にぎやかな立ち話は通行人を不愉快にする

にぎやかな立ち話は
通行人を不愉快にするhouse




    楽しそうに声をあげて笑いながら会話を盛り上げているご近所の主婦たち。

    そんな彼女たちの近くを通る時、何となく不愉快な気分になる人は多いはずである。

    何だか、自分が仲間外れにされているような不快な思いをしたり、地位が低められたような気持ちになって、身体を縮めるようにして通り過ぎたり、自分の方から会釈をしたりして行き過ぎなければならないような「妄想性認知」を覚えることもある。

    にぎやかな立ち話は通行人を不愉快にするこうしたおしゃべりの輪のことを、心理学では「社会空間」と呼ぶそうだが、これには他者の侵入を妨げようとする強い影響力があるものだ。

    おしゃべりをしている人たちには、そういう意識はないのだろうが、近くを通りかかった人間は、「疎外感」や時には、「恐怖感」すら感じるもので、会話の人数が多ければ多いほど、この威圧感は増して行く。

    たとえば、この立ち話が上司同士となれば、近くを通る部下はさらに委縮し、部外者意識が深まることにもなり兼ねない。

    そんな会社は、社員の士気も低下して、業績アップなど望めないものである。

    では、もしも、あなたがそんなおしゃべりの輪に加わらなければならない時は、どのようにすれば、そばを通る人たちを不快にさせずに済むのだろうか?

    こういう時は、いくら会話が弾んでも、おしゃべりに夢中にならず、近くを通りすがった知り合いに対しては、「あなたのことを無視していませんよ」という合図として、軽く会釈をするなどの配慮が肝心なのである。

    そして、立ち話をする場所も、廊下の隅や道の脇など、通行の邪魔にならないような、人目に触れにくい所を選ぶのが賢明である。

    それを怠ると、相手に多大な心理的迷惑をかけることになるため、その行為がもとで、あとあと不信を買うことにもなりかねない。

    おしゃべりの輪は、自分でも気付かぬうちに出来上がっていたりもするので、つい話にのめり込みがちではあるが、そんな時も、常に「自分たちは他の人からどんな風に見えているのだろうか?」という、第三者の目を忘れない配慮が大切なのである。

    

<今日のおまけ>

    車で買い物に出ると、ある場所まで来たら、急に土砂降りの雨が降り出した。

    ところが、そこから50メートルほど走っただけなのに、あっという間に雨はあがった。

    正に、局地的降雨だったようだ。

    今日の松本市は、35度まで上がったそうである。

    スーパーでは主婦たちが、それこそ立ち話をしながら、「まるでぬいぐるみ(たぶん着ぐるみのこと)を着ているように暑いね」と、ぼやいていた。

    明日は、少しは涼しくなってくれるだろうか?

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