自分の非を認めない人

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    世の中には、自分が悪いことを知っているにもかかわらず、それを決して認めようとしない人がいる。

    明明白白の事実として、証拠までも突き付けられながら、それでも悪いのは自分ではないと言い張る。

    それを認めたからと言って、別段命にかかわるほどのことでもないのに、絶対に事実を受け入れようとはしない。

    そして、それでも徹底的に自らの立場が追い詰められたものになると、

    「ああ、おれが悪いんだろう!お前たちは、おれを責めれば気が済むのだろう。だったら、悪者はおれということにしておけばいいじゃないか」

    と、いうような実に大人げない開き直りに出るのである。

    これは、間違っても自分の非を認めている人間の態度ではないし、おそらくは本人も本気でそう思ってなどいないはずだ。

    こうなってしまったのでは、相手の非を正そうにも、もはや手の打ちようがない。駄々をこね、信州の方言であるエボをつり始めた人間には、どれほど理論立った説得をしても、聞く耳なしである。

    こうなってしまった場合、このエボつりに対抗する手段としては、「そうだ。悪いのはあなただ。ちゃんと反省しなさい」と、一言告げて、あとは関わり合いを持たないようにするということだけである。

    しかし、実は、これよりももっと厄介な人間もいる。自分の非を認めない人

    それは、自分の非を指摘された時、あえてその話題を避け、話をまったく違う方向へ持って行ってしまう人間だ。

    自分が悪いとか、間違っているということを否定するどころか、そんな事実はあり得ないし、よしんばあったとしてもどうでもいい話だ----と、いうことで相手を煙に巻いてしまおうという魂胆なのである。

    こういう反応を示すのは、何故か男性よりも女性に多いといわれる。

    どうも、男性より女性の方が自己保身欲求に長けているせいか、それとも世間を甘く見ているのか、潔さからは縁遠い感性で出来ているようだ。

    おそらくは、面と向かってのケンカに持ち込みたくないという思いからなのであろうが、こうした態度は不誠実と受け取られても仕方がない。

    自分の非を指摘されても、それをはぐらかそうとして何を言われているのかさえ、判らないようなふりをする。

    「あなたが悪い」と、言われても、「そうなのよ。本当にわたし被害者なの。悪いのは向こうの方なのよ」などと、わざとトンチンカンな答え方をして、相手を呆れ返らせてしまうという手法を用いる者さえいるのである。

    したたかというか、悪賢いというか、正に悪女の返答である。

    そして、普段はむしろ物分かり良く度量の広い賢女を気取っていたりもするのである。 

    もしかしたら、あなたもそんな女性を信用に足る優しい人だと、頭から誤解しているのかもしれない。

    ご用心、ご用心。face06

   

<今日のおまけ>

    最近のブロガーさんたちは、ブログにあまり悩みや愚痴を書かなくなっているのだろうか?

    世の不条理を嘆いたりするよりも、あたらず触らずの優等生的な記事が多いような気がする。

    以前のブロガーさんたちは、もっと感情を素直に書き込んでいたように思うのだけれど・・・。

    問題提起的な記事が少ないため、正直、コメントを書き込む余地がない。

    たまにそれらしい内容が書かれているような記事でも、半分冗談めかしているとか、明らかに釣りだろうと思われるものもあり、コメントを書き込むこと自体を躊躇させられる。

    記事を読んで考え、書き込むコメントなのだから、単なるお世辞や挨拶文のようなものは、あまり意味がない。

    要は、記事を上げているブロガーが、それについて何処まで真剣に我がこととして受け止め、考えているかという姿勢が知りたいのである。

    などと言っても、毎日のことで、息をするかわりに記事を書いている人も多いだろう。

    まあ、わたしも似たようなものだから、大して偉そうなことは言えませんが・・・ね。W



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この記事へのコメント
非を認めないどころか話をすり返る 横須賀出身の総理大臣が正にそうでしたね「人生色々会社も色々」と国会で答弁しました。
悲しいのは学生や若い人が「面白い答弁だ」と彼を支持したことでした。
O市のH本市長はK泉さんを師匠と崇めているので、あんな人に政権を取られては困るのですが、何故か人気あるんですよね。

