~ 炎 の 氷 壁 ~ 24
2009年03月14日
「-------よせ!」
時任は、差し出された野田の手を振り払い、なおも、語気を強める。
「野田、もしかして、お前、黒鳥真琴の消息に心当たりがあるんじゃないだろうな?」
野田は、振り払われた右手を気まずそうにスラックスのポケットに仕舞い込み、あんな女のことをおれが知る筈がないだろうと、唇を尖らせる。そして、恨めしげに相手を見詰めて、
「時任、お前、ここ数日で、人が変わってしまったみたいだな・・・・。でも、おれは、いつまででもお前の味方だ。今は、おれのことを疎ましいと思っているかも知れんが、そのうちに気も変わるさ。-------いいとも、ここを出て行きたかったら、そうすればいい。それで、お前の気が済むなら、好きにするさ。しかし、どうせ、また、おれの所へ戻って来ることになるのだろうからな」
如何にも、未練がましい言葉を連ねた。時任は、大きく頭(かぶり)を振ると、
「お前のことが信じられなくなってしまった以上、おれが、その気持ちを隠してこのホテルに居座ることはもう出来ない。スキーパトロールの就業期間が終わり次第、即刻志賀高原(やま)を下りるつもりだ。横手山ロッジ(ここ)には、二度と顔を出すつもりもない。今まで、世話になったことは、心底ありがたいと思っている。しかし、おれには、どうしても、お前の気持ちが理解出来ないんだ。正直、重荷ですらある。これまでの宿泊料で支払不足の分は、パトロール本部の方へおれ宛てに請求書を出してくれればいい。すぐに、振り込むから、そうしてくれ」
きっぱり言い置くと、野田を一人残したまま、時任は、再び彼を振り向くことなくワインセラー(貯蔵庫)を出て行った。
その夜も更け、もうすぐ日付が変わろうとしていた時刻、スキーパトロール本部の夜間当直員を自ら買って出た雄介は、事務所内の長椅子に凭れながらテレビのニュース番組を観ていたが、やがて、それにも飽きて、テレビのスイッチを切ると、少し仮眠をとっておこうと、蒲団が用意されている隣部屋へ移動するため、大きな欠伸(あくび)をしながら重い腰を上げた。------その時であった。
いきなり、事務所の入り口のドアが乱暴に開いて、大きなボストンバッグを持った時任が入って来た。その様子が、あまりに興奮していて、尋常ならざる雰囲気に見えたもので、雄介は、驚き、思わず声を張り上げた。
「どうしたんですか、時任さん!?そんな大荷物を抱えて。何か、あったんですか?」
それに応えるよりも先に、時任は、ボストンバッグを足元に放りだすように置くと、さっき雄介が夕食の時に飲み残しておいたペットボトル入りの清涼飲料の蓋を開けて、中の液体を一気に飲み干す。そして、空になったプラスティックボトルを近くのゴミ箱に叩きつけるように投げ入れると、今まで雄介が座っていた長椅子にどっかりと腰を下ろし、怒りを込めた強い口調で、絞り出すように言った。
「今し方、横手山ロッジを出て来た------」
「出て来たって、ホテルを引き払ったということですか?」
雄介が、半信半疑で訊ねると、時任は、そうだと頷き、先刻までの野田との間のやり取りについて、掻い摘んで雄介に話して聞かせた。そして、自分も、今夜はここで一晩泊らせてもらう旨を告げる。聞いた雄介は、ついに時任が野田に対する長年蓄積し続けて来た疑念を噴出させてしまったに違いないと直感し、彼なりの複雑な自責の念を感じた。
そこで、恐る恐る口を開く。
「おれのせいですね・・・・・」
「そうじゃない・・・・。お前の反応は、ごく自然のことだ。お前から聞いたことは、単にきっかけだったにすぎない・・・・。おれは、ずっと以前から、野田の不可解な態度には気付いていたんだ。だが、そのことにあえて目をつぶり、自分に都合のいいように解釈して来たんだ。野田の親切心を利用していたのさ。今までのパートナーたちやお前に、不愉快な思いをさせていることを薄々は察しながらも、野田を咎める勇気がなかった。本当に、申し訳ないと思っている」
時任は、そう詫びると、両手で頭を抱えてしまった。
「それにしても、おれには判らない・・・・・。何故、あそこまで、あいつは、おれのことを・・・・?」
それを聞いた雄介は、時任の深潭(しんたん)に沈む辛そうな顔を見下ろして、静かに言う。
「でも、おれ、何となく判るような気がします。野田さんの気持ち・・・・」
そう言いながら、少し気恥ずかしそうに視線を時任から外すと、
