『手』----の表現に見る情感
2015年12月19日
『手』----の表現に見る情感
先のブログに、韓国時代劇では、『手』の表情をことさらに重視しているようだと書いたが、『火の女神 ジョンイ』にも、そうした『手』の動きで互いの気持ちを思いやるシーンが幾度も登場する。
たとえば、ヒロインのユ・ジョン(ムン・グニョン)が陶磁器を焼く窯の爆発で目を負傷し、視力を失ったシーンでも、彼女が生まれ育った家の庭で迷わないように、方向を示すための縄を張ったキム・テド(キム・ボム)が、彼女の右手に自分の右手を添えて、そっと縁台の位置を教える場面があるのだが、重ねられた二人の手だけを大きく映し出すことによって、二人の間に通い合う愛情の深さを、より鮮明に印象付けていた。
また、目の見えないジョンを、それでも分院(官営陶磁器製作所)へ連れて帰ろうとする光海君(イ・サンユン)が、彼女の手を握ろうとするのを遮り、「あなたには、渡せない」とばかりに、無言ながらも鋭く光海君を睨んだテドの手の方が、先にジョンの手をつかむ・・・と、いったシーンも・・・。
そしてテドは、イ郎庁(ジョンの実の父親で、分院の長)にかつて両親(育ての父と実母)を殺害されたことを知り、復讐を誓うジョンに言う。
「復讐が終わるまでは、おれの手を離すんじゃない。すべて終わって、お前がご両親の無念を晴らしたら、その時は、おれの方からお前の手を離す。行きたいところへ行けよ・・・」
この際も、テドの手は、ジョンの手の上に優しく置かれていた。
二人の手の動きをことさらにクローズアップすることで、決して報われることのないジョンへの恋慕に潔く終止符を打とうとする、テドの切ないほどの覚悟が、視聴者の胸に熱く迫るのである。
正に「『手』は口ほどにものを言う」。
近頃のドラマは、とかく過剰なほどの台詞や肉体表現を良しとしがちだが、「手を重ねる」----たったこれだけのことでも、そこには実に奥の深い緻密な計算が施されているわけで、抑制的でありながら主張するところはきっちりと主張する韓国時代劇の演出方法には感心するばかりである。
ところで、こんな韓国ドラマの情感をさらに盛り上げてくれるのが、場面場面に絶妙なタイミングで入り込んで来る挿入歌だ。
特に、男女の恋心をそこはかとなく感じさせるシーンには、実に巧みに使われている。
『ジョンイ』においてもそれは同様で、光海君とジョンが心を触れ合わせるシーンと、テドとジョンが心を通わせるシーンには意図的に別々のラブソングが使用されているようであった。
「心の中にいつも君がいる 何度も頭に浮かぶ 君しか見えなくて 何も手につかない 君がいなければ生きていけない 胸が張り裂けそうだ 一歩近付けば君に会えるだろうか 抱きしめられるだろうか 永遠に君を想っている」
これは、光海君が磁器作りをする際、ジョンに作業着を着つけてもらうシーンなどのバックに流れる曲の歌詞(和訳)である。
テドとジョン、二人が見つめ合うシーンの挿入歌は、さらにたおやかだ・・・。

男性からヒロインへ贈られるそれぞれの『愛』のさまを、悲しくも甘く切々と歌い上げる恋歌は、『善徳女王』にも効果的に使われていて、韓国ドラマには必須の要素といえよう。
そして、最後に『ジョンイ』に登場する男性俳優陣の衣装について----。
画面を観る限りでは、ドラマの撮影は春から秋にかけてのように思えるのだが、常にヒロインが着ている陶工用作業着や素朴なチョゴリ風の衣装に対して、朝鮮の王子である光海君や護衛官のテドが身にまとう衣装は、とても手が込んだ美しいシルエットで、溜息ものといっても過言ではなかった。
光海君が着る大きな袖のついた薄絹の装束が風に吹かれる姿は、『高貴』の一言。
そして、テドの衣装(子供時代は除く)----劇中のお色直しは、(わたしの記憶が正しければ)な、なんと、五回!!

それぞれに機能性とデザイン美を有しているように思えたのだが、わたしの一番のお気に入りは、やはり彼が一番はじめに着ていた青い衣装。
信城君(光海君の腹違いの実弟)の護衛になる前の、質素だが青年剣士らしい精悍な出で立ちだった。
(ただ、何故、朝鮮の剣士は皆、剣を手に持っているのかが、疑問。日本の侍のように腰に差した方が、両手が自由に使えるし、いちいち鞘の所在を気にせず戦えて便利だと思うのだが・・・。殊に、テドのように剣客というよりは武術家であり、むしろ忍びに近い俊敏な動きを身上とする武者の場合は、やや短めの剣を背中に背負うのも一考だったのではないかと思われる。まあ、剣を背中の鞘に収める時には、それなりのコツがあるのだが・・・。何だか、キム・ボムくんが、いつも剣や鞘のやり場に困っている---紐で腰にぶら下げたり、腰の後ろの帯に差したり、他人の部屋に忍び入る際などは、その辺に剣を立てかけたりと四苦八苦---風情だったので、次に剣士の役を引き受けた際には、ご参考に。因みに、武士道的見地より鑑みれば、鞘を捨てるという行為は、侍として敗北を意味するも同然となるわけで・・・。なお、豊臣秀吉軍の朝鮮出兵シーンで、分院を急襲した秀吉軍の雑兵たちが持っていた長刀は、槍に変更することもお忘れなきよう)
ではでは、本日はこの辺で・・・。
次は、山ノ内町をロケ地に描かれた2006年制作の韓国ドラマ----『天国の樹』についてでも書いてみようかな・・・。

Posted by ちよみ at 22:03│Comments(0)
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