あなたの家のご主人は誰?・・・・・320
2010年01月07日
~ 今 日 の 雑 感 ~
あなたの家のご主人は誰?
「ご主人おいでですか?」
そう訪問客に問われたら、あなたは、どう答えますか?

でも、わたしのお隣の家の奥さんは違いました。「うちに主人などはいません。いるのは、夫と妻だけです」と、応えるのです。世帯主という意味では、一応、夫の名前を使っているのですが、それは単なる名目上だけで、その家庭には実質、ご主人という存在はいないというのです。
ですから、その家の夫が、組長や区長の町内会の職に名前が挙がった時、奥さんが激怒したというのです。
「なんで、あなたの名前が出て、わたしの名前じゃないのよ!そんな職、引き受けたらただじゃおかないからね!」
奥さんの猛反対があり、男性は、その役職を辞退しました。
でも、考えてみれば、確かに、妙な話です。組の総会にはご夫婦そろって出かけていたのですし、役職への推薦の名前がご主人の方だけということも、やはり片手落ちのように思えるのです。
しかし、そういうものは昔から男性がなるものだという慣習があるので、役員の人たちも、そう思い込んでいて、まさか、その奥さんから、「どうして女じゃダメなのよ!」などという反論が出るとは、夢にも思っていなかったのだそうです。
先ごろ、長野県は、全国的に見ても、地域のまとめ役である区長や自治会長の職に就く女性の比率が極めて低いという統計が出ました。
長野市男女共同参画推進課が行なった長野市の区長アンケートでは、市内460区のうち、女性区長はたった3人だったそうです。
長野市は、この女性区長が極めて少ないという理由を調査した結果、県内には、未だに、男性と女性の役割分担という古い考え方が残っているというためだということが、一番の理由だと判ったそうです。
その詳細は、 1) 女性側から辞退する。 2) 昔からの慣習で、女性は男性よりも出しゃばってはならない。 3) 区長、には世帯主が選出されるから。 4) 家族が賛成しない。 5) 男性でないと務まらないと思う。
要するに、未だに「家を代表するのは男」という意識が根強くあるということなのです。それが、女性の区長辞退を多くしているのでした。
つまり、ここから読み取れることは、女性は決して区長をやりたくないと思っている訳ではないということなのです。ただ、男性に遠慮して手をあげないだけのことで、やってみたいと思う気持ちは充分にあるのではないかと推測でき、また、もしも、その職を引き受けたとしても、絶対出来ないものではないということでもあるのです。
上伊那郡南箕輪村のある女性は、村で初めての女性区長を引き受けましたが、「男性でなければ務まらない物ではなく、とにかく、本人のやる気と家族の協力があれば乗り切れる」と、話しているといいます。
わたしも、彼女と同意見です。
わたしの父は、区長も区長会長も務めましたが、確かに、多くの会議をこなさねばならず、家を空けることは多かったです。しかし、その仕事ぶりを間近で見ていて、別に女性に出来ない仕事ではないと感じてもいました。
ただ、文章を書くことも頻繁にあり、地域の歴史や地理、地形なども、いちいち現場へ足を運んで熟知しなければならないという多忙さは否めません。
でも、要は、ズクを出す気力があれば、出来ない仕事ではないと思うのです。
現在は、その男性も煩わしい事務仕事を嫌い、区長の受け手が激減しているという現状もあるそうです。
もう少し、行政の下請け仕事を減らすなどして、女性でも参加しやすい環境作りが整えば、もっと積極的に女性が区長を引き受けられる地域社会が出来るのではないかと、専門家も話しています。
あなたの家のご主人は、誰ですか?
男性も女性も、共に「主人」であるという考え方を浸透させる足がかりとしても、積極的な大勢の女性区長の誕生を望みたいものです。

<今日のおまけ>
最近、とみに面白いブログがなくなった。
書いている内容は、読んでみたいと思うものが多いのだけれど、書き方がイマイチで、何を言いたいのかこちらにうまく伝わって来ないのだ。
この間など、ずっと、男性ブロガーだと思い込んでいた人が、実は女性だったということが判った。ブログの中に、「彼氏」という言葉が出てきて、ようやく書き手は女性なのだということを知ったのである。
ところが、このブロガー、一生懸命状況説明をしているのだが、何を言っているのかよく判らない。途中まで読んで、疲れたのでやめた。
また、起承転結がなっていないせいか、状況説明が希薄なせいか、読んでいてイライラするブログもある。
わたしは、以前、このブログでも、「言語力」について書いたが、やはり、この力が不十分ということなのだろう。
別に、文学的表現を駆使して欲しいという訳ではない。言葉など簡単なものでいいのだ。
まあ、ブログは、自分の好きなように書けばいいのだから、読者に伝わろうが伝わるまいが、どちらでもいいのだろうが、それでも、せっかく文章を書くのだから、やはり、読み手に(少なくとも)意味が判るようには書いて欲しいものである。
最近、とみに面白いブログがなくなった。
書いている内容は、読んでみたいと思うものが多いのだけれど、書き方がイマイチで、何を言いたいのかこちらにうまく伝わって来ないのだ。
この間など、ずっと、男性ブロガーだと思い込んでいた人が、実は女性だったということが判った。ブログの中に、「彼氏」という言葉が出てきて、ようやく書き手は女性なのだということを知ったのである。
ところが、このブロガー、一生懸命状況説明をしているのだが、何を言っているのかよく判らない。途中まで読んで、疲れたのでやめた。
また、起承転結がなっていないせいか、状況説明が希薄なせいか、読んでいてイライラするブログもある。
わたしは、以前、このブログでも、「言語力」について書いたが、やはり、この力が不十分ということなのだろう。
別に、文学的表現を駆使して欲しいという訳ではない。言葉など簡単なものでいいのだ。
まあ、ブログは、自分の好きなように書けばいいのだから、読者に伝わろうが伝わるまいが、どちらでもいいのだろうが、それでも、せっかく文章を書くのだから、やはり、読み手に(少なくとも)意味が判るようには書いて欲しいものである。

タグ :ブログの言語力
小説を書くということ・・・・・333
成人式も変わったなァ・・・・・331
泌尿器科外来にて・・・・・330
おばさまたちのアイドル・・・・・329
人を好きになる時・・・・・328
今日のおまけ・・・・・327
成人式も変わったなァ・・・・・331
泌尿器科外来にて・・・・・330
おばさまたちのアイドル・・・・・329
人を好きになる時・・・・・328
今日のおまけ・・・・・327
Posted by ちよみ at 17:02│Comments(0)
│ちょっと、一服・・・・・ 16
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。