捜査本部は、うち?・・・・・132
2009年08月17日
~ 今 日 の 雑 感 ~
捜査本部は、うち?(・・?
これは、もう、かなり以前になりますが、我が家のすぐ近にあった無人の小屋が、全焼するという火事がありました。
この小屋は昭和の初めに建てられたもので、古いうえに、もう何年も前から空き家になり、その頃は、不良少年たちの溜まり場にもなっていたのでした。
わたしが家にいると、何となく辺りが煙ったくなって来て、きな臭いにおいが充満し始めました。これは、変だと思い、家から外へ飛び出すと、道路を少し下ったところにあるその小屋が、もの凄い炎と真っ黒な煙を噴き上げて、燃え盛っているのを発見。
しかし、問題は、この無人の小屋から、何故火が出たのかということでした。地元の警察署は、これを放火と断定し、消防車が去るのと入れ違いに、今度は数台の警察車両が乗り付け、即座に現場保存。捜査関係者による、近所への聞き込みが始まりました。
「不審な人間が、小屋の中へ入るのを見ませんでしたか?」
「日頃、小屋は、どういう状態だったんですか?」
特に、第一発見者の近所の主婦は、そうとう根掘り葉掘り事情を訊ねられていました。そうこうする間に、夕方になり、辺りが暗くなりかけて来た時、一人の年配の捜査員が、我が家へ入って来て、父に、話を聞きたいと、言いながら、事務室のソファーに腰を下ろしたのです。
そして、父は、その捜査員と世間話を始めました。お茶を飲みながら、色々と話をしていると、今度は、そこへ別の若い捜査員が入って来て、何やら先の捜査員と耳打ちを始めましたので、父は、そこから奥の居間へ移動しました。
すると、次には、また別の捜査員たちが二人ほど合流し、会議を始めてしまったのです。
母は、彼らに、お茶を出しながら、「ご苦労さまです」と、挨拶をすると、先に入って来た捜査員が、
「すみません。少し、ここをお借りしたいのですが------」
と、頼むので、母が、どうぞお使い下さいと、答え、すると、捜査員は携帯を取り出し、こう相手に伝えました。
「〇〇さんのお宅に集合してくれ」
え?-----ここが、捜査本部?マジっすか~!?
いつしか、他にも制服の警察官なども加わって、ちょっとした捜査会議が始まってしまったのです。
当時、父は、地元の防犯協会の会長などもやっていたので、警察関係者が顔を出すことはさほど珍しいことではなかったのですが、これほどの人数の刑事さんやお巡りさんが顔を寄せ合って話し込む様子は、初めて見ました。
-------で、肝心の放火犯人ですが、後日聞いたことによりますと、どうやら、近隣に住む中学生のいたずらだったことが判りました。その頃、近くの市や村でも不審火が相次いでいたため、警察も、力を入れて捜査をしていたようです。
しかし、この火事は、その一連の不審火とは、関係がなかったようでした。

<今日のおまけ>
先日、テレビを観ていたら、怒りや欲求をコントロールしたり、自分の気持ちにブレーキをかける理性の強さを数値で表したところ、何と、六歳も、六十歳も同じだということが判ったと、報じていた。
と、いうことは、子供だから我慢が出来ないとか、大人だから我慢強いとかいうことは、一概には言えないということなのだそうである。
それでも、そのブレーキが最もきくであろうと、思われる年代もあり、四、五十代の俗に分別もある大人であろうと、誰もが思いがちだが、それが、あにはからんや、二十五歳がピークなのだという。つまり、それを過ぎると、人間は、自己コントロール能力が、次第に鈍くなって行くものらしいのだ。
すなわち、この理屈から行くと、年を取るほど、人は我がままで頑固になるということなのである。ちょっとした事にも怒りを覚え、周囲に当たり散らす。老人になると、人は穏やかになるなどということは、単なる幻想だという結論なのであろう。
故に、年を取るということは、子供に戻るということだ------と、いう言葉も、納得できるのではないだろうか。