「おれも、ここへ来る前までは、自分というものに自信が持てず、いつも地に足が付いていないような不安定な諦めが心の何処かにあって、人の顔すらまともに見ることが出来ないほどの劣等感の塊だった。いや、今だって、それがすべて払拭されているかと言えば、否かもしれない。でも、ここのスキーパトロール員になり、時任さんや神崎さんたちと仕事をするうちに、こんなおれでも、他人(ひと)の役に立つことが出来るんだということに気付いて、少しだけれど前向きになれた気がするんです。
きっと、野田さんも、あの不自由な左脚のこともあって、時任さんのためにだけは、自分の存在にも意味があるのだと思いたかったんではないでしょうか?時任さんが、野田さんにとっての生きる張り合いなのかもしれません。だから、あなたのためなら何でもするというようなことも、口走ってしまったのではないでしょうか?」
と、正直な自らの心情と私見を吐露した。すると、時任も、
「そうだな・・・・。もしも、野田に妻や子供でもいたなら、たぶん、おれなんかに、ここまでの執着心は持たなかったのだろうな・・・・・」
と、長嘆息を吐く。雄介は、再び時任を眺めると、今まで心の隅で疑問に感じていたことを、さりげなく持ち出した。
「ところで、時任さんは、どうして、結婚されないのですか?職業も、見栄えも、収入も、おれなんかに言わせれば、実に完全無欠って感じですよ。女性たちが放っておく筈がないと思うんですけれど------」
すると、時任は、それを軽く鼻であしらうような寂しげな微笑を浮かべ、雄介を目だけで見上げる。
「雄介、お前は、結婚したいと思うのか?」
「もちろんですよ。おれにも、理想の家庭像はありますから」
「そうだな。お前は、きっと子煩悩ないい父親になると思うよ」
時任は、そう微笑んでから、俄に真顔になる。そして、自らに言い聞かせるかの如き口吻(こうふん)で、
「-------人間てェやつは、幸せが大きい分、悲しみも大きいんだよ。おれ自身は、たぶん、そんな大きな悲しみには耐えられそうにない。だから、ほどほどでいいのさ」
「それが、独身の理由ですか?」
「まあ、な・・・・・」
この答えを聞いた雄介は、時任が、言葉の深部で暗に、実兄をスキー事故で失った黒鳥真琴の悲しみを語っているのだということを直感した。
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~今日の雑感~
わたし、西部劇大好きなんです。以前は、ビデオなどを借りて、片っ端から観ました。「荒野の七人」「駅馬車」「黄色いリボン」「OK牧場の決闘」「騎兵隊」「アラモ」などの有名な作品から、「ブロークンランス」「ブロークンアロー」などのマニア好みの物まで、映画からテレビドラマに至るまで、それこそ何作も-----。でも、そんな中でも、特に印象深かった作品があります。それは、「ワーロック」です。1959年制作のアメリカ映画で、出演は、ヘンリー・フォンダ、アンソニー・クイン、リチャード・ウィドマーク他。札付きのギャンブラーのモーガン(クイン)を連れた執行官(フォンダ)のブレイスデルが、敵対する無法者カウボーイ集団から、ワーロックの町を守ろうとする話なのですが、こう言えば、如何にも定番の西部劇ストーリーのようですが、この作品は、そう単純には終わりません。ワーロックの町を悪党たちから救ったブレイズデルは、協力者である美しい女性との間に愛をはぐくみ、町にとどまる決心をしますが、モーガンは、それを許さず、町に火を放って暴れます。結局、ブレイズデルは、今までに何度も自分の窮地を助けてくれたモーガンを手に掛けることになり、彼自身もまた、無法者の片割れとしてワーロックを追われることになるのです。
この作品は、西部劇の名を借りてはいるものの、謂わばそこには人間社会にはびこる大いなる矛盾を描いている訳でして、監督は、西部劇には似つかわしくない社会派のエドワード・ドミトリク。この皮肉な結末は、当時、ハリウッドの赤狩りで共産主義の疑いを掛けられ、転向(共産主義者や社会主義者が、その思想を捨てること)を余儀なくされた監督自身の姿が反映されているのです。
西部劇が好きな方も、そうでない方も、ぜひ一度観て頂きたい映画だと思います。
*写真左から、リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、アンソニー・クイン
時任は、差し出された野田の手を振り払い、なおも、語気を強める。
