話題あれこれ ⑭
2013年03月02日

今の時代は、何でもかんでも知識をほんのちょっと齧っただけで、職業になってしまうようだ。
〇〇ソムリエ、〇〇マイスター、アナリスト、コメンテーター、エコノミスト、〇〇コーディネーターなどなど・・・。
究極の隙間産業と呼ぶ人もいるらしいが、こう堂々と横文字を並べられると、「何だか判らないけれど、偉いんだろうなァ・・・」と、思わせる効果はあるようだ。
かつては、講師といえば何処どこ大学の教授とか、博士という歴とした肩書の先生たちがするものだったが、今はその辺りの普通の主婦やOLが一夜にして〇〇学者になってしまう世の中である。
良い時代になったものだと・・・つくづく溜息が出る・・・。

NHKの大河ドラマが始まって既に半世紀が経つ。
しかし、信州人が主人公になったドラマは、まだ一度も放送されていないのだそうだ。
信州が舞台になったドラマといえば、「武田信玄」「天と地と」などがあるが、それでも、他県出身の武将だちの話である。
が、今年の大河は、幕末の会津が舞台の「八重の桜」に決まり、来年は、同じ戦国時代でも、織田信長や豊臣秀吉に仕えた兵庫県出身の黒田官兵衛に白羽の矢が立ってしまったと、「信州の偉人を大河の主人公に」と、望む人たちは落胆しているようである。
「平清盛」(平安時代)、「八重の桜」(幕末)、「軍師官兵衛」(戦国時代)となれば、翌年もまた戦国時代に活躍した人物を主人公とするのは難しいだろうというのが、大方の見方であるからだ。
かといって、俳人・小林一茶や蘭学者・佐久間象山では、もう一つストーリー性が薄く、インパクトに欠ける。
保科正之もそれなりに地元では名前は知れているが、全国的に認知されているかといえば、それほどでもないとしか言えない。
でも、それ以上に信州の偉人が大河の主人公に不向きという理由には、彼らが他の主人公たちに比べてあまりに潔過ぎる生涯を生きていることにあるのではないかと思うのである。
つまり、真田幸村にしても木曽義仲にしても、高潔で、実直、人間的には実に魅力的な人たちばかりなのだが、如何せん、悲劇のヒーロー過ぎるのである。
高度成長期やバブル全盛期など、世の中が上昇思考で溢れている時代は、悲劇のヒーローを大らかに受け止める度量が国民にあったが、今のような不景気が続く世の中では、視聴者はそうした主人公の悲劇的な生きざまに希望を見出すことは出来ないのであろう。
もしも信州に、知名度が高く、人間的にも魅力的で、明るく逞しく時代を駆け抜けた長生きの偉人がいたのなら、おそらく大河ドラマの主人公になり得るのではないかと思われる。
果たして、そのような人物がいるであろうか・・・?
そして、さらに信州人が大河の主人公になりにくい現状には、東北信と中南信で県民性がかなり明確に分かれているという事実もあるやに思われる。
東北信出身の偉人が主人公になっても、中南信の人たちはほぼ無関心であろうし、その逆も然りである。
そうした足並みの乱れが視聴率にも大きく結びつくだけに、「平清盛」で大失敗をしたばかりのNHKにしてみれば、あえてこれ以上の危険な賭けに出る気などないのではないかと思われる。
ならば、どうしたら良いのだろうか・・・?
一つの方法としては、かつての大河にもあったように、まったくの架空の人物をヒーローとして作り出してしまうというものが考えられる。
真田幸村だけを主人公に推すのではなく、真田十勇士を主人公にしてしまうというのも一つのアイデアではないだろうか?
かつての「新選組」の例もある。
大河の主人公は何も一人でなくてはならないという法則もないだろう。十人ものヒーローがいれば、脚本の書きようによっては信州全域を舞台にも出来るはずだ。
勇士の中には、長生きをして、後の徳川政権の世を見定める者がいてもいいだろう。
わたし個人としては、そんな冒険心いっぱいの活劇大河ドラマも観てみたい気がするのだが・・・。
やたら、意味不明な現実主義に走り始めた大河スタッフには、そんな遊び心を理解しようとする気概はないのだろうな。
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