男の戦争と女の戦争・・・・・143

~ 今 日 の 雑 感 ~


男の戦争と女の戦争


    人間の記憶というものほど、不確かなものはないようです。

    あれほど辛く、苦しく、悲惨な記憶であるはずの太平洋戦争も、時が経るにつれて、人の心の中では、様々な化学変化を起こし、ある人にとっては、逆に甘美な記憶へとすり替わってしまうことすらあるようなのですから。男の戦争と女の戦争・・・・・143

    また、逆に、大して辛い経験ではなかったことまでも、恐ろしく悲惨な体験として、記憶に刻まれてしまっているという人もいます。

    この記憶の違いは何なのでしょうか?同じ体験をしても、ある人は、良き思い出として、また、ある人は、二度と思いだしたくないほどの現実として心に刻んでしまう。

    わたしには、色々、戦争中の体験談を高齢者の方たちに取材しているうちに、そこには、簡単にいって、男女の性別の違いがあるように思えて来たのです。

    わたしが、話を聞かせて頂いたある男性高齢者の方は、海軍の主計兵(調理場で働く兵士)でした。

    その男性は、軍艦の中で兵士たちの食事を作る仕事をしていたのですが、やはり兵隊である以上敵の攻撃にさらされながらも、懸命に縁の下の仕事に従事していたといいます。

    その男性は、やはり、上官に殴られたり、毎日怒鳴られてばかりいたそうですが、それでも、その当時の話をする時は、何故か、とても、懐かしそうで、楽しそうですらあるのです。そして、未だに戦友と会えば、涙を流しながら『同期の桜』を熱唱するのだといいます。

    その男性が言うには、「少なくとも、戦時中は、男としての生き甲斐があった。生死が隣り合わせの過酷な環境だったが、それでも、真の友人が出来、毎日が生きているという充実感でいっぱいだった」と-----。

    しかし、これが、女性となると、まったく感じ方が違うのです。ある高齢者の女性は、看護婦として戦地で、負傷兵の治療に従事したそうですが、それは凄惨な現場で、病院とは名ばかりの医薬品などほとんどない不衛生な場所での勤務だったといいます。麻酔なしでの手術など日常茶飯事で、もう二度と、あんな思いはご免だと言います。

    戦後も、その記憶を必死で抹殺しようと努め、軍歌も戦争ドラマも大嫌いだというのです。戦争の記憶を風化させてはいけない、などというのは、戦争を知らない世代の人たちの理屈で、心底戦争は嫌だと思う人間にとっては、たとえ終戦記念日とはいっても、その頃の話など、テレビで放送するのはやめて欲しいと思うと、いうところが本音だそうです。

    そんな気持ちの彼女のところへ、ある日、突然、かつて病院で世話になったという元軍人が会いに行きたいと手紙を寄こしたこともあったそうですが、彼女は、きっぱり断ったといいます。

    どうして、あんな嫌な記憶を、いまさら思い出すようなことをする気になるのか、彼女には、その元軍人の気持ちが判らないというのです。

    元軍人は、おそらく、当時の若く美しい看護婦から受けた親切が忘れられず、その時のお礼を言いたいという純粋な思いで、彼女との面会を望んだのだとは思いますが、しかし、女性にとっては、あんな戦火の中の恐ろしい記憶の断片を、たとえ一時でも思い出すことすら辛かったに違いありません。

    この記憶の持つ意味の違いを考える時、男性は、とかく、過去の出来事を美化する傾向があり、女性は、より強い嫌悪感へと拡大する傾向にあるように思いました。

    ですから、わたしは、戦争体験を高齢者に語ってもらう時、男性の話は、ある意味、やや割り引いて聞くことにしていますし、女性の話は、より、正味に近いものとして聞いています。

    また、陸軍にいた元兵隊と、海軍にいた元兵士の方では、やはり戦争の捉え方は違いますし、戦地での経験がある方と、内地勤務だった方では、また、戦争に対する感覚も違います。

    それに、戦場で戦った兵士よりも、満洲からの引揚げの民間人の方が、より過酷な終戦を迎えたとも言えるのです。引揚者の中には、ソ連兵に見つからないようにと、泣いている赤ん坊を、もう一人の幼い兄弟に抱かせて、二人を背後から銃で撃ち殺し、上の兄弟だけを連れて日本へ戻って来たという、一家の人の話も聞きました。

    このような色々な体験談を聞くと、一口に「戦争は嫌だ」などという単純な言葉では言い表せられない現実が,たった六十四年前にあったのだということを、改めて、考察し直さねばならないと思うこの頃なのです。

<今日のおまけ>

    内服する乳酸カルシウムの量が、ついに、1グラムとなりました。icon22

    最初の頃は、静脈カテーテルで入れるカルシウム量は除いても、16グラムも飲んでいたのですから、いまさらながら驚きです。

    カルシウムが骨に吸収されてきたために、背も伸びました。でも、あと3センチは欲しいなァ・・・・。face02




    ところで、先日、スーパーで買い物をしてレジに並ぶと、わたしの前が八十代前半と思しき、なかなかおしゃれな女性でした。

    その女性は、大きめのカートに商品を入れた籠を載せ、そのカートにしっかりと両手で摑まっていました。レジ係のお姉さんが、カートからその買い物かごをレジカウンターの上へ載せ、カートを端へよけ、値段のチェックを終えて、「4521円になります」と、言うと、その言葉をを聞いて、女性は、ようやく財布をバッグから取り出し、今度は、その財布からお金を取り出そうとした瞬間、突然、グンニャリと、その場に座り込んでしまったのです。

