グループホームの役割・・・・・158
2009年09月08日
~ 今 日 の 雑 感 ~
グループホームの役割
以前、信濃毎日新聞に掲載されていた「認知症を生きる」という記事に、山ノ内町のグループホームについて書かれているものがあった。
そもそも、グループホームというものは、軽度の認知症の人が介護職員の支えで日常生活を営む目的で運営されるNPO法人である。制度上看護師を置く必要はなく、訪問看護や医師の往診以上の医療行為も出来ないというデメリットはあるものの、認知症のお年寄りを抱える家族にとっては、生活を維持するうえで、是非とも必要な施設になっていることは間違いがない。
入居者は、ほとんどが、要介護度1~2の高齢者が中心であるが、今深刻な問題となっているのは、グループホーム発足時は、軽度の認知症を患っていた入居者たちが、年を経るにつれて、ますます身体が衰え、要介護度が進んでいるといった点であるという。
入居当初は、職員と共に、率先して家事をこなしていた入居者も、四年、五年と、暮らすうちに、ほとんど自力で歩行することも困難になり、中には、ホームで亡くなるという例も出て来た。
これは、当初のホームの目的とは次第にかけ離れた方向に動き始めてしまったということでもあり、軽度の認知症のお年寄りを預かるという目的が、除々に、変わりつつあるということでもある。
この記事でも、症状が重症化し、ホームではこれ以上の延命行為は出来ないという高齢者に対して、もはや、ホームに置いておくのは入居者本人にとっても本意ではないだろうから、最期は自宅で過ごしてもらおうと、その家族に相談したところ、「今さら、帰ってこられても、自分たちでは対処のしようがないので、このままここで預かり続けて欲しい」と、頼まれたという。
しかし、それでは、軽度の認知症高齢者を預かるという主旨からはずれることになり、次の入居希望者の順番をさらに遅らせるということにもなりかねない。
重症化したお年寄りに帰宅されても困るという、家族の負担は、充分に判るが、これでは、グループホームへの入居は、早い話が、「先の入居者の死に待ち」ということになってしまう。
この間、テレビ番組で、北海道のある再生病院の話題を取り上げていたが、そこでは、身体の不自由な老人を預かり、徹底したリハビリを施して、歩けるようになるまでに回復したところで、自宅へ戻ってもらうという方針で、老人の一時預かりを始めたのだが、いざ、老人たちが医師や看護師の献身的な努力もあって、歩けるようになったとしても、家族が、その帰宅を先延ばしにして欲しいと言い出し、病院側とトラブルが絶えないのだという。
その病院の院長は、患者を入院させる際に、家族から「回復時には帰宅させる」という同意書をとっていると言うが、ほとんどの家族は、最終的にはそれを無視しようとするというのである。
そのため、その同意書に反した場合は、家族から違約金を取るということも検討しているというのである。
わたしも、入院している時に、何処も身体に異常はないのに帰宅するのを拒んでいる患者を見たが、働けない、自力で動けないという老人は、家族にとって厄介者の何物でもなく、殊に、夫婦共稼ぎの家庭では、とても老人の介護まで手が回らないというのが実情である。
「もしも、自分が目を離している間に、年寄りに何かあった場合は、自分のせいにされる。親戚から何を言われるか判らないから、面倒は見たくない」
そう話す主婦も多い。実際、家族介護での看取り方が悪かったといって、裁判沙汰になった家庭もあるらしい。
いったん、「親の介護を他者に任せたら、のちのちどのような結果になろうと、文句は言わない」と、いう制約でも取り付けておかないことには、老人介護も出来ないような世の中になりつつあることも事実である。
これからは、これまでの倍速で高齢化者は増えて行く訳で、亡くなるまで足腰元気で認知症とも縁がないという老人ばかりになってくれればいいのだが、そうもいかないことは明白なのだから、そうした老人が何の憂いもなく人生の最後を豊かに暮らせるような施設の充実を、心底望みたいものである。
<今日のおまけ>
今日、山ノ内町の志賀高原蓮池に、古賀政男作曲の「美わしの志賀高原」の碑が建てられたというニュースを観ました。
「美わしの志賀高原」は、長野電鉄の湯田中駅でも、電車が発着する度に駅構内に流されているそうです。
ご当地ソングの中でも、昭和の名曲として有名なこの歌を、一度聴いてみられるのも、話のタネにいいかもしれません。
確かに、志賀高原の魅力をたくさん盛り込んだ、素敵な歌です。
今日、山ノ内町の志賀高原蓮池に、古賀政男作曲の「美わしの志賀高原」の碑が建てられたというニュースを観ました。
「美わしの志賀高原」は、長野電鉄の湯田中駅でも、電車が発着する度に駅構内に流されているそうです。
ご当地ソングの中でも、昭和の名曲として有名なこの歌を、一度聴いてみられるのも、話のタネにいいかもしれません。
確かに、志賀高原の魅力をたくさん盛り込んだ、素敵な歌です。

