本当の思いやりはどっち?
2012年09月02日
本当の思いやりはどっち?

もしも、あなたが交通事故とか病気で歩行がうまく出来ない身体だったとして、健康な友だちだけで素敵なレストランへ食事に行ったというような楽しげな話題を聞かされてばかりいるとする。
もちろん、あなたも彼女ら(もしくは彼ら)と一緒に食事に行きたいと思い、そのことをつい口に出した時、どんな返事が返ってきた方が、よりあなたに対する思いやりを感じることが出来るだろうか?
A 「そうだね。わたしたちも一緒に行きたいけれど、たぶん、あなたの足ではあのレストランの階段は上れないと思うよ。転んでけがをしても困るから、行くのは足が良くなってからにしたら?」
B 「そうだね。今度行く時は、一緒に行こうか。レストランまでの階段はちょっときついけれど、わたしたちが手助けするから大丈夫。たまには、外の空気を吸うのも気分転換だよ」
おそらくは、Aの返事も、Bの返事も、相手のことを思いやってのことなのだろう。
しかし、身体が不自由な本人にとってみたら、どちらの返事が救いに思えるかといえば、それは間違いなく、Bである。
たとえ、実際に行くことが出来なかったにせよ、こう言ってもらえるだけでも、自分は部外者扱いされてはいないという自信や安心につながるというものなのである。
ところが、Aの答えは、一見その人の身体を心配しているように思えるのだが、取りようによっては、
「面倒くさいなァ・・・。あんたなんかと行ったら、食事のあと何処かで買い物でもしたいと思っても、足手まといで行けないじゃないの。少しは、こっちの気持ちも考えてくれないかな?」
と、いう裏事情が透けているようにさえ思われ兼ねないのである。
しかも、「行くのは、足が良くなってからにしたら?」と、いう言い方は、「行くなら、あなた勝手に一人で行きなさいよ」と、言っているも同じである。
実は、わたしも以前、ある人からAのような返事をコメントでもらったことがあった。
この瞬間、相手の本心が見えた気がしたのである。
言葉は、いつも実に繊細で危険な匂いを内包している。
どんなに親しげな会話をしていても、そういうほんの瞬間の隙間に、相手の本音が暴露されることがある。
その人は、その時はまだ、わたしの足が一生動かないものと思い込んでいたので、そんな大胆な返事が出来たのかもしれないが、つくづく物言えば唇寒し----であることを、この際自戒して欲しいものである。
<今日のおまけ>
今日は、少し涼しくなりましたね。
今までの暑さがハンパなかったせいか、何となく疲れを感じる一日でした。
でも、夜になってからは、また気温が高くなって来たように思います。
ところで、先日テレビで放送された恐怖映像の数々ですが、わたしが一番ギョッとしたのは、公園で遊ぶ女の子をお母さんが録画している映像でした。
遊んでいた女の子が、急にブランコの方へ走って行き、その誰も乗っていないブランコに向かって、
「あんた、何処の子?一緒に遊ぼうよ」
などと声をかけ始めたので、録画しているお母さんが奇妙に感じて、女の子に早く戻ってくるように言うと、女の子は、
「その子、お母さんの方へ行ったよ」
と、叫んだ途端、録画画面に半透明のやせ細った少女が大きく写っていたというものでした。
これは、ちょっと怖かったですね。
子供の心は純粋なので、大人が見えないものも見えていることがあるのでしょうか?
今日は、少し涼しくなりましたね。
今までの暑さがハンパなかったせいか、何となく疲れを感じる一日でした。
でも、夜になってからは、また気温が高くなって来たように思います。
ところで、先日テレビで放送された恐怖映像の数々ですが、わたしが一番ギョッとしたのは、公園で遊ぶ女の子をお母さんが録画している映像でした。
遊んでいた女の子が、急にブランコの方へ走って行き、その誰も乗っていないブランコに向かって、
「あんた、何処の子?一緒に遊ぼうよ」
などと声をかけ始めたので、録画しているお母さんが奇妙に感じて、女の子に早く戻ってくるように言うと、女の子は、
「その子、お母さんの方へ行ったよ」
と、叫んだ途端、録画画面に半透明のやせ細った少女が大きく写っていたというものでした。
これは、ちょっと怖かったですね。

子供の心は純粋なので、大人が見えないものも見えていることがあるのでしょうか?
Posted by ちよみ at 19:28│Comments(0)
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