ちょっと、一服・・・・・⑩
2009年02月15日
< あ る 友 人 の 話 >
今日は、一人のある友人の話をします。その人は、二十代まで陸上自衛隊に所属しており、女性ながら射撃の名手でもありました。しかし、結婚を機に陸自を退官。その後は、北信地方の農家の嫁として、俗に言う舅奉公をしながら、三人の子供たちを育てて来ました。常に明るく社交的なその人は、友人も多く、いろいろなことにチャレンジする気持ちを失わない活発な女性でもありました。わたしよりは年上でしたが、一緒にお茶を飲んだり、手紙や電話のやり取りをするなど、親しくさせて頂きました。
わたしがその人と知り合うきっかけになったのは、長野市にある、さる英会話スクールでした。向上心いっぱいの彼女は、着物の着付けの師範の資格を持ち、今度は、英語検定にも挑戦したいと通って来ていたのです。わたしの動機はといえば、大好きなアメリカ・ハリウッドの映画俳優たちに英語でファンレターを書いたり、観光良好で訪れる外国人に名所の由来などを訊ねられた時に、片言なりとも英語で応対したり、記事の取材で外国人と話をする時に、簡単な会話ぐらいは自分の力で挑戦したいというものでしたので、必要に迫られてという感が強かったのですが、彼女の場合は、自分の可能性を見つけたいという、実にポジティブなものでした。
また、その人は、登山も大好きで、山仲間とよく北アルプスなどへ登り、そこで撮影した山の風景写真を見せて下さったりもしました。そんなある日、英会話スクールの他の生徒さんたちと、彼女もまじえて雑談をしていた時、一人の生徒さんが、その彼女の家族のことを訊いてきたのです。
「〇〇さんは、お子さんいるの?」
すると、彼女は、平然とこう言ったのです。
「ううん、いないわよ」
(---------えっ?)
わたしは、驚きました。何で、そんな嘘を・・・・?疑問に思ったわたしが、後でこっそり彼女に質問してみますと、彼女の答えはこうでした。
「だって、さっき一緒に話をしていた人たちの中に、結婚しても子供さんが出来なくて、病院で治療をしている人がいるのよ。その人は、お姑さんからいつも嫌味を言われていて、辛い思いをしているんですって。テレビコマーシャルなんかで赤ちゃんのシーンが出て来ると、いたたまれずに居間から出てしまうこともあるんだとか。すごく悔しがっているのを聞いていたから・・・・。それに、あたしに子供がいようがいまいが、どうでもいいことでしょ?ここへは、あたしは個人として勉強しに来ているんだから-----」
「------そうだったんですか」
「嘘も方便って言うじゃない。せっかく、みんなで楽しい話をしていたのに、誰かに気まずい思いをさせることないわよ」
「でも、いつか〇〇さんにお子さんがいることが判ったら、どうするんです?」
わたしが訊きますと、
「その時は、その時よ-----」
と、あっけらかんとして笑っていました。こんな思いやりの表し方もあるのだなァと、わたしは、その時、妙に感心してしまったのを覚えています。
その人とは、二人で、奥志賀高原にある『森の音楽堂』へ、クラシックコンサートを聴きに行ったこともありました。その時彼女は、着物姿で、他の観客の方々が黒のタキシードや、イブニングドレスを着ていた中で、とても映えていました。ディナーでは、ワインを頼むと高上がりになるので、二人ともジュースを飲みましたが、とても楽しく充実した時を過ごすことが出来ました。
でも、それからほどなくして、その人は病気になって二ケ月ほど入院されたと聞き、心配していたのですが、元気になったから、お茶でもしましょうよと、いう電話を頂き、またそれから何度か長野市内でお会いしました。善光寺へ行ったり、ショッピングをしたり・・・・。食事の後には、必ず薬を飲まれてはいましたが、顔色もよく以前の彼女と何も変わりません。しかし、ある時、珍しく彼女が、
「実は、何日か前、子供たちと『東京ディズニーランド』へ行って来たの。楽しかったわ・・・・」