そんなこともあるせいか、病院への入院時アンケートの「あなたの性格は?」の質問項目の答えに、わたしは、躊躇なく「怒りっぽくて、短気」と書いた。
しかし、そう正直に書いたわたしよりも、「明朗快活」「穏やか」などと記していた高齢者の女性たちの方が、よほど、気短かで、なおかつ喧嘩っ早かったりもした。
自己評価というものは、実に難しい。自己認識というものは、往々にして、その逆を行くものなのではなかろうかと、思う。
先日、テレビを観ていたら、怒りや欲求をコントロールしたり、自分の気持ちにブレーキをかける理性の強さを数値で表したところ、何と、六歳も、六十歳も同じだということが判ったと、報じていた。
と、いうことは、子供だから我慢が出来ないとか、大人だから我慢強いとかいうことは、一概には言えないということなのだそうである。
それでも、そのブレーキが最もきくであろうと、思われる年代もあり、四、五十代の俗に分別もある大人であろうと、誰もが思いがちだが、それが、あにはからんや、二十五歳がピークなのだという。つまり、それを過ぎると、人間は、自己コントロール能力が、次第に鈍くなって行くものらしいのだ。
すなわち、この理屈から行くと、年を取るほど、人は我がままで頑固になるということなのである。ちょっとした事にも怒りを覚え、周囲に当たり散らす。老人になると、人は穏やかになるなどということは、単なる幻想だという結論なのであろう。
故に、年を取るということは、子供に戻るということだ------と、いう言葉も、納得できるのではないだろうか。


そんなこともあるせいか、病院への入院時アンケートの「あなたの性格は?」の質問項目の答えに、わたしは、躊躇なく「怒りっぽくて、短気」と書いた。
しかし、そう正直に書いたわたしよりも、「明朗快活」「穏やか」などと記していた高齢者の女性たちの方が、よほど、気短かで、なおかつ喧嘩っ早かったりもした。
自己評価というものは、実に難しい。自己認識というものは、往々にして、その逆を行くものなのではなかろうかと、思う。

わたしは、竜馬が嫌いです・・・・・142
信 濃 の 国・・・・・141
職場の鬱憤は、病院で晴らす・・・・・140
ブログの意図は伝わりにくい・・・・・139
ミスコンテストに物申す!・・・・・137
性同一性障害の認知度・・・・・135
信 濃 の 国・・・・・141
職場の鬱憤は、病院で晴らす・・・・・140
ブログの意図は伝わりにくい・・・・・139
ミスコンテストに物申す!・・・・・137
性同一性障害の認知度・・・・・135
Posted by ちよみ at 23:17│Comments(4)
│ちょっと、一服・・・・・ Ⅶ
この記事へのコメント
「ヒマか?」って言って顔出してくる捜査員いませんでしたか?
(先日の続きかっ!)
それはともかく、
年を取ると、図々しくなっていくのって、
ありませんか?
勿論、経験を重ねて大胆になる部分もあるかも知れませんが、
恥じらう事を面倒臭く思ってしまったりもするのでしょうか。
“二十五歳がピーク”に何となく納得してしまう気もしつつ…。
(先日の続きかっ!)
それはともかく、
年を取ると、図々しくなっていくのって、
ありませんか?
勿論、経験を重ねて大胆になる部分もあるかも知れませんが、
恥じらう事を面倒臭く思ってしまったりもするのでしょうか。
“二十五歳がピーク”に何となく納得してしまう気もしつつ…。
Posted by zuky
at 2009年08月17日 23:49