    「どうしたんです!?」face08

    レジ係のお姉さんも、周りの人たちもびっくり。すると、女性は、レジカウンターにすがるような格好でやっとの思いで立ち上がり、また、財布からお金を出そうとします。しかし、やはり、身体がゆらゆらと動いてしまい、慌ててカウンターへ摑まり、いつになっても、お金を出すことが出来ません。

    そこで、わたしはようやく気付きました。女性は、足が極端に弱いため、財布からお金を出そうと両手をカウンターから離してしまうと、踏ん張っていられないのです。もちろん、片手では財布からお金は取り出せません。とうとう、5000円札をつまみだすと、レジ係のお姉さんに放り出すように、お札を投げたのです。そして、また、慌てて、カウンターに摑まりました。

    そして、おつりを財布へ入れるのに、更に一仕事となり、わたしの後方に並んでいた男性は、いつになってもレジの列が先に進まないので、「いったい、いつまで待たせるんだよ!」と、怒りだしてしまいました。face09 

    このように足が悪くても買い物に出て来なくてはならない高齢者が増えています。視力は衰え、行動も鈍くなるために、指先がうまく動かず、小さな財布からお金を出すのは大変な仕事です。ですから、そういう高齢者は、スーパーへ買い物に来る準備段階から、出来るだけ大きめの財布に予め買う金額を予想してお金を入れておき、もし、どうしても自分でお金を出すのが億劫な場合は、レジ係に財布ごと渡して、そこからおつりをもらった方がよいのではないかと思いました。face06

    

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この記事へのコメント
そうですね。男は美化させてますよね。
そう思います。義父に電話をして少しでも昔の話になるともう火がついたようにしゃべりまくります。満州での出来事を一時間も一方的に話してきて 相槌を打つ暇さえ与えてくれません。義母が生きていた頃に
その頃の話を聞いても「忘れちゃったわよ」とごまかしてましたよ。
違いは確実にありますよね。

ちよみさん徳川の武士の家系なんだ・・・驚きました!!!
Posted by り・まんぼーり・まんぼー at 2009年08月27日 23:18
り・まんぼーさまへ>

 本当に、不思議なくらい男性と女性では感性が違いますよね。お義父さま、満洲から戻られたのですか。よくご無事でお帰りになりました。きっと、子供だった時分の記憶が、特に鮮明に残っているんでしょうね。
 男性は、とかく、よい時の思い出の方を、女性は、悪い時の思い出の方を、記憶に残しやすいという、脳の仕組みがあるのかもしれません。

 わたしの母方の曾祖父は、上州(群馬県)の出身なんですが、城主の長男にもかかわらず、城を義理の弟に渡して、国を飛び出し、明治維新後も、断髪令が出ているにもかかわらず、かなりこちらへ来るまで、ちょん髷を落とさなかったという偏屈者なんです。(^_^;)
 
 
 
Posted by ちよみちよみ at 2009年08月28日 00:01
感傷の抱き方が違うかも知れませんねぇ。
過去の恋愛についても、
男性は「フォルダー保存型」で、
女性は「上書き保存型」なんだとか。
ホント?

さて、
もう亡くなられた方ですが、
戦時中にラバウルで零戦のエースパイロットとして活躍された方が、
その無情さから、
戦後は反戦活動に従事されたと聞きます。
そんな方も少なからずは、
いらっしゃる様です。
Posted by zuky at 2009年08月28日 00:13
zukyさまへ>

 男性は、「フォルダー保存型」で、女性は、「上書き保存型」ですか。
 そういうところ、あるかもしれませんね。男性は、過去を一つ一つファイルして行くように、記憶して行くので、よい思い出だけを中から抜き出すことができるのかもしれません。でも、女性は、前の思い出の上へ後の記憶を塗り重ねて行くので、封印してしまったものを引っ張り出す気にはならないのかもしれませんね。
 だから、男性は、かつての彼女が困っていると聞けば、助けてやらなくては---などと思いがちですが、女性は、過去の彼がどうなろうと、そんなことは関係ないことですよね。面白い考察です。(^-^)

 ラバウル航空隊ですか。零戦の勇士の集まりですよね。おそらく、自分たちは特攻隊員を教育する立場にいたのでしょう。艦上から飛び立つことだけを教え込み、片道切符の燃料を積んだ粗悪な飛行機で特攻させた----。そんな苦い記憶が、そうした反戦活動に駆り立てたのでしょうね。
 着艦の仕方を教えないということの無情さは、エースパイロットとしての、その方の自尊心をも傷付けていた可能性がありますね。辛い時代でしたね。
Posted by ちよみちよみ at 2009年08月28日 00:47
おはようございます。
スゴイ違いですね。
ひとつには女性の母性本能も関係してるんでしょうかね?そして、男性の闘争本能?
確かに一つの事柄でも男と女は感じ方、考え方が違うものですね。
Posted by ティンク at 2009年08月28日 09:10
ティンクさまへ>

