先生の一人が、授業中の彼女の教室まで来て、そのことを伝え、彼女が職員室の電話に出ると、受話器の向こうで、その芸者さんが、「もう元気になったから、今日退院するよ。いままで、お見舞いに来てくれてありがとうね」と、元気な声で言うのだそうです。彼女も、嬉しくなって、「じゃァ、今日家へ帰ったら、退院のお祝いをしなくちゃね」と、答えますと、芸者さんは、何度も「ありがとうね」を繰り返して、電話を切ったのだそうです。
彼女は、既に家には芸者さんが帰って来ているものとばかり思い、喜び勇んで帰宅したところ、家の中の雰囲気が何だかいつもと違うことに気付きました。そこで、従業員の一人に訊いてみたところ、「芸者さん、亡くなったんですってよ、〇〇ちゃん」というので、彼女は、何だか狐にでもつままれているような気がして、「いつ亡くなったの?だって、あたし・・・・」と、途中で言葉を飲み込んだのだとか。それというのも、その従業員が話すには、「〇〇時頃なんだって。病院からの連絡で、〇〇ちゃんのお父さんと置屋のお母さんが、遺体を引き取りに行っているんだよ」と、いうことでした。
その時間は、正しく、彼女が職員室の電話で、芸者さんと話をした時間だったのです。
あの電話は、いったい何だったのか?自分だけが、聞いた空耳などではない。だって、電話を取り次いだ先生だって、それを聞いているんだから・・・・。
彼女は、そのことを、後日両親に話したのですが、両親は、女子高生の絵空事と、取り合おうとはしなかったそうです。
「でも、わたしは間違いなく、あの時、芸者さんと話をしたのよ」-------彼女は、今も、そのことが気になって仕方がないと言います。
これは、わたしの家の近所の女性が、高校生の頃に体験した実話です。
今から約三十年ほど前、彼女は、その頃、長野市内にある、某女子校に通っていました。
その女性の家は、昔から御商売をされているのですが、その家屋部分が庭を含めてかなり広い造りになっているものですから、当時は、その空いている部屋を、下宿として貸し出してもいました。
その彼女が、まだ小学生の時、その貸し部屋に、一人の若い芸者さんが住むことになり、芸者さんは、三味線や踊りの稽古の合間には、よく彼女を部屋に呼び、おはじきをしたり、お絵描きの相手をしたりと、とてもよく面倒をみてくれたのだそうです。
でも、彼女のご両親は、彼女が一人っ子だったこともあり、また、両親が高齢になって出来た娘でもあったため、それこそ目の中に入れても痛くないという可愛がりようで、ほんの短時間でも、自分たちの目の届かないところには置いておきたくないという過保護ぶりもあり、彼女が、芸者さんの所で遊ぶことを、あまり快く思わなかったのでした。

そんな理由もあって、彼女も、小学生、中学生と、成長するにつれて、あまり足繁く芸者さんの部屋へ行くということはなくなって行きました。そして、彼女が高校生になった頃、芸者さんは、当時はほとんど不治の病とされている病気に侵され、お座敷に出ることもかなわなくなり、とうとう病院に入院することになってしまいました。
その病院が、彼女の通う高校の近くにあったことから、彼女は、時々、放課後になると、両親には内緒で、こっそりと芸者さんのお見舞いに行っていたそうです。芸者さんは、その日一日の彼女の学校生活の話を聞くのを、とても楽しみにしていて、自分は、中学卒業と同時に、芸者の置屋(おきや)に奉公に出されたから、学校の話を聞くと、自分も高校生になったような気がすると、とても喜んでいたということでした。
そんなある日、彼女の授業中に、学校の職員室に、その芸者さんからの電話が入り、彼女を呼び出して欲しいというのです。先生の一人が、授業中の彼女の教室まで来て、そのことを伝え、彼女が職員室の電話に出ると、受話器の向こうで、その芸者さんが、「もう元気になったから、今日退院するよ。いままで、お見舞いに来てくれてありがとうね」と、元気な声で言うのだそうです。彼女も、嬉しくなって、「じゃァ、今日家へ帰ったら、退院のお祝いをしなくちゃね」と、答えますと、芸者さんは、何度も「ありがとうね」を繰り返して、電話を切ったのだそうです。
彼女は、既に家には芸者さんが帰って来ているものとばかり思い、喜び勇んで帰宅したところ、家の中の雰囲気が何だかいつもと違うことに気付きました。そこで、従業員の一人に訊いてみたところ、「芸者さん、亡くなったんですってよ、〇〇ちゃん」というので、彼女は、何だか狐にでもつままれているような気がして、「いつ亡くなったの?だって、あたし・・・・」と、途中で言葉を飲み込んだのだとか。それというのも、その従業員が話すには、「〇〇時頃なんだって。病院からの連絡で、〇〇ちゃんのお父さんと置屋のお母さんが、遺体を引き取りに行っているんだよ」と、いうことでした。
その時間は、正しく、彼女が職員室の電話で、芸者さんと話をした時間だったのです。
あの電話は、いったい何だったのか?自分だけが、聞いた空耳などではない。だって、電話を取り次いだ先生だって、それを聞いているんだから・・・・。
彼女は、そのことを、後日両親に話したのですが、両親は、女子高生の絵空事と、取り合おうとはしなかったそうです。
「でも、わたしは間違いなく、あの時、芸者さんと話をしたのよ」-------彼女は、今も、そのことが気になって仕方がないと言います。