「野田、もしかして、お前、黒鳥真琴の消息に心当たりがあるんじゃないだろうな?」
野田は、振り払われた右手を気まずそうにスラックスのポケットに仕舞い込み、あんな女のことをおれが知る筈がないだろうと、唇を尖らせる。そして、恨めしげに相手を見詰めて、
「時任、お前、ここ数日で、人が変わってしまったみたいだな・・・・。でも、おれは、いつまででもお前の味方だ。今は、おれのことを疎ましいと思っているかも知れんが、そのうちに気も変わるさ。-------いいとも、ここを出て行きたかったら、そうすればいい。それで、お前の気が済むなら、好きにするさ。しかし、どうせ、また、おれの所へ戻って来ることになるのだろうからな」
如何にも、未練がましい言葉を連ねた。時任は、大きく頭(かぶり)を振ると、
「お前のことが信じられなくなってしまった以上、おれが、その気持ちを隠してこのホテルに居座ることはもう出来ない。スキーパトロールの就業期間が終わり次第、即刻志賀高原(やま)を下りるつもりだ。横手山ロッジ(ここ)には、二度と顔を出すつもりもない。今まで、世話になったことは、心底ありがたいと思っている。しかし、おれには、どうしても、お前の気持ちが理解出来ないんだ。正直、重荷ですらある。これまでの宿泊料で支払不足の分は、パトロール本部の方へおれ宛てに請求書を出してくれればいい。すぐに、振り込むから、そうしてくれ」
きっぱり言い置くと、野田を一人残したまま、時任は、再び彼を振り向くことなくワインセラー(貯蔵庫)を出て行った。
その夜も更け、もうすぐ日付が変わろうとしていた時刻、スキーパトロール本部の夜間当直員を自ら買って出た雄介は、事務所内の長椅子に凭れながらテレビのニュース番組を観ていたが、やがて、それにも飽きて、テレビのスイッチを切ると、少し仮眠をとっておこうと、蒲団が用意されている隣部屋へ移動するため、大きな欠伸(あくび)をしながら重い腰を上げた。------その時であった。
いきなり、事務所の入り口のドアが乱暴に開いて、大きなボストンバッグを持った時任が入って来た。その様子が、あまりに興奮していて、尋常ならざる雰囲気に見えたもので、雄介は、驚き、思わず声を張り上げた。
「どうしたんですか、時任さん!?そんな大荷物を抱えて。何か、あったんですか?」
それに応えるよりも先に、時任は、ボストンバッグを足元に放りだすように置くと、さっき雄介が夕食の時に飲み残しておいたペットボトル入りの清涼飲料の蓋を開けて、中の液体を一気に飲み干す。そして、空になったプラスティックボトルを近くのゴミ箱に叩きつけるように投げ入れると、今まで雄介が座っていた長椅子にどっかりと腰を下ろし、怒りを込めた強い口調で、絞り出すように言った。
「今し方、横手山ロッジを出て来た------」
「出て来たって、ホテルを引き払ったということですか?」
雄介が、半信半疑で訊ねると、時任は、そうだと頷き、先刻までの野田との間のやり取りについて、掻い摘んで雄介に話して聞かせた。そして、自分も、今夜はここで一晩泊らせてもらう旨を告げる。聞いた雄介は、ついに時任が野田に対する長年蓄積し続けて来た疑念を噴出させてしまったに違いないと直感し、彼なりの複雑な自責の念を感じた。
そこで、恐る恐る口を開く。
「おれのせいですね・・・・・」

「そうじゃない・・・・。お前の反応は、ごく自然のことだ。お前から聞いたことは、単にきっかけだったにすぎない・・・・。おれは、ずっと以前から、野田の不可解な態度には気付いていたんだ。だが、そのことにあえて目をつぶり、自分に都合のいいように解釈して来たんだ。野田の親切心を利用していたのさ。今までのパートナーたちやお前に、不愉快な思いをさせていることを薄々は察しながらも、野田を咎める勇気がなかった。本当に、申し訳ないと思っている」
時任は、そう詫びると、両手で頭を抱えてしまった。
「それにしても、おれには判らない・・・・・。何故、あそこまで、あいつは、おれのことを・・・・?」
それを聞いた雄介は、時任の深潭(しんたん)に沈む辛そうな顔を見下ろして、静かに言う。
「でも、おれ、何となく判るような気がします。野田さんの気持ち・・・・」
そう言いながら、少し気恥ずかしそうに視線を時任から外すと、