と、子供さんたちの話を口にしたのです。
「そうですか、よかったですね」
わたしは、そう何となく答えていたのですが、いつになくはしゃいだように話をする彼女に、少し不思議な感覚を持ってはいました。すると、彼女が、俄にこんな提案をして来たのです。
「ねえ、今度二人で軽井沢へ行ってみない?あたし、一度『旧三笠ホテル』が見てみたいのよね」
「いいですね。行きましょうか-----」
答えたものの、結局その年はわたしもいろいろと忙しく、軽井沢行きはお預けとなってしまいました。そして翌年の元旦、その人から年賀状が届き、
「今年こそ、一緒に軽井沢へ行きましょうね」
と、書かれてありました。
--------が、それから、二ケ月後、その人は、まだ四十七歳という若さで亡くなりました。
あの時、万難を排してでも軽井沢行きを実行すればよかった。わたしの気持ちの中に、今でも、そのことが小さな後悔となって残っています。そして、次第に春の足音が聞こえはじめるこの季節がくると、その人のことを思い出すのです。

写真は、『旧三笠ホテル』と、その客室
Posted by ちよみ at 09:47│Comments(8)
│ちょっと、一服・・・・・
この記事へのコメント
ちよみさん、こんにちは。
いろいろと考えさせられるお話ですね。
嘘も方便の話、賛否両論あることでしょう。でも、その方が、お子さんの居ない人の気持ちを思いやったのはまぎれも無い事実です。
その気持ちはきっと、人々の中に残ることでしょう。
ちよみさんが、一緒に行けなかった旧三笠ホテルも、そうやってちよみさんがその方のことを思うことで、充分なのではないでしょうか。
いろいろと考えさせられるお話ですね。
嘘も方便の話、賛否両論あることでしょう。でも、その方が、お子さんの居ない人の気持ちを思いやったのはまぎれも無い事実です。
その気持ちはきっと、人々の中に残ることでしょう。
ちよみさんが、一緒に行けなかった旧三笠ホテルも、そうやってちよみさんがその方のことを思うことで、充分なのではないでしょうか。
Posted by simarisu
at 2009年02月15日 13:05

simarisuさんへ>
コメントありがとうございます。
その人も、本心では、きっとご自分の子供さんたちのことを皆さんに話したかったに違いないと思います。子供さんたちも、新聞記事に取り上げられたこともあるほど活発で利発なお子さんでしたから・・・。
でも、いつも自分のことを話される時は、とても謙虚で、自らを律するということを心がけているのが判り、わたしには、とても真似の出来ないことだと思いました。
その人の親戚の方から、
「彼女、もういないのよ・・・」
と、知らされた時は、正直本当に驚きました。心配をかけまいと、再入院のことも周囲には伏せていたようです。最後まで、他人に対する気配りの人だったのだなァと、改めて感嘆しました。
simarisuさんのおっしゃるように、その人のことを思い出すことで、ご供養になればと念じます。
コメントありがとうございます。
その人も、本心では、きっとご自分の子供さんたちのことを皆さんに話したかったに違いないと思います。子供さんたちも、新聞記事に取り上げられたこともあるほど活発で利発なお子さんでしたから・・・。
でも、いつも自分のことを話される時は、とても謙虚で、自らを律するということを心がけているのが判り、わたしには、とても真似の出来ないことだと思いました。
その人の親戚の方から、
「彼女、もういないのよ・・・」
と、知らされた時は、正直本当に驚きました。心配をかけまいと、再入院のことも周囲には伏せていたようです。最後まで、他人に対する気配りの人だったのだなァと、改めて感嘆しました。
simarisuさんのおっしゃるように、その人のことを思い出すことで、ご供養になればと念じます。
Posted by ちよみ at 2009年02月15日 14:22
せつないですね。
でも、たぶん、お友達は、軽井沢へ行くことも励みにして頑張っていたのではと思います。人の悼みを考えてばかりで、本人は辛くなかったのか・・・寂しくなかったのか・・・と、思ってしまいます。もっともっと、自分を優先しても良いのにと・・・・。
ちよみさんは、いろんなところに、お友達との思いでがありますよね。ふと、思い出す・・・それが一番の供養と、私は思います。三笠ホテルも。
私は、、大事な人を、そうやって思いだし忘れないでいます。
でも、たぶん、お友達は、軽井沢へ行くことも励みにして頑張っていたのではと思います。人の悼みを考えてばかりで、本人は辛くなかったのか・・・寂しくなかったのか・・・と、思ってしまいます。もっともっと、自分を優先しても良いのにと・・・・。
ちよみさんは、いろんなところに、お友達との思いでがありますよね。ふと、思い出す・・・それが一番の供養と、私は思います。三笠ホテルも。
私は、、大事な人を、そうやって思いだし忘れないでいます。
Posted by わらびもち
at 2009年02月15日 22:10

