人前で意味なく溜息をつくな!・・・・・915
2011年01月31日
~ 今 日 の 雑 感 ~
人前で意味なく溜息をつくな!

女性が一人窓辺のテーブルに頬杖をついて、小さなため息を漏らす・・・・なんてシーンを見ると、つい、「どうしたの?」なんて声をかけたくなってしまう男性もいることでしょう。
ところが、これで味を占めた訳でもないでしょうが、やたらに人前でため息をつきまくる女性がいるのです。
女友だちとお茶をしに喫茶店へ入って、紅茶を飲みながら、ため息・・・・。
それも、如何にも哀愁めかした可愛子ぶりっこの声をあげて、「フン・・・」という具合に----。
一瞬、何処かで犬のチンでも鳴いたのかと思うような声なのです。
これをやられると、相手の友人の方は、間違いなく「退屈しているのかな?」と、気にかけてしまうもので、何とも人迷惑な仕草としか言えません。
ところが、ため息の本人は、退屈しているどころか、その場の雰囲気に合わせてわざと可愛いふりをして見せているだけで、ほとんど大した意図はないようなのです。
おそらく、彼女が子供の頃に、小さな声でため息をついて見せた時、両親に「可愛いなァ・・・」などと言って褒められたことがあったのでしょう。
そこで、彼女はとんでもない勘違いをしてしまった訳です。
「わたしは、ため息をつくと可愛いと思ってもらえる」
と-----。
確かに、幼い子供が大人ぶったため息なんかついていると、おしゃまさんに見られて、可愛いと思われたかもしれません。
しかし、もはや四十路も過ぎたいい大人が人前でため息などつくことは、マナーの面からしても論外です。
おばさんの溜息なんて、少しも美しくありません。
どうしてもつきたいというのなら、誰も見ていない場所でついて欲しいものです。
皆さんの周りにも、そんなため息女はいませんか?
<今日のおまけ>
小、中学生の会話を聞いていて感じることだが、実にセンテンスが短い。
何かを説明しようとしても、声に出す文章がすべてブツ切りになっているのだ。これでは、言葉と言葉のつながりがつかず、相手に話の内容がうまく伝わらない。
だから、必然的に「てにをは」の使い方がブレてしまうのだ。
何故、このような話し方になるのか・・・?
たぶん、言葉一つ一つを知ってはいても、それをどう組み合わせれば文章として完成するのかが理解できていないからだろうと思うのだ。
たとえば、「暗黙」という単語があるとする。しかし、センテンスで覚えていなければ、これを単独で使うことは難しい。だが、「暗黙」ときたら、次には「了解」という言葉がよく使われると知っていれば、「暗黙の了解」という短いセンテンスが容易に出来上がるのだ。
そういうことを勉強するためには、やはり、本を読むことが大切だろうと思う。
そして、家庭内での会話を出来るだけ文章化して話す癖を付けることが大事だろう。
小、中学生の会話を聞いていて感じることだが、実にセンテンスが短い。
何かを説明しようとしても、声に出す文章がすべてブツ切りになっているのだ。これでは、言葉と言葉のつながりがつかず、相手に話の内容がうまく伝わらない。
だから、必然的に「てにをは」の使い方がブレてしまうのだ。
何故、このような話し方になるのか・・・?
たぶん、言葉一つ一つを知ってはいても、それをどう組み合わせれば文章として完成するのかが理解できていないからだろうと思うのだ。
たとえば、「暗黙」という単語があるとする。しかし、センテンスで覚えていなければ、これを単独で使うことは難しい。だが、「暗黙」ときたら、次には「了解」という言葉がよく使われると知っていれば、「暗黙の了解」という短いセンテンスが容易に出来上がるのだ。
そういうことを勉強するためには、やはり、本を読むことが大切だろうと思う。
そして、家庭内での会話を出来るだけ文章化して話す癖を付けることが大事だろう。
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Posted by ちよみ at 19:22│Comments(2)
│ちょっと、一服・・・・・ 46
この記事へのコメント
こんばんは。
そうなんですか。
最近はあまり小中学生と、話す機会が無いので、知りませんでしたが。
今の子供達は、けっこう難しい単語は知っているようですが、文章に出来ないのですね。
言われるように、本を読むべきでしょうね。
本を読むことで、文を作ることが身につくのだと思います。
本を読むことで、文章力と、豊かな心も、きっと身につくのではないでしょうか。
人前で、溜息ですか。
可愛い女の子なら、絵にもなるでしょうが、
おばさんでは、嫌味にしかなりませんね。
まあ、そういう僕も、家族の前では、いつも
溜息ばかりついてますが(笑)
そうなんですか。
最近はあまり小中学生と、話す機会が無いので、知りませんでしたが。
今の子供達は、けっこう難しい単語は知っているようですが、文章に出来ないのですね。
言われるように、本を読むべきでしょうね。
本を読むことで、文を作ることが身につくのだと思います。
本を読むことで、文章力と、豊かな心も、きっと身につくのではないでしょうか。
人前で、溜息ですか。
可愛い女の子なら、絵にもなるでしょうが、
おばさんでは、嫌味にしかなりませんね。
まあ、そういう僕も、家族の前では、いつも
溜息ばかりついてますが(笑)
Posted by こみさん at 2011年01月31日 23:15
こみさまへ>
こんにちは。
そうなんですよね。
難しい単語は良く知っているのですが、それをどのようにつなげればいいのかが判らないようなのです。
たとえば、「現実」という単語と「現実的」という単語があれば、次に来るべき言葉は、自ずと変わりますよね。「現実を知る」「現実的に考える」というようなセンテンスを理解できないと、文章として成立しませんし、そういう訓練をするには、やはり、家庭内の会話や読書が大切なのだと思います。また、こみさんの言われるように、文章力が身に付くと、自分の考えなどを他人に伝えやすくもなるので、心も豊かになるでしょうし、キレる子供も減るのではないかと思います。
ため息ですが、家族の前でつくのは、仕方がありませんよね。疲れていたり、悩みがあれば、つい、出てしまうものです。
でも、他人の前で、これ見よがしにつくのは、感心できませんね。ついている本人には、その気がなくても、聞いた方は、「この人、わたしといて退屈しているのかしら?」なんて、考えてしまいます。
大人のため息は要注意ですね。
こんにちは。
そうなんですよね。
難しい単語は良く知っているのですが、それをどのようにつなげればいいのかが判らないようなのです。
たとえば、「現実」という単語と「現実的」という単語があれば、次に来るべき言葉は、自ずと変わりますよね。「現実を知る」「現実的に考える」というようなセンテンスを理解できないと、文章として成立しませんし、そういう訓練をするには、やはり、家庭内の会話や読書が大切なのだと思います。また、こみさんの言われるように、文章力が身に付くと、自分の考えなどを他人に伝えやすくもなるので、心も豊かになるでしょうし、キレる子供も減るのではないかと思います。
ため息ですが、家族の前でつくのは、仕方がありませんよね。疲れていたり、悩みがあれば、つい、出てしまうものです。
でも、他人の前で、これ見よがしにつくのは、感心できませんね。ついている本人には、その気がなくても、聞いた方は、「この人、わたしといて退屈しているのかしら?」なんて、考えてしまいます。
大人のため息は要注意ですね。
Posted by ちよみ
at 2011年02月01日 11:51

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