泣けないわけ 2・・・・・617

~ 今 日 の 雑 感 ~


泣けないわけ 2



    身体の激痛は、何も手術前までのものではない。

    手術後もまた、別の意味のすさまじい痛みとの闘いが始まる。

    それは、全身にひろがる一秒の間断もない空前絶後の激しいしびれである。

    血液中のカルシウム値が5まで下がった(通常は10ぐらいある)信じられない数値によるこのしびれを緩和するため、心臓に直接カルシウムを送り込む静脈カテーテルから、しびれ止めを入れていた。

    しかし、それも気は心といった効果で、全身は常に無数の針で突き刺され続けているような痛みである。

    しびれは、感覚をも麻痺させ、頭皮や顔には一枚ベールをかぶったような奇っ怪な感触がある。

    髪は、どんどん抜け落ち、肌はガサガサになる。

    身体中の関節がこわばり、点滴台を杖代わりにしなければ、一メートルだって満足に歩けない。

    そして、担当医たちも驚愕する足の浮腫みが始まった。

    腎機能が落ちているために、点滴した水分がどんどん足に溜まり始めたのだ。

    最初は、左足の甲の部分が風船のように腫れあがった。

    その後、両脚は、あっという間に膨れ上がり、片足に五キロ以上の水分が溜まり込んだ。つまり、両方の脚で十キロ以上ということになる。

    正に、両脚が大きな水袋状態である。

    水分は、それからも徐々に上半身へと上り、ついには肺にまで入り込んだ。

    つまり、これ以上水が溜まると、地上にいながら溺死するということになる。

    父親は、担当医に向かい、「この脚をなんとかしてくれ!」と、懇願した。しかし、担当医も困惑するばかりだった。

    筋肉も落ち、骨密度などは測定不能。

    一時帰宅はしたものの、自力では自室へ入ることも出来ず、階段を上る時は弟に持ちあげてもらった。

    帰宅中も、一度の入浴も階下へ降りることも出来ず、ただ、部屋で「のだめカンタービレ」の再放送を見て過ごした。

    そして、即再入院。

    しかし、それ以上の特別な治療はない。

    幾つもの検査をしても、やはり、腎機能がどうしてそこまで低下したのかが判らなかった。

    退院して自宅へ戻っても、何も出来ない。しびれは続き、ただベッドで横になるだけの毎日だ。

    両親は、わたしの脚が早く細くなって欲しいと毎日マッサージをしてくれた。わたしも、何とかせめて動けるようにだけはならなくては----と、必死で杖を使いながら歩く練習を始め、そのゾウのような両脚で懸命にリハビリを続けた。

    今日は、十メートル。明日は、十五メートル。

    そんなカメの歩みのような歩行訓練だが、継続は力だ。今では、何とか短時間ならば普通の速度で歩けるようになった。

    しかし、その間、最も苦痛だったのは、全身のしびれや痛みではなく「どうして、もっと早く回復できないの?こうすればいいんじゃない?」と、いう周囲の焦りや素人助言の類である。

    こっちは、必死の思いで毎日生きているのに、何も判らない人が、ただ目の前に病人がいることが辛いと、勝手なお節介をする。これほど、腹立たしく苛立つことはなかった。

    「放っておいてくれ!」と、怒鳴りつけたこともある。

    誰が何を言おうが、自分を回復させられるのは自分だけなのだ。もしも、本気でこちらのことを心配するのなら、言葉などいらないから、通院の時に付き添って欲しい。食事の用意をしなくてもすむように、調理済みの惣菜を持ってきて欲しい。

    入浴時の介助をしてくれと、言いたかった。

    そんな時、初めて自力で洗髪出来た際の担当外科医の一言、「頑張りましたね。おめでとうございます!」と、これだけのすさまじい痛みを耐え抜いた事実を知る内分泌内科医の「本当にご苦労さまでした!」は、どれだけ嬉しかったことか・・・・。

    患者とは、言わば一種のアスリートなのだ。生きるというただ一つの命題に取り組むために、日夜血のにじむような努力を重ねているのである。

    だから、励ましはいらない。

    欲しいのは、称賛の一言なのだ!  続きを読む


泣けないわけ・・・・・616

~ 今 日 の 雑 感 ~


泣けないわけ




    わたしは、近頃、泣いたことがない。

    身体中の骨が潰れて行く激痛をこらえていた時の辛さで、涙はすべて使い果たしたようだ。

    立ち上がる時、起き上がる時、わたしはいつも猛獣のような声で絶叫していた。その声は、隣近所の家にも響いていたと思う。

    寝ても起きても痛みは去らず、畳に敷布団を敷いただけでは眠れなくなり、ベッドに低反発マットレスを二枚重ねしてその上に更に敷布団を敷き、仰向けのままの姿勢で一度も寝返りをうてぬまま、朝まで横になるのだ。

    掛け布団も重すぎて、真冬でも肌がけ一枚をかけられればいい方で、肋骨はそれでも何本も折れた。

    こうなると、頭蓋骨も縮んで薄くなって行くために、耳鳴りがひどくなり、一晩中耳の中でコーランが聞こえているような状態となる。

    心臓が異常な激しさで鼓動し、お風呂に入るとますますひどくなり、水圧で「ド、ド、ド、ド」と、もの凄い拍動をする。

    湿布薬で全身がかぶれ、身体中の傷が炎症を起こして血が混じった黄色い汁が出て来る。

    それでシーツは毎晩染みだらけだ。

    肩が落ち、奇妙なほどのなで肩になり、腕がまっすぐ上に上がらなくなる。

    歯がガタガタになり、眼球も飛び出す。

    手足が異常に熱くなるので、夏などは常に水で冷やさなくてはならない。

    腎臓には無数の巨大な結石が出来、腎機能も落ちる。たまにこの結石が尿管を下る時の激痛は、大の男も失神するという話である。確かに、痛みはすさまじかった。

    気味が悪いほど、食べても食べても痩せて行き、ついには食欲もなくなり、身体中が皺だらけになる。

    下着も痛くて、出来るだけ身体に触れないように、ハサミであちこち切り込みを入れた。

    手術の際、麻酔がかかったあとでその下着を見たスタッフは、おそらく意味が判らなかったことだろう。

    血液中に増えすぎたカルシウムのせいで異常な喉の渇きを覚え、水分を取りすぎるために手足が浮腫み、顔色も青白く膨れる。そのせいもあり、白眼が水で膨らみ、充血する。

    身長は10センチも縮み、背中は丸まり、歩行すら出来ない。

    今は、痛みもかなり引いたが、あの長い間の激痛があまりにひどすぎたために、感動という気持ちさえも失ってしまったようだ。

    人は、痛さを知る人ほど、他人には優しくなれるというが、その痛さも程度ものだと思う。

    あまりに激痛をこらえすぎると、感情すらも薄れてしまうのかもしれない。

    そのせいか、いつも何処か冷めている自分がいるのだ。

    でも、またいつか、花や空を見て心から美しいと思うことが出来るようになるのだろうか・・・・?

    悲しい話を聞いて、涙をこらえるような殊勝な気持ちが生まれるのだろうか・・・・?

    何かに感動するには、ある程度の体力的余裕が必要だということも知った。

    しかし、今の状態も、これはこれで悪くはない。

    痛みがないだけ天国だ。





    

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