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Posted by ちよみ at 12:36│Comments(4)
│ちょっと、一服・・・・・ Ⅷ
この記事へのコメント
ちよみさん こんばんは~
年は努力しなくてもとっていきます
老いも必ずやってきます 昔はこんなじゃなかったと感じているのは 本人であり 一番つらく思っていることと思います♪ 家族の重荷になっている自分を許せない人もいることでしょう
子供を立派に育て やっとやれやれと思っていたら自分の事ができないで 他人にやってもらわなければならないことは ある意味切ないことだと 私は最近考えるようになりました 家族はそういう親を理解できませんし また理解したくもないことでしょう 人間が人間としての尊厳を保てなくなることは 屈辱な事だとも思えます ある老人ホームで「おむつを替えさせていただきます」という言葉を聞きました この心って大切だなぁ~と思いました
昔私は自分のことを親孝行だと思っておりました
今は亡き父を偲んでは 自分の愚かさと未熟さを痛感しております
年は努力しなくてもとっていきます
老いも必ずやってきます 昔はこんなじゃなかったと感じているのは 本人であり 一番つらく思っていることと思います♪ 家族の重荷になっている自分を許せない人もいることでしょう
子供を立派に育て やっとやれやれと思っていたら自分の事ができないで 他人にやってもらわなければならないことは ある意味切ないことだと 私は最近考えるようになりました 家族はそういう親を理解できませんし また理解したくもないことでしょう 人間が人間としての尊厳を保てなくなることは 屈辱な事だとも思えます ある老人ホームで「おむつを替えさせていただきます」という言葉を聞きました この心って大切だなぁ~と思いました
昔私は自分のことを親孝行だと思っておりました
今は亡き父を偲んでは 自分の愚かさと未熟さを痛感しております
Posted by 福寿荘 女将
at 2009年09月08日 21:30

この手の問題には
3者のバランスが成り立ってこそなのです
しかし、利益を求める事業者側
援助を求める利用者側の利害だけが優先し
現場はいっつも板ばさみ
これで質をあげろとは無理な話で、男性の離職率も高いのは周知の通りです。
この問題は根底を考え直さねば
解決できるものではないのでしょうね
3者のバランスが成り立ってこそなのです
しかし、利益を求める事業者側
援助を求める利用者側の利害だけが優先し
現場はいっつも板ばさみ
これで質をあげろとは無理な話で、男性の離職率も高いのは周知の通りです。
この問題は根底を考え直さねば
解決できるものではないのでしょうね
Posted by はるみっちゅ
at 2009年09月08日 21:38

