高齢者のキャパシティー

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    以前、わたしが入院していた時、斜向かいのベッドのおばあさん患者は、食事の時間になるといつも看護師さんを困らせていた。

    「こんなしょっぱいお味噌汁、飲めないわよ。もっと、わたしの口に合った物にして。それから、明日の夕食はお刺し身にしてね。二日に一度はお刺し身を食べているの。ご飯も炊き方が下手だわ。もう少し水加減に気を付けてよ」

    とにかく、文句が多い。

    その都度、看護師さんは、

    「お味噌汁は、栄養士さんが考えて減塩になっていますから、大丈夫ですよ。それから、お刺し身は、メニューに入っていませんから、退院したらご自宅で食べて下さい」

    と、説明する。しかし、どうしても我慢がならないおばあさんは、お味噌汁をもっと薄味に替えて欲しいと言い張って、看護師さんは仕方なく、別のものに取り替えて来た。

    高齢者のキャパシティー高齢者が認知症を発症して家庭での介護が難しくなった時、家族が頼るのが地域の福祉センターのデイケア・サービスやケアハウスのショートステイ・サービス、グループホームなどの高齢者介護施設である。

    こうした介護施設で職員が最も気を遣うのが、高齢者一人一人の適応能力の違いだという。

    若い人たちは、たとえば学校生活でも判るように、皆が給食に同じものを食べても、同じ教育を受けてもそれが当然だと思い、ほとんどの人は違和感を訴えるようなことはない。

    ところが、高齢者は、長い人生の間に自分だけの嗜好や習慣が当たり前となってしまっているために、認知症になってもそれを変えることを極端に嫌う傾向があるのだそうだ。

    とにかく共同生活というものに馴染めない人が多いのである。

    それこそ、味噌汁の味にしても、白味噌でないと嫌だとか、味噌汁の具に関しても自分なりの繊細なこだわりがあるため、それが集団行動のネックとなり、職員へ暴力を振るうなどの問題を持ち上げて、他の入所者の迷惑になるからという理由で、施設を出なければならなくなるお年寄りも少なくないのである。

    何事にも柔軟に適応する若者と違い、高齢者が許容できる集団生活のキャパシティーは、かなり狭くなっているというのが実情なのだそうだ。

    また、認知症の高齢者がこうした共同生活に順応しにくい理由には、高齢者自身が自分を年寄りだと認識していないケースも多々あるのだという。

    自分は、まだ若くて元気なのだから、どうして、こんな年寄りたちと同じ場所にいなければならないのか・・・という思いが、共同生活を難しくする要因になっているのだそうである。

    一口に認知症高齢者といっても、彼らはまったくべつべつの人生を背負って来た個々の尊厳を有する人々なのだ---という意識を常に持っていないと、介護は成り立たないというのであるから、職員たちの苦悩は深い。

    しかし、もしも、今後介護を受けることになるかもしれない世代が、このキャパシティーを出来るだけ広くすることを心がける生活を日々送ることで、それが習慣づけられれば、いざ自分が施設に入ることになった際、自分自身もプライドを傷付けられるような辛い思いをしないで済むことにもなるのではないだろうか。

    それには、「これじゃなくてはダメだ」とか「これしか食べたくない」「わたしのやることが一番」というような固執的生き方を見直すことが大事だと思われる。

    規則正しい生活は、心身にとって確かに重要なことかもしれないが、それが自分だけに都合の良い規則になってはいないか改めて考えてみるのも、未来の高齢者たちには必要なのかもしれない。



    ところで、ブログの読者は若い人が多いせいか、タイトルに「高齢者」とか「お年寄り」という言葉を入れると、一気にアクセス数が落ちる。

    以前、ナガブロでブログを書いていた人も、「ナガブロ読者は、社会問題に関心が低すぎる」と、嘆いていた。

    まだ七十代の男性を頭から年寄り扱いして、彼の好きなファッションはモンペだろうなどとの軽口を書くようなブロガーもいるのだから、まだ自身が健康そのものの若者たちには、高齢者に対しては、その程度の認識しかないのは致し方ないといえばないのかもしれないが、高齢者問題は、決して他人事の話ではない。(そのブロガーにも祖父母はいるはずなのだ)

    明日の我が身と自覚して、しっかりと考えて欲しいテーマなのである。

    因みに、六十代後半から七十代といえば、ロックやポップスのグループサウンズ全盛期の全共闘世代でもあり、ファッションに関しては、今の若者など足元にも及ばないほどの過激なニュールックを愛した人たちでもある。

    お年寄り=古い----という観念しか持ち合わせていない若者は、もっと文化史を勉強しなさい!


        

<今日のおまけ>

    さて、さそり座の九月の運勢は、「興味のあることに次々チャレンジすることで可能性が広がる。でも、愛情運はイマイチ」だとか。

    ま、わたしの場合、愛情運がイマイチなのは、今に始まったことではないが・・・。(T_T)


    ところで、七月の栄養指導の時、管理栄養士さんが、わたしのカルテを見ていて、一瞬「え?」という顔をした。

    「ちよみさんて、本当にこの年齢なんですか?」

    と、かなり驚いた様子。

    「この間も指導させて頂いたんですが、その時は、もっとずっと若い方かと思っていました」

    聞けば、わたしの実年齢よりも十歳ぐらい若いと思われていたようだ。

    「まあ、いつもぼ~~っとしていますからね」

    と、言うと、

    「温泉のおかげなのかなァ・・・」

    不思議そうな口調で首を傾げた。

    いや、入院中は実際より十二、三歳も年上に見られていたんですけれどね・・・。

    ちゃんと、治療の効果が出ているのかも・・・。face02


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この記事へのコメント
六十代 前半には矢沢永吉さんがいますし、後半には吉田拓郎さんがいます。
未だに現在の十代・二十代の歌手よりは力のある歌声ですし、パワーのある歌詞も書けます。
加山雄三さんも七十代ですが、生半可な二十代よりもずっと考えが若いし、柔軟ですよね。
Posted by DT33DT33 at 2012年08月26日 21:25
DT33さまへ>

 こんばんは。

 そうなんですよね。
 今の六十、七十歳は、まだまだ壮年の域です。とても実際は高齢者などと呼べるものではありません。体力も精神力も、ヤワな二十代、三十代など、とても太刀打ちできないでしょう。
 若い人たちは、彼らが生きた時代を知らないために、六十代も七十代も八十代もひとくくりにして、お年寄りの一言で片付けてしまいがちです。
 ところが、そんなお年寄りたちも、それぞれ世代的にはまったく異なる青春期を生きて来ているのですから、若い人たちが介護にあたる際は、その人その人に適した時代の歌や文化を熟知しておく必要があるのです。
 七十代の女性たちにモンペを穿いたことがあるかと訊ねれば、おそらく90パーセントの人は、「それって、わたしたちの母親のこと?」と、答えるのではないでしょうか。(苦笑)
Posted by ちよみちよみ at 2012年08月26日 21:50
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