想像力の欠如・・・・・962

~ 今 日 の 雑 感 ~


想像力の欠如




    犯罪を行なった人間がいう言葉に「魔が差した」というものがある。

    この言葉の意味は、「魔に魅入られて悪い心を起こす」というものだが、この「魔」に魅入られた時、人間は何をなくしてしまうのか?----と、考えると、それは、(りえるさんもコメントで書かれていた)「想像力」ではないかと考える。

    人の日常とは、ある意味、すべて想像力で成り立っているとも言える。

    想像力の欠如・・・・・962明日、起きたら何をしよう。朝食を食べたら、ウォーキングでもしてこようか。

    でも、あそこの通りには、たぶん、またあの大きな犬がいるだろうから、別のコースを歩こう。

    その途中でスーパーマーケットによって、特売になっているはずのパンを買ってこよう。

    こんな具合に、想像力で時間の先取りをしながら、毎日を過ごしているのである。

    ところが、そこに「魔」が差すと、その想像力が一気に失われ、「今」しか見えなくなってしまう。そうなると、その瞬間の世界は、自分だけのためにあるような錯覚が起き、何でも出来てしまう一種の高揚感に支配されるのだろう。

    高揚感に支配された世界では、物事はすべて自分の思い描いた通りに運ぶはずなのだが、相手は、そんな世界の外にいるわけで、思いもかけない反応を示す。

    自分の思い描いていた状況とは違う反応が相手から返ってきた時、その人物は焦り、慌てて、パニックに陥ってしまう。

    どんなにち密に計画した犯罪でも、計画している時点で既に自分自身の世界にどっぷりとつかり込んでいるのだから、やはり、想像力は稼働していないと言えるのだ。

    しかし、ただ単に「魔が差した」では済まない犯罪がこれほど多くなると、本気で現代人の想像力の欠如について考える時期が来ているのかもしれない。

    一方の面からばかり物事を見るのではなく、さまざまな方向から、時には、その中心に入って観察し、他の面について想像する癖を付けるような教育が必要なのではないだろうか。

    

<今日のおまけ>

    「CSI:マイアミ」----観ていると、何だか元気になれる警察ドラマだ。

    描かれる犯罪は凄惨でハードだが、マイアミのとびきり明るい太陽と青い海が別世界を提供してくれる。

    登場人物たちもそれぞれに個性的で、人間臭い。

    でも、とてもファッショナブルで、特に女性たちが素敵だ。

    わたしは、女性がカッコいいドラマが何故か好きなのだ。

想像力の欠如・・・・・962

    

同じカテゴリー(ちょっと、一服・・・・・ 48)の記事
 奇妙な痛み・・・・・974 (2011-03-13 18:16)
 心理テスト・古井戸・・・・・973 (2011-03-13 11:36)
 言葉は使いよう・・・・・972 (2011-03-12 16:05)
 コンプレックスを見抜く・・・・・971 (2011-03-11 16:52)
 『相棒』season9最終回・・・・・970 (2011-03-10 22:02)
 買い物弱者・・・・・969 (2011-03-10 17:24)

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。