zukyさまへ>
「特命係の亀山!なんで、お前が聴き耳立てているんだよ」
と、言われそうなくらい、耳をダンボにして、捜査会議の様子を聞いていました。(爆)
が、部屋と部屋の間のガラス戸を閉めていましたので、ほとんど聞こえなかったんですよね。残念!
そうですね。年を取ると、別に笑われたっていいや---と、開き直ってしまうこと、ありますね。男性の場合は、どうか判りませんが、女性は、とかく、自分の身なりに気を遣わなくなると、性格も変わるようです。
たぶん、二十五歳ぐらいの時が、もっとも、自己抑制が働きやすい条件がそろっているのでしょうね。
「特命係の亀山!なんで、お前が聴き耳立てているんだよ」
と、言われそうなくらい、耳をダンボにして、捜査会議の様子を聞いていました。(爆)
が、部屋と部屋の間のガラス戸を閉めていましたので、ほとんど聞こえなかったんですよね。残念!
そうですね。年を取ると、別に笑われたっていいや---と、開き直ってしまうこと、ありますね。男性の場合は、どうか判りませんが、女性は、とかく、自分の身なりに気を遣わなくなると、性格も変わるようです。
たぶん、二十五歳ぐらいの時が、もっとも、自己抑制が働きやすい条件がそろっているのでしょうね。
Posted by ちよみ
at 2009年08月18日 00:12

なんか、今日の話題、すごく納得してしまいました。若い頃なら、黙ってスルーしたことも、今は一旦、口にすると絶対、思い通りにしようと思って言い張ったりしちゃうことがあるんです。
さすがに最近はその性癖に気が付いて、「待て、待て」と言い聞かせるようにしています。
いいなあ、捜査本部。
ちょっと憧れ。
さすがに最近はその性癖に気が付いて、「待て、待て」と言い聞かせるようにしています。
いいなあ、捜査本部。
ちょっと憧れ。
Posted by ぷりんちぺ at 2009年08月18日 22:35
ぷりんちぺさまへ>
自分自身も、若い時に比べて、謙虚さとか、奥ゆかしさというものから、だんだん縁遠くなって行くようです。脳が、自身に寛大になってしまうのかもしれませんね。
何となく、次のブログもタガが外れそうです。(爆)
よく、お年寄りが、孫が風邪をこじらせたりなどすると、「出来るものなら代わってやりたい」なんていいますが、あれは、本心で言っている訳ではないんですよね。
お年寄りほど、この世に未練があるものなんです。自分が大事なんです。これも、ブレーキが緩み、自己防衛本能なる物が、全面に出て来ている証だそうです。
わたしの通院する病院で、七十代のおばあさんが、やたらに先生に「わたしいつまで生きられるかしら?」と、訊くので、先生はついに、こう答えてしまいました。「死ぬまでは生きられるから、心配いらないよ」
捜査本部---なんかドラマを見ているようでしたよ。でも、どうして、うちだったんだろうと、思います。あのボロいソファーのある事務室が、集まりやすかったのかな?(笑)
自分自身も、若い時に比べて、謙虚さとか、奥ゆかしさというものから、だんだん縁遠くなって行くようです。脳が、自身に寛大になってしまうのかもしれませんね。
何となく、次のブログもタガが外れそうです。(爆)
よく、お年寄りが、孫が風邪をこじらせたりなどすると、「出来るものなら代わってやりたい」なんていいますが、あれは、本心で言っている訳ではないんですよね。
お年寄りほど、この世に未練があるものなんです。自分が大事なんです。これも、ブレーキが緩み、自己防衛本能なる物が、全面に出て来ている証だそうです。
わたしの通院する病院で、七十代のおばあさんが、やたらに先生に「わたしいつまで生きられるかしら?」と、訊くので、先生はついに、こう答えてしまいました。「死ぬまでは生きられるから、心配いらないよ」
捜査本部---なんかドラマを見ているようでしたよ。でも、どうして、うちだったんだろうと、思います。あのボロいソファーのある事務室が、集まりやすかったのかな?(笑)
Posted by ちよみ
at 2009年08月18日 23:09

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