安心感とは何なのか?

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    もしも、あなたがトイレの個室へ入っていた時、常に誰かにのぞかれているのではないか---という気持ちを持っていたとしたら、安心して用を足せないのと同じように、人が不安になるのは、自分の内面が誰かに知られているのではないだろうか?---と、感じた時だという。

    つまり、人は誰からも干渉されないという自分だけの世界を持てた時、安心出来るのである。

    そして、その安心感があってこそ、人は人としての役割を果たすことが出来るのだそうだ。

    安心感を覚えている時は、勉強にも集中出来るし、仕事にも前向きに取り組める。他人からいらぬ口出しをされることがないと思うだけでも、自由に能力を発揮することが可能になるのである。

    統合失調症の人が常に不安感と戦っているわけは、自分だけの世界が持てず、いつも誰かに内面をのぞかれているという緊張を強いられているからだともいわれるのだ。

    また、自閉的な人が他人との接点を受け入れようとしない理由も、他人の存在を消し去りたいがための拒絶的心理なのだという。そうしなければ、心の安定が保てないからなのである。

    では、何故、人は時々自分の内面を他人からのぞかれているような不安に襲われるのであろうか?

    それは、自分に自信がないということに他ならない。

    自信がないことを相手に見透かされるのではないか?

    間違っていることや弱点を知られるのではないか?

    誰もその人の能力に関心など寄せてはいないにもかかわらず、勝手にそんな気持ちが心の中で増幅され、ますます不安感を育てるのだという。

    ところが、顔を合わせるだけでも、そうして不安感を掻き立てる相手もいれば、まったく不安や緊張を覚えないという相手もいる。

    不安や緊張を覚えずに済む相手とは、自分とはまったくかけ離れた存在か、もしくは肉親のように何もかもを知られている相手かである。

    これらの人とは自分自身を比べる必要がないので、安心感を得やすいのだそうである。

    要は、中途半端に似た相手が現われた場合、最も人は不安を感じるのかもしれない。

    では、どうしたらいたずらに不安を感じる必要がなくなるのであろうか?

    それは、自分に自信を持つことだという。内面をのぞかれても、恥ずかしくないという一種の開き直りを作ることが大事だそうだ。

    過剰防衛の心理や虚栄心が、むしろ不安感を増殖させる原因なのだということだった。

安心感とは何なのか?

    

<今日のおまけ>

    テレビで長野市の清泉女学院の文化祭「清泉祭」を取り上げていた。

    出演していた女の子たちの多くが、髪を茶髪に染めていたところを見ると、同校系列の短大か大学の学生だったのだと思う。

    特別に厳しい校則が定められている清泉女学院高校生があのような格好をすることは、今でも決して許されないはずだからだ。(現在同校には、中学校も併設されているそうだ)

    それと彼女たちがインタビューに答えていた言葉使いだが、高校生があのような話し方をすれば、即刻シスターからダメ出しが入るだろう。

    「見てくれた人が元気になれば・・・」

    というような話し方をしていた学生もいたが、高校生ならば、

    「ご覧下さった方にお元気になって頂けましたら・・・」

    ぐらいなことは言うのではないだろうか。

    いや、言わなければおかしい。

    清泉女学院と一口に言っても、高校と短大、大学ではやはり学生への指導方針がかなり異なるようだ。

    が、この少子化時代、学生確保のためには、ここまで礼儀指導を緩和し譲歩しなければならないのだとしたら、同高校の卒業生として少々残念ではある。

    もう少し、清泉の品格というものをわきまえてもらいたいと思ったのは、わたしだけではないはずだ。


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