「おれも、ここへ来る前までは、自分というものに自信が持てず、いつも地に足が付いていないような不安定な諦めが心の何処かにあって、人の顔すらまともに見ることが出来ないほどの劣等感の塊だった。いや、今だって、それがすべて払拭されているかと言えば、否かもしれない。でも、ここのスキーパトロール員になり、時任さんや神崎さんたちと仕事をするうちに、こんなおれでも、他人(ひと)の役に立つことが出来るんだということに気付いて、少しだけれど前向きになれた気がするんです。
きっと、野田さんも、あの不自由な左脚のこともあって、時任さんのためにだけは、自分の存在にも意味があるのだと思いたかったんではないでしょうか?時任さんが、野田さんにとっての生きる張り合いなのかもしれません。だから、あなたのためなら何でもするというようなことも、口走ってしまったのではないでしょうか?」
と、正直な自らの心情と私見を吐露した。すると、時任も、
「そうだな・・・・。もしも、野田に妻や子供でもいたなら、たぶん、おれなんかに、ここまでの執着心は持たなかったのだろうな・・・・・」
と、長嘆息を吐く。雄介は、再び時任を眺めると、今まで心の隅で疑問に感じていたことを、さりげなく持ち出した。
「ところで、時任さんは、どうして、結婚されないのですか?職業も、見栄えも、収入も、おれなんかに言わせれば、実に完全無欠って感じですよ。女性たちが放っておく筈がないと思うんですけれど------」
すると、時任は、それを軽く鼻であしらうような寂しげな微笑を浮かべ、雄介を目だけで見上げる。
「雄介、お前は、結婚したいと思うのか?」
「もちろんですよ。おれにも、理想の家庭像はありますから」
「そうだな。お前は、きっと子煩悩ないい父親になると思うよ」
時任は、そう微笑んでから、俄に真顔になる。そして、自らに言い聞かせるかの如き口吻(こうふん)で、
「-------人間てェやつは、幸せが大きい分、悲しみも大きいんだよ。おれ自身は、たぶん、そんな大きな悲しみには耐えられそうにない。だから、ほどほどでいいのさ」
「それが、独身の理由ですか?」
「まあ、な・・・・・」
この答えを聞いた雄介は、時任が、言葉の深部で暗に、実兄をスキー事故で失った黒鳥真琴の悲しみを語っているのだということを直感した。
<この小説はフィクションです。登場する人物名及び団体名は、すべて架空の物ですので、ご了承下さい>
~今日の雑感~
わたし、西部劇大好きなんです。以前は、ビデオなどを借りて、片っ端から観ました。「荒野の七人」「駅馬車」「黄色いリボン」「OK牧場の決闘」「騎兵隊」「アラモ」などの有名な作品から、「ブロークンランス」「ブロークンアロー」などのマニア好みの物まで、映画からテレビドラマに至るまで、それこそ何作も-----。でも、そんな中でも、特に印象深かった作品があります。それは、「ワーロック」です。1959年制作のアメリカ映画で、出演は、ヘンリー・フォンダ、アンソニー・クイン、リチャード・ウィドマーク他。札付きのギャンブラーのモーガン(クイン)を連れた執行官(フォンダ)のブレイスデルが、敵対する無法者カウボーイ集団から、ワーロックの町を守ろうとする話なのですが、こう言えば、如何にも定番の西部劇ストーリーのようですが、この作品は、そう単純には終わりません。ワーロックの町を悪党たちから救ったブレイズデルは、協力者である美しい女性との間に愛をはぐくみ、町にとどまる決心をしますが、モーガンは、それを許さず、町に火を放って暴れます。結局、ブレイズデルは、今までに何度も自分の窮地を助けてくれたモーガンを手に掛けることになり、彼自身もまた、無法者の片割れとしてワーロックを追われることになるのです。

この作品は、西部劇の名を借りてはいるものの、謂わばそこには人間社会にはびこる大いなる矛盾を描いている訳でして、監督は、西部劇には似つかわしくない社会派のエドワード・ドミトリク。この皮肉な結末は、当時、ハリウッドの赤狩りで共産主義の疑いを掛けられ、転向(共産主義者や社会主義者が、その思想を捨てること)を余儀なくされた監督自身の姿が反映されているのです。
西部劇が好きな方も、そうでない方も、ぜひ一度観て頂きたい映画だと思います。
*写真左から、リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、アンソニー・クイン
Posted by ちよみ at 11:14│Comments(0)
│~ 炎 の 氷 壁 ~ Ⅱ
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