今朝3:00頃に「湖畔の人影」読んだので、さすがに怖くなりまして直ちに貨車のサイトに避難しました
Posted by DT33DT33 at 2012年08月29日 13:03
DT33さまへ>

 「湖畔の人影」お読み頂きまして、ありがとうございます。夜の湖畔のパーティーで、一緒にいた参加者がもしかしたらこの世のものではなかったかも・・・と、思うと、気味が悪いですよね。霊は水辺に集まりやすいとも言いますから、見知らぬ人に「一緒に泳ぎませんか?」などと誘われた時は、要注意だそうですね。

 そうですね。
 あの元総理にも、そういうところはありましたね。話をはぐらかすのがうまい人というのは、一見、機転が利くように思われますが、実際は逃げているだけなのですから、卑怯者の知恵ともいわれます。
 大阪市長も女性問題を開き直りで回避したつもりでしょうが、国民は忘れてはいません。弁護士だけあって、相手を煙に巻く話術はお手のもののようですが、国政レベルの政治手腕があるようにも思えません。
 正に、今の日本は、小領主同士が小競り合いをしている感があり、先が見えませんね。
Posted by ちよみちよみ at 2012年08月29日 15:37
こんばんは。

自分の非を認めたくないのは、多かれ少なかれ誰の心にもあるのではないでしょうか。

その結果変な理屈をこねまわして弁解に終始するわけですね。
聞いていると哀れになってきます。

しかし、立場を自分に置き換えてみれば、果たして自分は潔く非を認めるだろうか?
多少は抵抗するのではないでしょうか。

ただ、自分が間違っていたと思ったら、あまり長引かせずに、真摯に謝る事が大切かと思います。

茶化してしまったり、はぐらかそうとする態度などは、もってのほかだと思います。
自分の非を素直に認める。 大事な事ですね。


ブログ記事で、悩み、愚痴を書いている、ブロガーさんは少ないですね。
きっと、ブログを書いている方達は、毎日がハッピーなんでしょうね。

ナガブロの場合は特に、食べ歩きの記事が多いように感じます。
悩み、愚痴を書くという事は、ある程度自分をさらけ出さなければいけないので、書きにくい一面があるのだと思います。
Posted by こみさんこみさん at 2012年08月29日 20:35
こみさまへ>

 こんばんは。

 そうですね。
 自分の非は、多少の言い訳や抗弁をしたとしても、やはりあまり深みにはまらないうちに、ある程度のところで認めて謝る勇気も必要だと思います。
 これを長引かせてしまうと、あとあと両者の関係がこじれてしまい、結果的にその人からは皆離れて行くことになり兼ねません。
 自分は悪くないと思いたい気持ちは誰にもあるものですが、それを茶化したりはぐらかしたりでなかったことにしてしまおうという考えほど、相手を憤慨させるものはないでしょう。そういう人とは決して信頼関係など築けませんね。
 
 ブログ記事で悩みを書くブロガーさんは、近頃あまり見かけなくなりました。わたしがブログを始めた頃は、皆さんかなり正直に憤懣や愚痴を書かれていましたね。
 わたしが愚痴を書いたりした時も、即座にそれに対する意見がコメントで寄せられたものです。
 確かに、自分の気持ちを素直に書き込むのは、照れもあったりで、躊躇してしまうこともありますね。
 そういう理由が大きいのか、今の大半のブロガーさんの記事は、楽しいことや嬉しいことを報告する書き方に変化してきているようで、食べ歩きの記事なども、どちらかといえば感情描写よりも業務日誌的な文章が多いようです。
 ただ、そういう記事は、読み手側としては、「なるほど、了解です」で、終わってしまうんですよね。文章とは、長さではなく、たった二、三行でもブロガーさんの内面が判る書き方が大事なのだと思うこの頃です。
Posted by ちよみちよみ at 2012年08月29日 22:24
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