わらびもちさんへ>
コメントありがとうございます!
わたしも、わらびもちさんのおっしゃるように、きっと彼女は軽井沢行きを、生きる励みにされていたのだと思います。具体的なお店の名前も挙げて、「ここで買い物をしましょうよ」と、言っていたくらいですから。
今でも、写真の中のその人を見るにつけても、亡くなったことが嘘のような気がします。
いつまでも、人の心に残るような生き方が出来るというのは、ある意味すごいことなのでしょうね。そして、折にふれてその人を思い出す----。人が生きた証しの本質というのは、財産や名誉などではなく、そんなところにあるのではないかとも思います。
かく言うわたしは、人の記憶に残るような生き方をしているのか?と、考えれば、かなり心もとないですけれど・・・・。(~_~;)
コメントありがとうございます!
わたしも、わらびもちさんのおっしゃるように、きっと彼女は軽井沢行きを、生きる励みにされていたのだと思います。具体的なお店の名前も挙げて、「ここで買い物をしましょうよ」と、言っていたくらいですから。
今でも、写真の中のその人を見るにつけても、亡くなったことが嘘のような気がします。
いつまでも、人の心に残るような生き方が出来るというのは、ある意味すごいことなのでしょうね。そして、折にふれてその人を思い出す----。人が生きた証しの本質というのは、財産や名誉などではなく、そんなところにあるのではないかとも思います。
かく言うわたしは、人の記憶に残るような生き方をしているのか?と、考えれば、かなり心もとないですけれど・・・・。(~_~;)
Posted by ちよみ
at 2009年02月15日 23:34

まず。遅ればせながら、地域医療最前線、完結おめでとうございます。(こういった場合、おめでとうと言う言葉が相応しいかどうか、比呂は知識が無いので分かりませんがとりあえず、率直な意見としておめでとうです。場違いな言葉でしたらお許しを。)
大吾先生や若月先生に会えないのはちょっと寂しいですが、次の作品を楽しみにしています。
さて、元自衛隊の女性のお話でしたね。
ちよみさんにとって良い出逢いでしたね。きっと学ぶ事も多かった事でしょう。優しさを教えてくれ、強さも教えてくれたと思います。これからのちよみさんの人生のちょっとした時にその人の事を思い出せる瞬間があれば、その人はちよみさんの中でも生き続けられると思うんです。
ちよみさんにとっての彼女の存在はこの文章でとても伝わります。彼女もきっと喜んでる事でしょう。
大吾先生や若月先生に会えないのはちょっと寂しいですが、次の作品を楽しみにしています。
さて、元自衛隊の女性のお話でしたね。
ちよみさんにとって良い出逢いでしたね。きっと学ぶ事も多かった事でしょう。優しさを教えてくれ、強さも教えてくれたと思います。これからのちよみさんの人生のちょっとした時にその人の事を思い出せる瞬間があれば、その人はちよみさんの中でも生き続けられると思うんです。
ちよみさんにとっての彼女の存在はこの文章でとても伝わります。彼女もきっと喜んでる事でしょう。
Posted by 比呂 at 2009年02月16日 09:39
比呂さんへ>
おはようございます。
拙作への労いのご挨拶、ありがとうございます!
「地域医療最前線~七人の外科医~」お読み頂き、ありがとうございました。今回は一応、ここで終了とさせて頂きました。藤堂先生の家庭事情や三田村先生の問題など、書きたいエピソードはまだあるのですが、これは又、いつか折を見て書き足して行かれたらと、思っています。若月先生と大吾の関係も、もう少し膨らませていけたらとも思っていますから・・・。その節は、またお読み頂けたら嬉しいです。
今日からは、新たに「~炎の氷壁~」を、掲載させて頂いております。こちらも、前作同様にご愛読のほど、よろしくお願いいたします。(*^_^*)
この元自衛隊員の女性のことは、これからも折に触れ、わたしの中で思い返されることでしょう・・・。このブログに書かせて頂いたことで、彼女の生き方のほんの一部でも、比呂さんに知って頂くことが出来、嬉しく思います。
おはようございます。
拙作への労いのご挨拶、ありがとうございます!
「地域医療最前線~七人の外科医~」お読み頂き、ありがとうございました。今回は一応、ここで終了とさせて頂きました。藤堂先生の家庭事情や三田村先生の問題など、書きたいエピソードはまだあるのですが、これは又、いつか折を見て書き足して行かれたらと、思っています。若月先生と大吾の関係も、もう少し膨らませていけたらとも思っていますから・・・。その節は、またお読み頂けたら嬉しいです。
今日からは、新たに「~炎の氷壁~」を、掲載させて頂いております。こちらも、前作同様にご愛読のほど、よろしくお願いいたします。(*^_^*)
この元自衛隊員の女性のことは、これからも折に触れ、わたしの中で思い返されることでしょう・・・。このブログに書かせて頂いたことで、彼女の生き方のほんの一部でも、比呂さんに知って頂くことが出来、嬉しく思います。
Posted by ちよみ
at 2009年02月16日 10:47