 あ、そうですね。母性本能も関係しているんでしょうね。女性は、過去よりも今に生きる生物だといいますから、きっと、昔の嫌な記憶よりも、今現在の生活を大切にしたいのでしょう。でも、男性は、闘争本能を思い出すことで、若さを維持したいという感性になるのかもしれません。ですから、戦争の記憶も、悪い思い出ばかりではなくなってしまうんでしょうね。
 それが証拠に、あれほどつらい時代を過ぎて行きたというのに、高齢者でも男性は、戦争ドラマが大好きですよね。特に、アメリカの映画では、「大脱走」「戦場にかける橋」「ナバロンの要塞」、日本の映画では、「トラトラトラ」「連合艦隊」「日本の一番長い日」などなど。
 男女で、感じ方の違いは、大きいです。
Posted by ちよみちよみ at 2009年08月28日 11:53
義父はねぇ 戦車隊だったの
運転していたと思うよ。物資を運んでいたみたいですが・・歩兵にタバコを恵んでくださいといわれて 箱ごとあげていたそうで・・・それを自慢げに話します。誇りなのかなんなのかわかりません。だから義父は恵まれた環境の中に居たので食料では苦労しなかったらしいですが、仲間が目の前で死んでゆく姿はやっぱりね・・・
悲惨な戦争の話はそういったところでしかないです。 戦後 「銀杯」を都知事だかにもらったことが勲章らしいけど・・・
恩給はもらっていないみたいです。日にちが足りなかったらしい。 
そんなわけで義父は年寄りです。
Posted by り・まんぼーり・まんぼー at 2009年08月28日 17:09
り・まんぼーさまへ>

 お義父さまは、戦車隊に所属されていたんですか。と、いうことは、もちろん八十歳は超えておられるんですね。(九十歳近いのかな?)満州で戦車の操縦をされていたんですね。軍隊でも、比較的階級が上の人たちは、食糧にはあまり困らなかったと聞きます。ですから、たぶん「恩賜のたばこ」と、言われるものを、箱ごと兵隊に与えることも出来たのでしょうね。お義父さまとしては、太っ腹な上官というところを見せたのでしょう。
 従軍の日数不足で恩給がもらえないということがあるんですね。満州まで行ったのに、何とも残念でしたね。
Posted by ちよみちよみ at 2009年08月28日 20:16
エースパイロットだった方は坂井三郎さんという方で、
亡くなった時には新聞に訃報も出ました。
ガダルカナル上空で重傷を追っての帰還の後、
硫黄島での戦いを最後に教官の立場となられたようですが、
ラバウル時代に失った上官や部下に対する想いも深かったようです。
Posted by zukyzuky at 2009年08月28日 23:27
zukyさまへ>

 坂井三郎さんという方なんですか。
 ガダルカナル、硫黄島と、激戦の地を戦い抜いて来られたんですね。
 上官や部下の死が、相当に悲惨なものだったんですね。
 これは、わたしの父が子供の時、名古屋の上空に見た光景なのですが、アメリカ軍のB29の周りを、日本の零戦が、鷲にまとわりつくアブのように、くるくると回転しながら、機銃掃射を行い、しかし、結局B29の機銃にやられて、木っ端みじんに空中分解したということです。B29は、その後、エンジン付近から真っ白な煙を吐きながらも、轟音と共に海の彼方へと飛び去って行ったそうです。
 おそらく、海上へ着水したのち、乗員は、近くに待っていた米軍の駆逐艦あたりに、大きな網ですくい上げられて無事だったのだろうと、父は、思ったそうです。
 あまりに、零戦が無残に破壊されたので、あのパイロットは、きっと即死だったろうと、思ったとも言っていました。
 そんな光景をたくさん目撃して来たのですから、坂井さんという方は、ある種の戦友たちへ対する巡礼の意味も込めて、反戦を説いておられたのでしょうね。
Posted by ちよみちよみ at 2009年08月28日 23:53
“巡礼の意味”
そのようです。
それがその人によって様々なので、
“そのこと”がどうかは別ですが、
坂井さんは戦後、キリスト教に改宗されて、
反戦活動に従事されたそうです。
Posted by zukyzuky at 2009年08月29日 22:57
zukyさまへ>

 坂井三郎さんは、キリスト教に改宗されたんですか。世の中には存在する意味のないものはなく、すべては神の御手により愛の象徴として誕生したものである---という博愛の精神こそが、平和への道なのいだと、悟られたのですね。
 でも、そのキリスト教を建国の基礎としているアメリカが、世界最大の軍事大国というのも、矛盾した話ですね。
 坂井さんの遺志を継ぐ、多くの若者が世界中に生まれるとよいのですが・・・・。
Posted by ちよみちよみ at 2009年08月29日 23:16
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