福寿荘 女将さまへ>
福寿荘さんのおっしゃる通り、子供のため家族のために頑張って生きて来た挙句の果てが、「うば捨て山」では、本当に辛いですよね。高齢者本人も、どうしてこんな目に合わなくてはならないのかと、別に、老後の面倒を見てもらいたいために子育てをした訳ではないでしょうが、それでも、老いてから家族の目の届かないところで死を迎えねばならないというのは、寂しい話です。
この時代です。老人の介護をしながら働くことなど出来ませんし、働かなくては、生活自体が成り立って行かなくなります。でも、ホームの意向を無視して、親を居座り続けさせることも、次の入居希望者にとっては、迷惑な話です。狭い町の中ですから、「あの家のおばあちゃんが、いつまでも入っているから、うちのが入れない」と、いうような不満さえ出て来てしまうそうなのです。
ホームの職員の方たちは、皆、本当に献身的に努めておられると思いますが、やはり、限界はあります。認知症の老人たちが安心して最期を迎えられ、そして、家族も不安なく日々の生活を送ることのできるような対策を、国や自治体は、早急に打ち出す必要があると思います。
福寿荘さんのおっしゃる通り、子供のため家族のために頑張って生きて来た挙句の果てが、「うば捨て山」では、本当に辛いですよね。高齢者本人も、どうしてこんな目に合わなくてはならないのかと、別に、老後の面倒を見てもらいたいために子育てをした訳ではないでしょうが、それでも、老いてから家族の目の届かないところで死を迎えねばならないというのは、寂しい話です。
この時代です。老人の介護をしながら働くことなど出来ませんし、働かなくては、生活自体が成り立って行かなくなります。でも、ホームの意向を無視して、親を居座り続けさせることも、次の入居希望者にとっては、迷惑な話です。狭い町の中ですから、「あの家のおばあちゃんが、いつまでも入っているから、うちのが入れない」と、いうような不満さえ出て来てしまうそうなのです。
ホームの職員の方たちは、皆、本当に献身的に努めておられると思いますが、やはり、限界はあります。認知症の老人たちが安心して最期を迎えられ、そして、家族も不安なく日々の生活を送ることのできるような対策を、国や自治体は、早急に打ち出す必要があると思います。
Posted by ちよみ
at 2009年09月08日 22:51

はるみっちゅさまへ>
はるみっちゅさんは、実際、こういう問題に日々直面されているので、わたしなどよりも、知恵も知識も豊富でいらっしゃると思います。
利益優先の事業者と、自己本位の利用者との間で、現場の職員の方たちが、もっとも大変な立場に立たされているということなんですね。
ここのホームの職員の方たちも、「最期まで面倒を見てやりたいのはやまやまなんだけれど、補助金には限度があるし、重症者を扱うには、設備も整っていいないので、万が一の時にも、万全の処置は出来ないのが実情」なのだそうです。
重労働のわりには賃金も安く、一家を支える男性の職業としては、とても、見合いませんよね。今度の民主党政権では、介護従事者の給与体制を見直すということだそうですが、本当に、そのようになってくれるといいと思います。
これからは、介護現場に男性の力は不可欠です。団塊の世代が、控えているのですから、それを考えると、迅速な制度改正を進める必要があると思います。
はるみっちゅさんは、実際、こういう問題に日々直面されているので、わたしなどよりも、知恵も知識も豊富でいらっしゃると思います。
利益優先の事業者と、自己本位の利用者との間で、現場の職員の方たちが、もっとも大変な立場に立たされているということなんですね。
ここのホームの職員の方たちも、「最期まで面倒を見てやりたいのはやまやまなんだけれど、補助金には限度があるし、重症者を扱うには、設備も整っていいないので、万が一の時にも、万全の処置は出来ないのが実情」なのだそうです。
重労働のわりには賃金も安く、一家を支える男性の職業としては、とても、見合いませんよね。今度の民主党政権では、介護従事者の給与体制を見直すということだそうですが、本当に、そのようになってくれるといいと思います。
これからは、介護現場に男性の力は不可欠です。団塊の世代が、控えているのですから、それを考えると、迅速な制度改正を進める必要があると思います。
Posted by ちよみ
at 2009年09月08日 23:09

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