この時期に、彼女の事、載せて下さった事で
私も 色々考えさせて頂きました。
47歳の若さでは、女性が、これから,自分だけの為の、人生がある時だというのに(文章 下手でごめんなさいね。)
子育てもそろそろ終わり お年寄りの面倒は 見なければいけないかもしれませんが、趣味の時間も作ろうと思えば 作れるし・・・何年かしたら 孫も抱きたいし・・・ あまりにも 儚いです。
私は少し 年上ですが これから 講師を目指し、生徒さんはじめ この女性のように 周りの人間に 偲ばれるような 生き方をしたいです。
あらためて 考えさせて 頂きました。
ちよみさんにとっては、 お辛かったでしょうけど
ありがとうございました。
私も 色々考えさせて頂きました。
47歳の若さでは、女性が、これから,自分だけの為の、人生がある時だというのに(文章 下手でごめんなさいね。)
子育てもそろそろ終わり お年寄りの面倒は 見なければいけないかもしれませんが、趣味の時間も作ろうと思えば 作れるし・・・何年かしたら 孫も抱きたいし・・・ あまりにも 儚いです。
私は少し 年上ですが これから 講師を目指し、生徒さんはじめ この女性のように 周りの人間に 偲ばれるような 生き方をしたいです。
あらためて 考えさせて 頂きました。
ちよみさんにとっては、 お辛かったでしょうけど
ありがとうございました。
Posted by 艶や華
at 2009年02月16日 17:00

艶や華さまへ>
コメントありがとうございます。
人間、長く生きてきますと、別れも経験することが多くなりますね。若い時には友人の死を身近にするなどということは、ほとんどありませんでしたから、わたしが特別感傷的になっているのかもしれませんけど・・・。艶や華さまに優しいお言葉を頂き、こちらこそ、ありがとうございました。
その人も、まだまだかなえたい夢はたくさんあったと思います。でも、それを諦めなくてはいけないと覚悟した時、どのような気持ちだったのか・・・。それを、思いますと、人の生き方の難しさを、改めて実感せずにはおれません。
艶や華さまは、今ご自身の力で立派な講師というお仕事に励んでおられます。素晴らしいことだと尊敬しております。わたしも、そんな自立した生き甲斐を持ちたいものだと、考えてやみません。
コメントありがとうございます。
人間、長く生きてきますと、別れも経験することが多くなりますね。若い時には友人の死を身近にするなどということは、ほとんどありませんでしたから、わたしが特別感傷的になっているのかもしれませんけど・・・。艶や華さまに優しいお言葉を頂き、こちらこそ、ありがとうございました。
その人も、まだまだかなえたい夢はたくさんあったと思います。でも、それを諦めなくてはいけないと覚悟した時、どのような気持ちだったのか・・・。それを、思いますと、人の生き方の難しさを、改めて実感せずにはおれません。
艶や華さまは、今ご自身の力で立派な講師というお仕事に励んでおられます。素晴らしいことだと尊敬しております。わたしも、そんな自立した生き甲斐を持ちたいものだと、考えてやみません。
Posted by ちよみ
at 2009年02月16日 17:36

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