バスの夢を見たら・・・・・611
2010年06月17日
~ 今 日 の 雑 感 ~
バスの夢を見たら・・・

夢の中では、良く乗り物が出てきますね。
この前は、鉄道の夢について書きました。
そこで、今度は、バスやバス停が夢に出てきたら、いったいどういう意味を持つのかを考えてみたいと思います。
ですから、協調性や常識、順調さなどを表わすといわれています。
もしも、バスの運転手でもないあなたが、バスを運転する夢を見たとしたら、近いうちに会社などで責任のある立場に立つことになるかもしれません。
たとえば、何かの行事の代表や、仕事の取りまとめ役などです。
観光バスに乗っている夢は、周りの人たちとうまく行くことを示していて、順調な人間関係や楽しい時間を意味していると言えます。
バスに乗り遅れまいとしている夢は、会社や社会の規則を守ろうとしている夢ですが、あまり規則に縛られて自分の個性を失わないようにしましょうという警告でもあります。
また、バス停でバスを待つ夢を見た時は、周りの人たちと協調性を持ち、自分勝手な振る舞いは避けて下さいという暗示です。
そして、バスに乗り遅れる夢は、周りから孤立する気配を意味します。周囲とのバランスを大切にしましょう。
バス停でバスを待っているのに、どのバスも停まらずに通り過ぎてしまう夢は、もっと自己主張するべきだという意味を持っています。あまり引っ込み思案にならないで、言いたいことは積極的に言ってみましょうという暗示だそうです。
バスが満員で乗れない夢は、自分が必要とされていないのではないかという不安や恐れの感情は反映したものです。仕事でもプライベートでも、努力が大切かもしれません。
バスを乗り換える夢は、転職やこれまでの環境を方向転換する時期が来ているのかもしれません。タイミングを逃さないように気を付けましょう。
ただ、ぼんやりとバスに乗っている夢は、スランプに陥っているのかもしれません。周りのなすがままにならないことも時には大事です。
バスが暴走する夢は、集団心理が悪い方向へ向かっていることを暗示しています。自分の価値観を信じて、周りに流されないように踏ん張りましょう。
実は、わたしもバスに乗る夢は良く見ます。
ところが、鉄道の時と同じように降りるはずの駅で降りられなかったり、バスが恐ろしい速さで暴走したりする夢も時々あるのです。
これは、夢の意味を信じるとすれば、明らかに周りの雰囲気に流されてはいけないという暗示だと思われます。
自分自身のスタンスをしっかりと守り、我が道を行くことが大事なのだという警告なのでしょう。 続きを読む
消えた赤いハンカチ・・・・・610
2010年06月17日
~ 今 日 の 雑 感 ~
消えた赤いハンカチ
岡山県新見市のある過疎地の村では、十二年前から足腰の弱いお年寄りたちのために、郵便局の局長さんが親身になって頼みごとを引き受けたり悩み相談に乗って来たそうである。
局長さんは、一人暮らしのお年寄りたちに郵便局のマークのついた「赤いハンカチ」を配り、何か頼みごとがある時は、このハンカチを家の前に下げておいて欲しいとお願いしたのだそうである。

すると、あちらこちらの家にこの「赤いハンカチ」が下がるようになり、その家を配達員が訪ねると、「買い物を頼みたい」とか「手紙を出したいんで持って行ってくれ」とか、時には、「訪問販売で高額の布団を買ってしまったんだが、解約したい」と、いう依頼を受け、局長さん自ら相手の業者と交渉したこともあったという。
ところが、郵政民営化が進み、この地域の郵便事業は別の地域と併合されてしまったがために、今ではこの局長さんが行なっていた配達員による高齢者宅まわりが出来なくなったしまったのだという。
「手紙を出したいので取りに来てほしい」と頼めば、郵便局側も今まで通り取りに来てはくれるが、そこで「じゃァ、貯金も頼む」と、言っても、それは分社化により所管が違うと断わられてしまうので、結局、お年寄り自身が出て行かなければならなくなると、悩みは尽きないという。
新しい郵便制度では、「赤いハンカチ」は、何の役にも立たないために、局長さんはそのハンカチを回収してあるいたという。
これまでは、配達員が各家庭を回るたびに「お茶を飲んで行きなさい」と言われ、世間話で時間をつぶすこともあったが、今では、郵便配達をする人たちの人数も限られており、配達区域が広範囲に及ぶようになったので、とてもお茶をごちそうになっている暇などないと、郵便局員と地域の人たちの間は、どんどん疎遠になって来たという。
郵政民営化は、肥大化しすぎた郵政事業をスリム化させる目的で行なわれ、都市部に住む人々にはそれでもいいかもしれないが、結局、民営化を進める際にもっとも懸念された過疎地切り捨ての問題が現実化しているのである。
菅内閣は、この問題にどう取り組むのか?
国民新党の亀井元郵政担当相がこの制度の見直しを求めている意味も、判らなくはないといういのが本音だろう。
業務の効率化とコストの削減、そして、過疎地住民たちへのサービスをそれぞれ考えた時、どうしても矛盾が生じてしまうのも当然と言えば当然だが、何とか双方のバランスを取る方法はないものだろうか?
考えさせられる事実である。
でも、わたし個人としては、郵便配達のおじさんが、配達先のお宅の風鈴の下がる縁側で麦茶を飲みながら家の人と談笑している夏の風景、嫌いじゃないんだけれどなァ・・・・。
